週明けの月曜日に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)で環境情報学部教授の脇田玲さんの講義「芸術と科学」にゲストレクチャーとして登壇する。アーティストで計算機科学者である脇田さんの作品で特に印象に残っているのが、6年前、宇都宮近郊の大谷石地下採掘場跡で開催された伝説のアートイベント「VENT」での作品だ。シナスタジアラボの水口哲也さんやサウンドアーティストのevalaさんの作品とともに、脇田さんが暗闇の中に出現させた透明素材の襞膜と8K映像が織りなす時空間《Dismantling Awe》は、完全に異世界への畏怖を表出させるものだった。
今年の年初に開催された札幌国際芸術祭では《Over Billions of Years》という作品で、NHK放送技術研究所による128個のスピーカーで構成されたラインアレイスピーカーを用いた音場合成技術とビジュアライゼーションを使いながら、圧倒的な臨場感や没入感とともに地球の悠久のうねりを“体感”させてくれた。幾何モデリングとビジュアライゼーションを専門とする脇田さんは、いわば人間が知覚できないタイムスケールやハイパーオブジェクト、あるいは波や流体や粒子といった微小な存在を、全身で体感できる世界へと引き戻してくれる魔法使いのような存在だ。ぼくたちが住むこの世界に本当は存在する何次元にも折りたたまれたかのようなオルタナティブな世界を眼の前に、あるいは脳の中に突き刺さるように、出現させてくれるのだ。
「誰が水を発見したかは知らないが、それが魚でないことだけは確かだ」、というマーシャル・マクルーハンの有名な言葉あるけれども、まさに魚であるぼくたちに水の存在を教えてくれる、そんなアート作品を脇田さんはつくられている。実はこのマクルーハンの言葉はいま読んでいる武邑光裕さんの自伝『Outlying 僻遠の文化史』の巻頭にも引用されているものだ。
先日、本書の刊行記念と武邑さんの70歳を祝う集まりが赤坂のクラブEDITIONであって不祥松島も発起人に名前を連ねたのだけれど、そこで武邑さんがアートについて、それが常にOutlier(外れ値)であって「僻遠」から現実を転覆させるようなものでなければならない、といった趣旨のことを言われていたのが頭にずっと残っている。もちろん、特にデュシャン以降の現代アートにおいては、そうしたことがずっと言われ続けてきた。それでも、いわゆるデジタルアート以降、あるいは通信メディアや計算機器の発達によって生まれる最近の“体験型”アートが、結局はデジタルとフィジカルを融合して体験や知覚の“拡張”や“リッチ化”の方向にひたすらと向かっているだけではないか、といった問いが、そこには横たわっている。
「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という、SF作家アーサー・C・クラークのこれまた有名な言葉があって、そこから先端技術を扱うメディアアートの分野では「魔法使い」と呼ばれる人もいる。ここで言われているのは、最先端の科学技術が、わたしたちの常識や世界認識、あるいはAIになぞらえるならば「世界モデル」といえるものを揺るがすだけの発展を遂げている現状認識だ。今年ノーベル物理学賞や化学賞を受賞した人工知能(AI)が今後社会のなかに自然に溶け込み、また人知を超えたスピードで科学のさらなる発展に寄与するとき、それはほとんど魔法のようにぼくたちの目には映るだろう。
果たしてそれはアートなのだろうか? つまり、ぼくたちが考える現実なり世界モデルを永遠にひっくり返すような意味での芸術たりえるのだろうか? 以前、このニュースレターで「未来はなぜ見つからないのか」と書いたように、いまぼくたちが手にしている未来は「すでに想像された未来」であり、いわば20世紀の科学技術の延長線上に描かれてきた未来でもある。そこではロボットや超知能や空飛ぶクルマや宇宙コロニーが当たり前にあって、これから先にいつか実現されたとしても、それはいわば、かつての想像力をなぞっただけの、つまりはInstagramで見た美しい風景を現場に確認いくような作業と変わらないものだ。
あるいは、そこに漂うのは美しさではなく醜悪さかもしれない。今月、テスラのイーロン・マスクが披露した二足歩行するヒト型ロボット「Optimus(オプティマス)」がバーテンダーをする映像を眺めながら、人類は本当にこんな奴隷のような存在をいまだに望んでいるのだろうか、と暗澹たる気持ちになった。前世紀の、つまり人権意識や社会の平等やジェンダーの多様性といったものが著しく乏しく、環境意識も、デジタルによる潤沢さもまだ生まれていなかった時代に描かれた「未来」をこれから実現することを、ぼくたちはどこかで止めなければならない。そのためできることは、何よりもオルタナティブな未来をいまからいくつも描いていくことだ。
そのひとつが、週明け24日まで募集を受け付けているCREATIVE HACK AWARD 2024なのだとぼくは真剣に信じている。『WIRED』のこのアワードにぼくが求めるのはいつも、魚が初めて水という存在を知るような、世界の見方を劇的かつ不可逆に変えていくような華麗なハックだ。それは、もはやアートと呼んでいいのだと、ぼくは常々考えている。残された時間はこの週末だけだけれど、創造的に世界をハックする作品を、心からお待ちしている。
『WIRED』日本版編集長
松島倫明
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