いまなお、肉体を駆使し演じ続ける意味。ジャッキー・チェン、アクション俳優人生を語る

アクションスターのジャッキー・チェンが、初めてスタントマン/アクション俳優を演じた最新作『ライド・オン』。70歳を迎えた彼は、昔気質な主人公にいかに自分を重ね合わせ、テクノロジーによる変化の波が押し寄せる映画界において、なぜ、いまなお自身の肉体で演じ続けるのか。その思いを訊いた。
いまなお、肉体を駆使し演じ続ける意味。ジャッキー・チェン、アクション俳優人生を語る
Photograph: Shintaro Yoshimatsu

「逆にインタビューしてもいいかな?」。取材が始まるやいなや、ジャッキー・チェンは無邪気に、優しい笑顔でそう切り込んできた。「あなたはこの作品をどう思った?」

映画『ライド・オン』(原題:龍馬精神)は、香港映画界伝説のスタントマンと言われた主人公、ルオ・ジーロンを演じるジャッキー・チェンの最新作だ。ルオはケガで第一線を退き、借金取りに追われながら、愛馬・チートゥとエキストラなどの地味な仕事をこなす日々を送っていた。ところがある日、チートウの元持ち主だった友人ワンの債務トラブルが原因で、チートゥが競売にかけられる危機に。困ったルオは、昔ながらの体を張った危険なスタントに固執する彼を受け入れられず疎遠になっていた、ひとり娘のシャオバオを頼る──。

映画『ライド・オン』は絶賛公開中! 配給:ツイン ©2023 BEIJING ALIBABA PICTURES CULTURE CO.,LTD.,BEIJING HAIRUN PICTURES CO.,LTD.

本作は、100本を優に超えるジャッキーの長いキャリアのなかで、初めてスタントマン/アクション俳優の役を演じた作品だ。さらに、ルオはジャッキーと同じく香港出身という設定である。

VFX技術が進歩するなかで苦悩し、体を張ることが若い世代の製作者たちに「古い」と言われるルオ。彼の過去を振り返るシーンで流れる、ジャッキーの過去出演作のアクションシーン。境遇は異なれど、ジャッキー・チェンのアクション俳優としての人生を重ねた自己投影的な作品と読み取ることもできる。

ジャッキー・チェンがジャッキー・チェンを演じる──。そうした意味で、本作を「ジャッキー・チェンの集大成」と銘打つことは、決して間違ってはいないだろう。

おそらく多くのオーディエンスは、作品にジャッキーと自身の物語を重ねることになる。個人的にも、初めて映画館に足を運んだジャッキー出演作は『燃えよドラゴン』(ジャッキーはスタントマンとして出演)という父と、あらゆる出演作を鑑賞していたという母に連れられ、ジャッキーの勇姿を映画館で目にしていた。そうした記憶が、作品への感情移入を加速させるドライバーとなる。

『ライド・オン』は、ある意味アクションに固執しすぎない、幅広いオーディエンスが楽しめる王道のエンターテインメントムービーだ。それと同時に、ときに作品に不思議な味付けをする「時間」という特殊な要素を備えた作品でもある。これは、やはりジャッキーの長いキャリアというエッセンスなしには生まれないものだ。

さて、次はこちらが話を訊く番である。今年で70歳を迎えたアクションスターのジャッキー・チェンは、昔気質なルオ・ジーロンにどのように自分を重ね合わせたのか。テクノロジーによる変化の波が押し寄せる映画産業において、なぜ、いまなお自身の肉体をもって演じ続けるのか。そして、これまでの俳優人生をどう振り返るのか──。

最新主演作『ライド・オン』のプロモーションのために来日したジャッキー・チェン。70歳を迎えた彼は、テクノロジーによる変化の波が押し寄せる映画産業において、なぜ、いまなお自身の肉体をもって演じ続けるのか。

Photograph: Shintaro Yoshimatsu

“ジャッキー・チェンのための映画”ではない

──本作では長いキャリアのなかで初めてスタントマン/アクション俳優を演じています。なぜ、いま、そのような役柄を演じることを決めたのでしょうか?

最初に監督のラリー・ヤンが脚本を持ってきて出演を依頼されたとき、正直に言うと出演には消極的だったんです。「わたしについての映画を撮ってもおもしろくならないと思うけど……」とね。

新人監督でもあるし、この手の脚本は非常に難しい。ただ、むげにするのも……と思い、「もうちょっと脚本を見直したほうがいいね、また今度見せて」と、やんわり断って彼と別れたんです。それで諦めるだろうと思って(笑)

──でも、そうではなかった。

それからすぐに、彼は手直しをした脚本を持ってやってきてくれたんです。そこで彼が懸命に語る内容を聞いて、わたしは感動して涙を流した。「なるほど、この脚本は“ジャッキー・チェンのための映画”ではなく、全世界のスタントマンに敬意を表するための映画なのだ」とね。

──ある意味、ジャッキー・チェン自身の物語や思いを投影した自伝的な作品なのかと思っていましたが、それが前提ではなかったんですね。

もちろん、そういった側面もあると思います。監督はもともとわたしのファンであり、1970〜80年代の香港アクション映画の大ファンでもありました。つまり、わたしの過去や映画人生のことをほとんど知っているわけです。

それが必然的に、彼が描くストーリーテリングに落とし込まれていることは間違いありません。これについては時間を見つけて改めて監督にインタビューして、わたし自身ももっと詳しく知りたいところではありますね(笑)

劇中では激しいアクションも自らこなす。そうした姿は「ジャッキー・チェンそのもの」でもある。

©2023 BEIJING ALIBABA PICTURES CULTURE CO.,LTD., BEIJING HAIRUN PICTURES CO.,LTD.

──ヤン監督のアクション映画への熱意が、あなただけでなくスタントマンに向けられていた。それがキャリアにおいて初めてスタントマン/あなた自身を演じるという、新しいチャレンジにつながったわけですね。

はい。まさにチャレンジそのものでした。なぜなら、わたしだったらおそらくこうした(自分を重ね合わせるような)映画は撮らないと思うからです。一方で、常にさまざまな役柄に挑みたいとも思っている。

役者は役柄や脚本を選ぶわけですが、映画のよし悪しというのはつくってみないとわからないんです。よく友人に「どうしてあんなひどい映画に出たのか」「すばらしい映画を選んだね」と言われたりもするんですが、成功するか失敗するかはやってみないとわからないものです。

──つまり、失敗でもいいからやってみて、それをこれからも続けていこうと。

そうですね。だから当面は監督業はやらないつもりです。監督をやるとひとつの作品を完成させるまで数年かかってしまいますが、ほかの監督が撮る映画に出演するのであれば多くのチャレンジができる。わたしがこの2年で5作の映画に出演しているのは、そうした理由があります。

今回の作品はジャッキー自身にとっても「チャレンジそのもの」だったという。

Photograph: Shintaro Yoshimatsu

いま、肉体を使って演じることの意味

──主人公のルオ・ジーロンはアクションに命をかけることもいとわない人物で、VFXのような最新テクノロジーではなく、身体を頼りに演技をすることにこだわりをもっている。そうした精神は劇中では「昔気質」と表現され、若い監督はそれを「古い」と指摘しています。テクノロジーが進化するなかで、人間が自身の肉体を使って演じることに対するジャッキーさんの思いをルオ・ジーロンに重ね合わせた部分もあるのでしょうか?

当時のわたしはCGを使うという選択肢があることも知らなかったですし、その時代にいまほどの技術があれば、命がけのアクションはやらなかったかもしれませんね。

CGを駆使したハリウッドのすばらしいところは、激しいアクションをできない役者が──といっても、ほとんどの役者がアクションなどできないわけですが──アクション映画に出演できることです。つまり、どんな役者でもカンフースターになれて、制作サイドはあっという間にカンフー映画をつくれる。極端なことを言えば、アクションシーンの前後だけ演技をして、あとはすばらしい技術とスタントマンが何とかしてくれる。わたしだって、そんなふうにやりたいですよ(笑)

──しかし、その選択をしてこなかった。

十分な予算がないけれど、いい映画をつくらなければならない。そんな環境のなかで期待に応えるために、危険なアクションに挑んでいました。そうすると人間はだんだん慣れていくんですね。本当にばかだったと思いますよ(笑)

でも、CGを使うことを選択してその土俵で戦っていたら、ハリウッドに太刀打ちなどできなかったでしょうね。それに、CGがあるなかでも自分の肉体を通してアクションを演じてきたからこそ、ファンはジャッキー・チェンのことを観てくれるのだと思います。

──不思議ですね。技術が不足していた当時も、技術が進歩したいまも、いや、いまだからこそ、オーディエンスは肉体を使って演じるリアリティーをジャッキーさんに求める。

だから、わたしはある意味、とても惨めな存在なわけです。わたしのファンはCGを使ってほしくない。だから、わたしもそれに応えるしかないじゃないですか。

いまの自分の年齢的に、やれること、やれないことの線引きはどうしても出てくる部分はあります。でも、できる限りやれるところまでやりたい。なぜなら、何より自分自身が「本物のアクション」を楽しんでいるからです。

『ライド・オン』には、かつての出演作のオマージュと感じられるシーンも散りばめられている。

©2023 BEIJING ALIBABA PICTURES CULTURE CO.,LTD., BEIJING HAIRUN PICTURES CO.,LTD.

かつてのジャッキー・チェンは「クソ野郎」だった

──作品のなかでは、香港出身の、しかもスタントマンを初めて演じて、ひとり娘のシャオバオとともにルオの過去を振り返るシーンでは、あなたの実際の過去出演作のアクションシーンが次々に映し出される演出がなされています。もちろん、これからも挑戦を続けていくわけですが、自己投影的な側面をもつ作品ともとれる本作を「ジャッキー・チェンの集大成」と銘打つことは間違ってもいないとも思えます。これまでを振り返り、ご自身の俳優人生はどのようなものだったと思いますか?

わたしが子役として映画界に足を踏み入れてから、今年で63年目になります。その過程で、“普通”の人間が一夜にして世界中で脚光を浴びることにもなったわけです。何というか、ひとりの“成金”が生まれたわけですね。

この経験はわたしの人生に大きな影響を与えました。言ってしまえば、若いころのジャッキー・チェンというやつは本当に“クソ野郎”だった(笑)。わたしは若いときの自分がすごく嫌いで、こういう話をするのも本当は気が進まないんです。

──なるほど。当初、本作の出演に気乗りしていなかった理由がまたひとつわかった気がします。

当時のジャッキー・チェンは、とにかくひどかった。香港にある超一流ホテルでは、ドレスコードをわざと無視して、筋骨隆々のスタントチームのメンバーたちと短パン姿で乗り込み、豪華なロビーのソファにドカンと座るわけです。周りの皆さんはわたしを羨望の眼差しで見つめ、ウェイターたちはジャッキー・チェンを追い出すわけにもいかない。そこでわたしは彼らに多額のチップを渡して納得させるんです。

でも、スタッフからは「ジャッキーさん、申し訳ありません。服装を改めていただけませんか」と言われるわけです。そうしたら、ぼくは「いいですよ」といってズボンを履き、チャックを開けたまま座る。しまいには、翌日はズボンを履いてはいるけれど、上はタンクトップを着ておちょくっていた。本当に嫌なやつでしょう?

──典型的な天狗だった、と……。

そう。周りはもち上げてくれる人ばかりで、叱ってくれるひとがひとりもいなかったんです。そうしたなかで、ファンやメディア、キャリアのなかで出会った人々、そしてあらゆる書物から、人生とは何か、人間として生きる道とはどのようなものか、何が善で何が悪なのかを学んでいきました。

そうして俳優という仕事を通じて、自分という人間が少しずつ「善き人間」へと向かえている気がします。ジャッキー・チェンのキャリアとはそのようなものだと思いますね。まぁ、わたしの数々の失敗やキャリアについてはここでは語り尽くせませんから、次に来日するときにまた話すとしましょう。

Photograph: Shintaro Yoshimatsu

(Edited by Daisuke Takimoto)

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