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*2012年7月場所7日目、十両の[[北はり磨聖也|北磻磨]]-[[旭日松広太|旭日松]]戦で、[[立ち合い]]両者の手つきが不十分のため、[[鏡山 (相撲)|鏡山]]審判部長(元関脇[[多賀竜昇司|多賀竜]])が「立ち合い不成立」を宣言。しかし、これが聞こえなかったのか両者と行司[[木村堅治郎]]が気づかず、そのまま取組を続行。旭日松が北磻磨を[[押し出し (相撲)|押し出し]]に破ったが、取り直しとなった。取り直しの一番は逆に北磻磨が旭日松を[[突き落とし]]に破った。 |
*2012年7月場所7日目、十両の[[北はり磨聖也|北磻磨]]-[[旭日松広太|旭日松]]戦で、[[立ち合い]]両者の手つきが不十分のため、[[鏡山 (相撲)|鏡山]]審判部長(元関脇[[多賀竜昇司|多賀竜]])が「立ち合い不成立」を宣言。しかし、これが聞こえなかったのか両者と行司[[木村堅治郎]]が気づかず、そのまま取組を続行。旭日松が北磻磨を[[押し出し (相撲)|押し出し]]に破ったが、取り直しとなった。取り直しの一番は逆に北磻磨が旭日松を[[突き落とし]]に破った。 |
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*[[2012年]]11月場所9日目、幕内の[[日馬富士公平|日馬富士]]-[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]戦で、豪栄道が西側の白房下に日馬富士を寄って両つま先で俵を伝った際に、東側の赤房下にいた[[湊川|湊川]]審判委員(元小結[[大徹]])が手を上げて、勝負ありを示して取り組みを止めさせた。その後、協議となって実際には日馬富士の足は俵の外には出ておらず、鏡山審判部長は「向正面の審判(湊川審判)が日馬富士の足が出たと勘違いし手を挙げてしまいました。従って、もう1度やり直しという形でやらせていただきます」と場内へ説明を行い、取り組みはもう一度やり直し(取り直し)となった。 |
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==関連項目== |
==関連項目== |
2012年11月19日 (月) 16:44時点における版
取り直し(とりなおし)は、大相撲で行われる取組の再試合のことである。このシステムは昭和初年(1920年代末)に導入された。それ以前は、引き分けか預りとなっていた。
物言いの取り直し
行司が軍配を挙げた後の物言いの協議において同体とみなされた場合、行司の判定如何にかかわらず、再試合となる。同体となった取組で負傷するなどし、両方の力士が続行不可能なときは痛み分け、一方の力士が続行不可能となったときは、同様に痛み分けか、他方の力士の不戦勝となる。近年では十両の取組で、2005年5月場所7日目、琴春日-五城楼(現濱風)で五城楼が負傷し、取り直し後琴春日の不戦勝となった。
取り直しの一番が再びもつれ、再度取り直しとなることも多い。最近では、1988年5月場所初日の前頭7枚目霧島(現陸奥)-同8枚目水戸泉(現錦戸)との対戦で、3回取り直しとなったことがある(3回目の取り直しの末、水戸泉が勝利した)。
水入り後の取り直し
水入りの大相撲になった際、それでも決着がつかないときに審判委員の協議の上二番後取り直しとなることがある。その取組の後に二番しか残っていないときは一番後取り直しとなる。
旭國-魁傑戦は結び前の一番だったため10分後に取り直した。
このとき、取り直しのあとも水が入り、勝負がつかないときには引き分けとなる。
1974年9月場所11日目、前頭6枚目二子岳-同10枚目三重ノ海(現武蔵川)戦で水入りの上、二番後取り直しとなったが、決着がつかず引き分けとなった。この一番以降、40年近く引き分けは出ていない。
1939年1月場所11日目、前頭筆頭磐石-大関鏡岩の対戦は、二番後取り直しになったが、双方が棄権を申し出たために、双方不戦敗の扱いとなった。
現制度以前
現在の取り直しはその日のうちに行われ、それ以前の記録は残らないが、それ以前は星取表に引分または預りの記録をつけたあとで、その場所の別の日に再び対戦させたこともあった。その記憶があったため、1931年5月場所では8日目に大関能代潟と関脇天竜の対戦が水入り後の取り直しでも決着がつかなかったとき、10日目にそれぞれの取組とは別に再戦して結果的に天竜が勝ち、星取表には引分をつけずに8日目の天竜の勝ちとして成績をつけたことがあった。また、1943年5月場所13日目で前頭10枚目青葉山と同17枚目龍王山とが引分になったときも、〈敢闘精神不足〉という理由でいったんは出場停止になったあと、停止がとけた日に再戦させたことがある。このときは、どちらの取組も正規のものとして、星取表に掲載された。
エピソード
- 2012年5月場所6日目、三段目の龍勢旺-大翔虎戦で、行司木村隆之助が軍配を勝負の決まる前に挙げてしまったため取り直しとなった。
- 2012年7月場所7日目、十両の北磻磨-旭日松戦で、立ち合い両者の手つきが不十分のため、鏡山審判部長(元関脇多賀竜)が「立ち合い不成立」を宣言。しかし、これが聞こえなかったのか両者と行司木村堅治郎が気づかず、そのまま取組を続行。旭日松が北磻磨を押し出しに破ったが、取り直しとなった。取り直しの一番は逆に北磻磨が旭日松を突き落としに破った。
- 2012年11月場所9日目、幕内の日馬富士-豪栄道戦で、豪栄道が西側の白房下に日馬富士を寄って両つま先で俵を伝った際に、東側の赤房下にいた湊川審判委員(元小結大徹)が手を上げて、勝負ありを示して取り組みを止めさせた。その後、協議となって実際には日馬富士の足は俵の外には出ておらず、鏡山審判部長は「向正面の審判(湊川審判)が日馬富士の足が出たと勘違いし手を挙げてしまいました。従って、もう1度やり直しという形でやらせていただきます」と場内へ説明を行い、取り組みはもう一度やり直し(取り直し)となった。