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北川宣勝

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北川 宣勝(きたがわ のぶかつ ?-?)は戦国時代、江戸時代初期の武将。治郎兵衛。伊達氏家臣浜田氏浜田景隆の長子。

経歴

諸事情で伊達家を出奔、北川宣勝と名乗り、秀頼に仕える。

大坂冬の陣大坂城八町目口を守って奮戦。豊臣秀頼より長宗我部盛親を指揮下に置くよう命ぜられるが、「私が盛親の下に付くのが道理」と固辞。

大坂夏の陣では道明寺の戦い天王寺・岡山の戦いで奮戦するも力及ばず。大坂城落城後、山川賢信と共に八幡滝本坊に隠れたが、のちに自首。命は助けられた。

徳川家康の死後に大村純頼に仕えた。 現在関ヶ原駅前に北川茶舗が有るが北川宣勝と関係があるのでしょうか。10何年前には北川精肉店が道路の反対側にありました。