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森禮子

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森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日[1] - 2014年3月28日[1][2])は小説家劇作家芥川賞作家。

概略

クリスチャンで独身。福岡市大円寺町(現・唐人町)生まれ[3]。福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)卒業[2]。1947年、西南学院バプテスト教会にて受浸(バプテスマ)。1949年まで西南学院大学図書館に勤務。

1950年、第3期九州文学に参加し、処女作『レエヌのある風景』を発表。NHK福岡放送局作家グループのメンバーとなり、放送作家としても活動する。27歳の時に上京して『文芸首都』に入り[2]北杜夫なだいなだ佐藤愛子らと交際。小説「鎮魂曲」が「婦人朝日」の懸賞小説に入選。1963年、「未完のカルテ」で女流新人賞次席。その後、放送作家として台本を書く。新劇に熱中し、劇団現代その他のサークルに7 - 8本の戯曲を書く。ラジオ、テレビの脚本も手掛ける。1976年に「遊園地暮景」で新潮新人賞候補。しかし十二指腸潰瘍を患い、医師から「切るか、放送作家をやめるか」と迫られて小説家に転向。国際結婚した姉が住む米国の小さな町に1ヵ月滞在。その時の見聞から1980年『モッキングバードのいる町』で第82回芥川賞受賞[1]遠藤周作遠山一行と共に日本キリスト教芸術センターを設立した。

2014年3月28日、膵臓癌のため福岡県志免町の病院で死去[2]。85歳没。

著作

  • 愛と迷いと 現代作家の模索する人間像 コンコーディア社 1974
  • モッキングバードのいる町 新潮社 1980
  • 『五島崩れ』主婦の友社、1980
  • 光るひととき 主婦の友社, 1980
  • 『天の猟犬・他人の血』文藝春秋、1980
  • ひとりの時間 海竜社 1980 のち三笠書房知的生き方文庫 
  • なないろのしか 西図協出版 1981
  • 人生のまわり道 潮出版社 1981
  • もうひとりのあなたへ 対談集 ヨルダン社 1982
  • にっぽん味栗毛 潮出版社 1983 のち文庫 
  • 三彩の女 主婦の友社 1983
  • 聖書による十二の物語 中央出版社 1983
  • 出会いの時間 海竜社 1984
  • ひとり行く旅 菁柿堂 1985
  • イエス 講談社, 1988
  • 『神女(かみんちゆ)』講談社、1989
  • 私を変えた聖地の旅 海竜社 1992
  • 女の子はらくじゃない みそっかすの少女時代 ポプラ社 1994
  • 『献身 萩原タケの生涯』白水社、1995
  • 『森礼子戯曲集』菁柿堂、2000
  • 神父ド・ロの冒険 教文館 2000
  • 『誘惑の岸』菁柿堂 2002
  • キリシタン史の謎を歩く 教文館 2005
  • キリシタン海の道紀行 教文館 2008.1

作品

  • 『鎮魂曲』
  • 『未完のカルテ』
  • 『他人の血』
  • 『海辺の伝説』(戯曲)
  • 『通りゃんせ』(戯曲)

出典

  1. ^ a b c 森禮子」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E6%A3%AE%E7%A6%AE%E5%AD%90コトバンクより2023年7月16日閲覧 
  2. ^ a b c d 訃報:森禮子さん85歳=芥川賞作家”. 毎日新聞 (2014年4月1日). 2014年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月16日閲覧。
  3. ^ 中央区文学散歩 ~文学で歩く中央区~ 第3回 荒戸・唐人町”. 福岡市 (2016年7月12日). 2023年7月16日閲覧。WARP(インターネット資料収集保存事業)