「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」の版間の差分
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== 関連作品 == |
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* [[JODAN JODAN]] |
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* ヤング・セーラーマン - ヴィレッジ・ピープルの「イン・ザ・ネイヴィー」をカバーした渋谷哲平のシングル。衣装やパフォーマンスに「YOUNG MAN」の影響が見られ、間奏では原曲には存在しないアルファベット(SAIL)を表す歌詞と振り付けがある。 |
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*西城秀樹のおかげです - [[森奈津子]]の短編SF小説。この曲「ヤングマン(Y.M.C.A)」を題材としている作品。[[2000年]]発刊の短編集『西城秀樹のおかげです』に収録。 |
*西城秀樹のおかげです - [[森奈津子]]の短編SF小説。この曲「ヤングマン(Y.M.C.A)」を題材としている作品。[[2000年]]発刊の短編集『西城秀樹のおかげです』に収録。 |
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2022年5月8日 (日) 12:20時点における版
「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」 | ||||
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西城秀樹 の シングル | ||||
初出アルバム『YOUNG MAN/HIDEKI FLYING UP』 | ||||
B面 | HIDEKI DISCO SPECIAL | |||
リリース | ||||
ジャンル | アイドル歌謡曲 | |||
時間 | ||||
レーベル | RCA / RVC | |||
ゴールドディスク | ||||
チャート最高順位 | ||||
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西城秀樹 シングル 年表 | ||||
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「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」(ヤングマン ワイ・エム・シー・エー)は、西城秀樹の楽曲で、1979年(昭和54年)2月21日にリリースされた28枚目のシングルである。
解説
- オリコンチャートでは、リリースされて2週間で3位に初登場し、翌週より5週連続で1位を獲得。売り上げ80.8万枚の大ヒットとなっているが、 RVC株式会社が1979.5.20付けで100万枚突破記念のゴールドディスクを作っている。又2012年(平成24年)1月28日付の朝日新聞に通算200万枚に迫るという記事が載った。「新御三家」の全てのシングル曲の中でも最大のセールスを誇る。週間1位獲得は1973年(昭和48年)の「ちぎれた愛」、「愛の十字架」に続いて3作目。また、年間シングルチャートでも1974年(昭和49年)の「激しい恋」の第8位に続き1979年(昭和54年)の第7位を獲得[1]。なお、累計売上は180万枚[2]とする書籍もある。
- ディスコ音楽として、当時アメリカでヒット中のヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」を、当時の西城秀樹のマネージャーであったあまがいりゅうじ(天下井隆二)が青春讃歌/応援歌として訳詞し、大谷和夫が青春歌謡ポップス風にアレンジした作品である。
- 「Y」「M」「C」「A」の4文字を全身で表現し、全世界に向けて共通のメッセージを発信、「皆で歌い、心身を躍動させて一緒に踊る」という、観客参加型のパフォーマンスがブームとなった曲中の女性のコーラスや手拍子は当時の西城のファンクラブの会員を抽選でスタジオに招いてレコーディングされた。
- TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』では「ブーツをぬいで朝食を」に続いて、9週連続第1位にランクインし、同番組初にして唯一の満点(9999点)を獲得した(1979年4月5日・12日放送)[3]。前年の「ブルースカイ ブルー」の第9位に続いて、1979年の年間ベストテンでも第7位を獲得[4]。
- 第10回「日本歌謡大賞」、「FNS歌謡祭'79」グランプリを受賞し、翌1980年の春には第52回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも選ばれた。なお第21回日本レコード大賞では、外国作品のカバーであることを理由に同曲でのエントリーができず、代わりに「勇気があれば」で金賞(大賞ノミネート作品)となっている(この年の大賞はジュディ・オングの『魅せられて』)。また第30回NHK紅白歌合戦でも歌唱、番組では白組メンバーを初め、応援役として『おかあさんといっしょ』人形劇『ブンブンたいむ』のブンブン・イザトナルトブンといなりやまつね吉とごじゃえもんが出演し、皆で踊った。
収録曲
- A面: YOUNG MAN (Y.M.C.A.)
- 作詞:Henri Belolo・Victor Wills、作曲:Jacques Morali・日本語詞:あまがいりゅうじ、編曲:大谷和夫
- B面: HIDEKI DISCO SPECIAL
価格
- 発売当時の価格は600円。
エピソード
- 西城が1978年(昭和53年)に渡米した際にヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」を知り、カバー曲を提案した所、周りのスタッフからは、カバー曲になることやゲイ・イメージを売りにした曲であることなどから猛反対を受けたという[5]。
- Y.M.C.A.の4文字を両手を使って表現したパフォーマンスは、曲のアレンジと同様に、原曲のゲイ・イメージを払拭し、スポーティで健康的な印象を強調するために、一の宮はじめと西城が考案したもので、1979年(昭和54年)1月4日〜1月6日開催の大阪・厚生年金ホールでの新春コンサートにて披露された。西城(本人)からヴィレッジ・ピープルにも紹介され、今や全世界に広まっている[6]。西城の「Y.M.C.A.」は「Young Man Can do Anything」の略とされている[7]。
- 本曲を新譜として発売することになった際には、日本ビクター(当時)の大和工場に西城自ら出向き、「(僕のレコードのために)残業させてしまいますが、お願い申し上げます」と呼びかけてミカン箱の上に登り、本曲を歌唱して工場従業員たちを激励したという[8][9]。
- 西城がかつて川崎市に在住していた縁で、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の川崎フロンターレが等々力陸上競技場で行う試合(ホームゲーム)のハーフタイムショーに出演し、この曲を歌うことがあった。初登場は2000年(平成12年)7月26日のヴェルディ川崎戦で、2004年(平成16年)以降、西城が死去する前年の2017年(平成29年)まで毎年市制記念試合の度に行われ、恒例行事となっていた(2007年(平成19年)は川﨑麻世が代演)。2012年(平成24年)からは脳梗塞の後遺症のためオープンカーでトラックを1周しながら歌う形式となり、没後の2018年(平成30年)は、西城が座っていた後部席に西城の等身大パネルが置かれ、競技場内に生前のハーフタイムショーでの姿と歌声が流れる中での大合唱となった。2019年(令和元年)からは、西城と親交のあったコロッケが後任を務めている。
収録アルバム
カバー
YOUNG MAN (Y.M.C.A.)
- 渋谷哲平(1979年。アルバム『ヤング・セーラーマン』収録)
- 笑む&笑むs(松岡充、都啓一、岡野ハジメ)(1997年。アルバム『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS WANNA ROCK!』収録)
- はいだしょうこ(2008年。アルバム『しょうこのMy Favorite Songs』収録)
- 桑田佳祐(2012年。ライブ・ビデオ『桑田佳祐 LIVE TOUR & DOCUMENT FILM 「I LOVE YOU -now & forever-」完全盤』、2019年。ライブ・ビデオ『平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦』収録)
- 野坂昭如(2016年。アルバム『Petit Testament '80 昭和ヒトケタ二度目の敗戦コンサート』収録)
- BOYS AND MEN(2016年。アルバム『威風堂々〜B.M.C.A.〜』収録。ボイメンver.にアレンジ)
- GENERATIONS from EXILE TRIBE(2017年。アルバム『涙を流せないピエロは太陽も月もない空を見上げた』収録)
- E-girls(2018年。アルバム『E.G. 11』収録)
- ASKA(2019年。ライブ・アルバム及びライブ・ビデオ『ASKA CONCERT TOUR 2019 Made in ASKA -40年のありったけ- in 日本武道館』収録。)
YMCA好知己
年輕人YMCA
- 谷行雲(シンガポール,1981年。中国語アルバム『蝸牛與鸝鳥』収録)
- 吴永法&何耀伟(中国,1985年。中国語アルバム『阿里巴巴』収録)
- 杨坤(中国,2010年。中国語アルバム『DISCO(的士高)』収録)
YMCA青年人
- 林芳(中国,1984年。中国語アルバム『现代小姐』収録)
この曲が主に使用されるもの
- 読売ジャイアンツのテイラー・ヤングマンの登場曲。
- 川崎フロンターレのハーフタイムショー。
- コサキンDEワァオ!のコサキンソング。
関連作品
- JODAN JODAN
- ヤング・セーラーマン - ヴィレッジ・ピープルの「イン・ザ・ネイヴィー」をカバーした渋谷哲平のシングル。衣装やパフォーマンスに「YOUNG MAN」の影響が見られ、間奏では原曲には存在しないアルファベット(SAIL)を表す歌詞と振り付けがある。
- 西城秀樹のおかげです - 森奈津子の短編SF小説。この曲「ヤングマン(Y.M.C.A)」を題材としている作品。2000年発刊の短編集『西城秀樹のおかげです』に収録。
コマーシャル・ソングとして
サビのY・M・C・A以降の部分が、替え歌としてコマーシャル・ソングに使用された。
- NTTコミュニケーションズ 0033(選択中継サービス、2004年)山口智充
- 0033! あとは続けて 携帯番号 携帯への 通話がおトク オトクになるのさ
- ワイモバイル「素晴らしいワイモバイル」編(2016年)
- 素晴らしい ワイモバイル ワイモバイル
また2000年代前半に西城が出演していたアサヒフードアンドヘルスケア(現・アサヒグループ食品)『シーズケース』のコマーシャルでは、サビの手前の間奏部分で「C!C!C!C!」と歌った後、Cのポーズを取りながら「素晴らシー!」と叫んでいた。
脚注
- ^ オリジナルコンフィデンス「オリコン年鑑 1980年版」P18
- ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』社会思想社、1997年、97頁。ISBN 4390116029
- ^ 黒柳徹子、西城秀樹さん悼む 『ザ・ベストテン』での共演回顧「ダントツに歌がうまかった」
- ^ 角川インタラクティブ・メディア「別冊ザ・テレビジョン ザ・ベストテン 〜蘇る! 80'sポップスHITヒストリー〜」P64
- ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』95-97頁。
- ^ 2007年『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』(2007年3月8日・15日)、『きよしとこの夜』(2007年4月19日)や『山本耕史“スイートJAM”』(2009年12月10日)に西城が出演した回にてこのエピソードは紹介された。
- ^ 1979年『夜のヒットスタジオ』に西城が出演した回にて紹介。
- ^ “「ヤングマン」製造工場のミカン箱で歌った 秘話”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2018年5月18日) 2018年5月19日閲覧。
- ^ “「西城秀樹さん 訳詞・天下井隆二さんが明かす「ヤングマン」誕生秘話”. 産経ニュース. 産業経済新聞社: p. 1-2. (2018年5月17日) 2018年5月19日閲覧。
関連項目
- 卒業旅行 ニホンから来ました - 1993年公開の日本映画。劇中で、主演の織田裕二が「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌っている。