荻野屋
横川本店 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒379-0301 群馬県安中市松井田町横川399 北緯36度20分11.7秒 東経138度44分12.9秒 / 北緯36.336583度 東経138.736917度座標: 北緯36度20分11.7秒 東経138度44分12.9秒 / 北緯36.336583度 東経138.736917度 |
設立 | 1953年10月15日 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 7070001009845 |
事業内容 |
各種弁当料理、麺類製造販売 駅構内営業(売店) 飲食事業部(ドライブイン・レストラン等) 石油類の販売 医薬品の販売 |
代表者 | 代表取締役 高見澤志和 |
資本金 | 1,000万円 |
従業員数 | 580名 |
外部リンク | https://www.oginoya.co.jp/ |
株式会社荻野屋(おぎのや)は、群馬県安中市松井田町横川に本店を置く弁当製造販売業を手掛ける会社。「おぎのや」の名で駅弁「峠の釜めし」を製造・販売している。関連会社に、サービスエリア内の飲食店やドライブインの運営を行う「株式会社おぎのやドライブイン」などがある。
会社概要
[編集]1885年(明治18年)に信越本線の横川駅前に本店を構え創業[1]。
信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間は碓氷峠の険難に阻まれており、専用の補助機関車を連結して運転していた。1963年(昭和38年)7月15日のラック式鉄道(アプト式)廃止までは機関車をED42形電気機関車などへ付け替えるため、同年7月15日の粘着式鉄道への切り替えから1997年(平成9年)10月1日に北陸新幹線の高崎駅 - 長野駅間が開業するまでの間はEF63形電気機関車の連結を行うため、全ての列車が当駅に長時間停車していた。従って、当駅は駅弁を販売するに適していた。駅弁を売り終え、列車が発車する際には、販売員一同が整列し、列車がホームを去るまで深々とお辞儀をするのがお決まりであった[2]。
業績は必ずしも好調ではなかったが、1957年(昭和32年)に「峠の釜めし」[3]を発売してヒットを飛ばしたことにより、脚光を浴びるようになった。
1967年(昭和42年)には当時の同社経営者をモデルとしたテレビドラマ『土曜劇場「釜めし夫婦」』がフジテレビ系列で放映された。この作品が「峠の釜めし」と「おぎのや」の存在を全国に知らしめた。
自動車社会の到来にあわせ、国道18号脇に工場兼ドライブインを建設する拡大路線をとり、軽井沢へ向かう多くの観光バスが食事休憩に立ち寄る名所にまで成長させた。上信越自動車道開通後はサービスエリアや軽井沢各所への出店により、横川を経由しない自動車の流れにも対応している。ドライブイン展開の経営路線はその後拡大され、長野県各所にドライブインを有している。
北陸新幹線の先行開業に伴う横川 - 軽井沢駅間の廃止により動向が懸念されたが、このように横川駅での駅弁販売以外の売り上げを7割以上に高めていたことにより、経営への影響は最小限であった。
沿革
[編集]- 1885年(明治18年)10月15日 - 創業、横川駅にて構内営業開始。駅弁「おむすび」販売開始。
- 1937年(昭和12年)7月8日 - 高見澤勝一、2代目社長に就任。
- 1946年(昭和21年)8月12日 - 高見澤一重、3代目社長に就任。
- 1947年(昭和22年) - さつま芋弁当、コロッケ販売開始。
- 1948年(昭和23年) - イカの鉱泉漬焼販売開始。
- 1949年(昭和24年) - 紅茶(砂糖入手不能にて塩入り)販売開始。
- 1950年(昭和25年) - 特選米「幕の内弁当」販売開始。
- 1951年(昭和26年)5月12日 - 高見澤みねじ、4代目社長に就任。
- 1957年(昭和32年)
- 高見澤みねじ、「峠の釜めし」を創案。
- 11月1日 - 厚生大臣賞受賞。
- 1958年(昭和33年)
- 2月1日 - 「峠の釜めし」を横川駅にて発売開始[4]。
- 10月18日 - 昭和天皇が富山の第13回国民体育大会に行幸した折に、横川駅で「峠の釜めし」を列車に積み込む。
- 1961年(昭和36年) - 髙島屋横浜店駅弁大会に「峠の釜めし」出品。
- 1962年(昭和37年)4月20日 - 国道18号沿いの横川駅南側に「峠の釜めしドライブイン」(後のおぎのやドライブイン横川店)を開店。
- 1964年(昭和39年)10月29日 - 有限会社から株式会社に改組。
- 1967年(昭和42年)6月 - 高見澤みねじをモデルにしたテレビドラマ「釜めし夫婦」(フジテレビ土曜劇場)放映。「峠の釜めし」の知名度が全国区となる。
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)3月25日 - 4代目社長・高見澤みねじ、株式会社おぎのや会長に就任。高見澤恭子、株式会社おぎのや5代目社長に就任。
- 1980年(昭和55年)7月1日 - 軽井沢店開店。
- 1983年(昭和58年)
- 1985年(昭和60年)7月12日 - おぎのやドライブイン横川店施設内外を全面改装。
- 1993年(平成5年)3月27日 - 上信越自動車道(上り線)横川サービスエリア店開店[1]。
- 1994年(平成6年)7月20日 - 上信越自動車道佐久インター前、おぎのやドライブイン佐久乃おぎのや(おぎのや佐久店)開店。
- 1995年(平成7年)7月15日 - 「峠の釜めし」製造工場(セントラルキッチン)がおぎのやドライブイン横川店隣接地にオープン。
- 1996年(平成8年)12月1日 - 「峠の釜めし」累計販売個数1億個達成。
- 1997年(平成9年)
- 1999年(平成11年)10月 - 諏訪インター店厚生労働大臣賞受賞。
- 2004年(平成16年)11月 - 米国カリフォルニア州で行なわれた「全国有名駅弁大会」に参加。海外で初めて「峠の釜めし」を製造販売。4日間で2千食を完売。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 10月 - 長野店 厚生労働大臣賞受賞。
- 12月 - セントラルキッチン群馬県食品自主衛生管理認証を取得。
- 2015年(平成27年)10月31日 - おぎのやドライブイン佐久乃おぎのや(おぎのや佐久店)閉店。
- 2017年(平成29年) - 荻野屋東京(東京支店)を開設し、4月20日にGINZA SIXに東京初の店舗を出店。
- 2021年(令和3年)
店舗・営業所
[編集]店舗一覧参照
また百貨店やスーパーマーケットなどの「駅弁フェア」や鉄道イベントなどに随時臨時出店しており、日本全国に弁当を出荷している。
主な商品
[編集]この他にもいろいろなお弁当がある。また、団体客用の料理も提供している。
そして、お弁当以外にもパン屋などが前橋駅や横川サービスエリアがあり、釜めしパンなどが売られている。
関連項目
[編集]- 1998年に稼働したタイトーのアーケードゲーム。横川駅でEF63形を489系『白山』を連結するボーナスゲームで成功したときに「峠の釜めし」(追加ノルマ10秒満点の時は「玄米弁当」)の写真が表示される。当社のゲーム内広告でもあり、本作を移植した据置形ゲーム機版にもある。
- 劇中でははぎのやとして登場している。また、シェルパ部の萩野 朱鷺音ははぎのや社長の実娘。
- 劇中で池谷と真子が初めて出会う場所として、おぎのやの看板が登場する。
- 峠の釜めしの釜形容器の製造者。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “上州の2大駅弁 上信越道に進出”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1993年3月5日)
- ^ このお辞儀は、関水金属が販売した荻野屋を模した駅弁売りの人形でも再現されたほどである。
- ^ 考案したといわれる田中トモミ元副社長は現在全国で講演活動を行っており、1988年(昭和63年)に「天からの贈り物」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。
- ^ 『鉄道ジャーナル』第21巻第10号、鉄道ジャーナル社、1987年8月、20頁。
- ^ “「峠の釜めし」の「おぎのや」 長野市内にドライブイン開店”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1997年2月7日)
- ^ “「峠の釜めし」おぎのや長野店、四半世紀の歴史に幕…バスツアー減にコロナ追い打ち”. 読売新聞. (2021年8月28日). オリジナルの2021年8月28日時点におけるアーカイブ。 2021年8月28日閲覧。
- ^ “「峠の釜めし」キッチンカーが登場 長野市”. 信濃毎日新聞 (2022年6月24日). 2022年6月26日閲覧。