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ラッシュ (カナダのバンド)

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Rush

ラッシュ(Rush)は、ゲディー・リーベースボーカルキーボード)、アレックス・ライフソンギター)、ニール・ピアトドラムパーカッション)3人からなるカナダプログレッシブ・ロックバンド
1968年トロントの北郊外オンタリオにてリー、ライフソンとジョン・ラトジーの三人にて結成。1974年プロ・デビュー。デビュー間もなくアメリカ・ツアーを前にドラムがニール・ピアトに変わる。以降これを不動のラインナップとして現在に至る。後述するような編纂を経て独自のサウンドを確立するに至り、多くのミュージシャンに影響を与えてきた。この代表として ドリーム・シアター(Dream Theater)、シンフォニー・エックス(Symphony X)、シャドウ・ギャラリー(Shadow Gallery)、プリマス(Primus)、メタリカ(Metallica)、スマッシング・パンプキンズ(Smashing Pumpkins)などの名前が挙げられる。幾度かJuno Award[1]を受賞(末尾「Juno Award受賞履歴」を参照)。1994年にはその殿堂入り[2]を果たした。
 ドラムのニール・ピアトが娘、妻を相次いで亡くした事が主たる原因でミュージシャン活動する意欲が持てず、一時、永久活動休止とも受け取れる発言がインタービュー等で聞こえてきていた時期もあったが、2005年には結成30周年ライブツアーも敢行し、その模様を納めた30周年記念ライブDVD「R30」(DVD二枚とライブCD二枚の四枚カップリング)もリリースし、今なお現役であることを証明している。

バンドの歴史

デビュー(及びその時代背景)

 彼らのデビューした1974年当時はレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の全盛時代で、彼らも類に洩れずツェッペリンの影響を強く受け、デビュー当初はツェッペリン直系と言えるストレートで骨太なサウンド[3]の典型的ハードロックバンドであった。 その後に見られることとなるプログレ的なアプローチの片鱗はデビューアルバムでも見られるものの、レッド・ツェッペリンの影響の範囲内と当初は考えられており、評論家には「ツェッペリンの典型的フォロワー(Follower)」とレッテルを貼られ、実際その片鱗を敏感に覚知した一部のファン以外には「ツェッペリンを真似た二流バンド」としか理解されていなかった[4]
 「よくもまぁこれだけの複雑なパッセージを唄いながら弾けるものだ」と聴く者に思わせるゲディー・リーの「引き倒しベース」はラッシュの特徴の一つとしてデビュー当初から健在である。
 デビュー当初から変わらないラッシュのコンセプト一つに「ライブで再現できない曲は基本的に作らない」(アレックス・ライフソン弁)というのがあり、これは「まだロックキッズだった頃、レッド・ツェッペリンのライブを見に行ったらアルバムとまるで違うソロをジミー[5]が弾いていたんだよ。これには正直(僕は)がっかりしたね」(アレックス・ライフソン弁)というセリフが物語っている通り「ライブではスタジオ盤を出来るだけ忠実に再現するべし」という信仰にも似たポリシーを形成していたようで、これが心底にあった上で、一つには「アルバム・アーティスト[6]には決してならない」と言っているのであるが、もう一つの意味が解釈者によって二つの道に分かれる。 一つは「ライブで再現できないような難しい曲は作らない(簡単な曲に満足する、または複雑な曲を指向しない)」であり、もう一つは「ライブでの再現性を上げるために技巧鍛錬に努力を惜しまない」である。ラッシュは後者の解釈者である事は言うまでもない。事実、彼ら三人とも練習の鬼であった事は有名である(特にゲディー・リー)。 この事からデビュー当初から技巧性の高いバンドになる根は持っていたという事になる。

凡百のハードロック・バンドからの脱皮

 バンドにとっての転機は、デビューアルバム発表の殆ど直後というタイミングでドラムがニール・パートがメンバーチェンジしたことである。 彼は当時から今に至るまで非常に有名な読書家で、当時没頭していたハインラインアイザック・アシモフレイ・ブラッドベリ等の超科学的SF小説にインスパイアされた思われるスペース・オペラ的な詩や哲学的な詩をバンドに提供し、これをサウンドで表現しようとする事が動機となり、その後「ラッシュ的」と称されていくこととなる空間創出的なアプローチ[7]が発展していく事となる。[8]
 ただ当初はあくまでもオーソドックスなハードロック路線を堅持して、これにプログレ的なエッセンスを少々振りかけたという程度であった。 この路線の頂点が「 西暦2112年」(2112 )である。次のアルバムである「 フェアウェル・トゥ・キングス」(A FAREWELL TO KINGS) とを聴き比べると明らかにサウンドが変化しているのであるが、一番の変化はボーカル:ゲディー・リーの唱法で、それまでのハードロック的な金切り声を上げる唱法からファルセットを用いた「綺麗に聞かせる」唱法への変化である。 これは「 西暦2112年」 発表に伴うヨーロッパ・ツアーで親しくなったマイケル・シェンカー(Michael Schenker)のアドバイスによるものである(ゲディー・リー本人が後のインタビューで語っている)が、内容の深いニール・ピアトの詩をより丁寧に聴き手に届けようとする誠意から出たものでもあると考えられる。
 ニール・ピアトが作詞により世界観、原イメージを提示し、それをライフソン、リーの二人がサウンド表現として具現化する、というのがラッシュの基本的創作スタイルであり、どのメンバーが欠けてもラッシュではあり得なくなるだろうと言える。
 「フェアウェル・トゥ・キングス」に於いてのサウンドの変化のもう一つの柱はシンセサイザー(Synthesizer)キーボードを用いだしたことである。 数多くのロックバンドを「キーボード有り」と「キーボード無し」で分類すれば、そこにハッキリとしたサウンド傾向の違いが見出せる事でも明らかなように、この変化は極めて大きいと言うべきである。 実際、このアルバム以降を、それまでの旧来のファンの少なからずは「軟弱になった」と嫌って離れていった。が、それにも増して新たなファンを大きく獲得した事に繋がったのだろうと、成功したその後から振り返れば結論付けれるのは明らかである。 この要素が大きいのは「ベーシストが片手間で弾いているにしては上手過ぎる」ゲディー・リーのキーボード演奏の巧みさが裏付けになっている事は特筆しておく必要があるだろう。

プログレ色と大作主義

 「西暦2112年」までを第一期期ラッシュとし「フェアウェル・トゥ・キングス」〜「ラッシュ・ライヴ〜神話大全」までを第二期ラッシュとすることが出来る。 この時期はプログレッシブ・ロック全般が隆盛を極めていた時期でもあるのと呼応して、ラッシュも複雑なアレンジの駆使と大作主義傾向を強めていく[9]。 しかし、これがバンド、特に、作詞のみならずバンド・コンセプトの鍵を大きく握っているニール・ピアトを苦しめる事となる。 「フェアウェル・トゥ・キングス」当時で既にSF小説の大概は読了していたニール・ピアトの読書興味対象はSF小説から ヘミングウェイ等の現代文学へと移っていた[10]のもあって、シンボリックな単語をふんだんに散りばめてファンタジックな空気感を演出するそれまでの作詞セオリー(これは必然的に文章量が膨らむので大作主義にはマッチする)には飽き始めていた。 より直接的、より具体的に、少ない言葉で端的に物事を言い表わす「明瞭さの美」に興味が移り始めていたのに「フェアウェル・トゥ・キングス」収録の最終曲 "Cygnus X-1 Book 1" を、大作主義的曲になる事を匂わせた上で「to be continued(続く…)」としてしまったのだ。 実際この段階では次作で大組曲 "Cygnus X-1 Book II" を構想しており、この予告編としてこれを入れたのであるが……。
 苦労の末に発表された 「神々の戦い」(HEMISPHERES)は非常に素晴らしいアルバムに仕上がった[11]のだが、上記の通りニール・ピアトの興味は大作主義ではない方向に移りつつあった処に、このアルバムの苦労がだめ押しとなり以降大作主義は鳴りを潜める(後のインタビューでニール・ピアト本人も「こりごりだ」と語っている)。 このアルバム自体も外形は大作主義的であるが、そこに展開されている歌詞は、その後のニール・ピアトの歌詞の決定的作風となる「少ない単語で端的に言い表わす」ものに既になっている。

ラッシュらしさの確立

 「神々の戦い」(HEMISPHERES)発表当時のラッシュは、ヨーロッパ大陸では概ね高評価であったのに全米での評価が未だ二流バンド扱いであったのが目下の商業的課題であったところに前作での苦労もあって、次作「パーマネント・ウェイヴス」(PERMANENT WAVES)では「短い曲[12]」で「シングルをリリースする」という目標が(レーベルの意向も強くあって)立てられた。 これを見事クリアして生まれたのが名曲 "The Spirit Of Radio" である。 この曲の長さは「4分59秒」である。 ラッシュの素晴らしいのは、レーベルの強い意向である「短いシングルヒット向きの曲」の条件を満たしていながら、これを自分達らしさを犠牲にした単なる妥協の産物としてではなく、短いシングル向けの楽曲でも自分達らしさを表現でき切れるセオリーを掴んだ才能である。[13] 他の多くのプログレ・バンドが「シングル向けの短い曲では自分達の表現が犠牲にされる」と拒否的態度をとり続け、レーベルを皮切りに、次第に市場から、果てはファンからも見放されて衰退していったのと対照的である。 しかも、その歌詞に於いては、耳馴染み易い曲ばかりを優先的に垂れ流してるラジオ業界全体の痛烈な批判である点・・・ユーモアのセンスが実にラッシュ的である[14]
 ここで確立した「耳馴染み易いポップな歌」と「技巧性の高い演奏&複雑なリズムアレンジ」(プログレぽさ)との両立というのが、この後のラッシュの独自性ということになっていく。

 これ以降のラッシュは誰とも比較される事は皆無になった。 何故なら、比べれるものが無くなったからである。


メンバー紹介

ゲディー・リー(Geddy Lee):ベース、ボーカル、キーボード、フットベース
メロディアスな歌を唄いながら常人なら到底弾けそうもないベース・フレーズを弾いている事だけでも驚きなのであるが、これに留まらず曲中ベースキーボードを交互に弾き分け、ベースを弾きながらフットペダル(キーボード)を演奏しつつという1人4役ぶり。 さすがにキーボード・アレンジが複雑になった 「グレイス・アンダー・プレッシャー」(GRACE UNDER PRESSURE)以降はシーケンサーによる自動演奏も援用するようにはなったが「自分で弾ける限りは弾く」という基本姿勢には変わりない。本人の弁によると「ベースを弾いている時が一番ウキウキする」「パートは何かと問われれば、即座にベーシストと答えるだろう」なのだそうである。

ニール・ピアト(Neil Peart):ドラム、パーカッション
水平方向360度ドラムを縦横無尽にプレイする。 電子楽器が今日のように進歩する以前は、ありとあらゆる打楽器類[15]を所狭しと並べていた(本人曰く「セッティングが完了してからだと出入りが出来ない」)が、今では特注ドラムパッドのお陰でだいぶスッキリとしている(であっても、あれなのだから……推して知るべし) これら上下に並ぶ膨大な打面を寸分の違いなく叩き分け、ライブで見せる恒例のドラムソロは必見。 どちらもビリー・コブハムビル・ブラッフォード(Bill Bruford)に影響を受けているパートとテリー・ボジオ(Terry Bozzio)とは、互いに影響を与えあっている関係であるようで、本来音程という観念が希薄な打楽器に於いて「メロディー楽器のように打楽器を用いる」という面白いアプローチを取る事がままある[16]。これもラッシュの摩訶不思議な曲調に一役買っている。
http://www.drummerworld.com/drummers/Neil_Peart.html
音楽活動以外では自転車で世界各地を旅行するのが好きなのが有名である(さすがに年齢が上がるにつけ以前のようなチベット奥地とかへは行かなくなっているらしいが)。

アレックス・ライフソン(Alex Lifeson):エレクトリック・ギター、アコースティック・ギター
デビュー当初はツェッペリン・フォロワーだった事からも推察できる通り、ディストーションギター重音リフを主体としていたが、「フェアウェル・トゥ・キングス」(A FAREWELL TO KINGS)辺りからは、その当時傾倒していたと思われるGenesisスティーヴ・ハケット的な分散和音によって空間を作るという手法が特徴であったし、ポリスが一世を風靡した頃はアンディー・サマーズ(Andy Summers)ばりの硬質でエッジの鋭いコードカッティングとディレイ処理を組み合わせた空間創出を特徴とし、この後U2を愛聴していた頃は軽く歪んだクランチサウンドによるパワフルはコードかき鳴らしも特徴に加わってきた・・・と、その時の「何に影響を受けているか」が割と分かりやすい人である。 これが普通はこれだけ日和見的だとオリジナリティーとは程遠いものとなるのがオチなのだが、彼はこれらを全部自分流に消化してしまい、今や彼のオリジナリティーとなっているコード音の積み重ね・・・Lerxst Soundと呼ばれる音の壁のような重厚なギターを奏でる。曲中のアコースティック・ギターとの持ち替えも充分に計算されたものとなっている。 左記の彼の特質が顕われている事象だと言って良いだろうが、その時の気分や曲調によってギターをかなり頻繁に持ち替え、例えば「ジミー・ペイジレスポール」みたいなトレードマークが存在しないのが逆に特徴的である。


アルバムでの楽曲がかなり高難度であるにも関わらず、一般に水物とされるライブ演奏においてもシーケンサーやテープとの同期を試み、完璧な演奏を実現する。 また変拍子を自然に聞かせる点[17]でも楽曲の完成度は高い。

脚註

  1. ^ カナダのグラミー賞に当たる音楽賞の代表
  2. ^ 正式名称「Canadian Music Hall of Fame」
  3. ^ この路線を頑固なまでに守り続けている代表はAC/DCである
  4. ^ この傾向は日本では特に顕著で評価が高まるのがかなり遅れ、初来日が実現した時には彼らのギャランティーが既に高額となっており、これ故その後の来日公演が実現されていないのだと言われている。因みに現在「世界一ギャランティーが高額はロックアーティスト」と言われている
  5. ^ ジミー・ペイジの事
  6. ^ ライブ活動をしないミュージシャンの俗称:後期のビートルズスティーリー・ダンなどが有名
  7. ^ 所謂「プログレ的」なものもこれの一手法に過ぎないというのが正しい見方であろう
  8. ^ それだけラッシュにとってのニール・ピアトの存在意義は大きく、この点からであろうが、ニール・ピアト加入時からが実質的ラッシュのスタートだとするファンは多い
  9. ^ それまでのハードロック的要素を強く残しつつも大作主義に裏付けられているという意味で「西暦2112年」は交差点での作品だと言える
  10. ^ この事は同アルバムタイトル「A FAREWELL TO KINGS」が ヘミングウェイの「A farewaell to arms」(邦題:武器よさらば)を捩って(もじって)いる事からも明瞭である
  11. ^ Cygnus X-1 Book II" を除く全曲が、その後長くライブで演奏し続けられている曲ばかりである事からも伺い知れる
  12. ^ 今でもそうだが今以上に当時(70年代〜80年代)のアメリカに於いて曲がヒットするか否か(これはイコール、レコード(当時)、CDが売れるか否か)は、各地方のラジオ局がオンエアしてくれるかどうかが大きく鍵を握っていた。 この当時「5分を超える曲はラジオではオンエアして貰えない」というのが定説であった。 またシングルヒットする事がアルバムセールスを左右するというのもアメリカ音楽市場の特徴であり、これ故シングルヒット向きではないアーティストは日陰者になりやすい問題点も(今も)持っている
  13. ^ この曲を5分以内に切り詰めるのにアレンジにかなり腐心したのは有名な逸話である
  14. ^ 余談ではあるが、The BugglesVideo Killed The Radio Star と並べて論じられる事が多い話題でもある
  15. ^ 通常のドラムセットだけでもタム類の多い方で、この上、ティンパニ、チューブラ・ベル、多数のカウベル、コンガ、ボンゴ、クラベス、タブラ、サルナ・ベル、拍子木、タンバリン、アゴゴ、ティンバレス、ウインドチャイムなど
  16. ^ この特徴が顕著に出ているのが「ミスティック・リズム(Mistic Rythm)」「ショウ・ドント・テル(Show Don't Tell)」などである
  17. ^ リズムは一定している方が乗りやすいものなので変則拍子は、ぎこちなく、不自然な(人工的な)感じになりやすい。それを自然に聞こえさせるということである。この点でもニール・パートの功績は大きい←ビル・ブラッフォード(Bill Bruford)から学んだファクターである

ディスコグラフィー

アルバム

  • 1974年 閃光のラッシュ RUSH
  • 1975年 夜間飛行 FLY BY NIGHT
  • 1975年 銀の抱擁 CARESS OF STEEL
  • 1976年 世界を翔けるロック(ライヴ盤) ALL THE WOLRD'S A STAGE
  • 1976年 西暦2112年 2112
  • 1977年 フェアウェル・トゥ・キングス A FAREWELL TO KINGS
  • 1978年 神々の戦い HEMISPHERES
  • 1980年 パーマネント・ウェイヴス PERMANENT WAVES
  • 1981年 ムーヴィング・ピクチャーズ MOVING PICTURES
  • 1981年 ラッシュ・ライヴ〜神話大全(ライヴ盤) EXIT...STAGE LEFT
  • 1982年 シグナルズ SIGNALS
  • 1984年 グレイス・アンダー・プレッシャー GRACE UNDER PRESSURE
  • 1985年 パワー・ウィンドウズ POWER WINDOWS
  • 1987年 ホールド・ユア・ファイア HOLD YOUR FIRE
  • 1988年 ラッシュ・ライヴ〜新約・神話大全(ライヴ盤) A SHOW OF HANDS
  • 1989年 プレスト PRESTO
  • 1991年 ロール・ザ・ボーンズ ROLL THE BONES
  • 1993年 カウンターパーツ COUNTERPARTS
  • 1996年 テスト・フォー・エコー TEST FOR ECHO
  • 1998年 ディファレント・ステージズ・ライヴ(ライヴ盤) DIFFERENT STAGES
  • 2002年 ヴェイパー・トレイルズ VAPOR TRAILS
  • 2003年 ラッシュ・イン・リオ(ライヴ盤) RUSH IN RIO
  • 2004年 フィード・バック(カヴァー・アルバム) FEEDBACK
  • 2005年 ルート30 R30(ライブ盤) DVD二枚のみ、CD二枚のみ、DVD二枚CD二枚のフルセット、の3バリエーションがある。

ベストアルバム

  • 1990年 クロニクルス CHRONICLES
CD化に伴い前2作のライヴアルバムからカットされた「What You're Doing」(『ALL THE WOLRD'S A STAGE』収録)と「A Passage To Bangkok」(『EXIT...STAGE LEFT』収録)の2曲を収録したベスト盤。
  • 1997年 レトロスペクティブ 1 RETROSPECTIVE I
  • 1997年 レトロスペクティブ 2 RETROSPECTIVE II
『1』は1974年から1980年まで、『2』は1981年から1987年までの年代に分けた2枚でひとつのベストアルバム
  • 2003年 ザ・スピリット・オブ・レイディオ THE SPIRIT OF RADIO
1974年から1987年までのベストアルバムDVDが付属。

Juno Award受賞履歴

1975年:Most Promising Group of the Year(最も有望な新人に贈られる賞)
1978年:Group of the Year
1979年:Group of the Year
1991年:Best Hard Rock/Metal Album -「プレスト」(Presto)
1992年:Hard Rock Album of the Year -「ロール・ザ・ボーンズ」(Roll The Bones)
2004年:Music DVD of the Year -「ラッシュ・イン・リオ」(Rush In Rio)

  • Juno Award オフィシャル・サイトより[1]

ノミネートは殆ど毎年されているので割愛。

日本公演

関連項目

オフィシャル・サイト

http://www.rush.com/