なぜフィンランドは「世界幸福度報告書」で3年連続首位に輝いたのか? 気鋭の哲学者が明かした、国の成り立ちと「幸福度」の関係性

毎年春に国連が発表する「世界幸福度報告書(World Happiness Report)」の2020年版世界幸福度ランキングで、3年連続首位に輝いたフィンランド。その背景には何があるのだろうか。こうした問いに迫った著書が話題となり、フィンランド語版と英語版に続いて日本語版の出版も予定されている若き哲学者、フランク・マルテラに訊いた。
なぜフィンランドは「世界幸福度報告書」で3年連続首位に輝いたのか? 気鋭の哲学者が明かした、国の成り立ちと「幸福度」の関係性
独立記念日やフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』の編纂記念日、母の日、父の日など政府が指定する日付のほか、文化人の誕生日など慣習化したフラッグデーもあり、街中には多くのフィンランド国旗が翻り、民意が共有される。

利益を再分配して高い生活水準を共有

アアルト大学を拠点とする哲学者フランク・マルテラ。国連の「世界幸福度報告書」が発表される際、国内外のメディアからコメントを求められる“ご意見番”のような人物だ。

彼は、幸福の定義について次のように話していた。自分が無理せずにできることを誰かのためにおこない、それを相手が喜んでくれたときに人は満足を得られる。つまり、誰かのために何かをして、それが相手の助けとなり、さらにはコミュニティの利益となることで得られるのが「幸福」ではないかと。

「世界幸福度ランキングはどのように算出されるのだろうか。調査項目の設計を主導したギャラップ社のジム・ハーター(Chief Scientist of Workplace Management and Well-being)は「ウェルビーイングの調査項目では、“体験“と”評価“の2つを尋ねています。体験は5つのポジティヴ体験と5つのネガティヴ体験を調査前日に経験したかどうか、評価は自分の人生を10段階で判断してもらっています」と回答している。そして、その調査に対して次の6項目が加味される。GDP、社会保障制度などの社会的支援、健康寿命、人生の自由度、他者への寛容さ、国への信頼度だ。その結果、フィンランドは2020年まで3年連続で首位に輝いている」

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そうした複数の項目から国民生活の幸福度が審査され、フィンランドは2020年まで3年連続で首位に輝いている。「国民の政府への信頼が厚く、政府も国民の期待に応えられるようによりよいサービスを届けようとする好循環があります」と、フィンランドの高い幸福度の背景をマルテラは説明する。

現在拠点を置くアアルト大学の研究室とは別に、作業やミーティングに利用しているというヘルシンキ市内中心部のシェアオフィス「Sofia Future Farm」で出迎えてくれたフランク・マルテラ。「西洋で“人生の意義(meaning of life)”という表現が生まれたのは19世紀です。神が人間を創造したという考えがそれまで一般的でしたが、19世紀に科学が発展すると、その考えでは人生をカヴァーできなくなる。そこで初めて、“人生の意義”という言葉が生まれます。日本語の“生きがい”という言葉を聞いたときに、その起源にわたしは興味をもちました」。

「フィンランドは世界で最も政治汚職の起こりにくい国のひとつであり、政府の機能が高く、市民の声を聞き、届けようと決めたことを的確に届けることができます。指導者の権限が確保されているために適切な存在感を発揮できますし、同時に市民の権利も保障されている。政府と市民の信頼関係のベースはそこにあります。無職で困っている人や病気の人々、退職者の面倒を政府がみるシステムが確立されているなど、福祉給付の充実にも政府と市民の信頼関係が表れていますし、市民の幸福度の平均値を上げています」

政府と市民の信頼関係は一朝一夕で築けるものではない。その原点がどこにあるのかをマルテラに聞くと、100年以上前からすでに政府と市民の信頼関係を大切にする風土が生まれていたという。

「北欧諸国は共通してどこも小さな国です。1809年にスウェーデンはロシアに戦争で敗れたのですが、結果としてスウェーデンは支配下にあったフィンランドをロシアから奪われました。つまり、領土の3分の1を失いました。また、デンマークも19世紀半ばにプロイセンと争い、敗れて広い領土が敵国に占拠されました。そこで北欧諸国に共通して生まれたのが、再分配の意識です。エリートが市民たちの利益を吸い取ることをせず、市民全員が政治に参加し、国の資本をきちんと再分配する仕組みをつくらなければ国力を維持できない。大国にすべてをもっていかれてしまう。そう考えるようになったのです」

中世以降、ヨーロッパに限らず世界では庶民が搾取され、支配者層であるエリートたちが国の利益を享受することが当たり前だと考えられてきた。利益を共有し、資本を再分配するという発想すらなかったのだ。高い教育水準と社会福祉の充実をおこない、国民に政治参加を求める国づくりの背景が、幸福度ランキングで北欧諸国が上位を占めている理由と重なる。

そして、長きにわたってロシアとスウェーデンの支配下に置かれたフィンランドが独立したのは1917年のこと。第2次世界大戦中もソヴィエト連邦の侵攻があるものの、フィンランドは枢軸国側に着いて戦い、独立を維持することに成功した。

「戦争が終わったとき、フィンランド人は国をよくするために何ができるかを考えたと言われています。わたしたちの祖父母の世代ですね。わたしの祖父はある会社で役員を務めていましたが、フィンランドで製鉄産業を発展させるために製鉄会社の創業に携わったと聞いています。給料は元の会社の半分になったらしいのですが、製鉄産業の発展に貢献するほうがフィンランドのためになると考え、オファーを受けたそうです。多くの国民が、国の利益を増やし、その利益を再分配して高い生活水準を生み出そうという意識を共有していたのです」

再分配の意識は、サステイナブルな社会の実現にもつながる。サステイナビリティの重要性が市民の間で共有されていることも、高い幸福度の背景にあるのではないだろうか。

「ひとつ言えるのは、物質主義的な消費はわたしたちをより幸せにしてくれるとは限りません。もし貧しい人がお金をもてば、食べ物などを買えて幸福度は高まるでしょう。しかし、十分に生活できる資本を得られるようになると、資産の増加が幸福度に与える影響は小さくなります。地球に負荷をかけて消費を増やすことの危険性と虚しさを学ぶことができますし、親しい人間関係や穏やかな時間を手に入れることで幸福を得られることがわかるからです。そうした意味では、サステイナビリティと幸福は結びついているのかもしれません」

独立100周年を記念して開館したヘルシンキ中央図書館「Oodi」蔵書フロアのバルコニーから国会議事堂を望む。市民が読書するフロアと国会議事堂の入口が同じ高さに位置するこの設計は民主主義の象徴であり、言論の自由、表現の自由を政府が保障し、均等な教育を受けられる機会を国民に約束していることを表現している。

自己決定理論と研究の還元

これまでに「幸福」に言及した論文を数多く発表し、現在はアアルト大学で「人の潜在能力(human potential)」をテーマにした講義をするなど、マルテラは研究を続けながらいくつかのテーマに触れてきた。大学で哲学を専攻したことに端を発するが、その根源的な興味を次のように説明する。

「始まりは、『人生における究極的な目標とは何なのか』という非常に大きな問いです。その答えを探すために、人生の意義とは何なんだろう、幸福とはどう定義づけられるんだろう、といった個別の問いを研究するようになりました。それは哲学的な問いであり、同時に心理学の領域でもあります。フィンランドの教育システムはとても充実していて、わたしはそのおかげで興味が広がったと考えています。高校では3年間で最低75の講義を受講することが義務づけられていて、わたしは哲学や心理学、歴史、ITなどを受講しました。合計で104の講義を受講し、結果としてその大きな問いに意識が向かったのです」

大学までの教育が無料で保証されていることを筆頭に、フィンランドの高い教育水準は世界的にも知られている。19世紀前半に市民全体の教育水準を高めるための試算をし、公共教育の整備を大規模に実施した結果なのだが、それもやはり政府と市民の信頼関係の賜物であり、市民の高い幸福度を裏付けている。

「パシ・サルベリという教育学者がフィンランドと米国の教育制度を比較しているのですが、大きな違いとして、教師の自己決定権の度合いを挙げています。フィンランドでは教育文化省が各学年の学習目標を設定してはいるのですが、その目標達成までに教師がどのような教材を用い、どのようなスタイルで授業をするのかという教育プロセスについては個々の教師に委ねられています。一方、米国では、この科目ではこの教科書を使って、この授業の順序で進めるというカリキュラムが厳密に決められています。それによって優秀な教師はストレスを感じ、教職を辞してしまう例も多いと言われています」

マルテラは心理学の「自己決定理論(self determination theory)」にも触れる。ロチェスター大学のリチャード・ライアンとエドワード・デシというふたりの教授によって確立された理論だ。人はエサや報酬などの「外発的動機づけ」がなくても、心理的欲求から何かに取り組めばそこに喜びや満足が生まれるという「内発的動機づけ」が学習や勤労に導き、そこに選択と決定の自由があること、つまり「自己決定性の高さ」が保証されていれば高いパフォーマンスと充足感が生まれるという理論だ。

「教師に自己決定権が保証されていれば、子どもたちを楽しく学ばせるために自分から多くを学んで授業のことを考えますし、それは跳ね返るようにして生徒や学生たちの学習のモチヴェイションの向上にもつながります。何を学びたいか考える自由があり、楽しみながら学べるからです」

現在、マルテラは自己決定理論の開発者であるリチャード・ライアン教授など各国の学者たちと共同研究を続け、哲学と心理学の視点からマネジメントについて大学で講義をするなど、自らの研究を実社会に役立てることを意識している。彼にとっての研究と教育活動の動機というのは、先述した「人に役立つこと」と「幸福」の関係と一致する。つまり、幸福を条件づけるものではないだろうか。

「わたしは学生たちと研究を進めたり、自分で本を読んだり、論文や本を書いたりすることを楽しんでいます。また、少額の寄附金や小さなヴォランティア活動でも人は満足感を得られるように、誰かの役に立つことは、自分自身の健康や幸福度を高めることにつながります。哲学的な探究は社会に還元されるはずですし、人々が自己肯定感を高めて幸福な社会を生み出すことにもつながります。もし宝くじに当たってお金のために働く必要がなくなったとしても、わたしは現在のような研究を続けるでしょう。そうすることで自分の生活の質に肯定的な感情ももち、幸福を感じられるはずですから」

3月末にフィンランド語版と英語版が刊行された書籍『A WONDERFUL LIFE-—INSIGHTS ON FINDING A MEANINGFUL EXISTENCE』。日本語版となる『世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない』は、ハーパーコリンズ・ジャパンから3月22日に発売予定。

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TEXT & PHOTOGRAPHS BY RYOHEI NAKAJIMA