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2020年2月17日 (月) 13:31時点における版
三尾 邦三(みお くにぞう、1891年(明治24年)9月29日[1] - 1966年(昭和41年)7月1日[2][3][3])は、明治末から昭和期の美術商、政治家。衆議院議員。別名・春海熊三。
経歴
和歌山県和歌山市新堀北ノ丁で、酒造業「大野屋」三尾彦右衛門の二男として生まれる[1][3]。家業の経営が思わしくなく10歳で大阪の美術骨董商・春海商店(春海藤次郎経営)に入店し、1912年(明治45年)春海藤次郎が死去したため経営を継承し「春海熊三」の名義を用いた[1][3]。1919年(大正8年)経営形態を株式会社に変更し専務取締役に就任した[1][2][3]。三井、岩崎、久原などの財閥家を顧客として店を発展させた[3]。1920年(大正9年)欧米へ美術調査視察旅行を行った[1][2]。また、1927年(昭和2年)海外経済調査委員久原房之助に随行して欧米を再訪した[1][2][3]。
1930年(昭和5年)2月、第17回衆議院議員総選挙に立憲政友会所属で和歌山県第2区から出馬して当選し、以後、第19回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した[1][2][3]。この間、議員の歳費を全て国防基金への寄付、選挙区の窮民義捐金などに用いた[3][4]。
その他、日本美術社長、和歌山商業学校理事長、南紀美術館館長、和歌山三尾高等学校理事長などを務めた[2]。また、美術新聞『美術の国』を発刊した[2]。
著作
- 春海熊三『私の見た欧米の美術』慶文堂書店、1923年。
- 『武藤山治先生南紀遊説記』中西禎蔵、1931年。
関係書籍
- 原静村『代議士三尾邦三君』南海新聞社、1936年。
脚注
参考文献
- 原静村『昭和に輝く』南海新聞社、1934年。
- 紀州人社編『紀州人大観 第1輯』紀州人社、1935年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。