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人新世は存在しない? 新しい地質年代をめぐる「世紀の大論争」

わたしたちが生きているのは、人間が地球に多大な影響を与える新しい時代、「人新世」だと科学者もジャーナリストも芸術家もよく言う。ところが今春、この時代区分を一流の地質学者たちは否決した。その背景をレポートする。
人新世は存在しない? 新しい地質年代をめぐる「世紀の大論争」
ValentynVolkov/GETTY IMAGES

第3千年紀に入ってから数カ月後[編注:2000年]のこと、地球圏・生物圏国際協同研究計画(IGBP)という名のグループが、メキシコのクエルナバカで会議を開いていた。出席した科学者のなかにパウル・クルッツェンがいた。クロロフルオロカーボン(CFC、いわゆるフロン)など、オゾンを破壊する化学物質の研究で最もよく知られる大気化学者だ。ドイツに住むオランダ人のクルッツェンは、この研究で1995年にノーベル賞を受賞し、受賞記念講演で、人類は無分別だったが軽い罰で済んだと指摘した。膨大な量のCFCを大気中に放出しておきながら、それがどんな事態を引き起こすか、よく考える者はいなかった。成層圏で起きる化学反応の結果、オゾン層の「穴」は南極大陸上空で拡大したが、CFCの反応の仕方がほんの少し違っていたら、それを計測する道具を科学者が手に入れる前に、オゾンホールは南極から北極まで拡大していたかもしれない。

「人類はとてつもなく幸運だったと結論づけるしかありません」とクルッツェンは語った。

クエルナバカでのIGBPの会議で、クルッツェンはいらだちが募るのを感じていた。同僚たちは「完新世」という言葉を繰り返しているが、その地質年代が始まったのは、最後の氷河期が終わったおよそ12,000年前だ。完新世の黎明期には、世界の総人口は400万人ほどで、せいぜいシドニーかサンクトペテルブルクといった都市が埋まるかどうかだった。しかし、メキシコで会議をしていたころには、地球の人口は60億人を超え、人間の活動によって炭素循環といった地球の基本的プロセスまでもが根底から変えられつつあった。

「『完新世』という言葉を使うのはやめよう」とクルッツェンは思わず口走った。「いまはもう完新世じゃない。いまは……」と言葉を探して口ごもる。「いまは人新世だ!」。次の休憩時間には、クルッツェンの新語が話題の中心になった。著作権を取得したほうがいいと提案する者もいた。

人類の中心的役割を強調する

あとでわかったのだが、人新世(Anthropocene)はクルッツェンの造語ではなかった。ミシガン大学の生物学者、ユージーン・ストーマーが、同じようないらだちから、すでに80年代に考案していたのだ。クルッツェンがストーマーに連絡を取って、ふたりは共同でIGBPのニュースレターにエッセイを書き、新しい時代区分の必要性を説明した。歴史上ほとんどの期間、地球をかたちづくってきたのは地質学的エネルギーだったが、人類の活動はそれよりも急速かつ劇的にこの星を変えつつある、とふたりは主張した。

「『人新世』という用語を現在の地質年代として」使用して、「人類の中心的役割を強調することは、適切という以上の意義があるように思える」とふたりは書いている。IGBPのニュースレターの読者は限られていたので、クルッツェンは2002年にエッセイを手直しして学術誌『Nature』に発表した。そして、熱帯雨林の伐採、気候への影響、CFCといった新しい化学物質の製造など、人間が地球を変容させている例を列挙した。クルッツェンはここでも、人類がこれまでのところいかに幸運だったかを強調した。オゾン層がもっと破壊されていたら、世界の広大なエリアで人が住めなくなっていた可能性がある。「英知より運に恵まれたおかげで、そうした壊滅的状況には発展しなかった」とクルッツェンは書いた。

クルッツェンとストーマーが考案した用語について、有用だと感じる科学者は多かった。まもなく「人新世」という言葉が学術論文に散見されるようになる。これを受けて強い関心を寄せたのが、地質学のうち地層の時間的順序を研究する層序学の研究者で、地球の公式年表にあたる国際年代層序表を管理している学者たちだった。地球は、層序学的な意味で、本当に新しい地質年代に入ったのだろうか。だとしたら、それはいつから始まったのか。国際層序委員会(ICS)は、この問題を検討するため、人新世作業部会(AWG)を立ち上げた。

ところが、作業部会が依然として熱心に活動していた今年3月に、とあるメンバーが「プーチン的」と形容した投票が行なわれ、人新世を地質年代に加える案はICSの下部委員会によって否決された。この投票で話は決着してもおかしくなかったのだが、おそらくこれは始まりにすぎない。ある地質学者はわたしにこう言った。「人新世を否決するのは、プレートテクトニクスを否決しようとするようなものだ。人新世は現実に存在する。それを扱わないわけにはいかなくなるだろう」

ゴールデンスパイクと地質年代

層序学者は、時間を遠大なスケールで捉えることに慣れている。国際年代層序表の最初の時代区分は冥王代と呼ばれ、地球が誕生した45億年前に始まる。冥王代は5億年も続いたが、次の太古代はさらに長く、延々と15億年もの間続く。ペルム紀は5,000万年近く、白亜紀は8,000万年にもわたる。こうした「紀」は多くの下位区分(専門用語では「世」)に分けられており、その期間も長い。例えばペルム紀のシスウラリアン世は2,600万年にわたって続いた。

しかし、現在に近づくほど、各年代の期間は狭まっていく。現在から見て2番目に近い地質年代は新第三紀で、その期間はわずか2,000万年だ。現代を含む地質年代は第四紀と呼ばれ、ほんの258万年前、氷河期の開始とともに始まった。第四紀はさらにふたつの「世」に区分されている。更新世が257万年続き、次の完新世が、いまのところは、現在も続いている。

さまざまな紀や世の境界を定める際にICSが基準とする場所がある。正式には「国際境界模式層断面とポイント」と呼ばれ、非公式には「ゴールデンスパイク」として知られている。ほとんどの場合、ゴールデンスパイクに選ばれるのは、地磁気の逆転やある生物種の化石の消滅など、地球の歴史が顕著に動いたことを示す証拠が含まれている地層だ。例えば、三畳紀の始まりを示すゴールデンスパイクは中国の眉山にある地層で、そこには、地球の全生物種のおよそ90%が姿を消した大量絶滅という変化が記録されている(眉山には公園がつくられ、そこを訪れる人々は、崖の側面に露出した2億5,000万年前の地層を見ることができる)。

ゴールデンスパイクについても、現在に近づくほど現在の介入が大きくなる。完新世の場合、ゴールデンスパイクはグリーンランドで採取された氷床コアに含まれるひとつの層で、コペンハーゲンの冷凍庫に保管されている。この層には、11,700年前に降った雪が圧縮されて閉じ込められており、これはヤンガードリアスと呼ばれる急激な寒冷期の終わりと一致している。

クロフォード湖の堆積層から

完新世を除けば、各地質年代の開始時期が決められたのは、その出来事から数百万年が経過したあとだ。つまり、開始時期の指標として使われるものが何であれ、それは時の試練に耐えたことになる。当然ながら、人新世の地層はまだ存在しない。人新世作業部会が09年に設置されたとき、最初に取り組んだのは、人間が地球に与えた影響を数百万年後にも見分けられるかどうか判断することだった。

数年におよぶ研究の結果、答えはイエスだと作業部会は決定した。化石燃料を燃やすことによる炭素の排出は、未来の地層の中に永遠に消えない痕跡を残す。核実験で降る放射性物質も同様だ。人間が動植物を世界中で移動させたことで新しい生態系が生まれ、それが将来、新しい化石群になる。また、トランジスターからタンカー船まで、何兆トンもの人工物もその痕跡が残るから、まったく新しいタイプの化石、いわゆるテクノ化石が地質記録の中に現れるだろう。19世紀にアルミニウムの製錬方法が発明されるまで、アルミニウムはほかの元素と結合した状態でしか地球には存在しなかった。したがって、未来の地質学者は、地層に残るビール缶の残骸から、現在の「世」を見分けられる。バズ・ライトイヤーならぬバドライト・レイヤー(地層)だ。

こうした「最近の地質記録に残る際立った特徴は、人新世を地質学的実体として正式に認める根拠となる」。AWGのメンバーは、16年に『Science』に発表した論文でそう書いている。

クルッツェンとストーマーは、最初に人新世を提起したとき、産業革命の兆しが見え始めた18世紀後期を人新世の始まりにしてはどうかと提案していた。AWGもこれを候補として検討したが、最終的には却下。第二次世界大戦後の数十年間で、資源の消費量は急上昇した。この変化はグレートアクセラレーション(大加速)として知られるようになった。アルミニウムやプラスティックといった新しい物質の製造が桁外れに膨れ上がったことを踏まえて、作業部会は、1950年に近づけたほうが新しい「世」の開始点にふさわしいと決定した。

昨年夏に、仕事を締めくくるよう国際層序委員会(ICS)から圧力がかかったため、AWGはゴールデンスパイクの案を発表した。選ばれた指標は、完新世の基底として使われたものと似ているが、こちらは氷床コアではなく、湖底から採取されたコアだ。

トロントから50kmほど南西にあるクロフォード湖は、部分循環湖と呼ばれるタイプで、上層の水と下層の水が混じり合わない。ほかにも珍しい特質があるため、この湖に落ちたものは、花粉から放射性物質の粒子まで、すべてが堆積物の層の中に保存され、極めて正確に時期を特定できる。この案では、1952年にできたクロフォード湖の堆積層を、人新世の基底として選定した。より正確には、ケベックの冷凍庫で保管されているあるコアの中に残る52年の層だ(米国は52年に最初の水爆実験を行なった。湖底に残るそのときの降下物は、プルトニウムの突出としてはっきり現れる)。クロフォード湖のコアを選んだという作業部会の発表は、世界中の層序学者がフランスのリールに集まって開いた会議の期間中に行なわれた。しかし、その後の展開を暗示するように、作業部会は会議場で発表することを禁じられ、近隣のホテルの部屋を借りなければならなかった。

人新世は「現在と未来のものだ」

地質学という分野ができてからおよそ250年の間に、時代区分をめぐる議論が醜悪なものになることは何度もあった。例えば1830年代には、英国屈指の著名な地質学者たちが、現在デボン紀として知られる4億年ほど前の岩をめぐる論争で、悪口の応酬を繰り広げた。論争の当事者だったヘンリー・デ・ラ・ビーチは、絵の才能があったので、論敵を皮肉るマンガを描いた。相手の学者たちが、大きな鼻の男と向き合っている絵だ。

「諸君、これはわたしの鼻である」とその男は言う。

すると学者たちはこう返す。「困るよ、君! 自分に関する君の理論はたいていよくできているようだが、われわれは君の姿を見る前に、君を鼻のない男として分類したのだから、君に鼻があるはずはないのだ」

近年も、第四紀を新第三紀に吸収すべきか否かで地質学コミュニティに亀裂が入り、何年もの間、毎年のように投票が繰り返された末に、ようやく決着した(ついには、国際層序委員会(ICS)の母体である国際地質科学連合(IUGS)が、論争への対処の仕方を問題視して、ICSへの資金を停止したほどだった)。こうして第四紀は生き残ったが、新第三紀を研究する多くの地質学者は、独断による間違った決定だと考え、最後の投票が行なわれた2009年に、決定を覆すよう嘆願した。

「新第三紀と第四紀の境界に来ても、そこには何もない」と、ある層序学者は『Nature』に不満をこぼしている。

こうした歴史のなかでも、人新世をめぐる論争は激しいものだ。一方の地質学者は、ストーマーやクルッツェンと同じように、人間の活動が地球を大きく変容させているのに、いまは完新世だと言うのはもはや無意味だと主張している。意外ではないかもしれないが、この陣営で最も声高なのは人新世作業部会のメンバーだ。

「突然こうした変化が起きたのに、いまだに完新世と呼んでいるのは、一部の海洋学者がサンゴ礁について話す様子と少し似ている」。人新世作業部会を長年率いた英国の地質学者、ヤン・ザラシーヴィッチは、わたしにそう話した。「いわばゾンビのような時代になっている。公式にはいまも存在するが、その特徴となっていた状況はもはや存在しない」

対してもう一方の陣営は、人新世はその定義からして層序学の領域ではないと主張している。

カリフォルニア州立大学の地質学者で、国際地質科学連合の事務局長でもあるスタンリー・フィニーは、アメリカ地質調査所の層序学者、ルーシー・エドワーズと共同で、「層序学の記録は過去のもの」だが、対して人新世は「現在と未来のものだ」と書いている。

ケンブリッジ大学名誉教授で、現在ICSの事務局長を務めるフィリップ・ギバードは、「将来振り返ってみなければ、この境界に意味があるかどうか判断できない」とわたしに話した。「そうはいっても人新世は未来へ続いていく、と境界を提案した者たちは言うだろう。しかし残念ながら、わたしたち地質学者は未来を扱わない。わたしたちが扱うのは、岩の中に保存されている記録だけだ」

世紀の口げんか

この冬、くすぶり続けていた論争が沸点に達した。こうした対立ではよくあるように、この論争でも、本質的な議論は手続き上の問題に姿を変えた。AWGのメンバーは、準備が整わないうちに正式な提案をするようICSにせき立てられたと感じていた。また、投票に至る前段階でザラシーヴィッチら人新世の支持者が脇に追いやられた、と抗議した(ザラシーヴィッチは、投票を行なったICSの第四紀層序小委員会(SQS)の議長を務めていたが、投票はその反対を押し切って行なわれた)。

「はっきり言って、宮廷でクーデターが起きたようだった」と、そのときAWGの議長だったコリン・ウォーターズは教えてくれた。

最終的な得票は、新しい時代区分を宣言することに反対が12票、賛成が4票、棄権が2票。この結果は、AWGのほとんどのメンバーがまだ知らないうちに、『The New York Times』にリークされた。ザラシーヴィッチは、ほかの小委員会のメンバーひとりと共に投票を棄権し、複数の理由で投票の正当性に疑義を唱えた。理由のひとつは、議長の自分が投票を認めなかったことだ。しかし、ICSの理事会はザラシーヴィッチの異議をすぐに却下した。

「人新世を時代区分として宣言する努力が世紀の口げんかに」と『Guardian』の見出しは伝えている。

「確信をもって言えるが、人新世作業部会の一部のメンバーは、実にばかげた主張を展開してきた」と、ICSの執行委員会に加えて第四紀小委員会のメンバーでもあるギバードはわたしに言った。「そうしたメンバーは往生際が悪いだけだ。困ったことに、人新世作業部会は──どういうべきか──単なるカルト集団になってしまった」

この言葉が消えることはありえない

いっさい隠し立てしたくないので記しておくが、わたし自身は人新世の熱烈な支持者だ。とはいえ、わたしは層序学の専門的知識があるわけではない(以前、ザラシーヴィッチと一緒に、シルル紀の基底を示すゴールデンスパイクを訪れたことはある。それはスコットランドの崖にある地層だった)。わたしが人新世を支持するのは、この造語が有益で、むしろ不可欠だと思うからだ。この言葉を使えば、極めて重大でやっかいな現実を簡潔に伝えられる。いまや人間の活動は、地球を変える最大の要因になった。広く生息していた生物を絶滅に追いやったり、世界中にマイクロプラスティックをまき散らしたり──わたしたちがこの星にもたらしている変化の多くは、人間的な尺度でも地質学的な尺度でも、長い時間にわたって元には戻せない。

クルッツェンが思わず叫んで以来、人新世という言葉があれほど広く使われたのは、有用だからこそだろう。逆に、広く使われたからこそ、最近のICSの議論もあれほど白熱したのだと考えれば説明がつく。

ほとんどの一般人にとって、更新世がいつ始まったのかはたいして重要ではない(近年、その時期は80万年近くさかのぼった)。そんな難解な問題は、今日の課題からは遠く離れたことに感じる。しかし、人新世についての論争は、現代についての論争だ。そこでは層序学と最新ニュースが交錯する。ICSが裁定を下す好機を掴むずっと前から、人新世は映画や本、美術展のテーマになっていた。その間も、AWGの活動はメディアでたっぷり取り上げられた。クロフォード湖をゴールデンスパイクにすることを作業部会が発表すると、インドの『ヒンドゥスタン・タイムズ』からドイツの『ドイチェ・ヴェレ』まで、多くのメディアがこの選定について報じた。

提案された人新世の開始時期より前に生まれた多くの地質学者は、時代区分案がこれほど注目を浴びていることに嫉妬しているように見える。「人新世は最初からメディアを使って売り込まれた──宣伝工作だ」とIUGSの事務局長であるフィニーは『Science』に冷たく言い放っている。

正式な層序単元としての人新世の未来は、現時点でははっきりしない。AWGは投票後に解散したが、作業部会のメンバー数人がわたしに指摘したように、今年の夏、4年に1度の万国地質学会議が韓国で開催される予定で、そのあとICSの幹部は交代することになっている。オランダの地質学者キム・コーヘンは、第四紀層序小委員会(SQS)のメンバーとしては若手の50歳で、新時代に賛成票を投じたひとりだ。彼は、自分が死ぬまでには地質時代に人新世が加わるのを見られるだろうとわたしに話した。

そして事情を説明するように、「SQSのメンバーの多くはその日を見ずに終わると思う」と付け加えた。

だが、非公式の時代としての人新世の未来なら安泰だ。これほど適切でこれほど重要な言葉が消えることはありえない。ポール・クルッツェンが02年に指摘したように、「隕石の衝突か世界大戦かパンデミック」でもない限り、人間は「これから何千年もの間、最大の環境的影響であり続ける」。『Science』は最近、この状況を次のようにまとめた。「人新世は死んだ。人新世の御代よ永遠に」

クルッツェンは21年に亡くなったので、先日のICSの投票について何と言うかは知る由もない。しかし想像するに、2010年にわたしが投げかけた質問への回答とほとんど同じことを言ったのではないだろうか。そのときクルッツェンはこう話した。人新世について重要なのは、地質学の教科書に載るかどうかではない。この言葉に刺激されて、人類全体の行動がどんな結果をもたらすか、人々がもっと慎重に考えるようになるかどうかだ。

そして、こう言った。「『人新世』という言葉が世界への警告になることを願っている」

(Originally published on The New Yorker, translated by Megumi Kinoshita/LIBER, edited by Michiaki Matsushima)

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