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森勝治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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森勝治
もり かつじ
生年月日 1915年10月11日
出生地 日本の旗 日本 栃木県
没年月日 (2000-08-01) 2000年8月1日(84歳没)
死没地 静岡県田方郡函南町 NTT東日本伊豆病院
前職 埼玉県労働組合評議会議長
所属政党 日本社会党
称号 従四位
勲二等瑞宝章

選挙区 埼玉県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1965年7月4日 - 1977年7月10日

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森 勝治(もり かつじ、1915年大正4年)10月11日[1] - 2000年平成12年)8月1日[1])は、日本労働運動家、政治家参議院議員(2期)。

経歴

栃木県で生まれる[1]1937年、帝京商業学校(後の帝京大学中学校・高等学校)を卒業した[1][2]

郵便局に勤務しながら文学の道への志を持ち、1945年朝日新聞懸賞ホームソングに『朝はどこから』を応募して当選した[1][2]。その後、労働運動に加わり、全電通埼玉地区本部執行委員長、埼玉県労働組合評議会議長、埼玉県議会議員日本社会党埼玉県本部国民運動委員長、同政策審議会長、同埼玉県議会議員団長などを務めた[1][2]

1965年7月、第7回参議院議員通常選挙埼玉県地方区から出馬して当選[1][2]第9回通常選挙で再選され、参議院議員を連続2期務めた[2]。この間、日本社会党国対役員、同埼玉県本部執行委員長、埼玉県労働組合評議会顧問、全電通顧問、国際電電労働組合顧問、参議院逓信委員長などを務めた[2]

1985年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章[3][4]

2000年8月1日肺炎のため静岡県田方郡函南町NTT東日本伊豆病院で死去、84歳[5]。死没日をもって従四位に叙される[6]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『現代物故者事典 2000~2002』617頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』425-426頁。
  3. ^ 森 勝治」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E6%A3%AE%20%E5%8B%9D%E6%B2%BBコトバンクより2023年2月20日閲覧 
  4. ^ 『官報』号外第132号1頁 昭和60年11月5日号
  5. ^ “訃報”. 産経新聞. (2000年8月2日). オリジナルの2000年9月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20000919183346/http://www.sankei.co.jp:80/databox/paper/0008/02/paper/today/dead/02dea006.htm 2023年2月20日閲覧。 
  6. ^ 『官報』第2948号10-11頁 平成12年9月5日号

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 2000~2002』日外アソシエーツ、2003年。
議会
先代
竹田現照
日本の旗 参議院逓信委員長 次代
神沢浄