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“空飛ぶクルマ”はついに到来するのか?

「空飛ぶクルマが欲しかったのに、かわりに手にしたのは140文字だ」という有名なピーター・ティールの言葉のように、「次世代空モビリティ(AAM)」は長いあいだ、決して訪れない未来の象徴だった。だがいまやさまざまな企業がその開発に乗り出している。
2030年になるころには、近隣の「垂直離着陸用ヘリポート」間を飛ぶ自律飛行型の空飛ぶタクシーを利用できるようになっているかもしれない。マンハッタンから空港まで7分で飛び、しかも料金はライドシェア並みになると謳う企業もあるほどだ。
2030年になるころには、近隣の「垂直離着陸用ヘリポート」間を飛ぶ自律飛行型の空飛ぶタクシーを利用できるようになっているかもしれない。マンハッタンから空港まで7分で飛び、しかも料金はライドシェア並みになると謳う企業もあるほどだ。Photograph: Balazs Gardi

10年と少し前、ベンチャーキャピタル(VC)のファウンダーズファンドが、「What Happened to the Future?(未来はどうなった?)」と題する声明文を発行した。起業家、投資家であり、政治的発言も多いピーター・ティールが経営する会社である。投資に関する議論としては、最新テクノロジー、エネルギー、インターネットの有望さを扱った凡庸な内容止まりだったが、それよりも精神論の類いとして受け入れられたのだ。

ティールは、初期のフェイスブックに投資していたことで特に知られているが、国の動きが鈍くなったと考えていた。いまごろ人類は、近隣の惑星をテラフォームすることに、あるいは死を克服することに挑戦していたかもしれないのに、代わりにやったことといえばアプリをつくることだった。

この論調は、F・T・マリネッティによる1909年の『未来派宣言』と同じ部類で、マリネッティも死にかけている美術館文化を破壊し、熱狂的なペースで進む機械化を支援しようと述べていた。「われわれは、ケンタウロスの誕生に立ち会い、天使の飛翔を目撃するのだ。われわれは生命の門を打ち壊し、そのかんぬきに、錠前に、艱難を与えねばならぬ。いざ、この地の最初の暁ぞ」。詩人ではないティールの言葉は、もっとパンチがきいていた。「空飛ぶクルマが欲しかったのに、かわりに手にしたのは140文字だ」

「Where’s my flying car?(おれの空飛ぶクルマはどこだ?)」というフレーズはシリコンバレーでただちにミームとなって拡がっていった。ティールにとって、元凶は明らかだった──規制当局だ。あるとき沸騰した議論のなかで、ティールは当時グーグルの会長だったエリック・シュミットに対して、「グーグルのプロパガンダ大臣としてはよくやっている」と発言した。それでもグーグルは慎重路線に屈したと述べたうえで、「基本的に、モノの世界にかかわることは何もかも禁じられ、許されるのはビットの世界だけになってしまった」と彼は言った。

経済学者タイラー・コーエンがその著書『大停滞』で記した評価はもう少し中立的で、「容易に到達できそうな目標は、ほとんど達成され尽くした」のだと書いている。先年亡くなった人類学者のデヴィッド・グレーバーは、ピーター・ティールが何者かまったく知らないまま、こう書いた。「わたしたちが、表に出さずに抱えている疑問がある。失望といってもいい。大人になったとき世界がどうなっているか、わたしたちは子どものころ期待させられ、それを破られた」。何が問題なのかというと、「要するに、空飛ぶクルマはどこへいった、ということだ。フォースフィールドはどこにある? トラクター(牽引)ビームは、テレポーテーションポッドは、反重力そりは、トライコーダーは、不死の薬は、火星の植民地は?」。グレーバーが批判しているのは、お役所的なリスクの忌避と、短期的な投資にしか関心を示さない企業だ。2020年になって、投資家のマーク・アンドリーセンは、いつものような長広舌の攻撃で、まだ空飛ぶクルマが実現していないと不満を盛らしたが、それはもはや義務を果たしているような調子だった。

「どこでも離着陸できる航空機」を夢見て

いつまでたっても空飛ぶクルマが実現しないことをシリコンバレーの一角が嘆いている一方で、別の一角でその開発が、少なくとも空飛ぶクルマに近いものが静かに開発されていたことが明らかになっている。ファウンダーズファンドの声明文が出されてからちょうど3年後、マーカス・レンというカナダ人投資家が、近隣の住民と数人の友人を私有地に招待した。場所は、オンタリオ湖の北にある農村地帯だった。レンは50歳代前半で、モップのようなボサボサ頭には白髪が交じり始めている。来客が乗ってきたクルマ(普通のクルマだ)を一列に駐車し、その後ろにかがみ込むよう伝えた。自身はヘルメットをかぶり、地下室でつくっていた装置に乗り込む。狭い車体はひとり乗りで、2枚の固定翼を、フロントとリアに1枚ずつ備え、それぞれに4つずつ小さいプロペラが付いている。その外観は、スマートでもあり、不細工でもある。シャチの赤ん坊を除雪車にくっつけたようにも見える。目にした人は、うまい喩えが見つからず、UFOのようだと形容した。レンは、これを「ブラックフライ」と呼んだ。

ブラックフライは、Pivotalの製造センターで組み立てられる。

Photograph: Balazs Gardi

レンは、ティーンエイジャーのころから飛行機に親しんでいて、以前から「完璧な」、つまり「パイロット免許が不要で、どこでも離着陸できる航空機」を夢見ていた。過去の設計を熱心に研究し、推進システムが重く複雑すぎ、反応が悪すぎるのではないかという疑念を抱いた。だが、過去数年を振り返って、フルサイズのリモートコントロール機の性能が突然よくなってきたことに気づく。パワーは十分で、浮力を得て高精度で操縦できる。とはいえ、その中に人が乗るとなると、話はまったく別だ。先日もレンはわたしにこう語った。「最初の試作機は、冗長性をまったく考慮していなかったので、一点でも不具合があれば完全に失敗でした。安全性のかけらもありませんでした」

デモンストレーション当日のブラックフライは、まずプロペラがうなりをあげて回り始め、地上から1mほど浮かび上がった。続いて前傾姿勢になり、客のほうに向かって飛んだ。当初は、スキーヤーのようにそのまま滑るように移動してから停止するつもりだった。ところが、バンクして旋回し始めたとき、翼の先端が芝生に接触してしまった。「これは失敗するな、と思いました」とレンは話しているが、それでも機体は安定を保ち、芝生を10mほど削り取りながらも、着地することができた。飛行時間は20秒ほど。一般的に知られている範囲では、電動垂直離着陸機、つまりeVTOL(「イーヴィートール」と発音する)での有人飛行として世界初の成功例だ。

いまでは、400を超えるスタートアップ企業が、いわゆる「次世代空モビリティ(AAM)」の業界に集まっている。AAMとは、正真正銘の空飛ぶクルマに当てはまる機械から、見かけは従来型と変わらない機体までを網羅する用語だが、一般的にはeVTOLを指す。たいていは、クルマというより、ヘリコプターと飛行機のハイブリッドのような姿で、路上は走行できない。むしろ、空宙に浮いて、クルマ並みの手軽さで移動できる柔軟性を備えた電動乗り物と表現したほうがいいだろう。

なかには、ひとり乗りのおもちゃのようなものもある。スウェーデンの企業Jetson Oneは、空力性能をもつカゴのような外観で、ルーク・スカイウォーカーのXウィングのように操縦する。自律飛行するタイプもある。中国企業のEHangは、自律飛行するクアッドコプター型の乗用ドローンを試作中だ(その正式な中国語名は、翻訳すると「Ghost知的空中ロボット」の意味になる)。最初の一般的な用途は空飛ぶタクシーになる予定で、当初はパイロットが同乗し、いずれは乗客だけを乗せて、近隣の「垂直離着陸用ヘリポート」間を往復する。

ブラックフライは、eVTOLの世界初の有人飛行に使われた。

Photograph: Balazs Gardi

マサチューセッツ工科大学(MIT)で航空工学のポスドク研究員を務めるマシュー・クラークは、「最も順調にいけば2年で認可され、その2~3年後には空を飛んでいるでしょう」と話している。2028年のロサンゼルス夏季オリンピックでは、選手村から競技会場まで選手を空路で輸送する可能性もある。一般の市民でも、少なくともその度胸があれば、2030年までには空輸サービスを利用できるようになりそうだ。マンハッタンから各空港まで7分で飛び、しかも保安区域まで運んでくれて保安検査が不要になると謳う企業もある。運賃は、ライドシェアで最終的にこなれてくるだろう。推進派は、安価で持続可能な空路交通のシステムを構想している。うなりながら飛ぶクルマがリボン上に連なり、頭上で網の目のように重なり合うイメージだ。

Pivotalのトレーニングセンターで2週間のプログラム

レンの会社は、現在Pivotal(ピボタル)という名称になり、パロアルト東端の沼沢地にあるなんの変哲もない建物の数棟に入っている。グーグルと、NASA研究センターにも近い立地だ。最近、チャレンジ精神のある個人に向けてブラックフライの販売を開始した。ブラックフライは巨大トラックほどのスペースをとるが、重量は350ポンド(約160kg)にも満たない。

今年1月、Pivotalの最高執行責任者(COO)であるクリスティーナ・メントンが、同社のトレーニングセンターでわたしを迎えてくれた。見込み客に向けた小規模な航空学校だ。ホワイエには岩だらけの太平洋岸を飛ぶ航空機をCGIで描いたパノラマが展示されていて、デモ用の機体が1機置かれたほら穴のようなショールーム、教室、そして何より重要なシミュレーター室がある。メントンは、初期のころテストパイロットを務めたことがあり、こう話してくれた。「あのころは恐怖でした。30秒のフライトのために何カ月もトレーニングが必要で、サポートスタッフが15人いました。いまは、もっと多くの人に飛んでほしいと考えています。初めてのフライトから戻ってきたときは、みなさん、申し合わせたように同じ表情になりますよ。純粋な、飛ぶ喜びです」

Pivotalの機体は、連邦航空局(FAA)の「超軽量機」という例外規定で認可されている。芝刈り機のエンジンを凧に取り付けて自宅の裏庭で曲芸飛行を演じるのを禁止できる正当な根拠はない、という現実に対する妥協策だ。超軽量機のパイロットには、トレーニングの要件が課されない。しかし、たった一度でも墜落事故を起こせば、これまでの積み重ねが水泡に帰すということをPivotalのチームは自覚しているので、潜在顧客には同社トレーニングセンターでの2週間のプログラムを求めているのだ。昼食も届けてくれる。

筆者自身がeVTOLを操縦し、空飛ぶタクシーおよび自家用の空の乗り物について話している動画

トレーニングセンター訪問に先立って、同社の広報担当者から電話があり、パイロットの体重制限である200ポンド(約90kg)を超えてないかと訊いてきた。最近、1週間未満で済む簡略版のカリキュラムが開発されたとのことで、それに該当するかもしれないと、誘ってくれたのである。最終的に、わたしが死亡事故を起こしてPivotの評判を道連れにする可能性が十二分に低いと判断されれば、飛行許可が下りるのだろう。うまくいくかどうかは、テレビゲームへの適性と相関関係があるかもしれないと、その広報担当者は付け加えた。この挑戦に、わが家の子どもたちは色めき立ったが、妻の反応は冷めていた。

トレーニングに使われるのは、歯科医の椅子に似た装置で、2本のジョイスティックと仮想現実(VR)ヘッドセットも用意されている。同社ソフトウェアエンジニアによると、この装置は性能が少し甘くてもいいように設計されているという。「シミュレーターは墜落しませんからね」。実際のブラックフライはほとんど滑空能力をもたない。つまり、致命的なエラーがあったら、そのまままっすぐ墜落してしまうのだ。トレーニングルームの入り口で躊躇していると、メントンが気休めを言ってくれた。「シミュレーターの性能は大丈夫です。大丈夫でないといけないんです。最初のフライトから、自分しか乗らないんですから」

空飛ぶクルマの歴史

何年か前、テクノロジストのJ・ストーズ・ホールが、『Where Is My Flying Car?(空飛ぶクルマはどこへいった?)』[未邦訳]と題する本を世に送り出した。題名どおりの疑問に、象徴的にではなく真正面から取り組んだ、近年では珍しい著作である。空想の未来に登場する空飛ぶクルマの話からではなく、空飛ぶクルマの歴史から始まっている。

1920年代、スペインが生んだ航空技術の天才フアン・デ・ラ・シエルバが、オートジャイロを発明した。本格的なヘリコプターの先駆けのような飛行機械である。何度となく墜落したが、ほとんどの乗員は無事だった。残念ながら、シエルバ自身は墜落事故で命を落としたが、これはオートジャイロとは無関係の航空機事故だった。30年代に入ってウォルド・ウォーターマンが何台か販売したAerobile(エアロビル)は、取り外し可能な翼が付き、車体で路上走行が可能だった。このころの発明は実用性こそなかったが、概念は実現可能なように思われた。パイロットとして訓練を受けた多くの退役兵が戦場から戻っていたからだ。航空会社のセスナも、「空のファミリーカー」という雑誌広告を打っている。自宅のガレージに置けるくらい小型で、こんな謳い文句が付いていた。「米国の奥様は旅行と観光が大好き。朝から600マイルほど飛んで、好きな街でショッピングや観光ができると知ったら、きっとどこへだって飛んでいくようになります」

50年代半ばになると、未来のセダンに翼が付くのは、ほぼ既定の事実のようになった。高さが1,500mもある超高層ビルに住むようになったら、それ以外の移動手段などあるだろうか。62年に放送が始まったアニメ『宇宙家族ジェットソン』のオープニングでは、地上がいっさい出てこない。主人公のジョージはドーム型のエアカーを操縦し、妻と子どもたちをカプセルのような子機でそれぞれの目的地に届けてから、自分も勤務先、その名も「スペースリー・スプロケット社」に出社する(ストーズ・ホールは、ジョージの乗る飛行船が1,341馬力であり、つまり500kg近いジェット燃料を消費すると推測している)。

Photograph: Balazs Gardi

この映像は、20世紀という明るい時代の半ばに見られた典型的なユートピア世界だったが、現実とそうかけ離れていたわけではない。何しろ、この時代に予想されていたもの、例えばポータブルラジオ、「ハンカチサイズ」の画面のテレビ、エアコン、プラスチックなどの多くが現実になったのだ。『宇宙家族ジェットソン』では、ロボット掃除機「ルンバ」もほとんど予言されていた。そして、空飛ぶクルマはすでにつくられつつあった。「エアロカー」は、翼と尾翼があり、それをトレーラーに収納できた。「ConvAirCar」は、飛行機部分がアタッチメント式で、それを空港でレンタルすることができた。

とはいえ、空飛ぶクルマは常にエンジニアリング上のキメラだった。原理的にいって、クルマというのは道路から浮かずに路面をグリップする。スポイラーと翼の機能は正反対だ。空飛ぶクルマの理論上の設計はほとんどが、不細工な自動車とマヌケな飛行機を組み合わせた、やっつけの折衷案だった。ConvAirCarのテストパイロットは、空中でガス欠になって墜落している。飛行機部分ではなく自動車のほうの燃料計を見ていたのだ。パイロットは死なずにすんだが、プロジェクトは打ち切りになった。軍は、滑走路を必要としない小型機「エアジープ」のような機体の実験を続けた。しかし、空飛ぶクルマの夢は、70年代の後半には途絶えてしまう。

「ほら見ろ、人間は空にいるようにはできてないんだ」

ストーズ・ホールにとって、これは必然だった。技術が停滞していると想定される理由は複雑に絡み合っていて、そのいくつかをストーズ・ホールが説明している。要するにわれわれは、社会としてプロメテウスのような野心を失ったということだ。空飛ぶクルマは、米国を席巻した「科学技術に対する敵対と疑惑の波」の犠牲になったのである。

73年、FAAは騒音問題を理由にコンコルドが米国内の上空を飛ぶのを禁止した。その禁止措置こそが、低騒音の超音速旅客機の開発を止めてしまったのだとストーズ・ホールは主張し、同じような思考が原子力発電からの撤退にも見られたと続けている。原子力は、70年の後半に入るころまで、化石燃料の有力な代替と目されていた。だが、スリーマイル島のメルトダウン事故が発生した79年、実際には死者がひとりも記録されなかったという事実があるにもかかわらず、米国内では新たな原子力発電所の建設がほぼ不可能になった。いまとなっては、これは間違っていたように思われるのだ。

技術の停滞を訴える人々からすると、空飛ぶクルマも、進歩に伴うコスト負担を忌避する傾向の犠牲だった。議論が白熱してきたとき、よく引き合いに出される話がある。米国社会は、年間およそ40,000人もの交通事故死を容認している一方で、航空事故の死者はひとりでも許容しないということだ。「どうしてFAAは、『飛行機械を開発したいなら、砂漠にでも行って好きにやってくれ』と言わないんでしょう。アマゾンがドローン配送をテストしようとしたとき、実験はカナダまで行かないとできなかったのを覚えてますよ」。ストーズ・ホールは、FAAについてわたしにこう語った。

60年代には、ニューヨーク市にあるパンナムビルの上にヘリポートが建設されていた。しばらくの休止期間をはさんで、77年には再開され、国内の空港まで毎日64便が運行されていた。だが、同年5月、着陸用車輪のひとつで故障が発生。回転するローターブレードで4人が死亡し、地上まで飛んだブレードによってさらに1人の死者を出した。これ以降、ヘリポートは永久に閉鎖されたのだ。

このエピソードは、わたしたちが自宅のすぐ前から飛び立てない理由の説明にもなっているが、正しくもあり、不完全でもある。航空産業のかたちが変わり始めたという面もある。80年代ころには、自家用の小型飛行機を操縦するのは高価になりすぎて、便利なものから趣味的なものに変わっていた。同時に、商業航空が大幅に安価になるとともに、死亡事故が発生する確率も大きく下がった。50年前、飛行機はいつも墜落事故を起こしていた。最近では、米国内でジェット旅客機墜落の大事故は09年以来起こっていない。航空会社にとって、これは奇跡でも何でもない。パニックを起こして技術から撤退するのではなく、パニックを起こして改善したのだ。

米国カリフォルニア州パロアルトにあるPivotal本社のロビーに展示された、単座の軽型eVTOL機Helix。Photograph: Balazs Gardi

ところが、安定性があり、使いやすく、コストパフォーマンスも高い個人用の飛行機械となると、その製造に必要な進化がこの数十年間なかった。しかも安全性の意識は高まっている。空を飛ぶことには、「こうした独特の感情的な反応が見られるものです」と話すのは、自身もパイロットであり、最新航空技術企業に手を差し伸べる有力な投資家でもあるサイラス・シガリだ。「わたしたちの身体の細胞一つひとつが、空を飛ぶのは自然ではないと訴えてくる。だから、墜落事故に対してわたしたちが社会的に示すのは、『ほら見ろ、人間は空にいるようにはできてないんだ、なのに空に行くから、落ちたんだ』とでもいう反応なのです」

ラリー・ペイジのスプレッドシート

そして15年ほど前、関連技術が次々と追いついてきたことに、多くの人が同時に気づき始めた。2010年、グーグル共同創業者のひとりであるラリー・ペイジは、ドイツ人エンジニアのセバスチアン・スランをディナーに誘った。スランは、グーグルの研究開発部門であるGoogle Xを経営しており、自律走行車に関して世界でも有数の開発者のひとりだ。ペイジはスプレッドシートで計算を示したが、それをスランは「イーロン・マスクがテスラの正しさを論じたときに使ったのと似ている」と評している。

バッテリーの性能がどんどん向上して、電気推進システムも大幅に強力になり、新しいセンサーによって自律機能もよくなっていた。ペイジの計算では、空まで移動してそこにとどまる現実的な新しい手段が存在することが示されていた。「自律走行車すら霞んでしまうかもしれないと考えました。条件がすべて等しいなら、走るより飛ぶほうがいいですからね」とスランは言う。彼らは、グーグルのプロジェクトとしては実験的すぎると結論を下した。自律走行車と飛行機械では、まったく別物だろう──そう言うと、「ラリーは『わかった、自分でやるよ』と言いました」

その後の数年間、ペイジは非公式に複数の企業に資金を提供する。そのなかに、Zee.Aeroという会社ともうひとつ、スランが経営するKittyhawkもあり、そうした複数の企業が分散型の研究開発室のように共同で機能していた。ペイジが最初に構想したのは、駐車場で離着陸する無人の空飛ぶクルマだった。会社としてビジネスジェットも揃えていたが、きっと空港までの移動が面倒だったのだろう。はじめの5年間に、そのうち1社に対してだけでも500万ドル(約6億円)以上を私財から投じている。

ペイジは、最初のころ格納庫のひとつ階上にアパートを借りていたため、名前ではなく「ガス」と呼ばれていた。「二階の人(ガイ・アップステアーズ)」の意味だ。あるチームがバッテリーの調達に難航していると、ペイジはバイクを10台購入し、分解してバッテリーを確保した。風洞の利用許可を取れなかったエンジニアは、屋根なしの貨物列車に積んで、南カリフォルニアまで運んだ。かなり常軌を逸した現場だったのだ。

あるときなど、エンジニアのチームは自ら「レッドブル・フルーグタグ(レッドブル・フライトデイ)」にエントリーしている。参加者が、桟橋から飛び出して、できるだけ長く滑空し、その距離を競うというコンテストだ(チームは、開発中の翼を使って最長記録を出し、これはいまだに破られていない)。このチームは、2014年までに概念実証の機体で200回以上テスト飛行に成功している。次第に情報が漏れ始め、格納庫のまわりにはペイジの現実離れした機械をひと目見ようという航空機ファンが侵入するようになった。

ほどなくして、こうした成功例が業界全体にとって呼び水となった。エアバスは、4年をかけてeVTOLの試作機を開発する。ドイツのある企業も、1台の飛行機のために巨額の資金を集めたが、これは不発に終わったとのちに噂されている。飛行機械がにわかに活気づいた原因として、ストーズ・ホールは日常生活のなかでドローン技術が普及したことと、テクノロジーに関して楽観ムードが広がったことを挙げている。「時代精神が全体的にだいぶ変わって、『なぜいまはもう月に人が降り立っていないのか?』と口にするようになったのです」

ペイジは投資の対象を拡げた。レンの初飛行の3年後、Pivotalはペイジから資金提供を受け、シリコンバレーに移った。22年には、ドローン部門の責任者だったケン・カークリンが最高経営責任者(CEO)に就任している。カークリンによると、CEOに就任する際、元『WIRED』編集長であり、のちにKittyhawkの最高技術責任者(CTO)になったクリス・アンダーソンから電話があってこう言われたという。「ラリー・ペイジの空軍へようこそ」

Pivotalの最初の顧客

Pivotalのシミュレータールームは、カーペットが敷きつめられ、壁一枚だけが紺色のアクセントを添えている。休憩用のソファと、ひとり用のテーブルもある。シミュレーターのイスは1軸のみで回転し、機体の上昇下降に合わせて機首を上下させる動きに対応する。eVTOLのなかには、上昇用と推進用に1組ずつ2組のプロペラを使うタイプもある。それ以外の機体では、傾斜のメカニズムが採用されている。ヘリコプターのローターが前方に傾いてプロペラの役割を果たすところを想像すればいい。ブラックフライは一風変わっている。機体の前方を持ち上げて全体的に90度近く立ち上がり、ロケットのように飛び立つのだ。およそ45フィート(約13m)まで上昇したところで機体を水平に戻すと、翼が浮力を得る。そこまでいってようやく、ブラックフライは、滞空したがっているように見え始める。

わたしの最初のフライトインストラクターはチャーリー・ブッシュビーといい、眼鏡をかけた物腰の柔らかい英国人パイロットだった。話し方は上品で、ローファーにいたるまで身だしなみが行き届いている。ブラックフライを実際に操縦した経験はない──身長制限をわずかに超えているためだ。それでも、「一緒に過ごす2週間のなかで、お客さんをとても特別な旅にお連れします。みなさんがずっと抱いていた夢、飛ぶという体験です」と語っている。カリキュラムは基礎の基礎から、例えば点検リストなどから始まるのが普通だが、トレーニングは「個人個人に応じた念入りな顧客体験」となるよう工夫されるといい、ブッシュビーはわたしを、できるだけ早くシミュレーションの空に飛び立たせたがった。

Pivotalのインストラクターのひとり、チャーリー・ブッシュビーが、フライトシミュレーターを使っているところ。

Photograph: Balazs Gardi

わたしはパイロットの椅子に乗り込んでVRヘッドセットを装着し、緊張しながらジョイスティックを握った(ブッシュビーの注意によると、航空機は微細な動きに敏感に反応するので、慌てて大きく動かさないほうがいいそうだ)。まず、セントラルパークから始まるようにシミュレーターを設定したうえで、イグニッションの手順を指導してくれた。浮上に合わせて椅子ががくんと後ろに動き、やがて水平に戻る。そこで、ほどよい追い風を加え、バッテリーを最大限まで増やしてくれたので、繁華街を南へと飛び、かつてのパンナムビル屋上の閉鎖されたヘリポートを越えて、イーストリバー上空を飛んで、ブルックリンにあるわたしのアパートの方向へと飛んだ。驚嘆する気持ちを抑えることは、とうていできない。何しろ、見慣れた通りや、下から見上げるしかなかった建物を、これほど近くに見下ろせるのだから。

といっても、いますぐにでもマンハッタンから飛べるわけではない。理由のひとつとして、地上インフラが整備されていない。例えば、屋根の上に着陸するのはひと苦労だろう、とスランは考えている。「丈夫な屋根と丈夫なフェンスが必要でしょう。子どもが落っこちないように。かなり費用がかかりそうです」。行政も相手にしてくれないだろう。都市環境では、実験段階ではない通常の航空機を操縦するだけで、何重ものお役所仕事が絡んでくる。空域を監督しているのはFAAだし、地上は地方公共団体の管轄だ。自治体の規則が厳格な場合もある。最近まで、サンフランシスコでは、ヘリコプターが市内に着陸することが、ほぼ全面的に禁止されていた。

ラリー・ペイジからの系譜を継ぐ1社であるWiskのリードデザイナーのウーリ・ツァルノツキーは、こう話してくれた。「実は、誰もがeVTOLを所有するのを、人は本音では歓迎していないのです。YouTube動画のコメント欄を見れば、自分の近くでは願い下げだというエゴと、『どうやって操縦するのか、誰か見たことある?』というやっかみだらけです」

ブラックフライは、管制空域つまり空港の近辺や一定以上の高度、あるいは混雑エリアの上空では飛行できず、商業活動に利用することもできない。強風や少しの雨でも飛行できない。現在のバッテリーで飛行できる最長時間はおよそ25分だが、バッテリーの持続時間はそれほど問題ではない。電力が必要なのは、下降を制御するときだ。Pivotの最新モデルは20万ドル(約3,200万円)前後で、顧客は「概していうと、50歳以上の白人男性」だと、同社CEOのカークリンはまとめている。ブッシュビーの推測によると、Pivotの顧客ベースは「わりと裕福で非管制空域が多い地域」だという。マイアミは該当しないが、ルイヴィルあたりが当てはまりそうだ。

「ビジネスケースとして、娯楽は過小評価できません。ポラリス(Polaris)は数十億ドルの年商をあげている企業ですが、主力製品はスノーモービルです」とカークリンは話している。なかには、具体的な使い方を想定している顧客もいる。例えば、ブドウ農場の調査に使うケースがある。中部カリフォルニアのある顧客は、農場から加工所まで16kmほどの往復に使いたいと考えていて、Pivotalのチームは近隣住民の安全を脅かさないための予備調査飛行の計画を立てた。そのほか、もっと意欲的な顧客もいた。「父娘の熱心なファンがいまして、一度に20分ずつの飛行で国内を横断したいと希望されました」(これは説得して断念させた)。

Pivotalの最初の顧客は、ワシントン州のノースカスケードに住むティム・ラムという人物だ。友だちのひとりが尾根をひとつ越えたところに住んでいて、歩くと40分かかるが、飛べば2分なのだ。「最初の何回かは、空を飛ぶと町の人や農場主が保安官を呼んでました」とラムは振り返る。あるときなど、近所の人に近づこうとしたが、監視ドローンと勘違いされて撃ち落とされるところだったという。「『お前なのか?』と訊かれたので、『そう、おれだよ』と答えたんです」

カークリンも、当面はブラックフライが金持ちのための娯楽機であることを潔く認めている。だが、キティーホーク村でライト兄弟の飛行機を見たうちの誰が、それから60年後にはボーイング707が飛ぶと予測しただろうか。空飛ぶクルマも、航空産業のなかで同じように大きな変化を遂げ始めたばかりといえるのではないか。カークリンは続ける。「輸送手段のどんな革命もそうで、おそらくはチャリオット(古代の戦闘馬車)にまでさかのぼるでしょう。最初に使い始めたのは誰か? 財力のある人でしょう。最初のクルマを買ったのは? 人々は金持ちのおもちゃと呼びました。映画『ウォール街』で、浜辺にいるマイケル・ダグラスが、レンガのようなバカでかい携帯電話を使っていましたが、いまのわたしたちはあの段階なのです」

一方、レンのほうは、個人航空機に人々が慣れてくれば、規制に関する懸念も緩和されるだろうと考えている。コマーシャルに慣れたときと同じということだ。小型航空機が当たり前の存在になった並行世界を想像してみよう、とレンは提案している。「さて、500人乗りの飛行機をつくりたいとしましょう。重量は45万kgほどになり、離陸時には可燃性の高い燃料をさらに20万kg近く積む。それが、大都市の上を飛ぶんですよ」

いまのところ、Pivotalは緩やかな管理体制を維持している。カークリンによると、身体に張りつくようなフライトスーツを着たYouTubeのインフルエンサーから購入希望があったが、「丁重にお断り」したうえで、きっと今後のモデルのほうがお気に召しますと提案したということだ。Pivotalは全顧客の利用状況を匿名で監視し、機体を損傷したり、バッテリー容量の限界に挑んだりする顧客にはすぐに規制をかける体制を整えている。

シミュレーターに座ったわたしは子どものように感動していたが、それもVR酔いが始まるまでだった。最初は徐々に、やがて一気に悪くなったものの、カーペットに横になっている時間はない。ブラックフライの操縦装置は直感的で、割と簡単なテレビゲームのようだ。ただし、危険性はずっと高く、認知機能にかかる負荷も比べものにならない。モーター温度やバッテリー残量は常にモニターされている。機体が、「非制御下で地表に向かう下降」という婉曲表現どおりの状態にならないように、である。

その限界値が近づくと機体が振動し始め、警報音が鳴り響いて、色別のアラートが点滅する。黄色は間もなく着地、赤は直後に着地、そして紫色は赤いノブを引いて緊急用パラシュートを開けという段階だ。これまでに、誰も赤いノブを押したことはない。実際には、高度が約50m以上ないと役に立たないとPivotは予想している。わたしが飛んだときは35mを超えていなかったはずだ。それでも、念のために赤いノブの引き方は指導してくれた。

Photograph: Balazs Gardi

ブラックフライは、着陸するときも離陸のときと同様に、ほぼ90度まで機体を後ろに傾けて空気抵抗を受ける。着地するときのハトのようだ。この態勢だと、パイロットには地面が見にくい。プロスペクト公園の草地ロングメドーにゆっくり着陸しようとしたときには、大きい木に突っ込んでしまった。ブッシュビーは顔色ひとつ変えず、あくまでも楽観的だった。「そのうち、ニューヨークの上空でも飛べるようになりますよ」

翌日から3日間、わたしは早めに着いて練習を繰り返した。各種の計器、GPSや高度計が動作しなくなったときの復元方法とか、ジョイスティックが故障したときの対処方法も練習した(右のジョイスティックがだめになったときには左のジョイスティックでカバーし、左のジョイスティックがだめになったときには右のジョイスティックでカバーする)。シミュレーター訓練最終日の最後に、チーフ・フライトインストラクターによる試験があった。ロブ・ドリアーという退役軍人で、アフガニスタンとイラクでドローンを飛ばしたことがある。

3時間後、ドリアーはわたしが実地飛行に出る許可をくれた。厳粛な面持ちで、まるでわたしを戦場に送り出すかのようだった。わたしの子どもたちの写真も見ていたのだ。「本物のパイロットになったことを示す真の道標は、ひとりで空を飛べるかどうかだ。それを明日には経験することになる。真の飛行士になる瞬間だ」。そう言い終わると、シミュレーターのエリアをヨセミテ国立公園に設定してくれた。ハーフドームとエルキャピタンの間をゆっくり旋回するころには、心配も消えていた。

「ゆっくり行動し、何も破壊しない」

米国の次世代空モビリティはシリコンバレーに集中している。だが、この業界には、言葉には出さないものの、「ゆっくり行動し、何も破壊しない」という、シリコンバレーとは対極的なモットーがあるようだ。未来の空路交通に対するアプローチは、程度の差こそあれおおむね慎重で、ベータ・テクノロジーズ(Beta Technologies)という会社はまず貨物輸送と軍用に力を入れると決定した。新たなインフラの建設も乗客の誘致も必要とせずに、eVTOLの運用を練り上げられるセクターだからだ。

雲の垂れ込めた寒い1月のある日、わたしはベータ・テクノロジーズのCEO、カイル・クラークに面会した。場所は、同社の研究開発施設で、バーモント州サウスバーリントンにある、リフォームされたハンガーの一角だった。クラークはせわしなく動き、自分を「ひょろ長野郎」と称するくらい細身で背が高く、薬指に帯状のタトゥーを入れていた。FAAは航空機の乗客について、女性の5パーセンタイル(つまり小柄なほう)から男性の95パーセンタイルまで(つまり極端に大きい男を除く)を収容できることと定めている。しかしベータ・テクノロジーズは、クラークひとりのために、高いほうの基準を99パーセンタイルまで拡げなければならなかった。

そのクラークが説明する。「いまは、二次元の世界で運行しています。32,000フィート(約10,000m)の高度を300マイル(約5,000km)飛ぶ商業飛行でも、それはあらゆる意味で水平移動です。わたしたちはその先に進み、お客さんを届ける場所にまったく違う次元を加えようとしています。いろいろ考えたら、おもしろくないはずがありません」

子どものころからクラークは、飛ぶことばかりを考えていた。誕生日もクリスマスも、ねだるのは必ず飛行機だった。両親はかなり甘かったが、それでも青年期に入ったクラークがガレージで超軽量機をつくり始めたときには、母親はついにそれを燃やしてしまった。DIYの一線を超えていると思ったのだ。ハーバード大学の3年生になった01年、クラークは休学して、プロのホッケー選手としてワシントン・キャピタルズに入る。そのときの契約金は、飛行訓練につぎ込んだ。数年後には大学に戻り、工学部の論文で賞金を獲得。パイロットが体重移動と圧力のかけ方で機体を操縦する航空機という概念をまとめた論文だった。最終的には、空港からは地上を走行できる、空飛ぶバイクを構想した。自身が最初に経営したのは発電会社だったが、それを売ってセスナ1機と、一部だけ組み上がっていた航空機キットを購入し、それを自力で完成させている。

17年、バイオテクノロジー企業の創業者であるマーティーン・ロスブラットが、クラークに話をもちかけてきた。医療施設間で臓器を運べる、環境にやさしく費用対効果も高い方法を必要としているという話だ。クラークはすぐさまバーリントン空港に駆けつけ、賃貸オフィスを契約する。ほどなくして空港は、使われなくなって除雪装置の置き場になっていた格納庫を貸してくれた。クラークのチームは当時8人で、独自の部品を開発・製造する必要があった。ここでクラークの強みが発揮され、チームはeVTOLの試作機を10カ月で仕上げてみせる。資金調達の最初のラウンドで、会社はおよそ3億7,000万ドル(約400億円)の資金を集めた。

「当社が破綻するとしたら理由は2つあると、わたしは毎日のように言っていました。資金が底をつくことと、飛行機事故で死者を出すことだ、と」とクラークは振り返る。「そして、そういう事態が決して起こらないよう、あらゆる努力を重ねました」。ベータ・テクノロジーズは、いまや従業員数が600人を超え、そのほとんどは近所からふらっと立ち寄ったような出で立ちだ。あるパイロットは、観測用飛行機に随伴して飛ぶ支援機にわたしを乗せてくれた人だが、前職では地元でピザ配達員をしながらフライトインストラクターのアルバイトをこなしていた。

クラークは当初から、エンジニアにも操縦を知ってほしいという考えで、「自分自身でも操縦するとなれば、着陸用車輪の設計も違ったものになる」と言っていた。そこで、退役した戦闘機パイロットを、社内インストラクターとして雇用する。これは、的確で士気にかかわる判断だった。「夢中になって操縦が好きになれば、その情熱が、どんな特典やボーナスよりずっと強い動機になります」とクラークは言う。最初の面接のとき、クラーク自身からヘリコプターの操縦を教わった、と語る従業員もいた。

サウスバーリントンから、ニューヨーク州プラッツバーグにある同社の施設まで移動するには、クルマとフェリーで1時間半ほどかかる。空路なら12分だ。1月のその日、クラークは大まじめに「すばらしい日」と言ったが、実際にはどんより曇った空の凍てつくような日だった。わたしたちは、同社が所有する67年モデルのセスナに乗り込んで空に舞い上がった。そのとき、わたしはスマートフォンを取り出して、シャンプレーン湖の湖面で割れた氷がつくるパターンを撮影した。「ほら。これがクルマだったら、写真なんか撮ってないでしょう」。対岸に見えていた滑走路が目の前に延び、クラークはゆっくりと高度を落としていった。接地したときクラークは、苦もなくやってみせた技術のことを、さりげなく口にした。「ちなみに、いまの着陸はノーフラップでした」

クラークのチームは、冷戦時代の施設をきれいにした格納庫で、大わらわだった。「Alia」と呼ばれるベータ・テクノロジーズのeVTOLは、キョクアジサシの骨格に着想を得ていて、コックピットはガラス張りだ。わたしの目には完璧に見えたが、クラークに言わせると、「風防ガラスの虫をきれいにしておけました」という。UPSは、すでに150機を発注しており、「ミドルマイル」つまり配送センターと倉庫の間の輸送に使うと計画していた。別の見込み客がすぐに目を付けたのは、従来型離陸モデルだった。そのほうが、用途にかかわらず認可が容易なためで、チームはほとんど同型で上昇用プロペラをもたない新モデルをつくった。

クラークが打ち出した売り文句は、持続可能性だけではない。電気モーターのほうが温度が上がらず、性能低下も少ない。電動航空機のほうが飛ばすのは桁違いに安価で、バッテリーの大容量化に伴って性能はどんどん上がっていく。ヘリコプターのようにほぼどこにでも着陸できるが、コストはその何分の1かで、騒音も少なくて済む。サハラ以南のアフリカでは、道路網が未発達なため、血液や医療品の輸送の一部にドローンがすでに実用化されているが、医師は乗せられない、何十kgもある医療機器を運ぶことはできないというのが現状だ。

Photograph: Balazs Gardi

クラークによると、先日は米空軍とも契約を交わし、その額は数億ドルにのぼるという。電動航空機なら、前線行動のとき、燃料供給路への依存を減らせる可能性があるからだ。ペンタゴンは最近、燃料だけでも年間に100億ドル(約1兆6,000億円)以上を費やしている。イラクとアフガニスタンにおける米軍の死傷者の半数以上は、実際の戦闘中ではなく燃料や水の輸送中に発生していたという研究もある。

州兵軍のある士官からは、太平洋地域における分散型給油という構想を説明された。孤島に設置されたソーラーパネルを使って、電動航空機に「給電」するのだ。垂直離着陸は、滑走路のない広範囲な一帯に物資を運ぶときに活躍するだろう。軍は最近、死傷者後方搬送のシミュレーションでベータ・テクノロジーズの機体をテストし、1,600ドル(約26万円)相当の燃料を、5ドル(約800円)相当の電気で置き換えられることが判明している。

セスナに戻ると、クラークがわたしに向かって、「次は操縦をどうぞ」と言ってくれた。ペダルに足を乗せると、ラダーの動きを練習しながら滑走路に向かう。そこで、スロットルを少し上げるよう指示される。離陸速度に達すると、機首を上げろと指導され、翼が空中に食い込む感触があった。右にバンクするよう指示されたが、はしゃぎすぎたせいで、危険な範囲まで迎え角を取りすぎてしまったかもしれない。「うん、失速する前に機首を下げましょうか」。そう言ってからクラークは、このまま帰路をずっと、着陸まで操縦し続けますかと訊いてきた。もちろん、喜んで操縦を返す。それでもまだ、彼は誰もが個人飛行を経験するべきだと思っているようだが、挑戦が大きすぎると理解してくれた。

初めて会社の資金を調達したときには、「当たり前のように、交通渋滞の上を飛び越えていくべきだという社会的なプレッシャーがあった」とクラークは言う。「そうすることを考えましたが、達成する手段についてわたしたちは現実的に考えています」。かつて自身がホッケーをプレイしていた小さな湾まで戻ってくると、クラークは眼下の様子を確かめた。「これが2月の終わりだったら、あの氷の上に着陸しようと提案したところです」。そう言いながら彼は微笑んだ。「まあ、安全だと思います。でも、いまはやめておきましょう」

空輸通勤の世界

駐車場に着陸できる個人用の航空機というラリー・ペイジの最初のビジョンを、世界はまったく受け入れなかった。だが、現在はボーイングの子会社となっているWiskという会社によって、ペイジの試みがようやくかたちになった。

Wiskは、JobyやArcherといったライバル企業と並んで、空飛ぶタクシーというモデルに舵を切った。Wiskのデザインでは、上昇時には垂直方向に、飛行時には水平方向に推力を発生させるローターが採用されている(ベル・ボーイングのV-22「オスプレイ」で使われているのと同じアーキテクチャである。オスプレイは、度重なる重大な墜落事故を受けて運用が停止されていたが、最近になって飛行が再開された)。Wiskの現行機である「Cora」は、平均時速およそ140マイル(約230km)で飛び、航続距離は100マイル(約160km)前後に達する。

同社のデザイン室はベイエリア、Pivotalの後ろに位置する袋小路にある。昨年わたしが訪問したときには、従業員が最新モデルの試作機を見せてくれた。4人乗りで、胴体が鮮やかな黄色で塗られているので、小型のスクールバスのような雰囲気がある。Wiskのデザイナーであるツァルノツキーは、大柄で思慮深そうな男性で、ぬいぐるみのクマのような風情がある。そのツァルノツキーはこう言う。「競合他社は暗色系でエクスクルーシブなブランディングを展開していて、日常にジェット機がある生活スタイルを提示しています。翼の付いたミニバンのようだと批判する人もいますが、それはいいことですよ。例えばおばあさんを乗せるなら、スリルのある機体より、ミニバンのほうがいいでしょう」

空飛ぶタクシーの仕組みはこうだ。まずアプリで手配する。最寄りの垂直離着陸用ヘリポート(当面は既存のヘリポートを利用し、その一方で自治体や建設業者が新しいインフラを整備する)まで歩いていく。前トランクに荷持を入れ、乗車したら、シートベルトをしっかりしめる。すると、タクシーは宙に浮いて上昇し、水平飛行に移って、所定の空中回廊に沿って空飛ぶクルマの列に入っていく。当初から、空港への移動や地域観光、例えば沖合いの島を訪れるときなどに使われることは間違いないだろう。

これを、ヘリコプターの民主化のように感じたのであれば、その通りだ。「空飛ぶクルマの多くがロサンゼルスに集中しているのには、理由があります」と、アリゾナ州立大学教授で運輸機関を研究しているデヴィッド・キングはわたしに言った。「コービー・ブライアントがヘリコプターで飛び回っているのは、お金持ちだからです。しかし、ロサンゼルスに住む富裕層のうちかなりの割合がとっくにヘリコプターを乗り回している理由がもうひとつあります。10年ほど前まで、超高層ビルはすべてヘリポートのために屋上が平らでなければならなかったからです」

Wiskが他社と違うのは、パイロットを乗せないことだ。同社チームの半数以上は、自身の機体をもっていて、天気のいい日曜日には趣味のパイロットたちが好んで言う「100ドルバーガー」のために集まる。ただし、Wiskのビジネスモデル計算によると、パイロットを使うのは予算に見合わないと示唆されている。その分の重量が増えるし、トレーニングも必要で、通例は給与を求めてくるからだ。また、その数も不足していて、パイロットの給与を下げるのはパイロット不在より始末が悪い。

飛行機はいまでもすでにその90%を自律稼働している。熟練であるにもかかわらず活用されていないパイロットが、コックピットでコーヒーを飲むためだけに給料をもらう──乗客の大半が、頭ではそうだとわかっていても、完全自律飛行というアイデアには、文化的な適応が必要だ。Wiskの試作機の実物大モックアップに座ったとき、柔らかい音声で飛行経路を示す動画が流れた。地上の監督官がフライトを監視していて、必要があれば介入するという。ディスプレイには、「リモートの応対係」と対話できるという慰めの言葉が表示された。

長期的にいうと、Wiskは空輸通勤の世界を想定している。デロイトのレポートによると、空飛ぶタクシーサービスは従来の地上交通と比べて3~5倍も速いという。いずれは、経年劣化した道路や橋にもっぱら利用されているリソースが開放され、頭上に整然と続く空飛ぶクルマが優先されるようになるのかもしれない。都市部については『ブレードランナー』のような魅力的なビジョンがある。

にもかかわらす、都市部の空飛ぶタクシーよりも、「郊外や田園部での利用のほうが、はるかに適切で対処もしやすい」と投資家のサイラス・シガリはわたしに語った。理論上、スクラントンやビンガムトンに住んでいても30分でニューヨーク市に移動できる。アリゾナ州立大学教授のデヴィッド・キングは、次のように指摘している。「空飛ぶタクシーのルートが、職場から150~160kmほど離れたところで適度な生活を送れるようなコストであれば、一部の地域経済を活性化する可能性がある」

また、航空工学のポスドク研究員マシュー・クラークは、マイノリティ出身のひとりとして、輝かしい技術政治的解決策には懐疑的になりがちだが、ここにある種の真実を見ている。「ストックトンから通勤している管理人さんたちと話をしました。みなさん、何時間もの通勤にかかるガソリン代が毎日かなりの額になります。ストックトン空港からパロアルト空港まで短距離を飛行できれば、午前4時に起きる代わりに、7時まで寝ていられます」(また、ベイエリアに住宅を増やすこともできる)

Wiskは、オーストラリア・サウスイーストクイーンズランドの市長評議会と暫定契約を結んでいる。評議会が希望しているのは、2032年のブリスベン夏季オリンピックまでに、観光客と地元民にWiskのサービスを提供することだ。偶然にも、わたしがWiskを訪問したのは、オーストラリア使節団の到着と同じタイミングだった。地方空港で行なわれるテスト飛行の視察が目的だ。猪首で血色のよいブリスベン市長のエイドリアン・シュリナーは、整髪料でセットした髪をなでながら、最初の乗客飛行には自ら参加したいとわたしに言ってきた(広報担当者が聞こえよがしに耳打ちしてきた。「副市長も賛同してますよ」)。

わたしたちは、小雨の中で滑走路の端に立ち、シューっと音を立てながら離陸するCoraに注目した。30mほど上昇したところで、水平飛行に移る。その瞬間、抑え気味の歓声があがったが、いったん飛び始めると小型の飛行機と同じように見えた。もちろん、乗っている乗客だけは違う感じ方をするだろう。デモが終わるころには、市長たちのほとんどが手元のスマートフォンをのぞき込み、撮影した動画がうまく撮れているかどうか確認していた。WiskのCTO、ジム・タイは、同じような反応が空中の顧客の間でも見られることを期待していると話し、こう付け加えた。「フライト中に、乗客がスマートフォンを取り出して、延々と画面を見始めたら成功だと思います」

Wiskのオフィスでシュリナー市長は、空飛ぶタクシーがいつか、先住民のコミュニティと都市部の病院を結び、観光客をベイ諸島に運んでくれるだろうと語った。「ブリスベンからゴールドコーストは、80kmしか離れていません。クルマだと1時間ですが、混み合う週末だと2時間かかります」。公共交通だったらどうなるのか、好奇心から訊いてみたところ、市長は少し考えてから、わからないと認めた。だが、Wiskなら15分くらいだ。市長は、Coraの模型を手にしながらこう話している。「裏庭のバーベキューで、耳にしました。『ありえない話だ。空飛ぶクルマの話は何十年も前から聞いている』と。でも、今朝ついにそれを目撃しました。絵空事ではありません。これで『実現するさ!』と言えます」

空飛ぶクルマが約束する“2種類の自由”

業界の人間は、空を飛ぶことが有益であり、すばらしいものだと考えがちだ。順番はその逆の場合もある。空飛ぶクルマという概念が生きながらえてきた理由のひとつは、2種類の自由を約束するように思えるからだ。ひとつは、A地点からB地点へ苦もなく移動できる自由であり、もうひとつは三次元を探索する喜びを知る自由だ。

この業界のほとんどの人は、個人的に飛ぶことに魅せられて各社に入っている。それでも、飛行機と自動車には根本的に異なる要件があり、走行も飛行もできるクルマというビジョンはとうてい道理にかなわないことは充分に承知している。発明家であり大学教授でもあるポール・モラーは、手が届くはずだと信じて、スカイカー(Skycar)の研究に40年間を費やしてきた。この業界が本格的に始動した09年に、モラーは破産している。

ASKAという会社は、カリフォルニア州ロスアルトスの市街地にある店舗のウィンドウに、空飛ぶクルマのモックアップをしばらく展示していた。同社ファウンダーズクラブの会員は、5,000ドル(約80万円)を預けて80万ドル(約1億3,000万円)の機体を事前予約でき、機体をカスタマイズする権利を獲得できた。現在、その店舗の店頭は空っぽだ(ASKAによると、大きいショールームを探しているところらしい)。

冷静になった関係者は、斬新さと手軽さがトレードオフの関係にあるといまは気づいている。Wiskを何度目かに訪ねたとき、従業員が指示されていたセールスポイントをたまたま垣間見る機会があった。従業員は、コメントしていいことを「いまの事実に基づいて」確認した内容に限定され、「実証データによって裏打ちできない過剰な発言は避ける」よう指示されていた。ベータ・テクノロジーズは、空飛ぶクルマの類をつくっていると説明されることさえ避けたがっていたほどだ。

ニューアーク・リバティー国際空港までの空飛ぶクルマの運行を来年開始するという契約を、ユナイテッド航空との間にすでに交わした会社もある。ドイツのスタートアップ企業は、今夏のパリオリンピックで乗客の空輸を予定していたが、欧州の規制によって実現には至らなかった。ドバイもサービスの開始を計画していて、中国の規制当局は商用eVTOLの大量生産を認可したところだ。だがこうした計画が、輸送の未来はもちろんのこと、広い範囲で実現するには、空域の編成および管理の解体を規制当局に納得させなければならない。衝突を避けるには、万全に対策した、デジタルの検出回避システムが必要になる。

eVTOLはヘリコプターほどうるさくはないものの、それでも騒音は出す。この問題も最終的には緩和できるとエンジニアは考えているが、それがかなわず、バックグラウンドで常にモスキート音が鳴っていたら、やはり歓迎はされない。そして何より、必要な台数という問題がある。パンデミック以前、ハドソン川を渡ってマンハッタンに行く人は、1日あたり40万人だった。空路の通勤となると、数十万台もの空飛ぶタクシーを定期運行しなければならない。確実な時刻表で、しかも完全な安全性を確保して、だ。「だから、ある日突然『なんで列車を走らせないんだ?』という時代が来る」。デヴィッド・キングはこう発言している。

都市計画の責任者は、公共交通が技術の問題ではなく政治の問題だと考えることが多い。都市交通、つまり列車、地下鉄、自転車、歩道などを整備する手段は古くから存在する。問題は、わたしたちがかつて空飛ぶクルマを約束され、手にしたのが140文字だった、そのことではない。問題は、ノスタルジーにも近い、機械ありきの未来主義への執着であり、国民的な想像力の根本的な失敗の原因になったものだ。

20世紀のミッドセンチュリーに抱いた未来への夢が、何もかも計画どおり理想的に進んだとして、それで手にするのが例えばJFK空港までの移動が30分短縮されるということだとしたら、その事実はいささか残念だと言わざるを得ない。といっても、当初のビジョンからそう遠いわけではない。豊かさの時代に、裕福な郊外居住者に対して謳われる約束は、消費者の快適さを拡大することだった。ジョージ・ジェットソンは、驚くほど暇なわけではない。ブリーフケースに収納できるエアカーを所有しているが、それを使って職場へと急いでいるのだ。

業界関係者のほとんどは、自家用の空飛ぶクルマが、20年後か50年後かはともかく、最終的には到来すると考えている。そうなったとして、変化は段階的に起こるはずで、その過程が慣れていない目には停滞のように映るのかもしれない。ピーター・ティールとJ・ストーズ・ホールは、ジェット機が60年代とほとんど変わっていないことを、自分に対する侮辱のように受け取っているらしい。しかし、元ボーイング役員で現在はWiskのCEOを務めるブライアン・ユトコは、次のように語っている。

「まったくの見当違いです。4歳の子が描いた絵を2枚並べたら、飛行機はほとんど同じように見えるかもしれません。しかし、実際には大きな違いがあるものです。燃料効率は70%向上しましたし、航続距離も大幅に伸びました。航空機事故の発生は、限りなくゼロに近づいています。それが技術の進歩であり、そこには50年、60年と続く人間の創意工夫が必要でした。ほかの分野もそこから学ぶはずです。停滞などではなく、『どうやってやったのか?』、その過程なのです」

昨年の秋、わたしはニュージーランドに向かうWiskのチームに同行した。目的は「空域統合テスト」に参加することで、これは商用航空機をはじめとする航空交通に無人航空機を持ち込もうという先駆的な試みだった。ニュージーランドは、空域の空きが多く、墜落しても犠牲はほとんど羊だけで済む。国の規制当局も、実験には寛大だった。テストはクライストチャーチから南に30kmほど下った場所、カイトレト・スピットという狭く砂ばかりの地峡で行なわれた。そこにある飛行場は、マオリ協議会とのジョイントベンチャーで、協議会はそこを「Tāwhaki」と名付けた。空から知恵を集め、それを地中に戻す神にちなんだ名前である。

自動車登場後の初期に、「ホーシー・ホースレス(Horsey Horseless)」と名付けられたクルマがあった。車体のフロントにつくり物の馬の首を付けたデザインで、路上のほかの馬と似て見えなくもなかった。Wiskは、このテストで似たようなアプローチをとっている。ボーイングのドローンを利用していたが、自律飛行はせず、通常どおり航空交通管制と交信するパイロットが操縦するのだ。パイロットが、たまたまコックピットにいる代わりに地上にいるだけだ。これは、商業航空にとって大きな進歩だった。商業航空では、実質上すべての手順がパイロットの搭乗を前提にしているからだ。

ところが、実際の遂行は山のようなお役所的略語の裏に隠れてしまっている。CTAのIFR条件下で、RPAのためにBVLOSすることが求められる、といった調子だ。ジェットパック開発のスタートアップ企業からWiskに入ったある従業員も、「スケールアップしたUAMの操作で、既存のシステムは数分のうちに飽和します」と説明した。UAMとは「アーバンエアモビリティ」の略で、それがどんな機能を果たすかというと、PSUの基本原理になるのだと続ける。

「PSUとは?」とわたしは尋ねた。

「UAMサービスプロバイダーです」と、彼は笑いながら答える。「略語のなかにまた略語ですね」

パイロットたちは、ヴィンテージの模様入りフリースを着て、重い作業ブーツをはき、地上管制トレーラーの後部に収まっていた。自分たちの機体の飛行経路は、標準の機体より精度も信頼性も大幅に向上すると確信していた。かすかに雪をかぶった南アルプス山脈をはるかな遠景にして機体は浮上し、急スパイラルを描きながら2,500フィート(約760m)で上昇。その時点でパイロットが管制空域に侵入する許可を求める。無線で返信が届く。「識別完了。クリア」。民間人にとっては、何が起こっているのか理解するのは容易ではないが、操縦士には明らかだ。ボーイングの地域担当責任者が、いかにもめでたいといった表情を浮かべて近づいてきたて、こう断言した。「航空産業にとって、巨大なマイルストーンです」

飛ぶことの喜び

バイロン空港は、ベイエリアから64kmほど東にある、管制塔のない飛行場だ。わたしが到着した朝、風は穏やかで、風速2m/秒程度の東風だった。4kmほどをちぎれ雲が覆い、霞の中にディアブロ山が見える。風車の立ち並ぶ丘陵は一週間も続いた雨で息を吹き返し、緑が濃くなっている。

Pivotalの主任テストエンジニアを務めるワイアット・ワーナーがブラックフライをトレーラーで小さな着陸ポートまで運ぶと、泥の中に吸い込まれるような音がした。一機分のスカイダイバーたちが、灰色の雲を背景にして円形に拡がり、下降を終えるまで待つ。それが終わると、ワーナーがブラックフライで9分間のテスト飛行を行なった。その飛行は優雅だったが、それでもブラックフライは空中にいるのを嫌がっているように見えた。まるでトラクターが悪夢を見ているかのようだ。

フライトデータをモニターしていたのは、メカニカルエンジニアのアリソン・キング。MITを卒業してまだ間もないころ、Pivotalのウェブサイトを見つけたのだという。「最初は、ただのCGIだと思ったんです。それから、免責事項に『これはCGIではありません』と書かれているのを見て、『え、どういうこと?』と」

ワーナーが戻ってくると、わたしの最初のフライトインストラクターだったチャーリー・ブッシュビーが、「これ、何だかわかります?」と訊いてきた。ブラックフライのスマートなマークが付いたフライトスーツをくれたのだ。操縦士たちを見渡しながら、ワーナーが昔ながらのジョークを口にする。「パラシュートが開かないとき、よいことがひとつだけある。答えを探すのに、残りの人生すべてをかけられることだ」。とりとめのない会話は、やがて飛行機事故での生存率の話に移った。33,000フィート(約10,000メートル)の高度から落ちても生きていたセルビアのフライトアテンダントの話。89年、アイオワ州のスー・ゲートウェイ空港で発生した炎上事故の生存者たちの話。ベータ・テクノロジーズの従業員で、Pivotalで面接を受けた地元のテストパイロットの話も出た。彼は、数週間前にキットプレーンの墜落で亡くなっていたのだ。ブッシュビーが言った。「その話はやめておきましょうか」

チェックリストを挟んだクリップボードを太腿に固定して、わたしはブラックフライに乗り込み、プレキシガラス製のキャノピーをスライドさせる。プロペラを始動し、コントロール類をテストしてから、離陸シーケンスを開始する。初飛行は単純なホバリングで、上昇してから下降するだけだった。プロペラがリーフブロワーのような音を立てて回転し始めると、機体が後ろに傾き、わたしはよじれるようにシートに押し付けられた。心臓の鼓動が激しくなる。ワーナーからは呼吸を忘れないよう指示されていたが、身体はもう、このフライトは失敗だという緊急信号を発するばかりだ。四方を急いで見回す一瞬だけそのまま滞空したのち、下降スイッチを押す。一瞬にも永遠にも感じられた時間がたち、気づくとそこは地上だった。

機体を10分間休ませてから、2回目の試験飛行に臨む。今度は、着陸ポートの上で小さなボックスパターンを描いて飛行するプログラムだ。フライトプランでは、長時間ホバリングすることになっていたが、滞空中にモーター温度がにわかに120℃に達してしまった。黄色の警告灯が点滅する。着陸ポートの中央から外れていたものの、着陸するころ合いだと感じてその通りにしたが、少し泥の中に滑り込むかたちになった。わたしはブラックフライから飛び出し、ワーナーと一緒に正しい離陸スポットまで機体を引き戻した。

これで、いよいよ本番の飛行だと告げられる。離陸してホバリング状態に入ると、ジョイスティックを右に倒して眼下のみんなから離れ、丘陵の方向に向かった。水平飛行に入ると、プロペラの回転音がだいぶ静かになり、次の瞬間には空中にいる軽さと瞬発力を感じた。眼下には泥の池があり、輝く水と草のパターンが広がっていて、黒い牛の群れが見える。丘のふもとを長くゆっくりと旋回するときには、機体がわたしの操作に生き生きと反応するように感じた。

クルーズモードは無効になっていたので、時速は約30マイル(約50km)が上限だった。誤ってギアを上げすぎるのを防ぐためだと言われていた。いまならわかる。クルーズモードが無効になっていなかったら、わたしは出せる限りの高速で機体を飛ばしていただろう。丘と空に向かって飛び続け、そのまま戻ってこなかったかもしれない。いまもまだ上空にいるのだ。振動する機体が自分の四肢の延長のように感じられる。日々ソフトウェアという連なりに接して実存感を失い、多くの技術者が回路のなかに生きることを渇望するのも無理はなかった。職場への通勤という平凡な日常は完全に忘れ去られ、飛ぶことの喜びだけに満たされる。ようやくビュースクリーンを一瞥してから、シミュレーターで練習した通りにゆっくりと下降し始め、後ろ髪を引かれる思いで、着陸シーケンスを開始した。

Photograph: Balazs Gardi

ギデオン・ルイス=クラウス|GIDEON LEWIS-KRAUS
『ニューヨーカー』のスタッフライター。それ以前は、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』のライター・アット・ラージ、『WIRED』のコントリビューティングライター、『ハーパーズ』のコントリビューティング・エディターなどを務めてきた。ニュージャージーで育ち、スタンフォード大学に入学。フルブライト留学生としてベルリンにも滞在したことがある。著書に、回顧録『A Sense of Direction』、キンドルシングル『No Exit』があるほか、編集作品にリチャード・ローティ、フィリップ・リエフの作品集がある。コロンビア大学大学院のライティング講座で報道を教えている。

(Originally published on The New Yorker, translated by Akira Takahashi/LIBER, edited by Michiaki Matsushima)

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