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ホームページの逆襲

SNSがニュースの発信元としての信頼性を失いつつあるいま、デジタルジャーナリズムの有料購読者はオンライン世界に古くから存在するスタイルに注目し始めている。
ホームページの逆襲
Illustration by Nicholas Konrad / The New Yorker

デジタルテクノロジーメディア、The Vergeの編集長ニレイ・パテルは最近、theverge.comを「地球最後のウェブページ」と呼ぶようになった。もちろん一種のジョークであり、いまでも膨大な数のウェブサイトが、Facebook.comなども含めて存在はするのだが、決してジョークでは済まない面もある。過去10年の間、メディアのホームページが注目を集めることはほとんどなく、ニュースサイトはコンテンツの配信をSNSに頼ってきたからだ。

その点、The Vergeは異色であり、時代に逆らってホームページにかなりの投資をしている。2022年には、動的なコンテンツを集めたサイトにするため、大幅にデザインを変更した。短い投稿でビジュアルも重視する、「Storystream」というセクションも新設された。ツイートにも似ており、1日に何回もリアルタイムで情報が更新される。刷新後のThe Vergeは、従来のメディア的な要素が減って、むしろSNSのフィードのようになった。当初この変化は、業界の観測筋から愚かしいと受け止められた。SNSプラットフォームのほうが得意なことを、なぜわざわざ試みるのか。ホームページは死んだ、これからはTikTokだ──。

パテルは振り返る。「すぐに返ってきたのは、『間違いなく失敗する。いまはもう誰も、ホームページになんかアクセスしない』というリアクションでした」。ちょうどそんなとき、イーロン・マスクをトップに迎えたTwitterがおかしなことになり、主なSNSプラットフォームはすべて、ニュース配信から距離を置くようになった。結局、The Vergeのデザイン刷新は功を奏したのである。同社によると、「ロイヤルユーザー」(1カ月に5回以上サイトにアクセスするユーザーと定義されている)は2023年の間に47%増えたという。一般向けのサイトではないにもかかわらず、The Vergeは親会社Vox Mediaの傘下では、単一のサイトとして最多のアクセス数を保ち続けている。同サイトの模様替えはいまや、メディア各社の経営陣や、そこで記事を書く編集者の間で賛嘆の的になっており、ホームページ逆襲の先触れになったと言ってもよさそうだ。

並んだ専門店に足を運ぶようなもの

大手のSNSプラットフォームは、長い間メディアコンテンツの大型小売店のような存在であり、あらゆるものを少しずつ同時に提供してきた。特にTwitter(現「X」)は、一部のヘビーネットユーザーの間で、ニュースもエンターテインメントも同時に満たせる場として機能していた。2010年代になると、コンテンツはアルゴリズムによる個別のレコメンデーション機能を利用してSNS経由で消費者に届けるのがベストだというのが、世の中の通念になった。どんなニュースも、FacebookやTwitterのフィードに表れた記事を読む。記事は個別のURLとして配信され、元のメディアからは隔絶してSNSのフィードという流れの中に浮かんでいる。まれな例外を除けば、ホームページはブランドの看板という役割に甘んじるようになった。ついでがあれば見にいくかもしれないが、頻繁にアクセスするものではなくなったのだ。

だが、デジタル配信インフラは崩れ始めていて、メディアにとっては有効性を、ユーザーにとっては親しみやすさを失いつつある。SNSは、ニュースのソースとして見るとそもそもから精彩を欠いていたが、いまでは誤情報や、人工知能(AI)によって生成されるコンテンツで溢れている。AIベースの検索は、ニュース記事がGoogleからトラフィックを集める仕組みをひっくり返しそうな勢いだ。テキストベースのメディアは、TikTokやInstagram、YouTubeから流れるショート動画に後れをとっている。

Liz Reid
グーグルは検索サービスにAIを統合していくことで、その仕組みの再構築を加速させている。そうしたなか、検索におけるAIの台頭という“世界秩序の変化”に、どう対応していくのか。検索部門の責任者であるエリザベス・リードが語った。

情報収集の方法としてそれが気に入らなかったら、それまでだ。ごみ情報におぼれるデジタル市民は気づき始めている。かつてSNSから仕入れていた情報を見つけたければ、ブラウザーのバーにURLを入力して個々のサイトを訪れるのがいちばんだと。一方、そうしたサイトの多くはSNSに近い雰囲気をつくろうとして、常に更新を続けながら、視覚的な刺激で人目を引き、SNSプラットフォームでの対話感を生み出そうと躍起になってきた。「わたしたちに必要だったのは、SNSの動きを真似ることでした」。パテルはこう語っている。

おそらく、SNS時代にわたしたちは、ウェブサイトの存在意義を見失ってしまったのだ。よいウェブサイトとは、毎日毎週たびたびアクセスするような場所であり、そこに行けば選りすぐりのコンテンツを閲覧できるが、決して何でもあるわけではない。そういうサイトに常にアクセスするのは、自らの意図があってのことであり、支援の表れだ。読むものをSNSがフィードしてくれるのを受身で待つのではなく、読み物を、あるいは動画や音声を、信頼する情報源から探し出すことができる。かつてのツイッターが、どんなコンテンツでも揃うホームセンターだったとすれば、個々のサイトにアクセスするのは、並んだ専門店に足を運ぶようなものだ。

「ホームページは死んだと信じ切っていました」

Semaforは、22年の秋に開設されたグローバルニュースサイトだが、もともとはメールによるニュースレターを発行していた。ニュースレターの普及も、SNSに頼らずに常連の読者を確保する戦略のひとつだ。読者をウェブサイトに集めようとするのではなく、コンテンツを受信箱に直接届けるのである。

だが、やがてSemaforではサイトのほうが重要になっていった。「こう言うと、ちょっと反するように聞こえてしまうかもしれないですが、『ウェブページの作成に投資を続ける』というのが、わたしたちの選択です」。Semafor共同創業者のひとりであるベン・スミスはこう話している。スミスが長年にわたって編集長を務めていた「BuzzFeed News」は、SNSを通じたコンテンツ配信を目的としていた。「ホームページは死んだと信じ切っていました。実は、休息していただけだったのです」と、スミスは続ける(『The New Yorker』も、23年の夏にホームページのデザインを変更した。これも、同じような結論に達したからだ)。

Semaforのサイトは、リアルタイムの情報アグリゲーターとしてSNSに対抗する手段だとスミスは考えている。それこそ、メディア各社が2010年代に大部分を明け渡してしまった機能である。Semaforには、世界の選挙戦をその緊急度によってランク付けしている「Global Elections Hub」というセクションがある。また、「Signals」という機能では、AI翻訳を利用して、Semaforのジャーナリストが世界各国のメディアの記事を検索・要約できるようサポートしている。幅広い記事と批評を読者に提供することが目的だ。「Twitterが見事にその役割を果たしていた時代もありました。共有された事実について、多種多様の誠実な議論が見られる場所でした。SNSはそれをやめてしまったのです」とスミスは指摘し、こう付け加えている。「人が関心を示すのは、人が編集したものなのです」

有料購読者の75%がまずホームページにアクセス

この何週間か、最近はブラウザーにどんなURLを入力することが多いかと、会う人ごとに訊いてきた。ESPN.comやtheathletic.comといったスポーツサイトを挙げた人もいる。試合の得点を確認するのが目的だ。『ニューヨーク・タイムズ』のゲームページ、nytimes.com/crosswordsも挙がった(もちろん、同紙のメインページであるnytimes.comは、いまでもメディアのURLとして圧倒的なアクセス数を保っているレアなケースだ)。「Defector」という回答もあった。スポーツブログ「Deadspin」の元ライター陣が2020年に立ち上げたメディアサイトで、Deadspinは8年前に破産したGawker Mediaの傘下にあった。現在、Defectorは収益を上げており、その売上の大半は有料サブスクリプション(購読)の分である。

Defectorが目指しているのは、「古きGawkerサイトの伝統に立った、行きつけのブログ」になることだと、同社の収益と運営を統括するジャスパー・ワンはわたしに語った。言い換えるなら、一日に何度もチェックするようなサイトだ。「TwitterやFacebook、Googleを業務の中心として考えたことは一度もありません。サイト自体が業務の中心です」とワンは言う。

Defectorのホームページは、シンプルながら効果的で、見栄えのするデザイン要素によってではなく、長めの見出しと常連の執筆陣を通じてメディアとしての個性を打ち出している。ホームページには、購読者のコメントや、「Twitch」のストリーミングなど近日予定のデジタルライブイベントを載せるセクションもある。Defectorのデータによると、有料購読者の75%はまずホームページにアクセスするという。そうした習慣を培うことも、サイトのビジネスモデルには鍵となる。購読者が1カ月の間にサイトにアクセスする回数が多いほど、翌月も契約を継続する可能性は高いからだ。

直観に反するが、残された唯一の道

ウェブサイトのホームページは、どれほど動的に、あるいは親切になったとしても、ソーシャルインターネットの構造的な問題に対処し続けなければならない。Facebookはいまでもインターネットユーザーを追跡し、そのデータを使って広告を絞り込もうとしている。読者は、『ニューヨーク・タイムズ』などのメディアにGmailアカウントを使ってログインすることが多く、グーグルはますますインターネットの監視人という立場を強めることになる。消費者の関心は、いまだに大部分がアルゴリズムによるフィードによって動かされており、TikTokは新しいオーディエンスを獲得する絶好のチャンスを、少なくとも米国政府による禁止が決まるまでは提供し続ける。

SNSプラットフォームの動きを模倣しようとする各サイトは、そのスケールがはるかに小さいという事実を考える必要がある。あらゆる人が読者として定着したりしないことは明らかだ。その読者から得られる売上にはおのずと限りがある。インターネット全体を流れる膨大なトラフィックから遠ざかるというのは、その意味で直観に反するが、これが残された唯一の道なのかもしれない。

ポストSNS時代の貴重な教訓のひとつは、流行のコンテンツをつくろうとするより、得意なことに集中したほうが長期的には戦略として賢いのではないかということだ。よく見るサイトとしてほかにも挙げられたのが「Arts & Letters Daily」で、このサイトには大きな特徴がひとつある。他のサイトで公開されている文学関連記事へのリンクを毎日3つずつ載せている点だ。短い紹介文も付いていて、以前のTwitterで見られたツイートにも似ている。

Arts & Letters Dailyが始まったのは1998年で、それ以来デザインは変わっていない。このサイトはインターネット初期に話題を呼び、翌99年に学術誌『Lingua Franca』に買収されたのち、同誌の廃刊後02年には「Chronicle of Higher Education」に救われて命脈を保った。Chronicle of Higher Educationの編集主幹エヴァン・ゴールドスタインは、Arts & Letters Dailyの経営にも当たっており、同誌が取り上げるのは「わずかにゴシップ的なかたちをとった知的な争い」だと説明している。10年代、キュレーションがSNSプラットフォームの得意領域とみなされた時代には、Arts & Letters Dailyのシンプルなアグリゲーション形式は、絶望的に古く見えたものだ。それでも、いまと同じことを当時も続け、結果的に同誌のアプローチは由緒あるがゆえに新鮮に見えている。

「Twitterのアルゴリズムが混沌としてきたため、わたしたちのような旧式のフォーマットに新たな可能性が開かれました」と、ゴールドスタインは話している。結局のところ、大手SNSプラットフォームのほうがデジタルジャーナリズムの歴史においては逸脱した存在だったということを、Arts & Letters Dailyの寿命の長さは示しているのかもしれない。「一定以上長く続けていると、何ごとも元に戻ってくるものです」とゴールドスタインは言う。これまで何年もの間、本分を離れてクリック数を求めて頑張ってきたメディアはすべて、そろそろ内側に目を向け、ホームページの革新を目指すべき時なのだろう。

(Originally published on The New Yorker, translated by Akira Takahashi/LIBER, edited by Michiaki Matsushima)

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