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藤原定信

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藤原 定信(ふじわら の さだのぶ、寛治2年(1088年) - 保元元年1月18日[1]1156年2月10日))は、平安時代後期の廷臣・書家藤原定実の長男で、世尊寺家第5世となり能書家として重んじられた。官位従四位下宮内権大輔

経歴

大嘗会屏風の筆者となり、多くの墨跡を今日に伝えている。大治4年(1129年)から仁平元年(1151年)の23年間をかけて、一切経全5048巻を独力で書写した[2]。書写を終えた後、春日大社でこれを供養し、多武峰出家した。この一筆一切経の偉業を成し遂げたのは、日本の歴史上定信と宗像大社色定法師の二人だけである。『本朝世紀』によると、院宮諸家がその偉業を讃え、たくさんの贈り物をしたという[3]。しかし、奉納した春日大社で起きた火災で全て焼失してしまい、現存しない。

鑑識にも長じており、保延6年(1140年)10月22日、小野道風書の『屏風土代』(三の丸尚蔵館蔵)と藤原行成書の『白楽天詩巻(高松宮家本)』(東京国立博物館蔵)を入手し、『屏風土代』は延長6年(928年)11月、道風35歳の書であること、『白楽天詩巻』は寛仁2年8月21日、行成47歳の書であることを鑑定し、それぞれの奥書きに記している。

書風は祖父・藤原伊房の影響が強いことが当時から指摘されており、代表作の「金沢本万葉集」も伊房筆「藍紙本万葉集」の書風に似ている。しかし、定信の方が一筆一切経の経験からか、運筆が早く軽快で緩急抑揚の変化が大きい。

墨跡

糟色紙
前田育徳会所蔵の巻第三・六残巻は国宝。三の丸尚蔵館に1帖所蔵。断簡は「金沢切」と呼ばれる。
近来、石川家の秘庫から出たもので、その奥書きに「同日未刻染筆申時終切定信」の自署があるので、定信の真跡と決定された。詩句と和歌を大きく散らし書きにしている。書風は雄健高雅で、連綿も自然で、筆端には才気が溢れており、円熟した晩年のと推測されている。京都国立博物館の断簡は重要文化財[1][2]
東京国立博物館[4][5]根津美術館などに分蔵。和泉市久保惣記念美術館のものは重文。
  • 安宅切[6]・詩書切[7](和漢朗詠集)
伝藤原行成筆。一巻。東京国立博物館蔵。冷泉為恭旧蔵品で、明治14年(1881年古筆了仲から購入した。
  • 戊辰切(和漢朗詠集巻下)東京国立博物館[8]五島美術館などに分蔵。
  • 砂子切本兼輔集切 諸家分蔵
  • 法華経(戸隠切)
東京国立博物館[9]など。戸隠神社所蔵4巻は重文。
書芸文化院春敬記念書道文庫蔵。1巻。久安6年(1150年

など。

系譜

脚注

  1. ^ 『世尊寺現過録』
  2. ^ 「一切経一筆書寫人」『尊卑分脈
  3. ^ 『本朝世紀』仁平元年十月七日条

参考文献

関連項目