コンテンツにスキップ

北川宣勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。F.M.H (会話 | 投稿記録) による 2011年7月15日 (金) 11:21個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

北川 宣勝(きたがわ のぶかつ、生没年不詳)は戦国時代、江戸時代初期の武将。治郎兵衛。伊達氏家臣・浜田景隆の長男。

経歴

諸事情で伊達家を出奔、北川宣勝と名乗り、豊臣秀頼に仕える。

大坂冬の陣では大坂城八町目口を守って奮戦。秀頼より長宗我部盛親を指揮下に置くよう命ぜられるが、「私が盛親の下に付くのが道理」と固辞した。

大坂夏の陣では道明寺の戦い天王寺・岡山の戦いで奮戦するも力及ばず。大坂城落城後は山川賢信と共に八幡滝本坊に隠れたがのちに投降、命は助けられた。

徳川家康の死後は大村純頼に仕えた。