中国の大手自動車メーカーであるBYD(比亜迪汽車)が欧州に進出し、急速に知名度を高めていることは周知の事実だろう。その第1弾として投入された電気自動車(EV)の製品群が、コンパクトEVの「BYD DOLPHIN(ドルフィン)」と、電気SUV「BYD ATTO 3(アットスリー)」である。どちらもキア(起亜自動車)やヒョンデ(現代自動車)などの韓国ブランドが10年ほど前に欧州で大成功を収めたように、ライバル車より低価格での販売を目指している。
しかし、BYDは韓国勢もそうであったように、今度は高級車市場にも進出したいと考えている。そして、スポーツセダン「BYD SEAL(シール)」でそれを実現するつもりだ。4ドアセダンであるSEALの価格は欧州で約45,000ユーロ(約780万円)から、英国では45,000ポンド(約920万円)からとなっている[編註:日本では6月28日に発売され、価格は528万円からに設定された]。
外観はすっきりとしていて、洗練されたデザインであると感じられる。ぼってりとしたデザインを想像したかもしれないが、そんな印象はまったくない。特徴的な顔つきと全体的な美しさは、BYDが価格だけでなくデザインや品質の面でも欧州ブランドと戦う準備ができていることを示唆している。
SEALのラインナップの筆頭は、312馬力という十分以上のパワーを生み出すシングルモーターの後輪駆動(RWD)モデルだ。そこに加わるのが、前後に計2つのモーターを搭載して合計529馬力を発揮する最上位のAWD(四輪駆動)モデルである。
これらは間違いなく速いクルマであって、その速さをBYDは堂々と誇示している。静止状態から時速60マイル(約96.6km)までの加速は、上位モデルに関しては後部に取り付けられたバッジで「3.8」秒と訴求されている[編註:日本仕様ではこのバッジが外されている]。そして中国仕様の後部で存在感を示していた「BUILD YOUR DREAMS」の文字はない。
これまでの記事でもSEALと競合する欧州車について言及してきたが、実際にこのクルマが最も脅威になるEVはテスラの「モデル3」だろう。脅威を感じている可能性について言えば、テスラはモデル3の欧州での価格を引き下げている。イーロン・マスクも神経質になっているのかもしれない。
テスラ「モデル3」に対抗
ご存知かもしれないが、BYDは家電用バッテリーのメーカーとしてスタートし、後にEV市場に参入した。その初期のモデルであるプラグインハイブリッド車「F3DM」とセダンタイプのEV「e6」に試乗したのは、2010年のことである。
なかでもF3DMは、ゼネラルモーターズのEV「シボレー・ボルト」より先に発売されたことで話題になった。これに対してe6は、BYDの本社がある中国・深圳でタクシー車両として実験的に導入されたモデルである。このとき試乗した際の見解は、たとえ魅力的な製品を生み出すためのピースがすべて揃っていないとしても、どちらのクルマも基本的なテクノロジーは機能している、というものだった。
ここで2022年まで話を進めよう。BYDのEVプラットフォーム「e-Platform 3.0」が登場し、これを最初に採用したのが、現在は海外でも販売されているコンパクトEVのDOLPHINである(ただし、米国においては中国製EVに多額の輸入関税が課せられたことで上陸していない)。次に登場したのが、中国では「元PLUS」として知られる小型の電気SUVであるATTO 3だ。
これらのクルマ自体はまずまずの完成度だったが、メインイベントに向けて準備するBYDのウォーミングアップのようにも感じられた。そして2022年後半、大ヒットに向けて準備できたSEALが中国で発売され、いまは欧州やオーストラリア、ブラジル、東南アジア全域などで販売されている。
ファミリー向けのサイズでもあるSEALは、臆することもなくテスラのモデル3に対抗しようとしている。とはいえ、サイズはモデル3よりひと回り大きい。なかでも全長はモデル3の4,720mmに対して4,800mm、ホイールベースは2,875mmに対して2,920mmある。この結果、ワンクラス上のクルマに匹敵する室内空間をもつ広々としたクルマに仕上がった。
流線型のデザインによって空気抵抗係数(Cd値)がモデル3より優れる僅か0.219のSEALは、2021年に発表されたコンセプトカー「Ocean-X」の量産モデルである。BYDの現在のEVの基盤となる「e-Platform 3.0」を、このコンセプトカーで初めて公開したのだ。
「ブレードバッテリー」の利点
BYDが特許を取得している独自開発の「ブレードバッテリー」は、他のメーカーとの差異化を狙った技術である。このバッテリーはSEALのプラットフォームにおいて重要な構成要素であり、細長く刀(ブレード)のような形状をしたリン酸鉄リチウムイオン電池(LFP電池)を並べた構造だ。
BYDは正極材料にLFPを採用することで、従来のリチウムイオン電池より安全な電池になると主張している。また熱安定性が向上し、エネルギー密度が競合するEVより高いという。BYDによると、ブレード状のバッテリーパックにすることで、衝突時に損傷して穴が開いても熱暴走や発火の可能性が低くなるとされている。
さらにSEALは世界初とされる8つのモジュールを集約した「8in1 パワーシステムアッセンブリー」を搭載したことで、エネルギー効率が89%に達したという。このシステムは、駆動モーター、インバーター、トランスミッション、オンボードチャージャー、DC-DCコンバーター、高圧配電モジュール、車両制御ユニット、バッテリー管理システムを組み合わせたものだ。
そして、(キアやヒョンデのEVのように)800Vでの充電にも対応する。これは一般的には超高速充電が可能であることを意味するわけだが、実際のところSEALの充電性能は150kWと“そこそこ”にとどまっている。
バッテリーを直に加熱したり冷却したりするシステムもあり、熱効率が最大で20%上がるという。BYDによると、熱効率が向上することで寒冷な気候における航続距離も20%ほど向上する可能性があるという。
興味深いことに、SEALのブレードバッテリーは「e-Platform 3.0」のシステムと一体化されている。これにより、バッテリーパックそのものを車両の構造に組み込んで剛性を高めるセル・トゥ・ボディ(CTB)構造を実現した。
CTB構造を採用することで、バッテリーはクルマにとって重量物であるだけに終わらず、車体の構造の一部になる。つまり、バッテリーパックの上部が実質的にクルマの床構造の一部になるというわけだ。これにより、ねじり剛性を高級車レベルの40,500Nm/degに高めている。
洗練された乗り心地
これらの独自構造すべてが、良好なハンドリングにつながっている。そして高速走行時の乗り心地は、どこか洗練されていて快適だ。
外観デザインは、ありきたりにも感じられるが魅力がないわけではなく、どこか引き付けられる。前後50対50の重量配分と、フロントのダブルウィッシュボーン式サスペンションが、このクルマをスポーティーな雰囲気にしているからだ。
SEALを試乗したのは、中国・深圳の曲がりくねった坂道を通るルートだった。低速域での乗り心地は、特に路面の状態が悪い場所では物足りなさを感じることもあるが、いったんスピードに乗れば運転を楽しませてくれる。
ステアリングには「スポーツ」と「コンフォート」の2つの設定がある。コンフォートの設定は人工的な印象も受けたが、スポーツのほうは実にいい感触と重みがあり、コーナーに速度を上げて入っていける自信をドライバーにもたらしてくれる。それに乗り心地がソフトで快適なことで、長距離でも楽に走れるように感じられた。
ドライブモードは「エコ」「ノーマル」「スポーツ」の3つが用意されており、センターコンソールのスイッチで選択できる。エコモードでの走りは極めて控えめだが、他のモードは非常に似たような印象で、このクルマの操縦性をうまい具合にシャープなものにしてくれる。
回生ブレーキの強さは2種類から選べるが、どちらも制動力はそこまで高くない印象を受ける。山道では予想以上に物理的なブレーキに頼る必要があった。
また、ペダルから足を完全に離した後に、クルマが少しだけ加速し続ける奇妙な問題にも遭遇した。この現象はペダルを強く踏み込んだ後、素早く足を完全に離したときにしか起こらなかった。
とはいえ、この現象が初めて起きてクルマが加速し続ける様子(しかも試乗車が530馬力だったので、かなりの速度だ)には、率直なところ恐怖を感じた。この問題を解決するにはアクセルペダルの調整が必要と考えられるが、テスラの「Cybertruck(サイバートラック)」で発生した“ペダル問題”に比べれば大したことはないだろう。
運転支援システムは、上海蔚来汽車(NIO)や小鵬汽車(シャオペン、Xpeng Motors)といった他のEVメーカーの技術ほど高度ではない。それでも、高速道路では車線維持機能付きのインテリジェントなクルーズコントロールとして、それなりに十分に機能する。
BYDはe-Platform 3.0を採用することで、620マイル(約1,000km)を超える航続距離のクルマを生産できると主張している。これに対してSEALの標準モデルの航続距離は、中国の非常に寛大なCLTC基準でも435マイル(約700km)である(欧州のWLTP基準では、より現実的な354マイル=約570km。よりパワーのあるAWDモデルは323マイル=約520kmとなる)[編註:第三者機関の実測値に基づく日本仕様の航続距離は標準モデルが640km、AWDモデルは575km]。
いまどきのEVがそうであるように、より低価格で、パワーが控えめであっても航続距離が長いEVこそ、選ぶべきクルマといえるだろう。
内装の質感は良好も、UIは独特
初めてBYD車を運転したときから14年間で最も目に見えて向上した点は、インテリアの質感と言っていい。SEALの内装は徹底的にモダンで考え抜かれており、そのほとんどが良質な素材で仕上げられている。
ATTO 3と同様に回転式のディスプレイを中央に備えており、試乗車の画面サイズは15.6インチだった。ほとんどの操作はこのディスプレイで完結し、音声アシスタント機能にも対応している。さらに、メーターを表示する10.25インチのディスプレイもあり、上位モデルにはヘッドアップディスプレイ(HUD)も装備される[編註:日本仕様では標準装備]。
インフォテインメントのシステムに関していえば、最初は扱いづらいと感じるかもしれない。そのユーザーインターフェイス(UI)は、前方を注視しながら操作するように設計されているというよりも、Androidのタブレット端末のほうに近いからだ。一部のアイコンは小さくて、走行時に押すことが難しい。
また、エアコン関連のメニューは画面の下部には常時表示されない。物理スイッチを採用するほうが理にかなっているという考えに背くすべてのクルマは、エアコン関連のメニューをディスプレイに常時表示するべきだろう。
ステアリング(ハンドル)の向こう側にはメーターを表示する小型ディスプレイがあり、速度や出力、ドライブモード、バッテリーの状態を表示する。しかし、ここでもUIに手直しが必要だと感じられた。あまりにカラフルな壁紙を使ったコンピューターのインターフェイスのようで、必要な情報を読み取りやすいシンプルな画面になっていない。
とはいえ、BYDがテスラの最新モデルとは異なり、ウインカー(方向指示器)とワイパーの操作に伝統的なレバーを採用している点には感謝したい。オーディオの音量調節とクルーズコントロールにも物理的な操作を取り入れているが、これも歓迎だ。
高速で俊敏な“海のハンター”
また、ガラス製の巨大なパノラミックルーフだけでなく、柔らかなブルーとホワイトを基調とした感じのよい内装のおかげで車内は明るい[編註:日本仕様の内装色はブラックのみ]。それに、手に触れる部分はよくできているように感じる。シート生地のキルティングや、ドアに使われているスエード風の素材が、ちょっとした高級感をもたらしているのだ。
後席の足元は十分な広さで、頭上の空間に不満をもつのは背が高い人だけだろう。トランクの容量は床下の収納スペースを含めて320ℓあり、車体前方には充電ケーブルを収納できる容量53ℓのフロントトランク(フランク)もある。
海に生息するアザラシ(seal)に対する感想は、その姿を陸上で見たのか海上で見たのかによって異なる可能性がある。このたとえを踏まえて考えると、BYDが“モデル3キラー”に位置づけるSEALは浜辺をはうように移動する生物ではなく、高速で俊敏な“海のハンター”なのだ。走りが優れているだけでなく、考え抜かれてつくられたクルマであるだけに、日々のパートナーにしやすいだろう。
これに対抗してイーロン・マスクがテスラ車を値下げしようがどうしようが、すでにBYDは世界のEV市場においてトップの座にある。SEALは、その王座を確実なものにするために投入されたのだ。
(Originally published on wired.com, edited by Daisuke Takimoto)
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