小笠原村
おがさわらむら 小笠原村 | |||
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国 | 日本 | ||
地方 | 関東地方 | ||
都道府県 | 東京都(小笠原支庁) | ||
郡 | なし | ||
市町村コード | 13421-0 | ||
法人番号 | 6000020134210 | ||
面積 |
113.04km2 | ||
総人口 |
2,834人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||
人口密度 | 25.1人/km2 | ||
村の木 | タコノキ | ||
村の花 | ムニンヒメツバキ | ||
村の鳥 | メグロ | ||
小笠原村役場 | |||
村長 | 渋谷正昭 | ||
所在地 |
〒100-2101 東京都小笠原村父島字西町 | ||
外部リンク | 小笠原村 | ||
ウィキプロジェクト |
小笠原村(おがさわらむら)は、小笠原諸島にある東京都の村である。日本の最東端(南鳥島)と最南端(沖ノ鳥島)を含む。 小笠原諸島の30余りの島々を村域とするが、一般住民が居住しているのは父島と母島のみである。エコツーリズムで知られている。
概要
気候は聟島列島・父島列島・母島列島・西之島では亜熱帯、火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島では熱帯の海洋性気候である。父島の年平均気温は23.0 ℃、年間降水量は1,280 mm[1]。
長らく日本国内で唯一、津波以外の気象警報・注意報が発表されない地域であったが、2008年(平成20年)3月26日9時から予報が開始された[2]。
伊豆諸島の町村と同様に所属する郡が存在しない。従って「東京都小笠原村」が正式な表記である。
村の主な機能は父島に集中しており、人口が最も多い。また、父島や母島は第二次世界大戦中要塞化(父島要塞)されたが、空襲以外の攻撃が少なかった為、多くの戦争遺跡が残っている。
同村と同じ苗字という縁から、プロ野球選手で日本ハムファイターズ所属の小笠原道大が1999年(平成11年)から観光親善大使を務め、読売ジャイアンツへの移籍後も継続している。2008年(平成20年)には小笠原諸島返還40周年大使に辰巳琢郎が任命された。
2010年(平成22年)現在の老齢人口割合は9.2%で、全国の市町村の中で最も老齢人口割合が低い。逆に、生産年齢人口割合は75.7%で、全国の市町村の中で最も高い。
平成22年度国民健康保険、1人当たりの医療費は全国の市町村の中で最も低い(157,649円)。人口の年齢構成を補正した1人当たりの医療費の指数でも、全国で2位の低さである(0.71)。
村内各地区の風景
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二見港周辺
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二見港に入港する
「おがさわら丸」 -
父島二見港
(2002年03月撮影) -
父島二見港(奥におがさわら丸が接岸中)
地理
- 河川
歴史
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 普通町村制の適用により、東京府小笠原支庁の父島に大村・扇村袋沢村が、母島に沖村・北村が、硫黄島に硫黄島村が設置される[3]。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。(東京府廃止)
- 1946年(昭和21年) - アメリカ合衆国軍の直接統治の下に置かれる。
- 1952年(昭和27年) - サンフランシスコ講和条約により、5村は日本国政府の行政から分離され廃止。アメリカ合衆国の施政権下に置かれ引き続きアメリカ合衆国軍管理となる。これに伴い各村役場は廃止され、役場の一般事務は東京都総務局行政部地方課分室で行われる。
- 1953年(昭和28年)4月28日 - 小笠原支庁廃止[4]
- 1968年(昭和43年)6月26日 - 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定発効により、アメリカ合衆国軍から返還、本土復帰すると同時に小笠原支庁の全村が合併し、東京都小笠原村となる[5]。小笠原総合事務所(国の機関)[5]、東京都小笠原支庁および小笠原村役場の行政機関設置。
- 1979年(昭和54年)
行政区域変遷
- 変遷の年表
小笠原村村域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現小笠原村村域に関連する行政区域変遷 |
1923年(大正12年) | 10月1日 | 小笠原諸島、青ヶ島への町村制の施行により、以下の村が発足。[6][7] |
1943年(昭和18年) | 7月1日 | 東京都制施行により、東京府、東京市が合併し東京都が発足。 |
1946年(昭和21年) | アメリカ合衆国軍の直接統治の下に置かれる。 | |
1952年(昭和27年) | 4月28日 | サンフランシスコ講和条約により、日本国政府の行政から分離され、 小笠原諸島の5村は廃止。 |
1968年(昭和43年) | 6月26日 | 小笠原諸島はアメリカ合衆国軍から返還、本土復帰すると同時に、 小笠原支庁の旧5村が合併し、東京都小笠原村となる。 |
- 変遷表
小笠原村村域の変遷表 | |||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 昭和15年 | 昭和15年 4月1日 |
昭和15年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
大村 | 大村 | 昭和27年4月28日 サンフランシスコ講和条約 発効により廃止 |
昭和43年6月26日 本土復帰 小笠原村 |
小笠原村 | 小笠原村 | ||
扇村 | 明治29年 扇村袋沢村 |
扇村袋沢村 | |||||
袋沢村 | |||||||
沖村 | 沖村 | ||||||
北村 | 北村 | ||||||
硫黄島村 | 硫黄島村 |
人口
小笠原村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
- 村長:森下一男(2003年7月27日から・任期満了は平成27年7月26日)
- 副村長:石田和彦
- 教育委員長:佐藤洋美(任期満了は平成26年4月27日)
- 教育長:伊藤直樹(任期満了は平成27年9月25日)
- 選挙管理委員長:小笠原美惠子
議会
- 議長:佐々木幸美
- 副議長:鯰江 満
- 議員:稲垣 勇
- 議員:池田 望
- 議員:杉田一男
- 議員:一木重夫
- 議員:片股敬昌
- 議員:高橋研史
任期満了は平成27年4月26日
国の機関
- 文部科学省
- 国土交通省
- 防衛省
警察
- 東京都
- 公安委員会
- 警視庁小笠原警察署
- 公安委員会
経済
産業
- 主な産業
漁業
- 二見漁港
- 母島漁港
日本郵政グループ
(※2013年10月現在)
郵便番号は父島が「100-2101」、母島が「100-2211」となっている。
地域
教育
小学校
中学校
高等学校
交通
道路
一般国道
- 村内を走る一般国道:なし
都道
- 東京都道240号父島循環線
- 東京都道241号沖港北港線-東京都最南端の都道
路線バス
小笠原村営バス
- 扇浦線(村役場〜小港海岸)
- 大村〜奥村循環線
タクシー
- 父島タクシー(父島)
※母島はタクシーは無いが、有償運送がある(母島観光協会または宿泊先で問い合わせること)。
港湾
- 父島二見港
- 母島沖港
航路
- 小笠原海運「おがさわら丸」(通称:おが丸)
- 東京港竹芝桟橋-父島二見港を結ぶ貨客船。(所要時間: 25時間30分、おおむね6日に1便、ピークシーズンのみ3日に1便就航)
- ※東京-父島間に高速旅客船テクノスーパーライナー(予定所要時間: 約16時間)の就航が決定し船舶が竣工したが、原油価格高騰等の影響もあり見送られた。
- 伊豆諸島開発「ははじま丸」
- 父島二見港と母島沖港を結ぶ貨客船。1日0.5〜1往復就航(所要時間: 2時間、休航日あり)。おがさわら丸入出港日は接続するダイヤを組む。
- 共勝丸「第二十八共勝丸」
- 東京港月島ふ頭-父島二見港-母島沖港を結ぶ貨物船だが最大9人の旅客営業も行っている。おおむね月3回の就航(所要時間: 約46時間だが不定)。但し、あくまでも貨物主体の運行のため、場合によっては客扱を断るときもある。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所
- 南島
- 兄島海中公園
観光スポット
- 大村海岸
- 小港海岸
- ジョンビーチ・ジニービーチ
- 三日月山展望台
- ホエールウォッチング、ドルフィンスイム&ウォッチング-父島に観光船あり
- グラスボート、シーカヤック、ウィンドサーフィン
- スクーバダイビング、体験ダイビング、スキンダイビング
- レンタサイクル、レンタバイク、レンタカー
- 釣り(磯釣り、船釣り)
- ツアー
- ケータ島ツアー、母島ツアーなど-父島より
- ジャングルトレッキング、ナイトツアー
- 戦争遺跡と戦跡ツアー
出身有名人
- 避難じいさん (絵本作家、川柳作家、グラフィックデザイナー)
脚注
関連項目
外部リンク
- 行政
- 観光