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「ソクラテス以前の哲学者」の版間の差分

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=== 代表的人物 ===
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活動期としては、[[紀元前7世紀]]末から[[紀元前5世紀|前5世紀]]までのおよそ2世紀に渡る。
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地域としては、ギリシア([[ペロポネソス半島]]・[[エーゲ海]])だけでなく、[[地中海]]北東部沿岸の[[植民都市]]、[[イオニア]](現在の[[トルコ]]、[[アナトリア半島]]西岸)から[[マグナ・グラエキア]]([[イタリア半島]]南部)に及ぶ。

2020年4月22日 (水) 16:27時点における版

ソクラテス以前の哲学者: Vorsokratiker、: pre-Socratic philosopher) は、哲学の祖ソクラテスが活動する以前の時代、すなわち紀元前7世紀から紀元前5世紀にかけての古代ギリシアで活動した思想家たちの、哲学史上の便宜的な総称である。前ソクラテス期の哲学者フォアゾクラティカーとも表記される。

概要

代表的人物

古代ギリシアの植民地

活動期と地域

活動期としては、紀元前7世紀末から紀元前5世紀までのおよそ2世紀に渡る。

地域としては、ギリシア(ペロポネソス半島エーゲ海)だけでなく、地中海北東部沿岸の植民都市イオニア(現在のトルコアナトリア半島西岸)からマグナ・グラエキアイタリア半島南部)に及ぶ。

バルカン半島の南端ヘラスの地に南下してきたドーリス族によって、この地に先住していたアカイア族が押し出され、エーゲ海の対岸のイオニアや、マグナ・グラエキアに移住していき、その地で初期のギリシア文化が形成された。前5世紀になってペルシア戦争のためにイオニア地方が衰微し、フェニキアカルタゴとの小競り合いによってマグナ・グラエキアに不安が広がり、ギリシャ人世界の中心がギリシャ本土に移るまでは、イオニアやマグナ・グラエキアがギリシャ文化の先進地帯であったからである[1]

思想

彼らの思想はいずれも難解をもって知られる。これは以下の理由による。

彼らの思想内容を直接知ることが困難である。
彼らのほとんどが膨大な量のテキストを書いたと推測されるが、直接伝わっているものは一つも無い。現在存在するテキストの全てはそれらの部分部分、また後世の哲学者や歴史家によって引用された断片である。したがってそれらのテキストの精確な文脈は推測によって補うほかない。
ピタゴラスのようにその発言が一切伝わっていない思想家すらいる。
彼らの伝記も細部は不詳であり、その関連を精確に跡付けることが難しい。
彼らのまとまった伝記が同時代にあったわけではなく、現在利用可能な資料は後世の人の記述である。それらは断片的でまた時には相互に矛盾している。たとえば、タレスはしばしば最初の哲学者と呼ばれ、その弟子にアナクシマンドロスがいるとされるが、研究者のなかにはアナクシマンドロスがタレスに先行すると考える者もいる。
他の思想家の言説との関係や、属していた文化や社会との関係が不明であるということは、それぞれの言述内容の解釈にあいまいさを残す要因となりえる。
表現の形式が難解である。
プラトン以前のギリシアの思想家たちは、みな散文によってでなくの形式を用いた。表現は短く凝縮されていて、そこから多様な解釈が可能になる。また彼らの多くは、それまで問題にされたことのない事柄について語ったため、新しい概念の枠組みを自ら発明しなければならなかった。
既存の思想を準拠枠として彼らが使わない、使いえないことで、彼らが何を語っているかを読み解くにはしばしば大きな困難が生じる。

彼らが確立したもの

ソクラテス以前の哲学者の多くは、自然と宇宙を自ら思索の対象とした。そのため彼らの思想は宇宙論あるいは自然学としばしば呼ばれる。彼らは外界の現象について、それまでの擬人的な神話による説明を排除し、より一般化された非擬人的な説明を求めた。たとえば雷はゼウスが怒り雷撃を投げているのではなく、雨雲が空気の裂け目を生じその裂け目から嵐が吹き出し光がみえているのだと説明される。

この姿勢は盲信的な宗教から離れ哲学、さらには科学へ至る考え方の転換点として、世界史的にも画期的であった。

彼らが説明を試みようとしたものには、

  • すべてのものはどこからくるのか?(アルケー(事物のはじめ)は何か?)
  • すべてのものは何から作られているのか?
  • 自然の中にあるものが多く存在するとはどういう事か?
  • なぜ数というひとつのものでそれらを説明できるのか?

などがある。

イオニアの自然哲学は宇宙生成論(宇宙はなにから生じるのか)から出発し、次第に身の回りの現象を説明する方向へと向かった。個々の現象についてなぜそのような現象が生起するのかが問われ、さらにそのような現象すべてを統御する原理が求められた。「ロゴス」と呼ばれたその統制原理は、火やという具体的なもののなかに求められた。ここから数の性質を問い、派生的な諸概念、たとえば無限についての探求が行われた。

また自然現象への問いは、宇宙の究極的構成原理としての原子を仮定し、原子の機械論的運動で世界を描像する原子論にゆきついた。こうした原理への問いはまた、既存の社会、都市国家のありようを反省し、そこでのふるまいを慣習によってではなく論理によって再び規定しようとするソフィストたちの登場にもつながっていく。あるいはまた、アナクサゴラスのように擬人的な神の描写に対する懐疑と拒否にもつながっていった。

彼らの提案した現象記述は、観察にもとづくとはいえ思弁的であり、後世の自然科学からは否定される。後世の学者たちは、ソクラテス以前の哲学者たちが提示した答えのほとんどを真実とは受け取らなかったが、彼らが答えを求めようとした質問、さらに問いを立て探求するという態度はそのまま受け継がれた。

しかし、近代に入っての多くの自然学上の発見によって、原子論のようにその論理が再評価されたものもある。

研究

哲学史研究の上では18世紀の後半から、ソクラテスを知るためにはソクラテス以前の哲学者を研究する必要があると唱えられるようになった。そこでドイツ古典文献学ディールスは、ソクラテス以前の断片を集めた『ソクラテス以前の哲学者』を刊行し、研究の土台を作った。のちにはクランツがこの作業を受け継いだ。この断片集は、彼らについての言及の断片と、彼らの著作に帰せられる断片を収録したものである。現在、ソクラテス以前のテキストを参照する際には、このディールス=クランツによる断片集の整理番号(略称DK)を用いるのが普通である。

近現代の哲学者でとくにソクラテス以前に注目する哲学者には、マルティン・ハイデッガー[2]、古典文献学者でもあったニーチェ[3]などがいる。

脚注

  1. ^ 『哲学キーワード事典』  フォアゾクラティカー(木田元)、新書館
  2. ^ 哲学史講義』において「アリストテレス以前の人たち(Voraristoteliker)」と名付ける。
  3. ^ 1872年夏学期にバーゼル大学で行った講義で「プラトン以前の哲学者たち(vorplatonische Philosophen)」と呼称している。

関連文献

断片集

  • 内山勝利ほか訳『ソクラテス以前哲学者断片集』全6冊、岩波書店、1996年

解説書

関連項目

外部リンク