今月、アップルは開発者向けカンファレンス「WWDC」を開催した。同社の最も重要なイノベーションの披露によく使われる毎年恒例のイベントだ。今年のプレゼンテーションの多くは、人工知能(AI)あるいは自らがブランディングする「Apple Intelligence」に費やされた。
グーグルとマイクロソフトが、それぞれ「Gemini」と「OpenAI」でAIに猪突猛進したのに対し、アップルはいまのところより狭い範囲でのアプローチをとっている。iPhoneのハードウェア上に導入されるAIモデルは、比較的機能の低いものとなっている。AIモデルは「パラメーター」、つまりトレーニング過程で調整される変数の数で評価される。OpenAIのGPT-4が1兆5,000億以上のパラメータをもつのに対し、アップルのモデルは30億だ。
より高度な処理能力を必要とするクエリについては、企業ライセンス契約を通じて、クラウド経由でChatGPTにタスクをアウトソーシングするオプションがユーザーに提供される。このライセンス契約は、対価を支払うのではなく、OpenAIの露出と引き換えに行なわれるようだ。言い換えれば、アップル製の超知能思考マシンは存在しないということだ──少なくとも現時点では。
したがって、カンファレンスでのプレゼンテーションに対する反応はやや控えめであった。『New York』のジョン・ハーマンは、これは「アップルの慎重なアプローチ」の表れだと書き、大々的に宣伝されているほど進んでいない技術に過剰投資することに警戒しているのではないかと推測した。『Washington Post』のジョシュ・ティランジエルは、Apple Intelligenceを「大衆向けAIにおける最初の合理的セオリー」と表現し、限定的なアプリケーションの範囲とともに、老舗コンピューティング企業と新興企業OpenAIとの提携を称賛した。
わたしたちは、アップルがAI軍拡競争に全力で参入していないという事実を祝福すべきだろう。マイクロソフトのAI開発に追いつこうとするグーグルの急速な動きは、すでにグーグル検索ツールの衰えを加速させている。とはいえ、わたしはWWDCに対して、あまり楽観的とはいえない印象をもった。最終的には世界中の10億台を超えるiPhoneに搭載されるであろう小型モデルのApple Intelligenceは、ある意味、運命を決定づける重大な一歩となる。つまり、AIがわたしたち個々の生活に入り込み、ひとたびそうなれば、後戻りはないだろうということだ。
「新しいパーソナル・インテリジェンス・システム」
プレゼンテーションで実演されたように、まもなく利用可能になるiPhone用のAIは、ユーザーの代わりにメールを書き換えたり、活発なグループのテキストメッセージを要約したり、通知をトリアージして最初に表示するメッセージを並べ替えたりすることができる。アップル最高経営責任者(CEO)のティム・クックは、このツールは単なるツールではなく、半自律的なふたつ目の脳の役割を果たす「新しいパーソナル・インテリジェンス・システム」であると表現した。
彼の発言で、わたしは1990年にコンピューターは「知性の自転車」であると宣言したスティーブ・ジョブズを思い出したが、この場合、コンピューターは単なる知性であり、それを使う人間は一種のセルフオートメーションに励むことになる。過去20年にわたって、アップルはわたしたちの日常生活のありふれたタスクすべてに、iPhoneを組み込むことに成功してきた。友人との連絡、行き先のナビゲーション、仕事のメール送信、支払いといったことだ。Apple Intelligenceの導入は、「生成AIの日常化」ともいうべき、新たなテクノロジー時代への突入を意味する。
アップルは、旅行先や読んでいる本、電話で話す相手やタイミングなど、ユーザーの日常的な情報すべてにアクセスすることで、同社のAIツールがOpenAIのChatGPTよりも、動的で便利なものになると自負している(ChatGPTは、驚くべき能力を備えているにもかかわらず、依然として制限されたプロンプトウィンドウから操作する)。「AIツールは、ユーザーを理解し、ユーザーのルーティンや人間関係など、個々人の状況に根ざしたものでなければなりません」と、クックはWWDCで語っている。2011年からiPhoneに搭載されているアップルの音声アシスタント「Siri」は、ユーザーが言うことを(おおむね)理解し、アラームを設定し、天気をチェックすることができる。一方、ターボチャージャーを搭載したSiriのように動作するApple Intelligenceは、むしろ機械の中に潜む幽霊のような存在となってiPhoneの機能を操る。
AIコミュニティでは、この種のツールを「エージェント」と呼ぶ。連絡先、メッセージ、カレンダーのすべてにアクセスできれば、このエージェントはユーザーの生活をうまく計画してくれる。アップルは、このツールに「先日妻が送ってきたポッドキャストを再生して」と依頼する例を示した。このような曖昧な表現を解読できる機械があれば、とても便利に思える一方で、iPhoneがあなたの妻が誰であるかを理解して、妻との会話をくまなく探る必要があるということも考えなくてはならない。
アップルのAIが、クラウド経由ではなくデバイス自体で動作するように設計されているという事実は、ユーザーの脆弱な個人データがある程度保護されることを約束する。しかし、生成AIは依然として、ランダムな誤解や「ハルシネーション」を起こしやすい。ハルシネーションとは、AIの専門用語で、劇的な間違いを指すやや婉曲的な言い回しだ。AIには、事実として正確なことや現実と関連していることを判断する能力はない。クックは『Washington Post』に対し、このツールが100%の精度を達成することはないだろうが、「たいへん質の高いものになることを確信している」と、やや頼もしさを欠く口調で付け加えた。
たったひとつの奇妙なアクシデントで、iPhoneユーザーがAIにそっぽを向くようになるかもしれないことは想像できる。カンファレンスで出された別の質問にあった「母はいつ着陸しますか?」に対する回答が間違っていると、空港での出迎えで大失態を演じてしまう恐れがある。さらにゾッとするのは、「全員に返信」してしまうという大惨事だ。AIが「みんな」という言葉を誤解し、連絡先リストの全員にメールを送信するかもしれない。上司からのメッセージにすぐには返信しないでいると、おそらくAIはそれを察知して、メッセージを非表示にし始めるだろう(生成AIは、ユーザーの希望を肯定することで知られており、ウェブサイトや書籍などの架空の情報源に基づくハルシネーションによって、偽の事実を生成することさえある)。
生活のあらゆる場所に存在するAI
アップルのイベントでは、同社のパーソナルテクノロジーに対するウォールドガーデン(壁に囲まれた庭)的なアプローチが、ある程度緩和されたことが明らかになった。ジョブズとデザイナーのジョナサン・アイブのもとで、アップルは自社の製品は理想的に設計されており、ゆえに自己充足的であるという立場を取った。iPhoneの表面的なケースの色の選択以外にカスタマイズの必要はなく、オペレーティングシステムとグラフィックインターフェイスは画一的であった。
しかし、新たなOSアップデートにより、ユーザーはiPhoneのホーム画面のデザインを変更し、新しいスキンやカラーパレットを追加して、整理したアプリを洗練されたアップル製品ではなく、ビンテージのWinampインターフェイスのように見せることができる。iPhoneの側面にある物理的なボタンを押すと、画面のデジタルの黒い枠に突起が現れ、まるでそのボタンも押されているかのように見える。全体的なエフェクトはより親しみやすく、ほとんど擬人化されており、スマートフォンを完璧で静的な機械としてではなく、生活のなかで柔軟に活躍する脇役として考える道が開かれている。アップルが実演して見せるAIテクノロジーは、世の中で最も強力なものではないかもしれないが、AIがわたしたちの生活のあらゆる場所に存在しているという強力なメッセージを送っている。
OpenAIがChatGPTを一般公開してからの2年間、生成AIが社会にどのように劇的な影響を及ぼすのかについて、わたしたちは憶測を巡らせてきた。AIは仕事を奪うのか? わたしたちをロボットとの感情的な関係に駆り立てるのか? 誤って人類絶滅を引き起こすのか?
しかしいまのところ、ソーシャルメディア時代のインターネットですでに行なわれているような自動化を促進するものとして、わたしはAIを考えるようになっている。AIの初期のかたちである機械学習によって導き出されるアルゴリズム的フィードは、消費者を一般的なコンテンツに誘導し、クリエイターに作品を最低共通項に合わせて調整するよう促す。これは、機械がわたしたちの注意を向ける方向に、わたしたちが目を向ける傾向があることの証だ。
スマートフォンにAIが搭載されることで、ソーシャルメディア・プラットフォームの外でも同様の力が、わたしたちの生活に影響を及ぼすだろう。わたしたちは、テキストメッセージが送信者本人によって書かれたものか、Apple Intelligenceによって書かれたものか分からない世界に急速に突入するだろう。いわばスマートフォンが、わたしたちが誰と連絡を取り、どのように自分の記憶を思い出すかを決める世界だ(WWDCでアップルは、現在のiPhoneのように写真のスライドショーを作成するだけでなく、AIによって設計された独自の内部物語構造をもつ映画のようなモンタージュを構成する機能を披露した)。
あるレベルでは、雑然とした生活の一部をシームレスに自動化できることに安心するかもしれない。しかし、そうすることは、人間のコミュニケーションの最も基本的な部分に対する制御を放棄することを意味する。多くの人と同じように、わたしは毎日、意識がある限りほぼ毎時間iPhoneを使用しているが、新しい発表を聞いて、低機能の携帯電話が欲しくなった。少なくとも、それらの機械はわたしに代わって考えようとはしないからだ。
(Originally published on The New Yorker, edited by Michiaki Matsushima)
※『WIRED』によるアップルの関連記事はこちら。生成AIの関連記事はこちら。
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