「コタン」の版間の差分
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2018年4月23日 (月) 11:29時点における版
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概要
コタンはアイヌ語で「宅地」をさし、アイヌ民族の生活の本拠地であり、アイヌの社会を形成する最小単位である。
一般に、狩猟や漁撈など採集により生活している民族は、採集に移動の必要があるため一箇所に定住しない。しかしアイヌの場合、採集民族ではあるが魚への依存が強かったため、一箇所に定住し、なおかつ立地もそれによって決められていた(たとえば、サケの産卵地などの河川沿いに一箇所に移住するなど)。コタンは間は大体5 - 7kmほどの間隔で存在していた。
コタンは数軒の家により構成されており、たいていは5戸 - 7戸から成る。10戸以上は例外的な大集落で、20戸を超えるものは場所請負制など、和人による強制移住の結果である。コタンの構成要員は、1つまたは複数のエカシ・イモロと呼ばれる父系の集団の成員であり、その長はコタンコロクル(村を持つ者)と呼ばれていた。
コタンはそれぞれある一定の地域における資源をコタン内で共有する権利を持っており、他のコタンのものが別のコタンの領域を侵すと懲罰に処せられたという。コタンは茅葺の家屋(チセ)、小熊を飼うための檻(ヘペレセッ)、食糧を貯蔵する高床式倉庫(プー)に共同の厠(男用のものがアシンル、女用のものがメノコル)、さらにイナウを捧げる祭壇(ヌサ)で構成されている。また、コタンの附近にはチャシ(砦のようなもの)があることもあった。
それぞれのコタンには名前があり、そのコタン名がのちに和人によって地名とされたケースがまま見られる。北海道や千島列島や樺太の地名の中に「こたん」という言葉が入っている例がそれである(漢字では「古丹」などが当てられている。)。
ただし、阿寒湖温泉街に現在ある「アイヌコタン」は、旧来大コタンが形成されていたのではない。阿寒湖周辺にはアイヌ人の家屋が点在していたが、1959年に、阿寒湖一帯の自然保護活動を行ってきた前田一歩園財団の当時の理事長である前田光子の呼びかけによって、前田が無償提供した土地に阿寒湖周辺のアイヌ人が移住し、コタンが形成されたものである。