ネボ山 (ヨルダン)
ネボ山 جبل نيبو, Jabal Nibu | |
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ネボ山 (東1.4kmより) | |
標高 | 817 m |
所在地 | ヨルダン(マダバ県) |
位置 | 北緯31度46.0分0秒 東経35度43.5分0秒 / 北緯31.76667度 東経35.72500度座標: 北緯31度46.0分0秒 東経35度43.5分0秒 / 北緯31.76667度 東経35.72500度 |
プロジェクト 山 |
ネボ山(英語: Mount Nebo, アラビア語: جبل نيبو, Jabal Nibu. ヘブライ語: הַר נְבוֹ, Har Nevo )は、現在のヨルダン西部に位置する海抜817mの高い尾根である。山頂からは、聖地の全景と、北にヨルダン川渓谷の一部が展望できる。通常、エリコの西岸地区の町が頂上から見え、よく晴れた日であればエルサレムも見える。
宗教的意義
ユダヤ教とキリスト教
申命記の最後の章によると、ネボ山は、神がイスラエルの民に与えられた約束の地を、ヘブライ人の預言者モーセに眺望させた場所とされる。「モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガ (Pisgah) の頂に登った。」(申命記34章1節)[1]
ユダヤ教とキリスト教の伝承および聖書によれば、モーセは神によってこの山に埋葬されたが、モーセの永眠の地は不明である。学者は、現在ネボ山として知られているこの山が、モーセ五書に示された山と同じであるかどうか議論を続けている。
マカバイ記 二 2章4-7節によると、預言者エレミヤは幕屋と契約の箱をこの地に隠したとされる。
遺跡
1933年、山の頂上部でシャガ (Syagha) [2]という教会と修道院の跡が発見された[3]。その教会は初め、4 世紀後半にモーセの死の場所をしのんで建てられた。教会の構造は典型的なバシリカ様式による。教会は5世紀後半に拡張され、西暦597年に建て直された。教会については、西暦394年に一人の女性、エゲリア (Aetheria) の巡礼記に初めて記載された。モザイクで覆われた教会の床下からは、天然の岩をくり抜いた6基の墓が発見されている。現在も、年代の異なるモザイクの床の断片を見ることができ、現代の教会は、その場所を保護して、礼拝の空間を備えるよう建設されている。
近年
2000年3月20日、ヨハネ・パウロ2世は巡礼の中で、聖地(ヨルダンで最も重要なキリスト教霊場の1つであるネボ山)を訪れた。訪問時、ヨハネ・パウロ2世は ビザンティン様式の礼拝堂の側に平和の象徴としてオリーブの樹を植えた。[4]
教皇ベネディクト16世は、2009年5月9日、この地を訪れて演説し、エルサレムの方向を山頂から眺望した。[5]
山頂にある蛇のような十字架の造形物(青銅の蛇の記念碑)は、イタリアの芸術家ジョバンニ・ファントーニにより作成された。それはモーセが荒野で作った青銅の蛇(民数記21章4-9節)とイエスが磔刑にされた十字架(ヨハネ3章14節)を象徴している。
関連項目
参考文献
- ^ 『聖書 新改訳』、日本聖書刊行会、1970年。
- ^ Also found as 'Siyagha' the peak is (710 metres), while the south eastern peak 'el-Mukhayyat' is 790 metres Piccirillo, Michele (2009) Mount Nebo - page 17
- ^ Piccirillo, Michele (2009) Mount Nebo (Studium Biblicum Franciscanum Guide Books, 2) pp. 14/15 - extract from Fr Sylvester Saller The Memorial of Moses on Mount Nebo Jerusalem 1941, pp. 15-18)
- ^ Piccirillo, Michele (2009) Mount Nebo (Studium Biblicum Franciscanum Guide Books, 2) pp. 107
- ^ http://www.catholicnewsagency.com/news/pope_benedict_begins_his_pilgrimage_on_mt._nebo/
外部リンク
- Franciscans at Mount Nebo
- Photographs of excavations in Jordan at Archaeology and Art
- Pictures from mount Nebo 1