「日本橋野村ビルディング」の版間の差分
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== 参考文献 == |
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* 建築学会、昭和5年(1930年)7月 『[http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00079427/ISS0000216599_ja.html 建築雑誌 第四四輯 第五三五號]』 |
* 建築学会、昭和5年(1930年)7月 『[http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00079427/ISS0000216599_ja.html 建築雑誌 第四四輯 第五三五號]』 |
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** [http://ci.nii.ac.jp/els/contents?id |
** {{PDFlink|[http://ci.nii.ac.jp/els/contents?id=ART0004818949&type=pdf&host=cinii&lang=jp 日本橋野村ビルディング新築工事概要]}} |
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* 野村建設工業株式会社社史編纂委員会、昭和51年(1976年) 『野村建設工業三十年史』 野村建設工業株式会社 |
* 野村建設工業株式会社社史編纂委員会、昭和51年(1976年) 『野村建設工業三十年史』 野村建設工業株式会社 |
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2014年6月27日 (金) 06:14時点における版
日本橋野村ビルディング | |
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情報 | |
設計者 | 安井武雄 |
施工 | 大林組 |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 | 1,101.81平方メートル(333坪29) m² |
延床面積 | 7,882.78平方メートル(2,384坪54) m² |
高さ | 地盤面より6階パラペット上端まで81.2尺、同7階まで91.8尺、方形屋根軒高93.8尺、エレベーター機械室上端まで103.5尺 |
着工 | 1928年(昭和3年)6月8日 |
竣工 | 1930年(昭和5年)3月15日 |
改築 | 増築 |
所在地 | 東京都中央区日本橋一丁目9番1号 |
座標 | 北緯35度41分1.5秒 東経139度46分32.2秒 / 北緯35.683750度 東経139.775611度 |
日本橋野村ビルディング(にほんばしのむらビルディング)は、東京都中央区日本橋一丁目に所在する建築物である。
沿革
野村財閥の中核として大阪に本店を置いた野村銀行の東京進出の拠点となる建物として計画され、東京府東京市日本橋区通一丁目1番地(現・東京都中央区日本橋一丁目9番1号)の地において、1928年(昭和3年)6月8日起工され、1930年(昭和5年)3月15日竣工した。
第二次世界大戦で日本が敗戦した後の1946年(昭和21年)11月3日、占領軍は本建物およびその別館を接収し、1952年(昭和27年)10月20日の接収解除まで供された[1]。竣工後増築された。
2012年にDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれた。
建築概要
竣工当初の規模構造はそれぞれ、鉄骨鉄筋コンクリート構造の地上7階、地下2階建てで、敷地面積は334.880坪、建築面積は302.008坪、延床面積は2,384.551坪。設計は安井武雄。施工は大林組。
出典
- ^ 『野村建設工業三十年史』 15頁
参考文献
- 建築学会、昭和5年(1930年)7月 『建築雑誌 第四四輯 第五三五號』
- 野村建設工業株式会社社史編纂委員会、昭和51年(1976年) 『野村建設工業三十年史』 野村建設工業株式会社
外部リンク
- 日本橋野村ビル | 東京オフィスビル | 事業紹介 | 野村殖産株式会社 - 野村殖産公式WWW