コンテンツにスキップ

水島弘一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Yukiodamari (会話 | 投稿記録) による 2020年3月7日 (土) 17:55個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

水島弘一 (1907 ( 明治40 )~ 1982 昭和57)は、彫刻家。

水島石根の父 水島太郎[1]の祖父。

大阪府出身 

略歴

育英商業学校卒 師、内藤伸

日本彫刻会会員

関西日彫展知事賞、日展出品、帝文展出品ほか

学校卒業後は一時商社に勤めるも志しと合わずに退社、1933年に上京し彫刻家内藤伸の門下となる。

翌34年には第5回日本木彫会展に初出品初入選となる以降、同会や帝展、文展に出品、また41年には大阪清交社にて初個展を開催。

戦後は日展を中心に出品、64年には上司海雲、杉本健吉、須田剋太らと「七人会」を結成、グループ展として阪急百貨店などで展覧会を行った。

木彫、ブロンズ、乾漆により仏像、裸婦、母子像などを制作し幅広い表現ができる彫刻作家の一人であった。


  1. ^ プロフィール”. taro mizushima (2017年8月4日). 2020年3月7日閲覧。