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東京都の歴史

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東京都の歴史(とうきょうとのれきし)では、現在の東京都の区域における歴史について記述する。

概説

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先史時代

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多摩丘陵にある丸池遺跡、羽根沢台遺跡、出山遺跡、天文台構内遺跡(いずれも三鷹市)では、三万年から二万年前の黒曜石石器が検出されている。黒曜石産地は伊豆箱根長野県中央高地産である。また、伊豆諸島神津島は旧石器時代の重要な黒曜石の産地となっており、南関東で広く流通していた。

古代

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古墳時代日本書紀には534年安閑天皇元年)に武蔵国で乱が起きたが、大和朝廷の助けにより笠原直使主が戦いに勝利し大和朝廷から武蔵国造であることを認知された(武蔵国造の乱)とあり、その際、笠原直使主は屯倉(大和朝廷の直轄領)を献上している。この事は、まだ大和朝廷の権力は関東までそれ程及んでいなかった事が窺える。

伝説に属するものであるが、飛鳥時代の628年推古天皇36年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網に観音像がかかり、この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)は出家し、自宅を寺に改めて供養、これが浅草寺の始まりという。その後645年大化元年)、勝海という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めたとされる(『浅草寺縁起』)。

律令制の時代

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武蔵国総社とされた大國魂神社

現代の東京都の領域は、令制国武蔵国の一角である。郡においては、東京都区部豊島郡(中心部)、荏原郡足立郡の一部、下総国葛飾郡の一部に相当する。多摩地域は多麻郡となっていた。近世初期に、葛飾郡のうち、隅田川から利根川(現代の江戸川下流)の間が、下総国から分離されて武蔵国に編入された。武蔵国は、現在の東京都全域だけでなく、埼玉県全域と神奈川県東北部を含む広い版図であるが、国府国分寺はそれぞれ現在の府中市国分寺市にあった。当初の武蔵国は、五畿七道では東山道に属していたが、771年東海道所属に変更された。

延喜式神名帳』には多磨郡小野神社一宮論社)、足立郡に氷川神社(名神大社、一宮論社)、阿伎留神社、青渭神社等が見えるが、後世武蔵国総社とされた大國魂神社や、東京の神社として著名な神田明神日枝神社の名は見えない。

この時代、新羅高句麗からの亡命者が日本に居住していたが、朝廷が渡来人に武蔵国の一部への移住を命じ、移住することになった(現在の埼玉県地域にあった新羅郡高麗郡は、それに由来する地名である)。

中世

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平安時代後期(中世)には武蔵七党と総称される在地武士団が興り、関東に進出した畿内河内源氏の家人となった。後白河天皇皇子以仁王の令旨を受け伊豆国の源頼朝が挙兵した治承・寿永の乱においては豊島氏足立氏葛西氏らが活躍している。

12世紀には豊島郡江戸郷の名が見え、この地を本拠とする江戸氏も興った。これ以後、当地は江戸と呼ばれるようになる。鎌倉時代には多摩地方に北関東から鎌倉へ至る鎌倉街道が整備され、鎌倉後期には上野国の新田義貞鎌倉幕府軍を破った分倍河原の戦いが起っている。又、1282年弘安5年)旅上にあった日蓮が武蔵国池上郷池上宗仲の屋敷で没し、その地に池上本門寺が創建された。

戦国時代には扇谷上杉氏の家宰であった太田氏が台頭し、江戸城を築いた太田道灌が武蔵国の掌握に力を注いだが暗殺され、相模国小田原城を拠点とする新興勢力である後北条氏が進出し、武蔵は後北条氏の領国となる。

後北条氏当主北条氏政の弟である北条氏照八王子城を築き、西方の甲斐国武田氏に備えた。後北条氏は豊臣秀吉小田原征伐によって1590年に滅んだ.

近世

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徳川家康

後北条氏の滅亡後、豊臣政権下においては東海地方と武田遺領である甲信地方の5ヶ国を支配していた徳川家康は関東地方(武蔵国を含むほとんど全部)への領地替えとなり、駿府城(旧静岡市)から江戸城に入る。

関ヶ原の戦いを経て家康は引き続き江戸を武家政権の所在地と定め、1603年3月24日旧暦2月12日)に江戸幕府を開き、江戸時代が到来する。ここに、首都京都でありながら、幕府の所在する江戸が実質的に日本の行政の中心地となる。幕府を開いた家康は進んで鷹狩りをやり、白金御殿などの御殿も造られた。江戸は人口の急増とともに拡大していき、18世紀初頭には人口100万人を超える世界有数の大都市へと発展を遂げていた。5代将軍徳川綱吉の時代には現在の23区内唯一の喜多見藩があったが、数年で消滅した。18世紀後半から19世紀初頭には、化政文化をはじめとする江戸独自の文化が発達し、上方に代わる文化の発信地となっていった。

多摩地方は甲州街道沿いを除いて大半が未開拓地域の乏水地帯であったが、近世には玉川上水野火止用水など用水路の開削が行われ新田開発が進展する。享保年間には将軍吉宗享保の改革において江戸町奉行大岡忠相が地方御用を兼任し武蔵野新田開発が行われ、江戸中後期には多摩地方に諸村落が成立する。

明治維新から第二次世界大戦まで

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1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の徳川慶喜による大政奉還1868年1月3日(慶応3年旧暦12月9日)の王政復古クーデターによって江戸幕府が崩壊し、同年5月3日(慶応4年(明治元年)旧暦4月11日)の江戸城開城によって江戸は新政府の支配下に入った。7月1日旧暦5月12日)、新政府は江戸府を設置し[1] [2] [3]9月3日旧暦7月17日)に江戸が東亰(後に東京)と改称されると[4] [5]、江戸府も東京府と改称された[1] [6]1869年明治天皇皇居(東京城、旧江戸城)に入ると、東京は近代日本の事実上の首都となった(東京を首都とする法的根拠はないとする意見もある。東京奠都を参照)。

1868年(明治元年旧暦5月19日)に寺社奉行町奉行勘定奉行を廃止して社寺裁判所市政裁判所、民政裁判所を設け[7] [6] [8]、南町奉行所は南市政裁判所、北町奉行所は北市政裁判所と改めた[9] [10]。 同年(旧暦7月17日)に市政裁判所を廃止して東京府を置くことになり[11] [12]、南北市政裁判所は合併し[9]、同年(旧暦8月17日)に東京府幸橋御門内(現在の東京都千代田区内幸町1丁目)の旧郡山藩柳沢家上屋敷を東京府庁にあてた[9] [13]。改装工事のため南裁判所で府庁の事務を開始し[9]、同年(9月2日)にすべての業務が南裁判所から府庁へ移された[9] [13]。 東京には全国から新政府に仕える人々が集まり、多くは皇居周辺(後世の山手線内側)に住んだ。これが山の手族の起源である。また、築地には外国人居留地が設けられ、銀座には西洋風の煉瓦街が作られて、文明開化が進んだ。

廃藩置県後の1871年12月25日(明治4年11月14日)、東京府のほか関東地方に存在していた各県が廃止され、武蔵国荏原郡豊島郡、および足立郡葛飾郡のそれぞれ一部を管轄区域とする東京府が改めて設置されることとなった。このとき旧来の東京府の区域については6大区の下に97小区を置く「大区小区制」が敷かれ、一方廃止された品川県浦和県小菅県、および世田谷に飛地を有していた長浜県からの行政の移管は半年ほどかけて順次行い、旧県時代の区割りのままとした。この際に神奈川県の管轄となった多摩郡のうち、現在の中野区、杉並区の区域が翌1872年(明治5年)東京府に移管され、管轄区域は現在の東京都区部(23区)のうち練馬区西部(後の大泉町)及び世田谷区西部(後の砧村及び千歳村)を除いた区域となった。その後1873年(明治6年)3月18日に大区小区の区割りが全域一貫したものとなり、総計11大区103小区となった。

1878年(明治11年)郡区町村編制法に基づき、東京府内の中心市街地に麹町区以下の15区が、同年11月2日に編成された。市街地に隣接する区域は荏原郡東多摩郡南豊島郡北豊島郡南足立郡南葛飾郡の6郡に編成される(このうち、東多摩郡と南豊島郡は1896年(明治29年)4月1日に統合されて豊多摩郡となった)。また、同年1月11日より、伊豆諸島が東京府の管轄となった[14]1889年(明治22年)5月1日市制特例による特別市制により東京市が発足し、1899年(明治32年)10月1日には、市制特例を廃止し、東京市は一般市制による一般市となった。1893年(明治26年)4月1日、神奈川県に属していた三多摩を東京府に編入した。

大正期に入ると、東京市への人口流入は更に進み、1920年の人口は370万人になったが、1923年(大正13年)9月1日には関東大震災に襲われ、特に下町が大打撃を受け、一時、明治時代に明治政府による藩債処分により大打撃を受けた面積が半分程度の大阪市の人口が東京市を抜くことにもなった。近衛文麿政権以後の政権は、戦時体制を敷いて、経済・産業・文化・芸術・教育、その他あらゆる分野の中枢を東京に集めた。

三多摩にも市ができた。1917年(大正6年)、東京府南多摩郡八王子町は市制を施行し、東京府八王子市となった。原内閣郡制廃止後の1940年昭和15年)、東京府北多摩郡立川町が市となり、東京府立川市となった。この時点で、東京府には、東京府東京市と八王子市と立川市の3市があった。

第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日には、東京市と東京府は廃止され、東京都が設置された。初代東京都長官は、内務省出身の大達茂雄であった。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)3月10日には東京大空襲によって下町を中心に甚大な被害を受け、都庁舎も失った。その後の空襲による被害もあわせて、市街地の多くが焼け野原と化した。また、小笠原諸島硫黄島では地上戦が行われ、日米両軍が多大な犠牲を払った戦いとなった[15]。第二次世界大戦の終結により、旧日本軍の基地や施設は、連合国軍に順次接収された。208ヶ所あった都内の米軍基地は、多年にわたる取組みの歴史を経て、現在は8ヶ所になっている。

年表

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古代

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武蔵国の位置

中世

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江戸時代

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名所江戸百景 駿河町(歌川広重

明治から第二次大戦まで

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玉川上水
1923年(大正12年)9月1日
関東大震災発生
1936年(昭和11年)11月7日竣工
国会議事堂完成
1945年(昭和20年)5月26日
東京大空襲
  • 1869年(明治2年)朱引内外地画定(3月25日。旧暦2月13日) / 名主制廃止(4月21日。旧暦3月10日) / 中、添年寄任命(4月22日。旧暦3月11日) / 市内50区制制定(5月2日。旧暦3月21日)/ 郡政方支配所村町を5区に分ける。大、中年寄設置(6月17日。旧暦5月8日) / 町年寄設置(7月30日。旧暦6月22日) / 武家地を府の管理下に置く。触頭設置(12月4日。旧暦11月2日) / 軍務官所轄市中取締兵隊をもって府兵を編成。府下を6大区に分けて取り締まる(12月17日。旧暦11月15日) / 明治天皇再び東京に行幸、東京城を皇城と改称 / 築地外国人居留地設置
  • 1870年(明治3年)武蔵国葛飾郡中2村を編入。町年寄罷免(5月27日。旧暦4月27日) / 常陸国鹿島郡居切村掘割場を編入(7月2日。旧暦6月4日) / 根室国花咲郡根室郡野付郡を編入(7月10日。旧暦6月12日) / 町年寄改置(10月29日。旧暦10月5日) / 根室国花咲郡、根室郡、野付郡を根室国へ移管(12月1日。旧暦閏10月9日)
  • 1871年(明治4年)朱引内44区、朱引外25区とする(7月30日。旧暦6月13日) / 廃藩置県(8月29日。旧暦7月14日) / 朱引外区称改正、朱引内44区に続けて45区より69区とす(10月3日。旧暦8月19日) / 品川県荏原郡豊島郡多摩郡の一部を編入(12月16日。旧暦11月5日) / 旧東京府廃止、新東京府設置(12月24日。旧暦11月13日) / 浦和県豊島郡中29村を編入(12月28日。旧暦11月17日)
  • 1872年(明治5年)触頭廃止(1月1日。旧暦明治4年11月21日)/ 多摩郡中32村を神奈川県へ移管(1月3日。旧暦明治4年11月23日) / 府下6小学校を文部省へ移管。(1月5日。旧暦明治4年11月25日) / 市内外を一括、6大区とする。戸長副戸長任命(1月8日。旧暦明治4年11月28日) / 利根川寄州開墾地を新治県(2月1日。旧暦明治4年12月23日) / 府下市街地に地券を発行、課税を布告。武家地廃止(2月5日。旧暦明治4年12月27日) / 彦根県所轄荏原郡中10村を編入(3月3日。旧暦1月24日) / 築地銀座大火(4月3日。旧暦2月26日) / 煉瓦街建設開始(4月20日。旧暦3月13日) / 旧戸長副戸長廃止、戸長新設(5月13日。旧暦4月7日) / 大小区事務扱所を大小区扱所へ改称(5月15日。旧暦4月9日) / 邏卒総長区長権区長設置(5月19日。旧暦5月13日) / 町会所廃止(6月4日。旧暦5月29日) / 営繕会議所設置(9月12日。旧暦8月10日) / 神奈川県多摩郡中32村を編入(9月21日。旧暦8月19日) / 邏卒を司法省に移管(9月25日。旧暦8月23日) / 営繕会議所附養育院設立(11月15日。旧暦10月15日) / 営繕会議所を会議所に改める(11月28日。旧暦10月28日) / 違式詿違条例布達(12月8日。旧暦11月8日)
  • 1873年(明治6年)養育院を上野に設置(2月5日) / 朱引内外各区画変更(3月17日) / 浅草寺寛永寺増上寺富岡八幡飛鳥山の5公園を決定(3月25日) / 町用掛改定(4月17日) / 皇居火災により赤坂離宮を仮皇居とする(5月5日)
  • 1874年(明治7年)警視庁設置(1月15日) / 朱引内小区改定(1月25日) / 府下大小区画改定、11大区103小区とする(3月8日) / 銀座ガス灯点火(12月11日) /

東京府豊島郡岩淵町埼玉県北足立郡川口町間の従前の境界を廃し荒川の中央を持って境界とする。(12月22日)

昭和後期(第二次大戦後)

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1958年、東京タワー完成
1964年、東海道新幹線開通
1964年、東京オリンピック開催

平成期

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1991年、東京都庁舎開業
2012年、東京スカイツリー完成

令和期

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  • 2020年(令和2年)COVID-19により東京オリンピックパラリンピック延期
  • 2020年(令和2年)COVID-19感染拡大により4月7日及び11日から同年5月25日まで、東京都が緊急事態措置等を発令[24]
  • 2021年(令和3年)1月8日から9月30日まで順次期間を延長しながら、東京都が緊急事態措置等を発令[25]
  • 2021年(令和3年)東京オリンピック・パラリンピック開催(二回目)
  • 2027年(令和9年)中央新幹線品川駅開業予定 / Torch Tower完成予定

行政区画の変遷

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脚註

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  1. ^ a b 内閣官報局 編「明治元年 第387 江戸府ヲ置ク(5月12日)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、160頁。NDLJP:787948/131 
  2. ^ 「江戸府ヲ置キ木村重任等ヲ以テ判事ト為ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070253000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第三十一巻・官規・任免七(国立公文書館)
  3. ^ 「江戸府ヲ置ク」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070482200、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第六十二巻・地方・行政区一(国立公文書館)
  4. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第557 江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書(7月17日)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、205頁。NDLJP:787948/162 
  5. ^ 「江戸ヲ東京ト称ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070000500、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第一巻・制度・詔勅・臨御親裁・禁令・布令掲示(国立公文書館)
  6. ^ a b 「江戸鎮台ヲ置ク」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070104000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十六巻・官制・文官職制二(国立公文書館)
  7. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第402 江戸鎮台ヲ置キ三奉行ヲ廃シ社寺市政民政ノ三裁判所ヲ設ケ職員ヲ定ム 付:参照 士分乱妨之者市政裁判所ニ取締ノ儀伺ニ指令(5月19日)(布)(大総督府)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、160頁。NDLJP:787948/133 
  8. ^ 「社寺裁判所民政裁判所及ヒ市政裁判所ヲ江戸ニ置ク」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070104100、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十六巻・官制・文官職制二(国立公文書館)
  9. ^ a b c d e 東京都公文書館 (2020年10月). “平成20年度第3回ロビー展示 東京文化財ウィーク2008参加企画事業 東京府の開庁 ~町奉行所・市政裁判所・東京府~ 展示資料解説” (pdf). 東京都公文書館. 展示・講演会. 東京都公文書館. pp. 2-3. 2023年12月23日閲覧。
  10. ^ 「市政裁判所ヲ置ク」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070482300、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第六十二巻・地方・行政区一(国立公文書館)
  11. ^ 「市政裁判所ヲ廃シ東京府ヲ置ク」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070482400、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第六十二巻・地方・行政区一(国立公文書館)
  12. ^ 「東京府開庁マテ市政裁判所ノ名目ヲ存ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070482500、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第六十二巻・地方・行政区一(国立公文書館)
  13. ^ a b 東京都公文書館 (2020年4月). “所蔵資料(アーカイブズ)を読む 第1回 教材” (pdf). 東京都公文書館. 所蔵資料(アーカイブズ)を読む. 東京都公文書館. pp. 3-4. 2023年12月23日閲覧。
  14. ^ a b c 明治11年太政官布告第1号 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  15. ^ a b c 歴史:硫黄島 « 小笠原村公式サイト
  16. ^ a b c d e 沿革 « 小笠原村公式サイト
  17. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、35頁。ISBN 9784816922749 
  18. ^ 雨量新記録、東京の浸水十戸万戸に『東京日日新聞』(昭和13年6月30日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p220 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  19. ^ 死者・不明百人越す、関東各地の被害『東京日日新聞』(昭和13年9月3日夕刊)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p224
  20. ^ a b 連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号 独立行政法人 北方領土問題対策協会 Archived 2015年9月28日, at the Wayback Machine.
  21. ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、358頁。ISBN 4-00-022512-X 
  22. ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、150頁。ISBN 9784816922749 
  23. ^ 日外アソシエーツ編集部編『日本災害史事典 1868-2009』p.157
  24. ^ 新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置等期間の延長について(令和2年5月5日発表)【令和2年5月25日をもって緊急事態措置終了】”. 東京都 (2020年5月5日). 2023年9月11日閲覧。
  25. ^ 東京都緊急事態措置等に関する情報”. 東京都 (2023年). 2023年9月11日閲覧。
  26. ^ 歴史:南鳥島 « 小笠原村公式サイト
  27. ^ 本邦島嶼領有関係雑件 3. 沖ノ鳥島(小笠原附近)」 アジア歴史資料センター Ref.B02031163800 

関連項目

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参考

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東京の歴史を見ることができる資料