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陽明山管理局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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陽明山管理局
台湾省の旗 台湾省(1949 - 1968)
台北市(1968 - 1973)の管理局

1949年 - 1974年
陽明山管理局の位置
陽明山管理局の位置
陽明山管理局轄区図(1952年)
政庁所在地 北投鎮
歴史
 - 設置 1949年8月26日
 - 台北市に編入 1968年7月1日
 - 行政機能の廃止 1974年1月1日
面積
 - 1966年 119.01km2
人口
 - 1966年 158,559 
     人口密度 1,332.3/km2
現在 台北市の旗 台北市

陽明山管理局(ようめいさんかんりきょく)は、かつて中華民国台湾省[注 1]に存在した行政区画。1950年民国39年)以前は草山管理局(そうざんかんりきょく)と称した。管轄区域は現在の台北市北投区士林区に相当する。

台湾省政府[注 2]から委託された業務を処理し、管轄区域内における地方自治を監督した[1]。管轄区域内の建設事業の費用は台湾省政府が負担していた[1]1974年(民国63年)に行政機関としての機能が廃止されて以降は、陽明山の景観保持・管理のみを担当した。

沿革

1949年(民国38年)6月、国共内戦で劣勢にあった中国国民党総裁蔣介石は、台湾省台北県の草山に移り住んだ[注 3][2][3]7月14日、台湾省政府は要人の安全を守るために草山管理局の設置準備を開始し、台湾省立台北商業学校(現:国立台北商業大学)を間借りして籌備処が設置された[3][4]8月10日、籌備処は草山衆楽園中国語版(現:台北市教師研習中心)に移転した[4]8月26日、台湾省政府は台北県に属していた士林鎮と北投鎮を分離させ、県級行政区画である草山管理局を設置し、施季言を初代局長に任命した[2][5][6]11月12日、草山管理局は逸園に移転した[7]

1950年(民国39年)3月31日、台湾省政府委員会は草山を陽明山に改称することを承認した[5]4月26日に草山管理局が陽明山管理局に改称された[2][8]

1967年(民国56年)7月1日、台北市は台湾省から独立して院轄市(現:直轄市)に昇格した[1][6]

1968年(民国57年)7月1日、士林鎮と北投鎮が台北市に編入されてそれぞれ士林区北投区になった。陽明山管理局は台北市政府の下部機関となり、市と区の中間の行政機関として2区を管轄した[1][6]

1974年(民国63年)1月1日、台北市政府は陽明山管理局の行政機関としての機能を廃止し、景観の維持・管理のみを担当する機関とした[3][6][5][9]。これによって士林区と北投区は台北市政府の直接管轄下に入った[10]

1977年(民国66年)1月1日、陽明山管理局は陽明山管理処に降格し、台北市政府民政局中国語版の下部機関となった[2][5][6][10]

1980年(民国69年)1月、陽明山管理処は陽明山公園管理所に降格し、業務は台北市政府工務局公園路燈工程管理処中国語版に移管された[2][6][10]

組織

設立当初

台湾省政府が任命する局長1人と、事務を担当する主任秘書1人が設置された。局長および下部組織の首長は台北県議会中国語版に出席し、施政の報告を行った。

下部組織

  • 総務科
  • 行政科
  • 工務科
  • 警務科
  • 主計室
  • 人事室
  • 衛生事務所

行政機能廃止時

行政院が任命する局長1人と、事務を担当する主任秘書1人が設置された。局長および各部門の首長は台北市議会中国語版に出席し、施政の報告を行った。

下部組織

歴代局長

氏名 写真 所属政党 就任 退任
台湾省草山管理局
1 施季言 中国国民党 1949年7月4日 1950年4月25日
台湾省陽明山管理局
1 施季言 中国国民党 1950年4月26日 1952年7月31日
2 陳保泰 中国国民党 1952年8月4日 1955年7月
3 周象賢 中国国民党 1955年7月6日 不明
4 郭大同 中国国民党 1961年3月 1963年11月30日
5 潘其武 中国国民党 1963年12月1日 1968年6月30日
台北市陽明山管理局
1 潘其武 中国国民党 1968年7月1日 1972年1月31日
2 金仲原 中国国民党 1972年2月 1976年12月31日

脚注

注釈

  1. ^ 1968年以降は台湾省から台北市に移管された。
  2. ^ 1968年以降は台湾省政府から台北市政府に移管された。
  3. ^ 当時、蔣介石は中華民国総統職を辞任していた。翌1950年3月に復職している。

出典

  1. ^ a b c d 高(2014)pp.140
  2. ^ a b c d e 長栄大学 (2013年12月). “陽明山國家公園 草山(陽明山)管理局相關檔案、資料之蒐集及研究計畫” (中国語). 内政部国家公園署. 2024年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月24日閲覧。
  3. ^ a b c 呉亮衡 (2016年4月7日). “從臺灣小箱根到反共精神基地:陽明山的百年歷史” (中国語). 故事StoryStudio. 2024年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月24日閲覧。
  4. ^ a b 高(2014)pp.138
  5. ^ a b c d 許陽明 (2016年1月3日). “【專文】陽明山的文化與權力空間史” (中国語). 民報. 2024年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月24日閲覧。
  6. ^ a b c d e f KyonChen (2022年10月16日). “天下第一局也會踢鐵板?陽明山工作站的管轄權問題” (中国語). 角落人文. 2024年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月24日閲覧。
  7. ^ 高(2014)pp.138-139
  8. ^ 高(2014)pp.139
  9. ^ 高(2014)pp.140-141
  10. ^ a b c 高(2014)pp.141

参考文献

  • 高純淑 (2014). “蔣介石的草山歲月—從日記中觀察”. 蔣介石的日常生活. 天地図書. ISBN 9789866475283