「仕事が自分のアイデンティティ」という状態は危険:米国の作家が語る“仕事との適切な距離感”の導き方

仕事を自己価値の源泉とする「ワーキズム」が米国に広がっているとして、その危険性について警鐘を鳴らす本が米国で出版される。コロナ禍を経て将来への不確実性が増すなかで、わたしたちはいかに対応していくべきなのか。IDEO出身のデザイナーで“仕事場”の専門家でもある著者に訊いた。
Person working on their computer at a desk at night
Morsa Images/Getty Images

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職場が“通常営業”に戻った。本来なら喜ばしいことだが、その「通常営業」再開には大規模なレイオフや空のオフィスビル、わかりづらい出社規則、人工知能(AI)のもたらすパニックに加えて、景気の悪化が重なった。これにより、仕事とプライベートの線引きを再検討し始めていた働く人々の間で、仕事に対する不安がさらに増幅してしまったのである。

管理職は“効率”を強調することで、これに対処しようとしている。少なくとも、マーク・ザッカーバーグが“効率”を追求するなかでも解雇しなかったマネージャー陣はそうだろう。

こうしたなか、大手デザインファームIDEO出身のデザイナーで“仕事場”の専門家でもあるシモーネ・ストルゾフの初めとの著作が、絶妙なタイミングで登場した。『The Good Enough Job: Reclaiming Life from Work』(こと足りる仕事: 仕事から人生を取り戻す[未邦訳])でストルゾフは、多くの人々(特に米国人)が仕事を生活の中心に置きすぎており、自分のアイデンティティを見失うほどになっていると主張している。

「ホワイトカラーの労働者にとって仕事は宗教的なアイデンティティに匹敵するものになっています。仕事は給与に加えて、価値、コミュニティ、目的意識を得るものになっているのです」と、ストルゾフは語る。彼はIDEOでデザイナーとして働いた経験のほか、『The Atlantic』「Quartz」『WIRED』などに寄稿した経験をもつ。

本の冒頭でストルゾフは、MBAを保持していそうなエリートが漁師に対し、事業をグローバル企業に育てようとすすめる小話を紹介している。漁師は、そのエリートが長期的に得られると約束しているもの、つまり自分と家族を養うには十分な収入と余暇のための時間はすでにあると答える。この回答に、もちろんエリートは当惑してしまう──。

これは短いながらも示唆に富む物語であり、非常にわかりやすい。本書はこうした味わい深い物語や逸話が散りばめられており、読み応えがある。

『The Good Enough Job: Reclaiming Life from Work』は、組織化された宗教の衰退、常時オンラインの労働文化の台頭、そして人々が自己実現の手段として仕事を捉えるようになったことについても触れている。これらを通じて、仕事に執着する社会の鮮明な姿を描きだしているのだ。

しかし、これは危険なことであると、ストルゾフは指摘する。特に最近起きたテック企業での大規模なリストラを踏まえると、その懸念はさらに増すという。

これらを踏まえてストルゾフにインタビューし、現代社会において労働と生活のバランスを保つことはできるのかについて訊いた。『The Good Enough Job: Reclaiming Life from Work』は5月23日に米国で発売される[編註:日本でもAmazon.co.jpでKindle版などを予約購入できる]。

職場に起きている変化

──現代の職場環境のどこがおかしいのでしょうか? もちろん、これは「職場がおかしい」とあなたが考えていると想定しての質問です。

そうですね、若いころにサマーキャンプのカウンセラーとして働いたときのことを思い出します。キャンプのディレクターは研修中に「子どもたちがいちばん不安がるのは、誰もその場を制御できていないこと」だと常に言っていました。いまの職場は、まさにそのような状況だと思います。明確な指示や未来の仕事場に対する明確なビジョンがなく、すべてが流動的に感じられるのです。職場の上司たちも、自分の人生における仕事の役割を見直すことに関する不確実性に対処しながら、同時にリーダーとして誰も予測できない未来について自信があるように話さなければなりません。

昨日ある人との会話で、こんな話を聞きました。「職場でマネージャーとして働いていますが、部下たちがわたしのところに来て、LinkedInのプロフィールや履歴書を更新していると率直に話してくる」という話です。そしてその人も部下に対し、同じことをしていると伝えたといいます。

将来への不確実性が増したことで、安定していると感じられる仕事でさえ必ずしもそうではないことについて、よりオープンなコミュニケーションが生まれています。しかし、これは同時に誰もが今後の仕事がどうなるのか見当がついておらず、人々は状況に合わせてその場で何とか対処しようとしていることを示しています。

──話を聞いていると、パンデミックがまだ終わっていないような印象を受けます。働く人たちは(自分の先行きについて)職場でとことん弱気になり、また率直にもなっているということですね。

パンデミックと経済状況の両方があるでしょう。ユーチューブで働くある従業員は、アルファベットが社員に週に3日オフィスに来るよう求めていることについて話していました。その人はこの規則はばかげていて、会社がオフィス管理の支出を正当化しようとしているだけだと思うと同時に、理解できる部分もあると言うのです。なぜならいま、職場の士気は低く、社員が形成する職場での文化もありません。社員に出社してもらうことは、集団が共有するアイデンティティを醸成する上で、マネージャーが実施できる有効な方法のひとつなのです。

「ワーキズム」に伴うリスク

──月刊誌『The Atlantic』のデレク・トンプソンがつくった造語、「ワーキズム(仕事主義)」について本書にも書かれていますが、それは現在の職場にどのような影響を与えていると考えていますか。

デレクが提示した「ワーキズム」の基本的な考えは、仕事を宗教的なアイデンティティに近いものとして扱うことです。給料のためだけでなく、コミュニティやアイデンティティ、人生の目的や意味を仕事に求めることを意味します。

これにはリスクがいくつか伴います。ひとつは、単純に仕事はそのような役割を担うようにできていないことに起因します。仕事に精神面での充足を求めると、仕事への期待値は非常に高くなりますが、仕事は必ずしもそうした期待に応えられるものではありません。

2つ目のリスクは、自分という存在のひとつの側面にばかり過剰に投資することで、人生のほかの面がおろそかになることです。人には働き手として以外の顔があります。友人、兄弟姉妹、親、隣人、市民でもあるのです。パンデミックの間に多くの人が気付いたように、仕事が唯一のアイデンティティの源だった場合、それを失ったら何が残るのでしょうか?

──「ワーキズム」は世代間で特徴があると、あなたは主張しています。ご自身のイタリア系の家族と、あなたの祖父母がどのように仕事をして生活していたかを書いており、そこでは生活が軸にあったとあります。日々のやるべきことはありながらも、1日の中間には長い休憩をとり、家に帰って家族と一緒に家庭料理のパスタを食べていたと書いています。仕事を宗教のように捉えることは比較的新しい、少なくとも産業化が進んだ時代以降の考え方のようですね。

いまのような状況になった理由については、経済や歴史、政治、文化など、さまざまな側面から説明できます。この本で焦点を当てている点は、米国人が職場に対して抱いている非常に強固な客観的価値についてです。米国は非常に個人主義的な国で、会社の最高経営責任者(CEO)をセレブのように扱い、「いつも心から愛することに取り組むこと」という標語をコワーキングスペースの壁に張り出しています。これらは仕事を自己実現の手段にすることを奨励しているのです。

これに例えば、過去40年にわたる組織化された宗教の衰退などの歴史的な傾向と結び付けて考えることができます。宗教の衰退は多くの米国人の精神面に空白を生じさせました。また国の政策を見れば、多くの人の健康保険はフルタイムの雇用とひも付いていることがわかります。歴史的な要因を見ると、この国がつくられた方法や、資本主義とプロテスタントの労働倫理がこの国のDNAを形成する2つの要素として絡み合っていたことがわかります。

そして20世紀が始まって以来、労働時間が着実に短くなっているフランスやドイツなどの同盟国に対し、米国の特定の層はかつてないほど働いていることが明らかになっています。これは歴史的に珍しいことです。これまで国や人は豊かであればあるほど働かなくて済むので、労働時間は短くなっていたのですから。

もちろん、米国だけでなく世界中の大多数の人は自己実現のためではなく、生きるために働いています。過去40年間において賃金の上昇は停滞しているので、同じパンを購入するために、もっと働かなければ手に入れられなくなりました。しかし、この本の主張はどのような仕事に従事しているかにかかわらず、人々はいま生産性を重視する文化のなかで暮らしており、自らの価値を何らかのかたちで職場での成果に結びつけて考えているということです。

──その危険性は、仕事でうまくいかなかったことを、非常に個人的に受け止めてしまうことだと書いていますね。

はい、その通りです。「自己複雑性」と研究者たちが呼ぶ価値観の概念についての研究があります。自己複雑性とは、自分が誰であるかというさまざまな側面を育てることを意味しています。これは直感的に理解できるものだと思います。

例えば、あなたの人生において仕事上の成功と自分の価値がひも付いて上がったり下がったりしている場合、1つの否定的なフィードバックや同僚からのコメントにひどく傷ついてしまうかもしれません。

しかし、あなたが人生におけるほかの側面を育てている場合、仕事が1日うまくいかなくても、支えてもらっているパートナーがいると感じたり、余暇に参加しているソフトボールチームで楽しい時間を過ごせたりするかもしれません。あなたの人生には市場の力や上司の言葉に左右されない、自分自身に価値を感じるほかの側面があるということです。

仕事とプライベートのどこに線を引くべきか?

──どこに線を引くかは難しい問題です。この世界で生きていくためにはお金が必要です。しかし、あなたが書いているように、仕事は非常に家父長主義的であり、最も勤勉で努力家の人々から搾取することがあります。仕事にどれだけ力を注ぐべきなのか、知るための法則はありますか。

もしこの本を書く上で重要な問題がひとつあったとするなら、それは有意義な仕事に邁進することと、仕事に人生を支配されることを防ぐためのバランスをどのようにとるかです。仕事をすることに反対しているわけではありません。人々はほかのどんな活動より多くの時間を仕事に費やしているので、その時間をどのように使うかは重要でしょう。一方で、人生において仕事が果たす役割について冷静に考え、そして基本的に仕事とは経済的な関係であることを理解するほど、うまくいくと考えています。

仕事は使命や天職であると人々は教えられます。それに仕事が時間と労働の対価を得るものであるという考えは魅力的ではありません。しかし、仕事をより取引的な考えで捉えることが雇用主と従業員の両方を“解放”することにつながると思います。

雇用主にとっては、“いい仕事”とはどのようなものかについて明確な期待値を設定する助けになります。従業員にとっては、例えば公正な報酬を求めやすくなります。もっと広い意味では、従業員は仕事が人生のすべてではなく、生活するための手段と割り切りやすくなるのです。

これは特にメタ・プラットフォームズツイッターマイクロソフトなど、リストラがあった企業の社員をはじめ、テック業界で働く人の多くが気付き始めていることです。「これがわたしの天職、夢に見た仕事だと思っていましたが、この1年間でこれも“単なる仕事”だということがわかりました」といったことを話す人たちと、これまでたくさん出会ってきました。

わたしは「こと足りる」仕事、という概念を広めたいと考えています。ある人にとってそれは特定の業界で働くことや特定の職種に就くことを意味し、別の人にとっては一定の時間に仕事を終えて小学校に子どもを迎えに行けることを意味します。完璧さを無限に追求する行為として仕事を考えなくてもいいのです。「何の仕事をしているか」は、あなたという人間のすべてではありません。それを理解することが重要なのです。

WIRED US/Translation by Nozomi Okuma)

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