気候変動に窮するアルプスの山を、美術展に持ちこんだベルリンの建築家たち

2023年は史上最も暑い年だとされたが、今年もその傾向は続く見込みだ。21年の第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展、そして24年の札幌国際芸術祭に、気候変動に窮するアルプスの山を届けたベルリンの建築家たちがいる。そのメッセージを、史上最も暑いであろうこの夏に贈りたい。
気候変動に窮するアルプスの山を、美術展に持ちこんだベルリンの建築家たち
©️SIAF2024, Photo by FUJIKURA Tsubasa

気候変動というハイパーオブジェクト

BBCによれば2023年は、世界の平均気温が産業革命以前の水準より、少なくとも1.5℃高くなる日が約3分の1あったという。

世界は確実に暑くなっている。

それでいて、人々がとる行動は、せいぜい環境負荷の低そうなプロダクトやサービスの消費を繰り返すことにとどまる。さらには「今年の夏は少し涼しいところにでも行こうかな」とバケーションの計画を考え、安価なフライトを探しはじめる。これらの行動は、本当に適切なのか? この問いは考えるほどに、時間としても、空間としても、わたしたちにとってあまりに大きく、手に負えない。そうした存在を、哲学者のティモシー・モートンは「ハイパーオブジェクト」と呼んだ。

ハイパーオブジェクトとは何か。モートンの著書『Hyperobjects: Philosophy and Ecology After the End of the World(ハイパーオブジェクト──世界の終わりの後の哲学とエコロジー)』[未邦訳]における、いささかポエティックな序章「ハイパーオブジェクトのイントロダクション」を一読してもなお、把握するのが困難だ。

しかし、その困難さが最も正確にハイパーオブジェクトの性質を物語っているとも言える。ハイパーオブジェクトとは、その存在が、あらゆる点において人間のスケールを超えているのだ。モートンの言葉を借りれば、ハイパーオブジェクトは“ブラックホールかもしれない”し、“生物圏かもしれないし、太陽系かもしれない。ハイパーオブジェクトとは、地球上の核物質の総体かもしれないし、プルトニウムやウランだけかもしれない”ものであり、“非局所的”に存在し、“人間に対して時間的にも空間的にも巨大に分布しているもの”だ。

モートンのハイパーオブジェクトは、気候変動など複雑な事象を描写する略語として用いられてきた(少なくとも、形而上学に傾倒したインターネットの片隅では)と同時に、アーティストが思想を共有する際の言語でもある。

アイスランドのアーティスト、ビョーク(Björk)は、2015年にニューヨークのMoMAで行なわれた個展で出版した小冊子で、モートンとの往復書簡を紹介している。ビョークにとどまらず、アイスランド系デンマーク人アーティストのオラファー・エリアソンも、その影響を公言している。

さらにはロンドン芸術大学を卒業したばかりの若手アーティストすらも、モートンの名前を挨拶がわりに口にする。

アルプス山脈はプラスチックで覆われている

ハイパーオブジェクトとしての気候変動を、アート作品に昇華した建築家がいる。2021年の第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展、そして24年の札幌国際芸術祭において、その建築家がやってのけたのは、気候変動に窮するアルプスの“山”をそのまま届けるという荒業だった。

イタリアのアルプス山脈では毎年5月から6月にかけて、山が特殊な布で覆われる。氷河の融解を遅らせるために08 年から行なわれていることで、雪解けを60%も抑えることが可能だという。一見するといい活動に見えるのだが、太陽光線を反射するこの保護布は、プラスチックでできており、劣化のために2年ごとに交換される。そして毎年約10万平方メートルもの面積を覆い続けている。

建築家のジョヴァンニ・ベッティとカタリーナ・フレックはこの布の現物を、美術展で展示することを思いついた。『Invisible Mountain(消えゆく山)』を間接的に観客に伝えることで、遠い場所で起きている気候変動を、眼の前で議論できるものにしたのだ。その意図について、24年の札幌国際芸術祭で展示を行なったジョヴァンニ・ベッティとカタリーナ・フレックに、インタビューを行なった。

──あなたたちは建築家ですよね? そのキャリアがどのようにして今回の作品に結びついたのでしょうか?

ジョヴァンニ・ベッティ(以下ジョバンニ) わたしたちは2人とも建築家であり、Foster + Partners(ロンドンに拠点を置く、グローバルな建築設計組織)で仕事をしていました。例えばわたしがかかわったもののひとつには、ロンドンにあるブルームバーグのヨーロッパ本社があります。カタリーナは世界最大の空港である、クウェート国際空港に携わった経験をもっています。

これらの建造物はすべて持続可能性を念頭に置いて設計され、持続可能な野心的目標を達成しようとしています。しかし統計によれば、これらの建造物は現在、世界のエネルギーに関係するCO2排出量の39%を占めています。28%は暖房、冷房、電力供給による排出で、残りの11%は材料と建設によるものです。

この時代(人新世)を生きる建築家としてはとても複雑な気持ちなのです。願わくば、気候変動に加担しない建築を実現したい。わたしは現在、学術的なアプローチから、新しい材料や方法、エネルギー源を模索し、気候変動や生物多様性に関連した問題の解決に貢献できるような建築を目指しています。このアート作品は、そうした自分たちの複雑な気持ちを、人々と分かち合うためにつくったものなのです。

──どのようにして建築と、氷河を覆う布とが結びついたのでしょうか?

カタリーナ・フレック(以下カタリーナ) 新型コロナウイルスのパンデミックで、わたしたちは家にいて、この“布”をインターネット上で見つけました。そこでさまざまなディスカッションをしたことが、この作品に結びついています。

ジョバンニ この布が、建築の置かれている状況とよく似ていると思ったんです。さらにわたしたちが生きている人新世における人間活動を象徴するオブジェクトだとも感じました。いいことをしようとしても、常に環境に影響を与え、傷つけてしまう。そんなジレンマを、この布は象徴していると感じたのです。

アルプス山脈を覆う、プラスチックの布。毎年約10万平方メートルもの面積を覆い続ける。 Il ghiacciaio Presena coperto dai teli geotessili

PHOTO BY MICHELE LAPINI

──どのようにして布にたどり着いたのでしょう? 実際にアルプス山脈に行って、この布と出合ったんですよね。

ジョバンニ はい、わたしたちはイタリアのアルプス山脈に行き、実際にこの布で作業をしている人たちに会いに行ったのです。話を聞くと、地球環境保護ではなく、より商業的な作業として行なわれていました。つまり地元の目線では、スキーシーズンのために雪を保存するための目的なのです。北イタリアでは1970年頃に、年中スキーができるリゾートが生まれました。しかし90年から2000年頃になり、気候変動の影響が顕著になると、かつては年間を通してあった雪が、夏になると消えてしまうようになったのです。そこで、冬にプラスチック製の布で氷河を覆うようにしたのです。まったく矛盾に満ちているわけです。

カタリーナ ここ2、3年はさらに覆う面積が拡大していっています。さらに布は再利用することもできず、本当に太陽光を反射することしかできないのです。

ジョバンニ 実際に作業をしている人たちに話を聞くと、わたしたちと同様に、この矛盾を痛感している人たちと出会いました。そうした人たちはこの作業を特に喜んでいるわけでもなく、さまざまな代替案を検討していました。しかしそうした人々にとって雪山は生活空間であり、文化的アイデンティティであり、経済的にも重要です。なんとかして対処しなければならないものなのです。

アルプスの山を人々のところに持って行こう

──とても興味深いですね。この布をアート、つまりインスタレーションとして展示していくにはどのようなプロセスがあったのでしょうか?

ジョバンニ 気候変動というのは、確実に起きているけれど、どうしたわけかとても遠くて抽象的な概念だと感じられます。それでも2030年までには、たとえ氷河を布で覆い続けたとしても、ほとんど溶けてしまうでしょう。つまり、氷河は完全に消滅してしまうのです。それでも毎年、環境負荷の高い布はより多く敷かれ続けていくのです。このパラドクスに対して、アートとしてできることは何なのか。わたしたちのとった方法は「山を人々のところに持っていく」というものでした。

カタリーナ わたしたちはこの布を、展示会場の天井から吊り下げ、それらが立体的に山の稜線を描くように特殊な計算的手法を用いて展示しました。すると、少し詩的ですが、観客は実際に溶けゆく氷河と同じ視線から、この布を見ることになるわけです。この布の下で、溶けゆく氷河のように気候変動のことを議論するきかっけにしてほしい。見えないもの(invisible)を見える(visible)ようにすることがわたしたちの狙いでした。

ジョバンニ 氷河を覆っているプラスチックの布は、使い捨てのようなものだと思われていますが、実は氷河よりも遥かに永続的です。プラスチックはマイクロプラスチックとして、環境中に大量に排出される。あるいは燃やされれば、CO2として大気に残る。このまま放置すれば、自然がプラスチックを分解するのに何百年もかかり、氷河そのものよりも遥かに早く消滅してしまう。山を覆う氷河が消え、それを覆っていたプラスチックだけが残るという未来の風景がいま生まれている。この現実の目の当たりにしたとき、わたしたちは「これこそが本当の山なのだ」と感じたのです。最初はベルリン芸術大学で、21年には第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展に、そして24年には札幌国際芸術祭で展示を行ないました。

──気候変動は人類にとって解決しなければならない大きな問題だということは多くの人に共有されていますよね。しかし、自分自身が問題の一部であること、どのように行動すべきか、という議論には、人々は加担しづらい現状があります。

ジョバンニ まさにいま課題になっていることだと思います。わたしたちは即時的な危機的状況に対応するのは得意ですが、異なるタイムスケールで起きる危機に対して対応するのはとても苦手なのです。

23年は、世界の平均気温が1.5度の基準値を超えた日が過去最多になりました。24年はさらに暑くなるという見方もあります。氷河の消滅は非常に早まっており、もう数十年程度でしょう。これは氷河の地質学的な目線からは信じられないほどの速さです。しかし、わたしたち人間にとっては、非常に遅いように見える。人間的なものと非人間的なもの、わたしたちの日常生活と地質学的な生活、そうした異なるタイムスケールを交差させることの重要性は、この作品に込めたメッセージのひとつです。

──今後この作品は、どのように発展していくのでしょうか?

ジョバンニ 毎年、1,000倍の量の布が山に敷かれています。氷河が溶けるのが早くなっていることに加え、この布は毎年、あるいは2年ごとに廃棄されて燃やされるからです。この状況に対応すべく、現在は企業などと対話を進め、スケーラビリティのある、環境負荷の低い素材の開発を推進しています。

気候変動は、わたしたちが登らなければならない目に見えない山(invisible mountain)のようなもの。見えないけれど、避けることはできない、わたしたちの目の前にある山なのです。

カタリーナ・フレック(左)とジョヴァンニ・ベッティ(右)。©️Giovanni BETTI+Katharina FLECK

Photo by FUJIKURA Tsubasa