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「百鬼夜行絵巻」の版間の差分

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{{Otheruses||[[熊本県]][[八代市]]の松井文庫所蔵の妖怪絵巻|百鬼夜行絵巻 (松井文庫)}}
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[[画像:Hyakki-Yagyo-Emaki Tsukumogami 1.jpg|right|thumb|380px|[[真珠庵]]蔵『百鬼夜行絵巻』(部分) 伝[[土佐光信]](室町時代)]]
'''百鬼夜行絵巻'''(ひゃっき やぎょう えまき)は、日本の[[絵巻物]]の一種である。代表作とされてきたの[[京都市|京都]][[大徳寺]]山内の[[塔頭]]、[[一休宗純]]ゆかりの[[真珠庵]]に所蔵される百鬼夜行図([[重要文化財]]、真珠庵本)である。
'''百鬼夜行絵巻'''(ひゃっきやぎょう えまき)は、[[日本]]の[[絵巻物]]である。多数の作品が現存しており、代表的なは[[京都市|京都]][[大徳寺]]山内の[[塔頭]][[真珠庵]](しんじゅあん)に所蔵される百鬼夜行図([[重要文化財]]。『'''百鬼夜行絵巻'''』'''真珠庵本'''と称される)である。


[[画像:Hyakki-Yagyo-Emaki Tsukumogami 1.jpg|right|thumb|380px|『百鬼夜行絵巻』 作者不詳(室町時代)]]
== 概要 ==
== 概要 ==
百鬼夜行絵巻とは、その名の通り、「[[百鬼夜行]]」のさまを描いた絵巻物の総称である。但し、その名称は、現の研究者等が名付けたものあって、当初よりの名称ではなのため百鬼夜行さまあるし得な場合は、同様の図が描かれた絵巻であったとしても、「妖怪絵巻」名付けられている場合も見受けられる。
百鬼夜行絵巻とは、妖怪たちが行列をする「[[百鬼夜行]]」(ひゃっきやぎょう、ひゃっきやこう)のさまを描いたとされる複数の絵巻物の総称である。[[室町時]]から[[明治]]・[[大正]]年間頃ま数多く制作されおり国内外を問わず多くの機関・個人によって所蔵されている。当初より、数種絵巻が存在してて、れが模写・転写される間に様々なパターンを構成し今日に伝わったものなのではないか考えられている<ref name="tanaka"/>。制作された時代から名称・総称が固されてたわけでなくまったく同様の図が描かれた絵巻であったとしても、「百鬼ノ図」「妖怪絵巻」など別の題名が名付けられている場合も見受けられる。


「百鬼夜行」という言葉が使われているが、『[[今昔物語集]]』などの説話集に見られる[[平安時代]]の人々に恐れられていた[[鬼]]や異形の者が行列をする「百鬼夜行」と、本作品に見られる「百鬼夜行」とされる行列は同一のものではなく、別のイメージであると考えられている<ref name="tanaka">田中貴子 「百鬼夜行絵巻はなおも語る」、『図説百鬼夜行絵巻をよむ』[[河出書房新社]]、1999年 ISBN 978-4-3097-6103-9 17-33頁</ref>。また、作品中に登場する妖怪たちは、器物の妖怪たちが中心となっている点に大きな特徴があるが、百鬼夜行絵巻に描かれるのは、器物だけであるとは限らず、器物以外の[[動物]]や[[植物]]なども描かれており、鳥獣草木器物戯画絵巻という性格から作品を鑑賞することも出来る。
国の内外を問わず、各地に所蔵される絵巻であるが、著名なのは、真珠庵本である。[[室町時代]]の絵巻で、[[土佐光信]]筆と伝承されているが確証はない。そこに描かれるのは、[[付喪神]]と呼ばれる器物の妖怪たちが中心である。


[[近代]]以後、展覧会や書籍などを通じて最もその存在が流布しているのは'''真珠庵本'''である。[[室町時代]]の制作であり、[[土佐派]]の画家・[[土佐光信]](とさ みつのぶ)の筆であると伝承されているが確証はない。
但し、百鬼夜行絵巻に描かれるのは、真珠庵本に見られるような付喪神だけではなく、他の本では、動物の変化した妖怪なども描かれており、当初より、数種の絵巻が存在していて、それが模写・転写されて、今日に伝わっているものと考えられている。


=== 詞書の存在 ===
描かれる妖怪は器物中心であるが、真珠庵本以降の江戸模本には、獣、草木などの妖怪化したものも描かれ、鳥獣草木器物戯画絵巻という性格からも見ることが出来る。
絵巻物に描かれた内容や物語を示す詞書(ことばがき)が付けられていることはほとんどなく、正確な内容は不明である。

詞書を持つ百鬼夜行絵巻は非常に珍しく、わずかながら数点([[ニューヨーク公共図書館]]所蔵作品など)詞書のあるものが確認されている。詞書の内容には、[[治承|治承年間]]([[1177年]]から[[1181年]])の末に[[福原]]に都が移り、持主を失って荒れ果ててしまった屋敷に異形たちが現われた、とある。構成などに異同があるものの、真珠庵系統の絵巻物とほぼ同様の妖怪が描かれている。これらが真珠庵系統の絵巻物の原典となった祖本に元々あったものであるのか、後になってから付け加えられたのかはまだ不明である。<ref name="tanaka" />


== 主な作例 ==
== 主な作例 ==
[[File:Hyakki Yako 1.jpg|thumb|700px|center|百鬼夜行絵巻の例]]
[[File:Hyakki Yako 1.jpg|thumb|777px|百鬼夜行絵巻の例(部分)]]
* [[京都市]]・[[大徳寺]][[真珠庵]]蔵本 - [[室町時代]]、伝[[土佐光信]]画([[重要文化財]])
* 百鬼夜行絵巻(紙本着色百鬼夜行図) [[室町時代]]・伝[[土佐光信]]。[[大徳寺]][[真珠庵]]蔵([[重要文化財]])
* 百鬼夜行絵巻 [[原在中]]。[[大阪市立美術館]]蔵 
* [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ニューヨーク公共図書館]]スペンサー・コレクション蔵本
* 百鬼夜行絵巻 [[田中訥言]][[チェスター・ビーティ図書館]]([[アイルランド]])
* 京都市・[[国際日本文化研究センター]]蔵本(す本) - 江戸時代中期の作。上記のニューヨーク公共図書館本と共に、詞書が付されている。詞書を持つ百鬼夜行絵巻は非常に珍しい。詞書の内容は、[[治承]]の末に[[福原]]に都が移ったため、主を失って荒れ果てた屋敷で起こる異形たちを描く。真珠庵本にはない場面が2つ加えられているが、真珠庵本系の粗本に元々あった場面なのか、後に付け加えられたのかは不明。
* (スペンサー本)スペンサー・コレクション。[[ニューヨーク公共図書館]]([[アメリカ合衆国]])蔵
* 京都市・[[京都市立芸術大学]]蔵本
* [[国際日本文化研究センター]]蔵(す本) - 江戸時代中期の作。
* [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]・[[大倉集古館]]蔵本「百鬼夜行図屏風」 - [[原在中]]作。百鬼夜行図を描いた屏風は珍しい。なお、原在中は同じ題材の絵巻物も描いている([[大阪市立美術館]]蔵)。

* [[姫路市]]・[[兵庫県立歴史博物館]]蔵本

* 東京都[[台東区]]・[[東京国立博物館]]蔵
* 百鬼夜行絵巻 [[東京国立博物館]]蔵
* [[アイルランド]][[チェスター・ビーティ図書館]]蔵
* 百鬼夜行絵巻 江戸時代後期([[18世紀]])。[[京都市立芸術大学]]蔵 - 真珠庵系統とは全く異なる。[[動物]]や[[植物]]なども多く登場する<ref name="tanaka"/>。
* 百鬼夜行絵巻(異本百鬼夜行図) 東京国立博物館蔵 - [[住吉如慶]]が住吉家に伝来した絵巻物を写した写本。器物名の書き込みなどがある<ref name="tanaka"/>。


* 百鬼夜行図屏風 [[原在中]]。百鬼夜行図を描いた[[屏風]](びょうぶ)。[[大倉集古館]]蔵

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
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* [[小松茂美]]解説 「百鬼夜行絵巻の謎」 (<日本絵巻大成25>[[中央公論社]]、[[1979年]])
* [[小松茂美]]解説 「百鬼夜行絵巻の謎」 (<日本絵巻大成25>[[中央公論社]]、[[1979年]])
**『[[能恵]]法師絵詞・[[福富草紙]]・百鬼夜行絵巻』 (新版<続日本の絵巻27>、[[1993年]]) ISBN 978-4-1240-2907-9
**『[[能恵]]法師絵詞・[[福富草紙]]・百鬼夜行絵巻』 (新版<続日本の絵巻27>、[[1993年]]) ISBN 978-4-1240-2907-9

2015年4月17日 (金) 12:15時点における版

真珠庵蔵『百鬼夜行絵巻』(部分) 伝土佐光信(室町時代)

百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょう えまき)は、日本絵巻物である。多数の作品が現存しており、代表的な作品は京都大徳寺山内の塔頭真珠庵(しんじゅあん)に所蔵される『百鬼夜行図』(重要文化財。『百鬼夜行絵巻』、真珠庵本と称される)である。

概要

「百鬼夜行絵巻」とは、妖怪たちが行列をする「百鬼夜行」(ひゃっきやぎょう、ひゃっきやこう)のさまを描いたとされる複数の絵巻物の総称である。室町時代から明治大正年間頃まで数多く制作されており、国内外を問わず多くの機関・個人によって所蔵されている。当初より、数種の絵巻が存在していて、それが模写・転写される間に様々なパターンを構成し、今日に伝わったものなのではないかと考えられている[1]。制作された時代から名称・総称が固定されていたわけではなく、まったく同様の図が描かれた絵巻であったとしても、「百鬼ノ図」「妖怪絵巻」など別の題名が名付けられている場合も見受けられる。

「百鬼夜行」という言葉が使われているが、『今昔物語集』などの説話集に見られる平安時代の人々に恐れられていたや異形の者が行列をする「百鬼夜行」と、本作品に見られる「百鬼夜行」とされる行列は同一のものではなく、別のイメージであると考えられている[1]。また、作品中に登場する妖怪たちは、器物の妖怪たちが中心となっている点に大きな特徴があるが、百鬼夜行絵巻に描かれるのは、器物だけであるとは限らず、器物以外の動物植物なども描かれており、鳥獣草木器物戯画絵巻という性格から作品を鑑賞することも出来る。

近代以後、展覧会や書籍などを通じて最もその存在が流布しているのは真珠庵本である。室町時代の制作であり、土佐派の画家・土佐光信(とさ みつのぶ)の筆であると伝承されているが確証はない。

詞書の存在

絵巻物に描かれた内容や物語を示す詞書(ことばがき)が付けられていることはほとんどなく、正確な内容は不明である。

詞書を持つ百鬼夜行絵巻は非常に珍しく、わずかながら数点(ニューヨーク公共図書館所蔵作品など)詞書のあるものが確認されている。詞書の内容には、治承年間1177年から1181年)の末に福原に都が移り、持主を失って荒れ果ててしまった屋敷に異形たちが現われた、とある。構成などに異同があるものの、真珠庵系統の絵巻物とほぼ同様の妖怪が描かれている。これらが真珠庵系統の絵巻物の原典となった祖本に元々あったものであるのか、後になってから付け加えられたのかはまだ不明である。[1]

主な作例

百鬼夜行絵巻の例(部分)



脚注

  1. ^ a b c d e 田中貴子 「百鬼夜行絵巻はなおも語る」、『図説百鬼夜行絵巻をよむ』河出書房新社、1999年 ISBN 978-4-3097-6103-9 17-33頁

参考文献

関連項目

外部リンク