笑点
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笑点 | |
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ジャンル | 演芸番組 |
演出 | 高木裕司(ユニオン映画) |
出演者 |
春風亭昇太 林家木久扇 三遊亭好楽 三遊亭小遊三 6代目三遊亭円楽 林家たい平 2代目林家三平 山田隆夫 ほか |
オープニング | 笑点のテーマ |
エンディング | 同上 |
製作 | |
プロデューサー |
福田一寛(日本テレビ) 飯田達哉・大畑仁(ユニオン映画) 中村博行(統括P、日本テレビ) 糸井聖一(CP、日本テレビ) |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
音声形式 | 解説放送[1] |
放送国・地域 | 日本 |
公式サイト | |
放送開始から1968年4月まで | |
放送期間 | 1966年5月15日 - 1968年4月28日 |
放送時間 | 日曜日 16:30 - 17:10 |
放送分 | 40分 |
回数 | 1 - 95 |
1968年5月から1996年3月まで | |
放送期間 | 1968年5月5日 - 1996年3月31日 |
放送時間 | 日曜日 17:20 - 18:00 |
放送分 | 40分 |
回数 | 96 - 1511 |
1996年4月から | |
放送期間 | 1996年4月14日 - 現在 |
放送時間 | 日曜日 17:30 - 18:00 |
放送分 | 30分 |
回数 | 1512 - |
特記事項: 通算放送回数2500回(2016年1月31日現在)50年(5月15日現在) |
『笑点』(しょうてん)は、日本テレビ系列で1966年5月15日から毎週日曜日夕方に放送されている演芸バラエティ番組。
概要
1966年(昭和41年)5月15日に『金曜夜席』を受け継ぐ形で放送がスタート。
放送開始当時はまだカラーテレビの普及率が1%にも満たない時代であったが、第1回から一貫してカラーで放送されている。
収録は後楽園ホールで隔週土曜日の昼間に行われる(1回で2 - 3週分収録する)。また年に数回(基本的には4回)、ネット局の開局記念イベントなどで地方収録が行われる。なお番組で放送されるのは、収録から8日後と15日後の日曜日となることが主である(年末進行[2]や地方収録などのスケジュールの関係で貯め撮り収録し、それが翌日から1か月以上先の放送になることもある)。
視聴率(ビデオリサーチ、関東地区・世帯、以下略)では週間バラエティ番組部門での1位を記録することもあるほどの人気番組である。放送回数は2006年(平成18年)1月22日の放送で2000回に到達した。現在の日本テレビの番組では『NNNきょうの出来事』(2006年9月終了)、『キユーピー3分クッキング』(日テレバージョン)に次いで放送期間の長さで歴代第3位である。さらに2009年(平成21年)には『素人名人会』(毎日放送、テレビ版)の42年という、演芸番組及びバラエティー番組として最長の放送期間を塗り替えた。
2005年(平成17年)11月23日には放送40周年を記念して5枚組の『笑点 大博覧会 DVD-BOX』が発売されたが、日本テレビのアーカイブに現存する『笑点』の番組本編映像は1973年(昭和48年)8月26日(第369回)放送分が最古である。理由としては、放送局用VTRは1970年代まで2インチ規格で場所を取り、テープも1巻当たりの単価が現在とは比べ物にならないほど高く、加えて著作権法の絡みで番組の資料保存が安易に行えなかったことなどから、放送済みビデオテープは消去されて使い回されることがほとんどだったためである。そのため同番組の1960年代の映像は、オープニング(「笑点音頭」が主題歌だったころのアニメーションフィルム)を除き現存していないという。しかしながら、それ以降の放送素材も放送用VTRと家庭用VTRで録画された映像が今日に至るまで混在した状態になっている[3]。
1976年(昭和51年)より毎年チャリティーカレンダー「笑点暦」(発売元は日テレアックスオン)を発売しており、年末になると番組内で告知される。発売当初は価格分の郵便切手を同封して注文する通信販売のみの扱いであったが、好評により書店での販売を開始している。売り上げの一部は、日本テレビ小鳩文化事業団(2011年までは、日本テレビ系列愛の小鳩事業団)に寄付される。
2015年(平成27年)10月には番組放送50周年を記念して、記念切手セット「笑点50周年記念プレミアムフレーム切手セット」が発売された[4]。
- 放送規格に関する特記
1980年(昭和55年)4月6日(第711回)からステレオ放送。1989年(平成元年)9月3日(第1186回)からはクリアビジョン化に伴い字幕放送[5][6]を開始、2009年(平成21年)10月4日(第2184回)からは解説放送[6][7]を実施している。
ハイビジョン制作の開始は2007年[要出典]より行われており、大喜利コーナー時の隣座席の映り込みに配慮し、黒のサイドパネルを配置し4:3化して放送されていた。2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルで初めて全編ハイビジョン放送(アナログではレターボックス)となり、同年1月3日(第2197回)からレギュラー放送もハイビジョン放送となった。また、全編ハイビジョン放送開始以降「大喜利」のコーナーに於いて、出演者の座布団の間隔を置くようになった。
2016年(平成28年)には、いわゆる「8K」解像度で「笑点 8Kスペシャル」と題した特別版を収録[8]。番組自体は歌丸の落語と大喜利の2部による通常通りの構成だが技術的なトライアルのために制作されたものであり、現在のところ一般への公開予定はない。(同年3月に日テレの放送技術発表会「デジテク2016」で業界関係者向けに公開予定)
放送時間
期間 | 放送時間(日本時間) | 備考 | |
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1966.05.15 | 1968.04.28[9] | 日曜日 16:30 - 17:10(40分) | 1967年9月のみ17:00 - 17:40 |
1968.05.05 | 1996.03.31[10] | 日曜日 17:20 - 18:00(40分) | |
1996.04.14 | 現在 [11] | 日曜日 17:30 - 18:00(30分) |
- 毎年8月後半に行われる『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』では、チャリティー大喜利という特別バージョンで生放送を行う(1988年から参加、1978年 - 1987年は放送休止)。かつては1題のみだったが、レギュラーと同じ3題になり、またその年のパーソナリティにお笑いコンビ・トリオが担当していたら大喜利前に漫才・コントも行われるようになり、ほぼレギュラーと同じ構成になっている。なお、遅れネット局では放送されないため、放送回数には含まれない。
- 2003年(平成15年)と2004年(平成16年)の新年最初の放送は、正月特番の編成の都合で18:00-18:55の1時間に拡大されて放送された[12]。
- 2010年(平成22年)7月4日の放送は、17:59から1分間、国内全テレビ局(民間放送127社とNHK)で『全国一斉地デジ化テスト』を放送したため、本編が1分遅れてスタートし17:59[13]までのステブレレスで放送された。なお、本編の最後に桂歌丸が、『全国一斉地デジ化テスト』の予告を行った。逆に地デジEPGでの放送時間は、17:30 - 17:59[14]までとなった。2011年(平成23年)4月24日にも『全国一斉地デジ化テスト』が行われ、同様の編成となった。
- 2005年(平成17年)以降はFIFAクラブワールドカップが日本開催に限り、FIFAクラブワールドカップ中継を優先する為休止または時間帯を移動する(日本テレビがFIFACWCの国内放映権を所有しているため。2015年は1週のみ後続番組である『真相報道 バンキシャ!』休止に伴い18:20 - 18:50に放送)。
- 2016年(平成28年)4月3日より、直前の17:25 - 17:30に派生番組『もう笑点』を開始、日本テレビと南海放送の2局ネット。かつて1980年代まで当番組のスポンサーを務めた龍角散の一社提供[15]。
- また笑点の90分スペシャル放送時に限り後続番組である『真相報道 バンキシャ!』は休止(休止分はNNNニュースを内包する措置を取る)となっている。
出演者
以下の表中の出演者名欄にある記号の意味は次のとおり。
- ◎: 前身番組『金曜夜席』に引き続いて出演している出演者。
- △: かつて演芸に出演した出演者(笑点メンバー時の出演を除く)。
- ○: かつて大喜利メンバーだった出演者(司会者のみ)。
- ☆: かつて若手大喜利に出演していた出演者。
- □: かつて座布団運びの代理またはアシスタントをしていた出演者(座布団運びを除く)。
大喜利メンバー加入時の年齢が最も若かったのはこん平で23歳。逆に最も年長だったのは昇太で46歳である。
現在の出演者
出演者にはそれぞれ性格付けがしてあり、特に木久扇の馬鹿・与太郎キャラ、6代目円楽の腹黒キャラは、メンバーの代表的なキャラクターである。
冒頭の案内は原則として司会者が行うが、司会者が病気などにより休演した回は、以下に記載している(ただし、冒頭の挨拶が無い回もある)
座布団運びは大喜利で司会者が大喜利メンバーに差配する座布団を運ぶのが主な役目。
司会者 | |||
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名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
春風亭昇太△○☆□ | 2006年5月14日 - 現在 | 2006年5月14日 - 現在 | 第2016回 - 現在 |
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大喜利メンバー | |||
林家木久扇☆ | 1970年秋 - 1971年7月11日 1971年9月5日 - 現在 |
1969年11月9日 - 現在 | 第171回 - 現在 |
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三遊亭好楽 | 1979年9月9日 - 1980年11月2日 1980年11月2日 - 1983年10月9日 1988年4月3日 - 現在 |
1979年9月9日 - 1983年10月9日 1988年4月3日 - 現在 |
第682回 - 第889回 第1116回 - 現在 |
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三遊亭小遊三△ | 1983年10月16日 - 現在 | 1983年10月16日 - 現在 | 第890回 - 現在 |
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6代目三遊亭圓楽□ | 1977年8月28日 - 現在 | 1977年8月28日 - 現在 | 第578回 - 現在 |
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林家たい平△☆□ | 2004年12月26日 - 現在 | 2006年5月21日 - 現在 | 第2017回 - 現在 |
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2代目林家三平 | 2016年5月29日 2016年6月5日 -(予定)[18] |
2016年5月29日 - 現在 | 第2515回 - 現在 |
座布団運び | |||
名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
山田隆夫 | 1984年10月7日 - 1985年7月21日 1985年9月1日 - 現在 |
1984年10月7日 - 現在 | 第938回 - 現在 |
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終身名誉司会者
終身名誉司会者 | |||
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名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
桂歌丸◎○ | 1968年冬 - 1969年3月30日 1970年秋 - 2007年7月29日 2007年9月9日 - 2016年5月22日 |
1966年5月15日 - 1969年3月30日 1969年11月9日 - 2016年5月22日 |
第1回 - 第139回 第171回 - 第2514回[21] |
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過去の出演者
司会者 | |||
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名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
7代目立川談志◎ | 1968年冬 - 1969年3月30日 | 1966年5月15日 - 1969年11月2日 | 第1回 - 第170回 |
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前田武彦 | 1969年11月9日 - 1970年12月13日 | 1969年11月9日 - 1970年12月13日 | 第171回 - 第228回 |
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三波伸介△ | 1970年12月20日 - 1972年7月23日 1972年9月17日 - 1982年12月26日 |
1970年12月20日 - 1982年12月26日 | 第229回 - 第850回 |
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5代目三遊亭圓楽◎○ | 1968年冬 - 1969年3月30日 1970年秋 - 1977年3月27日 1984年9月9日 - 2006年5月14日 |
1966年5月15日 - 1969年3月30日 1970年6月21日 - 1977年3月27日 1983年1月9日 - 2006年5月14日 |
第1回 - 第139回 第203回 - 第556回 第851回 - 第2016回 |
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大喜利メンバー | |||
名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
柳亭小痴楽◎ (のちの春風亭梅橋) |
1968年冬 - 1969年3月30日 | 1966年5月15日 - 1969年3月30日 | 第1回 - 第139回 |
林家こん平◎ | 1968年冬 - 1969年3月30日 1972年9月17日 - 2004年9月5日 |
1966年5月15日 - 1969年3月30日 1972年7月30日 - 2004年9月5日 2016年4月17日 |
第1回 - 第139回 第313回 - 第1932回 第2511回 |
4代目三遊亭小圓遊 | 1968年冬 - 1969年3月30日 1970年秋 - 1980年10月12日 |
1966年5月15日 - 1969年3月30日 1969年11月9日 - 1980年10月12日 |
第1回 - 第139回 第171回 - 第737回 |
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柳家かゑる (5代目鈴々舎馬風) |
1969年4月6日 - 1969年11月2日 | 第140回 - 第170回 | |
三升家勝二 (8代目三升家小勝) |
1969年4月6日 - 1970年6月14日 | 第140回 - 第202回 | |
柳家さん吉 | 1969年4月6日 - 1970年6月14日 | 第140回 - 第202回 | |
三遊亭好生 (春風亭一柳) |
1969年4月6日 - 1969年11月2日 | 第140回 - 第170回 | |
春風亭栄橋☆ | 1969年4月6日 - 1969年11月2日 | 第140回 - 第170回 | |
2代目三遊亭歌奴 (3代目三遊亭圓歌) |
1969年11月9日 - 1970年6月14日 | 第171回 - 第202回 | |
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4代目三遊亭金馬 | 1969年11月9日 - 1970年6月14日 | 第171回 - 第202回 | |
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柳家小きん☆ (6代目柳家つば女) |
1970年秋 - 1972年7月23日 | 1969年11月9日 - 1972年7月23日 | 第171回 - 第312回 |
6代目三遊亭圓窓 | 1970年秋 - 1977年7月17日 | 1970年6月21日 - 1977年8月21日 | 第203回 - 第577回 |
三笑亭夢之助 | 1977年8月28日 - 1979年7月15日 | 1977年8月28日 - 1979年9月2日 | 第578回 - 第681回 |
7代目桂才賀☆ | 1980年11月2日 - 1988年3月27日 | 1980年11月2日 - 1988年3月27日 | 第740回 - 第1115回 |
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座布団運び | |||
名前 | 色紋付の色と着衣期間 | 出演期間 | 出演回 |
三升家勝松 (4代目桂文字助) |
1966年5月15日 - 1967年1月22日 | 第1回 - 第34回 | |
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毒蝮三太夫 | 1968年冬 - 1969年3月30日 | 1967年1月29日 - 1969年11月2日 2016年5月8日 |
第35回 - 第170回 第2514回 |
三遊亭笑遊 (5代目三遊亭圓遊) |
1969年11月9日 - 1970年6月14日 | 第171回 - 第202回 | |
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初代三笑亭夢丸 | 1969年11月9日 - 1970年6月14日 | 第171回 - 第202回 | |
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小野千春 | 1970年6月21日 - 1971年7月11日 | 第203回 - 第258回 | |
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桂米助 (ヨネスケ) |
1970年6月21日 - 1971年7月11日 | 第203回 - 第258回 | |
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松崎真 | 1971年9月5日 - 1984年9月30日 | 1971年7月18日 - 1984年9月30日 | 第259回 - 第937回 |
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アシスタント
番組内では、若手の落語家がアシスタントとして座布団運びの手伝いをしたり、収録前の前説を行っている。そのほとんどが大喜利メンバー(あるいは元大喜利メンバー)の弟子。
- 現在のアシスタント
- 過去のアシスタント
ほか多数
コーナー
1996年4月以降は、番組本編を演芸と大喜利の2部で構成している。番組開始当初から1996年3月までは、演芸と大喜利の間に「談志とゲスト対談」など司会者が務めるコーナーが存在し(または演芸ゲスト2組で2コーナー)、長らく3部構成であった。
演芸
番組の前半に行われる。オープニング後に司会が会場の座席からゲストを紹介する。5代目圓楽は「今日のはな(端=始めと「華」を掛けている)」と紹介していた。また、歌丸は上方から登場するゲストの場合は「上方からおいでの〜」と紹介する。登場するゲストは芸歴の長いベテランから注目の若手まで幅広く、ジャンルも落語、漫才、漫談、コント、マジック、物真似など多岐にわたっている。毎回1組が基本だが、40分番組だった時代はピン芸人の短いネタの場合、2組が出るケースもあった。
主な芸の種類と主な出演者は次のとおり。
- 落語 - 東西の様々な落語家が新作・古典を問わず演じる(春風亭小朝、春風亭柳昇など)。笑点メンバーが出演することもある。他に4代目桂米丸・8代目橘家圓蔵は20回以上出演している。
- 浪曲 - 玉川カルテット(歌謡浪曲)、など
- 講談 - 田辺一鶴、一龍斎貞水(夏季の怪談話)、神田山陽、など
- 漫才 - 上方漫才、東京漫才の漫才師(宮川大助・花子、横山ホットブラザース、中田カウス・ボタン、内海桂子・好江、NONSTYLE、正司敏江・玲児、人生幸朗・生恵幸子、春日三球・照代、星セント・ルイス、オール阪神・巨人など)
- 漫談 - 牧伸二(ウクレレ漫談)、ケーシー高峰(医事漫談)、堺すすむ(ギター漫談)、ぴろき(ギタレレ漫談)、柳家紫文(三味線漫談)、など
- 手品 - ナポレオンズ、マギー司郎(最多出演[24])、マギー審司、北見マキ、松旭斎すみえ(水芸含む)、など
- 物真似・声帯模写 - 江戸家猫八(3代目、4代目、動物声帯模写)、桜井長一郎(人物声帯模写)、など
- コント - コント山口君と竹田君、ゆーとぴあ、東京03、アンジャッシュなど
- パントマイム - カンジヤママイム、がーまるちょば、など
- その他 - 曲芸(海老一染之助・染太郎)、紙切り(3代目林家正楽)、音楽演奏(浅草ジンタ)、南京玉すだれ、など
この他、若手のお笑いタレントが多数出演している。
コーナー最多出演者はマギー司郎で、2016年現在の時点で49回出演している[24]。
星セント・ルイスやツービートなど後の漫才ブームでブレイクした漫才師たちも早い時期から演芸に出演していた。特にセント・ルイスは1970年代半ばごろに収録の間の時間つなぎをする「マエラク」を担当していた縁もあり、1977年(昭和52年)の『NHK新人漫才コンクール』でセント・ルイスが優勝すると直後4ヶ月の間に演芸に3回出演させ番組ぐるみでブレイクを後押しした。その一方、実際に漫才ブームが訪れた1980年代初期にはブームの中心となった漫才師たちがほとんど出演しなかった。これは「笑点」から出た「ずうとるび」を通じてブームそのもののはかなさと怖さを知ったという当時のプロデューサーが「ブームに便乗するとブームが去った時に番組も終わる」と判断し、漫才ブームから距離を置く姿勢を取ったためである。ただし、漫才ブームが沈静化した後はセント・ルイスやおぼん・こぼん、西川のりお・上方よしお、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよなどブームの中心を担った漫才師も演芸に出演している。
5代目圓楽の司会当時は、毎年新年1回目の演芸で5代目圓楽の落語が披露されるのが恒例となっていた。現在では笑点で落語を放送することは滅多にないが、「笑点 特大号」でプレミアム落語として定期的に放送している。また、2014年6月8日の歌丸復帰回と10月19日の木久扇復帰回は自身の病気療養期間中のエピソードを落語風にして披露した。かつては特に地方収録の回では大喜利メンバーが落語をすることが多かった。
コラボレーション演芸として、木久扇+カンカラ、BOOMER+プリンプリン、内海桂子+あした順子、たい平+鉄拳、好楽+ヒロシ、歌丸+ナイツなど異色な組み合わせが行われることもある。
2006年(平成18年)1月22日の第2000回放送と、同年5月14日の「40周年スペシャル」では、(当時の)演芸最多出演者として、マジックのナポレオンズが紹介され、出演した(ちなみに、ナポレオンズの出演回数は47回[24]=2016年現在)。
2016年1月17日には司郎のマジックに特別出演として、日曜ドラマ『臨床犯罪学者 火村英生の推理』の主演である斎藤工、窪田正孝が出演した。
「演芸」内で行われる企画
- アナウンサー大喜利
- 真打昇進・襲名披露口上
- 各協会・一門に関係する大喜利メンバーが進行役や挨拶で登場する。
- 真打昇進披露は年2回、落語協会と落語芸術協会、円楽一門会の各団体の合同によって行われることが多い。落語立川流については通常含まれない[25]。真打になった本人の挨拶があるのが特徴[26]。最後に進行役が1人(大抵は年長者)を指名し、指名された者が音頭をとる形で「三本締め」で締めるのが恒例である。
- 大喜利メンバーのロケ企画
- 大喜利コーナーでメンバーが座布団を10枚獲得したご褒美として豪華賞品に関連するロケ収録の模様を送る。ナレーションは日本テレビのアナウンサーか大喜利メンバーが行う。
「演芸」内で行われていた企画
- 若手大喜利
- 若手の登竜門 笑点の穴
- 1996年(平成8年)11月3日にスタート。ベテランの出演が多かったころ、あまり出演機会のなかった若手を対象にしたコーナー。コーナー名は『タイガーマスク』の「虎の穴」にちなんでいる。毎回2、3組登場し、最後まで笑いを取れれば「おめでとう!全国放送」のテロップが出るが、取れなければネタの途中でカットされ「笑点の穴へ逆戻り!再チャレンジお待ちしています。」のテロップが出る。
- アンジャッシュ、TIM、グループ魂(暴動・破壊・バイト君)、爆笑問題、つぶやきシロー、プリンプリン、テツandトモ、ますだおかだ、北陽、たい平、など多くの若手芸人がしのぎを削った。また、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!のコントコーナー「ランキングキャラクターライブ」から派生した番組内ユニットのザ・レスラーズ(南原清隆・勝俣州和・濱口優)とSeniorJunior(内村光良・ウド鈴木)による対決が行われたこともある。
- その他の企画
- 1980年(昭和55年)から1987年(昭和62年)までの年末と1990年(平成2年)から1996年(平成8年)までの新春スペシャルでは、笑点メンバーがマジックを披露する年1回のスペシャルコーナーがあった。
- 1998年(平成10年)7月は番組を休んだ山田に代わる座布団運びを選出するとして、4回にわたって若手落語家による「大喜利下克上」を放送した。
- 2007年(平成19年)2月4日の放送では、当時、林家きくおの2代目木久蔵襲名後の自分の名前を募集していた林家木久蔵の新しい名前の中間発表が行われた。結果は4月28日の収録で発表され、終了後本人が会見を開き公表した。その模様は5月6日に放送。9月23日の放送から「林家木久扇」の名で出演している。
- 2009年(平成21年)11月8日の放送では、「さよなら円楽笑点お別れ会」として、現在のメンバーとこん平が、5代目圓楽の思い出を振り返った。
大喜利
終了したコーナー
- 談志とゲスト対談
- 談志がゲストと対談するコーナー。トークコーナーでありながら、ゲストとの掛合いが半ば即興漫才となっていた。
- 第1回のゲストはミヤコ蝶々で、前身番組『金曜夜席』の裏番組だった『蝶々・雄二の夫婦善哉』(朝日放送・TBS系列)の司会という間柄の対談であった。
- フリートーク
- 1969年11月に前田武彦司会就任と共に始まった「前武歳時記」で、舞台上にいる前武が日々感じたことをありのまま喋っていたもの。三波伸介司会就任後は、収録会場の観覧客席に移る。番組オープニング直後に司会者がカメラに向かって番組開始の挨拶に続いて簡単な話を数分間した後、直後の演芸へと繋いだ流れは1996年3月まで続いた。
- 前武のなんでも入門
- その道のプロを呼んで挑戦するというコーナー。後に座布団運びを担当する小野千春は、このコーナーのアシスタントを担当していた。
- 伸介のなんでもコーナー
- ゲストを呼んでの対談やその道のプロを呼んで挑戦するというコーナー。
- このコーナーの最多出演者は、計13回出演の神田川俊郎。三波と親交があったため定期的に出演し、自慢の料理の腕前を披露していた。次いで多かったのは、三波がファンであったシャンソン歌手高英男で、コーナーへは6回出演しているほか、新春の特別コーナーであるドレミファ大喜利へも出演した。
- 他に岡本太郎・手塚治虫・嵐寛寿郎・淡谷のり子・永六輔・石原慎太郎といった、そうそうたる豪華ゲストが出演した。
- 円楽のよろずガイダンス
- 落語に関することを中心とした雑学を5代目圓楽が披露するコーナー。
エンディング
2015年5月以降は「笑点おもいで写真館」・「笑点 こんな写真が!」と題し、『笑点のテーマ』をBGMに、主に立川談志や5代目圓楽ら、番組黎明期の出演者写真を紹介しながら提供クレジットを表示し、終了している。
以前は、司会者の締めの挨拶の後、大喜利メンバーたちが高座に正座した状態で客席に向かって手を付いてお辞儀をしている様子を映したまま、『笑点のテーマ』をBGMに提供クレジットと次回の放送内容のテロップが出て(後述)そのまま番組終了していた。この間の大喜利メンバーたちはお辞儀をしたまま特に動きがないのが基本だが、時に最後に出たネタを引きずってそれに絡んだアクションをしたり、歌丸と大喜利メンバーたちのやり取りが見られることもある。2013年6月以前は最後に次回予告が出ていたが、それ以降は「次回をお楽しみに」のみ表示され、次回予告は廃止された。歌丸が引退後最初の放送となる2016年5月29日の放送は「歌丸終身名誉司会、いかがでしたか?」というテロップであった。
また、11月から12月にかけては番組の公式カレンダーである「笑点暦」の宣伝をエンディングで行うが、番組のオフィシャル本などカレンダー以外の番組関連グッズの宣伝をエンディングで行うこともある。
歌丸の締めの挨拶は「どうやらお時間が来たようです。また来週お目にかかりましょう(「お会いしましょう」と言うこともある)。有り難うございました(失礼いたしますと言うことも稀にあるが、年内最後は「それでは今年一年応援いただいて大変有り難うございました。来年も笑点、一丸となってみんなで頑張ります。ごひいきの程どうぞよろしくお願いをいたします」)」が基本だが、直前に座布団没収になるようなネタが繰り出された場合はそのネタについてのフォローを入れながら締めの挨拶に移っていくことが多い。三波伸介や5代目圓楽などは「といったところで笑点お開き、また来週のお楽しみ、有り難うございました(年内最後は「また来年お目にかかります」)」が、締めの挨拶の決まり文句になっていた。
40分番組だった頃は司会者の挨拶の後大喜利メンバーたちがお辞儀をする姿を一瞬映し、さらに拍手を送る客席の様子を映してからCMに入り(30分番組になってからも客席を映すエンディングはしばらく続けられている。現在でも地方収録時にしばしば見られる)、CM明けに提供クレジットと次回の放送内容が出たあと、オープニングタイトルの左下に寄席文字で「終」の文字が入ったタイトルが出て番組終了となっていた。次回の放送内容の紹介はテロップではなく、収録後の高座の様子を写したスチール写真に寄席文字で書いたパネルで紹介するスタイルが長く続いていた。
地方収録やその年の最後に「三本締め」で幕締めすることが恒例中の恒例であったが、近年は行われなくなっており、前述の披露口上の締めでのみ行われている。
オープニング
番組のオープニングではテーマ曲をBGMに、その放送回の出演者(レギュラー出演者とゲスト出演者)と、番組スタッフの紹介のあと、最後に制作クレジット(「日本テレビ」と公開収録したテレビ局名)が表示される。
表示される番組スタッフは、題字、テーマ音楽担当、オープニングアニメ制作者、企画立案、制作協力、ディレクター、プロデューサー、制作担当などである。
テーマ曲
「笑点音頭」
番組放送当初はテーマ曲は無かったが、1967年(昭和42年)1月29日の放送回からオープニング曲が使用された。
- 曲名:「笑点音頭」
- 作詞:立川談志、作曲:宮崎尚志
- 歌唱:立川談志&笑点グループ
- 1967年、キングレコードからレコード発売。のちに複数のレコード会社から、企画盤のうちの一曲としてCD化されている。
- 2012年、立川談志追悼としてタワーレコード専売で当時のシングル盤のジャケット写真を用いてマキシシングルとして復刻販売される。
- ジャケットには「連続TVドラマ「笑点」主題歌」と記載されているが、発売1年前の1966年には「笑点」の名前の由来である「氷点」の連続テレビドラマが放映されていた。
「笑点のテーマ」
「笑点のテーマ」 | |
---|---|
中村八大の楽曲 | |
リリース | 1969年 |
時間 | 1分17秒 |
作詞者 | 前田武彦 |
作曲者 | 中村八大 |
1969年(昭和44年)11月に談志が司会を降板した後、新テーマ曲として「笑点のテーマ」が導入された。現在では「笑点」といえばこの曲、と言われるほど非常に有名である。
また、導入当初は司会の前田武彦による歌詞があった。歌は前田と当時の大喜利メンバーが歌ったが、メンバーチェンジを機にインストゥルメンタルのバージョンとなり現在に至っている[要出典]。
1985年3月31日まで使用されていた初期バージョンは、東海林修の編曲・指揮により、ジャズのオーケストラ形式で録音されたが、効果音係が、効果音の一つとして使用していたクラクションの操作ミスによって、最後の部分に妙な音調で「パフ」という音を入ったが、これが好評だったのでそのまま採用され、後述の再録音の際にも再現されるなど、「笑点のテーマ」のシンボルとなった。また、提供社名を流す際の番組開始・終了用音楽は、前述の効果音による合いの手が入らないなどアレンジが微妙に異なり、曲の最後の部分でブラスの音が強調されていた。これらの音源は、後述のステレオ再録音の音源が採用されるまで使用され続けた。なお、当番組は1980年4月6日放送分からステレオ放送[27]となっているが、それから後述のステレオ再録音が使われるまでは、このモノラル音源を擬似ステレオ化した物が使われていた[要出典]。
その後テーマ曲は、1985年4月7日に別の演奏者によりステレオにて再録音された(「笑点 大博覧会 DVD-BOX」では、1991年12月まで使われたオープニングまで前のバージョンの音声に変えていた)ものが放送される。その際、鳴り物や吹き物が変更され、アレンジも変化したが、全体的にはオリジナルの曲調を踏襲している。提供アナウンス時の音楽は、ジャズ調アレンジのテーマが流され、後に2006年5月14日放送(第2016回)の40周年記念スペシャルのエンディングや2009年1月1日放送の2009お正月スペシャルのエンディングでも流された。1998年8月2日からは若干変更になり、2代目のアレンジに加え、長さも40秒に短縮された。2010年1月からはハイビジョン制作となったのと同時にテーマ曲も高音質となっている。
初期の東海林修の編曲・指揮によるモノラル音源のインストゥルメンタル・ヴァージョンは、ソニー・ミュージックエンタテインメントからのコンピレーション・アルバムCD「日曜夜のテレビは哀愁」(CD番号:MHCL1185、2007年10月10日発売)の第1曲目に収録されている。
歴代オープニング
- 「笑点音頭」 (1967年1月29日 - 1969年3月30日)
- アニメーションの似顔絵と演出は、竹内大三が担当。
- 「笑点」の文字を笑顔に見立てるアニメーションの後、以下の順でメンバーを模した動物が登場。
- 途中、メンバーの名跡襲名・改名があった際、字幕のみ変更。
- 1969年4月以降、5代目圓楽らが降板したため「笑点音頭」が使えなくなる。
- 「笑点のテーマ(歌唱つき)」(歌詞付き) (1969年11月9日 - 1970年6月14日)
- 「笑点のテーマ」を歌っていたのは前田武彦と大喜利メンバー。
- 任侠陣傘編 (1970年6月21日 - 1971年12月26日)
- テーマ曲の「笑点のテーマ」はインストゥルメンタル版(歌なし楽器演奏のみ)で、出演者紹介時のみ静止画で表現される形式。以降のオープニングで踏襲される。
- 切り絵風アニメーション(似顔絵・演出は永沢詢が担当)で、陣笠姿の大喜利メンバー6名と司会者が陣笠を取り、コスプレ姿に。
- 日本の昔話編 (1972年1月2日 - 1974年12月29日)
- 出演者紹介時のみ静止画と寄席文字で表現される形式に。
- 水墨画風アニメーション(似顔絵・演出は永沢詢が担当)で、朝日と富士山を背景に「笑点」と書かれた掛軸の登場後、以下の順で出演者紹介。
- 笑点大演芸編 (1975年1月5日 - 1977年8月21日)
- 浮世絵風アニメーションで、おなじみの定式幕を背景に「笑点」のタイトル表示後、以下の順で出演者紹介。
- 「製作 著作 日本テレビ」の表示が、これまでのテロップ表示に代わってアニメーション表示に変更。
- ここから2006年5月14日まで、出演者紹介前に出演者に向かってズームインする形式に。
- 5代目圓楽が番組卒業した1977年4月以降は、5代目圓楽の似顔絵アップ部分のみカットし若干ピエロのシーンを延長して対処。
- 江戸の暮らし編 (1977年8月28日 - 1978年12月24日、1979年9月9日 - 1980年12月28日)
- 6代目三遊亭圓窓の降板と三笑亭夢之助と三遊亭楽太郎の2名の加入に伴い、オープニング一新。
- 1979-80年は三笑亭夢之助の急な降板や4代目三遊亭小圓遊の急逝に伴い、新メンバーの林家九蔵と古今亭朝次の紹介に作り替えたバージョンを放送。
- 1980年10月19日と26日は、同年10月5日に急逝した4代目三遊亭小圓遊の追悼によりオープニングテーマなし。
- 古今東西大演芸編 (1979年1月7日 - 1979年9月2日)
- アニメーションの似顔絵・演出は、夢野凡天が担当。
- 東海道五十三次編 (1981年1月4日 - 1982年12月26日)
- 1982年12月12日と19日は、同年12月8日に急逝した三波伸介の追悼によりオープニングテーマなし。
- 日本の祭り編 (1983年1月9日 - 1983年10月9日)
- 5代目三遊亭圓楽の司会就任後、初のオープニング。当初は三波伸介で制作されたが急逝したため、顔の部分だけ5代目圓楽に作り替えて放送に間に合わせた。
- 落語の世界編 (1983年10月16日 - 1985年3月31日)
- 三遊亭好楽の降板と三遊亭小遊三の加入に伴い、オープニング一新。
- 世界の童話編その1 (1985年4月7日 - 1986年3月30日)
- このオープニングからステレオ音声に。
- 世界の童話編その2 (1986年4月6日 - 1987年3月29日)
- 世界の童話編その3 (1987年4月5日 - 1988年3月27日)
- 古今東西有名人編 (1988年4月3日 - 1989年12月24日)
- 7代目桂才賀の降板と三遊亭好楽の復帰に伴い、オープニング一新。
- 5代目圓楽(徳川家康)→ゲスト出演者(関ヶ原の戦い)→歌丸(サリー・ライド)→こん平(マイケル・ジャクソン)→木久蔵(アーサー王)→楽太郎(小野小町)→小遊三(ジョン万次郎)→好楽(一休宗純)→山田(ユーリイ・ガガーリン)
- 江戸の商売編 (1990年1月7日 - 1990年12月30日)
- 世界のスポーツ編 (1991年1月6日 - 1991年12月29日)
-
- 5代目圓楽(ポロ)→ゲスト出演者(メンバーの駅伝)→歌丸(釣り)→こん平(アメリカンフットボール)→木久蔵(鉄棒)→楽太郎(ゲートボール)→小遊三(野球)→好楽(シンクロナイズドスイミング)→山田(ボクシング)
- 江戸の生活編 (1992年1月5日 - 1992年12月27日)
- 古典落語の世界観で表現。
- 日本テレビ開局40周年記念・日本の昔話編その2 (1993年1月10日 - 1995年12月24日)
- 「日本の昔話編」のリメイク。
- 笑点フェスティバル編 (1996年1月7日 - 1997年3月30日)
- 笑点メンバーの趣味趣向編 (1997年4月6日 - 1998年6月28日)
- 1998年7月は新オープニングアニメ(七福神編)の制作が間に合わず、山田が休演していたことも重なり、オープニングテーマなし。そのため、大喜利終了時にエンドロールを出していた。
- 笑点七福神編 (1998年8月2日 - 1999年12月26日)
- ここからアレンジされ、間奏とゲスト紹介が消滅された40秒バージョンに。
- 笑点ファミリー編 (2000年1月9日 - 2000年12月24日)
- ここからレギュラー陣氏名のアルファベット文字が入った。
- 5代目圓楽(サラリーマンの父)→歌丸(料理中の母)→こん平(階段から転げ落ちる子供)→木久蔵(トイレを済ませたおじいさん)→楽太郎(バス停へ走るOL)→小遊三(リーゼント極めてる高校生)→好楽(セーラー服の女子高生)→山田(女の子を追いかける幼稚園児)
- 21世紀記念編 (2001年1月7日 - 2001年5月13日)
- ここから三遊亭好楽と三遊亭楽太郎の紹介順が入れ替わる。
- 5代目圓楽(1966年/笑点誕生)→歌丸(1967年/ツイッギー来日)→こん平(1969年/アポロ11号人類月面到着)→木久蔵(1970年/大阪万博)→好楽(1972年/札幌オリンピック)→小遊三(1977年/王貞治・756号本塁打)→楽太郎(1989年/ベルリンの壁崩壊)→山田(2000年/日本女子マラソン・オリンピック初金メダル)
- 笑点35周年記念・大江戸すごろく編 (2001年5月20日 - 2003年12月28日)
- 「東海道五十三次編」のアレンジ。
- 2002年・2003年の「新春!笑てん声慎吾」のみ、香取慎吾(文字・場所ともに不明)とキャイ〜ン(御油宿・文字不明)を追加。
- 笑点1900回記念・大江戸笑点街編 (2004年1月4日 - 2006年5月14日)
- こん平の休演後も、こん平が正式な降板はしていなかったこと、林家たい平は代理出演という扱いだったため、作り替えることなく放送された。
- 笑点40周年記念・新装開店祭編 (2006年5月21日 - 2008年5月11日)
- 桂歌丸の司会就任、春風亭昇太の加入、林家たい平のレギュラー昇格後、最初のオープニング。
- 2007年9月23日以降は、スタッフテロップのフォントおよびスタッフテロップの2つ目のアニメが変更(太神楽→馬の体が半分にちぎれる)。
- 日本テレビ開局55周年記念・落語の世界編その2 (2008年5月18日 - 2016年5月8日)
- 「落語の世界編」のリメイク。歴代で最も長く使われた。
- 番組のハイビジョン化により、2010年1月1日の新春スペシャルより画面比率16:9に拡大。2009年1月1日の新春スペシャルでも地上デジタル放送ではオープニングアニメーションのみ16:9フルサイズで放送。アニメーション自体そのものは作成当初からハイビジョンで制作。
- 出演者の名前の表示枠は4:3表示に対応する位置にあったが、ハイビジョン化以降変更した6代目円楽のみ16:9表示対応になった。
- 6代目円楽に「六代目」「6th」が追記された。
- 2014年10月19日放送回では、初期の喉頭癌により休演していた木久扇が復帰することから、木久扇の登場シーンにて扇子の日の丸にそれぞれ「た」「だ」「い」「ま」の4文字が入れられた。[28]
- 笑点50周年記念・落語の世界編その3 (2016年5月15日 - 現在)
- 2パターンが存在する。
- 50周年記念(2016年5月15日)・桂歌丸勇退に伴う新司会者(春風亭昇太)を生放送で発表(同22日)
- 春風亭昇太の司会就任に伴う新メンバー(林家三平)を生放送で発表(2016年5月29日)
- 木久扇→好楽→小遊三→6代目円楽→昇太→たい平→山田→スタッフテロップ(「居酒屋」のあとに「しわい屋」が追加)→歌丸(名前表示部のみ)
- 名前の表示枠が拡大された。
- 6代目円楽の「六代目」「6th」が削除された。
- 2016年5月29日以降のオープニングは、スタッフテロップの後に歌丸の名前表示部分のみを移動し「終身名誉司会」が追記された。
- 三平は2016年5月29日放送回の大喜利で発表されたため、同回のオープニングは未登場。
- オープニングの最初は、必ずと言っていいほど定式幕をバックに笑点のロゴが出てきて、定式幕が開き、太陽の絵が出てくるのが慣例である。
- オープニングの最後には、テーマに沿った品物が画面の奥から飛んでくるのが慣例となっている。
- オープニングの出演者表示は休演による変更は行われない。
舞台装置
1970年(昭和45年)まであった演芸場「人形町末廣」を参考に、「昔ながらの寄席の高座をスタジオに再現したい」というコンセプトでデザインされている。部分的な手直しは何度か行われたが、『金曜夜席』の放送開始時から基本的なところは変わっていない。
舞台奥の襖は4枚あり、後楽園ホールでの収録時と地方収録時では絵柄が異なる。地方収録の際は、襖に収録地の名産品、観光名所、祭りの光景などが描かれる[29][30] 。
舞台の上の提灯には当初、笑点メンバーの定紋を入れていたが、1969年(昭和44年)から現在のように名前を書くようになった(ただし、その後も特番の時などに紋の入った提灯が下げられたことがある)。
舞台上部に飾られている「笑点」と書かれた額は、2011年(平成23年)6月5日までは橘右近によるものを使用されていたが、2011年(平成23年)6月12日から橘左近によるものを使用されている[要出典]。
なお、出演者や裏方たちは原則として上手から入退場するので下手側は通常襖で閉められているが、対抗戦形式の大喜利が行われる時などは下手側の襖も開いて下手から入退場するケースもある。現在は足腰が弱ってしまった為に歩行が困難になった歌丸が司会者席に近い下手側から入退場するので、入退場する時のみ開放される。
舞台上は、基本的に土足厳禁となっており、大喜利メンバーのみならず前半の演芸コーナー出演者も舞台上には靴は履かずに舞台に上がる。
地方収録
初の地方収録は大阪府寝屋川市で行われた(放送日不詳、収録日は1967年(昭和42年)7月15日。他、談志司会の頃には山形県天童市や岩手県花巻市などにも行っている)。
また、神奈川県伊勢原市での地方収録の放送時(1973年(昭和48年)10月21日 )にニールセン[31]調べによる当番組の歴代最高視聴率40.5%(関東地区)をマークしている[32]。
かつて、地方収録第1週目の客席からのオープニングでは、司会者の隣に系列局の女性アナウンサーが座り、当地の名所や名産物を紹介していた。
1997年(平成9年)以降の地方収録は以下の通り。近年はもっぱら、日本テレビの系列局の開局○周年記念として行われている(市制〇周年記念などがプラスされるパターンもある)。
放送年月日 | 会場 | 理由 | |
---|---|---|---|
1997年 (平成9年) |
8月10日 8月17日 |
鳥取県・山陰・夢みなと博覧会会場 | 日本海テレビジョン放送開局40周年記念 |
9月28日 10月5日 |
熊本県・熊本市民会館 | 熊本県民テレビ開局15周年記念 | |
11月9日 11月16日 |
徳島県・鳴門市文化会館 | 四国放送開局45周年記念 | |
1998年 (平成10年) |
3月8日 3月15日 |
埼玉県・熊谷文化創造館 さくらめいと | 日本テレビ放送網開局45周年記念 |
6月21日 6月28日 |
山形県・山形県県民会館 | 山形放送開局45周年記念 | |
10月11日 10月18日 |
鹿児島県・鹿児島市民文化ホール | 鹿児島讀賣テレビ開局5周年記念 | |
1999年 (平成11年) |
1月10日 1月17日 |
香川県・ユープラザうたづ | 西日本放送開局40周年記念 |
3月21日 3月28日 |
静岡県・静岡市民文化会館 | 静岡第一テレビ開局20周年記念[33] | |
6月6日 6月13日 |
岩手県・北上市市民会館 | テレビ岩手開局30周年記念 | |
8月1日 8月8日 |
愛媛県・今治市公会堂 | 南海放送開局45周年記念 | |
10月17日 10月24日 |
福島県・郡山市民文化センター | 福島中央テレビ開局30周年記念 | |
2000年 (平成12年) |
3月5日 3月12日 |
大分県・大分文化会館 | テレビ大分開局30周年記念 |
5月7日 5月14日 |
北海道・札幌メディアパーク・スピカ | 札幌メディアパーク・スピカ グランドオープン記念 | |
8月6日 8月13日 |
長野県・長野県県民文化会館 | テレビ信州開局20周年記念 | |
9月24日 10月1日 |
宮城県・イズミティ21 | 宮城テレビ放送開局30周年記念 | |
2001年 (平成13年) |
3月18日 3月25日 |
新潟県・村上市民ふれあいセンター | テレビ新潟放送網開局20周年記念 |
5月27日 6月3日 |
石川県・金沢市観光会館 | テレビ金沢開局10周年記念 | |
8月26日 9月2日 |
山口県・山口きらら博きららホール | 山口放送開局45周年記念 | |
2002年 (平成14年) |
3月24日 3月31日 |
山梨県・山梨県立県民文化ホール | 山梨放送開局50周年記念 |
6月30日 7月7日 |
福井県・鯖江市文化センター | 福井放送開局50周年記念 | |
9月29日 10月6日 |
広島県・はつかいち文化ホール | 広島テレビ放送開局40周年記念 | |
12月8日 12月15日 |
熊本県・熊本県立劇場コンサートホール | 熊本県民テレビ開局20周年記念 | |
2003年 (平成15年) |
3月9日 3月16日 |
徳島県・徳島市立文化センター | 四国放送開局50周年記念 |
4月27日 5月4日 |
秋田県・秋田県民会館 | 秋田放送開局50周年記念 | |
6月8日 6月15日 |
神奈川県・横浜にぎわい座 | 日本テレビ放送網開局50周年記念 | |
7月6日 7月13日 |
山形県・山形県県民会館 | 山形放送開局50周年記念 | |
10月26日 11月2日 |
鳥取県・鳥取県立倉吉未来中心 | 日本海テレビジョン放送開局45周年記念 | |
2004年 (平成16年) |
3月14日 3月21日 |
高知県・高知県立県民文化ホール | 高知放送開局50周年記念 |
5月23日 5月30日 |
鹿児島県・鹿児島市民文化ホール | 鹿児島讀賣テレビ開局10周年記念 | |
9月26日 10月3日 |
静岡県・静岡市民文化会館 | 静岡第一テレビ開局25周年記念 | |
12月5日 12月12日 |
岩手県・北上市文化交流センター さくらホール | テレビ岩手開局35周年記念 | |
2005年 (平成17年) |
3月6日 3月13日 |
福岡県・福岡市民会館 | 福岡放送開局35周年記念 |
5月29日 6月5日 |
石川県・金沢市観光会館 | テレビ金沢開局15周年記念 | |
9月11日 9月18日 |
宮城県・仙台サンプラザホール | 宮城テレビ放送開局35周年記念 | |
12月4日 12月11日 |
長野県・長野県県民文化会館 | テレビ信州開局25周年記念 | |
2006年 (平成18年) |
4月30日 5月7日 |
山口県・周南市文化会館 | 山口放送開局50周年記念 |
10月8日 10月15日 |
新潟県・長岡市立劇場 | テレビ新潟放送網開局25周年記念 長岡市制100周年記念 | |
2007年 (平成19年) |
4月1日 4月8日 |
熊本県・熊本県立劇場演劇ホール | 熊本県民テレビ開局25周年記念 熊本城築城400周年記念 |
7月8日 7月15日 |
富山県・富山県民会館大ホール | 北日本放送開局55周年記念 | |
9月9日 9月16日 |
福井県・福井市文化会館 | 福井放送開局55周年記念 | |
2008年 (平成20年) |
3月30日 4月6日 |
広島県・はつかいち文化ホール | 広島テレビ放送開局45周年記念 |
7月13日 7月20日 |
島根県・出雲市民会館 | 日本海テレビジョン放送開局50周年記念 | |
10月26日 11月2日 |
愛媛県・松山市民会館 | 南海放送開局55周年記念 | |
2009年 (平成21年) |
3月8日 3月15日 |
鹿児島県・鹿児島市民文化ホール | 鹿児島讀賣テレビ開局15周年記念 |
5月17日 5月24日 |
岩手県・岩手県民会館 | テレビ岩手開局40周年記念 | |
8月9日 8月16日 |
山梨県・山梨県立県民文化ホール | 山梨放送開局55周年記念 | |
10月25日 11月1日 |
青森県・青森市文化会館 | 青森放送開局55周年記念 | |
2010年 (平成22年) |
3月7日[34] 3月14日[34] |
愛知県・みよし市文化センターサンアート大ホール | 中京テレビ放送開局40周年記念 みよし市の市制施行記念として、みよし市で収録された |
6月20日 6月27日 |
福岡県・福岡市民会館 | 福岡放送開局40周年記念 | |
7月4日 7月11日 |
宮城県・仙台サンプラザホール | 宮城テレビ放送開局40周年記念 | |
11月14日 11月21日 |
長野県・ホクト文化ホール | テレビ信州開局30周年記念 | |
2011年 (平成23年) |
4月17日 4月24日 |
長崎県・長崎市公会堂 | 長崎国際テレビ開局20周年記念 |
7月10日 7月17日 |
新潟県・弥彦総合文化会館 | テレビ新潟放送網開局30周年記念 | |
10月23日 10月30日 |
山口県・周南市文化会館 | 山口放送開局55周年記念 | |
2012年 (平成24年) |
7月8日 7月15日 |
富山県・魚津市新川文化ホール | 北日本放送開局60周年記念 |
11月4日 11月11日 |
熊本県・熊本県立劇場 | 熊本県民テレビ開局30周年記念 | |
2013年 (平成25年) |
2月10日 2月17日 |
福島県・郡山女子大学 建学記念講堂 | 福島中央テレビ東日本大震災復興支援 |
4月7日 4月14日 |
徳島県・徳島市文化センター | 四国放送開局60周年記念 | |
6月30日 7月7日 |
秋田県・秋田県民会館 | 秋田放送開局60周年記念 | |
12月8日 12月15日 |
山形県・山形県県民会館 | 山形放送開局60周年記念 | |
2014年 (平成26年) |
4月13日 4月20日 |
高知県・高知県立県民文化ホール | 高知放送開局60周年記念 |
5月25日[35] 6月1日[35] |
岩手県・大船渡市民文化会館 リアスホール | テレビ岩手開局45周年記念 | |
11月30日 12月7日 |
福岡県・キャナルシティ劇場 | 福岡放送開局45周年記念 | |
2015年 (平成27年) |
4月5日 4月12日 |
山梨県・山梨県立県民文化ホール | 山梨放送開局60周年記念 |
6月14日 6月21日 |
静岡県・焼津文化会館大ホール | 静岡第一テレビ開局35周年記念 | |
11月8日 11月15日 |
石川県・本多の森ホール | テレビ金沢開局25周年記念 | |
2016年 (平成28年) |
3月27日 4月3日 |
宮城県・仙台サンプラザホール | 宮城テレビ放送開局45周年記念 |
なお、2013年2月現在で地方収録の回数が一番多い回数は福島県の9回。次いで福岡県が8回。逆に、茨城県、千葉県、三重県、滋賀県、奈良県、和歌山県、佐賀県、宮崎県では1度も行われていない(いずれも2016年5月時点)。
初の地方収録を大阪で行った地区は関西地区での視聴率対策のためと言われるが、現在は地方収録を行っている番組自体が非常に少なく人気番組であることもあり、ネット局からの収録の依頼が殺到している状態である。そのため激しい誘致競争に勝ち抜くために上記の通り各ネット局の開局記念行事として行われることがほとんどである。
なお、2000年代あたりには関西地区での収録は行われておらず、「笑点」のオフィシャルサイトにも「関西での収録予定はないのか」という質問が紹介されており、それに対する答えが「前提として要請のあった系列局に伺うことになっております」となっていることから暗にNNNとNNSの関西広域ネット局の読売テレビ放送が積極的に公録の誘致を行っていないことを匂わせている。また、歌丸の著書では大阪府寝屋川市で公録を行った際に読売テレビ側がきちんとした対応をとらなかったということで局と出演者たちの間で対立が起きたというエピソードが紹介されている[36]。
海外公演
過去に大喜利での座布団10枚獲得などによる、海外での収録は幾度か行われているが、うち大喜利そのものの海外収録は過去3度行われている。
放送年月日 | 公演名 | 収録地 | 備考 |
---|---|---|---|
1978年(昭和53年)4月30日、5月7日 | 笑点 亜米利加寄席 | サンフランシスコ | 日本テレビ放送網開局25周年記念 |
1980年(昭和55年)10月5日、10月12日 | 笑点 ハワイ公演 | ハワイ州 | 番組15周年記念 |
1997年(平成9年)4月20日 | 笑点 in 香港 | 香港 | 番組30周年記念 |
ハワイ公演は大喜利レギュラーだった4代目三遊亭小圓遊の最後の出演となった(ハワイ公演の1回目の放送があった日の未明に急死)。また、香港ロケの模様は90分の特別版で放送された。
このほか、1991年(平成3年)の番組25周年の時にはパリでの収録が予定されていたが湾岸戦争の影響を理由に中止されている[37]。
番組史
年 | 日付 | 出来事 |
---|---|---|
1966年 (昭和41年) |
5月15日 | 『笑点』放送開始。当初の放送時間は16:30-17:10。 |
1967年 (昭和42年) |
1月1日 | 初の「師弟大喜利」を開催。 |
8月27日 | 初の「大喜利ゲスト大会」を開催。大喜利メンバーの1人として後の2代目司会者・前田武彦が出演。 | |
10月8日 | 初の「若手大喜利」を開催。大喜利メンバーの1人として林家木久蔵(木久扇)が初登場。 | |
1968年 (昭和43年) |
5月5日 | 放送時間が17:20-18:00に変更。 |
12月15日 | 石井が「毒蝮三太夫」に改名。この頃、談志とメンバーの間に、番組の方向性についての深刻な溝が出来ていた。 | |
1969年 (昭和44年) |
3月30日 | 5代目圓楽らメンバー全員が談志と対立し降板。翌4月6日から新メンバーで大喜利を行う。 |
4月頃 | このころより談志が度々番組を休演。万が一の談志休演に備えて、一龍斎貞鳳を代理司会に起用。 | |
11月9日 | 視聴率低下と衆院選への出馬に伴って談志が降板。代わって前田武彦が2代目司会者となり、メンバーチェンジで大喜利が8人制(各チーム4人編成の2チーム制)に(コーナー名も「大喜利ナンバーワン」に改称)。「前武の何でも入門」がスタート。 | |
1970年 (昭和45年) |
2月8日[38] |
この日は北海道(具体的な場所は不明)で収録されたものを放送したが、収録日の大雪による欠航のため前田が休演。当日の演芸ゲストがてんぷくトリオであったことから、代理司会を三波伸介が、座布団運びを伊東四朗が務めた。 |
5月31日 | 放送200回記念に神田明神で神輿担ぎやバナナの叩き売りなどの「笑点まつり」を開催し、大喜利は境内の仮設舞台で行った。 | |
6月21日 | メンバーチェンジで大喜利が現在の6人制になる(チーム対抗制も同時に廃止)。コスチューム大喜利を導入。 | |
8月24日 | 初の「ちびっ子大喜利」を開催。大喜利メンバーの1人として山田隆夫が初登場。 | |
12月20日 | 三波が3代目司会者に。「伸介の何でもコーナー」がスタート。 | |
1972年 (昭和47年) |
1月2日 | 初の「親子大喜利」を開催。 |
放送日不明 | 座布団の色がピンク色から現在の紫色になる。 | |
4月30日 | 放送300回を記念して、歴代3司会者によるスペシャル対談を行う。 | |
8月27日 | 歌丸小圓遊・手打ち式。三波・5代目圓楽を仲裁立会人として仲直りさせる。 | |
1973年 (昭和48年) |
8月26日[39] | 日本テレビ開局20周年を記念して、浅草寺の境内で開催され、「座布団供養」を行った[40]。談志がゲストで出演。 |
10月28日 | ニールセン調べによる視聴率において、歴代最高の40.5%を記録(関東地区)。 | |
1974年 (昭和49年) |
10月27日 | ビデオリサーチ調べによる視聴率において、歴代最高の36.1%を記録(関東地区・世帯)[41]。 |
1975年 (昭和50年) |
12月14日 | 一般販売用「笑点暦」第1号を披露。 |
1976年 (昭和51年) |
8月22日 | 『笑点』放送開始10周年を記念して、京王プラザホテルでの開催。 |
1977年 (昭和52年) |
1月2日 | 初の「東西大喜利」を開催。西軍のリーダーは桂三枝(現・六代桂文枝)、東軍のリーダーは5代目圓楽。 |
3月27日 | 「圓楽・笑点卒業式」を行う。これまでの功績を称え、三波が卒業証書を5代目圓楽へ授与した。大喜利レギュラーからはニンジンが贈られた。 | |
1978年 (昭和53年) |
4月30日・5月7日 | 日本テレビ開局25周年を記念して、サンフランシスコで「亜米利加寄席」を開催。 |
1980年 (昭和55年) |
10月5日未明 | 小圓遊が食道静脈瘤破裂のため急逝。 |
10月5日・10月12日 | 『笑点』放送開始15周年を記念して、ハワイ寄席を開催。 | |
10月19日・10月26日 | 小圓遊追悼特集を行う。 | |
12月28日 | 年1回の恒例となる「マジック大会」が初開催(1996年新春まで)。 | |
1982年 (昭和57年) |
12月8日 | 三波が大動脈解離のため急逝。 |
12月12日・12月19日 | 三波伸介追悼特集を行う。 | |
1983年 (昭和58年) |
1月2日 | 司会者不在となった新春スペシャルのそれぞれの大喜利司会をこん平と愛川欽也が臨時に担当。 |
1月9日 | 5代目圓楽が4代目司会者として復帰。 | |
10月16日 | 「円楽のよろずガイダンス」がスタート。 | |
1985年 (昭和60年) |
4月7日 | 寄席「若竹」で初の公開収録を行う。同収録には初代司会者・立川談志も特別演芸ゲストとして出演、講談を披露した。 |
12月22日 | 間近となった『笑点』放送開始20周年と放送1000回突破を記念して、京王プラザホテルで特番を開催。歌丸が「2000回までやろう!」と言う。 | |
1988年 (昭和63年) |
8月28日 | 初の「24時間テレビ・チャリティー大喜利」を開催。『笑点』史上初の生放送。 |
1991年 (平成3年) |
12月29日 | 大喜利で、メンバー全員が座布団10枚達成。賞品(いわしみず)の贈呈は、翌年5月の慰安旅行先にて行われた。 |
1996年 (平成8年) |
4月14日 | 放送時間が17:30-18:00に短縮。 |
11月3日 | 若手芸人の登龍門「笑点の穴」がスタート。 | |
1997年 (平成9年) |
4月20日 | 『笑点』放送開始30周年を記念して、香港寄席を開催。 |
1998年 (平成10年) |
7月5日 - 7月26日 | 山田が休演。この間は、大喜利下克上で優勝した若手落語家が座布団運びを務めた。 |
2001年 (平成13年) |
5月20日 | 『笑点』放送開始35周年。そのため、この日の大喜利の3問全てが35周年に関する問題となった。 |
2002年 (平成14年) |
11月10日 | 公式ホームページ『笑点web』が開設。毎回の大喜利の回答や、座布団の枚数が放送後に更新される。 web内で、視聴者が番組内で行われたのと同じお題に参加できる「web大喜利」が毎週開催された(その日出題された3問の中から1問抜粋)。 |
2004年 (平成16年) |
9月12日 | こん平が休演。残りのメンバーで大喜利を行う(こん平の場所には4枚の座布団が積まれたまま)。 |
12月26日 | たい平が初登場。こん平の代役として出演。 | |
2005年 (平成17年) |
10月23日 | 5代目圓楽が休演。メンバーによる代理大喜利司会を経て、11月27日より歌丸が大喜利司会代理に。 |
11月23日 | 『笑点 大博覧会 DVD-BOX』発売。 | |
2006年 (平成18年) |
1月1日 | 新春特別番組『大笑点』が放送される(2007年・2008年も放送)。 |
1月22日 | 『笑点』放送2000回を達成したが、5代目圓楽とこん平が療養中のため通常放送。歌丸が「今度は5000回までやろう!」と発言。 | |
番組の歴史を写真でたどり、出演者や番組製作に関わった人々のコメントで構成された本【笑点】が刊行。 | ||
3月26日 | 5代目圓楽がオープニングの案内役として復帰するが、大喜利司会は歌丸が引き続き担当。 | |
5月14日 | 『笑点』放送開始40周年記念特別番組を最後に、5代目圓楽が勇退を表明。翌週から歌丸が正式に5代目司会者になる。 | |
5月21日 | たい平が正式にメンバーに昇格し、昇太が初登場。 | |
10月19日 | 木久蔵が新高座名公募の募集を『笑点』を通じて行い、番組を巻き込んだ騒動となる。 | |
2007年 (平成19年) |
9月23日 | 「ダブル襲名披露口上」を行い、木久蔵の新高座名が「木久扇」と改名される。 |
2008年 (平成20年) |
6月29日・7月6日 | 歌丸が腰の手術および療養のため休演。案内役は2週とも木久扇と楽太郎。 大喜利司会は6月29日がたい平、7月6日を昇太が担当。歌丸は翌週の7月13日(島根県での地方収録)から司会に復帰した。 |
2009年 (平成21年) |
10月4日 | この日放送の第2184回から音声多重放送を利用した視覚障害者向けの解説放送を開始(一部解説放送を行なわない場合もある)。 アナログ放送とデジタル・ワンセグでは音声帯が2chなので主音声が従来の放送、副音声で解説放送。何れも従来のモノラル化された。 デジタル・12セグでは音声帯が最大5.1chなので主音声はこれまで通りステレオ放送、副音声もステレオで解説放送を実施[要出典]。 |
10月29日 | 5代目圓楽が転移性肺がんのため逝去。 | |
11月8日 | 5代目圓楽追悼特集を行う。 | |
12月23日 | DVD『笑点 ありがとう円楽さん! 〜五代目 三遊亭円楽を偲ぶ映像集〜』発売。 | |
2010年 (平成22年) |
2月28日 | 「六代目円楽襲名披露口上」を行い、同日の放送より楽太郎が6代目円楽を襲名。 |
3月7日・3月14日 | 歌丸が肺炎のため休演。案内役は2週とも木久扇と好楽。大喜利司会は3月7日が木久扇、3月14日が好楽が担当。 | |
2011年 (平成23年) |
3月13日 | 前々日に当たる3月11日に発生した東日本大震災関連のNNN報道特別番組を放送したため休止[42]。 |
5月15日 | 『笑点』放送開始45周年。この回の大喜利は「45周年記念大喜利」として放送された。 | |
8月5日 | 2代目司会者の前田武彦が肺炎のため逝去。 | |
11月21日 | 初代司会者の談志が喉頭癌のため逝去。 | |
11月27日 | 番組エンディングにて談志の追悼コーナーを放送。 | |
2012年 (平成24年) |
5月9日 | 番組ブレーンの新倉イワオが大腸癌のため逝去。 |
2013年 (平成25年) |
10月20日 | 大喜利で、歌丸が1枚も座布団を与えなかったため「メンバー全員座布団を獲得できずに番組終了」という (歌丸曰く)番組放送開始以来初の事態となった。前週の放送では最後に全員の座布団が全没収されていたため、 これも放送開始以来であろう「メンバー全員が最初から最後まで座布団に座ることなく番組終了」という珍事でもあった。 |
2014年 (平成26年) |
3月18日 | 公式Facebookが開設される。 |
4月28日 | 公式ホームページがリニューアルされる。その前の週の4月20日を以って、視聴者参加の「web大喜利」が終了した。 | |
5月11日 - 6月1日 | 歌丸が慢性閉塞性肺疾患と肋骨骨折、帯状疱疹で入院したため休演。 この間、冒頭の案内役を昇太とたい平が、大喜利の司会は5月11日放送分は木久扇、5月18日は好楽、 5月25日は小遊三、6月1日は6代目円楽がそれぞれ司会を務めた[43]。6月8日から復帰。 | |
6月15日 | 大喜利で木久扇が座布団10枚を獲得。前週の6月8日はたい平が10枚を獲得しており、 番組放送開始以来2週連続で10枚獲得という初の事態となった。 | |
7月27日 - 10月12日 | 木久扇が、初期の喉頭癌のため休演[44]。 | |
2015年 (平成27年) |
1月25日・2月1日 | 歌丸が、インフルエンザによる入院のため、休演[45]。大喜利の司会は1月25日放送分は昇太が、2月1日放送分はたい平が務めた。 |
1月25日 | 演芸は、当初三宅裕司と小倉久寛(両名とも本業は俳優・タレント)による医者のコントを放送予定であったが、 急遽翌週2月1日放送予定のビックスモールン(ゴン・チロ)のボディアートコントに差し替え[46][47]。 同日放送予定だったコントは、2月15日に延期された。 | |
動画配信サイト『Hulu』にて、過去に放送した大喜利(歌丸司会時代)を配信開始。 | ||
5月31日 - 7月19日、8月2日 - 10月25日、12月27日 - | 放送50年目として、番組のエンディングにて『笑点おもいで写真館』を放送[48]、Facebookにて『笑点おもいで写真』を掲載している。 | |
7月12日 - 9月6日 | 歌丸が、腸閉塞による入院のため、休演[49]。笑点の本放送は、9月13日放送分で復帰。その放送の前に、8月23日の24時間テレビ『チャリティー笑点』で復帰後最初のテレビ出演を果たした。 | |
2016年 (平成28年) |
1月10日 | 大喜利の3問目に、俳優の竹野内豊が登場。歌丸の隣に座り、竹野内主演の映画『人生の約束』にちなみ、竹野内がメンバーに「約束守って下さい」と言った後、何か言い返すものだった[50]。 |
1月31日 | 『笑点』放送2500回を達成。大喜利の1問目で、回号の「2500」に関する問題を出題した。 | |
4月3日 | 直前の17:25 - 17:30に派生番組『もう笑点』を開始。OPの提供クレジット映像が、アニメから出演者の舞台裏に変更。 | |
4月17日 | こん平が、真打昇進披露口上の三本締め発声役として、本編には2004年以来12年ぶりに出演。 同年4月14日より相次いでいる熊本地震の影響で、一部CMがACジャパンに差し替え。 | |
4月24日 | 大喜利の3問目に、同年の箱根駅伝優勝監督であり、笑点放送開始と生まれた時期が近い(お互いに50周年)という縁から、青山学院大学陸上競技部監督の原晋が登場。歌丸の隣に座り、原が青山学院に入学したという設定のメンバー[51]に「一緒に箱根に行こう」と言った後、何か言い返すものだった[52]。 | |
4月30日 | 『笑点50周年記念スペシャル』(同年5月15日放送)の収録が行われ、歌丸が同年5月22日の生放送を最後に司会の引退を表明する。引退後は終身名誉司会へ就任し、派生番組の『もう笑点』への出演は継続する[53][54][55]。 | |
5月15日 | 『笑点50周年記念スペシャル』を放送。笑点50年の歴史を、歌丸を中心として振り返る企画が行われ、その際に当時現存していない談志・前田時代の映像提供募集が行われた。 大喜利の3問目に、女優の仲間由紀恵が登場。歌丸の隣に座り、「○○師匠、弟子にしてください」と言った後、何か言い返すものだった。 | |
5月22日 | 『笑点歌丸ラスト大喜利スペシャル』を放送(17:30-18:55の拡大放送)。 番組終盤に歌丸最後の大喜利を生放送で行い[56]、歌丸が勇退。エンディングで昇太が6代目の司会に昇格することが歌丸から発表された[17]。 | |
5月29日 | 『新メンバー&24時間テレビランナー発表スペシャル』を前週に続き生放送で放送。(オープニング後に第2515回と表示された) 新メンバーとして2代目三平が初登場し、生放送で大喜利を行った(前週で全員の座布団が全部(35枚)没収されたため、2代目三平を含め全員座布団0枚からスタート)。 番組終盤に、当年の24時間テレビ総合司会の羽鳥慎一・水卜麻美(水卜は日本テレビアナウンサー)が登場し、24時間テレビチャリティーマラソンランナーはたい平である事が羽鳥から発表された。 |
放送局
この節の加筆が望まれています。 |
- 笑点は、アナログ放送がVHF局しかなかった時代から、完全地上デジタル放送化された現在も続く長寿番組である。アナログ放送時代UHF局だった局は、全てネット局変更が行われた。
- 40分番組時代には、オープニングのあとにネット局のテロップロールが流れていた。
- 2016年時点で放送されていない都道府県は、日本テレビ系列局が無い佐賀県のみである。 なお、佐賀県の大部分の地域では福岡放送およびくまもと県民テレビや長崎国際テレビで視聴可能。
- 下の表で放送開始年が「※」なのは、1966年(昭和41年)5月の番組開始から放送している局。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送時間 | 備考 | 放送開始年 |
---|---|---|---|---|---|
関東広域圏 | 日本テレビ(NTV) | 日本テレビ系列 | 日曜 17:30 - 18:00 |
制作局 | ※ |
北海道 | 札幌テレビ(STV) | 同時ネット | ※ | ||
青森県 | 青森放送(RAB)[57] | 1973年頃[58] | |||
岩手県 | テレビ岩手(TVI)[59] | 1969年12月 | |||
宮城県 | ミヤギテレビ(MMT) | 1970年10月[60] | |||
秋田県 | 秋田放送(ABS) | ※ | |||
山形県 | 山形放送(YBC)[57] | ※ | |||
福島県 | 福島中央テレビ(FCT) | 1971年10月[61] | |||
山梨県 | 山梨放送(YBS) | 1975年4月[62] | |||
新潟県 | テレビ新潟(TeNY) | 1981年3月29日[63] | |||
長野県 | テレビ信州(TSB)[64] | 1991年4月7日[65] | |||
静岡県 | 静岡第一テレビ(SDT) | 1979年7月 | |||
富山県 | 北日本放送(KNB) | ※ | |||
石川県 | テレビ金沢(KTK) | 1990年3月25日(サービス放送開始の日から) | |||
福井県 | 福井放送(FBC) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列[66] |
※ | ||
中京広域圏 | 中京テレビ(CTV)[64] | 日本テレビ系列 | 1973年4月 | ||
近畿広域圏 | 読売テレビ(ytv) | ※ | |||
鳥取県・島根県 | 日本海テレビ(NKT) | 1972年10月 | |||
広島県 | 広島テレビ(HTV) | 1974年4月[67] | |||
山口県 | 山口放送(KRY)[57] | ※ | |||
徳島県 | 四国放送(JRT)[68] | 1988年[69] | |||
香川県・岡山県[70] | 西日本放送(RNC) | 1968年5月[71] | |||
愛媛県 | 南海放送(RNB) | [72] | |||
高知県 | 高知放送(RKC) | ※ | |||
福岡県[73] | 福岡放送(FBS) | 1969年4月 | |||
長崎県 | 長崎国際テレビ(NIB) | 1991年4月 | |||
熊本県 | くまもと県民テレビ(KKT) | 1982年4月 | |||
鹿児島県 | 鹿児島読売テレビ(KYT) | 1994年4月 | |||
大分県 | テレビ大分(TOS) | 日本テレビ系列 フジテレビ系列 |
土曜 16:30 - 17:00 |
遅れネット | 1970年4月[74] |
宮崎県 | テレビ宮崎(UMK) | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
土曜 17:00 - 17:30 |
2008年。番組販売扱い[75] | |
沖縄県 | 琉球放送(RBC) | TBS系列 | 土曜 16:00 - 16:30 |
2013年4月[76] |
日本国外
- テレビジャパン (NHKワールドTVのアメリカ地域向け放送)
- 放送時間 (いずれも現地時間)
- 本放送
- 日曜 21:15 - 21:40 (アメリカ東部)
- 日曜 18:15 - 18:40 (アメリカ西海岸)
- 日曜 16:15 - 16:40 (ハワイ、ただしアメリカ本土の夏時間期間中は15:15開始)
- 再放送
- 同じ週の土曜日 (ハワイのみ時差により金曜日)
- 本放送
- 放送時間 (いずれも現地時間)
2005年(平成17年)4月10日放送開始。番組中のCMはカットされている。
過去の放送局
系列は現在の系列。◎は日本テレビ系新局開局やネットチェンジにより終了した局。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送時間・遅れ | 備考 |
---|---|---|---|---|
岩手県 | IBC岩手放送 (IBC) | TBS系列 | 不明 | ◎1969年11月まで放送 |
宮城県 | 東北放送 (TBC) | 遅れ幅不明 日曜16:00 - 16:40(1968年4月 - 1968年12月) →日曜16:30 - 17:10(1969年1月 - 1970年9月) |
◎1968年4月から1970年9月まで放送 | |
福島県 | 福島テレビ (FTV) | フジテレビ系列[77] | 不明 | ◎1971年10月(TBS系列加盟および福島中央テレビとのNNS・FNSネット局交換)まで放送 |
新潟県 | 新潟総合テレビ (NST) | フジテレビ系列[78] | 同時ネット | 1968年12月1日(開局前のサービス放送開始時)から1971年9月26日まで放送[79] |
新潟放送 (BSN) | TBS系列 | 6日遅れ 土曜13:00開始 |
◎1981年3月28日[80]まで放送 | |
長野県 | 信越放送 (SBC) | 1975年10月12日から1982年3月28日まで同時ネット、1982年4月10日から1991年3月30日まで土曜12:00 - 12:40、6日遅れ | ◎1975年10月12日から1991年3月30日[81]まで放送[82] | |
静岡県 | 静岡放送 (SBS) | 土曜12:00 - 12:40 | ◎1979年3月まで放送 | |
静岡朝日テレビ (SATV)[83] | テレビ朝日系列[84] | 火曜0:20 - 1:00(月曜深夜) | ◎1979年(昭和54年)4月から3ヶ月間のみ放送 | |
石川県 | 北陸放送 (MRO) | TBS系列 | 不明 | 移行時期不明 |
石川テレビ (ITC) | フジテレビ系列 | 2週遅れ 日曜17:05 - 17:45→日曜15:00 - 15:40→土曜16:00 - 16:40 |
◎1990年3月まで放送 | |
愛知県 | 名古屋テレビ (NBN) | テレビ朝日系列[85] | 不明 | ◎1973年3月まで放送 |
鳥取県・島根県 | 山陰放送 (BSS) | TBS系列 | 日曜15:00 - 15:40→土曜16:00 - 16:40 | 1972年9月(日本海テレビが島根県で放送開始)まで放送 |
福岡県 | RKB毎日放送 (RKB) | 不明 | ◎1969年3月まで放送[86] | |
長崎県 | 長崎放送 (NBC) | 不明 | ◎1969年3月まで放送 | |
テレビ長崎 (KTN) | フジテレビ系列[87] | 土曜17:20 - 18:00 | ◎1990年9月まで放送[88] | |
大分県 | 大分放送 (OBS) | TBS系列 | 不明 | ◎1970年3月まで放送 |
熊本県 | 熊本放送 (RKK) | 不明 | ◎1969年3月まで放送 | |
テレビくまもと (TKU) | フジテレビ系列[89] | 日曜17:00 - 17:40 | ◎1982年3月まで放送 | |
宮崎県 | 宮崎放送 (MRT) | TBS系列 | 不明 | ◎1970年3月まで放送[90] |
鹿児島県 | 南日本放送 (MBC) | 不明 | ◎1969年3月まで放送 | |
鹿児島テレビ (KTS) | フジテレビ系列[91] | 不明 | ◎1994年3月まで放送 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ (OTV) | フジテレビ系列 | 7日遅れ→9日遅れ 日曜13:30-14:10→日曜13:00-13:40→水曜0:30-1:10(火曜深夜) |
1989年5月[要検証 ]まで放送 |
特別大喜利
「演芸」や正月特番などでは、特別企画として以下の大喜利が放送される。
「演芸」にて定期的に行われる大喜利
アナウンサー大喜利
- 日本テレビのアナウンサーによる大喜利。三波が司会の頃から行われている。
- 初開催された1979年(昭和54年)は、8月にまず女性アナウンサーの大喜利が行われ、10月に男性アナウンサーの大喜利が放送された。特に男性アナウンサー大喜利に出演した小林完吾は迷答・珍答を連発し、これがきっかけでバラエティ番組にも多く出演するようになった。
- その後しばらくは行われなかったが、1984年(昭和59年)の新春スペシャルでNNNの系列局のアナウンサーも参加してのアナウンサー大喜利が行われて好評だったため(この時の司会は5代目圓楽が担当)、以降準レギュラーの企画となった。
- 1996年(平成8年)4月から1997年(平成9年)までは、月1回ごとに開催されており、毎回最も座布団が多かったアナウンサーには、マイクの人形が付いたペンダントを獲得できる。このペンダントを10個獲得すると、豪華賞品を獲得でき、鈴木君枝(大杉君枝)が10個獲得を達成した。
- 新春スペシャル(年によっては年明け最初の通常放送の前半)だけでなく、現在は8月中旬にも行われる。8月での放送の場合は、2006年から女性チームと男性チームによるチーム対抗戦方式で行われており、常に女性チームの勝利となっている(2012年夏のみ引き分け)。
- おおむね、男女3人ずつの回、女性ばかりの回が交互に行われているが、後者の場合も、男性である藤井恒久が「こん平」的キャラクター(6代目圓楽曰く「こん平ウイルスに侵されてしまった」)としてレギュラー出演しており、あいさつの時に必ず、「1.2.3! チャラーン!!」とこん平と同じ掛け声を観客と一緒に上げる。また、楠田枝里子(1979年)、徳光和夫、松永二三男、福澤朗らも日本テレビアナウンス部在籍時に出演している。最近では文科系の代表格として桝太一、体育会系の代表格として上重聡がほぼ毎回出演している。
- 先述した藤井恒久だけではなく女性アナウンサーにもレギュラー出演の枠があり、当初は鈴木(大杉)君枝が出演していたが、大杉死去後は松本志のぶ、松本退社後は葉山エレーヌ(初婚当時は石田姓)が出演している。
- 先述1984年の系列局アナ出演以外では外部(例:セント・フォース勢などフリーアナウンサー、日本テレビOB、OGも含む)の出演はない(在局中の出演がなかった日テレOGの永井美奈子は退社後前述の「振袖大喜利」に、セント・フォース所属で元青森放送アナウンサーの中田有紀は2015年の「ペット大好き!大喜利」に、元フジテレビアナウンサーの木佐彩子は同年の「夫婦大喜利」に出演)。
- 新春スペシャル(年によっては年明け最初の通常放送の前半)だけでなく、現在は8月中旬にも行われる。8月での放送の場合は、2006年から女性チームと男性チームによるチーム対抗戦方式で行われており、常に女性チームの勝利となっている(2012年夏のみ引き分け)。
- 年2回開催定着以降、女性アナウンサーは正月の出演枠が多い関係上そのほとんどが出演しているが、2015年12月時点の現役女性アナでは山下美穂子(2000年入社)が未出演[92]。また2000年以降入社の退社済み女性アナでは斉藤まりあ(2000年入社)、山本舞衣子(2002年入社)、脊山麻理子(2004年入社)が不出演。
- 通常放送時は小遊三と6代目円楽が司会者。以前は三波、5代目圓楽単独もしくは5代目圓楽と歌丸がふたりで司会を務めたり、好楽が単独で司会を行なったこともある。
- 他の大喜利メンバー2人が座布団運びを担当。以前は歌丸・こん平・木久蔵(当時)・好楽が担当していたが、歌丸が司会になって以降は「ブラック団の手下ども」の昇太とたい平が務めた。
- アナウンサー大喜利に出演した女性アナウンサーは、地上波に復活後の若手大喜利で座布団運びを務めることがある。
- また、この縁もあり、後の副音声による解説放送も日本テレビアナウンサーが行なっている。
- 近年の席順
個人戦(1984年から1994年までの圓楽は5代目圓楽。2011年以降の圓楽は6代目圓楽) | |||||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー(左側が下手) | 座布団運び | 備考 | |||||||
1984年1月1日 | 圓楽 | 荻原 | 今井 | 深堀 | 小林 | 木村 | 徳光 | 歌丸 | 「花のアナウンサー大喜利」として開催。 | ||
1984年11月25日 | 圓楽 | 脇田 | 辛坊 | 万屋 | 清田 | 徳光 | 中村 | 植松 | 小澤 | 山田 うん平 |
「ズームイン!!朝!アナウンサー大喜利」として開催。 |
1994年1月1日 | 圓楽 | 大神 | 米森 | 鷹西 | 笛吹 | 薮本 | 金原 | 「日本テレビ花の女子アナウンサー大喜利」として開催。 | |||
1997年3月23日 | 小遊三 楽太郎 |
笛吹 | 古市 | 森(富) | 福澤 | 羽鳥 | 藤井(恒) | 山田 うん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
1997年9月21日 | 小遊三 楽太郎 |
鈴木(君) | 河本 | 町 | 福澤 | 後藤(俊) | 藤井(恒) | 山田 うん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
1997年11月2日 | 小遊三 楽太郎 |
角田 | 馬場 | 山本(真) | 福澤 | 蛯原 | 藤井(恒) | 山田 うん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
1997年12月14日 | 小遊三 楽太郎 |
角田 | 山王丸 | 大神 | 吉田 | 矢島 | 藤井(恒) | 山田 うん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2003年1月5日 | 歌丸 | 鈴木(君) | 松本 | 魚住 | 山本(真) | 西尾 | 藤井(恒) | こん平 | |||
2003年8月17日 | 小遊三 楽太郎 |
魚住 | 阿部 | 大杉[93] | 若林 | 蛯原 | 藤井(恒) | こん平 木久蔵 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2004年1月4日 | 小遊三 楽太郎 |
大杉 | 魚住 | 井田 | 松本 | 森(富) | 藤井(恒) | 歌丸 こん平 |
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2004年8月15日 | 小遊三 楽太郎 |
阿部 | 宮崎 | 大杉 | 若林 | 森(圭) | 藤井(恒) | 歌丸 こん平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2005年1月9日 | 小遊三 楽太郎 |
大杉 | 小野寺 | 松本 | 佐藤(良) | 阿部 | 藤井(恒) | 歌丸 山田 |
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2005年8月14日 | 小遊三 楽太郎 |
阿部 | 佐藤(良) | 大杉 | 若林 | 町田 | 藤井(恒) | 歌丸 木久蔵 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2006年1月8日 | 小遊三 楽太郎 |
大杉 | 松本 | 西尾 | 杉上 | 阿部 | 藤井(恒) | 木久蔵 たい平 |
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2007年1月1日 | 小遊三 楽太郎 |
松本 | 馬場 | 西尾 | 阿部 | 古閑 | 藤井(恒) | 木久蔵 好楽 |
「大笑点」内で開催。 | ||
2007年8月12日 | 小遊三 楽太郎 |
葉山 | 古閑 | 松本 | 羽鳥 | 森(圭) | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
個人戦だが、女性サイドと男性サイドに分かれた。 | ||
2008年1月1日 | 小遊三 楽太郎 |
松本 | 西尾 | 宮崎 | 葉山 | 夏目 | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
「大笑点」内で開催。 | ||
2009年1月4日 | 小遊三 楽太郎 |
松本 | 宮崎 | 鈴江 | 古閑 | 葉山 | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
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2010年1月3日 | 小遊三 楽太郎 |
杉上 | 鈴江 | 森(麻) | 松尾 | 葉山 | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
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2011年1月9日 | 小遊三 圓楽 |
森(麻) | 水卜 | 小熊 | 上田 | 葉山 | 藤井(恒) | 昇太 たい平 |
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2013年3月31日 | 小遊三 圓楽 |
鈴木(崇) | 右松 | 上重 | 辻岡 | 佐藤(義) | 藤井(恒) | 上田 | 「日本テレビイケメンアナウンサー大喜利」として開催。 | ||
2014年1月5日 | 小遊三 圓楽 |
徳島 | 中島 | 水卜 | 馬場 | 杉野 | 石田[94] | 藤井(恒) | 「日本テレビ女性アナウンサー大喜利」として開催。 | ||
2015年1月1日 | 歌丸 | 畑下 小遊三 |
郡司 好楽 |
杉野 木久扇 |
水卜 昇太 |
徳島 圓楽 |
岩本 たい平 |
藤井(恒) 山田 |
「女子アナ振袖大喜利」として開催。 | ||
2015年7月26日 | 昇太 | 笹崎 小遊三 |
久野 好楽 |
水卜 木久扇 |
中島 圓楽 |
尾崎 たい平 |
平松 山田 |
「日本テレビ女性アナ×笑点メンバーペア大喜利」として開催。 歌丸は病気療養中のため欠席。 | |||
2015年11月22日 | 歌丸 | 笹崎 小遊三 |
久野 好楽 |
水卜 木久扇 |
豊田 昇太 |
徳島 圓楽 |
尾崎 たい平 |
山田 | 「日本テレビ女性アナ×笑点メンバーペア大喜利」として開催。 | ||
2016年3月13日 | 歌丸 | 笹崎 小遊三 |
久野 好楽 |
杉野 木久扇 |
中島 昇太 |
徳島 圓楽 |
尾崎 たい平 |
山田 | 「日本テレビ女性アナ×笑点メンバーペア大喜利」として開催。 |
チーム対抗戦(2010年からの圓楽は6代目圓楽) | |||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利チーム | 敗北チーム | 備考 | |||
上手側 | 下手側 | 上手側 | 下手側 | ||||||
1998年4月5日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 馬場 豊田 |
男性チーム 福澤 菅谷 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | 初のチーム対抗戦。 |
1998年5月3日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 井田 町 |
男性チーム 松永 若林 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | |
1998年8月30日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 森(富) 大神 |
男性チーム 若林 鈴木(健) 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | |
1998年11月15日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 豊田 森(富) 大神 |
男性チーム 若林 菅谷 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | |
1999年2月28日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 角田 魚住 |
男性チーム 若林 船越 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | - | - | 結果は引き分け(アナウンサー大喜利では初)。 |
1999年8月15日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 古市 魚住 |
男性チーム 若林 鈴木(崇) 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | 女性チーム | 男性チーム | |
2000年3月26日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 河本 魚住 |
男性チーム 若林 藤井(貴) 鈴木(崇) |
歌丸 | こん平 | 男性チーム | 女性チーム | |
2000年8月27日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 山王丸 魚住 |
男性チーム 若林 蛯原 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | |||
2001年8月12日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 鈴木(君) 斉藤 魚住 |
男性チーム 若林 蛯原 藤井(恒) |
歌丸 | こん平 | - | - | 結果は引き分け |
2006年8月13日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 松本 鈴江 阿部 |
男性チーム 船越 上重 藤井(恒) |
好楽 | 木久蔵 | 女性チーム | 男性チーム | |
2008年8月17日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 宮崎 夏目 葉山 |
男性チーム 菅谷 桝 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 |
2009年8月2日 | 小遊三 | 楽太郎 | 女性チーム 森(麻) 小熊 葉山 |
男性チーム 上重 右松 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 |
2010年8月15日 | 小遊三 | 圓楽 | 女性チーム 森(富) 森(麻) 葉山 |
男性チーム 上重 藤田 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 |
2011年7月24日 | 小遊三 | 圓楽 | 女性チーム 杉上 水卜 葉山 |
男性チーム 菅谷 青木 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 菅谷はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2012年4月1日 | 小遊三 | 圓楽 | 女性チーム 古市 水卜 葉山 |
男性チーム 菅谷 辻岡 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 女性チーム | 男性チーム | 結果は女性チームの勝利。 菅谷はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2012年8月12日 | 小遊三 | 圓楽 | 女性チーム 小熊 杉野 石田 |
男性チーム 菅谷 上重 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | - | - | 結果は引き分け。 藤井(恒)はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2013年6月23日 | 小遊三 | 圓楽 | 体育会系チーム[95] 上重 山本(紘) 佐藤(義) |
文科系チーム 桝 青木 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 文科系チーム | 体育会系テーム | 「日本テレビアナウンサーイケメン対抗大喜利」として開催。 藤井(恒)はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2013年10月13日 | 小遊三 | 圓楽 | 体育会系チーム 上重 中野 山本(紘) |
文科系チーム 桝 青木 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 文科系チーム | 体育会系テーム | 「日本テレビアナウンサー派閥抗争大喜利」として開催。 |
2013年12月22日 | 小遊三 | 圓楽 | 体育会系チーム 上重 安村 山本(紘) |
文科系チーム 桝 青木 藤井(恒) |
昇太 | たい平 | 体育会系チーム | 文科系チーム | 「日本テレビアナウンサー派閥抗争大喜利」として開催。 藤井(恒)はこの回の副音声解説放送も担当。 |
2014年6月22日 | 小遊三 | 圓楽 | 体育会系チーム 上重 後藤(晴) 山本(紘) |
文科系チーム 桝 中島 藤井(恒) |
昇太 | 好楽 | - | - | 「日本テレビアナウンサー派閥抗争大喜利」として開催。 結果は引き分け。 |
- 豪華賞品
2007年以降は「歌丸グッズ」が贈られることが多く、6代目圓楽(楽太郎)がグッズに対し辛辣な紹介コメントを述べるお約束がある。
- 特別に全員(荻原弘子、今井伊佐男、深堀恵美子、小林完吾、木村優子、徳光和夫)が、「羽子板」を獲得。この時の座布団運びの歌丸も欲しがっていたが、司会の5代目圓楽から「凧をやるよ」と言われていた。(1984年1月1日放送)
- 鈴木君枝が「世界一周旅行」を獲得したが、地球儀を一回転しただけだった。(1997年放送)
- 藤井恒久が「5代目圓楽の色紙」を獲得。(2003年8月17日放送)
- 井田由美が「金色の座布団」を獲得。(2004年1月4日放送)
- 大杉君枝が「超有名デザイナーが作った水着」を獲得。(2005年8月14日放送)
- 葉山エレーヌが「“安眠どころか永眠できる”歌丸抱き枕」を獲得。(2007年8月12日放送)
- 女性チームが「“安眠どころか永眠できる”歌丸抱き枕・夏の装いバージョン」を獲得。(2008年8月17日放送)
- 松本志のぶが「紅白座布団」を獲得。(2009年1月4日放送)
- 女性チームが「“涼しさ(寒さ)が骨身に沁みる”歌丸風鈴」を獲得。(2009年8月2日放送)
- 杉上佐智枝が「(2010年1月1日の新春スペシャルで余った)紅白座布団」を獲得。(2010年1月3日放送)
- 女性チームが「“幽霊になる”歌丸フラドール」を獲得。(2010年8月15日放送)
- 水卜麻美が「(2011年1月1日の新春スペシャルで余った)紅白座布団」を獲得。(2011年1月9日放送)
- 女性チームが「“枕元に置いて夜に使えば凍りつくような寒さの節電対策の落ち”歌丸ミストファン(歌丸の人形付きの携帯扇風機)」を獲得。(2011年7月24日放送)
- 女性チームが「“花粉症対策の最終兵器 花粉どころかどんなウイルスも裸足で逃げ出す”歌丸マスク(歌丸の口元が印刷されたマスク)」を獲得。(2012年4月1日放送)
- 全員が「”夏の紫外線対策最終兵器 どんな強烈な紫外線も全て跳ね返す”歌丸日傘(歌丸の顔がプリントされた日傘)」を獲得。(2012年8月12日放送)
- 鈴木崇司が「“男性アナの最終兵器 キラリと光る”歌丸ネクタイ(歌丸の顔がプリントされたネクタイ)」を獲得[96]。(2013年3月31日放送)
- 文科系チームが「"男性アナの最終兵器 フォーマルの味方"歌丸蝶ネクタイ(色は歌丸の着物と同じ濃緑色で、結び目の部分に歌丸の顔写真が貼られている)」を獲得。(2013年6月23日放送)
- 文科系チームが「“笑点ならではの商品”橘右橘の寄席文字によるチームメンバーそれぞれの千社札(桝は「アサリ」、青木は「ジャニオタ」、藤井恒は「チャラーン」のそれぞれのニックネームが記載されている)」を獲得[97]。(2013年10月13日放送)
- 体育会系チームが「"この冬の防災グッズ"歌丸ヘルメット(歌丸の似顔絵がデザインされている)」を獲得。(2013年12月22日放送)
- 馬場典子が「紅白座布団」を獲得。(2014年1月5日放送)
- 両チームが「歌丸雨傘」を獲得。(2014年6月22日放送)
- 木久扇・水卜麻美ペアが「東京ドームシティアトラクションズのチケット」を獲得。(2015年7月26日放送)
- 昇太・豊田順子ペアが歌丸の著書「極上歌丸ばなし」「歌丸極上人生」を獲得。(2015年11月22日放送)
- たい平・尾崎里紗ペアが歌丸の顔がプリントされた巨大レジャーシートを獲得[98]。(2016年3月13日放送)
派生番組にて行われる大喜利
若手大喜利
- 注目の若手落語家による大喜利。談志が司会の頃から行われていた。
- 1967年(昭和42年)10月8日に初開催されて以降、不定期に番組の前半に放送された。
- 1970年代から1990年代の若手メンバーには、古今亭朝次(現:7代目桂才賀)・桂歌はち(現:桂歌春)・古今亭菊之助(現:古今亭菊丸)・林家錦平・金原亭駒平(現:金原亭世之介)・三遊亭貴楽・桂幸丸・林家こぶ平(現:9代目林家正蔵)・桂竹丸・月の家かがみ(現:2代目橘家蔵之助)・春風亭昇太・立川談春・三遊亭楽大(現:伊集院光)などがいた。
- 1990年代前半を最後にしばらくは行われなかったが、1998年(平成10年)7月に4週連続で行われて以降、再び準レギュラーの企画となった。またこの時の司会はかつて若手メンバーの一人として出演し、後に笑点メンバーとなる昇太が担当し(それまでは番組の司会者がそのまま司会を担当していた。)、他の若手メンバーとのドタバタ劇が好評を得たため、それ以降昇太は「大喜利下克上」の司会としてレギュラー出演した。なお復活した当初は「大喜利下克上」のタイトルになっていたが、1999年(平成11年)5月2日の放送から、現在の「若手大喜利」のタイトルに戻っている。
- 2003年10月12日に司会の昇太と若手メンバーが出演する兄弟番組『笑点Jr.(放送開始当初は『BS笑点』)』が放送開始されて以降、『笑点』での若手大喜利は2004年(平成16年)12月26日を最後に長らく行われなくなったが、『笑点Jr.』が2011年(平成23年)3月13日で放送終了となったため、2011年(平成23年)6月5日[103]に『笑点』で再び行われ、司会は引き続き昇太が担当した。それ以降は春と秋に行われ、座布団運びには日テレ女性アナウンサーを起用した。
- 2013年春から開催の場を『笑点 特大号』の番組上に変えて毎月に1・2回程度行われ、昇太以外の笑点メンバーも司会を担当するようになった(笑点 特大号#若手大喜利の項を参照)。
- 若手大喜利出身のメンバーは、栄橋・小きん(つば女)・木久蔵(木久扇)・朝次(7代目才賀)・昇太・たい平である。
- 近年の席順
1998年 - 2004年 | |||||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 備考 | |||||||
1998年7月5日 | 昇太 | 新潟 | 北陽 | たい平 | あさ市 | 笑志 | 亀蔵 | 山田が4週にわたって休演したため、 オープニングアニメも4週休み、(新作を製作中。) 演芸を休止して4週間行われた。 | |||
1998年7月12日 | 昇太 | あさ市 | 笑志 | 勢朝 | 愛楽 | たい平 | 亀蔵 | ||||
1998年7月19日 | 昇太 | 笑志 | 佐助 | たい平 | 遊之介 | 北陽 | 柳八 | ||||
1998年7月26日 | 昇太 | 柳八 | 笑志 | 新潟 | 勢朝 | たい平 | 北陽 | あさ市 | 亀蔵 | ||
1998年9月6日 | 昇太 | 笑志 | たい平 | 北陽 | 愛楽 | あさ市 | 亀蔵 | あさ市、改名前最後の大喜利 | |||
1998年10月25日 | 昇太 | 笑志 | たい平 | 勢朝 | 玉の輔 | 北陽 | 柳八 | 玉の輔、改名後初の大喜利 | |||
1998年12月20日 | 昇太 | 北陽 | 遊馬 | たい平 | 勢朝 | 國志舘 | 柳八 | ||||
1999年2月7日 | 昇太 | 玉の輔 | 柳八 | 愛楽 | たい平 | 笑志 | 遊馬 | ||||
1999年5月2日 | 昇太 | 北陽 | 遊馬 | たい平 | 玉の輔 | 愛楽 | 柳八 | ||||
1999年7月18日 | 昇太 | 北陽 | 遊馬 | たい平 | 玉の輔 | 笑志 | 愛楽 | 柳八 | この日は寿司ネタを使ったダジャレ歌合戦だった。 | ||
2000年2月20日 | 昇太 | たい平 | 遊馬 | 北陽 | 玉の輔 | きく姫 | 柳八 | 柳八、襲名前最後の大喜利 | |||
2000年6月25日 | 昇太 | 笑志 | 北陽 | たい平 | きくお | 愛楽 | 柳好 | 柳好、襲名後初の大喜利 | |||
2000年10月29日 | 昇太 | 北陽 | きくお | たい平 | 玉の輔 | 愛楽 | 柳好 | ||||
2001年2月11日 | 昇太 | 北陽 | きくお | たい平 | 玉の輔 | 遊馬 | 笑志 | ||||
2001年6月24日 | 昇太 | 北陽 | 玉の輔 | たい平 | 柳好 | きく姫 | きくお | ||||
2004年12月26日 | 昇太 | 愛楽 | 笑志 | きくお | たい平 | 柳好 | 玉の輔 | ひらり | この日は新メンバー選考会として実施された。 |
おはよう笑点(2006年と2007年の木久蔵は初代木久蔵) | |||||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 備考 | |||||||
2006年1月2日 | 昇太 | 愛楽 | 文左衛門 | きくお | 木久蔵 | 柳好 | 玉の輔 | インリン たい平 |
「おはよう笑点」内で開催。 この日は木久蔵ときくおが親子で共演した。 | ||
2007年1月2日 | 昇太 | 愛楽 | 文左衛門 | きくお | 木久蔵 | 柳好 | 玉の輔 | たい平 |
2011年 - 2012年(2011年以降の木久蔵は2代目木久蔵) | |||||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 備考 | |||||||
2011年6月5日 | 昇太 | 愛楽 | 文左衛門 | 木久蔵 | 生志 | 一之輔 | 彦いち | 水卜 | 復活後初の大喜利。 | ||
2011年10月9日 | 昇太 | 愛楽 | 蘭 | 木久蔵 | 生志 | 可龍 | 柳好 | 徳島 | |||
2012年4月29日 | 昇太 | 枝太郎 | 王楽 | 木久蔵 | 生志 | 蘭 | 柳好 | 上田 | |||
2012年11月25日 | 昇太 | 鯉斗 | 昇吉 | 木久蔵 | ぴっかり | 八ゑ馬 | 柳好 | 杉野 |
チーム対抗戦 | |||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利チーム | 敗北チーム | 備考 | |||
上手側 | 下手側 | 上手側 | 下手側 | ||||||
1998年4月5日 | 昇太 | 西軍 む雀 こごろう 米吉 |
東軍 たい平 北陽 柳八 |
西軍 | 東軍 | この日は若手の上方噺家[104]が出演した、 「東西若手大喜利」として放送。 | |||
2014年7月13日 | 昇太 | 中堅チーム 愛楽 木久蔵 生志 柳好 |
若手チーム 宮治 とむ 晴の輔 馬るこ |
つくし | ぼたん | 若手チーム | 中堅チーム | この日は第3期メンバー中心の中堅チームと 第4期メンバー中心の若手チームが対決した、 「若手噺家派閥対抗大喜利」として放送。 | |
2015年1月18日 2015年8月2日 |
昇太 | 二つ目チーム 宮治 わさび 馬るこ |
真打ちチーム 木久蔵 晴の輔 愛楽 |
昇也 | 柳好 | 二つ目チーム | 真打ちチーム | この日は二つ目チームと真打ちチームが対決した、 「若手噺家派閥対抗大喜利」として放送。 |
- 豪華賞品
- 亀蔵、たい平、柳八、昇太が「大喜利の座布団運びを担当する権利」を獲得。昇太は掟破りで権利を獲得し、この日出演したメンバーの反感を買った。(1998年7月5日 - 1998年7月26日放送)
- あさ市が「美女と肌と肌の触れ合える権利」を獲得したが、女性観客と触れ合うだけだった。(1998年9月6日放送)
- 柳八が「めくるめく官能の世界へ行ける権利」を獲得。昇太とともに後楽園ゆうえんち(現:東京ドームシティアトラクションズ)のアトラクション「リニアゲイル」に乗った。(1998年10月25日放送)
- 北陽が「笑点の大トリをとれる権利」を獲得。しかし舞台の後片付けが行われている中での大トリとなった。(1998年12月20日放送)
- 愛楽が「みんなから拍手を受ける権利」を獲得。(1999年2月7日放送)
- 柳八が吉野家のタダ券5枚を獲得。(1999年5月2日放送)
- 北陽がマグロのかぶりものを獲得。(1999年7月18日放送)
- 西軍が来年の笑点カレンダーを獲得。負けた東軍にもカレンダーが与えられたが、そのカレンダーは今年の笑点カレンダーだった。(1999年10月31日放送)
- きく姫が厚底雪駄を獲得。(2000年2月20日放送)
- きくおが海女セット獲得。(2000年6月25日放送)
- きくおが「マツタケがもらえる」ということで、松(マツ)と竹(タケ)を獲得。(2000年10月29日放送)
- 笑志がバレンタインのチョコレートを獲得したが、中身は小さいチョコひとつだけだった。(2001年2月11日放送)
- きく姫が赤ふんどしを獲得。(2001年6月24日放送)
- たい平が「こん平師匠の代わりに大喜利に出演できる権利」を獲得。本家大喜利の新メンバーとなった。(2004年12月26日放送)
- 玉の輔が箱根駅伝応援権(応援旗と切符)を獲得。(2006年1月2日 おはよう笑点での放送)
- 愛楽が兄弟子楽太郎が率いる「ブラック団」の4人目のメンバー権を獲得。(2007年1月2日 おはよう笑点での放送)
- 2代目木久蔵が「歌丸フラドール」(2010年夏のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得したが、壊れていた。昇太は「今はもう動かないおじいさんのフラドール」と述べていた[105]。(2011年6月5日放送)
- 生志が「歌丸ミストファン」(2011年夏のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得したが、壊れていた。(2011年10月9日放送)
- 蘭が「歌丸マスク」(2012年春のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得。今回は破損していなかった。(2012年4月29日放送)
- 2代目木久蔵が「歌丸日傘」(2012年夏のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得。今回も破損していなかった。(2012年11月25日放送)
- 若手チームが昇太の著書「城あるきのススメ」を獲得[106]。(2014年7月13日放送)
- 二つ目チームが木久扇の落語の絵本を獲得(2015年1月18日放送)
- 二つ目チームが好楽の著書「好楽日和。」を獲得(2015年8月2日放送)
正月特番にて毎年行われる大喜利
振袖大喜利
- 番組黎明期から開催されているバラエティ大喜利で、女性芸能人6人(2005年以前は5人)が笑点メンバーとペアを組んで大喜利に挑戦する。
- このコーナーには泉ピン子(もともと牧伸二に師事して歌謡漫談家として活動したキャリアがあり、昭和40年代の演芸コーナーに2度出演したこともある)と山田花子が常連で出演している。他に、日本テレビアナウンサー時代は「アナウンサー大喜利」に出演しなかった永井美奈子も出演した。現在はグラビアアイドルが多いが、ニューハーフがいる場合もある。
- ペアを組む相手は、メンバーのキャラクターに合わせて決められることもある(例として、2009年のスザンヌ&木久扇、2013年の鈴木奈々&木久扇、吉田沙保里&たい平)。また、好楽&ピン子、6代目圓楽&花子のペアは概ね固定されている。
- 2015年は日テレ女性アナウンサーと笑点メンバーによるペア戦だった(組み合わせは前述のアナウンサー大喜利の項を参照)。
近年の席順(2002年から2005年までの圓楽は5代目圓楽、2011年以降の圓楽は6代目圓楽) | |||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー(左側が下手) | 座布団運び | 備考 | |||||
1999年1月1日 | 圓楽 歌丸 |
山田(ま) 小遊三 |
ピン子 木久蔵 |
原 好楽 |
永井 こん平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2002年1月1日 | 圓楽 歌丸 |
島崎 小遊三 |
藤崎 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
山川 こん平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2003年1月1日 | 圓楽 歌丸 |
新山 小遊三 |
酒井 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
上原(さ) こん平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2004年1月1日 | 圓楽 歌丸 |
ユンソナ 小遊三 |
飯島 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
佐藤 こん平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2005年1月2日 | 圓楽 歌丸 |
井上 小遊三 |
飯島 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
平山 たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | ||
2006年1月1日 | 歌丸 | 小倉 小遊三 |
若槻 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
インリン たい平 |
花子 楽太郎 |
愛楽 | 「大笑点」内で開催。 この年から司会は歌丸のみとなった。 | |
2007年1月1日 | 歌丸 | 小倉 小遊三 |
菊川 木久蔵 |
ピン子 好楽 |
眞鍋 昇太 |
ユンソナ たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | 「大笑点」内で開催。 この年から6人体制となった。 |
2008年1月1日 | 歌丸 | 小倉 小遊三 |
田丸 木久扇 |
ピン子 好楽 |
眞鍋 昇太 |
ユンソナ たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | 「大笑点」内で開催。 |
2009年1月1日 | 歌丸 | 平山 小遊三 |
スザンヌ 木久扇 |
ピン子 好楽 |
エド 昇太 |
はるな たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | |
2010年1月1日 | 歌丸 | 杉本 小遊三 |
優木 昇太 |
ピン子 好楽 |
マリエ 木久扇 |
上原(美) たい平 |
花子 楽太郎 |
山田 | |
2011年1月1日 | 歌丸 | 西山 小遊三 |
小森 昇太 |
ピン子 好楽 |
芦田[107] 木久扇 |
ヨンア たい平 |
花子 圓楽 |
山田 | |
2012年1月1日 | 歌丸 | 剛力 小遊三 |
ローラ たい平 |
デヴィ 好楽 |
芦田 木久扇 |
重盛 昇太 |
花子 圓楽 |
山田 | |
2013年1月1日 | 歌丸 | 指原 小遊三 |
鈴木 木久扇 |
ピン子 好楽 |
吉田 たい平 |
ローラ 昇太 |
花子 圓楽 |
山田 | |
2014年1月1日 | 歌丸 昇太 |
壇蜜 小遊三 |
百田 木久扇 |
久本 好楽 |
片平 たい平 |
LiLiCo 圓楽 |
山田 | 「理由(ワケ)あって結婚できない女大喜利」として開催。 それにちなんで未婚の昇太は歌丸とのダブル司会。 またレギュラー陣は1問目不参加。 |
東西大喜利
- 新春スペシャルで年1回行われ、笑点メンバーと上方噺家[108]が大喜利で対戦する。ゲストチームである上方メンバーに花を持たせるため、勝負は必ず西軍勝利となる(直近では2007年の「大笑点」にて東軍勝利)。
- 1977年(昭和52年)の新春スペシャルが初開催。当初は鶴亀大喜利の東西対抗戦として行われていたが、しばらくして東西大喜利として年1回開催の新春恒例のスペシャル大喜利として定着した。
- 当初の司会は三波伸介で、三波が急逝した1983年(昭和58年)の新春スペシャルは愛川欽也が代理で司会を務めている。以降、2005年(平成17年)までは5代目圓楽、2006年(平成18年)から2008年(平成20年)は歌丸と三枝(当時)、2009年(平成21年)からは歌丸単独で司会を務めている。
- 笑点メンバーは全員黒紋付袴で登場していたが、2003年(平成15年)から笑点メンバーは笑点の色紋付で登場している。上方メンバーは2006年まで黒紋付袴を継続していたが、2007年(平成19年)からは色紋付袴を着るメンバーが出てきた。
- 上方メンバーは、松鶴一門が笑福亭松之助(2012年まで)と鶴光でほぼ固定され、それ以外は文枝一門と米朝一門で占められている。メンバーは年に1人程度入れ替わりがある。なお現在は西軍の座布団運びが筆頭アシスタントの愛楽(愛知県出身)と定められており、上方噺家による座布団運びは、歌丸・三枝コンビ司会時に三枝門下の桂三弥が起用された程度である。
近年の席順(2003年から2005年までの圓楽は5代目圓楽、2011年以降の円楽は6代目円楽) | |||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利チーム | 敗北チーム | 備考 | |||
西軍 | 東軍 | 西軍 | 東軍 | ||||||
2003年1月1日 | 圓楽 | 三枝 八方 鶴光 きん枝 小枝 可朝 |
歌丸 楽太郎 好楽 木久蔵 小遊三 こん平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2004年1月1日 | 圓楽 | 松之助 雀々 鶴光 きん枝 小枝 可朝 |
歌丸 楽太郎 好楽 木久蔵 小遊三 こん平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2005年1月2日 | 圓楽 | 三枝 きん枝 鶴光 ざこば 小枝 可朝 |
歌丸 楽太郎 好楽 木久蔵 小遊三 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2006年1月1日 | 歌丸 | 三枝 | 松之助 きん枝 小米朝 小枝 八方 |
木久蔵 好楽 小遊三 楽太郎 たい平 |
三弥 | 愛楽 | 西軍 | 東軍 | 「大笑点」内で開催。 この年から三枝が 歌丸と共に司会にまわった。 |
2007年1月1日 | 歌丸 | 三枝 | 松之助 きん枝 鶴光 小枝 雀三郎 可朝 |
小遊三 好楽 木久蔵 昇太 楽太郎 たい平 |
三弥 | 山田 | 東軍 | 西軍 | 「大笑点」内で開催。 |
2008年1月1日 | 歌丸 | 三枝 | 松之助 きん枝 鶴光 小枝 文福 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 楽太郎 たい平 |
三弥 | 山田 | 西軍 | 東軍 | 「大笑点」内で開催。 |
2009年1月1日 | 歌丸 | 松之助 きん枝 鶴光 小枝 米團治[109] 八方 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | この年から司会は歌丸のみ。 | |
2010年1月1日 | 歌丸 | 松之助 きん枝 鶴光 小枝 あやめ[110] 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2011年1月1日 | 歌丸 | 松之助 鶴光 ざこば 小枝 方正 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2012年1月1日 | 歌丸 | 松之助 鶴光 ざこば 小枝 あやめ 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2013年1月1日 | 歌丸 | 城島 きん枝 鶴光 小枝 あやめ 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2014年1月1日 | 歌丸 | 城島 鶴光 ざこば 小枝 染弥 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2015年1月1日 | 歌丸 | 城島 雀々 鶴光 あやめ 菊丸[111] 可朝 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 | ||
2016年1月1日 | 歌丸 | 城島 きん枝 鶴笑 鶴光 菊丸 笑瓶 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | 西軍 | 東軍 |
過去に行われた大喜利
師弟大喜利
- メンバーの師匠が参加し、弟子達と大喜利対決をする。第1回の師弟大喜利は1967年(昭和42年)の新春スペシャルである。談志が司会だった時代は年末にも行われていた。
- 初期に出演したのは
- 後に出演したのは
- またメンバーの師匠ではないがメンバーの師匠役として出演したのは
- その後メンバーの高齢化にともなって、師匠サイドで登場するべき人物の大多数が故人となってしまったことや、メンバーである好楽と楽太郎の師匠が、当時司会を務めていた5代目圓楽だったことなどから調整が難しくなってしまったため、1981年(昭和56年)の新春スペシャルに放送された後は行われなくなったが、これとは別に、レギュラーメンバーが自分の弟子・弟弟子達と大喜利対決をする師弟大喜利も何回か行われていた。
師弟一門大喜利
- 1999年(平成11年)の新春スペシャルでは昇太を司会に、神田北陽(現:3代目神田山陽)を座布団運びとして、主に若手大喜利に出場していたメンバーが自分の師匠とタッグを組んで大喜利を行った。この時に出演したのは
- 2006年(平成18年)5月14日の40周年記念特番で、レギュラーメンバーが自分達の弟子又は弟弟子とタッグを組む形で大喜利が行われた。出演者は
- なお1999年の師弟一門大喜利では、師匠に普段言えない小言をつくというお題の中で、洋楽に対して五代目圓楽が回答の中で本当に小言を長々と続けるハプニングがあり、司会だった昇太が「本当に小言言うのやめてください」と、慌てて止めに入っていた。後の、五代目圓楽追悼番組でもこのシーンに触れており、当時のことを、昇太は本当に慌ててしまったと述懐している。6代目圓楽曰く、「弟子集めて普段やる小言と変わらない」とのこと。
ちびっ子大喜利
鶴亀大喜利
- 1970年代後半から主に新春スペシャルで、東西の大御所落語家混成チームの対抗戦方式での大喜利が行われた。
- 1978年(昭和53年)の新春スペシャルに出演したのは
- 1977年(昭和52年)や1983年(昭和58年)の新春スペシャルでは、笑点メンバーと上方噺家との東西対抗戦方式で行われた。しばらくして東西大喜利と改題し、現在でも新春スペシャルの恒例大喜利となっている。
ドレミファ大喜利
- 1981年(昭和56年)から主に新春スペシャルで、高英男、ディック・ミネ、藤山一郎など往年の名歌手を集めての大喜利が行われた。
- 1983年(昭和58年)の新春スペシャルでは司会者の三波伸介が急逝したことにより、林家こん平が代理で司会を務めている。この時の参加メンバーは、高英男、大津美子、田端義夫、近江俊郎、松尾和子、林伊佐緒。座布団運びは、マジシャンのダーク大和。
対決大喜利企画
過去の笑点メンバーが他の日本テレビ系番組の出演者やジャニーズのグループと大喜利対決を行う企画を何回か行われていた。
- 2002年(平成14年)と2003年(平成15年)の2回は「新春!笑てん声慎吾」と題し、『特上!天声慎吾』のメンバーと大喜利対決を行った。2002年は天声慎吾の反則により、笑点側が勝ったため、その後の「天声」を楽太郎メイン、木久蔵と好楽が出演の「天声楽太郎」と改題した。
- 席順(2002年と2003年の圓楽は5代目圓楽)
放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利 チーム |
敗北 チーム | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
天声慎吾 | 笑点 | 天声慎吾 | 笑点 | |||||
2002年1月1日 | 圓楽 | 香取 ウド 天野 勝俣 ゴルゴ レッド |
歌丸 小遊三 好楽 木久蔵 楽太郎 こん平 |
内山 | 山田 | 笑点 | 天声慎吾 | |
2003年1月1日 | 圓楽 | 香取 ウド 天野 石田 磯野 三瓶→ 上島 |
小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 |
上島 ↓ 三瓶 |
山田 | 天声慎吾 | 笑点 |
TOKIO
- 2005年(平成17年)の新春スペシャルではTOKIOと大喜利対決を行った。『元気なお年寄り』、『ト・キ・オの三文字をそれぞれ頭につけた言葉』、『自慢合戦』の3問で対戦した。当初は5対5となる為に、たい平は座布団運びにまわった。
- TOKIOは『大笑点』でメインパーソナリティを務めた。またメンバーの国分太一は2006年(平成18年)5月14日の40周年記念特番に出演し、師弟大喜利で歌丸と共に司会を務めた。
- 笑点メンバーとTOKIOの対戦は2006年から2008年までは舞台を「大笑点」の番組上に移した。
- 2008年の「大笑点」を最後に暫く行われていなかったが、2014年9月28日放送分で「TOKIOスペシャルDAYS」の企画の1つとして6年9ヶ月ぶりに開催された。
- 2016年の「歌丸ラスト大喜利スペシャル」内で1年8ヶ月ぶりに開催。これが、収録放送では最後の歌丸司会の大喜利となった。勝ったTOKIOへの商品である歌丸が描かれたスコップは、『POWERフレーズ』を挟んで放送の、TOKIOが出演する『ザ!鉄腕!DASH!!』のメインコーナーである「DASH島」の舟屋に飾られた様子が放送された。
- 席順(2005年の圓楽は5代目圓楽、2014年以降の円楽は6代目円楽)
放送日 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利チーム | 敗北チーム | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
TOKIO | 笑点 | TOKIO | 笑点 | ||||||
2005年1月2日 | 圓楽 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
歌丸 楽太郎 木久蔵 好楽 小遊三 |
山田 | たい平 | TOKIO | 笑点 | ||
2006年1月1日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 木久蔵 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「大笑点」内で開催。 | |
2007年1月1日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 木久蔵 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「大笑点」内で開催。 昇太は福岡市で行われた公演に出演するため欠席。 | |
2008年1月1日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「大笑点」内で開催。 | |
2014年9月28日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「TOKIOスペシャルDAYS」[112]の企画として開催。 木久扇は病気療養中のため欠席。 | |
2016年5月22日 | 歌丸 | 城島 山口 国分 松岡 長瀬 |
小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 |
愛楽 | 山田 | TOKIO | 笑点 | 「歌丸ラスト大喜利スペシャル」内で開催。 |
お笑い芸人大喜利
- 若手・中堅芸人が大喜利に挑戦。
行列のできる法律相談所大喜利
- 『行列のできる法律相談所』の出演者が大喜利に挑戦。
ボクシング世界チャンピオン大喜利
- プロボクシングの元世界チャンピオンが出演。司会は昇太(2007年以降)。輪島功一は毎回本番前に飲酒して出演するのがお約束となっている(顔が赤く、正座ができない)。
大福大喜利
- 2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルで初実施。芸能界のデブタレントが大喜利に挑戦。
- 日本テレビにはメンバーに合う着物が無かったためメンバー全員が私服(テレビ衣装)で出演。メンバー全員正座がしにくい事が判明したため座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)という特別ルール。司会はたい平、座布団運びは山田。
ものまね大喜利
- 2012年(平成24年)1月1日の新春スペシャルで初実施。ものまね芸人がご本人と組んで大喜利に挑戦。司会は昇太、座布団運びは山田。また、ものまねタレントに交じってたい平も参加している。
ペット大好き!大喜利
- 2015年(平成27年)1月1日の新春スペシャルで実施。タレントがペットを連れて大喜利に挑戦。
- ペットが舞台上に出演する為、舞台には黄緑色のマットが敷き詰められていた。また、主人用の座布団の他に、ペット用の小さな座布団が用意されていた。
ふるさと大喜利
- 2016年(平成28年)1月1日の新春スペシャルで実施。都道府県に因んだ大喜利に挑戦。参加メンバーは森公美子(宮城県)、蛭子能収(長崎県)、寺田心(愛知県)、彦摩呂(大阪府)、渡辺直美(茨城県)、さかなクン(千葉県[114])。司会は木久扇(江戸)、座布団運びは山田(江戸川区)。
- 森公美子・彦摩呂・渡辺直美は正座がしにくいため、前述の「大福大喜利」同様に座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)という特別ルール。他の参加メンバーは通常どおり1枚からスタートのため、不公平がないように座布団が増えた枚数で判断することになった。なお、最終的に最後まで正座していたのはさかなクンのみである(蛭子は途中から座布団の上に座っていた。寺田も途中で一時座布団の上に座っていたが、当時7歳ということもあって座布団が増えると足が届かなくなり、山田のサポートで持ち上げて正座で座らせた。)。
その他
- 大喜利ゲスト大会
- スペシャル大喜利の第1弾。1967年(昭和42年)8月27日の放送で実施。前述の通りこの時には後に2代目の司会者となる前田も大喜利メンバーとして出演していた。司会は談志、座布団運びは毒蝮。
- 親子大喜利
- 1972年(昭和47年)1月2日の新春スペシャルで実施。当時の大喜利メンバーが子女と共に出演した。司会は三波、座布団運びは松崎。この際、木久蔵(当時)の長女[115]が圓楽の顔を見て怖くなって泣き出してしまったというエピソードがある。
- 2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルでは、メンバーが自身の子女と共に出演した。参加メンバーは、はなわ、北斗晶、ボビー・オロゴン、西村知美、たい平の各親子。司会は昇太、座布団運びは山田。
- スター大喜利
- 春の大喜利大会
- 天国よいとこ昇天大喜利
- 2006年(平成18年)5月14日の40周年スペシャルで実施。笑点メンバーが「天国に旅立った(昇天した)」という設定で、天使のコスプレをして大喜利を行った。
- 夫婦大喜利
- 2015年(平成27年)1月1日の新春スペシャルで実施。夫婦がタッグを組んで大喜利に挑戦。参加メンバーは金石昭人・陣内貴美子夫妻、石井一久・木佐彩子夫妻、佐々木健介・北斗晶夫妻、ALEXANDER・川崎希夫妻、金山一彦・大渕愛子夫妻。司会は夫婦大喜利に因み、当時の大喜利レギュラーの中で唯一の未婚者である昇太、座布団運びは山田。
- このうち、佐々木・北斗夫妻については膝の負傷などがあり正座がしにくい事に配慮し、前述の「大福大喜利」同様に座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)という特別ルールを採用。他の4夫婦は通常どおり1枚からスタートのため、不公平がないように座布団が増えた枚数で判断することになった。
- 手相大喜利
- 2015年(平成27年)3月29日・2016年(平成28年)1月3日の放送で実施。笑点メンバーの手相を島田秀平が拝見して、結果を言った。また笑点メンバーの背後にはメンバーの左手が載ったボードが置かれていた(歌丸も含まれるが、山田は除く)。またこの回は大喜利での裁量以外にも手相の結果(手相が良いと獲得、手相が悪いと没収)によって座布団の増減が行われた。地上波では7人分の紹介だったが、特大号では山田や笑点メンバー(木久扇、好楽、円楽、たい平、山田)のマネージャー[116]の手相の結果も発表された。
- 真相報道 バンキシャ!大喜利
- 2015年(平成27年)12月27日に、当番組の前後[117]に放送の『真相報道 バンキシャ! ニッポン人は頑張ったスペシャル』の箸休め企画として実施。参加メンバー(全員洋装)は福澤朗、夏目三久、宮本亜門[118]、三浦雄一郎、尾木直樹。司会は昇太、座布団運びは山田。
派生番組
レギュラー番組
BS笑点・笑点Jr.
2003年(平成15年)10月12日から2007年(平成19年)2月17日までBS放送BS日テレで兄弟番組として若手中心の『BS笑点』を放送した。
2007年4月からはCSに移転し、CS放送日テレプラス(放送開始当時は日テレプラス&サイエンス)で『笑点Jr.』として2007年(平成19年)4月22日から2011年(平成23年)3月13日まで放送した。
現大喜利メンバーの春風亭昇太と林家たい平は、この番組の出身。現司会者の桂歌丸はナビゲーターとして出演し、笑点の現アシスタントである三遊亭愛楽もこの番組に出演していた。
笑点デラックス
2012年(平成24年)10月1日より毎週月曜19:00 - 19:54にBS日テレにて放送開始。過去のアーカイブの演芸、および大喜利を厳選して放送する。
笑点 特大号
2013年(平成25年)4月3日より毎週水曜21:00 - 21:54にBS日テレにて放送開始。「大喜利」のディレクターズ・カット版や新規撮影した「演芸」「大喜利」などを放送する。
もう笑点
この節の加筆が望まれています。 |
もう笑点 | |
---|---|
ジャンル | ミニ番組、トーク番組 |
演出 | 加藤健太(日テレアックスオン) |
出演者 |
桂歌丸 他 |
オープニング | 笑点のテーマ |
製作 | |
プロデューサー |
福田一寛 大平道春 深谷圭二 飯田達哉(ユニオン映画) 大畑仁(ユニオン映画) |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 2016年4月3日 - |
放送時間 | 日曜日 17:25 - 17:30 |
放送分 | 5分 |
公式サイト |
2016年4月開始。毎週日曜17:25 - 17:30に日本テレビほかで放送。笑点開始前の前説的ミニ番組。歌丸が笑点メンバー1人とちょっとした会話をする。かつて40分番組だった時代に放送されていた司会者コーナーのような体裁である。歌丸司会降板後も、同番組には『終身名誉司会』の肩書で続投する。
特別番組
24時間テレビ・チャリティー笑点
1988年(昭和63年)から『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内で毎年日曜17時20分頃から18時過ぎまで生放送される。放送回数には含まれない。
通常の放送と同様に演芸と大喜利3本で構成されているが、大喜利メンバーの挨拶を演芸前に行なったり、大喜利の1問目と2問目の間にコマーシャルが挿入されたりするなど、一部の構成が異なる。なお一時期は放送時間は不定で、メンバーの挨拶→CM→大喜利1本という短さで構成されていた。2005年以降から現在の構成となる。
大喜利では座布団が一番多かったメンバーには栄誉(拍手)が送られる。過去の大喜利では、「座布団1枚につき1万円を募金」という特別ルールがあり、募金をさせるためにつまらない答えでも座布団を減らされることなく大盤振る舞い、メンバーが募金を嫌がるというやりとりが見られたため、視聴者から苦情が殺到した[119]。そのため1991年(平成3年)以降はこのルールがなくなり、笑点メンバー全員が募金をする様子を大喜利前に放送している。
2005年(平成17年)以降はその年のパーソナリティーらが出演する場合もある。
- 2005年(平成17年)の放送では、演芸にアンガールズ(山根良顕・田中卓志)が登場。SMAPの草彅剛が大喜利の座布団運びを務めた。
- 2006年(平成18年)の放送では、演芸にナポレオンズが登場。
- 2007年(平成19年)の放送では、演芸にタカアンドトシ(タカ・トシ)が登場。座布団運びをタッキー&翼の滝沢秀明が務め、滝沢とのツーショット写真が大喜利での「豪華商品」となった。
- 2008年(平成20年)の放送では、演芸にチュートリアル(徳井義実・福田充徳)が登場。
- 2009年(平成21年)の放送では、演芸にネプチューン(名倉潤・堀内健・原田泰造)が登場。
- 2010年(平成22年)の放送では、「チャリティー笑点」放送前の14時台に6代目円楽がメイン会場の日本武道館を訪れ、師匠・5代目圓楽との想い出を語った。演芸には森三中(黒沢かずこ・村上知子・大島美幸)が登場。
- 2011年(平成23年)の放送では、演芸にマギー審司が登場。真矢みきが大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。
- 2012年(平成24年)の放送では、演芸にマギー司郎が登場。黒木瞳が大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。
- 2013年(平成25年)の放送では、演芸にマギー司郎・マギー審司が登場。上戸彩が演芸に参加したほか、大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。
- 2014年(平成26年)の放送では、演芸にナポレオンズが登場。杏が演芸に参加したほか、大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。また大喜利終了後にはかつての大喜利メンバーであるこん平がメイン会場の日本武道館を訪れ、10年ぶりに生放送でチャラーンを武道館に来た3000人の来場者と一緒に生で行った。
- 2015年(平成27年)の放送では、演芸にマギー司郎・マギー審司が登場。松下奈緒が演芸に参加したほか、大喜利で歌丸の補佐役を務め、Hey! Say! JUMP・NYCの山田涼介が大喜利の座布団運びを務めた。こん平が11年ぶりに笑点舞台のかつての自身の席に正座で座り、チャラーンを2回行った。
1988年と1989年は日本武道館からの生放送(2分間のCMの間にセットを組んだという)、1990年からは銀座・旧日産本社ギャラリー前広場、JCB旧本社(お茶の水スクエア)などからの生中継だった。2003年(平成15年)から2010年(平成22年)までは汐留・日本テレビタワー特設スタジオから生中継された。2011年(平成23年)以降は日本テレビ麹町Gスタジオからの生中継となっている。
おはよう笑点
1998年(平成10年)から2007年(平成19年)までの1月2日に箱根駅伝中継が始まる前の時間帯に『おはよう笑点』を放送した。
大笑点
2006年(平成18年)から2008年(平成20年)までの1月1日に新春スペシャルとして、『大笑点』を放送した。
笑点緊急追悼特番 ありがとう 円楽さん
5代目三遊亭圓楽の逝去に伴う追悼特番。2009年(平成21年)11月1日16:55 - 17:25に日本テレビ、読売テレビで放送。後に2010年(平成22年)1月3日16:30 - 17:00にBS日テレで放送された。
桂歌丸を司会に落語「弥次郎」(2000年(平成12年)1月9日放送分の再放送)、大喜利(1988年(昭和63年)3月6日放送分・2001年(平成13年)2月11日放送分・1988年(昭和63年)4月3日放送分(若竹での収録))の様子が流れた(ハイビジョン放送)。
また、その翌週の2009年(平成21年)11月8日には急遽予定を変更して「ありがとう円楽さん!笑点メンバーお別れ会」が放送された。
笑点!お正月だよ!大喜利祭り
「大笑点」に代わり、2009年(平成21年)以降の元日、16:00 - 18:00に、大喜利を中心とした内容の2時間特番が放送されている。
- レギュラーメンバーによる口上 - 各メンバーはその年の干支にちなんだ口上を述べる。口上が終わったあとは鏡割りを行う。なお、2008年以前は新年最初のレギュラー放送の回で行われていた。この口上は番組開始当初から行われており、三波時代には口上に続いて笑点メンバーが歌舞伎や舞を披露した[120]。
- 寿大喜利 - 2部制。前半は正月にちなんだ大喜利、後半はメンバーがその年の干支に因んだ衣裳に仮装して大喜利を行う。
- ほか、ゲストを迎えての東西大喜利、振袖大喜利、ものまね大喜利などが行われる。演芸コーナー(漫才、マジックが多い)も用意されている。
ザ・富士山
2011年(平成23年)5月6日に『金曜スーパープライム』枠で「ザ・富士山 大解剖スペシャル!!」を放送した。ここでは、大喜利メンバーが富士山にちなんだ大喜利を披露。ナレーションは平野義和。
あのニュースで得する人損する人とのコラボレーション
大喜利メンバーと桂歌丸が人間ドックを受診する様子が2015年4月9日の『あのニュースで得する人損する人』2時間スペシャルで放送された。番組内で笑点メンバーと得損メンバーのペアによる大喜利が開催された(得損メンバーはペアを組む笑点メンバーと同じ色の色紋付を着用した)。 お題は1問のみで、2014年2月23日放送分の大喜利一問目と同じお題が出題された。
スタッフ
- 構成:遠藤佳三、横山誠一、城啓介、内海譲司、三木睦郎、会沢展年、小林哲也、菊池裕一、佐藤かんじ
- 音楽:中村八大
- アニメ:竹内大三
- 題字:橘左近
- TM:新名大作
- TD:飯島章夫、三沢津代志、篠原昭浩、萩野谷直樹、川村雄一、牛山敏彦
- 照明:内藤晋、下平好実、小川勉
- SW(映像):宮崎和久、安藤康一
- カメラ:田代義昭、吉田健治
- 音声:酒井孝
- PA:木本文子
- 美術:大竹潤一郎
- 大道具:赤木直樹、峰崎俊輔
- 装飾:佐々木洋平
- 衣裳:栗田佐智子
- 美粧:外山奈津子
- 編集:村上友佳子
- 整音:小林陽子
- 音効:吉田茂、宮川素子
- TK:中村ひろ子
- AD:山口裕之、福田拓也
- AP:小森佳代
- デスク:奥山知美
- ディレクター:高木裕司(ユニオン映画)、加藤健太(AX-ON)
- プロデューサー:福田一寛(日本テレビ)、飯田達哉・大畑仁(ユニオン映画、共に以前はディレクター)
- 統括プロデューサー:中村博行(日本テレビ、以前はプロデューサー)
- チーフプロデューサー:糸井聖一(日本テレビ)
- 制作協力:ユニオン映画
- 制作著作:日本テレビ
歴代のスタッフ
- 構成:新野隆司、栗田悌志、新倉イワオ、鈴木重夫、山西伸彦
- アニメ:エレホン企画、マルチボックス
- 題字:橘右近
- TM:北野政憲、古井戸博、石塚功
- TD:柴田康弘、山岸真、片柳幸男、青木健二、岩本公平
- SW:田口勝夫
- 調整:矢田部昭
- 照明:蜂谷道雄
- 編集:青木健、大森美佳子
- 整音:駒路健一
- 音効:恩田佳代子
- 美術:伊東清、石川啓一郎
- 美術制作・デザイン:磯村英俊
- 小道具:渡辺勇二
- 衣裳:佐々木皖子
- 装飾:丸山善之
- 人形デザイン:辻下浩二
- 企画:小暮美雄
- AP:中野留理子、菅原由芳、梅沢佳代
- ディレクター:立壁久泰・江間保隆・梅原高実・親松豊(ユニオン映画)、中西健・鬼頭直孝・上田崇博・末延靖章・岩沢錬・中田志保(日本テレビ)
- プロデューサー:小里光・本多益幸・尼崎昇・中村元気・江口義明・中西健・鬼頭直孝・岩沢錬(日本テレビ)/小暮美雄・中野留理子・加藤晋也(ユニオン映画)
- ラインプロデューサー:鈴木雅人(日本テレビ、以前はプロデューサー → チーフプロデューサー)
- チーフプロデューサー(制作):北村光雄・中島銀兵・吉田勲明・吉岡正敏・佐野讓顯・吉田真・馬場寛・梅原幹・菅賢治・松崎聡男・安岡喜郎(日本テレビ)
- 制作協力:現代センター
※また地方収録の時はその地域の系列局の技術スタッフ、ディレクター、プロデューサーが携わることがある。なおかつては地方収録時は日本テレビとその地域の系列局が共同で製作・著作していたが、現在はその地域の系列局は制作協力扱いとなっている。
巡回展
番組放送50周年を記念して、2016年4月より巡回展「笑点 放送50周年特別記念展」が各地で開催される[121][122]。
- 2016年4月27日 - 5月9日:髙島屋日本橋店(東京都中央区)
- 2016年7月20日 - 7月31日:髙島屋京都店(京都府京都市)
- 2016年8月3日 - 8月15日:横浜髙島屋(神奈川県横浜市)
- 2016年8月24日 - 9月5日:髙島屋大阪店(大阪府大阪市)
DVD等
- 『笑点 大博覧会 DVD-BOX』(2005年11月23日発売)
- 『笑点 ありがとう円楽さん! 〜五代目 三遊亭円楽を偲ぶ映像集〜』(2009年12月23日発売)
- 歌丸の地元・横浜にある放送ライブラリーでは1980年10月5日放送分(上記)[123]と2001年(平成13年)10月28日放送分[124]の閲覧が可能となっている。
関連書籍
- 『笑点』 日本テレビ放送網、ISBN 978-4820399551
- 『笑点第1号』 日テレムック、ISBN 978-4820300021
- 『笑点第2号』 日テレムック、ISBN 978-4820300106
- 『笑点第3号』 日テレムック、ISBN 978-4820300175
- 『笑点第4号』 日テレムック、ISBN 978-4820300250
- 『笑点の謎』 ISBN 978-4309264547
- 『笑点 諸国お笑い漫遊記』 ISBN 978-4309267098
脚注
- ^ 地上デジタル放送ではステレオ放送も実施。
- ^ 新春スペシャル等は麹町にて収録される。東日本大震災の影響により後楽園ホールで収録出来なくなった際にも、2011年(平成23年)5月分5本(45周年記念口上も含む)と6月分1本の計6本の収録を麹町分室にて行われた。
- ^ 2009年11月8日放送の「ありがとう円楽さん!笑点メンバーお別れ会」や2016年5月15日放送の「50年分の歌丸まとめ」でも過去映像の画質に明確な差があることが分かる。
- ^ “「笑点」50周年記念のフレーム切手セット発売”. お笑いナタリー (ナタリー). (2015年10月16日) 2016年4月21日閲覧。
- ^ 字幕は、司会(現在は歌丸)の声が黄色、アナウンサー大喜利の司会の声若しくは演芸ゲストが二人いる場合そのうち一人の声が水色、三人以上の場合更にもう一人の声が緑色で表示される。開始当初は日本テレビ、読売テレビ、福岡放送など極少数の局でしか行われていなかった(当時は民放各局の字幕放送番組が現在よりも少なかった)が、1998年までにすべての同時ネット局で実施するようになった。
- ^ a b 2009年(平成21年)11月8日放送の5代目圓楽追悼の回では放送日が収録直後だったこともあり、リアルタイム字幕放送を実施。解説放送は行わなかった。
- ^ 2010年(平成22年)4月4日(第2210回)からは、解説放送のナレーター(NTVアナウンサー)が自己紹介するようになった。
- ^ “現場リポート おそらく世界初!? 8Kで"番組収録"してみました。”. 日テレ・テクニカル・リソーシズ(NiTRo) (2016年1月19日). 2016年2月23日閲覧。
- ^ 1966年5月15日、1968年4月28日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 1968年5月5日、1996年3月31日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 1996年4月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 以前は、新年最初の日曜日は新春特番や高校サッカーのハイライトなどで番組が休止だったため、新年最初の放送は1月第2週目からだった。
- ^ 通常は17:30 - 17:58まで。
- ^ 通常は17:30 - 18:00まで。
- ^ なお龍角散は、『笑点デラックス』と『笑点 特大号』にもスポンサーに入っており、また地上波の正月特番にもスポンサーを務めている。
- ^ 2015年7月26日(第2475回)放送回は日本テレビ女性アナウンサーペア大喜利の代理司会を担当。
- ^ a b “「笑点」6代目司会は春風亭昇太 恐縮「『え〜』と思いました」”. スポニチアネックス. (2016年5月22日) 2016年5月22日閲覧。
- ^ “「笑点」新メンバー・林家三平、着物は丁子(ちょうじ)色に決定”. スポーツ報知. (2016年5月29日) 2016年5月29日閲覧。
- ^ “「笑点」大喜利の新レギュラーに2代目林家三平”. 日刊スポーツ. (2016年5月29日) 2016年5月29日閲覧。
- ^ “林家三平 昇太に「独身チビ野郎」で座布団ゼロに”. デイリースポーツ. (2016年5月29日) 2016年5月29日閲覧。
- ^ オープニングでの出演者クレジットは同回以降も継続。
- ^ 歌丸は自身の著書『極上歌丸ばなし』で前田がわずか1年で司会を降りる事になった理由につき、「前武さんじゃ、落語家のシャレが通じないんですよ。とにかくやりにくくってしょうがない。局側も(それに)気がついたんでしょうね」と述懐している。[1]
- ^ 「笑点の謎」(河出書房新社)より
- ^ a b c “【笑点50年 笑いのある人生】(5)演芸コーナー最多出演はマギー司郎の49回”. スポーツ報知. (2016年5月12日) 2016年5月23日閲覧。
- ^ 2014年(平成26年)5月4日放送では、当時若手大喜利レギュラーメンバーかつ落語立川流である立川晴の輔(旧高座名:志の吉)が前年2013年(平成25年)12月1日に真打昇進したため、晴の輔も落語協会・落語芸術協会の新真打とともに襲名披露に出演した。ただし、師匠の立川志の輔をはじめ、落語立川流から関係者の出演はなかった。
- ^ この際、進行役から「本来新真打はこの場(=襲名披露口上)では言葉を発しないのですが」などの前置きがされる。寄席の披露口上では、本人が主任をとることで挨拶に代えるため。
- ^ 1980年3月と4月の朝日新聞縮刷版にて確認済。
- ^ showtenntvの投稿(784007658304582) - Facebook
- ^ 笑点Web 放送内容 第2350回 福島県郡山市での収録回。襖にしだれ桜(二本松市、三春町など、福島県内に多数の名所がある)が描かれている。
- ^ 笑点Web 放送内容 第2371回 秋田県秋田市での収録回。襖に竿燈が描かれている。
- ^ 現在では日本での視聴率調査からはすでに撤退済み。
- ^ ただし、歴代最高視聴率を記録したこの放送回の記録媒体は日本テレビに残っていないため2013年現在VTRを利用できない状況にある(2013年5月15日放送『1番ソングSHOW 日テレ60年伝説番組が生んだ名場面&名曲大連発スペシャル』)
- ^ 放送直前にCM未放送問題が発覚したため、これについての発言は実際の放送ではカットされた。
- ^ a b ただしこのとき歌丸は体調不良で休演。冒頭の挨拶および1週目の大喜利の代理司会を木久扇、2週目の大喜利の代理司会を好楽が担当した。
- ^ a b 歌丸が療養中であった為冒頭の挨拶を昇太とたい平、1週目の大喜利の代理司会を小遊三、2週目の大喜利の代理司会を円楽が担当した。
- ^ 歌丸の著書「極上歌丸ばなし」に記述あり。
- ^ 1997年の香港公演の特番冒頭に出演者から明かされ、その際に「サダム・フセイン、あなたのおかげでパリ収録が中止になりました」という皮肉めいた恨み節のテロップが表示されていた
- ^ 当日付の新聞テレビ欄(読売新聞東京本社11版17面、朝日新聞東京本社11版11面、毎日新聞東京本社12版9面)にて確認。
- ^ 2016年5月15日放送で、日本テレビに現存する最古の映像(放送回)として紹介された。
- ^ 日本テレビ放送網『大衆とともに25年 -沿革史-』1978年、156頁。
- ^ 「笑点」最高視聴率は74年36.1% 座布団は立川談志さん考案 Sponichi Annex 2016年5月23日発行、同日閲覧)。
- ^ 「笑点」の報道特別番組による休止は2004年7月18日の「曽我ひとみ一家帰国関連」以来である。
- ^ 桂歌丸 肺疾患と肋骨骨折で入院 「笑点」収録も欠席 スポーツニッポン 2014年4月4日閲覧
- ^ 林家木久扇さん、初期の喉頭がんで休養へ 「笑点」は代役立てず 産経新聞 2014年7月21日閲覧
- ^ 桂歌丸、インフル感染し入院…「笑点」司会など今月いっぱい休養 サンケイスポーツ 2015年1月8日閲覧
- ^ そのため冒頭の案内をやらずに、字幕で一部内容を変更した旨を伝えた上で、すぐ演芸に入った(翌週放送分の原口あきまさ・ホリのものまねも同様)。
- ^ 三宅裕司&小倉久寛「笑点」コント延期に…「国際情勢を配慮」 スポニチアネックス 2015年1月26日閲覧
- ^ 2015年7月26日(第2475回)放送分(日本テレビ女性アナウンサーペア大喜利)、2016年1月3日放送分(手相大喜利)は休止。11月1日 - 12月20日放送分は笑点カレンダーの告知のため休止。
- ^ 歌丸また「笑点」欠席へ…腸閉塞で入院、退院時期は未定 デイリースポーツ 2015年7月12日閲覧
- ^ 放送内容|笑点|日本テレビ 第2497回 2016年1月31日閲覧
- ^ このうち、6代目円楽は実際に青山学院大学を卒業している。
- ^ 放送内容|笑点|日本テレビ 第2512回 2016年4月24日閲覧
- ^ 桂歌丸が「笑点」司会引退「体力の限界です」 日刊スポーツ 2016年4月30日閲覧
- ^ 歌丸、笑点の司会を引退「体力の限界です」…5・22生放送がラスト スポーツ報知 2016年4月30日閲覧
- ^ 桂歌丸「笑点」50周年で大喜利司会引退発表 ラストは5月22日生放送 - gooニュース・スポニチアネックス、2016年4月30日14:35配信、同日閲覧
- ^ 番組冒頭から中盤にかけて(後述するTOKIOとの大喜利対決、笑点50年間の事件簿をまとめた再現VTR、ナイツと歌丸のコラボ漫才)は事前収録。なお、急遽の生放送決定のため、中京圏でそれぞれ別々の落語会を当日開催した好楽・6代目円楽・たい平は名古屋からの移動のため遅れて出演(生放送の大喜利には間に合った)。
- ^ a b c 一時期日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット局でもあったが引き続き放送。
- ^ 根拠:1971年4月〜1972年4月の東奥日報・陸奥新報・河北新報(青森県立図書館・弘前市立図書館・五所川原市立図書館で閲覧)の青森放送テレビ欄から
- ^ 2011年10月から水曜夕方の枠で再放送を行っている。
- ^ 東日本放送が開局するまでは、日本テレビ系列とNET系列のクロスネット。クロスネット時代はNETの番組(『ビッグスポーツ』『朝日新聞テレビ夕刊』)を同時ネットしていたため、日曜12:15から(開局-1973年3月まで)→土曜16:30から(1973年4月-)のそれぞれ遅れネットだったが、1973年9月でいったん打ち切り。その後東日本放送の開局に伴うクロスネットの解消で、1975年10月に同時ネットでネット再開。
- ^ 福島放送が開局するまでは、日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット。また、1979年4月1日-1981年9月27日は『ANNニュースレーダー』(日曜日のみ)をネットしていたため遅れネット。
- ^ 1978年3月までは毎週土曜17時20分の6日遅れネット。1978年4月からは同時ネット。
- ^ それまで、当番組を放送していた新潟放送は、6日遅れの放送だった為、テレビ新潟は、開局前のサービス放送開始後のこの日から同時ネットし続けている。
- ^ a b ANN主体からNNNマストバイ局変更による。
- ^ それまでは『530ステーション』を放送していた。
- ^ 1989年4月からANNにも正式加盟したが、日本テレビ系優先のクロスネット局のためスポンサードネットでの放送を継続。かつては日本テレビ系列単独加盟でありながらANNともオブザーバー扱いで素材交換契約を結んでいたため、『ANNニュース&スポーツ』や『530ステーション』などのテレビ朝日の日曜夕方のニュースを1991年3月まで(1989年3月までは番組販売扱い)放送していたために6日後の土曜夕方に時差ネットしていたが、その後、自社番組などの放送を経て、本番組の30分化に伴って日本テレビとの同時ネットに移行している。
- ^ 根拠:読売新聞大阪本社発行岡山版のテレビ欄で確認
- ^ 17:00から『日曜劇場』の遅れネットのため(現在も別時間で継続)、当初は土曜正午に時差ネットしていたが、現在は日本テレビとの同時ネットに移行している。
- ^ 社史「四国放送の50年」による。
- ^ 1983年(昭和58年)4月に西日本放送が岡山県に乗り入れるまでは岡山県では放送されていなかった(ただし、多くの地域でRNCもしくはNKT・ytv・HTVで視聴することは可能であった)。
- ^ 根拠:読売新聞大阪本社発行岡山版(岡山県立図書館で閲覧)のテレビ欄
- ^ 開始時期は不明だが、少なくとも1975年11月まではネット開始していない。根拠:読売新聞大阪本社発行岡山版のテレビ欄
- ^ 佐賀県でも大部分で視聴可能。
- ^ 時期によっては土曜 16:15 - 16:45に時差ネット(編成の関係で放送時間変更や休止される場合あり)。また、テレビ大分では未ネットである『FNSの日』当該日の日本テレビとの同時ネットも行われない(『FNSの日』当該日には『TOSニュース』を放送)。2011年4月から現在の放送時間。
- ^ 日曜 17:00 - 17:40→火曜 11:15 - 11:45に時差ネット。1997年3月に一旦打ち切られたが(ただし2005年(平成17年)正月特番は放送)、2008年以降火曜10:45 - 11:15に放送を再開した。2010年4月に火曜11:15 - 11:45に移動し、2014年10月より現在の時間に移動。
- ^ 2003年4月から2004年3月は月曜15:55-16:25で放送。その後、2013年4月から放送再開。放送日時の変更が多い。
- ^ ネット当時は日本テレビ系列
- ^ ネット当時は日本テレビ系列およびNETテレビ系列とのトリプルネット
- ^ NSTでのネット終了後は、NETテレビの夕方のニュースの同時ネットに切り替えた。
- ^ 翌3月29日から、開局前のサービス放送中のテレビ新潟での同時ネットに移行。
- ^ この月にテレビ信州が、それまでのテレビ朝日系列・日本テレビ系列(但しNNSは非加盟)クロスネットから、日本テレビ系列へネットを一本化(NNS加盟)した。
- ^ 1975年10月12日、1982年3月28日、1982年4月10日、1991年3月30日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ ネット当時の名称は「静岡けんみんテレビ (SKT)」。
- ^ ネット当時はNNNにも加盟。
- ^ ネット当時は日本テレビ系列(NNN、NNS加盟)メインであった。
- ^ JNN基幹局でありながら、放送開始当時、福岡県に日本テレビ系列局がなかった事情から、同系列の番組もネットしていた。
- ^ ネット当時はNNN系列とフジテレビ系列に加盟
- ^ 同年10月にNNNを脱退したため、半年間長崎県では放送されなかったが、1991年4月に長崎国際テレビが開局して再開。
- ^ ネット当時はNNN/NNSとANNにも加盟
- ^ テレビ宮崎では開局と同時に放送を開始したが、途中で打ち切り・再開を繰り返していた。1997年3月で一旦放送は打ち切られたものの、2008年から放送を再開している。
- ^ ネット当時はNNN/NNSにも加盟。1982年9月まではANNにも加盟
- ^ 表にはないが、延友陽子(1998年入社)は2002年正月に出演。
- ^ 鈴木より改姓。
- ^ 葉山より改姓。
- ^ 上重は硬式野球(PL学園高 - 立大)、山本はサッカー(柏レイソルユース - 明大)、佐藤はラグビー(慶応普通部)やスキー(慶応高)、中野はテニス(明大)の経験者。
- ^ 藤井も鈴木と同じ枚数でトップとなったが「司会者の席の近い方」の鈴木のみ賞品獲得となった。
- ^ 2013年10月23日放送の『笑点 特大号』「本日の楽屋」コーナーでは、負けチーム用の千社札(上重は「甲子園」、中野は「テニス」、山本は「長友の後輩」)が披露された。なおこれらについては歌丸の優しさにより、後日上重らにも贈呈された。
- ^ 笑点Facebook 2016年3月13日付
- ^ 出演当初は春風亭あさ市
- ^ 出演当初は春風亭柳八
- ^ 出演当初は立川笑志
- ^ 出演当初は林家きくお
- ^ 当初は2011年(平成23年)4月10日放送予定分の若手大喜利の収録を3月12日に予定していたが、東日本大震災により延期。後に麹町分室にて収録した。4月10日放送予定分の収録は、長崎市公会堂で収録(放送では長崎市公会堂とはアナウンスされず)した歌丸の落語「つる」に変更。
- ^ いずれも米朝一門。
- ^ なお文左衛門も2代目木久蔵と同じ枚数でトップとなったが「2代目木久蔵のお父さんにお世話になっている」と言う理由で、2代目木久蔵のみ賞品獲得となった。
- ^ なお昇太は、生志が1問目の回答で自身の著書「ひとりブタ: 談志と生きた二十五年」の宣伝をした際「自分の書いた本とか紹介する奴は最低だよ」と発言したため、生志に賞品について突っ込まれた。
- ^ 大喜利メンバー史上最年少
- ^ 噺家ではないが、2013年以降はジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ・TOKIOの城島茂(奈良県出身)も参戦(高齢になった笑福亭松之助に替わるリーダー格)。
- ^ 桂小米朝より改名。
- ^ 西軍初の女流メンバー。
- ^ 林家染弥より改名。
- ^ TOKIOスペシャルDAYS|日本テレビ
- ^ 後に2011年の東西大喜利に月亭方正として出演。
- ^ 正確には神奈川県出身であるが、当時千葉県在住のため千葉県代表として出演。
- ^ 40周年記念本では「さっこちゃん」と呼ばれ、2010年3月14日放送のフジテレビ系「ボクらの時代」で父や弟(2代目木久蔵)と対談した人物。
- ^ 木久扇と好楽のマネージャーは(それぞれの)自身の娘、山田のマネージャーは自身の息子である。
- ^ 第1部は16:30 - 17:30。第2部は18:00 - 18:55。
- ^ 同スペシャル本編にも出演。
- ^ 『笑点』(日本テレビ、2006年、ISBN 4-8203-9955-1)
- ^ 『笑点』(日本テレビ、2006年、ISBN 4-8203-9955-1)
- ^ 笑点 放送50周年記念特別展 日本テレビ
- ^ “あの座布団にも座れる! GWに「笑点 放送50周年特別記念展」開催”. ねとらぼ. (2016年4月14日) 2016年4月21日閲覧。
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:002976
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:011522
参考文献
- 『笑点』 日本テレビ放送網株式会社、2006年、ISBN 978-4820399551
関連項目
外部リンク
日本テレビ 日曜日16:30 - 17:10枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
日曜映画劇場
※15:30 - 17:10 |
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日本テレビ 日曜日17:20 - 17:25枠 | ||
チャンピオンズゴルフ
※17:10 - 17:30 |
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日本テレビ 日曜日17:25 - 17:30枠 | ||
チャンピオンズゴルフ
※17:10 - 17:30 |
笑点
(1968年5月5日 - 1996年3月31日) |
ガイド枠
【10分繰り下げて継続】 |
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日本テレビ 日曜日17:30 - 18:00枠 | ||
笑点
(1968年5月5日 - ) |
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