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*1907年(明治40年) - [[愛知県]][[岡崎市]]生まれ
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*1928年(昭和3年) - 旧制第八高等学校卒業
*1928年(昭和3年) - [[第八高等学校 (旧制)|旧制第八高等学校]]卒業
*1931年(昭和6年)
*1931年(昭和6年)
**3月 - 東京帝国大学農学部農学科卒業
**3月 - 東京帝国大学農学部農学科卒業
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==参考文献==
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造園雑誌. 社団法人日本造園学会, 1993年11月号ほか
*造園雑誌. 社団法人日本造園学会, 1993年11月号ほか


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木村 三郎(きむら さぶろう、1907年明治40年)3月27日 - 1996年平成8年)6月21日)は、日本内務官僚、造園家。

官庁技師として造園と都市計画行政の実務に携わる一方で東京大学農学部農学科のほか、千葉大学園芸学部東京農業大学農学部造園学科講師を務めている。国土開発調査会常任幹事、財団法人国土計画協会理事長を歴任。晩年は日本庭園研究に関する著述を多く残す。

経歴・人物

  • 1907年(明治40年) - 愛知県岡崎市生まれ
  • 1923年(大正13年) - 愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業[1]
  • 1928年(昭和3年) - 旧制第八高等学校卒業
  • 1931年(昭和6年)
    • 3月 - 東京帝国大学農学部農学科卒業
    • 5月 - 東京帝国大学農学部副手嘱託
  • 1935年(昭和10年)2月 - 退職
  • 1939年(昭和14年)9月 - 内務技師。防空研究所所属
  • 1939年(昭和14年) - 旧満州国交通部都邑計画司技佐
  • 1944年(昭和19年) - 旧満州国建設司技正・都邑計画科長
  • 1947年(昭和22年) - 内務省国土局計画課内務技官
  • 1951年(昭和26年) - 建設省総務局土木専門官
  • 1953年(昭和28年)10月 - 東京大学農学部非常勤講師併任(1967年(昭和42年)まで)
  • 1956年(昭和31年) - 総理府首都圏整備委員会調整官
  • 1957年(昭和37年) - 国土総合建設株式会社取締役
  • 1969年(昭和44年) - 地方及び国土計画に関する一連の研究で日本造園学会賞受賞
  • 1972年(昭和47年) - 第2回日本公園緑地協会北村賞受賞
  • 1993年(平成5年) - 日本造園学会 上原敬二賞受賞

著書

  • 『都市計画講習会講義録. 第1回』 日本都市計画学会, 1957
  • 『農村の建設と運営. 農地篇』農村計画研究会, 石崎書店, 1954
  • 『中国造園史研究の日本的構図』(平成6年度日本造園学会研究発表論文集(12)) 造園雑誌,1994年3月号
  • 『『作庭記』研究の構図』造園雑誌,1993年3月号
  • 『我国農村計画史考』造園雑誌,1992年3月号
  • 『白砂青松考 : その造園史的意義について』(平成3年度日本造園学会研究発表論文集(9)) 造園雑誌,1991年3月号
  • 『富士山考 : その造園史的意義について』造園雑誌,1990年8月号-24
  • 『我国造園新源流考』(平成2年度日本造園学会研究発表論文集(8)) 造園雑誌,1990年3月号
  • 『造園事情の日中韓関係の歴史的系譜と評価』(平成元年度日本造園学会研究発表論文集(7)) 造園雑誌,1989年3月号
  • 『『作庭記』再考を論ず』造園雑誌,1988年8月号
  • 『我国「公園対緑地」論議の再考を問う』(昭和63年度日本造園学会研究発表論文集(6)) 造園雑誌,1988年3月号
  • 『造園事情の日米欧交流の歴史的系譜と評価』造園雑誌,1987年3月号
  • 『植木屋考』(昭和62年度日本造園学会研究発表論文集(5)) 造園雑誌,1987年3月号
  • 『枯山水論の行方』(昭和61年度日本造園学会研究発表論文集(4)) 造園雑誌,1986年3月号
  • 『茶之湯庭苑正流論考』造園雑誌,1986年3月号
  • 『名所と造園その歴史的関連性について』造園雑誌, 1985年3月号
  • 『「園池司」という事』(昭和59年度日本造園学会研究発表論文集2) 造園雑誌, 1984年5月号
  • 『『作庭記』新考 』造園雑誌,1984年3月号
  • 『石立という事』(昭和58年度日本造園学会研究発表論文集(1)) 造園雑誌,1983年3月号
  • 『"庭"と"山水"』造園雑誌,1983年3月号
  • 『"苑"と"園"』造園雑誌,1981年10月号
  • 『都邑計画に関する研究』(昭和32年度春季大会研究発表要旨、横山光雄らと)造園雑誌,1957年8月号
  • 『都市近郊農地潰廃の型態について』(昭和31年度春季大会研究発表要旨、川名俊次らと)造園雑誌,1956年8月号
  • 『近郊農村計画の在り方について : 農業地域制度展開過程の一環として』(昭和30年度春季大会,研究発表論文梗概、川名俊次らと)造園雑誌,1955年9月号
  • 『都市計画に於ける農業地域(第1報)』造園雑誌,1953年8月号
  • 『地方計画に於ける農業地域 : 主として英・米の実例を中心として』造園雑誌,1952年7月号
  • 『英國を主として見た田園都市思想最近の進歩』造園雑誌,1948年12月号
  • 『作庭家に對する呼稱の變遷に就いて(豫報) 』造園雑誌,1936年3月号
  • 『公園統計より見たる都市の公園』造園雑誌,1934年11月号
  • 『国土総合開発と緑地問題』公園緑地,1953
  • 『国土保全と保勝問題』公園緑地,1951年4月号
  • 『前進する首都圏』国土開発,1956年12月号
  • 『国土総合開発の今後に至るもの』国土開発,1956年1月号
  • 『歴史に見る国土開発への道』国土開発,1954年12月号
  • 『都市と「にわ」:Bebauungsplanへの注文』新都市,1981年2月号
  • 『都市と風土:ヨ-ロッパを旅して(海外事情) 』新都市,1977年4月号
  • 『都市と広域:都市の適正な規模と配置序説』新都市,1975年3月号
  • 『都市と緑地空間:都市の内部構造への挑戦』新都市,1975年11月号
  • 『都市と田園:市街化調整区域計画への提言』新都市,1974年11月号
  • 『大規模緑地への途:新しいレクリエーション領域の展開』新都市,1969年11月号
  • 『アメリカに於けるインダストリアルパークの意味するもの』新都市,1961年10月号
  • 『首都圏整備の1年間』新都市,1957年10月号
  • 『首都圏計画の出発点』新都市,1956年10月号
  • 『国土計画及び地方計画から都市を見る眼』新都市,1956年1月号
  • 『九州地方の都市相-上-』(高崎正義と共著)新都市,1954年1月号
  • 『九州地方の都市相-下-』(高崎正義と共著)新都市,1954年2月号
  • 『中部日本の都市相:都市の配置形態と人口増加率』(高崎正義と共著)新都市,1953年4月号
  • 『国土総合開発上より見た都市の立場』[他] 新都市,1952年3月号
  • 『総合開発特定地域の指定』新都市,1952年1月号

脚注

  1. ^ 『岡高同窓会名簿 1986』 愛知県立岡崎高等学校同窓会長、1986年10月1日。

参考文献

  • 造園雑誌. 社団法人日本造園学会, 1993年11月号ほか