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'''※伏炭法''' 木材を積み重ねて火をつけた後に、土をかけて蒸し焼きにする方法。
'''※伏炭法''' 木材を積み重ねて火をつけた後に、土をかけて蒸し焼きにする方法。





考古学研究の成果によって、日本列島においては新石器時代の頃から木炭が用いられていたと推定されている。
考古学研究の成果によって、日本列島においては新石器時代の頃から木炭が用いられていたと推定されている。


[[平安時代]]には山林部を中心に炭焼きが広く行われて商品化された(『本朝無題詩』、[[大原女]]も参照)他、[[荘園]]などの[[年貢]]としても徴収された。炒炭は平安時代に登場した比較的新しい炭で火付が悪いが長く燃焼するのが特徴であった。荒炭は元々炭焼きの最後の段階で釜口を大きく開けて空気を入れ高温にしてから外に出し灰をかけて消す窯外消火法による[[白炭]]が主流であったが、長持ちはするものの硬質で火付が悪いのであった。
[[平安時代]]には山林部を中心に炭焼きが広く行われて商品化された(『本朝無題詩』、[[大原女]]も参照)他、[[荘園]]などの[[年貢]]としても徴収された。
炒炭は平安時代に登場した比較的新しい炭で火付が悪いが長く燃焼するのが特徴であった(漢方薬に於いて、生薬を炭になるまで炒ったものも炒炭という)
荒炭は窯外消火法(炭焼きの最後の段階で釜口を大きく開けて空気を入れ高温にしてから外に出し灰をかけて消すによる[[白炭]]が主流であったが、長持ちはするものの硬質で火付が悪いのが特徴であった。

[[室町時代]]後期から[[江戸時代]]にかけて、窯内消火法(窯が冷えてから外に出すによる軟質で火付が良い[[黒炭]]が生み出された。ただし、白炭・黒炭の区別が確立したのは[[近代]]以後であると言われている<ref>田村憲美『歴史学事典』第14巻「木炭」(弘文堂)</ref>。


[[日中戦争]]が拡大局面になると、木炭の生産と流通が停滞し、市民生活に支障を来すようになった。
[[室町時代]]後期から[[江戸時代]]にかけて窯が冷えてから外に出す窯内消火法による軟質で火付が良い[[黒炭]]が生み出された。ただし、白炭・黒炭の区別が確立したのは[[近代]]以後であると言われている<ref>田村憲美『歴史学事典』第14巻「木炭」(弘文堂)</ref>。


[[日中戦争]]が拡大局面になると、木炭の生産と流通が停滞し、市民生活に支障を来すようになった。[[1939年]]からは農林省、文部省、[[日本青年団協議会|大日本青年団]]により木炭増産報国運動が行われ、青年団や学生が製炭現場に赴く[[勤労動員]]が行われるようになった<ref>[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-203.html 日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動 第五編 言論統制と文化運動 第三章 教育運動] 法政大学大原社会問題研究所 2017年10月7日閲覧</ref>。同年12月29日からは木炭配給統制規則が制定され、木炭にも[[公定価格]]が設定、やがて[[配給制]]の物品の一つとなった。
[[1939年]]からは農林省、文部省、[[日本青年団協議会|大日本青年団]]により木炭増産報国運動が行われ、青年団や学生が製炭現場に赴く[[勤労動員]]が行われるようになった<ref>[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-203.html 日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動 第五編 言論統制と文化運動 第三章 教育運動] 法政大学大原社会問題研究所 2017年10月7日閲覧</ref>。同年12月29日からは木炭配給統制規則が制定され、木炭にも[[公定価格]]が設定、やがて[[配給制]]の物品の一つとなった。


[[1940年]]3月には、[[木炭需給調節特別会計法]](昭和15年3月30日法律第73号)が公布。木炭は国家管理となり、沖縄県を除く都道府県に木炭事務所が設置された。木炭事務所では、木炭の買付・売払・保管に関する事項を所掌し、木炭需給調節に関する事務を分掌した<ref>{{Cite web |date= |url=https://www.jacar.go.jp/glossary/term1/0090-0010-0040-0050-0130-0030.html |title=木炭事務所 |publisher=アジア歴史資料センター |accessdate=2020-06-06}}</ref>。第二次世界大戦中・後の配給体制下では、生産者価格は全国統一とされたが、消費者価格は八大消費地(東京都、神奈川県、埼玉県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、福岡県)において、一般消費地よりも数%割増された価格となった<ref>「炭一俵九十一圓に 薪も同時に値上げ」『朝日新聞』昭和22年7月17日.2面</ref>。木炭の流通統制は、戦後[[1950年]]3月まで続いた<ref>[http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/110601.html 宿毛市史【近代、現代編-林業-木炭】] 宿毛市 2017年10月7日閲覧</ref>。
[[1940年]]3月には、[[木炭需給調節特別会計法]](昭和15年3月30日法律第73号)が公布。木炭は国家管理となり、沖縄県を除く都道府県に木炭事務所が設置された。木炭事務所では、木炭の買付・売払・保管に関する事項を所掌し、木炭需給調節に関する事務を分掌した<ref>{{Cite web |date= |url=https://www.jacar.go.jp/glossary/term1/0090-0010-0040-0050-0130-0030.html |title=木炭事務所 |publisher=アジア歴史資料センター |accessdate=2020-06-06}}</ref>。第二次世界大戦中・後の配給体制下では、生産者価格は全国統一とされたが、消費者価格は八大消費地(東京都、神奈川県、埼玉県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、福岡県)において、一般消費地よりも数%割増された価格となった<ref>「炭一俵九十一圓に 薪も同時に値上げ」『朝日新聞』昭和22年7月17日.2面</ref>。木炭の流通統制は、戦後[[1950年]]3月まで続いた<ref>[http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/110601.html 宿毛市史【近代、現代編-林業-木炭】] 宿毛市 2017年10月7日閲覧</ref>。
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[[画像:ShichirinMokutan.JPG|thumb|200px|黒炭と七輪(岩手ナラ炭)]]
[[画像:ShichirinMokutan.JPG|thumb|200px|黒炭と七輪(岩手ナラ炭)]]
[[file:Japanese_RoundStove_Charcoal.JPG|thumb|200px|着火剤が塗布され、簡単に着火できる成形木炭]]
[[file:Japanese_RoundStove_Charcoal.JPG|thumb|200px|着火剤が塗布され、簡単に着火できる成形木炭]]
日本の木炭は400℃あたりの温度で炭化をすすめた後、精錬工程として細かな「ネラシ」が入るのが特徴である。白炭は空気を入れて未炭化成分を焼き飛ばすネラシを行い、黒炭は密閉した炉内で時間をかけて炭化を上げるネラシを行う。
日本の木炭は400℃あたりの温度で炭化をめた後、精錬工程として細かな「ネラシ」が入るのが特徴である。白炭は空気を入れて未炭化成分を焼き飛ばすネラシを行い、黒炭は密閉した炉内で時間をかけて炭化を上げるネラシを行う。


* [[白炭]]…[[カシ]]系の硬い木材が使われる。叩くと[[鉄琴]]のような金属音がするのが特徴。まず炭窯の焚き口で燃料となる薪を燃やし窯全体の温度を上げ、その後焚き口を閉じて窯内部を400℃あたりで5日間ほど熟成し(この間、ほとんど酸素が供給されなくてもカシの可燃成分がガスとして徐々に出て窯内を高温に維持する。窯の煙からは酢酸を含んだ強い刺激臭が出るがその臭いや色が工程を見極める要素の一つでもある)、その後炭窯の焚き口を徐々に開いて未炭化成分を焼き飛ばし、炭の温度を1000℃ - 1200℃まで上昇させたのち、炭を数時間かけて窯の外に掻き出して、随時速やかに「消し粉」(土と灰を混ぜて水を含ませたもの)をかけ、1日かけて冷やす。これにより硬く焼き締められ、炭素純度が高く、灰により白っぽい外見となる。これら一連の作業には、伝統的な手作業による技法の場合およそ2週間を要する。これらの作業工程によって燃焼臭が非常に少なく、長時間安定した火力が持続する白炭が出来上がる。白炭はその特性から飲食店など業務用途で需要が高く、また白身魚など素材本来の香りが重視される調理にも向く。
* [[白炭]]…[[カシ]]系の硬い木材が使われる。叩くと[[鉄琴]]のような金属音がするのが特徴。まず炭窯の焚き口で燃料となる薪を燃やし窯全体の温度を上げ、その後焚き口を閉じて窯内部を400℃あたりで5日間ほど熟成し(この間、ほとんど酸素が供給されなくてもカシの可燃成分がガスとして徐々に出て窯内を高温に維持する。窯の煙からは酢酸を含んだ強い刺激臭が出るがその臭いや色が工程を見極める要素の一つでもある)、その後炭窯の焚き口を徐々に開いて未炭化成分を焼き飛ばし、炭の温度を1000℃ - 1200℃まで上昇させたのち、炭を数時間かけて窯の外に掻き出して、随時速やかに「消し粉」(土と灰を混ぜて水を含ませたもの)をかけ、1日かけて冷やす。これにより硬く焼き締められ、炭素純度が高く、灰により白っぽい外見となる。これら一連の作業には、伝統的な手作業による技法の場合およそ2週間を要する。これらの作業工程によって燃焼臭が非常に少なく、長時間安定した火力が持続する白炭が出来上がる。白炭はその特性から飲食店など業務用途で需要が高く、また白身魚など素材本来の香りが重視される調理にも向く。

2020年9月11日 (金) 22:10時点における版

楢などの黒炭
白炭(備長炭
オガ炭
活性炭

木炭(もくたん)は、木材を蒸し焼きにし炭化させて作るである。季語[1]

概要

材料の木材から揮発成分を抜いたものであり、木材を燃やした場合と違って、が出ないか、もしくは少ない。炭化させる素材はもちろん、炭化温度焼成時間などの方法によっても生成する木炭の性状はさまざまで、価格や用途が異なってくる。

例えば黒炭だけでも、窯の作り、温度、窯閉めまでの時間などで品質が大きく変化する。また炭化不十分の場合、水分が発生し、爆跳しやすい炭となる。

木炭の製造時には木酢液木タールが発生する。木酢液を蒸留精製するとメタノール酢酸、さらに、テレピン油木クレオソートといった副生成物が得ることが出来る。

木炭が酸素の少ないの中でも燃えるのは、炭酸カリウムが含まれているからである。この炭酸カリウムは植物中のカリウムに由来するものである。水溶性なので木炭を長く流水に浸したものは炭酸カリウムが溶け出してしまい、着火性が極端に悪くなる。

日本ではナラブナカシクヌギなどの木材を炭化した物が主に使われてきたが、近年ではを炭化した竹炭も注目されている。また、輸入炭にはマングローブ炭なども存在する。

オガ炭は比較的安価で扱いやすく、備長炭のような特性であるため炭火焼の飲食店で多用されているものの、一般への知名度が低く、形状の印象から練炭と誤解されている場合もあるが、日本にオガ炭の様な形状の練炭は無い。オガ炭を含めた成形木炭は、中国で「機製炭(机制炭)」と呼ばれ、日本の提携会社や技術指導により、現地の大規模工場で製造されている。

日本に於ける木炭の歴史

炭焼き窯 北海道札幌市厚別区北海道開拓の村」に復元されたもの

木炭には、和炭(にこずみ=松、栗などの軟らかい樹を原料とし、伏炭法※で作成する軟らかい木炭)、荒炭(あらずみ=櫟、楢、樫などの硬い樹を原料とし、伏炭法や炭窯焼きで作成する硬い木炭)、炒炭(いりずみ=和炭・荒炭を二度焼きした木炭)の三種がある。

和炭は主に製鉄や冶金に、荒炭や炒炭は暖房・炊事のほか、防腐・防湿や飲料水の濾過にも利用されていた(何れの炭も、現在でも同様に用いられている)。

※伏炭法 木材を積み重ねて火をつけた後に、土をかけて蒸し焼きにする方法。


考古学研究の成果によって、日本列島においては新石器時代の頃から木炭が用いられていたと推定されている。

平安時代には山林部を中心に炭焼きが広く行われて商品化された(『本朝無題詩』、大原女も参照)他、荘園などの年貢としても徴収された。

炒炭は平安時代に登場した比較的新しい炭で、火付が悪いが長く燃焼するのが特徴であった(漢方薬に於いて、生薬を炭になるまで炒ったものも炒炭という)。

荒炭は窯外消火法(炭焼きの最後の段階で、釜口を大きく開けて空気を入れ、高温にしてから外に出し、灰をかけて消す)による白炭が主流であったが、長持ちはするものの硬質で火付が悪いのが特徴であった。

室町時代後期から江戸時代にかけて、窯内消火法(窯が冷えてから外に出す)による、軟質で火付が良い黒炭が生み出された。ただし、白炭・黒炭の区別が確立したのは近代以後であると言われている[2]

日中戦争が拡大局面になると、木炭の生産と流通が停滞し、市民生活に支障を来すようになった。

1939年からは農林省、文部省、大日本青年団により木炭増産報国運動が行われ、青年団や学生が製炭現場に赴く勤労動員が行われるようになった[3]。同年12月29日からは木炭配給統制規則が制定され、木炭にも公定価格が設定、やがて配給制の物品の一つとなった。

1940年3月には、木炭需給調節特別会計法(昭和15年3月30日法律第73号)が公布。木炭は国家管理となり、沖縄県を除く都道府県に木炭事務所が設置された。木炭事務所では、木炭の買付・売払・保管に関する事項を所掌し、木炭需給調節に関する事務を分掌した[4]。第二次世界大戦中・後の配給体制下では、生産者価格は全国統一とされたが、消費者価格は八大消費地(東京都、神奈川県、埼玉県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、福岡県)において、一般消費地よりも数%割増された価格となった[5]。木炭の流通統制は、戦後1950年3月まで続いた[6]

日本の木炭生産量は、1950年に年間約200万トンを記録していたが、その後はエネルギー利用の変化により、1970年には約28万トン、1980年には約7万トンと急激に減少した[7]。当時の様子としては、「炭焼きが終わる日が来るなんて考えられなかった。」「あっという間の出来事。どれだけ炭を焼いても追いつかなかった時代が嘘のように思えた。」といった証言が残されている[8]

分類

日本の木炭

穴が無いタイプのオガ炭
黒炭と七輪(岩手ナラ炭)
着火剤が塗布され、簡単に着火できる成形木炭

日本の木炭は、400℃あたりの温度で炭化を進めた後、精錬工程として細かな「ネラシ」が入るのが特徴である。白炭は空気を入れて未炭化成分を焼き飛ばすネラシを行い、黒炭は密閉した炉内で時間をかけて炭化を上げるネラシを行う。

  • 白炭カシ系の硬い木材が使われる。叩くと鉄琴のような金属音がするのが特徴。まず炭窯の焚き口で燃料となる薪を燃やし窯全体の温度を上げ、その後焚き口を閉じて窯内部を400℃あたりで5日間ほど熟成し(この間、ほとんど酸素が供給されなくてもカシの可燃成分がガスとして徐々に出て窯内を高温に維持する。窯の煙からは酢酸を含んだ強い刺激臭が出るがその臭いや色が工程を見極める要素の一つでもある)、その後炭窯の焚き口を徐々に開いて未炭化成分を焼き飛ばし、炭の温度を1000℃ - 1200℃まで上昇させたのち、炭を数時間かけて窯の外に掻き出して、随時速やかに「消し粉」(土と灰を混ぜて水を含ませたもの)をかけ、1日かけて冷やす。これにより硬く焼き締められ、炭素純度が高く、灰により白っぽい外見となる。これら一連の作業には、伝統的な手作業による技法の場合およそ2週間を要する。これらの作業工程によって燃焼臭が非常に少なく、長時間安定した火力が持続する白炭が出来上がる。白炭はその特性から飲食店など業務用途で需要が高く、また白身魚など素材本来の香りが重視される調理にも向く。
    • 備長炭…紀伊国田辺の商人備中屋長左衛門(備長)が販売したことが名前の由来である。
  • 黒炭ナラ系の木材が多く使われる。400℃あたりで熟成させた後、炭窯の煙道を閉じ、徐々に700℃あたりまで温度上昇させ、次に焚き口と煙の出口も閉じて炭窯全体を密閉し、酸欠状態で時間をかけて鎮火、自然冷却を行い完成する。白炭よりも炭素以外の成分が多く残っていることから火力と、燻製のような芳香がはっきりあり、比較的着火しやすく燃焼時間も1〜2時間以内程度なので、バーベキュー(パーティー)など肉料理に向く。
  • 成形木炭
    • オガ炭…オガクズを加熱圧縮して製造された成型薪「オガライト」を炭化させたもの。形状と性質が製品ごとに均質であり、白炭に似た特性でありながら比較的安価で、爆跳の危険性も少なく、飲食業で多用されている。密閉した炭窯を1200℃近くまで上げ熟成させたあと、仕上げの最後に、一気に空気を入れて(または炉外に出して)未炭化成分を焼き飛ばし、急冷させ焼き締める(ネラす)。製法としては白炭に近く、性質も白炭に似る。オガ炭の多くは、コストの関係から日本企業の中国や東南アジアの現地法人などで製造されており、それらの大規模生産工場では一連の作業をオートメーション化している場合も多い。
  • 竹炭
  • 活性炭

外国産炭

  • (欧米の)バーベキュー炭
  • マングローブ炭…格安のバーベキュー炭に多く、安価である。
  • ヤシガラ炭…ヤシ殻を木炭化したもの。ヤシ殻は生のままでは強固な繊維質が多いため、乾燥後に木炭化したあと粉砕し、粉炭をタピオカ澱粉などで各種形状に固めて燃料として販売されている(「ラウンドストーブ」など)。オガ炭のような穴の空いた棒状に成形されたものは「オガ炭」という名称で販売されている場合もある。

用途

木炭自動車 1937年型ビュイック(2010年11月27日撮影)
木炭(デッサン用)
チャコールペンシル

燃料用

主に燃料として使われている。日本では戦後、石油や都市ガスなどが普及するまでは産業分野や都心の一般家庭でも普通に用いられる燃料であった。一時期木炭自動車の燃料としても用いられた。またたたら吹きなど古来の製鉄は木炭によっていたが、西洋式製鉄法の流入によって一部を除き石炭に取って代わられた。

現在は日常の家庭用燃料としての用途よりも、キャンプバーベキューなどのレジャー用、また焼き鳥蒲焼焼肉などで、「炭火焼き」をこだわりとする飲食店など業務用と使用される事が多い。

火熾し(火おこし)方法

「文化たきつけ」などの名称で販売されている木質系着火材
バーベキューグリルに乗せたチャコールスターター
ピンクの小袋入りのメタノール系着火剤と七輪
練炭コンロにのせた火熾し器
飲食店用の火種コンロ。火熾ししやすく、また珪藻土製の蓋があり、火熾しされた状態の木炭を大量に長時間キープできる

木炭を着火するのは初心者には難しく、燃焼中の着火剤投入などで事故も起きているため、注意が必要である。いずれの場合でも木炭で調理が行えるようになるのは着火後10分から20分、場合によっては1時間ほど必要で、それを見越したスケジュールを組むのが望ましい。

バーナーを使う方法
カセットコンロボンベ灯油を燃料とする「カセットバーナー(トーチバーナー)」「草焼きバーナー」を使っての着火が初心者には確実である。イワタニからは木炭着火専用の機種も発売されている。特に着火しにくい備長炭やオガ炭で有効であるが、長時間炙ることでの燃料費もかかるためケースバイケースである。珪藻土製七輪などではバーナーの強い直火があたると劣化が進むため注意する。
着火処理をした木炭を使う方法
「Quick Grill Briquette」「ラウンドストーブ」などの商品名の加工成型木炭は表面に着火剤が塗られており、簡単に調理可能な状態の熾き火になる。これらの加工成型木炭を着火剤として利用すれば、備長炭やオガ炭などの着火しにくい木炭も比較的簡単に着火することができる。
木質系着火材を使う方法
圧縮成形した木質繊維にワックスを染み込ませたタイプの着火材は、突然爆発する危険性がほとんどなく、メタノール剤のものより安価で火力が強く、木炭への着火性はかなり高い。もともとは薪や石炭の煙突式ストーブで焚き付けするためのものであるので、北海道のメーカーのものが多い。ジェル状のアルコール系着火材よりも強火力で、木炭を着火させる能力が高いが、周りへ広がる炎と煙も強く、それらに充分に注意したほうが良い。
チャコールスターターを使う方法
別名チャコスタ/ファイヤースターター/チムニースターターとも呼ばれる。欧米版の火熾し器であるが、日本のものより4倍から5倍は深い筒状になっている。近年はホームセンターでの取り扱いも多い。金属製の円筒、あるいは折り畳みできるように金属板を組み合わせた三角形や四角形の筒状になっており、日本の火熾し器のように筒ごと下から火で炙るか、この筒の中に木炭や薪、着火剤などを詰めて着火すると、煙突効果により比較的簡単に10分から30分ほどで、炭火で調理可能な状態にまで火熾しできる。火が熾ったら、バーベキューグリルやダッチオーブン、七輪などに炭を移せば良い。バーベキューの機会が多い場合はチャコールスターターがあると便利である。
ジェル状着火剤を使う方法
ホームセンターへ行くと透明な薄いピンク色のビニール状の小袋に小分けされたゲル状の着火剤や、チューブ入りの着火剤、固形の着火材などが市販されている。小袋に小分けされた着火剤は七輪であれば1袋から2袋ほど、バーベキュー台では5cmから10cm間隔で並べ、袋へそのまま火をつければ、袋が燃え上がりつつ木炭へ着火が行われる。チューブ入りの着火剤の場合は、火のついていない木炭の上にゲル状の着火材を塗布したのち、着火する。火のついている状態では絶対に着火剤を継ぎ足してはならない。着火剤が爆発的な燃焼を起こし、周囲にゲル状着火剤の火が飛び散り燃え盛りながらへばりつく場合がある。このような危険性から、チューブ入りの着火剤は最近はホームセンターでの販売が行われていない場合が多く、袋入りにしてもチューブ入りにしても、メタノールをゲル化したこのような着火剤は着火後、火がついた状態で突然飛び散る場合があるため、木炭への着火が完全に済むまでは注意が必要である。
火熾し器を使う方法
火熾し器は小型の深底フライパン鍋のような形状をしており、鍋底が金網状になっている(練炭・豆炭の火熾しもできるようになっている場合が多い)。まず、火熾し器に適切な大きさに切った木炭を入れた後、屋外の安全な場所で既に熾っているたき火や、練炭コンロ、固形燃料のゴトクの上で火熾し器を掛け、木炭が赤熱するまで炙る。木炭の継続的な燃焼(熾きた状態)が認められるようになったら、赤熱した木炭を七輪やバーベキュー台などに移し、火種とする。なお、カセットガスコンロの場合では、カセットガスボンベが炭からの輻射熱によって爆発する危険性があるため、カセットガスコンロでの火熾しは絶対に行ってはならない[9]。火熾し器で炙る際には木炭が爆跳したり、炎や火の粉が細かく飛び散る場合も多いうえ、台所のガスレンジで熾す場合はレンジや換気扇の油汚れなどに引火の危険性もあるため、確実な安全性が保証できない場合は最初から屋内での火熾しは避けた方が良い。
松かさ、木片、紙を使う方法
松かさ(松ぼっくり)は、松脂成分を多く含み、よく乾燥したものは着火剤、及び燃料として優秀である。屋外で松かさが入手できる場合は1個から数個の松かさであり、充分に木炭の着火剤となり得る。木片の場合は下部に敷き詰め、新聞紙や広告紙の場合は固く綱紐状にし、その上に木炭を置いて着火させる。その際、木炭は温度低下を避けるため釜状に間隔をあけずに密集させ、燃焼時に釜の内部に熱が篭るようにすれば良い。七輪の場合は綱紐状の固く締めた紙をコンロ内側にバケツ状に敷き詰め、その内側に木炭が包まれている状態にする。この方法はYouTubeなどで複数紹介されているが、実際に行ってみると、着火剤などと比較して初心者での着火は非常に難しいうえ、紙の灰が大量に出て食材に付く場合がある。

爆跳

熱せられた木炭が突然爆ぜることを爆跳(ばくちょう)という。ひどい場合は木炭の爆発的破砕と「パーン」という鉄砲でも撃ったような大音量が周囲に響き渡るので注意が必要である。これは木炭の繊維質に閉じ込められた水分や揮発分が熱で膨張あるいはガス化し、その圧縮された水蒸気や可燃性揮発分の繊維質内での小爆発が発生原理である。備長炭の場合、硬質であるためむしろ危険で、金属音を伴って爆跳し、熱く熱せられた木炭片が目などに飛び込むと重傷となるため要注意である。爆跳の主な原因としては、木炭が吸湿した水分によるものがもっとも多く、木炭に乾燥剤を添え厚いビニール袋で外気が入らないよう密封し保存すると、ある程度は爆跳を防ぐことが出来る。店舗に長期間置かれた段ボールや紙袋入りの木炭は爆跳が起こり易いと言える。なるべくなら窯元からの直販で購入し、出荷後短期間のうちに使い切るのが好ましい。なお、オガ炭や加工ヤシガラ炭、ハイカロ炭のような成形木炭の場合は、原料の繊維質が細かく裁断されているため、爆跳はほとんど起こらない。 備長炭の場合、既に熾っている燃焼中の木炭の近くに(長七輪の場合は縁の上に備長炭を並べるなどして)置いて15-20分ほど予熱したのち、着火させる方法が有効である。

燃焼ガス

木炭は、練炭とは異なり硫黄や鉱物臭はしないものの、同様に一酸化炭素など有害な燃焼ガスを多量に発生するので、室内での七輪や、囲炉裏など、煙突を伴わない屋内燃焼器具の使用は、とくに換気に気を付けなければならない[10][11]。日常的に厨房で使用する場合は、ガスコンロと同様の位置に設置し換気扇を稼働させた方がよい(炭火焼き鳥店の多くはそのようになっている)。

着火剤

燃焼中に着火剤を投入すると、思わぬ火災となる危険性がある。また、バーベキューなど食品を直火で焼いて調理する場合に、安価で簡単に着火可能なワックス系を使用するとその匂いが食品に付着し味と香りを劣化させる可能性があり、紙を使用した場合はその燃えカスの紙片が食品に付着してしまう。特に、燃焼時の安全性を考慮していないインクで印刷された紙を使用すると、当然その影響を受けることになる。

美術用

美術の世界において、木炭は古くから世界中でデッサン絵画の道具として使用されている。これに用いる木炭は鉛筆のような細い枝を炭化したものであり、木炭で描かれたデッサンを鉛筆デッサンに対して木炭デッサンと云う。木炭粉末と粘土を混合し芯にした鉛筆型のものをチャコールペンシルといい、これも木炭デッサンに用いる。一般的にチャコールペンシルを縮めてチャコペン[12]といわれることが多くチャコール単体で呼ぶ場合は青みの掛かった黒の意もある。

花炭と呼ばれる花や木の実をそのまま炭化し、形を楽しむインテリアが500年以上前から日本に存在する。また、木炭に苔などを合わせたものが近年「炭アート」として販売されている。

漆器金工などでは古くから研磨に使用される。研炭には朴炭、駿河炭、蝋色炭などの種類がある。

農業用

木炭は土壌改良材としても利用され、農業用途においては燻炭(くんたん)またはバイオ炭: biochar、バイオチャー)とも呼ばれる。木炭には透水性の改善効果が認められているほか、研究途上であるが、土壌への炭素貯留が期待されるほか[13]、原料や処理法によっては保水性や保肥性(陽イオン交換容量)が付与可能であると考えられている[14]

日本における炭の農業利用は、1697年(元禄10年)に書かれた宮崎安貞の『農業全書』に記された「火糞(やきごえ)」に遡ることができる[15]。「燻炭」という呼称を広めたのは、明治33年に「燻炭肥料」(燻炭に糞尿を馴染ませた肥料)を発明した小柳津勝五郎と言われる[16]。現代では、地力増進法に基づく政令指定土壌改良資材として木炭(植物性の殻の炭を含む)が指定され[17]、土壌の透水性の改善を主たる効果として謳うことが認められている[18]。前述の燻炭肥料は肥料取締法において特殊肥料に指定されているが、現代ではほとんど用いられない[19][16]

日本国外においては、ブラジル先住民の集落跡にみられるテラ・プレタ英語版と呼ばれる人為改良された土壌がバイオマス由来の炭を含んでおり、通常の熱帯土壌より土壌肥沃度が高いことが2000年代に注目され、これをバイオ炭と呼んでその利用・研究が盛んになった[20][21]

その他

木炭は主に多孔質のものが多く、この細孔に微細な物を吸着することから脱臭材や濾過材として使われる事もある。特に活性炭はそれらの能力に優れている。調湿にも利用される。

「木炭はマイナスイオンを放出し、プラスイオンを吸収するので健康によい」との説に科学的な根拠は全くない。

脚注

  1. ^ 広辞苑第5版
  2. ^ 田村憲美『歴史学事典』第14巻「木炭」(弘文堂)
  3. ^ 日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動 第五編 言論統制と文化運動 第三章 教育運動 法政大学大原社会問題研究所 2017年10月7日閲覧
  4. ^ 木炭事務所”. アジア歴史資料センター. 2020年6月6日閲覧。
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関連項目

外部リンク