コロンビア ピクチャーズ
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2021年12月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
以前の社名 |
Cohn-Brandt-Cohn (CBC) Film Sales Corporation (1918–1924) Columbia Pictures Corporation (1924–1968) |
---|---|
種類 | 事業部門 |
業種 | 映画 |
設立 |
|
創業者 |
ハリー・コーン、ジャック・コーン ジョー・ブラント |
本社 | カリフォルニア州カルバーシティ、 |
事業地域 | 世界中 |
製品 | 映画 |
所有者 | ソニーグループ |
親会社 | ソニー・ピクチャーズ モーション ピクチャー グループ |
子会社 | ゴースト・コープ[1] |
ウェブサイト |
sonypictures |
脚注 / 出典 [2] |
コロンビア・ピクチャーズ・インダストリーズ(英語: Columbia Pictures Industries, Inc.)は、アメリカ合衆国の映画スタジオ・製作会社。日本の多国籍コングロマリットであるソニーグループの子会社でありアメリカの主要映画スタジオ「ビッグ5」の一つであるソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの部門モーション ピクチャー グループの一員である。
1918年6月19日、ジャックとハリー・コーン兄弟とビジネスパートナーのジョー・ブラントによって、コーン・ブラント・コーン(CBC)フィルム・セールス・コーポレーションとして設立され、1924年にコロンビア・ピクチャーズに改名した。1990年以降、カリフォルニア州カルバーシティの旧MGMスタジオ(現在はソニー・ピクチャーズ・スタジオ)の敷地内にあるアーヴィング・タルバーグ・ビルディングに本社を置いている。
歴史
[編集]CBC創設初期
[編集]映画会社のユニバーサル・ピクチャーズで働いていたジャック・コーン、ジョー・ブラント、ジャックの弟のハリー・コーンが自分たちの映画会社を設立しようと独立。短編映画の製作から始まり、1920年にCBC Film Sales Corporationを創設。
組織改編と新社名
[編集]1924年にCBCを「コロンビア」に改名した。
1929年の大恐慌で中小のスタジオは潰れたが、1933年から社長になったコーンと映画監督のフランク・キャプラは『或る夜の出来事』('34)、『オペラハット』('36)、『スミス都へ行く』('39)を成功させ、後発で弱小のコロンビアがメジャー会社の一つに数えられた。
短編作品
[編集]1940年代
[編集]スクリーンジェムズ
[編集]1950年代
[編集]1960年代:ハリー・コーンの死後
[編集]- 1968年、コロンビアはスクリーン ジェムズと合併。Columbia Pictures Industries, Inc.になった。
1970年代
[編集]1980年代 コカ・コーラ、トライ・スター、その他の買収およびベンチャー企業
[編集]コロンビア・ピクチャーズ・エンターテインメント時代(1987年 - 1989年)
[編集]ソニーの傘下へ (1989年 - )
[編集]1989年には日本の家電大手のソニーが、豊富なコンテンツを入手することを目的に48億ドルで買収した。しかし、この頃の日本はバブル景気を背景にした「外国資産の買いあさり」と日米経済摩擦の時期に重なったことや「映画はアメリカの魂」と言われていたこともあり、この買収を巡ってはアメリカ国内で激しいジャパンバッシング(日本叩き)が起きた。一例として、アメリカの週刊誌である「ニューズウィーク」は『日本、ハリウッドを侵略』とのタイトルで後述のコロンビアレディに着物を着させて芸者に扮した表紙を掲載した[注 1][3][4]。
買収当初に経営を任せたのはピーター・グーバー(Peter Guber)とジョン・ピーターズ(John Peters)だった。
当時、大手映画会社は複合企業の傘下にあった。そこのトップ、例えばスティーブ・ロス(ワーナー)やルー・ワッサーマン(MCA)、チャールズ・ブルードーン(ガルフ&ウェスタン)が超大物と目されていた。これと別の実力者としては芸能エージェンシーのトップ、例えばマイケル・オーヴィッツがいた。
コロンビアを買収したソニーは経営にオーヴィッツを招こうとしたが失敗した。ここでCBSレコードのウォルター・イエトニコフが、その年に世界最大のヒット作を製作したグーバー&ピーターズを経営者に推薦した。
イエトニコフが両者を推薦した背景には、ライバルたちの存在もあった。ソニーに買収される前のCBSはテレビ局傘下だったのに対し、デビッド・ゲフィン(ワーナー)やアーヴィング・アゾフ(MCA)は親分の筋からハリウッドにも顔が利いたし、自分の会社を持っていたため収入でイエトニコフは差をつけられていた。盛田や大賀が傍にいないため調子に乗ったともされる。
問題はグーバー&ピーターズはワーナーと五本の映画を製作する契約を済ませていたことだった。これはスティーブ・ロスの面子を潰す行為であり、ロスは報復として10億ドルの訴訟を起こした。違約金だけで7億5000万ドル以上、その他にもソニーから多くを巻き上げた。コロンビア映画とは提携してきたため、財布の中身も分かっていた。米国の世論はロスに喝采を叫んだ。ここから二人が解雇されるまでソニーは食い物にされた。
1990年代
[編集]買収当初はヒット作に乏しく、巨額の赤字を計上したためにソニーによる買収が失敗だと評されたが、1990年代後半からエンターテインメント大作のヒットを複数出すなど復調傾向を見せ、近年ではシリーズ物を中心にアメリカ市場で常に上位のシェアを占めている。一例を挙げると、2006年度のアメリカ国内の興行成績は、ソニーが18.6%のシェアを確保して第1位であった。
2000年代
[編集]2010年代
[編集]2020年代
[編集]ロゴ
[編集]コロンビア・ピクチャーズのロゴは、たいまつを持ち、ドレープ(アメリカ合衆国の擬人化であるコロンビアを表す)をまとった女性、トーチ・レディを特徴としており、5回の変更を行っている[5][6][7]。このロゴは、コロンビア・ピクチャーズのロゴのインスピレーションとなった自由の女神とよく比較される[7]。
歴史
[編集]- オープニングは"COLUMBIA"のロゴとトーチをかざす女性。自由の女神に似ているが「コロンビアレディ」と称される別人である。20世紀スタジオ同様ロゴそのものをパロディにする映画もある[注 2]。
- 2014年公開の『アメイジング・スパイダーマン2』以降の作品では一部仕様が変更されており、オープニング導入部(アバンタイトル冒頭)でソニーのモーションロゴ(ロゴマークとサウンドロゴ)が追加された[注 3]ほか、クレジットも"a SONY PICTURES ENTERTAINMENT company"から"a Sony Company"に変更され、ソニーグループであることが強調されている。
- 2021年公開の『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』では、同年リニューアルされたモーションロゴに合わせてロゴマーク出現時にグラデーション効果が施された。「ソニー#ブランドメッセージ」も参照
- 子会社のトライスター ピクチャーズではコロンビアレディの代わりにペガサスが描かれている。
作品一覧
[編集]1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
- アラビアのロレンス
- ナバロンの要塞
- 博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
- 未知への飛行
- 愚か者の船
- コレクター
- イージー・ライダー
- わが命つきるとも
- いつも心に太陽を
- 招かれざる客
- 渚にて
- キャット・バレー
1970年代
1980年代
1990年代
- レナードの朝
- マイ・ガールシリーズ
- ア・フュー・グッドメン
- ウルフ
- プリティ・リーグ
- ショーシャンクの空に
- ザ・シークレット・サービス
- レジェンド・オブ・フォール
- エアフォース・ワン(日本ではブエナ・ビスタが配給)
- スチュアート・リトルシリーズ
2000年代
- スパイダーマンシリーズ
- マスク・オブ・ゾロシリーズ
- メン・イン・ブラックシリーズ(日本では『3』のみ東宝東和が配給。)
- チャーリーズ・エンジェルシリーズ
- ラストサマーシリーズ
- バッド・ボーイズシリーズ
- ゴーストライダーシリーズ
- ダ・ヴィンチ・コードシリーズ
- パニック・ルーム
- ブラックホーク・ダウン
- 奥さまは魔女
- ゾンビランド
- カンフーハッスル
- ミラクル7号
- 呪怨シリーズ
- 2012
- S.W.A.T.
- 007 カジノ・ロワイヤル
- 007 慰めの報酬
2010年代
- スマーフシリーズ(日本では一部の作品は東宝東和が配給)
- ソルト
- ソーシャル・ネットワーク
- ホワイトハウス・ダウン
- ANNIE/アニー
- ピクセル
- アングリーバード
- マグニフィセント・セブン
- パッセンジャー
- ダークタワー
- ブレードランナー 2049
- ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル
- ピーターラビット
- ヴェノム
- 007 スカイフォール
- 007 スペクター
2020年代
日本映画との関わり
[編集]2017年現在、米国ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント(以下「SPE」)傘下であるコロンビア映画が日本映画の配給に携わった例はない[注 4]。しかし、2017年の『斉木楠雄のΨ難』以降、SPEの日本支社であるソニー・ピクチャーズ エンタテインメント(以下「SPEJ」)が製作・配給する日本映画で、コロンビア映画のオープニングロゴ(後述)が使用されており、日本における両社の区別が曖昧になっている。なお、コロンビア映画とSPEJは同じソニーグループで、どちらもSPEの子会社にあたり、間接的には関係しているものの、直接的な関係性についての詳細は不明である。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 同誌日本版では『ソニー進撃』とのタイトルでアメリカ版と同様の表紙を掲載した[3]。
- ^ アニメ化して踊り出す、足元のネズミに驚いて台から逃げ去るなど。『メン・イン・ブラック2』では本編中のある描写同様に閃光を発し、2019年の『ゾンビランド:ダブルタップ』で乱入した2体のゾンビをトーチの一撃で倒す腕っぷしの強さも見せた。
- ^ ただし、ほかの配給会社のロゴが先に示された場合、モーションロゴが省略されることもある。
- ^ 呪怨シリーズなど、日本映画からアメリカ映画へのリメイクは存在する。
出典
[編集]- ^ “Ghost Corps, Inc., a subsidiary of Columbia Pictures Industries, Inc.”. sonypictures.com. January 30, 2020閲覧。
- ^ “Divisions – Sony Pictures”. sonypictures.com. June 7, 2015閲覧。
- ^ a b “アメリカ(平成2年)▷ソニーのコロンビア映画の買収”. ジャパンアーカイブズ. 2022年5月6日閲覧。
- ^ “エズラ・ヴォーゲル氏の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を考察~ライシャワー駐日大使はなぜ「発禁せよ」と警告したのか”. NetIB-News (2021年1月12日). 2022年5月5日閲覧。
- ^ “The History of a Logo: The Lady with the Torch”. reelclassics.com. February 1, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ “The Columbia Logo: The Lady with the Torch”. reelclassics.com. February 9, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ a b Everything You Wanted To Know About American Film Company Logos But Were Afraid To Ask, Hollywood Lost and Found
- ^ The Story Behind the Iconic Columbia Pictures Photoshoot - DigitalRev・2016年7月9日
関連項目
[編集]- RCAレコード - 「RCA/Columbia Pictures International Video」というビデオソフト事業の合弁会社があった。コロンビア映画がソニーに買収されたため合弁を解消した。日本法人のアール・シー・エー・コロンビア・ピクチャーズ・ビデオ株式会社は、コロンビア映画の配給部門などと統合、株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントとなっている。
- ソニー・ピクチャーズ
- ソニー・ピクチャーズ テレビジョン
- トライスター ピクチャーズ