1953年の野球
表示
(1953年の日本プロ野球から転送)
1953年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
競輪 |
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
サッカー |
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
自転車競技 |
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
相撲 |
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
日本競馬 |
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
バスケットボール |
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
バレーボール |
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
野球 |
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
■ヘルプ |
1953年の野球(1953ねんのやきゅう)では、1953年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
[編集]日本プロ野球
[編集]ペナントレース
[編集]
|
|
日本シリーズ
[編集]日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
10月10日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 4 | 南海ホークス | 大阪球場 | ||
10月11日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 5 - 3 | 南海ホークス | |||
10月12日(月) | 第3戦 | 南海ホークス | 2 - 2 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 | ||
10月13日(火) | 第4戦 | 南海ホークス | 0 - 3 | 読売ジャイアンツ | |||
10月14日(水) | 第5戦 | 読売ジャイアンツ | 5 - 0 | 南海ホークス | 大阪球場 | ||
10月15日(木) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 0 - 2 | 南海ホークス | 甲子園球場 | ||
10月16日(金) | 第7戦 | 南海ホークス | 2 - 4 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 | ||
優勝:読売ジャイアンツ(3年連続3回目) |
個人タイトル
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 大友工 | 巨人 | 岡本伊三美 | 南海 | ||
最優秀新人 | 権藤正利 | 洋松 | 豊田泰光 | 西鉄 | ||
首位打者 | 川上哲治 | 巨人 | .347 | 岡本伊三美 | 南海 | .318 |
本塁打王 | 藤村富美男 | 大阪 | 27本 | 中西太 | 西鉄 | 36本 |
打点王 | 藤村富美男 | 大阪 | 98点 | 中西太 | 西鉄 | 86点 |
最多安打 | 川上哲治 | 巨人 | 162本 | 中西太 | 西鉄 | 146本 |
盗塁王 | 金山次郎 | 広島 | 58個 | L.レインズ | 阪急 | 61個 |
最優秀防御率 | 大友工 | 巨人 | 1.85 | 川崎徳次 | 西鉄 | 1.98 |
最多勝利 | 大友工 | 巨人 | 27勝 | 川崎徳次 | 西鉄 | 24勝 |
最多奪三振 | 金田正一 | 国鉄 | 229個 | 米川泰夫 | 東急 | 180個 |
最高勝率 | 大友工 石川克彦 |
巨人 中日 |
.818 | 大神武俊 | 南海 | .704 |
ベストナイン
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 大友工 | 巨人 | 川崎徳次 | 西鉄 |
捕手 | 広田順 | 巨人 | 松井淳 | 南海 |
一塁手 | 川上哲治 | 巨人 | 飯田徳治 | 南海 |
二塁手 | 千葉茂 | 巨人 | 岡本伊三美 | 南海 |
三塁手 | 与儀真助 | 大阪 | 中西太 | 西鉄 |
遊撃手 | 平井三郎 | 巨人 | 木塚忠助 | 南海 |
外野手 | 金田正泰 | 大阪 | 堀井数男 | 南海 |
与那嶺要 | 巨人 | 別当薫 | 毎日 | |
南村不可止 | 巨人 | 大下弘 | 西鉄 |
オールスターゲーム
[編集]→詳細は「1953年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
[編集]- 第25回選抜高等学校野球大会優勝:洲本(兵庫県)
- 第35回全国高等学校野球選手権大会優勝:松山商業(愛媛県)
大学野球
[編集]- 第2回全日本大学野球選手権大会優勝:立教大
社会人野球
[編集]- 第24回都市対抗野球大会優勝:大昭和製紙
- 第3回日本産業対抗野球大会優勝:熊谷組
メジャーリーグ
[編集]→詳細は「1953年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ) (4勝2敗) ブルックリン・ドジャース(ナ・リーグ)
できごと
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
1月
[編集]2月
[編集]- 2月5日 - 大洋松竹野球団の新球団名が「洋松ロビンズ」に決定。フランチャイズは京都(衣笠球場)と下関(下関市野球場)[2]と定めるが、実際には大阪スタヂアムで大多数の主管試合を実施。
3月
[編集]- 3月12日 - NHKが日本初のテレビスポーツ番組「春休みテレビクラブ~野球教室(1)~」を放送(午後1時 - 1時15分、藤田信男出演。同番組は4月上旬まで5回放送)[3]。
- 3月21日 - パ・リーグが開幕[4]。近鉄パールス対西鉄ライオンズ(平和台球場)戦は13対13の引き分けとなり、引き分け試合の最多得点の記録を更新[5]。
- 3月28日 - セ・リーグが開幕[6]。
4月
[編集]- 4月6日 - 第6回選抜高校野球大会の決勝戦が午後2時半から甲子園球場で行われ、洲本高校が浪速商業を4-0で破り、大会初優勝を達成[7]。
- 4月9日 - プロ野球コミッショナーの井上登は、阪急が3月9日に提訴した鈴木実の阪急、巨人の二重契約問題について、巨人との契約が有効との裁定を発表[8]。
- 4月12日 - 東京六大学野球春季リーグ戦の入場式と開幕戦をNHKがテレビ中継(日本初のテレビスポーツ中継)[3]。
- 4月12日 - 広島球場での広島カープ対大洋松竹ロビンス戦のダブルヘッダー第2試合の6回戦の八回表、洋松の荒川昇治が左翼線外野ポールに当てる本塁打を打ったが、球場のファンが判定を下した審判の態度が不明確だったとしてグラウンドにビール瓶、ラムネ瓶を投げ込むなど約20分間騒ぐ。試合後もグラウンドに雪崩込む、ベンチで警察官とボールを奪い合うどの騒ぎを起こす。審判団はベンチに閉じ込められ、午後7時40分頃、警官に守られながら寄宿[9]。
- 4月24日 - プロ野球コミッショナー事務局は4月12日広島で起きたファンによる騒動を防ぐため、セ・パ両リーグに対しコミッショナー名で防止策を取るよう勧告[10]。
- 4月25日 - 名古屋の杉下茂が大阪球場での対大洋3回戦に登板し、プロ通算100勝を達成[11]。
- 4月28日 - 広島の小鶴誠が大阪球場での対洋松7回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[12]。
- 4月29日
- 4月30日 - 西宮球場のナイター設備が完成[15]。
5月
[編集]- 5月1日 - 大毎スターズの姫野好治が後楽園球場での対阪急6回戦の四回表にティム・レインズに適時三塁打を打たれ、3月30日対西鉄1回戦の4回から続いた連続イニング無失点の記録が33で止まる[16]。
- 5月6日 - 南海が大阪球場での対大映3回戦に4-5で敗れ、毎日も西宮球場での対阪急6回戦に2-4で敗れたため、近鉄が球団創設以来初の首位に立つ[17]。
6月
[編集]7月
[編集]- 7月12日 - 第24回都市対抗野球の決勝戦が後楽園球場で行われ、吉原大昭和製紙が全鐘紡に3対0で勝利し、大会初優勝を達成[21]。
- 7月16日 - 洋松の平山菊二が大阪球場での対名古屋ドラゴンズ13回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[22]。
8月
[編集]- 8月8日 - 南海の柚木進が対阪急戦(大阪)で球団初となるプロ通算100勝を達成[23]。
- 8月9日
- 8月20日 - 全国高校野球選手権大会の決勝戦が午後2時から甲子園球場にて行われ、松山商業が土佐高校を延長13回2-1で破り、3度目の大会優勝を達成[26]。
- 8月23日 - 西宮球場での阪急対毎日17回戦がプロ野球史上初めてテレビ中継される[27]。
- 8月30日 - 西鉄の大下弘が平和台球場での対大映15回戦の7回裏に左翼へ二塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成。戦後プロ入りした選手では初の達成者となった[28]。
9月
[編集]- 9月6日 - 毎日のチャーリー・フッドが大阪スタジアムでの対近鉄ダブルヘッダー第1試合の13回戦で、4回1号3ラン、5回2号3ラン、6回3号3ランと、日本プロ野球史上初の3イニング連続本塁打[29]。
- 9月27日 - 巨人は後楽園球場での対阪神ダブルヘッダーの第1試合の23回戦で12対0、第2試合の24回戦で4対2と連勝し、3年連続リーグ優勝を達成[30][31]。
10月
[編集]- 10月4日 - 毎日の選手兼任監督の若林忠志が対東急ダブルヘッダー第1試合の18回戦に先発し、5回裏に鈴木圭一郎から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。パ・リーグでは野口二郎、ヴィクトル・スタルヒンに次いで史上3人目[32]。
- 10月6日 - 西宮球場での阪急対大映18回戦で大映が阪急に0対3で敗れたため、南海の3年連続リーグ優勝が決定[33]。
- 10月7日 大映は西宮球場での対阪急ダブルヘッダー第1、第2試合にそれぞれ0対11、0対1で敗れ、パ・リーグ新記録の40イニング連続無得点となる[34]。
- 10月8日 - 大映は大阪スタジアムでの対毎日ダブルヘッダー第2試合の20回戦の9回裏に1点を挙げ、連続イニング無得点の記録が59で止まる[35]。
- 10月16日
- 10月20日 - 東都大学野球リーグの駒沢大学対日本大学4回戦で、日大先発の河内忠吾が大学野球リーグでは初の完全試合を達成[38]。
11月
[編集]12月
[編集]- 12月4日 - パ・リーグは翌年度より勝率.350に満たない球団に500万円の制裁金を科すことを決定[39]。
- 12月4日 - 洋松の監督の小西得郎が辞任[2]。
- 12月19日 - 名古屋ドラゴンズを運営する名古屋野球倶楽部は株主総会で中日新聞社と名古屋鉄道の共同経営から中日の単独経営にすることを決定[40]。
- 12月19日 - 洋松の新監督に永沢武夫が就任[2]。
- 12月25日 - 高橋龍太郎をオーナーとする新球団(翌年2月に「高橋ユニオンズ」)の加盟を承認。
- 12月27日 - 名古屋ドラゴンズが去る19日の決定を受け再び中日ドラゴンズとなる。
誕生
[編集]1月
[編集]- 1月8日 - ブルース・スーター(+ 2022年)
- 1月12日 - テリー・ウィットフィールド
2月
[編集]- 2月4日 - 寺田吉孝
- 2月7日 - ダン・クイゼンベリー(+ 1998年)
- 2月23日 - フレッド・クハウルア
3月
[編集]- 3月8日 - ジム・ライス
- 3月11日 - スティーブ・マクナルティ(+ 1991年)
- 3月14日 - ティム・アイルランド
- 3月22日 - 笠間雄二
4月
[編集]5月
[編集]- 5月2日 - 佐々木信行
- 5月3日 - 田村政雄
- 5月3日 - 若林憲一
- 5月10日 - ケネス・ハワード・ライト
- 5月12日 - テーラー・ダンカン(+ 2004年)
- 5月14日 - 後藤寿彦
- 5月15日 - ジョージ・ブレット
- 5月16日 - 剣持節雄
- 5月18日 - 中司得三
- 5月29日 - マイク・デュプリー
- 5月30日 - 庄司智久
- 5月30日 - 岩井隆之
6月
[編集]7月
[編集]8月
[編集]9月
[編集]- 9月2日 - ダニー・グッドウィン
- 9月25日 - リチャード・デービス
- 9月29日 - ウォーレン・クロマティ
- 9月30日 - ダン・ゴンザレス
- 9月30日 - ジェームス・ピータース
10月
[編集]11月
[編集]- 11月1日 - ジーン・ダットサン
- 11月10日 - ラリー・パリッシュ
- 11月15日 - 二宮至
- 11月17日 - 春日祥之輔
- 11月17日 - 川原昭二
- 11月22日 - 岡義朗
- 11月28日 - 八木茂
12月
[編集]死去
[編集]脚注
[編集]- ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、1085頁。ISBN 4062061082。
- ^ a b c d 『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、66頁。ISBN 9784583616179。
- ^ a b 『21世紀スポーツ大事典』 大修館書店、2015年、764頁
- ^ 毎日新聞1953年3月21日夕刊3面「パ・リーグ華かに開幕 観衆四万に後楽園わく」毎日新聞縮刷版1953年3月p251
- ^ 宇佐美徹也 1993, p. 571.
- ^ 毎日新聞1953年3月28日夕刊3面「セ・リーグも開幕」毎日新聞縮刷版1953年3月p335
- ^ 毎日新聞1953年4月7日5面「初陣の洲本高優勝 快打を放ち"先制" 北口好投 浪商を零敗に」毎日新聞縮刷版1953年4月p77
- ^ 朝日新聞1953年4月10日5面「阪急の異議認めず 鈴木投手の二重契約」朝日新聞縮刷版1953年4月p129
- ^ 朝日新聞1953年4月13日7面「野球ファン大暴れ ホームランの審判態度に憤慨 大洋洋松対広島 小西監督らを殴る」朝日新聞縮刷版1953年4月p155
- ^ 朝日新聞1953年4月25日5面「ファン騒動防止 プロ野球コミッショナー勧告」朝日新聞縮刷版1953年4月p301
- ^ 毎日新聞1953年4月26日5面「好調国鉄、藤本をKO 名古屋 杉下、百勝を記録」毎日新聞縮刷版1953年3月p335
- ^ 朝日新聞1953年4月29日5面「小鶴、千回出場を達成」朝日新聞縮刷版1953年4月p349
- ^ 朝日新聞1953年4月30日5面「土井垣、千回出場を達成」朝日新聞縮刷版1953年4月p361
- ^ “藤村 富美男(ふじむら ふみお)”. 野球殿堂博物館. 2022年5月10日閲覧。
- ^ 『阪急ブレーブス黄金の歴史 永久保存版 よみがえる勇者の記憶 1936-1988』ベースボール・マガジン社、2011年、[要ページ番号]頁。ISBN 9784583617756。
- ^ 朝日新聞1953年5月2日5面「南海、東急に破る 大映姫野の無失点記録 33イニングまで」朝日新聞縮刷版1953年5月p17
- ^ 朝日新聞1953年5月7日5面「毎日、阪急に三連敗 近鉄首位へ 南海、大映に敗る」朝日新聞縮刷版1953年5月p65
- ^ 毎日新聞1953年6月14日5面「南海堀井選手千回出場」毎日新聞縮刷版1953年6月p139
- ^ 毎日新聞1953年6月26日5面「中日初ナイター 広島、名古屋を破る」毎日新聞縮刷版1953年6月p291
- ^ 朝日新聞1953年6月25日5面「大映・近鉄、延長22合 4-4 時間切れで引分け」朝日新聞縮刷版1953年6月p293
- ^ 毎日新聞1953年7月13日7面「吉原(大昭和製紙)輝く大会初優勝 都市対抗野球・熱戦の幕閉ず」毎日新聞縮刷版1953年7月p150
- ^ 朝日新聞1953年7月17日5面「平山千回出場記録」朝日新聞縮刷版1953年7月p209
- ^ ホークス四十年史 1978, p. 362.
- ^ 宇佐美徹也 1993, p. 722.
- ^ 朝日新聞1953年8月10日5面「近鉄、延長20回で勝つ 中原(南海)無四球の好投」朝日新聞縮刷版1953年8月p113
- ^ 朝日新聞1953年8月21日5面「栄冠三たび松山へ 延長13回 初陣の土佐、力闘空し」朝日新聞縮刷版1953年8月p245
- ^ 毎日新聞1953年8月24日5面「大映、再び首位 南海に五連勝 阪急 阿部九連勝を遂ぐ」毎日新聞縮刷版1953年8月p281
- ^ 毎日新聞1953年8月31日5面「大下千本安打を記録」毎日新聞縮刷版1953年8月p365
- ^ 毎日新聞1953年9月7日5面「近鉄に連勝、毎日四位 大映2位に フッド三連続ホーマー」毎日新聞縮刷版1953年9月p77
- ^ 読売新聞1953年9月28日4面「巨人、三年連続優勝なる 阪神を連破、偉業を樹つ」
- ^ 毎日新聞1953年9月28日5面「巨人の優勝決定す 名古屋も連勝」毎日新聞縮刷版1953年9月p329
- ^ 毎日新聞1953年10月5日5面「南海 優勝へあと一勝 近鉄、四度目の最下位決る 大映は西鉄に連敗」毎日新聞縮刷版1953年10月p53
- ^ 毎日新聞1953年10月7日5面「南海の三連勝決る 阪急は毎日、大映を連破」毎日新聞縮刷版1953年10月p77
- ^ 毎日新聞1953年10月8日5面「阪急二位に上る 大映を連破」毎日新聞縮刷版1953年10月p89
- ^ 毎日新聞1953年10月9日5面「大映、毎日に連敗 59イニング無得点」毎日新聞縮刷版1953年10月p101
- ^ 毎日新聞1953年10月17日5面「巨人三連勝遂ぐ 日本選手権終幕 川上選手に最高殊勲 首位打者賞」毎日新聞1953年10月p189
- ^ 毎日新聞1953年10月17日5面「公式戦終る」毎日新聞縮刷版1953年10月p189
- ^ 毎日新聞1953年10月21日5面「河内投手(日大)快投す 大学野球初のパーフェクトゲーム」毎日新聞縮刷版1953年10月p237
- ^ ホークス四十年史 1978, p. 62.
- ^ ドラゴンズ70年史 2006, p. 521.