コンテンツにスキップ

「大山健太郎」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
経歴: 内容追加
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
2行目: 2行目:


==経歴==
==経歴==
8人兄弟の長男として[[大阪府]][[南河内郡]][[道明寺村]](現[[藤井寺市]])に生まれる。祖父趙性㼄は[[漢方医]]として[[韓国]][[慶尚南道]]から[[昭和2年]]に日。[[大阪府立布施高等学校]]卒業。高校三年のときプラスチック成型品を作る町工場を営む父にがんが発見され進学を断念。[[1964年]]、19歳で大山ブロー工業代表者に就任。[[1989年]]、本社を[[仙台市]]に移転。[[1991年]]アイリスオーヤマに社名変更。
8人兄弟の長男として[[大阪府]][[南河内郡]][[道明寺村]](現[[藤井寺市]])に生まれる。祖父趙性㼄は[[漢方医]]として[[韓国]][[慶尚南道]]から[[昭和2年]]に日本本土に移住。[[大阪府立布施高等学校]]卒業。高校三年のときプラスチック成型品を作る町工場を営む父にがんが発見され進学を断念。[[1964年]]、19歳で大山ブロー工業代表者に就任。[[1989年]]、本社を[[仙台市]]に移転。[[1991年]]アイリスオーヤマに社名変更。2002年に日本国籍に帰化<ref>『大山健太郎 アイリスオーヤマの経営理念』p11.私の履歴書 [[日本経済新聞出版社]] 2016</ref>


仙台経済同友会代表幹事、[[日本ニュービジネス協議会連合会]]副会長、[[東北経済連合会]]副会長、[[東北大学]]総長顧問、復興庁[[復興推進委員会]]委員を務める。1990年第1回[[ニュービジネス大賞]]、2004年中国[[大連市]]栄誉公民、2009年[[藍綬褒章]]受勲、同年仙台市特別市政功労者賞<ref>『大山健太郎 アイリスオーヤマの経営理念』著者紹介</ref>。2017年秋、[[旭日重光章]]受勲。2018年7月1日から代表取締役会長。
仙台経済同友会代表幹事、[[日本ニュービジネス協議会連合会]]副会長、[[東北経済連合会]]副会長、[[東北大学]]総長顧問、復興庁[[復興推進委員会]]委員を務める。1990年第1回[[ニュービジネス大賞]]、2004年中国[[大連市]]栄誉公民、2009年[[藍綬褒章]]受勲、同年仙台市特別市政功労者賞<ref>『大山健太郎 アイリスオーヤマの経営理念』著者紹介</ref>。2017年秋、[[旭日重光章]]受勲。2018年7月1日から代表取締役会長。

2020年7月23日 (木) 18:37時点における版

大山 健太郎(おおやま けんたろう、1945年7月3日[1] - )は、日本の実業家、アイリスグループ会長。アイリスオーヤマ株式会社代表取締役会長。

経歴

8人兄弟の長男として大阪府南河内郡道明寺村(現藤井寺市)に生まれる。祖父趙性㼄は漢方医として韓国慶尚南道から昭和2年に日本本土に移住。大阪府立布施高等学校卒業。高校三年のときプラスチック成型品を作る町工場を営む父にがんが発見され進学を断念。1964年、19歳で大山ブロー工業代表者に就任。1989年、本社を仙台市に移転。1991年アイリスオーヤマに社名変更。2002年に日本国籍に帰化[2]

仙台経済同友会代表幹事、日本ニュービジネス協議会連合会副会長、東北経済連合会副会長、東北大学総長顧問、復興庁復興推進委員会委員を務める。1990年第1回ニュービジネス大賞、2004年中国大連市栄誉公民、2009年藍綬褒章受勲、同年仙台市特別市政功労者賞[3]。2017年秋、旭日重光章受勲。2018年7月1日から代表取締役会長。

コラムニストの犬山紙子は姪。

著書

  • 『ホームソリューション・マネジメント 21世紀の住関連ビジネス創造』ダイヤモンド社 2001
  • 『ピンチはビッグチャンス メーカーベンダーの革新』ダイヤモンド・フリードマン社 2010
  • 『ロングセラーが会社をダメにする ヒット商品は消費者に聞け』日経BP社 2013
  • 『大山健太郎 アイリスオーヤマの経営理念』私の履歴書 日本経済新聞出版社 2016

共著

  • 『メーカーベンダーのマーケティング戦略 製造・卸売一体化の効率経営』小川孔輔共著 ダイヤモンド社 1996

外部リンク

脚注

  1. ^ 第17回日経フォーラム 世界経営者会議 講師プロフィール
  2. ^ 『大山健太郎 アイリスオーヤマの経営理念』p11.私の履歴書 日本経済新聞出版社 2016
  3. ^ 『大山健太郎 アイリスオーヤマの経営理念』著者紹介