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'''戸田 貞三'''(とだ ていぞう、[[1887年]][[3月6日]] - [[1955年]][[7月31日]])は、社会学者、[[東京大学|東京帝国大学]][[名誉教授]]。[[家族社会学]]専門。著作集全14巻がある。家族を社会制度としてとらえるのではなく少数集団単位でとらえた家族社会学者である。1920年の国勢調査をきっかけにすでに[[日本]]の家族形態80%以上が核家族であることを突き止め、家族形態は夫婦と未婚の[[子ども]]によって構成されるが、2世帯住型の直系家族傾向も持っているとした。また「世帯」の概念を本格的に導入した社会学者としても有名である。 |
'''戸田 貞三'''(とだ ていぞう、[[1887年]][[3月6日]] - [[1955年]][[7月31日]])は、社会学者、[[東京大学|東京帝国大学]][[名誉教授]]。[[家族社会学]]専門。著作集全14巻がある。家族を社会制度としてとらえるのではなく少数集団単位でとらえた家族社会学者である。1920年の国勢調査をきっかけにすでに[[日本]]の家族形態80%以上が核家族であることを突き止め、家族形態は夫婦と未婚の[[子ども]]によって構成されるが、2世帯住型の直系家族傾向も持っているとした。また「世帯」の概念を本格的に導入した社会学者としても有名である。 |
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2021年10月17日 (日) 11:20時点における版
戸田 貞三(とだ ていぞう、1887年3月6日 - 1955年7月31日)は、社会学者、東京帝国大学名誉教授。家族社会学専門。著作集全14巻がある。家族を社会制度としてとらえるのではなく少数集団単位でとらえた家族社会学者である。1920年の国勢調査をきっかけにすでに日本の家族形態80%以上が核家族であることを突き止め、家族形態は夫婦と未婚の子どもによって構成されるが、2世帯住型の直系家族傾向も持っているとした。また「世帯」の概念を本格的に導入した社会学者としても有名である。
1932年11月に東京帝大に創られた国粋主義系の学生研究団体の「帝大満蒙研究会」の責任者を務めていた[1]。
弟子に牧野巽と清水幾太郎[2]と服部之総[3]と喜多野清一[4]がいる。
略歴
- 1912年 東京帝国大学文科大学哲学科社会学専攻卒業
- 1920年 東京帝国大学文学部講師
- 1920年 欧米に留学
- 1922年10月 帰国 東京帝国大学文学部助教授
- 1929年 東京帝国大学文学部教授
- 1947年 定年退官 東洋大学教授
著書
- 私有財産問題 冬夏社, 1922 (現代社会問題研究 第7巻)
- 家族の研究 弘文堂書房, 1926
- 社会学講義案 第1-2部 弘文堂書房, 1928-33
- 農村問題叢書 第6輯 農村人口問題 日本青年館, 1933
- 社会調査 時潮社, 1933
- 家族と婚姻 中文館書店, 1934
- 家族構成 弘文堂, 1937
- 家の道 文部省戦時家庭教育指導要項解説 中文館, 1942
- 家と家族制度 羽田書店, 1944
- 家庭と社会 印刷局, 1948 (公民叢書)
- 社会学概論 有斐閣, 1952 (社会学選書)
- 家族・結婚 松尾書店, 1955
- 戸田貞三著作集 全14巻 大空社, 1993
編著共著
- 家族と村落 第1-2輯 鈴木栄太郎共編 日光書院, 1939
- 青年学校教科書 土井不曇共著 文学社, 1941
- 社会調査の方法 甲田和衛共著 学生書房, 1949
- 社会学研究の栞 中文館書店, 1949
- 新編人名事典 国民図書刊行会, 1953
- 社会病理学 土井正徳共編 朝倉書店, 1954
記念論集
- 現代社会学の諸問題 戸田貞三博士還暦祝賀紀念論文集 東京大学社会学会編 弘文堂, 1949
研究
- 戸田貞三 家族研究・実証社会学の軌跡 川合隆男 東信堂 2003
脚注
- ^ 竹内洋 2011, p. 139
- ^ 竹内洋 2011, p. 137-141
- ^ 竹内 2012, p. 191.
- ^ 「喜多野清一博士略歴」『村落構造と親族組織』未来社、1973.1、p.683
参考文献
- 竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論新社、2011年。ISBN 9784120043000。
- 竹内, 洋『メディアと知識人 - 清水幾太郎の覇権と忘却』中央公論新社、2012年。ISBN 978-4120044052。