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藤原定信

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藤原定信(ふじわら の さだのぶ、寛治2年(1088年) - 保元元年(1156年))は、平安時代後期の書家藤原定実の長男で、世尊寺家第5世となり、能書家として重んじられた。官位は従四位宮内権大夫。大嘗会屏風の筆者となり、多くの墨跡を今日に伝えている。

鑑識にも長じており、保延6年(1140年)10月22日、小野道風書の『屏風土代』と藤原行成書の『白楽天詩巻(高松宮家本)』を入手し、『屏風土代』は延長6年(928年)11月、道風35歳の書であること、『白楽天詩巻』は寛仁2年8月21日、行成47歳の書であることを鑑定し、それぞれの奥書きに記している。

墨跡

近来、石川家の秘庫から出たもので、その奥書きに「同日未刻染筆申時終切定信」の自署があるので、定信の真跡と決定された。詩句と和歌を大きく散らし書きにしている。書風は雄健高雅で、連綿も自然で、筆端には才気が溢れており、円熟した晩年のと推測されている。
  • 金澤萬葉集
  • 兼輔集切
  • 戊辰切(朗詠集)
  • 糟色絶(順集断片)
  • 久能寺経

など。

関連項目

参考文献