「バルトロメオ・コレオーニ (軽巡洋艦)」の版間の差分
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|名称 = バルトロメオ・コレオーニ |
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|画像 = COLLONIE before the battle (26767529713).jpg |
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|画像説明 = シドニーから撮影したコレオーニ(1939年7月) |
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|運用者 = {{navy|Kingdom of Italy}} |
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|発注 = 1926年 |
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|進水 = [[1930年]]12月21日 |
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|母港 = ナポリ |
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|種別 = 二等巡洋艦 |
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|クラス = ジュッサーノ型 |
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|速力 = 計画 36.5[[ノット]] |
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|搭載艇 = |
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|搭載機 = 水偵2機 |
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'''バルトロメオ・コレオーニ''' (Bartolomeo Colleoni) は、[[1930年]][[進水]]の[[イタリア海軍]]の[[軽巡洋艦]]。[[アルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽巡洋艦|アルベルト・ディ・ジュッサーノ級]]。 |
'''バルトロメオ・コレオーニ''' (Bartolomeo Colleoni) は、[[1930年]][[進水]]の[[イタリア海軍]]の[[軽巡洋艦]]。[[アルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽巡洋艦|アルベルト・ディ・ジュッサーノ級]]。 |
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2019年2月11日 (月) 15:57時点における版
バルトロメオ・コレオーニ | |
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シドニーから撮影したコレオーニ(1939年7月) | |
基本情報 | |
建造所 | アンサルド、ジェノバ造船所 |
運用者 | イタリア王立海軍 |
艦種 | 二等巡洋艦 |
級名 | ジュッサーノ型 |
母港 | ナポリ |
艦歴 | |
発注 | 1926年 |
起工 | 1928年6月21日 |
進水 | 1930年12月21日 |
就役 | 1932年2月10日 |
最期 | スパダ岬沖海戦で1940年7月19日被雷沈没 |
要目 | |
基準排水量 | 5,110英トン |
常備排水量 | 6,571トン |
満載排水量 | 6,954トン[1] |
全長 | 169.30m |
最大幅 | 15.50m |
吃水 | 5.3m |
ボイラー | ヤーロー-アンサルド水管缶 |
主機 | ベッルッツォ式タービン2基 |
推進 | 2軸 |
出力 | 計画 95,000hp |
速力 | 計画 36.5ノット |
航続距離 | 計画 3,800海里 / 18ノット |
乗員 | 507名うち司令部19名 |
兵装 |
アンサルド1926年式152/53砲 4基8門 OTO/アンサルド100/47砲3基6門 ブレダ1932年式37mm機銃連装4基(竣工時) ブレダM35RM 20mm機銃連装4基(改装後) 533mm連装発射管2基4門 |
装甲 |
機関部舷側 24mm、甲板 20mm ターレット23mm、甲板20mm 司令塔 40mm |
搭載機 | 水偵2機 |
バルトロメオ・コレオーニ (Bartolomeo Colleoni) は、1930年進水のイタリア海軍の軽巡洋艦。アルベルト・ディ・ジュッサーノ級。
艦名の由来
コンドッティエーレのバルトロメーオ・コッレオーニから命名[要出典]。
艦歴
ジェノバのアンサルド社で建造[2]。1928年6月21日起工[2]。1930年12月21日進水[2]。1932年2月10日竣工[2]。
1938年11月に上海へと向かいイタリア東洋艦隊の旗艦を務め、1939年には親善航海を行い、青島、芝罘、秦皇島、大連、神戸、横浜、長崎を訪問している[3]。第二次世界大戦勃発後の1939年10月28日にイタリア本国に戻った[4]。バルトロメオ・コレオーニはジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレとともに第2艦隊の第2戦隊を編成した[4]。
1940年6月10日、シチリア海峡への機雷敷設を行う[4]。7月6日から第2戦隊(バルトロメオ・コレオーニ、ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ)は駆逐艦や水雷艇とともにナポリとカターニアからベンガジへ向かう船団を護衛した[5]。この船団は人員2200名、戦車72両、車両237両や16,000トン以上の燃料および補給物資を運ぶもので、7月8日にベンガジに到着した[6]。この翌日にはカラブリア沖海戦が発生している。
スパダ岬沖海戦
イギリスの小型タンカーの船団がルーマニアからギリシャ水域へと向かっているとの情報に基づき、第2戦隊(バルトロメオ・コレオーニ、ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ)にその攻撃が命じられた[7]。7月17日、第2戦隊はトリポリから出撃した[7]。7月19日、クレタ島西のアンティキティラ海峡からエーゲ海へ入った第2戦隊はイギリスの第2駆逐群(駆逐艦アイレクス、ヒーロー、ヘイスティ、ハイペリオン)と遭遇、戦闘となった(スパダ岬沖海戦)[8]。イギリスの駆逐艦は北東へ向かい、それを追跡するイタリア軽巡洋艦との間で砲火が交わされた[8]。だが、戦場に軽巡洋艦シドニーと駆逐艦ハヴォックが現れ、イタリア軽巡洋艦は南西へと向かい今度はシドニーなどはそれを追撃した[9]。バルトロメオ・コレオーニは被弾して航行不能となり、さらにアイレクスとハイペリオンの雷撃でそれぞれ魚雷1本が命中し、スパダ岬沖で転覆し沈没した[10]。生存者はアイレクス、ハイペリオン、ハヴォックにより救助された[11]。救助された人数は525名とするもの[12][13]と、545名とするもの[14][11]がある。 その内、艦長Novaroなど51名は負傷しており、その後艦長は死亡している[14]。他にギリシャの貨物船に7名が救助されているが、121名が死亡[15]した[14]。
脚注
- ^ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「JapaneseCruisers-p565
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ a b c d Cruisers of World War Two, p.129
- ^ “VITA OPERATIVA DEGLI INCROCIATORI LEGGERI Classe “DI GIUSSANO””. pietrocristini.com. 2019年2月11日閲覧。
- ^ a b c Cruisers of World War Two, p.131
- ^ Struggle for the Middle Sea, p.34
- ^ Struggle for the Middle Sea, pp.34-35
- ^ a b Struggle for the Middle Sea, p.45
- ^ a b Struggle for the Middle Sea, p.46
- ^ Struggle for the Middle Sea, p.47
- ^ Struggle for the Middle Sea, pp.47-48
- ^ a b Struggle for the Middle Sea, p.48
- ^ Chronology of the War at Sea 1939-1945, p.33
- ^ Selected Operations (Mediterranean), p.31
- ^ a b c The Naval War in the Miditerranean, p.85
- ^ The Naval War in the Miditerranean, p.85 では艦長を含むかは不明。Struggle for the Middle Sea, p.48 では死者数に艦長も含める。
参考文献
- M. J. Whitley, Cruisers of World War Two: an International Encyclopedia, Naval Institute Press, 2000, ISBN 1-55750-141-6
- Vincent P. O'Hara, Struggle for the Middle Sea, Naval Institute Press, 2009, ISBN 978-1-59114-648-3
- Jack Greene and Alessandro, The Naval War in the Miditerranean, Chatham Publishing, 1998, ISBN 1-86176-190-2
- Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2