タスキーギ・エアメン
タスキーギ・エアメン | |
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タスキーギ・エアメン | |
活動期間 | 1940–1948 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
軍種 |
アメリカ軍 アメリカ陸軍 アメリカ陸軍航空軍 |
任務 | 航空戦 |
上級部隊 |
第332戦闘群 第477爆撃群 |
渾名 | レッド・テイルズ |
標語 | スピット・ファイア |
主な戦歴 | 第二次世界大戦 |
タスキーギ・エアメン(Tuskegee Airmen)は、米軍史上初のアフリカ系アメリカ人の航空部隊の通称名。まだ人種隔離政策(racial segregation)があった第二次世界大戦当時のアメリカ軍で、さまざまな人種的差別の障壁(カラー・バリア)を克服し、米軍史上初めてアフリカ系アメリカ人の戦闘機乗りとなった超エリート部隊。
この部隊の中にはハイチ空軍のハイチ人5人とトリニダードのパイロット1人、またドミニカ共和国生まれのヒスパニックの飛行士も含まれていた[1]。おもにヨーロッパ戦線で活躍した。アメリカ陸軍航空軍の第332戦闘航空群と第477爆撃航空群を構成した。彼らが乗ったP-47サンダーボルトやP-51マスタングなどの尾翼は赤く塗られていたので、「レッド・テイルズ」(赤い尾)という名でも呼ばれた。
2012年、ジョージ・ルーカスは彼らの実話に基づき映画『レッド・テイルズ』を制作総指揮した。日本では公開されていない。
通称「タスキーギ・エアメン」 | |
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部隊のエンブレム 第332戦闘群機 第477爆撃群 | |
活動期間 | 1940–1948 |
米軍史上初の黒人航空部隊
タスキーギ・エアメン以前にはアメリカ軍には一人のアフリカ系アメリカのパイロットはいなかった。人種隔離政策のため、黒人部隊の役割は多く食事や洗濯などといった非戦闘的な任務に限られていた[2]。第一次世界大戦時、パイロットのユージン・バラードは米軍に従軍することを拒絶され、フランス軍に入った。こうした軍隊における人種差別への抗議を受けて全米黒人地位向上協会 NAACP のウォルター・ホワイト、労働組合リーダーのフィリップ・ A・ランドルフら著名な公民権指導者によってロビー活動が続けられた。
1939年4月3日、ハプロ・シュワルツ上院議員らによるアフリカ系アメリカ人パイロットの訓練資金を捻出する予算法案が議会で可決され、なんとか陸軍省に黒人パイロット養成のための民間航空学校の補助金を得るに至った。
南部アラバマ州タスキーギにある黒人大学タスキーギ大学をベースに民間パイロット訓練プログラム(CPTP)がスタートした[3]。ファーストレディー、エレノア・ルーズベルトはいち早くタスキーギの主任教官の戦闘機に試乗し、財政的な支援を呼びかけた。
このタスキーギ・プログラムは、1941年6月にタスキーギ大学の第99追撃隊から始まり、部隊は47人の将校と429人が入隊を許可された。タスキーギ大学で学びながら地元のタスキーギ飛行場で実践訓練を受けた。タスキーギ飛行場も急ぎ構築されたが、その事業を請け負ったのもアフリカ系アメリカの請負業者であった。またベンジャミン・デイヴィス・ジュニア中佐の指揮下に置かれた。デイヴィスは陸軍における最初の黒人将官ベンジャミン・デイヴィス・シニア准将の息子である[4]。またこのプログラムに参加するためには数々の試験や知能指数特定やアイデンティティー試験まで受けなければならなかった。
今まで、白人の将校をおいて人種隔離された(つまり黒人だけで構成された)若干の黒人部隊を持つというやり方は、第9騎兵隊、第10騎兵隊、第24歩兵連隊、第25歩兵連隊のように、南北戦争のころから行われてきていた。黒人団体側の要求を受け、1941年、米軍は初めてのすべて黒人の部隊、第99追求部隊の設立を宣言した。
1943年6月に地中海方面で初めて実戦配備され、1944年にはイタリアへ拠点を移した。当初、黒人パイロットらは空中戦などの戦闘機乗りとしての高度な任務は与えられなかったが、徐々に成果を上げ、ヨーロッパ戦線でドイツ支配下の東欧や南ドイツ各地の爆撃作戦で護衛任務に活躍した。
デイビス大佐の指揮のもと、重爆撃機の護衛飛行で、第332戦闘群は伝説になるほどの戦闘記録を獲得した。また連合軍は、タスキーギの飛行士を「レッドテール」または「レッドテール・エンジェル」と呼んだが、これは、彼らが部隊の航空機の尾翼に独特の深紅色の識別マークを塗ったことに由来している。
全部で、1941年から1946年にかけて992人のパイロットがタスキーギで訓練をうけた。355人が海外に派遣され、84人が命を落とした[5][6]。また戦争捕虜として32人が捕らえられた[7]。
戦後のタスキーギ・エアメン
1948年、ハリー・S・トルーマン大統領が大統領令9981に調印し、長年続いた軍隊における人種隔離政策を撤廃させた後も、元タスキーギ・エアマンの退役軍人たちは戦後の航空の発展に大きく貢献した[8]。
2007年3月29日に、タスキーギ・エアメンは、米国議会議事堂でひらかれた式典で名誉黄金勲章を授与され、それは現在スミソニアン協会で展示されている[9][10]。空軍が訓練したタスキーギ飛行場は現在、タスキーギ空軍国立史跡として指定され、博物館も併設されている[11]。
2018年3月8日、タスキーギエアメンの数少ない生存者の1人だったニューヨーク市警察 (NYPD) の元刑事フロイド・カーター・サーが95歳で死亡した。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の3つの戦争に従軍、後に中佐に昇進した。1953年からNYPDに勤務。2007年にはブッシュ元大統領から人種のバリアを打ち破ったとして議会名誉黄金勲章を授与された[12]。
映画
2012年、ジョージ・ルーカスはアメリカのテレビ番組「ザ・デイリー・ショー」に出演し、なぜ映画『レット・テイルズ』が構想から20年もかかったのかに関して、ハリウッドの大手スタジオは「黒人キャストばかりの映画は観客には魅力がない」と制作に意欲的ではなかったと語った[13][14]。実際、どのスタジオも資金提供を断ったので、制作は全部自腹でまかなったことを明らかにしている[15]。
- 『ジャスティス』(2002) グレゴリー・ホブリット監督。空軍のエリートパイロットも捕虜収容所に収容されれば同国の兵士から差別を受ける。収容所でおこった殺人事件のミステリーを描く。ヨーロッパ戦線で滑空する第99追撃隊レッドテイルズも登場する。
- 『ナイト ミュージアム2』(2009)。映画中でタスキーギ・パイロットが女性初のパイロットアメリア・イアハートに「滑走路を飛べるよう片付けてくれて感謝する」と語る場面がある[16]。
- 『レッド・テイルズ』(2012) ジョージ・ルーカス製作総指揮、アンソニー・ヘミングウェイ監督
ギャラリー
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1944年1月27日にローマ南部で、破壊された28機のドイツ軍機のうち8機を撃墜したタスキーギ・エアメン。
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第332戦闘群パイロット、イタリアでのブリーフィングで。(1945年)
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タスキーギ・エアメンの退役軍人が花を添える黒人歴史月間のイベント。
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タスキーギ・エアメン国立史跡博物館 (アラバマ州タスキーギ)に展示されている、ロバート・W・ウィリアムズ(Robert W Williams)乗機塗装のP-51Dマスタングレプリカ。
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記念空軍レッド・テイル飛行隊所属のP-51C-10-NT・42-103645。
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ファンタジー・オヴ・フライト博物館所属の51C-10-NT・42-103831。
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ジョージ・ハーディーが1945年時に搭乗していた本物の第332戦闘航空群第99戦闘機飛行隊所属機、P-51D-20-NA・44-72035。実際に「レッド・テイルズ」で運用された機体のうち唯一の現存機と考えられている。
脚注
- ^ Journal, Juleyka Lantigua-Williams, National (5 November 2015). “An Unknown Latino Tuskegee Airman Has Been Discovered”. The Atlantic. 22 June 2019閲覧。
- ^ “African-Americans In Combat | History Detectives | PBS”. www.pbs.org. 2020年2月27日閲覧。
- ^ "Fact sheet:Tuskegee Airmen" Archived 19 October 2010 at the Wayback Machine., National Museum of the United States Air Force website; retrieved 22 October 2010.
- ^ “Tuskegee Airman goes on to become first Air Force African-American gen” (英語). U.S. Air Force. 31 December 2018閲覧。
- ^ "Escort Excellence" Archived 3 December 2013 at the Wayback Machine., nationalmuseum.af.mil; retrieved 12 June 2011.
- ^ "Escort Excellence." Archived 9 March 2012 at the Wayback Machine. National Museum of the United States Air Force; retrieved 12 August 2013.
- ^ Francis and Caso 1997, pp. 405–13 (Tuskegee Honor Roll), Google Books; accessed 5 January 2017.
- ^ Zieminski, Andy. "County's first black-owned airport becomes training ground." Archived 8 January 2009 at the Wayback Machine. Gazette.net: Maryland Community Newspapers Online, 7 February 2008; retrieved 20 March 2010.
- ^ "Tuskegee Airmen Gold Medal Bill Signed Into Law." Office of Congressman Charles B. Rangel; retrieved 26 October 2006.
- ^ Evans, Ben. "Tuskegee Airmen awarded Congressional Gold Medal.", thetandd.com, 30 March 2007; retrieved 30 April 2007.
- ^ "Tuskegee Airmen National Historic Site", nps.gov; retrieved 20 March 2010.
- ^ “95歳の元タスキーギエアメン死去 3つの戦争とNYPDで活躍 | Daily Sun New York” (英語). www.dailysunny.com (2018年3月13日). 2020年2月29日閲覧。
- ^ “George Lucas - The Daily Show with Jon Stewart (Video Clip) | Comedy Central US” (英語). Comedy Central. 2021年2月10日閲覧。
- ^ “ジョージ・ルーカス監督、ハリウッドの黒人映画への理解のなさに物申す”. シネマトゥデイ. 2020年2月27日閲覧。
- ^ Contributor, By Roland Martin, CNN. “Hollywood's irrational allergy to 'black' films”. CNN. 2020年2月27日閲覧。
- ^ “Tuskegee Airman #2: Ma'am, I'd just like to thank you.Earhart: For what?Tuskegee Airman #2: Well, a lot of people didn't think we could fly, either. Thanks for clearing the runway. [salutes]” (英語). www.quotes.net. 2021年2月10日閲覧。