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丸刈り校則

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丸刈り校則(まるがりこうそく)とは、男子の髪型を丸刈りにすることが定められている学校教育での校則である。

主に、中学校で行われたが、一部の高等学校でも実践されていた。「単なる心得であって、守る法的義務はない」とされる一方で、守る義務があるかのごとく実践されている場合もあった。

1985年では日本全国の3分の1の中学校であった丸刈り校則も、2008年では50校前後で行われている。

沿革

明治・大正そして1945年以前の昭和期は、中学生を含めた青少年の髪型はほとんどが丸刈りであり、特に校則その他で決める必要もなかった。

坊ちゃん刈りがはやりだした1945年以降の学校教育で、中学校での校則で「髪型は丸刈りとする」との記載が目立つようになってきた。

1958年4月、水戸地方法務局は、茨城県上郷高等学校での丸刈り校則改正運動で退学者が出た事件について、水戸地方法務局は「長髪禁止は人権侵害のおそれがある」と、県教育庁に勧告した。

1974年、日本弁護士連合会は、埼玉県の大井町立大井中学校の丸刈り指導について人権侵害と認定し、大井中学校校長に勧告を出すした。

1970年代末、中学校で学校内暴力がはびこり、教師相手に格闘する中学生が続出したり授業妨害が横行してきたので、丸刈り校則を採用して事態を乗り切ろうとする中学校が出てきた。

1984年に、「学校解放新聞」が立ち上げられ、反管理教育運動がさかんとなり、丸刈り校則問題がテレビ・新聞でかなり取り上げられるようになる。

1980年代中頃の数字で、日本全国の中学校の33%で丸刈り校則が実施された。

1985年11月13日、熊本地方裁判所は、玉東町立玉東中学校の丸刈り校則の無効確認と不利益処分禁止そして損害賠償を求めた訴えを棄却した。ただし、丸刈り校則の合理性には疑問の余地があるとした。また、丸刈り指導のやり方について、「直接の説得」や不利益処分がないことを確認した上、全体として「違法とはいえない」としている。(玉東中学校丸刈り校則事件)

1989年、「丸刈り校則たった一人の反乱」刊行。愛知県岡崎市で、丸刈り校則を拒否し一人で長髪通学を続ける中学生と両親の闘いの記録が単行本となる。岡崎市では、1990年前半には、丸刈り校則全廃を達成。

1993年、赤松良子文部大臣が、中学生の丸刈り指導問題について「丸刈りは戦争中の兵隊を思い出しゾッとする」と発言し、のち発言撤回する。このころから、日本各地で丸刈り校則見直しの動きが加速される。

1993年、福島県立医科大学の加藤清司教授の「男子中学生に対する『丸刈り』指導の効果に関する研究」が出される。相関係数を用いて実証的に、丸刈り指導効果を検証した。丸刈り強制率と少年窃盗犯検挙人割合との相関係数が正となり、非行防止という丸刈り校則の効果を否定したものとなった。

1995年、神戸市の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。1990年ごろまでは、ほとんどの神戸市の中学校で丸刈り指導が行われていた。

1996年、鹿児島県弁護士会は、鹿児島県伊仙町立伊仙中学校の校長に、「丸刈りの規制と指導は憲法・ 子どもの権利条約・教育基本法のいずれにも抵触し、子どもの基本的人権を著しく侵害するのですみやかに廃止するよう」勧告する。丸刈り指導拒否して通学した男子中学生に、別室での説得活動その他の強い指導が行われ、転校を余儀なくされたという事例。

1999年、大阪市の中学校での丸刈り校則全廃が達成する。ちなみに、大阪市の中学校の10校ほどが、1990年代になっても、丸刈り校則を維持していた。

1997年2月22日、最高裁判所は、小野市在住の小学生および代理人の「小野市立小野中学校の丸刈り校則無効確認」の訴えを棄却した高裁判決を支持して、上告棄却とした。ただし高裁判決理由で「丸刈り校則は単なる心得であって守る法的義務はない」と確認されている。(小野中学校丸刈り校則事件)

2000年、「中学校の丸刈り校則をなくす会」のサイトが立ち上げられる。主として熊本県の中学校の丸刈り校則全廃に向けて、インターネットを駆使した市民運動がスタートする。熊本県の中学校では、2002年9月で、過半数の104校で丸刈り校則が実施されていた。

2002年1月、東京都で行われた日教組教研集会の「子ども参画と学校改革」特別分科会で、「以前に、学校が荒れ、生徒を丸刈りにしたら、学校が良くなったこともある」という趣旨の中学生教師の発言が、参加者から批判を浴びることとなった。

2002年3月、熊本県の宇土市立鶴城中学校で、丸刈り指導拒否の男子生徒が卒業式の出席を断られる。

2002年6月、熊本県の鹿央町の米野岳中学校で、丸刈り指導拒否の男子生徒が中体連大会への出場を辞退させられる事件が発生する。熊本県議会で取り上げられ、県教育長が「丸刈り校則を見直す時期」と答弁する。(熊本「丸刈り」中体連事件)

2004年、鳥取県の中学校での丸刈り校則全廃が達成される

2006年、熊本県の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。丸刈り校則実施率第一位だった熊本県で、4年間で全廃を達成したのは注目された。

2008年、佐賀県の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。

2008年現在実施状況(調査中)

  • 鹿児島県 46校(奄美地区42校肝属地区2校熊毛地区2校)
  • 長崎県 6校
  • 沖縄県 数校
  • 岩手県 数校

丸刈り校則の目的

  • 非行の防止

 「非行の防止」「深刻な生徒指導上の問題を抱えていて、頭髪を自由化することで、収拾が付かなくなる恐れがある」との発言がある。「かつて学校が荒れ、生徒を丸刈りにしたら、良くなったこともある」という趣旨の教師の発言が、日教組の2002年の教研集会であった。

  • 伝統の維持

 「学校独自の伝統」という説明のされ方もある。丸刈り校則廃止に反対する理由に、「伝統」という言葉が出てくる。

  • 頭髪の清潔感の維持

 丸刈り校則維持の声に、「丸刈りでないと不潔だ」ということがある。

  • 地域住民および上級生の強い要望受け入れ

 丸刈り校則廃止となると、今まで丸刈り校則に従ってきた地域住民および上級生に不公平感による不満が噴出する。

問題点

日本国憲法第13条には、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とある。これを見る限りにおいては、国政の義務教育の過程で行われている丸刈り校則は憲法違反ということになる。

また、学校が違えば、一方はずっと3年間丸刈りで、一方は丸刈りでない髪形で中学生生活を送るというのも不合理という意見も多く出てきている。

しかし、2008年現在、裁判所は、丸刈り校則それ自体については「違法でない」としている。

裁判所は、「単なる心得であって法的義務がない丸刈り校則は、抗告訴訟の対象でない」としている。つまりは、丸刈り校則も、生徒の自発的意思によって守られている心得ということで、人権侵害の段階にならない限り、違法でないとしていると理解できる。

玉東丸刈り校則事件において、1984年当時の玉東中学校では、直接の説得活動はなかったし体罰がなかったことも確認されている。

全国的にみれば、指導においては、丸刈り校則を拒否して通学生徒に対して、説得活動が行われる場合もあるえるし、体罰が加えられることも絶対ないとは言えない。

体罰を加えられたり、執拗な別室での説得活動がなされる、人権侵害になりそうな当該中学校の丸刈り指導は、裁判所によっても十分違法と認定されうると理解される。

丸刈り校則の制定の責任は、学校長にあるが、「地域の声」とかいうように父母を始めとする地域住人に責任転嫁されてきた。また、髪型としての「丸刈り」と丸刈り校則とを混同させている地域住民の議論も目立つ。

問題は、丸刈りの利点・不利ではなく、強制的であろうと自発的意思であろうと校則として丸刈りにすることの是非であることが、肝要である。

丸刈り校則問題を触れるのを避ける傾向が、文部科学省や教育委員会および教職員組合にみられる。

関連項目

参考文献

外部リンク