SZ MEMBERSHIP

SZ Newsletter VOL.245「模倣の脱未来化」

『WIRED』初のファッションイベント「WIRED Fashion with VOGUE」でインスピレーションを得たのは、「他人の欲望を欲望する」というルネ・ジラールの模倣理論とスタートアップの名著とのつながりだった。編集長からの週刊ニュースレター。
編集長からSZメンバーへ:「模倣の脱未来化」SZ Newsletter VOL.245
PHOTOGRAPH: Masashi Ura / WIRED Japan

今週の海の日には地元の材木座海岸まで夕方散歩をして海の家を今シーズン初めて訪れ(天気の影響で人出も少なくメローな時間が流れていた)、水曜日には実に5年ぶりの開催となった鎌倉花火大会を愛でるなど、普段、鎌倉市民ならぬ鎌倉都民と揶揄される(つまり、鎌倉に住んでいながら東京でほとんどの時間を過ごしている)身としては久しぶりに地元時間を堪能した。金曜日にはNRI(野村総合研究所)の社内研究会が鎌倉の旧村上亭で開催するオフサイトにご厚意で混ぜていただき人工知能(AI)と社会についての集中討議に一日たっぷり参加する機会もあった。地元つながりで言えば、審査員として関わっている「鎌倉サーキュラーアワード」がいま絶賛、応募受付中だ。担当する「スタートアップ部門」は市外からの応募も受け付けているので、ぜひ、われこそは“リジェネラティブカンパニー”だという向きは検討してみてはいかがだろうか。

先月、渋谷PARCOで開催されたイベント「WIRED Fashion with VOGUE」のレポート記事動画が今週上がっている。個人的にもとても思い入れのあるイベントで、渋谷PARCOという場所で行なえたこともその理由のひとつだ。かつて『東京から考える』という東浩紀さんと北田暁大さんの共著があって、 そこには人々の属する文化圏が「住まいの沿線から山手線のどの駅に最初に接続するか」で決まる、といったことが書かれていた。それでいうとぼく自身は東横線育ちで渋谷文化圏だったし、偶然ではあるけれど社会人になってからのオフィスもこれまでずっと渋谷だったこともあって、渋谷PARCOはその中心地に屹立する存在であり続けたのだ。

今回のイベントの準備で渋谷PARCOの歴史を改めてひもとくと、ミニシアターのCINE QUINTOでは1999年のオープン時の杮落としとなった映画『バッファロー'66』を観に行ったなとか、パルコブックセンター渋谷店には本当に通い詰めたなと(2016年閉店)改めて感慨にふけってしまう。今回の「WIRED Fashion」に登壇した渋谷PARCO店長の平松有吾さんの言葉からも、なぜ渋谷PARCOがカルチャーの発信基地であり続けられるのかがびしびしと伝わってくる。キーワードは「懐疑的楽観主義」だ。

そして、『Vogue Japan』のヘッド・オブ・エディトリアル・コンテント(いわば編集長のことだ)であるティファニー・ゴドイと揃って登壇したことも嬉しい機会となった。彼女とはコンデナスト・ジャパンというメディア企業のいわば同僚なのだけれど(彼女のパワフルでビジョナリーなリーダーシップは普段から垣間見てきたし、長らく君臨した名物編集長のあとを継いで、メディア環境が激変するなか自らブランドを再創造していくことの数々のチャレンジに向かっていく姿には勝手ながら親近感を抱いている)、『WIRED』と『Vogue』といえば水と油、とは言わないまでも、コンデナストが有する数々のメディアブランドのなかではかなりユニークなコラボレーションと言っていいだろう。今回は、まさにファッションというテーマそのもののような、異種混交によるクリエイションの誘発を意図したものだったし、未来を実装するメディアである『WIRED』とのコラボとして、ふだん『Vogue』で必ずしもフィットしないような実験的なテーマはどうだろう、というオファーに独立系メディアを呼んでファッションとプリントメディアの未来を語ってみせたところに、ティファニーの気骨を存分に感じられたと思う。

クロージングで話したように、「WIRED Fashion with VOGUE」のイベント自体、衣服を纏うという行為を通して未来にコミットできる、未来を変えることができるのだという確信を手にすることができたとても素晴らしい時間だったのだけれど、個人的にもうひとつ、印象に残ったのが、「模倣」という概念だった。これは哲学者ルネ・ジラールの有名な「模倣の欲望」理論のことで、つまり欲望とはあなた自身のなかから内発的に生まれるのではなくて、人は他人が欲望するものを欲望しているのだ、といった三角関係で定義される。そして、ファッションとは基本的にこの「他人の欲望」を欲望する装置だというわけだ。

これはイベント当日のセッションのなかではサラッと言及されただけだったけれど、改めてそこで想起されたのが、もう10年ほど前に手がけたピーター・ティールの名著『ゼロ・トゥ・ワン』だった。ゼロイチで何か新しいものを創造せよ、というのはスタートアップ界隈や新規事業開発のお気に入りのクリシェとなったわけだけれど、その原理としてぼくはこれまで、「隠れた真実」という考え方で主に本書を説明してきた。つまり、「誰もがAだと信じているけれど本当はB」といった反直感的で誰もが見過ごしている真実からしかゼロイチは生まれない、というストーリーで、逆張り屋(contrarian)とも形容できる。

だが改めて考えてみると、ティール自身がジラールからスタンフォードで直接学んでいて、それが彼の人生に多大な影響を及ぼしたことを公言しているように、この『ゼロ・トゥ・ワン』にもジラールの模倣理論が色濃く反映されている。端的に言えば、ゼロから何かをつくりあげたいのならば、他人の欲望を欲望するな、ということだ。そのことは、昨年邦訳が刊行された『欲望の見つけ方』の序章で著者のルーク・バージスがティールにインタビューしている箇所からも読み取れる。

ティールは模倣理論を知っているからこそ、過当な競争を避けて小さくてニッチでもそこを独占せよ、と説いたのだし、逆に人々が模倣理論に従うとわかっていたから(「私は模倣に賭けた」)、フェイスブックの初の外部投資家となって結果的に大金を手にすることになった。ゼロイチの創造を模倣理論から捉え直し、他人の欲望を欲望することについて思索することはだから、切れ味抜群でとても汎用性が高い思考モデルだと言えるのだ。

でも例えば、他人の欲望を生きない、ということは、はたして本当に可能なのだろうか? 正直なところ、どちらかといえば自分自身は他人の欲望を生きるようなタイプではあまりないと思っている(もちろん、異論は歓迎だ)。それは、必ずしも誇れることではなくて、例えばメディアの編集長という立場にあるときに、他人の欲望を模倣する人々の心理を熟知することは、職業スキルとしてとても大切なことでもあるだろう(ティファニーはこの点できっと優れているはずだ)。世界で起こることの大半は、他人の欲望を模倣することで成り立っている。誰もがそこから逃れられないのだと気づくことすら難しい(ティールですらそうだった)。逆に言えばだからこそ、ゼロからイチを生み出すイノベーションはめったに起こらず、それだけ価値の高いものになる。

『WIRED』は他人の欲望を並べ立てるようなメディアでは必ずしもない。一方で、誰にも模倣されないメディアなど、ほぼ存在矛盾だとも言えるだろう。「WIRED Fashion with VOGUE」は、改めてメディアとイノベーションについて、そして模倣理論の射程(脱未来、とまではまだ言えないまでも)について、深く考える機会を与えてくれるものだった。

『WIRED』日本版編集長
松島倫明

※SZ NEWSLETTERのバックナンバーはこちら(VOL.229以前はこちら)。

編集長による注目記事の読み解きや雑誌制作の振り返りのほか、さまざまなゲストを交えたトークをポッドキャストで配信中!未来への接続はこちらから


article image
シンギュラリティに対してプルーラリティ(多元性)という言葉を対置するオードリー・タンらが登壇して「WIRED UNIVERSITY」の“夏期講座”が開講する。その狙いを綴った、編集長からSZメンバーへのニュースレター。