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{{Infobox Musician |
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照--> |
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|Name = ポール・ロジャース |
|Name = ポール・ロジャース<br />Paul Rodgers |
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|Img = Queen 2005 1010006.JPG |
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|Birth_name = Paul Bernard Rodgers<!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> |
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|Occupation = [[シンガーソングライター]]、[[ミュージシャン]]、[[音楽プロデューサー]]<!-- 個人のみ --> |
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'''ポール・ロジャース''' (Paul Rodgers、[[1949年]][[12月17日]] - )は、[[イギリス]]出身の[[ロック (音楽)|ロック]]歌手。ロジャースの特徴である[[リズム・アンド・ブルース]]に根差したソウルフルな歌唱スタイルは、後のロック |
'''ポール・ロジャース''' (Paul Rodgers、[[1949年]][[12月17日]] - )は、[[イギリス]]出身の[[ロック (音楽)|ロック]]歌手。ロジャースの特徴である[[リズム・アンド・ブルース]]に根差したソウルフルな歌唱スタイルは、後のロック・ボーカリストたちに多大な影響を与えた。 |
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「[[ローリング ・ ストーン誌の選ぶ史上最も偉大な100人のシンガー]]」において第55位<ref>{{Cite web |url=http://www.rollingstone.com/music/lists/100-greatest-singers-of-all-time-19691231/paul-rodgers-20101202 |title=100 Greatest Singers: Paul Rodgers |author=Rolling Stone |accessdate=2013-05-26}}</ref>。 |
「[[ローリング ・ ストーン誌の選ぶ史上最も偉大な100人のシンガー]]」において第55位<ref>{{Cite web |url=http://www.rollingstone.com/music/lists/100-greatest-singers-of-all-time-19691231/paul-rodgers-20101202 |title=100 Greatest Singers: Paul Rodgers |author=Rolling Stone |accessdate=2013-05-26}}</ref>。 |
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
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[[1949年]][[12月17日]]、[[イングランド]]・[[ミドルズブラ]]の港町で、7人兄弟の4番目に生まれる。[[ロードランナーズ]] (1967) などのローカルバンドで活動を始めるが、商業的には失敗に終わる。[[1969年]]に英国ブルースの巨匠[[アレクシス・コーナー]]に見初められ、[[ポール・コゾ |
[[1949年]][[12月17日]]、[[イングランド]]・[[ミドルズブラ]]の港町で、7人兄弟の4番目に生まれる。[[ロードランナーズ]] (1967年) などのローカルバンドで活動を始めるが、商業的には失敗に終わる。[[1969年]]に英国ブルースの巨匠[[アレクシス・コーナー]]に見初められ、[[ポール・コゾフ]] (ギター) と[[サイモン・カーク]] (ドラム)、[[アンディ・フレイザー]] (ベース) と共に[[フリー (バンド)|フリー]]<ref>{{Cite web|url=http://www.freetheband.co.uk|title=FREE official web site|accessdate=2017-3-24}}</ref>を結成。フリーはデビュー当時、メンバーが10代だったにも関わらず[[ブルース]]色が濃く、シンプルな[[ハードロック]]スタイルで徐々に人気を獲得していく。[[1970年]]にシングル「[[オール・ライト・ナウ]]」とアルバム『[[ファイアー・アンド・ウォーター]]』がヒットするが、アルバムの商業的不振やメンバー間の不仲で初来日公演直後、解散を発表。 |
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フリー解散後、ロジャースは[[ピース]]{{要曖昧さ回避|date=2017-04}} (1971) を結成するが、ドラッグに溺れたコ |
フリー解散後、ロジャースは[[ピース]]{{要曖昧さ回避|date=2017-04}} (1971年) を結成するが、ドラッグに溺れたコゾフを救うためフリーの再結成に参加する。しかし、メンバー間の不仲は解消されておらず、すぐにベースのフレイザーが脱退。コゾフのドラッグ癖も悪化したためフリーは危機に陥るが、キーボードに[[ジョン・"ラビット"・バンドリック]]、ベースに[[山内テツ]]を加入させフリー名義のラスト・アルバム『[[ハートブレイカー (フリーのアルバム)|ハートブレイカー]]』を発表し[[1973年]]に解散。 |
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フリー解散後、ロジャースは前述のサイモン・カーク、元[[キング・クリムゾン]]の[[ボズ・バレル]]、元[[モット・ザ・フープル]]の[[ミック・ラルフス]]と共に[[バッド・カンパニー]]を結成する。バッド・カンパニーは、アメリカナイズされた楽曲スタイルで「[[キャント・ゲット・イナフ]]」など世界的ヒットを飛ばし、多くのアルバムが[[プラチナディスク]]を獲得した。しかし、ロジャースは肥大化した活動から落ち着くため[[1982年]]、バッド・カンパニーを脱退。 |
フリー解散後、ロジャースは前述のサイモン・カーク、元[[キング・クリムゾン]]の[[ボズ・バレル]]、元[[モット・ザ・フープル]]の[[ミック・ラルフス]]と共に[[バッド・カンパニー]]を結成する。バッド・カンパニーは、アメリカナイズされた楽曲スタイルで「[[キャント・ゲット・イナフ]]」など世界的ヒットを飛ばし、多くのアルバムが[[プラチナディスク]]を獲得した。しかし、ロジャースは肥大化した活動から落ち着くため[[1982年]]、バッド・カンパニーを脱退。 |
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[[1983年]]、全ての楽器を自身で演奏した初のソロアルバム『[[カット・ルース]]』を発表するが、商業的には失敗に終わる。[[1985年]]には[[レッド・ツェッペリン]]のギタリスト[[ジミー・ペイジ]]らと組んだ[[ザ・ファーム (The Firm)|ザ・ファーム]]がスーパーグループとして話題となったが、期待されたほどの成功を収めることなく、アルバム2枚を残し自然消滅。[[1991年]]、[[フェイセズ]]や[[ザ・フー]]のドラマーだった[[ケニー・ジョーンズ]]らと組み[[ |
[[1983年]]、全ての楽器を自身で演奏した初のソロアルバム『[[カット・ルース]]』を発表するが、商業的には失敗に終わる。[[1985年]]には[[レッド・ツェッペリン]]のギタリスト[[ジミー・ペイジ]]らと組んだ[[ザ・ファーム (The Firm)|ザ・ファーム]]が[[スーパーグループ]]として話題となったが、期待されたほどの成功を収めることなく、アルバム2枚を残し自然消滅。[[1991年]]、[[フェイセズ]]や[[ザ・フー]]のドラマーだった[[ケニー・ジョーンズ]]らと組み[[ロウ (バンド)|ロウ]]を結成するが商業的に失敗し、アルバム1枚を残し解散 (9曲を収録したセカンド・アルバムも存在するが、公式リリースされずお蔵入りとなる)。 |
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[[1993年]]にはソロとして、数々のスーパーギタリストと曲ごとに共演したトリビュート作品『[[マディ・ウォーター・ブルーズ]]』が起死回生のヒット作となり、[[グラミー賞]]にノミネートされた。1990年代中頃にソロで来日公演を行い、[[1997年]]には14年振りとなるオリジナル曲のソロアルバム『ナウ』を発表。 |
[[1993年]]にはソロとして、数々のスーパーギタリストと曲ごとに共演したトリビュート作品『[[マディ・ウォーター・ブルーズ]]』が起死回生のヒット作となり、[[グラミー賞]]にノミネートされた。1990年代中頃にソロで来日公演を行い、[[1997年]]には14年振りとなるオリジナル曲のソロ・アルバム『ナウ』を発表。 |
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[[1998年]]、オリジナルメンバーによるバッド・カンパニーの再結成に参加し、新曲をレコーディングした<ref>{{Cite web |url=http://www.rollingstone.com/music/artists/bad-company/biography |title=Bad Company Biography |publisher=Rolling Stone |accessdate=2016-05-01}}</ref>。[[1999年]]にバッド・カンパニーとして全米ツアーを行うが、後にボズ・バレルとミック・ラルフスがツアーへの不参加を表明、ロジャースは1999年にアルバム『[[エレクトリック (ポール・ロジャースのアルバム)|エレクトリック]]』を発表しソロ活動を再開。[[2002年]]、新メンバーを加えバッド・カンパニーに参加し、全米ツアーを行う。 |
[[1998年]]、オリジナル・メンバーによるバッド・カンパニーの再結成に参加し、新曲をレコーディングした<ref>{{Cite web |url=http://www.rollingstone.com/music/artists/bad-company/biography |title=Bad Company Biography |publisher=Rolling Stone |accessdate=2016-05-01}}</ref>。[[1999年]]にバッド・カンパニーとして全米ツアーを行うが、後にボズ・バレルとミック・ラルフスがツアーへの不参加を表明、ロジャースは1999年にアルバム『[[エレクトリック (ポール・ロジャースのアルバム)|エレクトリック]]』を発表しソロ活動を再開。[[2002年]]、新メンバーを加えバッド・カンパニーに参加し、全米ツアーを行う。 |
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[[2005年]]から[[2009年]]に掛け[[クイーン (バンド)|クイーン]]のメンバー[[ブライアン・メイ]]、[[ロジャー・テイラー]]らと組み[[クイーン+ポール・ロジャース]]の名で世界ツアーを行い、来日・全米公演を行う。[[2006年]]10月からクイーンとスタジオ入りし[[2008年]]、ニューアルバム『[[ザ・コスモス・ロックス]]』を発表するが、ロジャースは活動に終止符を打ちバッド・カンパニーの再始動へ移行した。[[2010年]]10月、バッド・カンパニーとして35年振りとなる日本公演を行う。 |
[[2005年]]から[[2009年]]に掛け[[クイーン (バンド)|クイーン]]のメンバー[[ブライアン・メイ]]、[[ロジャー・テイラー]]らと組み[[クイーン+ポール・ロジャース]]の名で世界ツアーを行い、来日・全米公演を行う。[[2006年]]10月からクイーンとスタジオ入りし[[2008年]]、ニューアルバム『[[ザ・コスモス・ロックス]]』を発表するが、ロジャースは活動に終止符を打ちバッド・カンパニーの再始動へ移行した。[[2010年]]10月、バッド・カンパニーとして35年振りとなる日本公演を行う。 |
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時期により、歌唱スタイルは変化している。[[オーティス・レディング]]がインタビューや楽曲で頻繁に取り上げられ、活動初期の音源では歌唱スタイルの類似が確認できる。非常に強力な声の持ち主であることから、「ザ・ヴォイス」などの異名を持つほどである。 |
時期により、歌唱スタイルは変化している。[[オーティス・レディング]]がインタビューや楽曲で頻繁に取り上げられ、活動初期の音源では歌唱スタイルの類似が確認できる。非常に強力な声の持ち主であることから、「ザ・ヴォイス」などの異名を持つほどである。 |
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他にもインタビューで[[ジョン・リー・フッカー]]や[[エルモア・ジェームス]]、[[ハウリン・ウルフ]]など名を挙げており、[[レイ・チャールズ]]に至っては2010年に英国営放送[[BBC]]で[[ジュールズ・ホーランド]]と共に「[[クライング・タイム]]」を演奏した。フリーのファーストアルバムでは、ハウリン・ウルフの楽曲「[[Goin' Down Slow]]」を取り上げている。いずれからも、ブルースやリズム・アンド・ブルースの影響が伺える。 |
他にもインタビューで[[ジョン・リー・フッカー]]や[[エルモア・ジェームス]]、[[ハウリン・ウルフ]]など名を挙げており、[[レイ・チャールズ]]に至っては2010年に英国営放送[[BBC]]で[[ジュールズ・ホーランド]]と共に「[[クライング・タイム]]」を演奏した。フリーのファースト・アルバムでは、ハウリン・ウルフの楽曲「[[Goin' Down Slow]]」を取り上げている。いずれからも、ブルースやリズム・アンド・ブルースの影響が伺える。 |
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== その他のエピソード == |
== その他のエピソード == |
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* フリーとして初来日した際、「サムライはどこだ」と聞いたという。 |
* フリーとして初来日した際、「サムライはどこだ」と聞いたという。 |
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* 元妻の清水マチは、TBSの刑事ドラマ『[[夜明けの刑事]]』を担当していた[[大映テレビ]]プロデューサー[[野添和子]]の姪で女優野添ひとみの従妹にあたる。1974年秋に私用で夫婦揃って来日した折、野添家に世話になった"お返しに"と、無報酬でドラマの挿入歌「Yoake No Keiji」を日本語で歌った<ref>[[週刊朝日]]、1975年3月21日号36頁</ref>。レコード化はされていないが、[[ニール・ショーン]]をギターに迎えた来日公演で、リクエストに応え歌ったことがある。2010年10月のバッド・カンパニー来日公演では、アコースティックギターの弾き語りでフルコーラスを披露した。 |
* 元妻の清水マチは、TBSの刑事ドラマ『[[夜明けの刑事]]』を担当していた[[大映テレビ]]プロデューサー[[野添和子]]の姪で女優野添ひとみの従妹にあたる。1974年秋に私用で夫婦揃って来日した折、野添家に世話になった"お返しに"と、無報酬でドラマの挿入歌「Yoake No Keiji」を日本語で歌った<ref>[[週刊朝日]]、1975年3月21日号36頁</ref>。レコード化はされていないが、[[ニール・ショーン]]をギターに迎えた来日公演で、リクエストに応え歌ったことがある。2010年10月のバッド・カンパニー来日公演では、アコースティックギターの弾き語りでフルコーラスを披露した。 |
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* 元妻との間にもうけた息子スティーブ、娘ジャスミンは共に[[ボア (ロックバンド)|ボア]]というイギリスのバンドで活動している。ボアの楽曲「DUVET」は、日本のメディアミックス作品[[Serial experiments lain]]のTVアニメーション版主題歌となった。スティーヴは、前述にある2010年のバッド・カンパニー来日公演に帯同した。 |
* 元妻との間にもうけた息子スティーブ、娘ジャスミンは共に[[ボア (ロックバンド)|ボア]]というイギリスのバンドで活動している。ボアの楽曲「DUVET」は、日本のメディアミックス作品『[[Serial experiments lain]]』のTVアニメーション版主題歌となった。スティーヴは、前述にある2010年のバッド・カンパニー来日公演に帯同した。 |
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== 日本公演 == |
== 日本公演 == |
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: 10月18日 [[Zepp Fukuoka]] 20日 [[Zepp Nagoya]] 21日 [[なんばHatch]] 25日 26日 [[東京国際フォーラム]] ホールA |
: 10月18日 [[Zepp Fukuoka]] 20日 [[Zepp Nagoya]] 21日 [[なんばHatch]] 25日 26日 [[東京国際フォーラム]] ホールA |
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=== ソロ・アルバム === |
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* ''Live at Hammersmith Apollo 2009'' (2010年) ※ライブ・アルバム |
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*『ライヴ・アット・モントルー 1994』 - ''Paul Rodgers and Friends: Live at Montreux'' (2011年) ※ライブ・アルバム |
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* ''Free Spirit'' (2018年) ※ライブ・アルバム |
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=== フリー === |
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{{Main article|フリー (バンド)#ディスコグラフィ}} |
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=== バッド・カンパニー === |
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{{Main article|バッド・カンパニーの作品}} |
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*『[[バッド・カンパニー (アルバム)|バッド・カンパニー]]』 - ''Bad Company'' (1974年) |
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*『[[ストレート・シューター]]』 - ''Straight Shooter'' (1975年) |
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*『[[ラン・ウィズ・ザ・パック]]』 - ''Run With the Pack'' (1976年) |
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*『[[バーニン・スカイ]]』 - ''Burnin' Sky'' (1977年) |
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*『[[ディソレーション・エンジェル]]』 - ''Desolation Angels'' (1979年) |
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*『[[ラフ・ダイアモンド]]』 - ''Rough Diamonds'' (1982年) |
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*『ベスト・オブ・バッド・カンパニー』 - ''10 from 6'' (1985年) ※ベスト・アルバム |
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*『[[バッド・カンパニー・アンソロジー]]』 - ''The Original Bad Company Anthology'' (1999年) ※ベスト・アルバム |
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*『[[イン・コンサート2002]]』 - ''In Concert: Merchants Of Cool'' (2002年) ※ライブ・アルバム |
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*『ライヴ・イン・アルバカーキ76』 - ''Live Albuquerque Nm Usa 1976'' (2006年) ※ライブ・アルバム |
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*『ハード・ロック・ライヴ』 - ''Hard Rock Live'' (2010年) ※ライブ・アルバム |
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*『ライヴ・アット・ウェンブリー』 - ''Live at Wembley'' (2011年) ※ライブ・アルバム |
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=== ザ・ファーム === |
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*『[[ザ・ファーム (アルバム)|ザ・ファーム]]』 - ''The Firm'' (1985年) |
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*『[[ミーン・ビジネス]]』 - ''Mean Business'' (1986年) |
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=== ロウ === |
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*『ロウ』 - ''The Law'' (1991年) |
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=== クイーン+ポール・ロジャース === |
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*『[[ザ・コスモス・ロックス]]』 - ''The Cosmos Rocks'' (2008年) |
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*『[[リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ]]』 - ''Return of the Champions'' (2005年) |
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* [http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=204607965 Paul Rodgers 公式myspaceサイト] |
* [http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=204607965 Paul Rodgers 公式myspaceサイト] |
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* [http://www.queenpluspaulrodgers.com Queen + Paul Rodgers 公式サイト] |
* [http://www.queenpluspaulrodgers.com Queen + Paul Rodgers 公式サイト] |
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* [https://wmg.jp/paul-rodgers/ |
* [https://wmg.jp/paul-rodgers/ ワーナーミュージック・ジャパン - ポール・ロジャース] |
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{{バッド・カンパニー}} |
{{バッド・カンパニー}} |
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{{クイーン+ポール・ロジャース}} |
{{クイーン+ポール・ロジャース}} |
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{{Normdaten}} |
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[[Category:イングランドの歌手]] |
[[Category:イングランドの歌手]] |
2019年5月19日 (日) 06:06時点における版
ポール・ロジャース Paul Rodgers | |
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ポール・ロジャース(2005年) | |
基本情報 | |
出生名 | Paul Bernard Rodgers |
生誕 | 1949年12月17日(75歳) |
出身地 | イングランド ミドルズブラ |
ジャンル | ロック、ブルースロック、ハードロック、ブルース、ソウルブルース |
職業 | シンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー |
担当楽器 | 歌、ギター、ピアノ、ベース、ドラム |
活動期間 | 1967年 - 現在 |
レーベル | アトランティック、ビクター、SPV、Velvel |
共同作業者 |
ロードランナーズ フリー ピース[要曖昧さ回避] バッド・カンパニー ザ・ファーム ロウ クイーン+ポール・ロジャース |
公式サイト |
paulrodgers |
ポール・ロジャース (Paul Rodgers、1949年12月17日 - )は、イギリス出身のロック歌手。ロジャースの特徴であるリズム・アンド・ブルースに根差したソウルフルな歌唱スタイルは、後のロック・ボーカリストたちに多大な影響を与えた。
「ローリング ・ ストーン誌の選ぶ史上最も偉大な100人のシンガー」において第55位[1]。
経歴
1949年12月17日、イングランド・ミドルズブラの港町で、7人兄弟の4番目に生まれる。ロードランナーズ (1967年) などのローカルバンドで活動を始めるが、商業的には失敗に終わる。1969年に英国ブルースの巨匠アレクシス・コーナーに見初められ、ポール・コゾフ (ギター) とサイモン・カーク (ドラム)、アンディ・フレイザー (ベース) と共にフリー[2]を結成。フリーはデビュー当時、メンバーが10代だったにも関わらずブルース色が濃く、シンプルなハードロックスタイルで徐々に人気を獲得していく。1970年にシングル「オール・ライト・ナウ」とアルバム『ファイアー・アンド・ウォーター』がヒットするが、アルバムの商業的不振やメンバー間の不仲で初来日公演直後、解散を発表。
フリー解散後、ロジャースはピース[要曖昧さ回避] (1971年) を結成するが、ドラッグに溺れたコゾフを救うためフリーの再結成に参加する。しかし、メンバー間の不仲は解消されておらず、すぐにベースのフレイザーが脱退。コゾフのドラッグ癖も悪化したためフリーは危機に陥るが、キーボードにジョン・"ラビット"・バンドリック、ベースに山内テツを加入させフリー名義のラスト・アルバム『ハートブレイカー』を発表し1973年に解散。
フリー解散後、ロジャースは前述のサイモン・カーク、元キング・クリムゾンのボズ・バレル、元モット・ザ・フープルのミック・ラルフスと共にバッド・カンパニーを結成する。バッド・カンパニーは、アメリカナイズされた楽曲スタイルで「キャント・ゲット・イナフ」など世界的ヒットを飛ばし、多くのアルバムがプラチナディスクを獲得した。しかし、ロジャースは肥大化した活動から落ち着くため1982年、バッド・カンパニーを脱退。
1983年、全ての楽器を自身で演奏した初のソロアルバム『カット・ルース』を発表するが、商業的には失敗に終わる。1985年にはレッド・ツェッペリンのギタリストジミー・ペイジらと組んだザ・ファームがスーパーグループとして話題となったが、期待されたほどの成功を収めることなく、アルバム2枚を残し自然消滅。1991年、フェイセズやザ・フーのドラマーだったケニー・ジョーンズらと組みロウを結成するが商業的に失敗し、アルバム1枚を残し解散 (9曲を収録したセカンド・アルバムも存在するが、公式リリースされずお蔵入りとなる)。
1993年にはソロとして、数々のスーパーギタリストと曲ごとに共演したトリビュート作品『マディ・ウォーター・ブルーズ』が起死回生のヒット作となり、グラミー賞にノミネートされた。1990年代中頃にソロで来日公演を行い、1997年には14年振りとなるオリジナル曲のソロ・アルバム『ナウ』を発表。
1998年、オリジナル・メンバーによるバッド・カンパニーの再結成に参加し、新曲をレコーディングした[3]。1999年にバッド・カンパニーとして全米ツアーを行うが、後にボズ・バレルとミック・ラルフスがツアーへの不参加を表明、ロジャースは1999年にアルバム『エレクトリック』を発表しソロ活動を再開。2002年、新メンバーを加えバッド・カンパニーに参加し、全米ツアーを行う。
2005年から2009年に掛けクイーンのメンバーブライアン・メイ、ロジャー・テイラーらと組みクイーン+ポール・ロジャースの名で世界ツアーを行い、来日・全米公演を行う。2006年10月からクイーンとスタジオ入りし2008年、ニューアルバム『ザ・コスモス・ロックス』を発表するが、ロジャースは活動に終止符を打ちバッド・カンパニーの再始動へ移行した。2010年10月、バッド・カンパニーとして35年振りとなる日本公演を行う。
2014年、オーティス・レディングやアルバート・キングなど、ソウル・ブルースの名曲を60年代に活躍した一流のバックミュージシャンと共に収録した『ザ・ロイアル・セッションズ』を発表。
歌唱スタイル
時期により、歌唱スタイルは変化している。オーティス・レディングがインタビューや楽曲で頻繁に取り上げられ、活動初期の音源では歌唱スタイルの類似が確認できる。非常に強力な声の持ち主であることから、「ザ・ヴォイス」などの異名を持つほどである。
他にもインタビューでジョン・リー・フッカーやエルモア・ジェームス、ハウリン・ウルフなど名を挙げており、レイ・チャールズに至っては2010年に英国営放送BBCでジュールズ・ホーランドと共に「クライング・タイム」を演奏した。フリーのファースト・アルバムでは、ハウリン・ウルフの楽曲「Goin' Down Slow」を取り上げている。いずれからも、ブルースやリズム・アンド・ブルースの影響が伺える。
その他のエピソード
- 初めて購入したレコードはブッカー・T&ザ・MG'sの「レッド・ビーンズ・ライス」であるとインタビューで語っている。
- 幼少期は自宅でラジオが流れており、興味深くチャートを聴いていたとヴィンテージ・ロックのインタビューで語っている。フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリーも耳にしていた。プレスリーが登場した当時、ロジャースの姉はプレスリーに夢中で、ロジャース自身は10代を通しビートルズに夢中だった。ブルースのきっかけはローリング・ストーンズであり、B.B.キングやマディ・ウォーターズを発見し、音楽の深みにはまっていったと語る。後に、自身をオーティス・レディングに見立て歌うようになったと語っている。
- フリーとして初来日した際、「サムライはどこだ」と聞いたという。
- 元妻の清水マチは、TBSの刑事ドラマ『夜明けの刑事』を担当していた大映テレビプロデューサー野添和子の姪で女優野添ひとみの従妹にあたる。1974年秋に私用で夫婦揃って来日した折、野添家に世話になった"お返しに"と、無報酬でドラマの挿入歌「Yoake No Keiji」を日本語で歌った[4]。レコード化はされていないが、ニール・ショーンをギターに迎えた来日公演で、リクエストに応え歌ったことがある。2010年10月のバッド・カンパニー来日公演では、アコースティックギターの弾き語りでフルコーラスを披露した。
- 元妻との間にもうけた息子スティーブ、娘ジャスミンは共にボアというイギリスのバンドで活動している。ボアの楽曲「DUVET」は、日本のメディアミックス作品『Serial experiments lain』のTVアニメーション版主題歌となった。スティーヴは、前述にある2010年のバッド・カンパニー来日公演に帯同した。
日本公演
- 1971年 FREE
- 1972年 FREE (NEW SESSION) with EMERSON, LAKE & PALMER
- 1975年 BAD COMPANY
- 3月3日 日本武道館
- 5月18日 沖縄市民会館 5月24日 CLUB CITTA'
- 2005年 QUEEN + PAUL RODGERS LIVE IN JAPAN
- 10月26日 27日 さいたまスーパーアリーナ 29日 30日 横浜アリーナ
- 11月1日 ナゴヤドーム、3日 福岡ドーム
- 2006年 UDO Music Festival
- 7月22日 泉大津フェニックス 23日 富士スピードウェイ
- 2010年 BAD COMPANY JAPAN TOUR
- 10月18日 Zepp Fukuoka 20日 Zepp Nagoya 21日 なんばHatch 25日 26日 東京国際フォーラム ホールA
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
- 『カット・ルース』 - Cut Loose(1983年)
- 『マディ・ウォーター・ブルーズ』 - Muddy Water Blues:A Tribute to Muddy Waters (1993年) ※トリビュート・アルバム
- 『シングズ・ジミ・ヘンドリックス・ライヴ』 - The Hendrix Set (1993年) ※ライブEP
- 『クロニクル』 - The Cronicle (1994年) ※セルフカバー・アルバム
- 『ポール・ロジャース・ライヴ』 - Live:The Loreley Tapes (1996年) ※ライブ・アルバム
- 『ナウ』 - Now (1997年)
- 『エレクトリック』 - Electric (1999年)
- 『ライヴ・イン・グラスゴー』 - Live In Glasgow (2007年) ※ライブ・アルバム
- Live at Hammersmith Apollo 2009 (2010年) ※ライブ・アルバム
- 『ライヴ・アット・モントルー 1994』 - Paul Rodgers and Friends: Live at Montreux (2011年) ※ライブ・アルバム
- 『ザ・ロイアル・セッションズ』 - The Royal Sessions (2014年)
- Free Spirit (2018年) ※ライブ・アルバム
フリー
バッド・カンパニー
- 『バッド・カンパニー』 - Bad Company (1974年)
- 『ストレート・シューター』 - Straight Shooter (1975年)
- 『ラン・ウィズ・ザ・パック』 - Run With the Pack (1976年)
- 『バーニン・スカイ』 - Burnin' Sky (1977年)
- 『ディソレーション・エンジェル』 - Desolation Angels (1979年)
- 『ラフ・ダイアモンド』 - Rough Diamonds (1982年)
- 『ベスト・オブ・バッド・カンパニー』 - 10 from 6 (1985年) ※ベスト・アルバム
- 『バッド・カンパニー・アンソロジー』 - The Original Bad Company Anthology (1999年) ※ベスト・アルバム
- 『イン・コンサート2002』 - In Concert: Merchants Of Cool (2002年) ※ライブ・アルバム
- 『ライヴ・イン・アルバカーキ76』 - Live Albuquerque Nm Usa 1976 (2006年) ※ライブ・アルバム
- 『ハード・ロック・ライヴ』 - Hard Rock Live (2010年) ※ライブ・アルバム
- 『ライヴ・アット・ウェンブリー』 - Live at Wembley (2011年) ※ライブ・アルバム
ザ・ファーム
ロウ
- 『ロウ』 - The Law (1991年)
クイーン+ポール・ロジャース
- 『ザ・コスモス・ロックス』 - The Cosmos Rocks (2008年)
- 『リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ』 - Return of the Champions (2005年)
脚注
- ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Paul Rodgers”. 2013年5月26日閲覧。
- ^ “FREE official web site”. 2017年3月24日閲覧。
- ^ “Bad Company Biography”. Rolling Stone. 2016年5月1日閲覧。
- ^ 週刊朝日、1975年3月21日号36頁