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ムービースター (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ムービースター
品種 サラブレッド系種
性別
毛色 栗毛
生誕 1986年4月9日
ディクタス
ダイナビーム
生国 日本の旗 日本北海道白老郡白老町
生産者 社台ファーム白老
馬主 吉田照哉
調教師 坪憲章栗東トレーニングセンター
競走成績
生涯成績 50戦9勝
獲得賞金 417,426,000円
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ムービースター1986年4月9日 - )は、日本競走馬である。以下は当時の馬年齢で記述する。

戦歴

3歳~4歳

1988年9月10日阪神競馬場の3歳新馬戦にてデビュー。デビュー戦は南井克巳が騎乗して1着であった。3歳時は5戦して2勝であった。

年が明けて4歳となり1989年2月18日京都競馬場でのオープン特別:バイオレットステークスに出走、そこで2着に入り、クラシック戦線に期待が高まったものの、4歳春はなかなか勝てず、クラシックロードに乗ることは出来ず、結局、4歳時は1989年7月23日小倉競馬場での九州スポーツ杯の1勝に終わった。

5歳以後

5歳時は4戦して全て10着以下という成績で、ここで現役生活に見切りをつけられてもおかしくはなかったが、6歳になってから本格化する。

1991年6月16日金鯱賞中京競馬場)で6歳にして重賞初勝利を飾ると、続く8月4日北九州記念も勝って重賞2連勝。1級オープン馬の仲間入りを果たした。

その年の秋のGI戦線の台風の目になるかと思われたが、GIの壁は厚かったか、天皇賞・秋マイルチャンピオンシップと共に9着に敗れた。

7歳になってからは1992年3月22日中京記念に勝ち重賞3勝目。続く5月17日安田記念では3着に入ったが、宝塚記念は10着と敗れた。
しかし、その年、11月1日に行われた天皇賞・秋レッツゴーターキンの2着に入り、馬連17,220円の波乱を演出して見せた。

1993年、明け8歳となっても現役を続け、3月14日中山記念に勝ち重賞4勝目。多くの競馬ファンも驚く老兵の活躍であった。その年の夏に小倉日経オープンに勝ち、前年秋に勝てなかった天皇賞に挑んだが、7着と敗れた。そして暮れの六甲ステークスの7着を最後に現役を引退した。

引退後

引退後は種牡馬へ転向。当初はビッグレッドファームで繋養されていた。しかしながら目立った産駒は出せず、現在は岩手県湯澤ファームに移り、そこで余生を送っているという。

主な戦績

関連リンク