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現代の “知の巨人” バーツラフ・シュミルと「すべてを疑う」ことの価値

『Numbers Don't Lie』や『Invention and Innovation』など数々の著作で知られるバーツラフ・シュミルが新著『SIZE』を刊行した。実証可能な事実を重んじる昔気質の科学者が、地球環境をめぐる破滅予測とテクノロジー楽観主義について語る。
現代の “知の巨人” バーツラフ・シュミルと「すべてを疑う」ことの価値
PHOTO: DAIGO NAGAO

つい先日、わたしはバーツラフ・シュミルの近刊『SIZE(サイズ):世界の真実は「大きさ」でわかる』を拾い読みしていた。デザインの善し悪しに関する章の最初のパラグラフは、ゴムサンダルの話だった。シュミルは、「横方向の支えも不完全なら、縦方向にもろくに安定性がないにもかかわらず、ゴムサンダルは世界で最もありふれた個人の所有物だ」と説く。さらに続くのは家具に関するパラグラフで、「豊かな国で食糧生産、漁労、伐採、採鉱、建築などに携わる人の割合は確実に減少しつつある」と述べている。

それ以降も、宗教における巡礼、空港、職場への出勤と話は移っていく。2018年に、ダートマス大学アーサー・L・アービング・エネルギー社会研究所(Arthur L. Irving Institute for Energy and Society)の創設ディレクターであるエリザベス・ウィルソンは、『Science』にこう語ったことがある。「バーツラフ・シュミルの著作から1パラグラフだけ取り出せば、そこから一生分のキャリアを築いていけそうです」

「ネットゼロ」達成の実現可能性

シュミルは、マニトバ大学(カナダ、ウィニペグ)で環境学名誉教授の地位にある。グローバルな問題、特にエネルギー、農業、人口、経済、気象の諸問題に関する数々の著作で有名だ。世界銀行、米国国際開発庁といった機関の顧問も歴任してきた。研究対象は多岐にわたり、そして多作である。『SIZE』は2023年5月に刊行されたが、これも最新刊ではない。翌6月には、10年前に出た『Making the Modern World(現代の世界をつくる)』[未邦訳]の改訂版である『Materials and Dematerialization(物質と脱物質化)』[未邦訳]の第2版が刊行された。

バーツラフ・シュミル|VACLAV SMIL
カナダ・マニトバ大学特別栄誉教授。エネルギー、環境変化、人口変動、食料生産、栄養、技術革新、リスクアセスメント、公共政策等の分野で学際的研究に従事。カナダ王立協会(科学・芸術アカデミー)フェロー。エネルギーや環境などの学際的研究を行なっている。2013年、カナダ勲章を受勲。


Photograph by David Lipnowski

シュミル自身の数え方では、1976年の『China’s Energy: Achievements, Problems, Prospects(中国のエネルギー:その実績、問題点、展望)』[未邦訳]以来、これまでの著書は合計48作におよび、いまもさらに4冊の出版が控えている。グローバリゼーションに関する1冊、食糧を取り上げた1冊、『SIZE』と同じようなスピードに関する研究が1冊あるほか、過去の著書2作の合本版もオックスフォード大学出版局から刊行される予定だ。この合本は1867年から1914年という時代に関する研究で、シュミルはこの期間が現代社会の形成に最も大きく影響したと考えている。

シュミルの文章は、トロットつまり速歩で始まり、うたた寝を許さない同じペースのまま最終パラグラフまで続いていく。『SIZE』の第5章では、『ガリバー旅行記』に登場するいろいろな種族の比率が実際にはありえないという指摘を、計算式も交えて詳しく論じている。「厳密なスケールで言えば、リリパット国の成人は体重がスウィフトの誤った記述の10倍となり、小ぶりなトガリネズミくらいというより、およそ2倍のトウブハイイロリスに近い大きさになる」。シュミルはユーモアセンスの持ち主なのだが、それを十分に発揮するわけではない。最初は個人的あるいは逸話的に思えるくだりが、脚注の付くほど徹底的に書き込まれることもある。

シュミルは、根拠がないと考える仮説を容赦なく分析していき、その対象は18世紀アイルランドの風刺作家にとどまらない。わたしが20年前に初めて読んだ著書は、マサチューセッツ工科大学(MIT)出版局から刊行された『Energy at the Crossroads(岐路に立つエネルギー)』[未邦訳]だった。そのなかでシュミルは、米国の裕福な家庭が自家用車などの形で手にしているエネルギーについて、こう書いている。「古代ローマの時代なら6,000人ほどの奴隷を所有する大地主でもなければ、あるいは19世紀まで下って3,000人の労働者と400頭の大型荷馬を抱える領主でもなければ、利用できなかった」。つまり、いかにエネルギーの利用が容易になったか、現代の特徴をくっきりと指摘したのだ。

そして、そのほとんどは化石燃料の燃焼によってもたらされている。21世紀米国では、祖先のころと比べて生活が安楽に、健康になり、寿命が延び、移動性も上がった。その点に疑いをもつ者はいないだろう。だが、その快適な暮らしを実現してきたエネルギー改革の規模が桁違いにどれほど大きいかということを、わたしたちが正しく理解していないことは、シュミルの示したこの比較で明らかである。

最近シュミルが執筆しているのは、気候変動に対する継続的な取り組みと、2050年までに「ネットゼロ」を達成できる実現可能性についてだ。2022年に出版された『How the World Really Works(世界の本当のしくみ)』[未邦訳]でシュミルは、21世紀に入ってから最初の20年間に、「再生可能エネルギーが莫大なコストを費やして拡がったにもかかわらず、世界の主なエネルギー供給における化石燃料の比率はわずかに下がったにすぎない」と書いている。具体的には86%から82%の減少にすぎず、同じ期間に全世界の化石燃料消費はむしろ45%増えたという。

この数字に驚く人もいる。クルマの宣伝を見て、あるいはニュースでソーラーパネルや藻類ベース燃料の記事や、有機物が二酸化炭素を石に変えるといった技術革新に関する話を読んで、そこから環境対策の進歩を感じ取っている人々だ。また、シュミルの考察を後ろ向きで無益だと考える環境保護派にとっても不愉快なデータであり、最近あるジャーナリストがシュミルを「ひねくれ者」と評したのも、こういう点が原因になっている。

シュミルは、あまりインタビューを受けたがらない。自分について人が知るべきことはすべて、著書に書かれていると考えているからだ。2018年に『Science』に紹介文が掲載されるのを認めたのは発行元への配慮だったが、そのポーズをのちに後悔した、と彼はわたしに語った。この記事の取材を申し入れたとき、わたしは内心で震える思いだった。ほぼ1カ月毎日のようにメールを交わし、電話でも長々と会話を重ねたが、直接の面会を打診すると、「マニトバまで飛んでくるなんて、誰もやらないだろう(カンザスのトピーカに飛ぼうと誰も思わないように)」と言われた。シュミルの著作すべてに共通する特徴であり、魅力的であると同時に難題だと思うのが、彼の頑固な懐疑主義である。『How the World Really Works』の終盤には、デカルトの言葉とされている句がシュミル自身の指針として引用されている。「de omnibus dubitandum」、つまり「すべてを疑え」だ。

「実証可能な事実を重んじる昔気質の科学者」

シュミルは1943年に、いまのチェコ共和国に生まれた。当時はボヘミア・モラヴィア保護領で、4年前に侵攻してきたナチスドイツの領地だった。幼少期のことを尋ねても、「子ども時代はあえてレッテルを貼るとすれば、平凡で幸せだった」という答えではぐらかされてしまった。

1960年から1965年まで彼はプラハのシャルル大学に籍を置く。学生時代とその後の数年間を、シュミルは「1968年のプラハの春へと続く長い序章」だったと語る。プラハの春とは、アレクサンデル・ドゥプチェクがチェコスロバキア共産党第一書記に就任した1月5日に始まり、7カ月半後にソビエトを中心とする軍の侵攻で終わるまでの自由化運動の期間のことだ。シュミルによると、ソビエトが介入するまでは「一般の学生でも、大学の図書館で西側の新聞雑誌を読むことができた」という。

シュミルは大学で、エネルギーに関連する幅広い分野、なかでも生物学、地質学、気象学、人口統計学、経済学、統計学などを学んだ。学部時代の卒業論文では、石炭火力発電による環境への影響、特に大気汚染の影響を扱った。本人によると、シュミルの学問的な懐疑主義は10代なかば以降に自然に身についたもので、「実証可能な事実を重んじる昔気質の科学者として(ドイツ人が好んでいう「Naturwissenschaften」、つまり自然科学の)訓練を受けるなかで劇的に補強され、(どんなことについても虚偽が絶えない)共産党員のもとで過ごすうちに(1969年まで)強化された」のだという。

シュミルがのちの夫人に出会ったのは学生時代で、彼女は医学生だった。多くの同朋と同じく、ふたりも移動規制によって移民が事実上不可能になる前に国を離れた。1969年8月31日に米国に着き、シュミルはペンシルベニア州立大学の地理学部で2年をかけて博士号を取得する(博士論文の題目はグローバルなエネルギー開発だった)。1972年にはマニトバ大学から声がかかった。4言語に堪能で、それ以外にも履修した言語は10を超えていた。最近も、マンデリシュタームとパステルナークをロシア語で、新約聖書をラテン語で読んだところだという。英語は流暢だが訛りがあり、書くより話すほうがずっと速い。彼はあまりに早口なので、電話での会話の一部も、録音を25%減のスピードで聞き直すまで理解できなかったほどだ。

10年ほど前、わたしは米国の有名大学に在籍する高名な化学教授にインタビューした。驚いたのは、仕事の関係で旅行に出る機会が多く、アメリカン航空でファーストクラスより上のステイタスを獲得したほどだったと聞いた。2009年の映画『マイレージ、マイライフ』でジョージ・クルーニーの演じた登場人物と同じだ。その教授の説明によると、自分の仕事で最も重要で時間もかかるのは、研究室で教え子の大学院生が研究を続けるための資金を世界中から調達するところなのだということだった。

シュミルにこの話をすると、「飛び回るだけで資金を集められるのだから、いまの科学者にとっては理想形だが、自分は望まない」という。大学院生に頼ったことは一度もないからだ。「かつては図書館から図書館へと駆けまわったりもしたが、いまではオンラインリソースを多用している」とシュミルは言う。例えば、『Web of Science』へのアクセス権はいまも大学から付与されており、フランス国立図書館がつくった何世紀分ものデジタルアーカイブ『Gallica』もある。

シュミルはクラシック音楽を愛好しているが、「絶望的に音痴」であり、楽器も演奏しない。桁の多い数字を覚えるのが得意で、多くの計算を暗算でできる。アイデアが浮かぶのは、散歩中や読書中、朝起きたとき、飛行機に乗っているとき、料理しているときなどだといい、料理には自分の好きな日本食も含まれている(1978年から定期的に日本を訪れるようになり、近代日本における内閣の発展に関する共著もある)。「わたしが本を書くのは、配管工が配管を修理したり、ゴミ収集人がゴミを回収したりするのと、少しも変わらない。これは本当で、内省したりするわけではない。自分の好きな仕事、できる仕事というだけのことだ」

再生可能エネルギーの限界を説く

シュミルには、再生可能エネルギー技術に関する著書も数多く、そのなかで再生可能エネルギー技術の利用について限界を説いてきた。今後20~30年にわたってエネルギー需要全体が世界的に増加するのを完全に抑えられるほど、急速に成長し続けることはないというのである。

そのような技術に非現実的な期待がかけられているのは、半導体技術が急速な進化を、しかも持続可能なかたちでとげてきたために、同じ勢いが続くと誤って推測されたのも一因だとシュミルは書いている。この進化の発端となったのが、およそ75年前のトランジスターの発明だ。1965年、のちにインテルを創業するゴードン・ムーアは、1枚のマイクロチップに集積できる素子の数がおよそ2年ごとに2倍になることを経験的に見いだした。集積される素子の数は、1970年代には数千から数万だったのが、現在では数百億に達しており、この現象は「ムーアの法則」として広く知られている。

マイクロチップでさえ、そうした進化のペースは落ちてきているのだが、他の分野に同じ発想を当てはめることは常に問題をはらんできた。昨年MIT出版局から出版された『Invention and Innovation : 歴史に学ぶ「未来」のつくり方』で、シュミルは次のように述べている。「デジタル化と人工知能(AI)の発達に後押しされた指数関数的に急速な成長が、太陽光電池、バッテリー、電気自動車、さらには都市型農業といった分野にすでに浸透していると、われわれは聞かされている」。そうした成長が、たとえ実際に存在する場合でも、永久に続くことは不可能だとシュミルは論じる。それが可能だと考えるのは、彼が次のように説明してくれた姿勢に通じるのだという。「科学とイノベーションに対するアプローチは、まるで米国流の興行師のようだ。疑わしい主張まで、なんでも『革新的な変化』ともてはやされ、明らかに不可能な見通しさえ、歴史上有数のすぐれた頭脳から生まれた成果として尊崇の対象になる」。そのような見通しの例が核融合であり、高温超伝導であり、火星の植民なのだ。

2019年にMIT出版局から刊行された『グロース「成長」大全』でも、シュミルは『SIZE』のときと同様の多岐にわたるアプローチをとり、副題にも「微生物から巨大都市まで」と付けている。だが、活字は小さく、ページ数もほぼ2倍におよぶ。『Foreign Policy』の短いレビュー記事で、キース・ジョンストンはこう書いている。「バーツラフ・シュミルの分厚い最新刊を正しく評価するには、まず大きく深呼吸をしてから、あまりの難解さに何度投げ出したかわからないその本が落ちているのを探して拾い上げるのがいちばんだ」。実際、ジョンストンはそうやって読み進め、記事の次のパラグラフではこの本を「魅力と刺激に溢れており、究極的に説得力がある」と評している。

「ほとんどの成長プロセスは、それが生物、人工の産物、複雑なシステムのどれであろうと、いわゆるS字の成長曲線で表せる」と、同書の序章でシュミルは書いている。つまり、成長率は最初のうち徐々に上がっていき、次に急上昇してから横ばいになる。同じように予測可能な規則性を読み取るとき人間は、S字曲線の真ん中に当たる垂直に近い部分が、その角度のまま永遠に続くものと錯覚してしまいがちだ(17世紀オランダのチューリップの価格や21世紀のビットコインの価格など)。「経済学者や政治家が夢想する安定した終わりのない経済発展は、持続可能なものではない。とどまることなく成長を追求するのは環境に致命的だ」というのが、シュミルの弾き出した結論のひとつだ。

「自分は予測をしているわけではない」とシュミルはたびたび口にする。「予測というのはいかなるレベルでも、悲しくなるほど必然的に失敗に終わる営みなのだ」とわたしには語った。それでも、シュミルの著作では、ある種の予測が暗黙的に語られる場合がほとんどだ。『グロース「成長」大全』の終章では、次のように書いている。「地球上の無機・有機の資源を際限なく採取し続け、生物圏に存在する有限の自然とその機能を次々に劣化させることを前提とする限り、物質的な成長が続くことはありえない」──これこそ、卒業論文から始まって、かたちを変えながらシュミルのほぼ全著作を動かしている原理である。

気候変動対策と根強い懐疑主義

シュミルが、気候変動対策の目標を非現実的だと考える、その根強い懐疑主義は、このような枠組みで説明がつく。「大々的な国際会議は(国内戦略でも同様だが)脱炭素の目標を0と5で終わる年に設定する傾向がある(2030年までに全世界で炭素排出量を45%削減するとか、2035年までにアメリカ国内の発電による炭素排出量をゼロにする、2050年までに全世界でネットゼロカーボンを達成するなど)。これが恣意的な目標であることは明らかであり、これらの目標を達成するには世界規模で技術と経済の並々ならぬ変革を必要とする」とシュミルは書く。

最終的に世界が実現しなければならない変革だが、いま一般的に予測されている期限までに達成するのは不可能だとシュミルは考えている。12月の国連気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)で採択された多国間の合意は、それなりに有望だと表現された。しかし、この採択を画期的な転換点ととらえるには、疑惑を思い切って棚上げしなければならない。なんといっても、COP28の開催国となった当のアラブ首長国連邦では2000年以降の電気消費量がほぼ3倍になっているうえに、その大部分がいまだに天然ガスと石油の燃焼でまかなわれているという事実があるのだ。

懐疑的にならざるをえない理由はほかにもある。ノルウェーが世界的なロールモデルとしてしばしば引き合いに出されるのは、国内電力の大部分に水力発電を利用しているからだ。だが、これは特殊な例にすぎない。人口が少なく、ダムを建設できる河川が多いうえに、その経済は何十年前と同様いまでも石油と天然ガスの輸出に依存している。そこから得られる収益が、とりわけ市民の使う電気自動車(EV)の充実した助成を可能にしているのだ。

オーストラリアも、クリーンエネルギーのインフラを大幅に増やしてきた。しかし、19世紀のはじめから石炭の産出量は2倍以上に増えていて、その多くが中国に輸出されている。そしてその中国は、石炭の産出量も燃焼量も世界のどの国より多く、急激な経済成長をとげている理由の一部は、シュミルによると「石炭の燃焼量を4倍にした」ことにある。米国では、風力と太陽光による発電が近年増え、石炭への依存度が下がってきている一方で、天然ガスの燃焼量は以前よりも増えているため、化石燃料の消費量は合計すると、25年前とほぼ変わっていない。

そうした中国の工業化も、最近になってペースが落ち着いてきた。S字曲線がようやく横ばいに入ったわけだが、化石燃料への依存はまだ止まっていない。中国ではいまも、新しい石炭火力発電所がほぼ1週間に2基というペースで建設されているのだ。それほど遠くない昔、北京は自転車の街だった。いま深刻化している大気汚染の原因の多くはクルマだ。中国はEVの製造で世界をリードしている一方で、石炭の燃焼による発電でも世界屈指とされている。インドは、道路網の総延長距離が米国に次いで世界2位で、いまもなおその距離は急速に伸び続けている。

中国のエネルギー消費は2030年までにピークを迎える見込みだ。だが、その次にはもうインド、パキスタン、インドネシア、そしてサハラ以南のアフリカ諸国が中国という成長モデルに倣おうとしている、とシュミルは語る。「全世界で25億人以上が、いまでも日常生活のなかで木や藁を、さらには乾燥した畜糞を燃やしているのを忘れてはならない。2,000年前の人々が燃やしていた燃料から少しも変わっていないのだ。今後も当分の間、こうした地域の経済成長が主に石炭、石油、天然ガスを利用して進んでいくことは間違いない。われわれがしてきたこと、中国がしてきたこと、そしてインドがいま試みようとしていることを、自分たちもやろうとするだろうから、世界が脱炭素化するペースは、われわれではなく、そういった国によって決まるのだ」と彼は言う。

「理論上は結構だが、現実的ではない」

昨年5月にシュミルは、カリフォルニア州における一次エネルギーの供給と消費を扱うニュースサイト『California Energy Markets』のライターによるインタビューに応じた(『Invention and Innovation』の出版直後だった)。記事には、「気候変動に安易な解決策はないと語る科学者バーツラフ・シュミル」という見出しが付けられた。そこでミシェルは、化石燃料からの移行で特に問題になるのは、双方向・長距離の送電インフラが不足していることだ、と説明している。気候変動に対するどんな取り組みより古い問題だが、なかでも重大なのは、風力や太陽光をふんだんに使える場所からそれらが乏しい場所まで電力を送るのが、たいていは実現不可能ということだ。

「これは米国だけの問題ではない。カナダにも全国的な送電網はなく、もっと人口密度の高いEUでさえ、北海の大規模な風力発電プロジェクトでつくられる電気を南へと運べる手段は充分に発達していない」とシュミルは話し、同じインタビューでこうも答えている。「炭素排出量を削減する最も直接的な方法は、石炭火力発電所をすべて停止することだ。理論上は結構だが、現実的ではない。米国でさえただちに実行するのは不可能だが、まして中国やインドでは論外だろう」

このインタビューがネットで公開された翌日、『Volts』というポッドキャストを運営しているデヴィッド・ロバーツが、X(旧ツイッター)にリンクを投稿し、「この人って、日に日に意味不明になっている、自分で恥ずかしくないのか」とコメントを添えた。シュミル自身はこれまで一度もSNSに投稿してこなかったが、わたしにはロバーツのツイートのことについて困惑していると漏らした。「何カ月か前、学部で哲学をかじっただけのやつに、わたしはエネルギーについて何も知らない、物理の基本さえわかっていないと書かれた」と、わたしへのメールには書いてあった。ロバーツは、実際には哲学で修士号まで取得していて、学部での履修は英語だった。それでも、彼のポッドキャストは評判がよく、これまでの放送のなかには、著名な環境保護論者、気象学者、起業家などを相手にした有意義なインタビューも多い。

わたしもロバーツと電話で話したことがある。実際にはシュミルの著書をそれほど読んでおらず、シュミルとその著書について知っているのは、大半がほかの人の記述からだと言っていた。シュミルはロバーツのことを「頑固な現実主義者であることを、そして人のばかげた夢や空想を打ち砕くことを楽しんでいるような印象だ」と言った。見解の相違に年齢は関係していると思うかと訊いてみると(シュミルは30歳ほど年長だ)、「どの年齢層でも世代の問題はあるが、環境運動家は非現実的だと糾弾し続けるコメンテーターが一定数いるものだ」という答えが返ってきた。

一部の環境保護論者がシュミルに反感をいだくのは、シュミルが進んで交遊する知識人の種類も影響しているのかもしれない。2010年の著書『エネルギーの不都合な真実』は、MITやオックスフォードの出版局からではなく、アメリカンエンタープライズ研究所(AEI)から出版された。AEIは気候変動について、今日でさえ強い懐疑主義を公式に主張しているシンクタンクだ。同書のカバーには、エンロンの幹部だったロバート・ブラッドリーによる推薦の辞が寄せられている。そのブラッドリーがCEOを務めるInstitute for Energy Research(エネルギー研究所、IER)の創業には、チャールズ・コークもかかわった。IERは、環境に関するさまざまなテーマについて、すでに信憑性を失った科学研究を推進し続けているとグリーンピースによって糾弾されているのだ(ブラッドリーによる推薦の辞には、こう書かれていた。「シュミルは、基本的な経済学、技術上の理解、歴史に対する洞察を組み合わせて、エネルギーに関するビジョンの虚偽を暴く。エネルギーについての真実は、言葉や願望ではなく自由市場によってつくられるということを、シュミルは気づかせてくれる」。もちろん嘘ではないが、ブラッドリー自身の気候変動に対する方針を踏まえると、誤解のもとではある)。

わたしがシュミルから聞いた話によると、『エネルギーの不都合な真実』がAEIから出版されたのは、以前シュミルが小文を書いたときの編集者がAEIに在職していたからにすぎないという。だが、交遊関係だけで安直に人を批判する姿勢を一蹴するのは、シュミルに似つかわしくもある。彼に言わせれば、科学的な事実は科学的な事実であり、出版社がどこであろうと関係はないのだ。彼のメールにも次のように書いてあった。「わたしはどの政党にも属したことはないし、いつも独立独歩だ。米国内での議論が劣化したあげくの不作法と過剰な党派精神にはうんざりしている。結局のところ、起業的な精神が米国を築いてきたはずなのだが、そうした精神の振興に努める団体から真実を記した文章を発表することが、いまでは忌避されるというのだろうか」

効率は上がっても、排出量は下がっていない

2022年に可決されたインフレ抑制法(Inflation Reduction Act、IRA)は、気候変動に対処する米政府の取り組みとしては、これまでになく意欲的だ。税額控除をはじめとするインセンティブを創設して、化石燃料からの移行を急がせるというのが、その施策の骨子である。IRAは、特に消費量の削減を求めているわけではない。リア・ストークスは、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の環境政治学教授で、IRAの起草、可決、施行に大きく貢献したひとりだ。その彼女がインタビューでこう答えている。「わたしたちが大切だと考えているのは、犠牲ではありません。豊かさです。大切なのは、適切な気温で、いまより魅力的な、よりよい未来です」。ストークスが思い描く未来は、ヒートポンプやソーラーパネルを基盤としており、あらゆる場所であらゆるものを電化することを前提としている。

ソウル・グリフィスは、オーストラリア系米国人のエンジニアで、IRAにも深くかかわってきた(わたしは2010年に、グリフィスについて本誌で記事を書いたことがある)。ストークスがシニアポリシーアドバイザーを務めている非営利団体「Rewiring America」の共同創設者でもあり、2021年には『Electrify: An Optimist’s Playbook for Our Clean Energy Future(電化:クリーンエネルギーの未来を目指す楽観論者のためのプレイブック)』[未邦訳]と題する著書をMIT出版局から出版している。そのなかで、電化された未来をグリフィスはこう描いている。「このような未来の市民は、アメリカンドリームで約束された豊かさと多様性、例えば同じ広さの家とクルマをほぼそのまま保つことができる。しかも、いまと比べて消費エネルギーは半分ですむ」

こうした議論はすべて、シュミルと正反対の立場と考えてもいいだろう。ストークスもグリフィスも、『Volts』で長時間のインタビューに応じており、このふたりやデヴィッド・ロバーツ、そのほかにも同様の考えの持ち主が気候変動について同じようなことを主張している。再生可能エネルギーへの世界的な移行はすでに臨界点に達していて、最終的な目標に到達するために先進国の快適な生活を手放す必要はないとする立場だ。

だが、当然の疑問もある。ひとつは、わたしたちの誰もが大学教授やエンジニアと同じように論理的に考えて行動するとアテにできるのか、仮に税制上の優遇措置を目の前にぶら下げられたとしてもそう期待できるのかという問題だ。何世紀もの間、人は常に効率の改善を消費の増進にすり変えてきた。シュミルはメールのなかで、米国における個人あたりのエネルギー消費量に触れ、「さまざまな効率の向上があっても、それが目に見える節約につながったことを示す兆候はない」と説明してくれた。平均的な米国人が使うエネルギーは2012年の時点で285ギガジュールだった。その後あらゆる分野で大幅に効率が上がったにもかかわらず、22年には284ギガジュールだったという。しかも、この数十年間に米国内の企業が製造活動の多くをアジアの化石燃料ベースの工場に移していなかったとしたら、このデータはもっと悪くなっているのだ。

このジレンマは、米国のクルマ事情を見るとよくわかる。昨年米国で販売台数が最も多かったのは、フォード「Fシリーズ」のピックアップトラックだった(ドライバーの多くが、ステーションワゴンから移行している)。よく指摘されるように、1908年に製造が始まったフォード「モデルT」と比べて、多くのモデルは燃費がそれほど大きくは変わっていない。だがそれは、現代のエンジンの効率が悪いからではない。それどころか、いまのエンジンは驚くほど効率が上がっていて、エネルギー消費の多い機能をいろいろと搭載し、メンテナンスの必要性が減っているにもかかわらず、モデルTの何倍も重量があるクルマを動かしている。現代のクルマはどれも、動力の種類を問わず、燃費の改善が車両重量の増加で相殺されているのだ。

テスラの「サイバートラック」は、重量が3トンを超える。GMSの「ハマーEV」は、完全電動化を実現した結果、バッテリーパックだけでも重要が1.4トン近くもある。つまり、三菱の「ミラージュ」より約370kgも重いのだ。このようなクルマを製造するには、エネルギーも原材料も膨大な量を必要とするため、環境に対する甚大な影響は大気中に排出する炭素だけではすまなくなる。そのうえ、クルマの大型化を好むのは米国人だけの特徴ではない。シュミルは『グロース「成長」大全』でこう書いている。「1960年代まではヨーロッパ車も日本車も米国製のクルマよりずっと軽量だったが、1970年代以降になると平均重量は同じように増加する傾向にある」(最近になってヨーロッパで標準サイズのレンタカーに乗ったことがあれば、駐車場のスペースが追いついていないことにお気づきかもしれない)。「ネットゼロ」は、固定したままの目標にはならないのだ。

破滅予測志向とテクノロジー楽観主義

このような問題を提起するだけでも、気候変動に関しては、ひねくれ者という評価を受けかねない。しかし、方向性を疑うことは目標を疑うことと同じではない。2022年、刊行直後の『How the World Really Works』を紹介した『Yale Environment 360』の記事で、シュミルはこう書いている。「問題は、現代の産業経済を支えている化石燃料から段階的に脱却するという壮大な課題を明晰に見つめることではない。むしろ、われわれが破滅予測志向と、『テクノロジー楽観主義』という呪術的思考との間を行ったり来たりしていることだ」

ただ、自身については、楽観的とも悲観的とも考えていないようで、「正しい統計とエンジニアリング上の現実を示しているにすぎない」と彼は定義している。一方でわたしには、こうも語っている。「完全に常軌を逸した世界で合理性を支持したところで、なんの結果にもつながらない。壁のように立ちふさがる無知と、はなはだ誤った情報で満足している『環境志向』に向かって議論を続けるのは無益だ」

シュミルの言葉を賛否どちらでとらえるかは、部分的にもせよ、懐疑の価値をどう受け取るかによって違ってくるだろう。これまでのところ、世界は気候変動に関して、どちらかといえば控えめな目標でさえほとんど達成できていない。この状況は変わるのだろうか。2021年のポッドキャストでデヴィッド・ロバーツは、化石燃料からの脱却が、シュミルのような懐疑派の考えるより早く進むと考えているとしてその理由を説明した。その変化は「単にある種の物理的なエネルギー源から別のエネルギー源に移行することだけではない(そういう面もあるが)。物理からデジタルへの移行でもあるからだ」という。これこそがテクノロジー楽観主義の立場だ。これが正しいとすれば、何も憂慮する必要はない。だが、もし間違っていたら、どうなるのだろうか。

デヴィッド・オーウェン|DAVID OWEN
1991年から『ニューヨーカー』の常勤ライター。それ以前には、『アトランティック』誌のコントリビューティングエディター、『ハーパーズ・マガジン』誌のシニアライターを務めた経験がある。また、『ゴルフダイジェスト』誌と『ポピュラーメカニクス』誌でもコントリビューティングエディターを努める。2011年には、アンディ・ボロウィッツが編纂した本において、米国の愉快な作家50人のひとりに選ばれている。

(Originally published on The New Yorker, translated by Akira Takahashi/LIBER, edited by Michiaki Matsushima)

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