「Apple Vision Pro」でマーベルの世界を体験──“没入型ストーリー”の課題と可能性

Vision Pro向け新コンテンツ「What If...?」をさっそく試してみた。マーベルとアップルにとってはWin-Winだが、そこには没入型のエンターテインメントが抱える課題がつきまとっている。はたして両者は、この新技術の可能性をどこまで拡げられるだろうか。
「Apple Vision Pro」でマーベルの世界を体験──“没入型ストーリー”の課題と可能性
Courtesy of Marvel

一見したところ、5月にマーベルアップルVision Pro用に投入した“没入型ストーリー”の「What If...?」は、両者にとってWin-Winのリリースとなったようだ(日本向けは未公開)。マーベルにとってはストーリーテリングと空間コンピューティングの融合を試す絶好の機会となり、アップルはこの新技術に3,500ドル(日本では599,800円から)を注ぎ込んだユーザーを安堵させるだけのビッグコンテンツを手にした。

わたしもこのVision Pro版「What If...?」の世界を1時間ほど試してみたが、当の大企業2社以外の誰にとって喜ばしいのか、実際のところよくわかっていない。はじめこそ興味を刺激されたしビジュアルも手が込んでいるが、その中で過ごす時間が長くなればなるほど、体験は薄っぺらなものになっていった。

例えばシースルーディスプレイやユーザーの視線の動きをシームレスに追跡する機能など、Vision Proの素晴しさが光る部分は確かにある。マーベルは「What If...?」で、その魅力を最大限に引き出している。ちなみに本作はマルチバースの世界を真正面から描いた「Disney+」の人気アニメーションシリーズ『ホワット・イフ...?』からのスピンオフであり、ユーザーは大きなヘッドセットをかぶった滑稽な姿で、6つのインフィニティ・ストーンのパワーをすべて手に入れたとしたらどうなるかを身をもって体験する。異なる時空を飛び回り、マーベルヒーローたちとともに、ヴィランを迎え撃つという設定だ。

間違えてはならないのは、「What If...?」がストーリーであるという点だ。あらゆる関係者がその点を強調している。本作がゲームではないこと、あるいは仮にゲームであったとしても説明的でプレイアビリティの乏しいものであることを考慮すれば、これは重要なことなのだろう。

ユーザーとしてすべきことの大半はハンドモーションによる操作だ。例えば、握り拳をつくればドクター・ストレンジのようなシールドが現れる。手を外側に向けてひねりながら伸ばせば、いきなり念力で物体をコントロールできるようになる。まさにインフィニティ・ストーンの能力そのものだ。ほかにもポータルを開いたり、現実の構造をつくり替えたり、“危険な対象”を封じ込めたり、拳からエネルギーブラストを飛ばしたりすることができる。ただし、これらのトリックはどれも似たような、たいして面白味もない動作によるもので、ストーリーのなかにいると思い出せなくなることも多い(幸いなことにアップルの広報担当者がその都度教えてくれたが、それでも自分が何をすべきか分からなくなる局面は少なからずあった)。

この没入感の乏しさは問題だろう。かつてILMxLabと呼ばれていたルーカスフィルムのインタラクティブスタジオILM Immersiveも開発に加わった「What If...?」のもたらす体験は、マーベル・スタジオの作品世界を、映画館やDisney+の番組配信の枠を超えて拡大しようという試みだ。ウォルト・ディズニー・スタジオの最高技術責任者ジェイミー・ヴォリスはこれを「新たなメディアによってストーリーを拡張する方法の模索」と位置付けている。

Vision Proのやや物足りない評判を思えば、「What If...?」がどれほどの成果を上げるのかを予測するのは難しい。このヘッドセットならもっと何かできるはずだし、実写の枠を超えようとするマーベルの気持ちも分からなくはないが、そもそもVision Proの高すぎる価格がその体験をファンから遠ざけてしまっている。「What If...?」が無料だとしたところで、それだけで人々を引き込むだけの力があるかも疑問ではある。

没入型エンターテイメントの相変わらずの課題

「What If...?」を起動すると、まずはマーベル・スタジオのロゴが、次いで宙に浮かぶザ・ウォッチャーが立ち現れる。そこがオフィスであろうがどこだろうが関係ない。なかなか素敵なエフェクトだ。あなたはたちまちバーチャルワールドに放り込まれ、タイタンに行ってサノスから“リアリティ・ストーン”を奪還せよと指令を受ける。そこで実際にサノスと対峙するなら、あるいは自ら下した何らかの判断がストーリー展開に影響するなら、確かにクールと言えなくもない。だが目の前で起きるのはキャプテン・マーベルとサノスとの取っ組み合いと、それからいくつもの破片に“砕け散った”リアリティ・ストーンが、あなたが念力でそれを掴み取るまで、ただゆっくりと画面を横切っていくだけの映像に過ぎない。

あなたがそれをただ静観していたとしてもいかなる危機も訪れず──時間制限も、敵に襲われることもない──、そこでゲームとは異なるVision Proのストーリーを体験することへの限界に気付かされる。「ノーホエア(Knowhere)」や「シベリア1988(Siberia 1988)」といったステージがあるが、コレクターのケースをいくつ破壊したところで、あるいは砲台を破壊するレッド・ガーディアンを下手くそならが手伝ったところで、あなたの行動がストーリーの流れを左右するような局面は(最終版のちょっとした一点を除いて)ひとつも現れない(「シベリア1988」ではあなただって手こずるはずだ。少なくともわたしがプレイした限りでは、ブラストは拳の中心ではなく小指付近から放射されているように感じられた。そのため、ボブ・ユッカー[編註:米メジャーリーグベースボールの中継実況アナウンサー]の言葉を借りれば、ショットはどれもほんのちょっとだけ外側に外れて着弾する)。

全体として、あの『きみならどうする?(Choose Your Own Adventure)』[編註:読者が主人公となり、場面ごとに行動を選択しながら物語を進めていく子ども向けのゲームブックシリーズ]を彷彿とさせる仕上がりだ。結末を言うのはネタバレになるので避けるが──かなり残念なオチとだけ言っておこう──、ストーリー自体はそれなりに楽しめたからこそ、なおさら無情に弄ばれただけのような印象が残った。没入型エンターテイメントの相変わらずの課題だ。

テクノロジーやゲームとしては特に面白くもなかったというのが「What If...?」を1時間試した感想で、それ以上の言葉をもち合わせていないが、それでも可能性には興味を引かれた。もしマーベルがVision Proの領域をさらに拡張したり、複数のチャプターが組み合わされたり、あるいはあの世界の中をどうにかして動き回って探索したりできるようになれば(例えば、映画『ゴールデン・アイ』のようなスタイルはどうだろうとゲーム開発者と軽口を交わした)、もしかしたら本当に面白いものができるかもしれない。全人類を救うという大きな使命があるはずなのに、ただソファに座って魚みたいに手をばたつかせているだけでは、どうしても盛り上がりに欠けてしまう。極論を言えば、ジャングルクルーズに乗せられているかのような気分になっただけで、展開しているはずのアクションやストーリーを実感できず、こちらが何をどうしようが無意味に思えたのだ。

可能性をいかに拡張できるか

もしかすると、ぶっ飛ぶような体験など、そもそもどうでもよかったのかもしれない。「What If...?」のディレクターであるデイヴ・ブショアによれば、これは「できるだけ多くの人の目に触れること」を目的としながら、マーベルというブランドやキャラクター、そして同社が押し拡げようとしている境界線についての「会話を継続させる」ための実験なのだ。マーベルにとってはそれこそがVision Proユーザーに向けて「What If...?」の無料提供に踏み切った理由のひとつだ。ただし、1年ほど前にこのパートナーシップが結ばれた時点でマーベルとアップルが期待したよりも、ユーザー層が脆弱だったとは言えるだろう。

まだヘッドセットをもっていないファン向けの「What If...?」体験イベントをマーベルは計画しているとブショアは言う。数年前にThe Void[編註:エンターテイメントやアトラクションに特化したVR体験施設]で催されていた『アベンジャーズ/ダメージ・コントロール』のようなVR体験イベントになりそうだ。

「What If...?」はまだ幕を開けたばかりだ。前出のヴォリスによれば、ディズニーがこのプロジェクトへの投資に踏み切った理由のひとつが、可能性の拡張にあるという。「わたしたちはクリエーターに対して、もっと大きなツールボックスと、さらに広大なキャンバスを与えたいのです」とヴォリスは言う。「目の前の丘の頂上に立つまで、その先にある次の丘は見えてきません。いま、わたしたちが立っているのはまだ最初の丘でしょう。でもこの丘の向こうにはいくつもの丘が見えていて、これから実行したいアイデアがたくさんあるのです」。マーベルにはビジョンがあると、ヴォリスは語気を強める。ただそれは、現時点ではまだ人々の目に届いていないだけなのだ。

(Originally published on wired.com, translated by Eiji Iijima/LIBER, edited by Michiaki Matsushima)

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