畝状竪堀
このページ名「畝状竪堀」は暫定的なものです。(2018年1月) |
畝状竪堀(うねじょうたてぼり)とは、戦国時代に築かれた城の防御設備。1959年に田中寅吉が初めて報告した[1]。 千田嘉博は1989年に畝状空堀群の呼称を選択し、横堀との組み合わせや、堀と土塁の屈曲などをもとに考古学的に分類し、分布とともに全国的な成立過程を検討した[2] 様々な呼び名があり[注 1]、畝形竪堀[4]、連続空堀群、連続竪堀群、畝状空堀群、畝状竪堀群、多重防御遺構、畝状阻塞、畝状阻障、特異施設など、複数の呼び名がある。この記事では、便宜的に畝状竪堀を使用する。
構造と目的
畝状竪堀の構造は、土塁と竪堀(空堀)が交互に隣り合っている。 空堀と空堀の間には土塁があり、土塁と土塁の間には空堀がある[5][6]。
畝状竪堀の目的は、少人数で城を守れるようにするため。 土塁と竪堀を連続的に組み合わせると、寄せ手の進入路を堀底道だけに制限して曲輪の周りをキルゾーンにする効果がある。[要出典]
畝状竪堀は、係争地域の境目の城で、敵の進撃路に面する側に築かれることが多い。[要出典]
呼称
斜面上に築かれると連続竪堀と呼ばれ、尾根・台地上に築かれると、連続堀切・連続空堀と呼ばれる[5]。江戸時代以前には、次の名称があった[7]。
現在でも、次の呼称が残っている[7]。
分布
九州北部
国人領主の秋月氏が畝状竪堀を積極的に建設したので、九州北部(筑前国中東部・豊前国西部・筑後国北部)は、畝状竪堀がある城が密集する[8]。なかでも長野城(豊前国)・馬ヶ岳城・益富城・荒平城・蔦ヶ岳城は、畝状竪堀の堀数が100本を超えている。
秋月氏の本拠地である古処山城・荒平城・益富城や、秋月氏の同盟勢力である一万田系高橋氏・豊前長野氏・星野氏・城井氏と敵対する勢力との境目地域には、畝状竪堀の堀数が多い城がある。
他の地域
東国においては、日本海側、特に新潟県・山形県・秋田県・長野県などの地域で畝状竪堀をもつ城が多い[6]。一方、東海地方・関東地方・東北地方の太平洋側・北海道地方には少ない[5][6]。また、織豊系城郭・アイヌのチャシは、畝状竪堀を積極的に築いていない。
各旧国内の城の総数に対する、畝状竪堀がある城の比率は、次表のとおりである。
国名 | 割合 | 出典 |
---|---|---|
越後国(現・新潟県) | 12.0% | [9][10] |
筑前国(現・福岡県北西部) | 11.8% | [注 2] |
大和国(現・奈良県) | 約10% | [12] |
備後国(現・広島県東部) | 9.3% | [13] |
安芸国(現・広島県西部) | 8.5% | [13] |
土佐国(現・高知県) | 7.1% | [注 3] |
出羽国(現・秋田県、山形県) | 3.5% | [要出典] |
脚注
注釈
出典
- ^ 田中1959
- ^ name=senda>千田1989
- ^ 髙田2017b、293頁
- ^ “柏崎市名所案内「北条城跡(きたじょうじょうせき)」(市指定文化財)”. 柏崎市 (2020年1月31日). 2020年3月13日閲覧。
- ^ a b c 三島2016、181頁
- ^ a b c 三島2017、297頁
- ^ a b 髙田2017b、295頁
- ^ 岡寺2017、290頁
- ^ 水澤2016、73頁
- ^ 水澤2017、260頁
- ^ 岡寺2016、140頁
- ^ 目黒2017、310頁
- ^ a b 秋本2016、112頁
- ^ 吉成2017、278頁
- ^ 吉成2016、124頁
- ^ 吉成2017、284頁
- ^ 吉成2016、126頁
参考文献
- 田中寅吉「越後地方に多い城郭の特異施設に就いて」『越佐研究』第15巻、新潟県人文研究会、1959年12月、49-62頁、ISSN 0910-1934。
- 千田嘉博「中世城郭から近世城郭へ」『月刊文化財』第305号、文化庁監修、第一法規、1989年2月、37-45頁、ISSN 001-65948。
- 『第33回全国城郭研究者セミナー』レジメ、中世城郭研究会、開催案内、2016年8月6日。
- 石田明夫「東北南部を中心とする連続空堀群の城」『第33回全国城郭研究者セミナー』、63-72頁。
- 水澤幸一「信越の連続竪堀群 : 越後とその周辺」『第33回全国城郭研究者セミナー』、73-90頁。
- 内野和彦「奈良県下での畝状空堀群を有する城郭について」『第33回全国城郭研究者セミナー』、91-107頁。
- 秋本哲治「安芸毛利氏本拠地周辺における連続空堀の分布」『第33回全国城郭研究者セミナー』、108-123頁。
- 吉成承三「畝状竪堀群からみた四国の城館 : 土佐国の事例を中心に」『第33回全国城郭研究者セミナー』、124-138頁。
- 岡寺 良「九州北部における畝状空堀群の様相」『第33回全国城郭研究者セミナー』、139-160頁。
- 髙田 徹「近畿地方(+愛知・岐阜県+α)の畝状空堀群・畝状竪堀・連続竪堀〈群〉… : その現在・過去・未来」『第33回全国城郭研究者セミナー』、161-180頁。
- 三島正之「東国における多重防御遺構の展開」『第33回全国城郭研究者セミナー』、181-190頁。
- 八巻孝夫(編)『中世城郭研究』第31号〈特集・連続空堀群再考〉、中世城郭研究会、2017年7月31日、ISSN 0914-3203。
- 髙田 徹「畝状空堀群の諸問題 : その現状と課題」『中世城郭研究』第31号、4-37頁。 - 髙田2016の報告レジメを全面的に改稿。
- 石田明夫「東北南部を中心とする連続空堀群の城」『中世城郭研究』第31号、258-259頁。 - 石田2016の報告要旨。
- 水澤幸一「信越の連続竪堀群 : 越後とその周辺」『中世城郭研究』第31号、260-263頁。 - 水澤2016の報告要旨。
- 内野和彦「奈良県下での畝状空堀群を有する城郭について」『中世城郭研究』第31号、264-272頁。 - 内野2016の報告要旨。
- 秋本哲治「安芸毛利氏本拠地周辺における連続空堀の分布」『中世城郭研究』第31号、273-277頁。 - 秋本2016の報告要旨。
- 吉成承三「畝状竪堀群からみた四国の城館 : 土佐国の事例を中心に」『中世城郭研究』第31号、278-288頁。 - 吉成2016の報告要旨。
- 岡寺 良「九州北部における畝状空堀群の様相」『中世城郭研究』第31号、289-292頁。 - 岡寺2016の報告要旨。
- 髙田 徹「近畿地方の畝状空堀群・畝状竪堀・連続竪堀〈群〉… : その現在・過去・未来」『中世城郭研究』第31号、293-296頁。 - 髙田2016のうち、畝状竪堀に関する呼称の問題を取り上げたもの。
- 三島正之「東国における多重防御遺構の展開」『中世城郭研究』第31号、297-298頁。 - 三島2016の報告要旨。
- 目黒公司「〈シンポジウム〉連続空堀群再考 概要」『中世城郭研究』第31号、299-312頁。 - 第33回セミナーにおけるパネルディスカッションをテープ起こししたもの。
関連項目
- 秋月氏
- 全国城郭研究者セミナー - 第3回 (1986)「いわゆる畝状竪堀群について」、第15回 (1998)「「障子堀」について」、第32回 (2015)「「障子堀」の新展開」,第33回 (2016)「連続空堀群再考」
外部リンク
- "連続空堀群再考". 『中世城郭研究』第31号. 第33回全国城郭研究者セミナー. 中世城郭研究会. 2016年8月. 2019年10月22日閲覧。
- 余湖 (2011年6月4日). “畝状阻塁と畝状阻塞について”. 2018年8月16日閲覧。