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[[File:室町公藤 Muromachi Kinfuji.jpg|thumb|200px|室町公藤]]
'''室町 公藤'''(むろまち きんふじ、[[1893年]]([[明治]]26年)9月30日<ref name=新修>『平成新修旧華族家系大成』下巻、718-719頁。</ref> - [[1965年]]([[昭和]]40年)12月13日{{R|新修}})は、明治から昭和期の[[華族]]、[[宮内庁]]職員、[[神職]]。[[伯爵]]、[[東山天皇]]の[[男系]]七世[[子孫]]。
'''室町 公藤'''(むろまち きんふじ、[[1893年]]([[明治]]26年)9月30日<ref name=新修>『平成新修旧華族家系大成』下巻、718-719頁。</ref> - [[1965年]]([[昭和]]40年)12月13日{{R|新修}})は、明治から昭和期の[[華族]]、[[宮内庁]]職員、[[神職]]。[[伯爵]]、[[東山天皇]]の[[男系]]七世[[子孫]]。



2021年3月24日 (水) 04:28時点における版

室町公藤

室町 公藤(むろまち きんふじ、1893年明治26年)9月30日[1] - 1965年昭和40年)12月13日[1])は、明治から昭和期の華族宮内庁職員、神職伯爵東山天皇男系七世子孫

経歴

華族・室町公大の長男として生まれる[1][2]。1907年(明治40年)9月25日、伯爵を襲爵[3]。1914年(大正3年)学習院高等科(現学習院大学)を卒業した[2]

宮内省に入省[2]掌典[4]大宮御所祇候[4]宮内庁掌典長[5]などを歴任。その後、平安神宮宮司を務めた[5]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』下巻、718-719頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 8版』ム43頁。
  3. ^ 『官報』第7274号、明治40年9月26日。
  4. ^ a b 『人事興信録 14版 下』ム42頁。
  5. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』1236頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 14版 下』人事興信所、1943年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。

関連項目

日本の爵位
先代
室町公大
伯爵
室町家第3代
1907年 - 1947年
次代
華族制度廃止