コンテンツにスキップ

HJKヘルシンキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2024年8月15日 (木) 16:18; Ozora yuta (会話 | 投稿記録) による版 (外部リンク)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
HJKヘルシンキ
原語表記 Helsingin Jalkapalloklubi
愛称 Klubi (クラブ)
クラブカラー 青と白
創設年 1907年
所属リーグ ヴェイッカウスリーガ
ホームタウン ヘルシンキ
ホームスタジアム ボルト・アレナ
収容人数 10,770人
代表者 フィンランドの旗 オッリ=ペッカ・リューティカイネン
監督 スペインの旗 フェラン・シビラ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ヘルシンギン・ヤルカパッロクルビフィンランド語: Helsingin Jalkapalloklubi)は、フィンランド南スオミ州ウーシマー県ヘルシンキに本拠地を置くサッカークラブである。名称は「ヘルシンキのサッカークラブ」という意味。頭文字をとってHJK、またHJKヘルシンキとも呼ばれる。1907年に創設された。ホームスタジアムは10,770人収容のボルト・アレナであり、2000年からこのスタジアムをホームスタジアムとしている[1]

概要

[編集]
ボルト・アレナ

一般的にフィンランド最大のサッカークラブとされる。ヴェイッカウスリーガ(国内リーグ)優勝28回、フィンランド・カップ優勝13回、フィンランド・リーグカップ英語版優勝5回の経験がある。また国際的に成功したフィンランド人選手の多くが本クラブに所属していた経験がある。

HJKはUEFAチャンピオンズリーグの本選グループリーグへの参加経験があるフィンランド唯一のクラブである。1998-99シーズンの予選プレーオフでは、フランスのFCメスを下してグループリーグの出場権を手にした。ドイツの1.FCカイザースラウテルン、ポルトガルのSLベンフィカ、オランダのPSVアイントホーフェンと同組となり、グループ最下位に終わったものの、ホームでSLベンフィカに勝利するなどして勝ち点5を獲得した。2011-12シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選ではウェールズのバンガー・シティFCと対戦し、ホームでは10-0で、2試合合計では13-0で大勝した。2014-15シーズンのUEFAヨーロッパリーグ予選ではオーストリアのSKラピード・ウィーンを下して本選グループリーグに出場した[2]。第4節のトリノFC戦ではUEFAヨーロッパリーグでのフィンランド勢初勝利を記録した[3]

以前は、アイスホッケーボウリングフィールドホッケーハンドボールフィギュアスケートバンディの各部門も保有していたが、1972年にサッカークラブとして独立した。ユニフォームの色は伝統的に、青色と白色のシャツ、青色のパンツ、青色のソックスである。エンブレムは一世紀近くも大きな変化が加えられていないが、小規模なフォントの変更が行われている。

歴史

[編集]
1911年にリーグ初優勝した際のメンバー

1907年5月にカイサニエミ公園英語版のボウリング場で創設会議が行われ、Fredrik WathénによってHelsingin Jalkapalloklubiとして設立された。ヘルシンキ郊外のエケナス英語版においてエケナスIF英語版と初試合を行い、HJKが4-2で勝利した。フィンランド語話者の学生の間ではHJKが人気を得て、スウェーデン語話者の学生の間ではウニタスやHIFKが人気を得た。白熱した議論の後、1908年後半にはクラブの公式言語がフィンランド語のみとなり、スウェーデン語話者のメンバーはHIFKなどの他クラブに移った。

1909年には青色と白色がクラブカラーに選ばれ、バンディアイスホッケーに似たスポーツ)部門が設立された。カイサニエミ・グラウンドから新築されたヘルシンキ動物園スタジアム英語版にホームスタジアムを移転した。同年末にはクラブ創設者のFredrik Wathénが病気によって会長から退き、1910年には19歳のラウリ・ターナー英語版が代表となった。ターナーは1912年ストックホルムオリンピックの体操競技(団体)にフィンランド代表として出場し、銀メダルを獲得している。1910年にはスウェーデンのEriksdals IFがヘルシンキを訪れており、カイサニエミ・グラウンドでクラブ初の国際試合が行われた。

1915年に建設されたトゥールン競技場

1911年には初めてフィンランド選手権を制した。1915年にはトゥールン競技場英語版を新築した。1916年にはクラブ第3の競技としてテニス部門が新設された。1918年のフィンランド内戦では、右派の白衛軍フィンランド語版のために戦っていたメンバー2人が死去した。

1921年にはバンディ部門がフィンランド選手権で初優勝し、続く5シーズンでは5年連続で決勝に出場して3度優勝した。1925年にはボウリング部門が設立されたが、1926年には別クラブが結成されている。1928年にはアイスホッケー部門が設立され、1929年にフィンランド選手権で初優勝した。1930年にはサッカーのフィンランド選手権にリーグ戦形式が採用されたが、HJKは初年度の参入を逃した。1931年に初めてリーグ戦形式のフィンランド選手権に出場したものの、シーズン終了後に2部リーグ降格となった。

第二次世界大戦中には22人のメンバーが死去した。1939年から1940年の冬戦争で9人、1941年から1944年の継続戦争で12人、1944年から1945年のラップランド戦争で1人である。大戦中の1943年にはクラブ6番目の競技としてハンドボール部門が設立された。設立後の3シーズンで銀メダル1個と銅メダル2個を獲得したが、その後はそれ以上の成功を得られなかった。なお、ハンドボール部門ではクラブ史上初めて女子チームが設立され、女子チームはフィンランド1部リーグで22シーズンプレーしている。

1963年シーズンには11年ぶりに2部リーグでプレーし、22試合で20勝1分1敗、127得点18失点という抜群の成績を残して昇格を決めた。SMサルジャ昇格初年度の1964シーズンには10回目のリーグ優勝を果たした。1965-66シーズンのユーロピアン・カップでは初めて欧州カップ戦に出場し、予備選でイングランドのマンチェスター・ユナイテッドFCに2試合合計2-9で敗れた。

1966年のフィンランド・カップでは初めて決勝に進出し、7000人を超える観客の前でKTP英語版に6-1で勝利。1955年に始まったこの大会での初優勝を飾った。1960年代後半にはバンディー部門が廃止された。1966年にはフィギュアスケート部門が設立されたが、1972年に廃止されている。1972年にはアイスホッケー部門も廃止され、1978年にはハンドボール部門も廃止された。こうして、1978年にはサッカー部門がクラブの唯一の競技となった。

1982-83シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは大量失点が当たり前だったフィンランドのクラブのなかで2回戦にて当時黄金期を迎えていたリヴァプールFCをホームで1-0の勝利を収める大金星を挙げた(アウェイのセカンドレグは0-5で敗退)。

2014年から2017年までプレーした田中亜土夢

1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選ではフランスのFCメスを破り、フィンランドのクラブとして初めて本選の出場権を得た。ホームではポルトガルのSLベンフィカに勝利し、またドイツの1.FCカイザースラウテルンにはホームで引き分け、ベンフィカにはアウェーで引き分けた。グループリーグ敗退に終わったが、1勝2分3敗で勝ち点5を獲得した。

隣接するテリア5G アレーナ(手前)とオリンピアシュタディオン(奥)

2000年にはホームスタジアムのフィンエアー・スタジアムがオープンした。2002年には20回目の国内リーグタイトルを獲得し、2008年には10回目の国内カップタイトルを獲得した。2009年から2014年には国内リーグで6連覇を達成した。2010年には電気通信事業者のソネラがスタジアムの命名権を取得し、フィンエアー・スタジアムはソネラ・スタジアムに改称された。

2014-15シーズンのUEFAヨーロッパリーグでは予選でオーストリアのSKラピード・ウィーンを破り、フィンランドで初めて本選グループリーグの出場権を得た。ホームゲームではイタリアのトリノFCとデンマークのFCコペンハーゲンを破り、勝ち点6を獲得してグループ3位となった[4][5]

2015年初頭には日本代表ハーフナー・マイク、同じく日本人の田中亜土夢、フランス人のギー・ムッシーなどを獲得し、1998年以来となるリーグカップ優勝で幸先の良いスタートを切った。このシーズンにはHIFKがウッコネンからヴェイッカウスリーガに昇格しており、1972年4月以来となるダービーマッチを戦った。しかし2015年シーズンはSJKRoPSに次ぐ3位となり、7連覇は逃した。2017年にはソネラ・スタジアムがテリア5G アレーナに改称された。

タイトル

[編集]

国内タイトル

[編集]

成績

[編集]

過去の成績

[編集]

出典 : 国際サッカー歴史統計連盟(RSSSF[6][7]

シーズン リーグ 順位 備考
1931 1部 SMサルジャ 7位 降格
1932 2部 Suomensarja 1位 昇格
1933 1部 SMサルジャ 2位
1934 1部 SMサルジャ 5位
1935 1部 SMサルジャ 4位
1936 1部 SMサルジャ 1位 昇格
1937 1部 SMサルジャ 2位
1938 1部 SMサルジャ 1位 優勝
1939 1部 SMサルジャ 2位
1940–1941 1部 SMサルジャ 5位
1943–1944 1部 SMサルジャ 7位
1945 1部 SMサルジャ 5位 降格
1945–1946 2部 Suomensarja 2位 昇格
1946–1947 1部 SMサルジャ 6位
1947–1948 1部 SMサルジャ 5位
1948 1部 SMサルジャ 4位
1949 1部 SMサルジャ 10位 降格
1950 2部 Suomensarja東地区 2位
1951 2部 Suomensarja東地区 2位
1952 2部 Suomensarja西地区 1位 昇格
1953 1部 SMサルジャ 6位
1954 1部 SMサルジャ 3位
1955 1部 SMサルジャ 8位
1956 1部 SMサルジャ 2位
1957 1部 SMサルジャ 6位
1958 1部 SMサルジャ 5位
1959 1部 SMサルジャ 8位
1960 1部 SMサルジャ 9位
1961 1部 SMサルジャ 6位
1962 1部 SMサルジャ 11位 降格
1963 2部 Suomensarja東地区 1位 昇格
1964 1部 SMサルジャ 1位 優勝
1965 1部 SMサルジャ 2位
1966 1部 SMサルジャ 2位
1967 1部 SMサルジャ 5位
1968 1部 SMサルジャ 3位
1969 1部 SMサルジャ 3位
1970 1部 SMサルジャ 5位
1971 1部 SMサルジャ 4位
1972 1部 SMサルジャ 9位
1973 1部 SMサルジャ 1位 優勝
1974 1部 SMサルジャ 3位
1975 1部 SMサルジャ 8位
1976 1部 SMサルジャ 3位
1977 1部 SMサルジャ 7位
1978 1部 SMサルジャ 1位 優勝
シーズン リーグ 順位 備考
1979 1部 SMサルジャ 3位
1980 1部 SMサルジャ 3位
1981 1部 SMサルジャ 1位 優勝
1982 1部 SMサルジャ 2位
1983 1部 SMサルジャ 2位
1984 1部 SMサルジャ 5位
1985 1部 SMサルジャ 1位 プレーオフを経て優勝
1986 1部 SMサルジャ 3位
1987 1部 SMサルジャ 1位 優勝
1988 1部 SMサルジャ 1位 優勝
1989 1部 SMサルジャ 5位
1990 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 プレーオフを経て優勝
1991 1部 ヴェイッカウスリーガ 5位
1992 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
1993 1部 ヴェイッカウスリーガ 3位
1994 1部 ヴェイッカウスリーガ 3位
1995 1部 ヴェイッカウスリーガ 3位
1996 1部 ヴェイッカウスリーガ 9位
1997 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
1998 1部 ヴェイッカウスリーガ 4位
1999 1部 ヴェイッカウスリーガ 2位
2000 1部 ヴェイッカウスリーガ 4位
2001 1部 ヴェイッカウスリーガ 2位
2002 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2003 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2004 1部 ヴェイッカウスリーガ 6位
2005 1部 ヴェイッカウスリーガ 2位
2006 1部 ヴェイッカウスリーガ 2位
2007 1部 ヴェイッカウスリーガ 7位
2008 1部 ヴェイッカウスリーガ 4位
2009 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2010 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2011 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2012 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2013 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2014 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2015 1部 ヴェイッカウスリーガ 3位
2016 1部 ヴェイッカウスリーガ 2位 準優勝
2017 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2018 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 準優勝
2019 1部 ヴェイッカウスリーガ 5位 GS敗退
2020 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 優勝
2021 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 準優勝
2022 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 準々決勝敗退
2023 1部 ヴェイッカウスリーガ 1位 5回戦敗退

近年の成績

[編集]
シーズン ディビジョン フィンランド・カップ 欧州カップ
リーグ 順位
1990 ヴェイッカウスリーガ 1位 22 11 6 5 40 29 28
1991 ヴェイッカウスリーガ 5位 33 14 9 10 61 44 51 CL 1回戦敗退
1992 ヴェイッカウスリーガ 1位 33 20 6 7 59 35 66
1993 ヴェイッカウスリーガ 3位 29 15 4 10 34 26 49 CL 1回戦敗退
1994 ヴェイッカウスリーガ 3位 26 12 7 7 40 29 43 ECWC ラウンド32
1995 ヴェイッカウスリーガ 3位 26 14 10 2 44 18 52 準決勝敗退 UI グループステージ敗退
1996 ヴェイッカウスリーガ 9位 27 11 5 11 36 37 38 優勝 UCUP 1回戦敗退
1997 ヴェイッカウスリーガ 1位 27 18 4 5 53 18 58 準決勝敗退 ECWC 1回戦敗退
1998 ヴェイッカウスリーガ 4位 27 9 11 7 33 31 38 優勝 CL グループステージ敗退
1999 ヴェイッカウスリーガ 2位 29 20 5 4 53 18 65 準決勝敗退 UCUP 1回戦敗退
2000 ヴェイッカウスリーガ 4位 33 16 9 8 51 33 57 優勝 UCUP 1回戦敗退
2001 ヴェイッカウスリーガ 2位 33 19 10 4 64 19 67 6回戦敗退 UCUP 2回戦敗退
2002 ヴェイッカウスリーガ 1位 29 20 5 4 51 21 65 準々決勝敗退 UCUP 予選ラウンド敗退
2003 ヴェイッカウスリーガ 1位 26 17 6 3 51 15 57 優勝 CL 予選2回戦敗退
2004 ヴェイッカウスリーガ 6位 26 9 12 5 42 31 39 7回戦敗退 CL 予選2回戦敗退
2005 ヴェイッカウスリーガ 2位 26 15 7 4 43 26 52
2006 ヴェイッカウスリーガ 2位 24 13 6 5 45 18 45 UCUP 予選ラウンド敗退
2007 ヴェイッカウスリーガ 7位 26 7 13 6 31 25 34 UCUP 予選2回戦敗退
2008 ヴェイッカウスリーガ 4位 26 14 5 7 47 29 47 優勝
2009 ヴェイッカウスリーガ 1位 26 14 10 2 45 21 52 7回戦敗退 EL 予選2回戦敗退
2010 ヴェイッカウスリーガ 1位 26 15 7 4 43 19 52 準優勝 CL 予選3回戦敗退
EL プレーオフ敗退
2011 ヴェイッカウスリーガ 1位 33 26 3 4 86 23 81 優勝 CL 予選3回戦敗退
EL プレーオフ敗退
2012 ヴェイッカウスリーガ 1位 33 19 7 7 63 33 64 準決勝敗退 CL 予選3回戦敗退
EL プレーオフ敗退
2013 ヴェイッカウスリーガ 1位 33 22 7 4 78 25 73 6回戦敗退 CL 予選2回戦敗退
2014 ヴェイッカウスリーガ 1位 33 21 9 3 65 22 72 優勝 CL 予選3回戦敗退
EL グループリーグ敗退
2015 ヴェイッカウスリーガ 3位 33 16 10 7 45 30 58 準決勝敗退 CL 予選3回戦敗退
EL プレーオフ敗退
2016 ヴェイッカウスリーガ 2位 33 16 10 7 52 36 58 準優勝 EL 予選3回戦敗退
2017 ヴェイッカウスリーガ 1位 33 23 7 3 78 16 76 優勝 EL 予選2回戦敗退
2018 ヴェイッカウスリーガ 1位 33 24 6 3 61 19 78 準優勝 CL 予選2回戦敗退
EL 予選3回戦敗退
2019 ヴェイッカウスリーガ 5位 27 9 10 8 33 29 37 GS敗退 CL 予選2回戦敗退
EL 予選3回戦敗退
2020 ヴェイッカウスリーガ 1位 22 14 6 2 53 17 48 優勝
2021 ヴェイッカウスリーガ 1位 27 18 5 4 41 19 59 準優勝 CL 予選2回戦敗退
EL プレーオフ敗退
ECL グループステージ敗退
2022 ヴェイッカウスリーガ 1位 27 18 4 5 41 23 58 準々決勝敗退 CL 予選2回戦敗退
EL グループステージ敗退
2023 ヴェイッカウスリーガ 1位 27 15 8 4 50 26 53 5回戦敗退 CL 予選1回戦

欧州での成績

[編集]

現所属メンバー

[編集]
2020年11月13日現在 [8]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
3 DF フィンランド ヘンリ・トイヴォマキ
4 DF フィンランド マルクス・ハルスティ
5 DF フィンランド ダニエル・オショーネシー
6 DF セルビア イヴァン・オストイッチ
7 FW フィンランド エートゥ・ヴェルタイネン
8 MF ポルトガル ブバカル・ジャロ
9 MF フィンランド リク・リスキ
10 MF フィンランド ルーカス・リングマン
11 FW フィンランド ローペ・リスキ
13 DF コロンビア ルイス・カルロス・ムリージョ
15 DF フィンランド ミロ・テンホ
16 DF フィンランド ヴァルッテリ・モレン
No. Pos. 選手名
17 DF フィンランド ニコライ・アルホ
19 FW フィンランド ティム・ヴァイリネン
21 MF フィンランド サンテリ・ヴァーナネン
22 MF 北マケドニア フェルハン・ハサニ
24 FW パプアニューギニア デイヴィッド・ブラウン
25 GK スペイン アントニオ・レゲーロ
28 MF フィンランド ラスムス・シューラー
31 GK フィンランド フゴ・ケト
37 FW 日本 田中亜土夢
47 MF フィンランド マッティ・ペルトラ
88 MF フィンランド ピリ・ハンノラ
-- MF ブラジル ジャイール

歴代監督

[編集]

歴代所属選手

[編集]




脚注

[編集]
  1. ^ HJK Helsinki - HJK.fi”. 1 December 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。2 August 2015閲覧。
  2. ^ 波乱相次ぐUEL、12チームがGS初出場”. UEFA.com (2014年8月28日). 2014年11月8日閲覧。
  3. ^ 数字で振り返るUEL第4節”. UEFA.com (2014年11月7日). 2014年11月8日閲覧。
  4. ^ Aalto, Seppo ym: Tähtien tarina: Helsingin jalkapalloklubi 100 vuotta. Helsingin Jalkapalloklubi, 2007. ISBN 978-952-92-2062-5.
  5. ^ Tuhkunen, Yrjö: Helsingin Jalkapalloklubi 1907–1957. Helsinki: Laatupaino Oy, 1957.
  6. ^ Finland - List of League First Level Tables”. 国際サッカー歴史統計連盟(RSSSF). 2017年11月28日閲覧。
  7. ^ Finland - List of League Second Level Tables”. 国際サッカー歴史統計連盟(RSSSF). 2017年11月28日閲覧。
  8. ^ Squad & Staff”. 14 September 2019閲覧。

外部リンク

[編集]