ノート:シモ・ヘイヘ
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誤訳訂正
本記事は内容及び立項時期より概ね英wikiから訳出されたものと推察されます。その原文:"I did what I was told to as well as I could."。また、別の出典に依れば"I only did what was ordered, and did it as well as I could"(http://www.mosinnagant.net/finland/simohayha.asp)。 この訳として「できると言ったことを実行しただけだ」とありましたので、「やれと言われたことを、能う限り実行したまでだ」に改めました。--Caspar 2008年3月19日 (水) 14:24 (UTC)
疑義があります。シモ・ヘイヘの公式戦果自体もフィンランドのプロパガンダと無縁とは言えないでしょう。ソ連や連合軍に限らず、我々枢軸諸国も戦果水増しは常態化していたわけですし。 彼の従軍期間はソ連-フィンランド戦争のわずか数ヶ月の短期間です。
ソ連狙撃手の戦果はプロパガンダと言う事で簡単に切り捨てられているが、これはフェアとは思えませんね。勿論、ソ連の英雄スナイパーの記録が改竄されていたと、ソ連の公文書の資料で実証されているなら異論はありませんが。