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「ノート:九州の役/過去ログ4」の版間の差分

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:::::再度投票することが必要なのであれば投票するための合意を再びいちからやり直す必要があると思います。しかし、何度も同一の事項に関する投票をすること自体、はたして適切なのでしょうか。再投票に賛成も反対もするつもりはありませんが、仮に再度投票を実施なさるのであればよほど慎重な提案・議論・合意を行わなければ、投票のメリットは回数を増すにつれて減少していくと思います。
:::::再度投票することが必要なのであれば投票するための合意を再びいちからやり直す必要があると思います。しかし、何度も同一の事項に関する投票をすること自体、はたして適切なのでしょうか。再投票に賛成も反対もするつもりはありませんが、仮に再度投票を実施なさるのであればよほど慎重な提案・議論・合意を行わなければ、投票のメリットは回数を増すにつれて減少していくと思います。
:::::先日のような誤認が発覚しない限り私からの発言はこれで最後にさせていただこうかと考えています。この投票が皆様をいたずらに疲弊されるような結果にならないことを願っています。--[[利用者:Henares|Henares]] 2012年2月23日 (木) 12:13 (UTC)
:::::先日のような誤認が発覚しない限り私からの発言はこれで最後にさせていただこうかと考えています。この投票が皆様をいたずらに疲弊されるような結果にならないことを願っています。--[[利用者:Henares|Henares]] 2012年2月23日 (木) 12:13 (UTC)

{{コメント}} 征伐が最多票なんだから征伐に改名するのが筋だと思うのですが。何のための投票だったの?投票で解決するって合意はハッキリ書かれていますが。--[[利用者:小判キング|小判キング]] 2012年2月23日 (木) 14:34 (UTC)


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2012年2月23日 (木) 14:34時点における版

過去ログ1

/過去ログ1に保存してあります。内容: 2008年7月18日 (金) 14:54から2009年4月1日 (水) 20:11まで、「九州征伐」から「九州の役」への移動に関する議論。

過去ログ2

/過去ログ2に保存します。小判キング 2010年6月7日 (月) 05:07 (UTC) から プリズム112010年10月31日 (日) 06:38 (UTC) まで。 内容は以下の通り。

1 名称について
1.1 改名の是非
1.2 改名の提案根拠
1.3 今回の改名議論をこのまま進めるか(前回の改名投票の有効・無効を論じるか)
1.4 前回および今回の投票の有効性・無効性について
1.4.1 コメント欄
2 投票の締め切りと改名賛成確認
3 参考投票後の議論について
3.1 改名提案の論点整理
4 九州の役・九州平定・九州国分
4.1 「戦争」=「平定」なのか。それとも、「戦争」≠「平定」なのか
5 改名議論の整理依頼
6 議論の中心を記事内容に遷しては
7 今後の議事進行について。

ただし、2「名称について」は、本文中にもログを残します。--Chokorin 2011年2月11日 (金) 01:25 (UTC)

報告残しておいた重複分(2「名称について」)を削除します。--Chokorin 2011年4月5日 (火) 13:16 (UTC)

過去ログ3

/過去ログ3に保存します。秋田城之介 2010年10月30日 (土) 15:06 (UTC)からWatchdog daemon2011年3月30日 (水) 07:31 (UTC)まで。

  1. 1 「九州征伐」への再改名提案
  2. 2 Wikipedia:記事名の付け方に沿って下さい
  3. 3 調査投票による合意提案

以上です。新規議論参加者は上記の議論に一通り、目を通してください。--秋田城之介 2011年4月27日 (水) 00:49 (UTC)修正--秋田城之介 2011年5月20日 (金) 02:42 (UTC)

そろそろ決着を付けませんか

あらためて「九州征伐」への改名には反対します。理由は3点。

  1. 客観的に「征伐」といえるのか疑問である。
  2. 出典のうえで「九州征伐」に優位性がない。
  3. 記事「九州平定」があれば記事「九州征伐」は不要である。

1.について。これは私が個人的に疑問だというのではなく、たとえば、山川出版社県史シリーズ『宮崎県の歴史』(1999)で大賀郁夫は「豊臣秀吉の九州侵攻」の語を用い、「…このため秀吉は、同年7月島津氏を『逆徒』と決め、…羽柴秀長・秀次の指揮のもとに西国軍勢を派兵して、世にいう『島津征伐』が開始された。」(p.180)と叙述しています。つまり、島津が本当に「逆徒」であるかどうかについては疑義が付されているわけです。池上裕子も、講談社『日本の歴史15 織豊政権と江戸幕府』(2002)のなかで「九州出兵」の語を用い、「…このため秀吉は7月、停戦令に違反した『逆徒』島津の『征伐』令を発して中国勢・四国勢を派遣したが、島津はそれらと戦い、かえって豊後を占領した。」(p.154)とあり、ここでもわざわざカギ括弧が使用されています。

国語辞典によれば、「征伐」とは、以下のように、

  • 「罪のある者や反逆者などを攻め討つこと。征討」(『大辞泉』)
  • 「罪ある者や反逆する者を攻め討つこと。征討。討伐。退治」(『日本国語大辞典』)
  • 「反逆者や悪者を攻め討つこと。征討」(『明鏡国語辞典』)
  • 「攻めて行って反逆者や悪者などを討つこと」(『大辞林』)

という意味であり、したがって、「九州征伐」の語を使用することは、島津を「逆徒」とみなす立場に明瞭に立ってしまうということです。しかし、本当に島津のとった行動は「反逆」を意味するんでしょうか。天下統一の成った後ならば、確かに関ヶ原合戦前の上杉景勝の行動や禁門の変後の長州藩の行動は公儀権力や幕藩体制に対する「反逆」と見なすことは可能であり、「上杉征伐」の語も「長州征伐」の語も客観的に言って間違いではないでしょう。しかし、織豊政権が公儀権力となる以前のこの時点で「征伐」の述語を用いることは、明らかに公正さと正確さを欠くのではないかと考えます。少なくとも、専門家のあいだにそれを使用することに躊躇がある以上、何も無理をしてそのような異議・異論のある語を候補にすえる必要はないのではないかと考えます。それからまた、「両論併記されてさえいれば、記事名は中立的でなくてよいのだ」というふうな議論もありますが、それは議論のすり替えであり、何もわたしは「九州征伐」の語を使用禁止にしようとか、そういう言葉狩りを目的をしようというものではありません。島津側の立場や事情を無視して100パーセント秀吉側に立てば、そりゃ「征伐」ということになるでしょう。論点はむしろ、そういう立場に立って記事をつくっていいのかということであり、そういう立場に立って記事をつくるのであれば島津側の事情や立場も公平に説明できる記事がまた別に必要となるから、本記事の「九州征伐」への改名には反対だということです。「九州征伐令」という秀吉が出した命令に関する記事をつくることにも反対しません。当然のことながら、記事名もまた記事の一部なわけです。

2.については、ほかならぬ秋田城之介さんが調べてくださいました(6月20日)。それによれば、

  • 『戦国史事典』       秋田書店   1980 九州の陣
  • 『日本全史』        講談社    1991 九州平定
  • 『クロニック戦国全史』   講談社    1995 九州征服
  • 『角川新版日本史事典』   角川書店   1997 九州攻め
  • 『岩波日本史事典』     岩波書店   1999 九州平定
  • 『日本歴史大事典』     小学館    2000 九州平定
  • 『日本史事典』       旺文社    2000 九州征討
  • 『日本史小事典』      山川出版   2001 九州攻め
  • 『日本史事典』       平凡社    2001 九州攻め
  • 『詳解日本史用語事典』   三省堂    2003 九州平定
  • 『最新日本史教授資料』   明成社    2003 九州平定
  • 『朝日百科日本の歴史』   朝日新聞社  2005 島津攻め
  • 『豊臣秀吉事典』      新人物往来社 2007 九州平定
  • 『日本中世史事典』     朝倉書店   2008 九州出兵

ということですから、特に「九州征伐」に優位性はありません。

Babi Hijauさん、Tomzoさん、Yasumiさんが6月から7月にかけて掲げられたものを時系列で並べると、

  • 百雲道昭「島津征伐と本願寺光佐」    1974  島津征伐
  • 今井林太郎『国史大辞典』吉川弘文館   1983  九州征伐
  • 毛利亮太郎「九州役の陣立書」      1997  九州役
  • 松本寿三郎『熊本県の歴史』       1999 九州平定、九州仕置
  • 松本寿三郎・吉村豊雄『街道の日本史51 火の国と不知火海』 2005 九州平定
  • 田中仙堂「入門講座 安土・桃山の茶(39)九州平定」2006 九州平定

ということになります。「島津征伐」「九州征伐」は確かにありますが、今から20年以上も前の刊行物です。

10月30日の秋田城之介さんの改名提案では、

  • 図解戦国史     成美堂出版  2009
  • 豊臣秀吉と天下統一 双葉社    2008
  • 豊臣秀吉事典    新人物往来社 2007
  • 大辞林       小学館    2006 
  • 大辞泉       小学館    1998
  • 万有百科大辞典   小学館    1973
  • 豊臣時代史     明治書院   1925

において「九州征伐」が使われているということですが、少なくとも上2つは「信頼できる情報源なのか」という点で疑問があります。下2つは古すぎるでしょう。国語辞典は、「九州征伐」という語がわからない人のために語の意味を説明するものであり、歴史学的な名称として「九州征伐」が適切であるとか一般的であるということを立証するものではないでしょう。『太閤記』とか秀吉を主人公とした講談・芝居などでは「九州征伐」が圧倒的に多いのは当然のことではありますが、ここでは軍記物の説明をしたいのではなく、歴史的事象を説明したいわけです。

一応、わたしなりの文献調査を追加します。まずは県史シリーズ。

  • 梶原良則『福岡県の歴史』山川出版社 1997 「九州への遠征」「九州への侵攻」「秀吉による九州平定」(p.170)
  • 豊田寛三『大分県の歴史』山川出版社 1998 「秀吉の九州平定」(p.180)
  • 宮島敬一『佐賀県の歴史』山川出版社 1998 「豊臣秀吉の九州平定」(p.149)
  • 佐伯弘次『長崎県の歴史』山川出版社 1998 「大友氏救援のため九州に出陣」(p.139)
  • 日隈正守『鹿児島県の歴史』山川出版社 1999 「(秀吉の)九州遠征」(p.151)
  • 大賀郁夫『宮崎県の歴史』山川出版社 1998 「豊臣秀吉の九州侵攻」(p.180)

事典の見出しでは、

  • 『日本重要戦乱事件事典』教育社 1988 「九州征討」
  • 『日本史広辞典』山川出版社 1997 「九州攻め」

通史・学術書では、

  • 熱田公『天下一統』集英社<日本の歴史11>、1992「九州の役」(結果として)「九州平定」
  • 池上裕子『織豊政権と江戸幕府』講談社&lt日本の歴史15>、、2002 「九州出兵」
  • 小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館<戦争の日本史15>、、2006「九州攻め」

以上このなかで、「九州平定」はすでに既存の記事としてあるわけですからそれを除外し、四半世紀以前のものを除外すると、比較優位なのは「九州攻め」であり、他に「九州征討」「九州出兵」「九州の役」が散見される程度です。「九州征伐」はなくはないが、通俗的な読み物にほぼ限定されるというのが現状のようです。

3.について。そもそも「九州征伐」というのは「反逆者を討って九州を平定する」ということが大意としてあるわけですから、「九州平定」に包摂されるのではないかと考えます。「『反逆者』かどうかは別として」という部分を保留にして考えるなら、ほぼ同義でしょう。秋田城之介さんの言葉をお借りするなら、「戦争・事象の両方の意味を持つ」ということでも意味は重なるわけです。であるなら、同じ意味の見出しは2つは要らないわけです。

最後に、「九州の役」についてですが、Yasumiさんの御意見を敷衍させると、たとえば「九州征伐」でも「九州攻め」でもいいのですが、これらを出典にして大幅に加筆修正されたら「九州征伐」「九州攻め」への改名も可能になる、あるいは改名を余儀なくされるということになりますので、これは、はなはだ具合のわるい御意見、あるいは一般化できない極論ではないかと思います。おそらくはWatchdog daemonさんも、このことを懸念されているのではないかと拝察いたします。個人的には、記事名が「九州の役」であることは許容できますが、Yasumiさんの御見解はそれはそれで大いに問題だと考えます。なので、自分としては、総合的に判断して、戦役記事という性格を保持したまま「九州攻め」への改名を提案します。--Chokorin 2011年2月15日 (火) 13:36 (UTC)

自分の名が出ているので、上でコメント。--Watchdog daemon 2011年2月15日 (火) 17:57 (UTC)
まず、Chokorin氏の「客観的に「征伐」といえるのか疑問である」という意見ですが、それは客観ではなくChokorin氏の独自研究的判断ではないでしょうか?中立性を履き違えています。
「出典のうえで「九州征伐」に優位性がない」と言われますが、たしかにそれは「九州平定」に対しては優位性が無いと言えます。しかし、九州の役や九州攻めに比した場合はそういい切れません。
「記事「九州平定」があれば記事「九州征伐」は不要である」という意見に関しては、たしかに統合の余地はありますが、それは現時点(九州の役)でも同じことです。「九州攻め」に関しても、いろんな時代のものを扱う、列挙記事になりうるでしょう。ただし、「「反逆者を討って九州を平定する」ということが大意としてあるわけですから、「九州平定」に包摂される」という意見はChokorin氏の持論にすぎず、根拠足りえません。--秋田城之介 2011年2月16日 (水) 08:00 (UTC)
1点目についてのみコメント。別に独自研究などではなくて、専門家2人の叙述を出典つきで御紹介いたしましたが、読み取られなかったでしょうか。国語辞書にあるように「征伐」とは「反逆者を討つ」という意味なわけですよね。第三者からみて島津が「逆徒」「反逆者」といえるのかどうか。100%「逆徒」「反逆者」で疑問の余地がないのならば、それを討つ行為は、客観的にも「征伐」と言えるでしょうね。しかし、そう決めつけることはできないから、専門家もカギ括弧付きで示しているわけです。御理解いただけますでしょうか? --Chokorin 2011年2月16日 (水) 13:48 (UTC)
カギ括弧付きで示していることが、あえて視点を移した記述であることはわかりますが、そのChokorin氏の見解自体は筆者の意図だと言い切れるのでしょうか?むしろ見解の一つではないでしょうか?あなたがその記述と国語辞典を参照して考えた結果であって、資料の参照にはなっていないのでは?--秋田城之介 2011年2月22日 (火) 04:25 (UTC)
これは読解力の問題だと思うのですね。大賀氏も池上氏もカギ括弧付きで示しているのは「征伐」の部分だけではなくて、「逆徒」の部分もそうなわけです。つまり、「逆徒」と「征伐」はセットなのです。お二人は九州侵攻とか九州出兵という語を使っているとき、カギ括弧を使っていません。明らかに、この事象を「九州征伐」と呼ぶことは疑問であり、その理由も果たして島津は誰がみても「逆徒」なのかということですよね。まあ、実際に文献にあたられるのがよろしいでしょう。お二人のほかにも、同様のことをおっしゃっていた専門家はいたので、御希望とあらば、御紹介いたしましょう。--Chokorin 2011年2月22日 (火) 04:56 (UTC)
ですから、あなたの解釈を一般化されても困るし、征伐という用語が差別的だとする考えが主流化しているような事実もありません。--秋田城之介 2011年3月3日 (木) 03:14 (UTC)
当方は出典にもとづいて事実を紹介しています。それにまた、これは、解釈ではなくて読解力の問題だとも申し上げています。わたしは言葉自体が差別だとかいうようなことは何ら主張してないんですね。「征伐」ということばは「反逆者・逆徒を攻める」という意味なのですから、島津が史実に照らして真に「逆徒」なのか疑問ならば「征伐」ということばは安易には使えないことになります。それ以外の解釈が成り立つのならば、それを貴兄がお示しになればいいだけの話であり、貴兄がそれを具体的に示せない以上、誰が読んでもそう理解できるということじゃありませんか。--Chokorin 2011年3月3日 (木) 03:55 (UTC)
「九州征伐」よりは「九州攻め」の方がましだと思いますが、議論の延長上から私はやはり「九州の役」を推す意見に変わりはありません。
「九州攻め」については「九州平定」「九州征伐」と同じく、「秀吉POV」であり「被攻め側」からのリンクに難がある他、従来からの指摘されてきた問題点が内包されています。下記についてご意見を伺いたいと思います。
  1. 「九州攻め」ならば、より正確に「豊臣秀吉の九州攻め」とならない理由は何ですか?
  2. 「九州攻め」の意味について、原義は「豊臣秀吉が九州を攻めたこと」であり、記事の主題である「豊臣と島津の戦争」の用法は代名詞であると考えますが、いかがお考えでしょうか?
  3. 上記を踏まえて出典を見るに、後者の戦争名を意味した「九州攻め」使い方は稀であって、「九州攻め」の用例の殆どが原義の意味ではないでしょうか?この議論でも、記事名と異なる用例の方が多い候補名に、それを無視して「用例が多い」とは言えないと思います。「九州攻め」よりも「攻め」の用例の方が多いといっても、記事名を「攻め」にしようとは思わないでしょう。
  4. 「具合のわるい御意見・・・、Yasumiさんの御見解はそれはそれで大いに問題」について。私もこの点のみでなく総合的な判断をしているわけですが、その中の一要素として、(あくまでも質的量的な評価を加えた上で)出典の呼び名に習って記事名を付けることは普通のことだと思います。もし、この戦争を「九州征伐」と呼ぶ質量共に「九州の役」以上の出典『九州征伐』があり、それを基幹出典とした記事があるなら、その記事は「九州征伐」と呼ぶに相応しいでしょう。ただし、現状では『九州征伐』という本はないし、基幹出典ともなっていないわけですが。
--Yasumi 2011年2月19日 (土) 01:15 (UTC)
御意見ありがとうございます。Yasumiさんは「四国征伐」からの改名の際、どうして候補を「四国攻め」にされたんですか。「四国攻め」を推進して「九州攻め」に反対する理由についてきちんと説明してください。「秀吉POV」はけしからんという理由での「九州攻め」の否定ならば、「四国攻め」もいけないことになりますね。それ以外については後で御返答いたしましょう。--Chokorin 2011年2月19日 (土) 01:32 (UTC)

(インデント戻す)さて、お二人とも御返答ないようですが、いかがなされましたか。

秋田城之介さん。第一点について、独自研究ではなくて専門家2人の見解である点はお認めになりますか。一方的に「征伐」と断定することができないから、専門家もカギ括弧付きで示しているわけですが、そこのところは理解していただきましたか。理解できるか、理解できないか。答えは2つに1つのはずですので、早いところ、お答えください。

Yasumiさん。「四国征伐」からの改名の際、どうして候補を「四国攻め」にされたんですか。即答できない質問ではないはずです。

それから、お二人とも奇しくも同じことをおっしゃっていますが、「『九州攻め』には賛成できないが『豊臣秀吉の九州攻め』には賛成できる」という意味でしょうか。--Chokorin 2011年2月21日 (月) 11:00 (UTC)

そのほうがマシという程度です。「九州攻め」ではそれこそ列挙記事になります。それでも良いのであれば、「九州平定」を含め、どのように扱っていくかという問題になりますが。--秋田城之介 2011年2月22日 (火) 04:25 (UTC)
ありがとうございます。文献調査の結果からは「九州攻め (豊臣秀吉)」なり「豊臣秀吉の九州攻め」の方が「九州征伐」や「九州の役」よりは、よほど一般的に使用されていると思います。そこで合意がとれるのであれば、わたしもそのセンで検討したいと思います。。--Chokorin 2011年2月22日 (火) 04:56 (UTC) (署名忘れを補筆 --Chokorin 2011年2月22日 (火) 05:06 (UTC)
それでは取り敢えず即答させていただきます。双方の議論はそれぞれ異なった出典状況を背景に優劣が議論されています。
「四国攻め」を推した論旨は概ねノート:四国攻め/Log1#「四国攻め」支持(改名賛成)側の論旨にてまとめられている通りであり、「九州の役」を推す論旨もこちらで縷々述べてきました。
客観的に戦争史を描写した記事である点は一致しており、従ってPOVが減点材料となる点は共通だと思います(四国の議論でも「付言すると、Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名のガイドラインにもある通り、比較的ましではありますが「四国攻め」にも同様の懸念があることは認識しています。・・・--Yasumi 2009年11月12日 (木) 12:05 (UTC)」とコメントさせていただいています)
また、Chokorinさんがどのような論理で優先度をつけているのか不明のため、「豊臣秀吉の九州攻め」より「九州攻め」が優先される論理を問い合わせているのです。
それでは、その他の代名詞の戦争の意味よりも原義の主体の者の行為の意味での用例が多いのではないかという疑問などの問い合わせについても回答下さい。
--Yasumi 2011年2月24日 (木) 21:34 (UTC)
コメント御返答ありがとうございます。懸念があるとはいっても、あなたは「四国征伐」から「四国攻め」への改名を推進した当人なわけです。その際のロジックとしては、Wikipedia:記事名の付け方の5つの指針、
  1. 認知度が高い
  2. 見つけやすい
  3. 曖昧でない
  4. 簡潔
  5. 首尾一貫している
のうちの、1.を理由とされたのですね? POVの話は二の次、三の次であったと思います。であるならば、本件についても1.を中心にすえて議論すべきではないですか。そのあたり一貫していないと思われるのですが、いかがでしょうか。認知度を基準にする場合、「九州の役」というのは残念ながらあまり認知度が高くはないです。『日本戦史』の用語法では「関ヶ原役」「小牧役」というふうに、すべて「役」で統一されていますが、今日ではそれが一般的用法でなくなったのも多い。九州に関しては、熱田公氏が「九州の役」の語を用いているくらいであり、ゼロではないにせよ、それだけでは決して一般的とはいえません。何度も改名提案が出されるのは、そのためではないでしょうか。また、5.からしても「九州攻め」が望ましいでしょう。今後、「九州の役」という用語法が普及したなら、「九州の役」も積極的に支持できるのですが、そうでない限りは、現代、一般的に使用されている語のなかから選ぶべきではないかと思います。いかがでしょうか。最後の一文は、誰が何をどう疑問なのかよくわからないので、もう一度書き直していただけるとありがたいです。Yasumiさんや秋田城之介さんが、<「九州攻め」には合意できないが、「九州攻め (豊臣秀吉)」や「豊臣秀吉の九州攻め」ならば合意できる>ということであれば、個人的にはいろいろ言いたいこともありますが、上に述べたとおり、わたしもそれに同意することは可能です。--Chokorin 2011年2月25日 (金) 22:11 (UTC)
文献調査の追加です。
  • 藤木久志「戦場の奴隷狩り・奴隷売買」『展望日本歴史12』東京堂出版、2001(『中世内乱史研究15』1994所収)「九州攻め」(p.232)
  • 山田邦明『日本の歴史八 戦国の活力』小学館、2008「九州攻め」(p.315)
  • 堀新『日本中世の歴史7 天下統一から鎖国へ』吉川弘文館、2010「九州攻め」(p.92)
折をみてさらに追加報告したいと思います。--Chokorin 2011年2月25日 (金) 22:31 (UTC)(体裁なおし、文献追加)--Chokorin 2011年2月25日 (金) 22:39 (UTC)
コメントもう一点申し上げておきます。これは、むしろ秋田城之介さんに対するものですが、「1.認知度」をもとに「九州の役」から「九州征伐」への改名を提案されるのなら、それに徹していただけませんか。「九州攻め」に関してのみPOVを持ち出して反対というのは、いかがなものかと思います。「九州平定」との絡みについて言えば、本記事の性格全体にかかわることであり、単なる改名提案を超えていると思います。それは、本来的には改名提案ではなく、別の話題として提案すべき議案と考えますが、いかがでしょうか。紀州、中国、四国ふくめ他の戦役記事のすべてにもかかわる問題である以上、プロジェクトやポータルなどで話し合うのが最も適切ではないかと思います。
それからもう一点。文献調査の追加。
  • 1983年・今井林太郎「九州征伐」(吉川弘文館『国史大辞典 第3巻)
ですが、
  • 2005年・今井林太郎「九州攻め」(吉川弘文館『戦国武将・合戦事典』)
というふうに、項目名の転換がみられることを指摘しておきます。--Chokorin 2011年2月25日 (金) 23:49 (UTC)
ノート:四国攻め/Log1#「四国攻め」支持(改名賛成)側の論旨は読まれた上でコメントされていると思いますが、一番優先されているのはArawodasさんの論旨と同じく「記事に使える史学的見地の出典で、なんと呼ばれているか?」であり、記事のことを呼ぶ名前(記事と呼び名の一致)であるのかが論旨では重視されていました。もっとも、投票では総合的な評価が下されたことになるのでしょうけど。
それと、四国の場合は「秀吉と長宗我部の戦争」を主題として研究した単著はなく、いくつかの出典から戦争部分の記述が出典となって記事が構成されていたことが、今回とはちょっと違うのではないかと思います。
それらを踏まえて、代名詞と原義の用例について何度も問いかけている質問に答えて欲しいのです。Chokorinさんは記事も書かれるし出典も読まれる方です、例えば根拠にされた、小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館2006年に於いて、「九州攻め」という呼び名が本当に「豊臣と島津の戦争」の呼称として使われているのでしょうか?それとも「豊臣秀吉が九州を攻めた事(or行為、or時)」を表しているのでしょうか?下記に抜き出してみました。
(戦争呼称の「豊臣島津戦争」へ置き換え可=A、 主体者側の行為である「(秀吉の)島津攻撃」へ置き換え可=B、 どちらへも置き換え可=C)
C p187-09節題「2 九州停戦令と九州攻め」
B p199-10「いよいよ、秀吉の九州攻めの年を迎えるわけであるが、」
B p200-14「秀吉は年賀祝儀の席で、九州攻めの部署を諸大名に伝え、
C p202-01図名「51-九州攻め関係略図」
C p206-04小題「豊臣政権にとっての九州攻め」
C p210-13「なお、秀吉が九州攻め後、」
C p215-01「また、九州攻めによって島津義久を屈服させたことによって、」
B p215-07「ところが、秀吉は、九州攻めの前に、」
B p216-09「つまり、秀吉は、九州攻めの前に、」
B p218-08「秀吉自身、九州攻めに出陣しなければならない状況が近づいているとき、」
C p221-05「ちょうど、天正十五年が九州攻めと重なったというのが最大の理由であるが、」
C p235-07「特に、九州攻め後の秀吉権力の強大化を」
B p237-01「秀吉による九州攻め後は、」
以上、多少は個人誤差で評価にブレは有り得るでしょうが、前後イベントのためのタイミング表記の場合はどちらとも言えず、主体者の行動を表現する場合には原義の用例となっています。
「九州攻め」より「攻め」の用例が多いでしょうけど、「豊臣と島津の戦争」を意味しない用例が多い訳ですから、頻度のみで「攻め」は優先されません。「豊臣と島津の戦争」を意味しない「四国攻め」の用例頻度も高いわけです。さて、今まで提出された「四国攻め」の用例は果たして「豊臣と島津の戦争」の用例なのでしょうか?
一方、「九州の役」の用例のおそらく100%は記事と一致する「豊臣と島津の戦争」の意味で使われています。
ご質問の趣旨は理解されたと思いますので、もう一度提示済みの「九州攻め」の用例が「豊臣と島津の戦争」の意味で使われているのか?ご確認願います。
追記、堀新『日本中世の歴史7 天下統一から鎖国へ』吉川弘文館2010年のp92の「九州攻め」も確認しましたが、「天皇の元を離れる事もあった」の例として提示されている個所であり、秀吉本人の京都不在のタイミング、つまり前年から始まっている「豊臣と島津の戦争」の意味ではなく「秀吉が九州へ攻め入った時」の意味で使われているようです。
この記事は何であるのか?なんと呼ばれているのか?我々は繰り返される程に評価される流行語を選んでいるわけではありません。もう一度、議論は対象を正しく捉えているものか、考えてみるべきではないでしょうか?
--Yasumi 2011年2月27日 (日) 19:53 (UTC)
要するに「四国攻め」には妥協できるが、Yasumiさんの史学的見地からすれば「九州攻め」には妥協できないということでしょうか。--Chokorin 2011年2月27日 (日) 22:32 (UTC)

(インデント戻す)若干、文献調査の結果を追加しておきます。

  • 池亨『日本の時代史13 天下統一と朝鮮侵略』吉川弘文館 2003 「九州征服」(p.62-63)
  • 谷口克広『検証本能寺の変』吉川弘文館 2007 「九州攻め」(p.236)--Chokorin 2011年3月6日 (日) 02:23 (UTC)
ここで「要するに」と結論部分だけ見て欲しくありませんが、記事を構成する史学的出典状況と優先論理によって候補の中から「四国征伐」よりは「四国攻め」の方が優先され、更に「四国攻め」より「九州の役」が優先されると判断しております。
当方は答えたので、そろそろ回答願いたいのですが、Chokorinさんの出された「四国攻め」の用例のうち、実際に記事と同じ戦争呼称として使われているのはどれですか?評価方法は色々あると思いますが、例えば私が検証したように用例をそれぞれ「豊臣島津戦争」と「(秀吉の)島津攻撃」に置き換えて読み直して見た結果、戦争呼称として使われている率がどれほどか考えていただきたいです。「九州攻め」の代名詞ゆえの劣点がここにあるのです。--Yasumi 2011年3月6日 (日) 21:38 (UTC)
「四国の場合は『秀吉と長宗我部の戦争』を主題として研究した単著はなく、いくつかの出典から戦争部分の記述が出典となって記事が構成されていたことが、今回とはちょっと違うのではないかと思います」とおっしゃいましたが、本記事の場合も、後半部分「いくつかの出典から戦争部分の記述が出典となって記事が構成されている」という点はまったく同じではないでしょうか。何も「史学的見地」というような大層なものを持ち出さなくても、「攻撃」と「戦争」はほぼ同じ意味であり、史実に即せば「豊臣島津戦争」と「(秀吉の)島津攻撃」は同じことです。Yasumiさん御自身が「どちらへも置き換え可=C」なるものを示している、示すことができるということは、とりもなおさず、「豊臣島津戦争」と「(秀吉の)島津攻撃」が同義で使われていることの証しです。Yasumiさんのおっしゃっる「『九州攻め』の代名詞ゆえの劣点」ですが、「豊臣島津戦争」=「(秀吉の)島津攻撃」ととらえれば、何ら「劣点」と呼べるほどの欠点が存在するわけではありません。「豊臣島津戦争」を歴史的に説明すれば「(秀吉の)島津攻撃」ということですから、その意味からはむしろたいへん「わかりやすい」わけです。そしてまた、仮に「九州攻め」の語に「劣点」なるものがあって「九州の役」に何らかの優位性があるとしても、実際の日本史学者は必ずしもそこを重視していないのが現状です。現に、現代の日本史学者で「九州の役」という言葉を用いているのは熱田公氏くらいのもので、藤木久志氏、小和田哲男氏、堀新氏、山田邦明氏、2005年以降は(「九州征伐」の見出しを採用していた)今井林太郎氏も「九州攻め」の語を用いています。「『九州攻め』より『攻め』の用例が多いでしょう」ということですが、わたしは別に「攻め」への改名を提案したつもりはないので「攻め」と「九州攻め」を比較するのはナンセンスというものです。比較するのならば、「九州の役」と「九州攻め」のどちらが現代の日本史学者にとって一般的に使用されているかということでなくては意味がありません。そこのところは残念ながら、問題のすり替え、屁理屈になってしまっていると思います。「『九州の役』がおそらく100%『豊臣と島津の戦争』の意味だろう」というのは、もしかしたらそうなのかもしれませんが、そもそも「九州の役」は用例そのもののの分母が小さいわけです。一般的な認知度の高さ、用例の多さは一切無視してYasumiさんの掲げるロジックを推し進めれば、たとえば、「豊臣・島津戦争」というふうに書いている書籍1冊あれば、それをもとに記事名を「豊臣・島津戦争」にすればいいわけです。それならば、分母1に対して分子1、すなわち「1分の1」ですから完全に100%、名称もそのものズバリで「九州の役」などよりも遙かに良いということになります。
さて、それぞれ自分がベストと思うところがおありなのでしょうが、この件については他者を圧するほどに定まった用法はないということが、そもそもの前提になるのではないかと思います。この場合、求められるのは、自分にとって次善の策であっても許容できるものについては妥協するという姿勢ではないでしょうか。それぞれ一長一短あるからこそ表記揺れがあるのだというふうに割り切った方がよいと思います。現状は、「九州平定」への改名提案が閉じられないうちに「九州征伐」への改名提案が出されているわけで、おたがい譲らず平行線をたどっています。ここにおいてわたしは、何が何でも自説にこだわろうというつもりはありません。一応は、双方の合意が得られるかもしれないと考えて「九州攻め」を提案したつもりです。秋田城之介さんが、「九州の役」と「九州攻め」とをくらべて「九州の役」の方がまだましである、「九州の役」に対しては妥協できるということであれば、わたしもそれにしたがいます。秋田城之介さんが逆に「九州攻め」ならギリギリ妥協できるというのであればYasumiさんも「九州攻め」に妥協していただきたいと思います。もはや自説にこだわる時期はとうに過ぎていると思うのです。今後は、Yasumiさんも秋田城之介さんも合意形成最優先でいきませんか。言い換えれば、自分にとってのベストを追求するんじゃなく、他者の意向も勘案してのモア・ベターをさぐっていきませんか。いかがでしょうか。他のみなさんの御意見もうかがいたいと思います。--Chokorin 2011年3月9日 (水) 21:20 (UTC)(微修正)--Chokorin 2011年3月10日 (木) 02:40 (UTC)
ですから、私は記事を取り巻く環境からベターな名称として「九州の役」>「九州攻め」>「九州征伐」と考えています。現状より改悪する事を妥協と呼べましょうか?
それと、まだお返事がいただけませんが、「九州攻め」の用例の半分以上は代名詞として戦争名称を意味しておらず、原義の秀吉の行為の意味で使われていることは御同意いただけたのでしょうか?これはWikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名のガイドラインの精神に通じる問題点と思われます。--Yasumi 2011年3月13日 (日) 21:03 (UTC)
コメント 簡潔にコメントします。まず、「九州攻め」では妥協できませんね。どの「九州攻め」なのかわからない。私が容認できるのは「九州征伐」「豊臣秀吉の九州攻め」「九州平定への統合」といったあたりです。--秋田城之介 2011年3月14日 (月) 04:33 (UTC)
コメントおふたりともコメントありがとうございます。まず、Yasumiさんに対してですが、「豊臣島津戦争」と「秀吉の島津攻撃」は同じことじゃありませんか。「日本と元の戦争」を「元寇」というのと同じだと思うんですが、どうでしょう。「攻め」は相手があってできることであり、その相手が島津であれば「豊臣島津戦争」でしょう。これが「九州征伐」ないし「九州平定」だったら、確かに意味として重複しない部分もあります。「平定」は「戦争」とは必ずしもイコールで結ばれませんし、「征伐」だったら「反逆者」ないし「悪者」を攻めるという、より限定的な意味が加わります。しかし、歴史事象において「攻め」といった場合、少なくともスポーツやゲームでの攻撃ではなくて軍事的な攻撃であることは明らかなんじゃないでしょうか。「攻め」に対して応戦したり防戦したり(降伏したり)すれば「戦争」なわけです。この記事は、小和田哲男「九州停戦令と九州攻め」『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』(2006)および小和田哲男「秀吉の九州攻めと北九州の城」『名城と合戦の日本史』(2007)によって加筆されていますが、特にそのことによって問題は生じていません。つまりは双方置き換え可能な範囲での話です。Yasumiさんが主張されている「戦役記事」「戦争記事」としての性格も、何ら損なわれるわけではありません。そして、「九州攻め」の用語が単に「豊臣島津戦争」ではないこと、すなわち、島津が大坂に攻めのぼったのではなく、秀吉による九州侵攻戦であることを説明していることを勘案すれば、Yasumiさんが「劣点」と決めつけて断罪した点は、必ずしも100パーセント「劣点」なのではなく、見方をかえれば、そのことによるメリット(たとえば、「わかりやすさ」)があるとも言えるでしょう。そのことが理由かどうかはわかりませんが、結果としては、少なからざる日本史研究者がこんにちYasumiさんのおっしゃる「豊臣島津戦争」の意味で「九州攻め」を用いているわけです。さらに申せば、Yasumiさんのこの御見解にしたがえば、この記事は分量の過半が「九州攻め」を出典にして書かれていますので、Yasumiさんの御見解によれば、むしろ名称は「九州攻め」でなくてはならないということになります。
秋田城之介さんに対しては、まずは柔軟な姿勢をお示しくださったことに感謝します。念のためうかがいたいのですが、「九州攻め」に妥協できない理由として掲げられるのは「どの『九州攻め』なのかわからない」という点だけなのでしょうか。もし、それだけならば「九州征伐」の場合も「どの『九州征伐』なのかわからない」という点では同じではないかと思います。秋田城之介さんは、かつて源範頼と足利尊氏の例を掲げられましたが、足利尊氏の九州下向は京都の確保に失敗したから九州にわたったのであって、決して「九州攻め」と呼べるようなものではありません。少なくとも私は多々良浜の戦いなどの一連の戦いを「九州攻め」と称するケースを知りません。もし、そういう例があったとしたら出典つきでお示しください。範頼の場合も「九州攻め」と呼ぶ例を私は知りません。私が知らないだけかもしれませんが、仮にそうだとしても、節を設けて源範頼#九州征伐にリダイレクトするか、「曖昧さ回避」のテンプレートを貼ればいいだけのことで、単純な工夫で秋田城之介さんの御懸念は解消できると思います。これは、5条件中の「3.簡潔」と「4.曖昧でない」のどちらをとるかという話でもあるので、「簡潔」さを犠牲にしても「曖昧でない」ことを重視するという意見が多数を占めるなら、あるいは、「九州攻め」には同意できないが「九州攻め (豊臣秀吉)」には同意できるということであれば、自分としても、それにしたがう用意はあります。
さて、おふたりのコメントをお伺いしたわけですが、今後、おふたりだけで話し合って合意に達することができそうでしょうか。秋田城之介さんは「九州の役」に対して合意できますか。Yasumiさんは「九州征伐」「豊臣秀吉の九州攻め」「九州平定への統合」のなかで歩み寄れるとしたら、どの候補でしょうか。--Chokorin 2011年3月15日 (火) 14:57 (UTC)(微修正)--Chokorin 2011年3月15日 (火) 15:17 (UTC)
議論の拡散につながりかねない部分があったので、そこの部分はコメントアウトしておきます。--Chokorin 2011年3月17日 (木) 21:27 (UTC)
私は単に記事中の引用回数が多い出典における呼び名を優先するとは言っていません。それでは、編集の過程次第でくるくる改名してしまうでしょう。「九州攻め」を使っている出典は『九州の役』以上に本テーマを扱ったボリュームのある本なのですか?
また「島津攻撃」=「九州の役(豊臣と島津の戦争」ですか?私は違うと思いますが、次の例文が成立するかお答え下さい。「島津攻撃に於いて、島津軍は戸次川で豊臣軍を大破し、大友領の奥深くまで侵攻した」
意見の対立は仕方がありませんが、建設的に提案した解決方法の投票が合意に至っていないのは残念です。この議論をどのように解決するのか?提案者には解決に向けた、建設的な整理をお願いしたいです。--Yasumi 2011年3月27日 (日) 10:58 (UTC)
ボリューム?質は?ボリュームがあればそれでいいの?どっちにしても「最大」の出典はどこにいったの?--Watchdog daemon 2011年3月30日 (水) 08:38 (UTC)
「『九州攻め』を使っている出典は『九州の役』以上に本テーマを扱ったボリュームのある本か」という点についてですが、それは正直よくわかりません。ただ、「軍事機関が軍事目的で編んだ戦史」よりも「日本史学者が学術目的ないし教育目的で著した著作物」を優先すべきと考えます。ウィキペディアのめざすところは百科事典であり、この記事に求められているのは学術的な正確さであり、豊かさなのではないかと考えます。軍事機関の編んだ戦史は、そもそも厳密な史料批判を経ていないことが充分に考えられますし、内容の正確さがそれほど求められているわけではありません。Yasumiさんは「ボリュームのある本の存在」をあたかも決定的なことのようにお考えのようですが、私自身はそれほど重視しませんし、重視する理由がそれほどあるようには思えません。また、「記事のつけ方」の5基準にそれが含まれているわけでもありません。仮に重視するにしても、Yasumiさんが以前おっしゃった「史学的出典状況」のなかの「史学」に含めてよいかどうかについては、たいへん疑問を感じます。
もっとも、現代の日本史学者の多くが「九州の役」の名称を幅広く継承し、一般的にも使用されて「認知度が高い」というのであれば、これは話が別ですが、現状はそうなっていません。Yasumiさんの理想とするところが理解できないわけではありませんが、Yasumiさんがいくら頑張って「九州攻め」の「劣点」なるものを指摘したところで、山川出版社や吉川弘文館の歴史事典の戦役記事の見出しとして多く使われているのは「九州攻め」であり、当代一流と目される日本史学者の多くも九州戦役の意味で「九州攻め」「九州出兵」その他を用いています。それに対し、「九州の役」の使用は皆無でないにしてもきわめて限定的で、全体からすればきわめてマイナーな状態にとどまっています。現状がこうなのですから、仕方ないのではないでしょうか。メジャーになるまで待つよりほかないと思うのですが、どうでしょうか。個人的には、「九州の役」は決して不適切な用語だとは思いませんし、今まで何度も申し上げてきたように、みなさんがそれで納得しているのならば、わたしもそれにしたがいます。しかし、残念ながら「九州の役」の認知度は低く、その名称で納得できない人が次々にあらわれているわけです。いいかげん改名議論にとりあえずの決着をつけ、記事の充実に力を注ぐべき時期なのではないでしょうか。--Chokorin 2011年3月29日 (火) 00:21 (UTC)
報告改名提案を取り下げることにしました。改名提案をしておきながら「いいかげん改名議論にとりあえずの決着をつけよう」というのも筋の通らない話ですので。--Chokorin 2011年3月29日 (火) 22:13 (UTC)

報告本件とも関連するものですが、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Yasumiが提出されました。--Watchdog daemon 2011年3月30日 (水) 09:49 (UTC)

記事名称について

Yasumiさんと秋田城之介さんのお二人で結論を出すのはなかなか困難のようです。わたしも、わたしを含めて3人のなかで合意が形成されないか働きかけたつもりですが、その調整も不調に終わりました。現状では、小判キングさんの「九州平定」への改名提案が閉じられないまま「九州征伐」への改名提案が出されている状況です。

そこで、3人も含めそれ以外の多くの皆様のコメントを広く求めたいと思います。まず、今まで出てきた案としては、

  • 「九州の役」(現状通り)
  • 「九州征伐」
  • 「九州攻め」
  • 「豊臣秀吉の九州攻め」
  • 九州平定」への統合

の5通りあります。

一方、織豊政権の天下統一戦争の名称としては、現状では「中国攻め」「紀州征伐」「四国攻め」「九州の役」「小田原の役」となっていてバラバラの状態です。これについて、バラバラでも構わないという意見もあります。たとえば、この指摘などは、それを支えるものでしょう。いっぽう、この意見では、「見込みは薄いですが」と前置きされながらも用語不統一の解消が提案されており、わたしは、たいへん傾聴すべき御意見だと思っています。これについては、バラバラでいいし、それぞれ個別に論じてよいという意見もありうるでしょうが、「~征伐」「~の役」「~攻め」「~平定」、極端な話とにかく何でもよいから統一性を図るべきだという意見もあろうかと思います。

これに関連しては、「用語の不統一」以上に「用語選びの基準の不統一」の方がむしろ問題かもしれません。記事名が仮にバラバラであったとしても、記事名の採用基準、採用する際の視点がそれなりに一貫しているのならば納得できます。しかし、実際はそうなっていません。

Wikipedia:記事名の付け方では、

  • 認知度が高い
  • 見つけやすい
  • 曖昧でない
  • 簡潔
  • 首尾一貫している

の5つの視点が掲げられています。5視点のなかのどれを優先させるのか。たとえば、「豊臣秀吉の九州攻め」と「九州攻め」を比べるなら、前者は「曖昧でない」という点では後者より優位性がありますが、「簡潔」という点では劣ります。他の候補もそれぞれ一長一短あると思いますが、このあたりをどう考えるか。また、5視点以外の別の要素も考慮するのか。5視点以外の要素としては、今まで「中立性」の問題、「用語の原義と実際の用法」の問題などが指摘され、議論されてきました。あるいは「出典」との関係も論じられてきました。それぞれ、どれをどの程度重んじるのか。これは、人により大きく異なる部分だと思いますし、多くの意見を伺い、そのなかで合意形成できないか考えたいところです。

以上について、改名議論からすれば少し回り道になるかもしれませんが、コメントをお願いします。まとめると、

  1. 中国、紀州、四国、九州、小田原における用語不統一(「~の役」、「~征伐」、「~攻め」)は解消すべきかどうか。
  2. (不統一を解消すべきという御意見の場合)統一していく際の基準をどこに置くべきか。あるいは(統一・不統一にかかわらず)、記事名の付け方として、重視されるべき視点は何か。
  3. 冒頭に掲げた「九州の役」以下5候補のうち、どれを最も推すか、許容できるのはどれで許容できないのはどれか。あるいは、2~3候補にしぼるとしたら何をのこすべきか。

の3点です。--Chokorin 2011年3月30日 (水) 20:49 (UTC)

報告本件についてWikipedia:コメント依頼を提出しました。分類は「合意形成のためのコメント」です。コメントは以下の「コメント欄」にお寄せください。--Chokorin 2011年3月30日 (水) 22:07 (UTC)

コメント欄

コメント1.については、基本的には用語不統一を解消すべきと考えます。自分としては、やはり、この御意見を重くとらえたいです。「バラバラでよい」という前提に立つ限り、この議論は果てしなく続くのではないかと思います。辞書・事典の類も、どの用語を採用するかはともかくとして、そのなかでは統一が図られています。それにまた、表記の揺れはリダイレクトでカバーできます。ただ、それに先だってこれら一連の記事の性格を統一していくべきと考えます。現状ではいずれも戦役記事で統一されていますが、個人的には現状通りでよいと思います。

2.については、基本的に5視点を重視すべきであり、「首尾一貫している」の視点からも用語は統一されるべきです。5視点のなかでは「認知度が高い」を優先すべきと考えますが、日本史学者のかかわるもので、しかも最近のものを重視すべきと考えます。その方が読者にとって違和感がないですし、また、執筆者にとっても不便さがないと思います。個人的には、この御意見が至極妥当と考えます。

3.については、2.を踏まえれば「平定」で統一するか「攻め」で統一するのが穏当だと思います。ただ、「平定」とした場合は、戦役記事としての性格は損なわれてしまいますので、別の議論が必要になってくると思います。--Chokorin 2011年3月31日 (木) 21:39 (UTC)

(追記)さて、いかがでしょうか。3.はともかくとして、1.と2.については大まかであれコンセンサス形成にむけて前進したいところです。コメントがないということは、わたしの申し上げたことに異論はないということなのでしょうか? --Chokorin 2011年4月4日 (月) 21:32 (UTC)(微修正)--Chokorin 2011年4月4日 (月) 22:05 (UTC)

コメント おじゃまいたします。私は、無理に用語の統一を図る必要はないと思います。また、紀州征伐のノートでも出ていましたが、古い資料だからといって無条件で軽視するわけにはいかないと思うので、そういった意味ではChokorinさんの意見には反対せざるをえません。無理が無い程度に用語が統一されるのが理想ですが、難しい匙加減といえるでしょう。もしかしたら既に出ている意見かもしれませんが、このページの定義通りに「豊臣秀吉による九州平定戦」という項目名では合意が取れないでしょうか?『この項目では、豊臣秀吉による九州平定戦について説明しています。』という冒頭の書き出しに異論が出ていないのであれば、それほど悪くないと思います。--貫鉄 2011年4月5日 (火) 05:57 (UTC)

コメントコメントありがとうございます。「豊臣秀吉の九州平定」については以前私がそれで合意がとれないか、Yasumiさんと薔薇騎士団さんにはたらきかけたことがありますが、その提案は双方から拒絶されました。詳細はノート:九州の役/過去ログ2を御覧ください。--Chokorin 2011年4月5日 (火) 13:26 (UTC)
(追記)貫鉄さんの「古い資料だからといって無条件で軽視するわけにはいかない」というのは、確かに古い資料しかない場合には正論ですので、「用語転換が認められる場合には転換する以前の用語ではなく新しい用語を採用する」ということに変更してもよいかもしれません。「無理が無い程度に用語が統一される」ということについては、異論ありません。--Chokorin 2011年4月9日 (土) 06:22 (UTC)
統一記事名や命名の統一ルールを作ろうという話題は過去に何度か浮かんでいるようですが、いずれにしろこの御提案は適用範囲や内容からいって一記事のノートで決める話ではなく、例えばPortal‐ノート:歴史プロジェクト‐ノート:歴史プロジェクト‐ノート:日本史プロジェクト‐ノート:日本の戦国時代プロジェクト‐ノート:軍事史などの上位のポータル・プロジェクトへ持ち込むべき範疇の問題提起だと思います。
なお、「織豊政権の天下統一戦争の名称として」抽出されてたのが「「中国攻め」「紀州征伐」「四国攻め」「九州の役」「小田原の役」に限られているのが良く分かりません。豊臣政権であれば対明智戦で「山崎の戦い」、対柴田戦で「賤ヶ岳の戦い」、対織田・徳川戦で「小牧・長久手の戦い」、対佐々戦で「富山の役」がありますし、政権単位であれば対明・朝鮮戦で「文禄・慶長の役」、徳川派対毛利戦で「関ヶ原の戦い」、対徳川戦で「大坂の陣」あたりまでが豊臣政権の戦争といえましょう。それと政権が鎮圧に動員を掛けた葛西大崎一揆九戸政実#九戸政実の乱肥後国人一揆梅北一揆などもあります。
また、織田政権については現状では戦争単位での概念が確立していないせいか、取り扱いが難しいですが、対浅井・朝倉戦では「金ヶ崎の戦い志賀の陣姉川の戦い」、対本願寺戦で「石山合戦・長島一向一揆」、伊賀平定戦では「伊賀流#天正伊賀の乱」、対上杉戦では「手取川の戦い」、対武田戦で「三方ヶ原の戦い長篠の戦い武田征伐」などがあります。--Yasumi 2011年4月9日 (土) 07:32 (UTC)
ポータルやプロジェクトへ持ち込むべきという意見はおそらくその通りなんでしょうが、そこで活発な議論がかわされるというふうにはあまり思えないんですね。正直申し上げて、日本語版のポータルやプロジェクトがまともに機能しているとも思えません。もしそこで空振りしたら次がないわけです。次がなければ、また同じことの繰り返しになります。それだけは避けたいという思いがあります。持ち込むとしても、もっと煮詰めてから持ち込んだ方が、持ち込まれた方としても困らないのではないかという思いもあります。「織豊政権の天下統一戦争」を列挙なさいましたが、確かに、天下統一戦争そのものは5記事に限定されませんし、Yasumiさんの列挙した戦闘や戦争を全部統一すべきとは思っていません。ただ、Yasumiさんが「全部を統一する必要はないのだから5記事を統一する必要もないのだ」あるいは「全部を統一するのは不可能だから5記事を統一するのも不可能だ」というロジックをもし今後展開しようというおつもりならば、それは少し違うんじゃないかと思います。5記事に関しては、統一が可能であり、実際に事典類の見出しにおいては採用する語は異なっていても、そのなかでは極力統一が図られています。たとえば、『日本戦史』では「九州の役」「小田原の役」、『国史大辞典』では「九州征伐」「小田原征伐」、吉川弘文館『戦国武将・合戦事典』や山川出版社『日本史広辞典』では「九州攻め」「小田原攻め」、新人物往来社『豊臣秀吉事典』では「九州平定」「関東平定」というふうに。ここでは、九州と小田原(関東)のみを例示しましたが、紀州、四国、中国についても同様に統一が図られています(なお、小田原のみは狭域地名ということもあるんでしょうが「小田原合戦」「小田原の陣」の使用例も確認しています)。5記事の記事名が「統一しなくてもいいんじゃないか」「違っていいんじゃないか」という意見ももちろんあってよいとは思いますが、その場合、「なぜ違うのか」「なぜ統一しないのか」の説明責任があるようにも思うのです。たとえば「ウィキペディアでは『~の役』で統一した」というのであれば、少なくとも不統一にかかわる説明責任は不要です。「ウィキペディアでは…と考えるから、『~の役』で統一した」とさえ言えればいいわけです。ここにおける「…」だけが説明できればいいし、そこだけが指針から外れていなくて、なおかつ、大方の合意が得られればそれでよいわけです。頑固であることと終始一貫していることとは異なるのであり、1つ1つの議論であんまり頑張る必要はないのではないか、全体において何らかの一貫性があればいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--Chokorin 2011年4月9日 (土) 13:34 (UTC)
>「ウィキペディアでは『~の役』で統一した」というのであれば、少なくとも不統一にかかわる説明責任は不要です
これはどういう意味でしょうか?統一する理由、統一名を選定する基準など、説明すべきことは山ほどあると思うのですが。--秋田城之介 2011年4月10日 (日) 08:28 (UTC)
「少なくとも不統一にかかわる説明責任は不要」と書きましたので「不統一にかかわる説明」は不要という意味です。「統一にかかわること」は説明不要と書いていません。必要だと書いていますので、よくお読みください。--Chokorin 2011年4月10日 (日) 11:28 (UTC)
すいません、読み違えていました。しかし、歴史学的に必ずしも一本化されていないことをWikipediaの中で一本化するのは危険だと考えられます。--秋田城之介 2011年4月22日 (金) 03:16 (UTC)

(インデント戻します)用語を一本化することが至難の業であることは、よく承知しています。それに対して一人でも異論があれば実現不可能なわけであり、一本化の実現には参加者全員の協力が前提になります。これは見込みが薄いでしょう。ただ、「無理だからやめるべき(断念すべき)」ということと「危険だからやめるべき(回避すべき)」では意味合いが違うのではないでしょうか。よろしければ、どこがどのように「危険」なのか、お考えを詳しくお示しください。--Chokorin 2011年4月28日 (木) 22:40 (UTC)

歴史学的に必ずしも一本化されていないことをWikipediaの中で一本化するということは、いわゆる「発表済みの情報の合成」に当たる可能性が極めて高いということです。--秋田城之介 2011年5月1日 (日) 07:49 (UTC)
「歴史学的に一本化されていない」というのは確かにその通りであり、改名議論が生じているのもそのためなわけですけれども、そうしたなかで、記事名を決めるということは揺れのある表記を一本化する行為なわけです。「Wikipediaの中で一本化する」というのは、「一本化するなら揃えよう」ということであり、同じ「一本化」でも意味するところは全然違いますよね。後者の一本化について、あえて「揃えない」ということであれば、「揃えない」ことについての説明が必要なのではないかということです。Wikipedia:記事名の付け方の指針では「5.首尾一貫している」ことは推奨されているわけですから、あえて「首尾一貫させない」ことを選択するならば、それなりの理由が必要でしょう。ウィキペディアが「質においても量においても史上最高の百科事典を目指している」のならば、リファレンスの面でも最高を目指すべきではないでしょうか。「そりゃ無理だ」と言われればそうかもしれませんが。--Chokorin 2011年5月1日 (日) 08:22 (UTC)
一本化すべき対象の範囲も違うし、それぞれ事情が違う以上、現時点では無理だと言えます。ただし、今後歴史学の中で統一的な見解が出された場合にはWikipediaでも統一的な項目名を使用できるかもしれませんが、現段階では個々の議論として扱うべきだと考えます。--秋田城之介 2011年5月6日 (金) 02:47 (UTC)
要するに秋田城之介さんの御意見は「無理だから断念すべき」というふうに理解してよいのでしょうか。--Chokorin 2011年5月8日 (日) 10:59 (UTC)
(コメント)Chokorinさんのおっしゃっている、一本化されていない理由というのは、出典によってバラバラであるためだと思いますが、専門家の間で意見が統一されていないことですので、これを揃えるとなると結果的に(参考元が)偏ることになってしまうと思います。--貫鉄 2011年5月13日 (金) 04:56 (UTC)
「これを揃えるとなると結果的に参考元が偏る」というのが、どういう意味なのかわからないので、よろしければ御教示ください。「揃えない方がよい」のであれば、それなりに積極的な理由が必要だと思うのですが。「揃えるのは無理だ」ということであれば、そりゃそうかもしれません。しかし、その場合でも統一的な基準で決めていくよう努めるべきではないかとは思います。--Chokorin 2011年5月13日 (金) 10:18 (UTC)

過去ログ化の提案

提案 ページが重くなってきたので、「記事名称について」より前の議論の過去ログ化を提案します。--秋田城之介 2011年4月22日 (金) 03:16 (UTC)

報告過去ログ化を行いました。--秋田城之介 2011年4月27日 (水) 00:49 (UTC)

改名提案が取り下げられたわけではありませんよね? 過去ログ化には反対します。--Chokorin 2011年4月27日 (水) 04:31 (UTC)
もちろん、改名提案が取り下げられたわけではありませんが、ノートページの容量が大きくなりすぎています。現に小判キング氏の提案が続いていても、過去ログ化は行われています。Chokorin氏はどのタイミングで過去ログ化されるおつもりでしょうか?ずっとこのままというわけにもいかないでしょうし、現にこうやって容量は増えていっております。--秋田城之介 2011年4月27日 (水) 14:59 (UTC)
前回の過去ログ化に際しては、「小判キングさんの提案が続いているけれどもよいのか」というふうに参加者に同意を求めながら行っています。議論を継続するのであれば、それまでの議論が見渡せることが望ましいと思いますので、今しばらく猶予が必要でしょう。その間、どの程度の範囲ならばこれまでの議論が見渡せるのかも含めて提案し、参加者各位の合意も得ながら作業を進めるべきでしょう。そして、今までの議論をまとめ、それを踏まえたうえで、次の議論では何を話し合うのかという見通しを示すべきではないでしょうか。--Chokorin 2011年4月27日 (水) 20:56 (UTC)
私は「記事名称について」以前で一区切り置くのが適切だと感じますが、Chokorin氏はどこで区切ったほうが適切だと感じますか?具体的な意見が無ければ踏まえることもできません。今のページ容量が多すぎるという点では理解いただけてると思いますが。--秋田城之介 2011年5月1日 (日) 07:42 (UTC)
秋田城之介さんは「九州攻め (豊臣秀吉)」にならば同意できるとおっしゃいました。わたしもそれには合意できるので、さしあたってこのまま議論を続けてもよいと思いますが、いかがですか。--Chokorin 2011年5月8日 (日) 11:08 (UTC)
たしかに「九州の役」よりは数段適切だと思いますが、「九州攻め」が存在しない状態で「九州攻め (豊臣秀吉)」を作るというのは適切ではないと思います。かといって単に「九州攻め」だと秀吉以外の時代のことも記事内に入れないといけません。また、貫鉄さんから「豊臣秀吉による九州平定戦」という案も出ています。Chokorinさんが作成した「九州平定」に対応する形で「九州平定 (豊臣秀吉)」という項目名にすれば問題はなさそうに見えますが、議論をまとめるというのであれば、貫徹さんや他の方の意見をもう少し聞いたうえで調整すべきかと思います。早期にまとまる見込みが無い場合、コメント依頼や投票に発展する可能性もあることから、過去ログ化は検討すべきだと思います。--秋田城之介 2011年5月16日 (月) 03:35 (UTC)
改名提案をされた秋田城之介さん御本人がそれでよろしいとおっしゃるのであれば、「#そろそろ決着を付けませんか」以前の節以前に関しては、過去ログ化に賛成です。「そろそろ~」の節まで過去ログ化してしまうと、「#記事名称について」の節が改名提案とはまた別の話題になってしまっているので、その節から始まったのでは、話が見えにくい気がするからです。記事名に関しては、いったん「九州攻め」に改名し、秀吉以外の記事がつくられたとき、「九州攻め (豊臣秀吉)」に改名するかどうか(平等な曖昧さ回避にするかどうか)を話し合ってもよいと思います(もちろん、合意が得られたらの話です)。「九州平定 (豊臣秀吉)」は、屋上屋を架すような気がしないでもありませんが、第三者の意見を聞いて要検討という秋田城之介さんの御意見に同意いたします。--Chokorin 2011年5月16日 (月) 15:12 (UTC)
コメント 私は今のところ、「豊臣秀吉による九州平定戦」または「九州平定 (豊臣秀吉)」という案を押します。秋田城之介さんの言われるように既存の九州平定に対応する形ですし、九州平定(戦)は事典などでも多用されています。--貫鉄 2011年5月19日 (木) 07:06 (UTC)
コメント事典で多用されているということに限れば「九州攻め」でも同じです(山川出版社・吉川弘文館)。「豊臣秀吉による九州平定戦」は、「簡潔」「見つけやすい」という基準に反するので、適さないでしょう。「九州平定 (豊臣秀吉)」は、「九州攻め (豊臣秀吉)」にくらべ若干「曖昧さ」がのこります。記事「九州国分」との統合をどうするかという問題が当然生じますし、統合するとすれば、誰が責任をもって2記事を1つの記事にまとめ上げるのか、また、「中国国分」や「四国国分」の扱いはどうするのかという問題も生じるわけなので、これは単に名前だけ変えておしまいという話ではありません。--Chokorin 2011年5月19日 (木) 10:03 (UTC)
貫鉄さんは「九州平定 (豊臣秀吉)」なら同意できるということでしょうか?--秋田城之介 2011年5月20日 (金) 02:42 (UTC)

コメント 過去ログ3については、合意がとれたので正式に過去ログ化しました。>Chokorinさん 「九州平定 (豊臣秀吉)」が「九州攻め (豊臣秀吉)」にくらべ若干「曖昧さ」がのこるというのはどういった理由でしょうか?--秋田城之介 2011年5月20日 (金) 02:42 (UTC)

上に書いてある通りです。秀吉の九州平定事業といった場合、単に九州戦役(九州攻め)だけで終わるのではなくて九州における知行割すなわち「九州国分」のことも含めるわけですね。「九州平定 (豊臣秀吉)」だと、「九州国分」と同義に受け取られるか、あるいは「九州戦役+九州国分」の意と受け取られるかのどちらかであり、九州戦役を指すものとしては曖昧なわけです。統合するとすれば、四国国分中国国分も含めた大きな話題になるわけであり、ここにおいてもバラバラに個別的に話し合うべきだということになると「改名提案」としては大きく逸脱することになります。--Chokorin 2011年5月20日 (金) 04:57 (UTC)
九州国分を九州平定の中に含めると言う考え方もあるのはわかりますが、そうでない位置づけで使用されている場合のほうが多いのではないでしょうか?日本歴史大事典(小学館)では九州平定を「豊臣秀吉が九州統一を主目的に自ら行った戦役」と定義づけています。したがってこの改名提案は、自動的に九州国分との統合の意味があるというわけではないと考えます。--秋田城之介 2011年5月21日 (土) 11:16 (UTC)
「多い、少ない」の問題じゃなくて可能性の問題じゃないでしょうか。たとえば「秀吉の奥羽平定」といった場合、奥州仕置を指すと考える人もいれば、九戸政実の乱を指すと考える人もいるでしょう。同様に、「九州平定」はいわゆる「九州攻め(九州戦役)」を指す「と考える人もいれば九州国分を考える人もいるでしょう、可能性としては。Wikipedeiaで検索する人が、前もって日本歴史大事典を読んでいて、九州平定=九州戦役と認識しているわけではありません。見出しは、そういう意味で曖昧さのない方がいいでしょう。曖昧さがある分だけ、見つけにくい」ということになって、記事名の基準からは離れることになると思います。--Chokorin 2011年5月21日 (土) 13:21 (UTC)
可能性の問題も無視できませんが、「多い、少ない」も問題でしょう。曖昧さの問題でも、例えば「室町時代」といった場合、南北朝時代を指すと考える人もいれば、戦国時代を指すと考える人もいるでしょう。それでも「室町時代」は曖昧でしょうか?可能性の問題を言ったらキリがありません。--秋田城之介 2011年5月27日 (金) 02:50 (UTC)
コメント 秋田城之介さんは「九州攻め (豊臣秀吉)」には賛同できるとおっしゃったわけですが、その案ならば、確かに曖昧さは回避できると思います。記事をいじらず、統合を視野に入れないというのであれば、「九州攻め」がよいと思います。以前も議論になりましたが、そもそも「平定」と「戦争」では意味が違いますし、日本歴史大事典(小学館)の一例だけをもって「多い、少ない」を論じることはできません。「単に「九州攻め」だと秀吉以外の時代のことも記事内に入れないといけません」ということであれば、秀吉以外の時代のことは私が責任もって加筆なり調整なりすることをお約束しましょう。--Chokorin 2011年5月27日 (金) 07:38 (UTC)
日本の歴史学上では平定などの統一事業そのものと、それにまつわる戦役自体の区別がハッキリされておらず、それはあまり改名反対の理由にはならないと思いますが、Chokorinさんが本項目を現行の「九州平定」に対する戦役的定義で「九州攻め」(九州平定と同じく全時代のものを列挙する形)とするで意図であれば「九州攻め」で妥協します。--秋田城之介 2011年6月6日 (月) 01:20 (UTC)
ありがとうございます。ようやく改名議論に決着がつきそうでうれしいです。--Chokorin 2011年6月6日 (月) 01:45 (UTC)
  • それらの曖昧かどうかの問題は「九州平定戦」という名称であれば解決できると思います。また、島津側から見ても秀吉軍を追い出せば一応使える(島津が九州攻めというのはおかしい)と思いますし、本文中の定義でもそうなっています。選択肢としては検討する価値があるのではないでしょうか?--貫鉄 2011年5月24日 (火) 07:51 (UTC)
「九州平定戦」という見出しを採用している事典もありませんし、その用語を用いている書籍もほとんどないようですから、「認知度」の面からみてどうかなと思います。それよりだったら「九州の役」のままがよいでしょう。また、「島津側からみた九州平定」ならば、記事「九州平定」に記してありますから重複させる必要もないと思われます。--Chokorin 2011年5月24日 (火) 19:50 (UTC)
秋田城之介さんは「九州攻め」で妥協してくださるとのことですが貫鉄さんはいかがでしょうか。--Chokorin 2011年6月6日 (月) 01:45 (UTC)
お二人の間で九州攻めとして合意形成できるのであれば反対はしませんが、本項に関して分割・移動を伴う加筆がある場合は新規に議論の開始をお願いします。「移動のための加筆」による編集合戦を防ぐためです。--貫鉄 2011年6月7日 (火) 08:03 (UTC)
御同意、心より感謝いたします。合意が形成されて嬉しく思います。このまま1週間経過して特に異論なき場合は「九州攻め」への移動をおこないたいと思います。--Chokorin 2011年6月7日 (火) 22:06 (UTC)
改名議論のはずが、一転して現状の「豊臣と島津の戦争」記事を「九州攻めと呼ばれる一連の記事」へ定義と範囲を変更する提案にすり替わっており、当惑しています。
(定義変更の新議論)1.本記事と同じ豊臣と島津の戦争を主題とした出典が多数あり、研究の成果が一冊の本にまでなっています。従って本記事は独立記事として相当の特筆性を保有するため、他の九州攻めと混在した記事にすることに反対です。2.また「九州攻め」の定義が不明なまま定義変更をすることにも疑問を持ちます。秋田城之介さんは記事「九州の役」について「本州勢力による九州平定戦」と合意前に書き換えてしまいましたが、差し戻させていただきました。独自研究のようですが、この編集[1]の根拠は何ですか?
(従来の改名議論)そもそも前段の改名議論に適用しても、「九州攻め」の名称が混同されるということは、ガイドラインの「曖昧でない」に反しているため、優先されない名称です。それぞれ概念の異なる「九州攻め」を集めても、記事は長政のようにしかならないでしょうし、それはWikipedia:曖昧さ回避Wikipedia:カテゴリの方針「Category:九州攻め」の様な形で解決すべき問題だと思います。前述の通り「九州攻め」自体も、使用例の多くは戦争概念ではなく攻撃行為を表現していることが多数であるため、改名としても依然として反対です。--Yasumi 2011年6月12日 (日) 21:08 (UTC)
Yasumiさんにうかがいますが、Yasumiさんのロジックにしたがえば、攻撃行為を表現する「九州攻め」と戦争概念である「九州の役」を別記事にして立項することは可能であるように思うのですが、それについては、いかがお考えでしょうか。--Chokorin 2011年6月13日 (月) 20:00 (UTC)
2011年5月27日 (金) 07:38 (UTC) のChokorin氏の案には賛成しますが、九州攻めの単独立項には反対です。「本州勢力による九州平定戦」というのは合意に基づくもので、独自研究ではないです。--秋田城之介 2011年6月15日 (水) 03:59 (UTC)
(Chokorinさんへ)その「攻撃行為を表現する九州攻め」記事の定義が不明のため、回答できません。もし、秋田城之介さんが未合意で行った注意書き編集「本州勢力の九州平定戦については「九州の役」をご覧ください。」のうち、「の役」を「攻め」に変更したような定義であるとすれば疑問です。
また、記事の定義を変更されるそうですが、どんな勢力の何処への攻撃が、言われるような「九州攻め」成立の要件となるのでしょうか?
そして事例群を包括した出典はあるのでしょうか?
例えば九州の役でも大友や竜造寺を秀吉は攻撃していませんが「九州」を冠して良いのですか?また、元寇や九州爆撃も九州「攻め」になるのでしようか?(なお九州平定の主筆者はChokorinさんのためこちら[2]の編集は差し戻していません。必要であればご対処願います)
(秋田城之介さんへ)言われる合意とはどれですか?「九州の役とは本州勢力の九州平定戦である」という編集の根拠となる合意形成を差分でお示しください。--Yasumi 2011年6月19日 (日) 21:23 (UTC)
正確には合意形成寸前でYasumiさんによる反論が入ったので形成されていません。私の勇み足でもあるので差し戻しもしていません。--秋田城之介 2011年6月28日 (火) 02:25 (UTC)

改名提案の各論比較

議論がまとめられていないまま過去ログ化を処理したようですが、以下に議論で出た優劣の比較表を作ってみました。各論の主張点について纏めて記入願います。--Yasumi 2011年6月19日 (日) 21:23 (UTC)

改名候補比較表  (p=:肯定的意見、n=批判的意見)
番号 評価要素 A.九州の役 B.九州攻め C.九州征伐
11 日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの[1] (→他項へ統合)
12 その記事へのリンクを作成しやすいもの[2] (→下22項へ統合)
21 認知度が高い[3]
(出典で最も一般的、主題表現で最も著名)
  • (p)1.史学的な書籍名・論文名に採用されている。記事主題を表す場合に多用されている。
  • (n)1.書籍・事典類での使用例が少ない。
  • (p)1.書籍・事典類で多用されている。
  • (n)1.記事主題でなく、主体者の行為の意味で多用されている。主題を表現する史学的な書籍名・論文名に採用が少ない。
  • (p)1.書籍・事典類で多用されている。
  • (n)1.記事主題でなく、主体者の行為の意味で多用されている。主題を表現する史学的な書籍名・論文名に採用されていない。
22 見つけやすい[4]
(リンクしやすい)
  • (p)1.主題と同じ戦争名称なので各勢力からのリンクに制約なし。
  • (n)1.
  • (p)1.各勢力からのリンクに制約なし。
  • (n)1.披攻撃側・第三極の行動表現でのリンクに不適。
  • (p)1.各勢力からのリンクに制約なし。
  • (n)1.披攻撃側・第三極の行動表現でのリンクに不適。
23 曖昧でない[5]
(的確である)
  • (p)1.公刊戦史で命名された固有名詞である。
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.異なる複数の九州攻めがある。2.戦争名称として代名詞。
  • (p)1.戦争名称・政治事象双方の意味を持っている。
  • (n)1.異なる複数の九州征伐がある。2.戦争名称として代名詞。
24 簡潔[6]
(短く要点を突いている)
  • (p)1.固有名詞であり簡潔である。
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.主語が省略されている。用例の多くは「豊臣秀吉の」や「豊臣政権の」の主体者の主語が省略された略語である。
  • (p)1.固有名詞である。
  • (n)1.主語が省略されている。用例の多くは「豊臣秀吉の」や「豊臣政権の」の主体者の主語が省略された略語である。
25 首尾一貫している[7]
(類似記事の傾向)
  • (p)1.現状、三韓征伐武田征伐紀州征伐会津征伐がある。
  • (n)1.現状の非採用として「奥州征伐」、「四国征伐」、「小田原征伐」、「朝鮮征伐」、「琉球征伐」、「長州征伐」がある。
31 信頼できる情報源における慣例[8] (→他項へ統合)
32 正式な名称を使うこと[9]
  • (p)1.公刊戦史によって命名された戦争名称。公刊戦史で命名された固有名詞である。[10]
  • (n)1.書籍・事典類での使用例が少ない。
  • (p)1.書籍・事典類で多用されている。
  • (n)1.ただし、戦争名称でなく秀吉の行為としての用例が殆ど。
  • (p)1.書籍・事典類で多用されている。
  • (n)1.最近の書籍・事典・教科書では使用しない傾向。戦争名称でなく秀吉の行為としての用例が殆ど。
41 出来る限り一般的に知られており通用しやすい(歴史的事件の慣例)[11] (→他項へ統合)
51 中立的な用語[12]
  • (p)1.
  • (n)1.一方視点の用語。
  • (p)1.政権側視点であり、歴史学上異質ではない(例:長州征伐)。
  • (n)1.一方視点の用語。
番号 出典、その他 A.九州の役 B.九州攻め C.九州征伐
61 主題の専門書名
  • 1.『日本戦史 九州役』参謀本部編[13]
  • 2.『日本の戦史4 小牧・九州・小田原の役』(現代語訳)旧参謀本部編 [14]
  • 3.『日本戦史13 九州役』(復刻)参謀本部編[15]
  • 1.
  • 2.
  • 1. 「豊臣島津九州征伐」 松林伯知[16]
  • 2. 「九州征伐薩摩攻」 神田伯龍[17]
  • 3. 「九州征伐」 神田伯竜[18]
  • 神田伯龍講談神田派の名人の著作であり、娯楽作品。史学分野の専門書籍ではない。同じく松林伯知も講釈師で非専門書)
62 主題の論文・専門書小題
  • 1.「九州役の陣立書」毛利亮太郎[19]
  • 2.「九州の役」桑田忠親[20]
  • 3.「九州の役」熱田公[21]
  • (↓戦争名称としての用法か?)
  • 1.「九州停戦令と九州攻め」小和田哲男(戦争名称としての用法か?)[22]
  • 2.「秀吉の九州攻めと北九州の城」小和田哲男[23]
  • 1. 第二編第十二章 「九州征伐」 渡辺世祐[24]
  • 2. 第十五章「九州征伐」 田中義成 [25]
63 主題の辞典類項目
71 その他1
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.
72 その他2
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.

脚注

  1. ^ Wikipedia:記事名の付け方
  2. ^ Wikipedia:記事名の付け方
  3. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  4. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  5. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  6. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  7. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  8. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  9. ^ Wikipedia:記事名の付け方#一般的な指針
  10. ^ 「参謀本部はドイツの戦史に倣い、初めて「戦史」と称し編纂取組みを始めている。」「『日本戦史』編纂の特徴は、教育的価値を重視し、戦役の批判的研究による考察・叙述が試みられている点にあった。そのため、戦史編纂の対象は「兵学を学ぶ人」とし、軍人だけでなく一般の読者も含めている。また、わが国で最初の公刊戦史の編纂取組み(Public-Work)となり、東京日本橋の丸善商社、東京神田の有斐閣など、全国48の書店で販売された。」(「旧陸軍における戦史編纂 -軍事組織による戦史への取組みの課題と限界-」塚本隆彦)
  11. ^ Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件
  12. ^ Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名
  13. ^ 元真社、1911年
  14. ^ 徳間書店、1965年
  15. ^ 村田書店、1980年
  16. ^ 今古堂、1899年
  17. ^ 柏原圭文堂、1902年
  18. ^ 柏原圭文堂、1909年
  19. ^ 『歴史研究(通号434)』、1997年7月
  20. ^ 『大日本戦史 第4巻』高柳光寿編、三教書院、1942年
  21. ^ 『日本の歴史11 天下一統』集英社、1992年
  22. ^ 『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館、2006年9月
  23. ^ 『名城と合戦の日本史』新潮社<新潮選書>、2007年5月
  24. ^ 『安土桃山時代史』早稲田大学大版部、1916年
  25. ^ 『豊臣時代史』明治書院、1925年
  26. ^ 『』、年月
  27. ^ 『』、年月
  28. ^ 『』、年月

評価基準を受けて

コメント 「公刊戦史の優越性」、「非征伐側行動からのリンクの可否」、「中立的」など、あまり意味をなさない項目があります。主題の専門書名も3つ挙げていますが、要は全て参謀本部のものです。中立性については、軍事史PJに一定の根拠が有りますが、その事称を指す一般的な語であれば問題無いとされています。--秋田城之介 2011年6月28日 (火) 02:34 (UTC)

コメント (Chokorinさんへ) 九州攻め への改名は断念したのかそうでないのか、方針をはっきりしてください。それから、Yasumiさんの作った表の評価基準についても妥当かどうか、他の利用者の方にも意見を頂きたいです。--秋田城之介 2011年7月14日 (木) 13:10 (UTC)

「九州攻め」は「九州戦役の意味ではない」という意見が仮に採用されるならば(合意されるならば)、「九州攻め」の単独立項も可ではないでしょうか。その場合、たとえ、「単独立項には反対」という意見があったとしても、異なる対象について異なる記事が立てられることを妨げることはできません。そういう前提に立つならば、本記事は分量の過半はすでに「九州攻め」をもとにして書かれていますので、本記事を「九州攻め」に改名してこの版を「九州の役」として立てるのが妥当だと思います。「3候補のうち1候補だけを選ぶ」という議論は、要するに「2候補を捨てる」と同じことです。それで納得できないという人のいるうちは、別々の記事をつくることを許容するしかないのではないかと思います。用語の統一なり、記事内容の統合なりは、それぞれの記事が充実したあとで再び検討するということで、とりあえずの合意が形成されれば、それでよしとしてもよいのではないでしょうか。--Chokorin 2011年7月16日 (土) 03:47 (UTC)
本記事を「九州攻め」に改名することに関しては反対しません。本項の「九州の役」としての維持には反対しますが、たしかにChokorinさんがおっしゃるように、異なる対象について異なる記事が立てられることを妨げる理由は、今のところ無いので、それについても妨げるようなことはしません。ただし、このようなことが繰り返し起こった場合はそれらを制限すべきかどうか、議論の必要があるので今はわかりません。Chokorinさんのコメントが、「九州の役」の単独立項を妨げないという条件付きで「九州の役」への改名という提案を意味するのであれば、それには賛同します。しかし「九州の役」の単独立項は、誰かの義務でも権利でもないという点は留意してください。--秋田城之介 2011年7月20日 (水) 16:30 (UTC) 追記--秋田城之介 2011年7月20日 (水) 17:22 (UTC)
残念ながら秋田城之介さんの優劣評価の解釈とは見解が異なるようであり、依然として「九州征伐」改名案には賛成しかね、反対をします。秋田城之介さんが改名提案者として真に議論を推進するのであれば、同じ主張を繰り返すのではなく、具体的に議論における対論や主張をまとめて比較する努力をしていただきたいと思います。
「九州征伐」が議論対象の現記事「豊臣と島津の戦争」の意味で使われる使用例は少数であり、出典における「九州征伐」の一般的な使用事例は「(戦争の一角を形成する敵方や第三極の行為を含まない)秀吉の政治目的や行為」を指す場合に使われている言葉です。「歴史的にも被平定側(島津・秋月等)の行動は平定とは言い難い[3]」とおっしゃられた秋田城之介さんの論理を同型に当てはめれば「歴史的にも被征伐側(島津・秋月等)の行動は征伐とは言い難い」となり、「九州征伐」には現記事「豊臣と島津の戦争」に含まれるべき「敵方や第三極の行為」を排除した言葉です。
なお、Chokorinさんの「本記事は分量の過半はすでに「九州攻め」をもとにして書かれています」の根拠が分かりませんので、同意できません。少し検証しただけで出典における「九州攻め」の大半は「秀吉が九州で島津を攻めた行為」を指した事例でした。また今回のご主張は改名提案を破棄して新たに分離提案を提出されるということでしょうか?戦争単位で描写された現記事は歴史を知るうえで有用であり、ざっくり言って「豊臣と島津の戦争」記事を分類して「豊臣の対島津戦」記事と「島津の対豊臣戦」記事と「戦争のその他の事項」記事から一部を分離するかのような提案であれば、私には読者の利得を考えて統合された現状の戦争単位の記事を維持する方が良いように思えます。--Yasumi 2011年7月20日 (水) 21:31 (UTC)
効用があるかはわかりませんが、一応表の記入はしました。しかし、のちのち評価基準の追加をするかもしれません。被征伐側の行動を征伐とは言えないのはあたりまえですが、「敵方や第三極の行為」を排除しているわけではありません。ノート:小田原の役でも同じようなことを言っていましたが、いいかげん誤りに気づいてください。--秋田城之介 2011年8月2日 (火) 03:39 (UTC)
「敵方や第三極の行為」も戦争行為の一部ですが、「被征伐側の行動を征伐とは言えないのはあたりまえ」と言いつつ「「敵方や第三極の行為」を排除しているわけではありません」と主観だけで整合性を取ろうとする秋田城之介さんご自身の言葉は矛盾している様に思えます。実際の「九州征伐」の用例の大多数は記事と同じ「戦争」とは異なる「征伐行為」を指したものであり、「敵方や第三極の行為」を排除した使い方です。現状を変更するための説明責任がある秋田城之介さんの主張には首肯しかねます。
それと、論点整理で「B.九州攻め」と「C.九州征伐」の両項目に「書籍・事典類で多用されている。」とありますが、具体的に比較できていないからどちらが優位か書けないのでしょうか?評価は3者を平等に比較して優位性をお示し下さい。--Yasumi 2011年8月3日 (水) 10:35 (UTC)
ですから、征伐される側の「対応」を征伐の記事の中に書いて何が悪いのでしょうか?あなたが言っていることは長州征討の記事の中で長州側の行動を記述するな、と言っているのと同じことです。「B.九州攻め」と「C.九州征伐」の書籍・事典類での多用は同程度(過去ログ3などを参照)であり、優劣を断定するには至っていないと考えたからです。どういった書籍を優先するか決められれば判断が付くかもしれませんが、こういったことも含めて評価基準が一定しないため、表の有効性に当初疑問を持ったわけです。--秋田城之介 2011年8月8日 (月) 05:59 (UTC)
ピンとのずれた批判です。私が言っているのは、記述上で「豊臣・島津戦争」の意味で表現したい記述に「九州征伐」を使用した場合、
  1. 戦争の意味でなく征伐という一方のプロパガンダや行為の意味で表現されてしまう。
  2. 被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になってしまう。
  3. 「九州の役」は戦争名なので、「九州征伐」のような代名詞を使うデメリットがない。
と言っているのです。戦争を表現したいのに征伐の意味で表現されてしまうのは問題でしょう。
比較表に「優劣を断定するには至っていないと考えた」要素を書き込むというのはどういう考えでの書き込みでしょうか?議論を混乱させるためでないのであれば、客観的な評価軸と優劣に書き改めるか、さもなくば削除してください。また、議論を主導するのであれば、同じ事を繰り返して疲弊をもたらすのではなく、この議論をどのように建設的に解決するのか?提案者としてビジョンを提示下さい。--Yasumi 2011年8月12日 (金) 19:59 (UTC)
1.プロパガンダではありません。当時の中央政権たる秀吉軍主観のタイトルでも問題ないはずです。
2.『被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になってしまう』という意見については何度も解説したのでもう反論はしません。もしこの主張を続けられるようでしたら、「承久の乱」などの項目を同じような理由で改名なさったらどうでしょうか?私はもちろん反対しますが。
3.事典や書籍などの使用頻度では「九州の役」は「九州攻め」や「九州征伐」に対して劣っており、単著も参謀本部の本のみ(しかもかなり古い)です。このことは十分改名理由になります。「優劣を断定するには至っていないと考えた」のは「九州征伐」「九州平定」間の話であって、「九州の役」に対する差は明らかです(根拠は既出)。--秋田城之介 2011年8月15日 (月) 15:03 (UTC)
全体.それは以前からのご意見の繰り返しであり、改名提案には同意できません。
2.「承久の乱」を、どういう理由で「何」に改名するのか?それが議論と何の関係があるのか?反対前提の提案をなぜ私に勧めるのか?理解できません、ご説明をお願いします。--Yasumi 2011年8月20日 (土) 00:49 (UTC)
「承久の乱」や「長州征討」にも当てはまるケースですし、本気で提案しているわけではありません。あなたの「工夫しなければ使えないから不適」という意見がそれほど滑稽だということです。--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:25 (UTC)

          秋田城之介さんにおたずねします。貴殿は歴史学をきちんと学んだことはありますか??--以上の署名のないコメントは、114.172.102.74会話/Whois)さんが 2011年8月20日 (土) 18:34 に投稿したものです(ジャムリン 2011年8月29日 (月) 06:17 (UTC)による付記)。

感想だけ言われましても、何が「承久の乱」と「長州征討」に当てはまるのか理解できません。滑稽であるか否かも、同様。 秋田城之介さんがどれだけ記事と出典を読んでいるのか存じませんが、各記事には様々な背景があり、個人の結論のみで、共通性を説明しないのであれば、ただ話題を拡散させるだけです。本件の説明がないのであれば、議論に無関係な発言であったと判断してよろしいでしょうか?--Yasumi 2011年8月29日 (月) 11:54 (UTC)
コメント コメント依頼から来ました。実は英語版の記事名の付け方には本件に関係しそうなルールとして "Non-neutral but common names"(中立的ではないが一般的な名称)というものがあります(en:WP:POVTITLE)。そこには長々書かれていますが要点だけ説明させていただきますと、基本的には中立性より知名度のほうを重視してください、ということになっていまして、その例としてボストン虐殺事件が挙げられています。なぜそのように定められたかについては経緯は把握していませんが、私が思いますに、たとえばベトナム戦争という呼称をアメリカ側の見方であって中立的でないからといって仮に「第一次米越戦争」などとすると、これでは予備知識のない読者にとって(普通は「ベトナム戦争」という呼び名しか知らないので)見つけだしたり読みこなしたりするのが難しいので、百科事典としてふさわしくないからなのでしょう(なお特に英語圏ではポリティカル・コレクトネスにともなう言葉狩りで一部に混乱をきたした経緯がありますので、こういった問題については知見が蓄積されているものと推測されます)。したがいまして、記事名の中立性については考慮に入れる必要はないものと思います。--Kurz 2011年8月25日 (木) 12:10 (UTC)
コメントありがとうございます。私はもとより「当事者間の中立性」については考慮する必要は無いと考えておりました。--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:25 (UTC)

報告 複数のノートにまたがる問題として井戸端で提起しました。--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:25 (UTC)

こんにちはKurzさん。現在の論点は名が体を表しているか否か(九州征伐の用例の殆どは、戦争でなく征伐の意味で使われている)であり、中立性については改名優劣を比較する状況による副次的要素である思っています。
さて、機械翻訳で英語版を拝見しましたが、前提の「記事の主題は主として英語信頼性の高い情報源の大多数の利用を通じて明らか単一の共通の名前で呼ばれている場合、ウィキペディアは、一般的に(他の命名基準に従う情報源をたどり、その記事のタイトルとしてその名を使用しています)。」が重要なポイントになると思います。件のen:Boston Massacreも、出典に「Boston Massacre(ボストン虐殺事件)」という文献が多数引用されており、おそらく「記事の主題である事件の呼び名」としては圧倒的なのでしよう。日本語版で言えば真珠湾攻撃のような位置付けが思い浮かびます。しかし本記事を示す戦争呼称として圧倒的・支配的なものがない中では適用できない状況です。
そして、この記事を考える場合に「記事の主題である戦争の呼び名」として信頼される日本語の出典(特に戦争を主題とした出典)状況を見るに、九州の役には記事主題を支える研究書籍や論文のタイトルがありますが、九州征伐にはどちらもありません。それどころか史学研究では括弧付きで”九州「征伐」にいたる経過”(藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』)のような間接表現で避けられている例もあります。
更に「九州の役」が使われている関係出典では特に分かりやすいですが、『近世日本国民史』『九州の役』『大日本戦史』などでも「九州征伐」という言葉を見つけることができます。その用法は記事主題の戦争名とは異なる「豊臣秀吉が島津を攻撃した、行為/事/時/政治的正当性」の意味で使い分けられています。これは最近の本でも同様であり、記事主題の戦争名称の意味で使われている例は少ないです。「九州征伐」が戦争名称に代名詞として使用されていることを否定するものではありませんが、実態は本義征伐の用例が圧倒的・支配的です。このような殆どの出典で名が体を表していない「九州征伐」を記事名候補として考えた場合、Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名や史学的動向から中立性は尊重しえるし、比較では減点評価されるべきではないかと思います。--Yasumi 2011年8月29日 (月) 11:54 (UTC)
私はen:WP:POVTITLEを前述のとおり解したのですが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名のようなルールがあるのであればYasumiさんの解釈の方が妥当かもしれませんね。よってとりあえず結論部分についてだけ撤回しておきます。ただいずれにしても記事名の中立性は本件について重要な争点とはいえないと思うことには変わりないです。「戦争の意味でなく征伐という一方のプロパガンダや行為の意味で表現されてしまう」「被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になってしまう。」ということを気にする必要はあまりありませんし、WP:NPOVが必要なら記事の内容を充実させれば足りるでしょう。--Kurz 2011年8月29日 (月) 14:40 (UTC)

改名議論継続の是非

報告 Wikipedia:井戸端/subj/政権側が起こした戦役・事象の改名について を含めた今までの議論を元にWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてを作成しました。--秋田城之介 2011年10月28日 (金) 16:35 (UTC)

提案 既に二ヶ月以上も提案が滞っています。「議論への注力>加筆への注力」であれば、プロジェクトにとってマイナスであり、改名提案側から建設的な推進がないことから、議論を一旦クローズ、または一年ぐらい棚上げして記事を発展させることに注力することを提案します。--Yasumi 2011年11月13日 (日) 09:32 (UTC)

賛成 Yasumiさんの意見に賛成します。提案者らは議論を停滞させ加筆を妨げているといえます。--三階菱 2011年11月15日 (火) 16:04 (UTC)

コメント 私はWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてを提出し議論を推進しているつもりですのでYasumiさんの提案には反対です。クローズにせよ棚上げにせよ、議論の混乱と長期化を招くだけでしょう。--秋田城之介 2011年11月16日 (水) 01:30 (UTC)

しかし、秋田城之介さんの上記コメントも含めて議論は全然推進されていません。すでに議論の混乱と長期化は招かれているのが現状ですし、提案者が合意に向けた推進をしないため、プロジェクトの本義に則り、議論より記事の充実を優先すべきです。--Yasumi 2011年11月16日 (水) 12:06 (UTC)
主筆者のひとりとして、「『九州攻め』に改名のうえ1年棚上げ」という案を提案します。「提案者が合意に向けた推進をしない」というYasumiさんの指摘には、確かに肯ける面もありますが、かといってYasumiさん御自身も「合意に向けた努力をしている」とは決して言えないと思います。秋田城之介さんは「九州攻め」に合意できるというところまで妥協してくださったのですから、Yasumiさんも「九州征伐」より「九州攻め」がまだましというふうに考えるのであったら是非同意していただきたい。この記事の出典の過半は小和田哲男氏の著作によっており、小和田氏は「九州攻め」の語を使用しています。「出典重視」を言い出したのはもともとYasumiさんだったのではないでしょうか。それにまた、文献調査でも「九州攻め」は「九州の役」「九州征伐」を上まわっており、圧倒的とまでは言えないにせよ認知度の面でも両者を上まわります。事典などでは、豊臣・島津戦争を扱う記事の見出しとして「九州攻め」を使っている例がありますから、その点でも問題ありません。また、「四国征伐」の「四国攻め」への改名を進められたのも、ほかならぬYasumiさんだったはずです。1年棚上げしたうえで、「九州の役」に戻すか、「九州征伐」に戻すか、「九州平定」への統合を図るか話し合ったらどうでしょう。現状では、読者のリファレンスの点でも「九州攻め」とするのが合理的と考えます。「加筆への注力」を最優先すべきという点に関しては、全面的に合意しますが、このままの状態でクローズするのが「加筆への注力」を促すとも思えません。御検討ください。--Chokorin 2011年11月18日 (金) 23:31 (UTC)
井戸端の話し合いでは、ほとんどの方が投票の実施の方向でコメントをしていたように覚えています。今一年という長期の棚上げを決定するのは難しいかと思います。--貫鉄 2011年11月20日 (日) 05:50 (UTC)
それは提案者次第でしょう。提案者が改名提案を取り消せばそこで終わる話です。改名提案者である秋田城之介さんと私との間では「九州攻め」で合意はついていますが、Yasumiさんが合意してくださらないので、投票にしようかという話も出てきたのであり、投票で決めるのならば「九州の役」「九州攻め」「九州征伐」の三者で決めよう、ただし、「九州征伐」の場合は 前回の改名直前の版(「九州征伐」2009年3月8日 (日) 07:51(UTC)(6.915バイト)への巻き戻しのうえ改名ということで合意されています。Yasumiさんが「九州攻め」で合意できるのならば投票は要らないと秋田城之介さんもおっしゃっていますから、そのあたりを落としどころに双方妥協して棚上げするのが最善でしょう。実のところ、改名議論は過去ログ2の冒頭(2010年6月7日)からはじまっており、すでに1年半が経過しています。棚上げ1年は短すぎるくらいでしょう。改名議論だけで記事を振り回してはいけません。--Chokorin 2011年11月20日 (日) 07:46 (UTC)
コメント 九州攻めへの妥協に関して、Yasumiさんの合意を得るために「棚上げ」をする必要はないでしょう。Yasumiさんが妥協しないといえばそれまでですし、その妥協案にしてもジャムリンさん、小判キングさん、Kurzさん、貫鉄さんなど他の方々に受け入れられるかどうかはわかりません。しかし妥協案ですので、反対が出ればその時点でやはり投票で決するべきということになりますのでやはり棚上げには意味がありません。Chokorinさんが本当に「九州攻め」での妥協が一番だと思っているのであればYasumiさんを説得するしかありませんが、その妥協案が出てから何ヶ月経っているでしょうか?--秋田城之介 2011年11月20日 (日) 16:26 (UTC)

コメント(インデントもどす)私の意見としては、何度も申し上げているように<「九州攻め」が最善・「九州の役」は許容できる>ということであり、秋田城之介さんが<「九州征伐」が最善・「九州攻め」は許容できる>ということであるならば、もし、Yasumiさんが<「九州の役」が最善・「九州攻め」は許容できる>とお考えならば、許容できるところでは「九州攻め」に落ちつくでしょう。ただし、Yasumiさんが<「九州の役」が最善・「九州征伐」は許容できる>とお考えであったり、<「九州の役」以外は許容できない>とお考えであったりすれば、それは投票ということにならざるを得ないでしょう。自分としては、そこを確かめているわけです。言い換えれば、自分にとっての最善をこれからもぶつけ合うのか、許容できる・妥協できるところで話し合うのかということです。私としては、他の方々に対しても後者での話し合い(許容できるところ、妥協できるところでの話し合い)をお願いしたいです。これは、一利用者の意見というよりは、主筆者のひとりとしてのお願いです。仮に双方譲らず、投票で決まっても後でしこりが残るのではないでしょうか。--Chokorin 2011年11月21日 (月) 22:00 (UTC)

(追記)「棚上げ」に関しては、「Yasumiさんの合意を得るため」ではなく、「加筆への注力」を最優先すべきという意見に対しては全面的に賛成するからです。1年が長すぎるというのであれば半年でもいいでしょうが、改名議論に時間を費やすよりは加筆に時間と労力を傾けるべきであり、改名が目的化されることだけは避けなければいけないと考えます。--Chokorin 2011年11月21日 (月) 22:21 (UTC)

コメント 加筆への注力というのは重要なことだと思いますが、それは投票によって項目名が決定してからでもできることだと思います。とくに版を巻き戻すことや分割することもお考えになっているのでしたらなおさらだと思っています。Yasumiさんの合意を得て九州攻めに改名することに私は賛成も反対もしませんが、機械的に棚上げ期間を設けることに対しては疑問です。--貫鉄 2011年11月23日 (水) 07:57 (UTC)
コメント投票で決しようということはもともとYasumiさんの御意見だったわけですが、当の御本人が投票に乗り気でない、特に多重アカウントやミートパペットをお疑いということであれば、無理やり投票で決するのもどうかと思ったわけです。話し合いで決まるのであれば、それに越したことはないと思います。やはり投票で決しようということであれば、私としてはそれに対して異存があるわけではありません。--Chokorin 2011年11月23日 (水) 10:20 (UTC)
議論での合意も投票での合意も推進されず、合意不成立で改名が実施できないという前提から、議論より執筆を優先させて記事を発展させる棚上げ提案です。私としては、「改名提案者が議論を踏まえて合意に向けた推進をしない」のであれば、棚上げして記事の発展に努めるべきだと思います。
心外なのですが、合意に向けた努力はずいぶんしているつもりです。皆さんが提示された資料については、できる限り検証し、その結果として記事の主題である「豊臣と島津の戦争」とは少し異なり、戦争の一部分を別の観点から描写した「豊臣が島津を征伐した(攻めた)行為」を主題とする使用例が圧倒的であることが判明しました。
Chokorinさんの「出典重視」とは単に引用回数の多少を意味するようですが、そういう瞬間風速を競うようなことは本質ではないでしょう。記事と出典の主題の同一性をご検証願います。また、以前から「役・攻め・平定・征伐」等の使い分けがなされている出典を提示しましたが、ちゃんと検証していただけているのでしょうか?記事の主題を示さない名称を用例として持ち出されても、それはガイドラインWikipedia:記事名の付け方の通り、意味の曖昧な表現は記事名として劣ると判断されます。
ガイドラインの第一文の通り、記事名は記事につけられるので、認知度を競う前提として、用例名称が記事主題を示している必要があります。とうぜん、戦争の意味で使われていない用例が圧倒的な攻めや征伐への改名は改悪と判断されますし、改悪を以て妥協策と判断するのは難しいことです。--Yasumi 2011年11月23日 (水) 20:09 (UTC)
「九州攻め」の別記事立項をお認めになりますか。お認めになるのであれば、この議論からは撤退して、それこそ加筆に注力したいのですが。--Chokorin 2011年11月23日 (水) 22:33 (UTC)
「圧倒的な攻めや征伐への改名は改悪と判断されます」とおっしゃっていますが、私はそうは思いませんし、そういったことを含めて根本的な点でスタンスが違う以上、コミュニティの支持を仰ぐ以上仕方ないと考えています。私自身は「九州の役」が「九州攻め」へ改名されることで合意形成できるのであれば反対はしません(もちろん他の方意向はわかりませんが)が、九州攻めの単独立項によって最終的な問題解決になるとは思っていません。九州攻めの単独立項自体には反対しませんが、それを以ってして解決にはならないという考えを述べておきます。そもそもYasumiさんが現在において「攻めや征伐への改名は改悪」とおっしゃる以上、「九州の役」を「九州攻め」に改名して妥協するというChokorinさんの案も既に暗礁に乗っていると思うのですが。--秋田城之介 2011年11月24日 (木) 16:29 (UTC)
コメント Yasumiさんが「改悪と判断されます」と考えるのは自由です。しかし、私としては、Yasumiさんがたとえ「改悪」とお考えでも、それで妥協できないかと問うたわけですし、お願いしたわけです。それができないというのであれば、私は「豊臣が島津を攻めた行為」および、それから転じた「豊臣と島津の戦争」を内容とする新記事「九州攻め」を出典をもとにして書く権利はあるでしょう。「豊臣と島津の戦争」のことを学者が「九州攻め」と呼称する例がないかと言えば、ひじょうに多数存在するわけです。そのように表記した文献も手元にありますし、特筆性の面でも問題はありません。記事の乱立につながるというのであれば、あとで、どちらかに対し削除依頼でも出しておけば解決する話です。--Chokorin 2011年11月24日 (木) 22:29 (UTC)(加筆修正)--Chokorin 2011年11月25日 (金) 07:06 (UTC)

反対 いきなり、一年も棚上げするなんて無責任な提案だと思います。--小判キング 2011年11月25日 (金) 17:53 (UTC)

意見の対立は元々と存在するのですから、各論を踏まえて改名提案者が推進を行わなければ議事は進まないのは当然でしょう。秋田城之介さんの議論運営の問題なのに堂々巡りの責任を転嫁されても困ります。ノートを放置したりせずに、しっかり議事の進行していただきたい。
小判キングさんのお言葉ですが、改名提案者が議事を進行させずに疲弊がもたらされているのですから、記事の発展へ注力することに何の責任不足がありましょう?
Chokorinさんがいう「九州攻め」の新規立項について。今まで戦争記事として「九州の役」の改名論者で居たChokorinさんの意見とは思えず、宗旨替えして戦争定義でない「九州攻め」を立てるつもりでしょうか?前提の情報が少ないですが、同定義の別記事を立てるのであれば反対です。 そうでなく、例えば雑駁に見て、戦争「九州の役」の成分が「秀吉の島津攻撃(九州攻め)、島津の豊臣攻撃、第三局や境目領主の戦争への去就、開戦経緯、外交交渉、戦後処理、などなど」で成立しているとして、その中で時期や場所を選ばずに「秀吉の島津攻撃の場面のみを抽出した記事」に分割する分割提案ということでしょうか?であれば、これは改名提案ではありませんし、記事としては戦争単位で記述された方が読者の利得になると考えます。通常の記事の単位でも戦争(ウォー)>戦役(キャンペーン)>戦闘(バトル)というような単位で叙述するのが基本だと思います。実際に本記事でも、攻勢単位で言えば、島津攻勢、東九州戦線、西九州戦線のような時間の流れと場所の関連性で区分された記述がされています。 それとも、九州平定のように歴代の「九州せめ」を羅列するということでしょうか? Chokorinさんの扱う主題が戦争から行為にブレたために、戸惑いを覚えます。それに、目に見える乱立問題を起こしてから削除依頼で解決するような、執筆者の疲弊を前提とした行動はよろしくないないと思います。合わせてWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#重複した記事をつくることをお読み下さい。--Yasumi 2011年11月27日 (日) 00:56 (UTC)
議論での合意を拒否して投票での合意を提案したのはYasumiさんだったはずですので、秋田城之介さんに協力して早く改名問題を解決してくださるようお願いします。--Chokorin 2011年11月27日 (日) 01:17 (UTC)
昨年来、私が投票を提案して以来、堂々たる議論を展開し続けてきたChokorinさんの発言とも思われませんが、提案者側から合意のプロセスや投票諸条件の調整がなされない以上、議論は棚上げして執筆に注力した方がプロジェクトの趣旨に沿っているのでありませんか?私は基本方針として投票による解決には同意済みですが、私が既に申し入れた諸条件(例えばノート:四国攻めの時に整備したような将来の議論再開への条件等)が整備されない以上、投票の実施にはまだ賛成できません。それと、Chokorinさんが本議論中に九州平定九州国分の類似記事を作成された上に、今回四国攻めの立項を提案されたわけですが、これについてはルール運用に照らして疑問を持たざるを得ません。一度ルールの問い合わせをした方がよいと思われます。どうするおつもりなのでしょうか?--Yasumi 2011年11月27日 (日) 01:46 (UTC)
妥協できるものに妥協するか、さもなくば投票条件の詰めを秋田城之介さんと協力して進めるべきでしょう。Yasumiさんが投票を提案したからこそ、その線でまわりが動いているわけです。周囲を疲弊させているのはどなたでしょうか。--Chokorin 2011年11月27日 (日) 02:04 (UTC)
Yasumiさんに質問します。
「結局の所、余程の事情がない限り、出典『九州征伐』から作った記事は記事名「九州征伐」となり、出典『九州平定』から作られた記事は記事名「九州平定」となり、出典『九州攻め』から作られた記事は「九州攻め」となるのではないでしょうか?この記事は、出典『九州の役』や「九州役の陣立書」から作られた記事名「九州の役」なのです。」
とおっしゃったのはどなたでしょうか。--Chokorin 2011年11月27日 (日) 02:33 (UTC)
回答は容易いのですが、その前に議論に臨む態度を表明していただきたい。Chokorinさんはこの議論で「四国攻め」への改名提案はするが実務としての投票の調整をするつもりはないし、上のご質問のような投げ掛けを続けてこれからも議論を続けるおつもりでしょうか?このご質問で、また合意から遠ざかっているとしか思えないのですが?
そして一応回答します。何もない状態から記事を一から立てる前提で、出典タイトル『九州征伐/攻め』が記事主題「九州征伐/攻め」を表している場合、記事主題「九州征伐/攻め」の記事名は「九州征伐/攻め」になるであろうということです。この場合、基幹出典『九州の役』の主題は「九州の役(豊臣と島津の戦争)」であり、本記事主題も「九州の役(豊臣と島津の戦争)」であるので記事名も主題通り「九州の役」となります。仮に、たとえ『九州攻め』というタイトルの本があっても、用法が主題と異なっているであればそれは記事名には相応しくないと思います。管見の限り、主題と異なる用法が多いのであればそれは現記事雌に相応しくないと思えるのです。--Yasumi 2011年11月27日 (日) 10:11 (UTC)

「四国攻め」と何度もおっしゃっていますが「九州攻め」のことでしょうか。さて、あらためて「いったん『九州攻め』に記事を移動したうえで加筆に注力する」ことを提案いたします。上のコメントは、Yasumiさんもお認めのように、ほかでもないYasumiさんの御意見なわけですが、その御見解にしたがえば、すでにこの記事の名前は「九州攻め」とするのが妥当であり、「九州の役」のままになっていることは不合理であり、不適切ということになります。つまり、重複記事の立項を認めないという前提であれば、Yasumiさんのおっしゃる「瞬間風速」こそが唯一の解決方法になるということです。この記事は、現状では過半が出典『九州攻め』から作られているわけですから、Yasumiさんが妥協しようが妥協しまいが、「九州の役」のままにしておく理由がまったくありません。そしてまた、真に加筆に注力したいのであれば、出典豊富な「九州攻め」にいったん改名した方がずっと加筆が進むでしょう。秋田城之介さんも「九州攻め」には妥協できるとおっしゃっているわけですから、Yasumiさんがいったん「九州攻め」へ移動させることに合意するならば、少なくとも秋田城之介さんによる改名提案は取り下げられることになります。改名提案が取り下げられるのであれば、加筆に注力する環境は一瞬にして成立するわけですから、「加筆に注力したい」というYasumiさんのお言葉がウソでないならば、一刻も早く妥協なさるべきでしょう。妥協さえすれば御自分のお望み通り、加筆に注力する環境が整えられるわけです。現状の記事名のままで議論をクローズする、議論を棚上げするという御提案ですが、そもそもそれは反対者が多く、不可能です。Yasumiさんが何が何でも「九州の役」に戻したいというのであれば、参謀本部の本など「九州の役」のみを出典に大幅加筆していけばよいだけの話です。一度妥協してくだされば、何も永久に「九州攻め」のままにしようというのではありません。Yasumiさんに国語辞書的なこだわりがあるのは理解できますが、「豊臣・島津戦争」を「九州の役」と呼ぶことが確かに間違いではないのと同様、「豊臣・島津戦争」を「九州攻め」と呼ぶことも間違いではありません。現に多数の日本史学者が「豊臣・島津戦争」を「九州攻め」と呼んでいるのであり、「九州の役」と呼ぶ学者よりも多いのです。あなたは、ただ単にそれを認めるだけでいいのです。余計なことをお考えになる必要はありません。これは、妥協でも何でもないと思うのですが、それがイヤならば、投票条件の詰めを秋田城之介さんと協力してお進めになってください。Yasumiさんが投票を提案したからこそ、それを受けて周囲が投票前提で動いているのです。あなたの選択肢は2つに1つでしょう。そのあたりを、よくお考えになって真に記事を成長させる道をお選びください。--Chokorin 2011年11月27日 (日) 12:11 (UTC)

上の「四国攻め」については投票時の条件整備についてはそのまま、それ以外は「九州攻め」の間違いです。さて、Chokorinさんの問い合わせについては既に見解の相違を述べているのですが、改名提案者側として投票整備を棚上げしてまで更なる説明や議論を必要としますか?投票前提と言いつつ議論を蒸し返したり継続して調整を行わないのであれば、いつまで経っても話は纏まらないでしょう。--Yasumi 2011年11月27日 (日) 21:03 (UTC)
「議論を一旦クローズ、または一年ぐらい棚上げして記事を発展させることに注力すること」の提案は取り下げたと判断していいですか? --Chokorin 2011年11月27日 (日) 21:28 (UTC)
言葉尻だけを捉えて前提を無視しないで下さい。1.「議論で合意の目処が立たない」、2.「投票の整備も進まない」、であるのなら堂々巡りや資料調査で疲弊するよりも棚上げした方が良いと考えたのです。実際に不毛だと指摘した意見も数人から得ていますよね?やはり同じ議論が繰り返されるなどで提案が進まないであれば、棚上げした方が良いでしょうね。--Yasumi 2011年12月2日 (金) 22:50 (UTC)
投票の整備も進めてはいるのですが・・・。加筆に専念したいという当初の主張から変わっている上に、投票も妥協もイヤだ、ではYasumiさん自ら堂々巡りにしているようなものでしょう。--秋田城之介 2011年12月3日 (土) 15:36 (UTC)
秋田城之介さんも、同じく前提を無視しないでください。コメントをつけるのであれば、前提として書かれたことは読んでいただきたいのです。理由は上述した通りです。提案者が合意を進めないのであれば、議論を棚上げして堂々巡りに使うエネルギーを執筆に注力すべきといっているのです。提案者の秋田城之介さんは議論による合意を進めるつもりなのですか、投票による合意を進めるつもりなのですか? これも前提の問題ですが「投票も妥協もイヤだ」と条件もなしに私が言ったといわれるのであれば、きわめて悪質なレッテルです。コメントをよく読んだ上で、このようなことはお止めください。--Yasumi 2011年12月8日 (木) 21:28 (UTC)
Yasumiさんが言った条件というのは現状を正しく認識しておられないと感じ、また棚上げの根拠も薄いので両方とも拒否しているように見えてしまうのです。1年も棚上げして何を得るというのでしょうか?--秋田城之介 2011年12月9日 (金) 02:49 (UTC)
本ノートにおいて合意へ向けて提案が推進されず、堂々巡りの議論にリソースを消耗するのなら、そのリソースを執筆に注力した方がプロジェクトの発展に貢献するであることは自明の理ですが?--Yasumi 2011年12月11日 (日) 23:46 (UTC)

大幅な記事削除について

Chokorinさんのこの大幅な記事削減[4]は意図が読めなかったので、一旦差し戻して多少加筆させて頂きました。改名議論中ですし、必要な記事削除であれば解説をお願いします。--Yasumi 2011年11月27日 (日) 21:03 (UTC)

「結局の所、余程の事情がない限り、出典『九州征伐』から作った記事は記事名「九州征伐」となり、出典『九州平定』から作られた記事は記事名「九州平定」となり、出典『九州攻め』から作られた記事は「九州攻め」となるのではないでしょうか?この記事は、出典『九州の役』や「九州役の陣立書」から作られた記事名「九州の役」なのです」。このYasumiさんの言葉にしたがえば削除が妥当と判断します。出典「九州攻め」から作られた記事は「九州攻め」になるのでしょう。違いますか? --Chokorin 2011年11月27日 (日) 21:21 (UTC)
強行編集はお止め下さい。この記事は貴方の物ではありません。Wikipedia:記事の所有権を参照下さい。--Yasumi 2011年11月27日 (日) 21:28 (UTC)
とはいえ、あなたのものでもないはずですね。出典「九州攻め」から作られた記事は「九州攻め」になるのではなかったでしょうか。御自分のおっしゃたことには責任をお持ちください。投票を提案されたのもYasumiさんだったのではないでしょうか。--Chokorin 2011年11月27日 (日) 21:34 (UTC)(修正)--Chokorin 2011年11月28日 (月) 03:02 (UTC)
もちろん私の所有記事でもありません。Chokorinさんが私の発言を引用し、それを以てなぜ削除が正当化されるのか、ちょっと理解できませんでした。該当部分は「九州の役」を構成する一部だと認識していましたが、違うのに記述されたのですか?--Yasumi 2011年12月2日 (金) 22:50 (UTC)
違うのに記述してしまいました。だから、削除しました。この記事には「九州役の陣立書」さえあれば充分だと思います。--Chokorin 2011年12月3日 (土) 03:10 (UTC)
残念ながら、そのように思えません。削除された記述は充分に「九州の役」の概念の一部ですし、主題説明に益していますし、掲示期間的にも長らく容認されていました。そのまま記述を残しましょう。削除に反対です。--Yasumi 2011年12月8日 (木) 21:28 (UTC)

コメント 結局のところYasumiさんは、「九州攻め」での妥協は拒否するということでよろしいでしょうか?その所はハッキリさせて頂きたい。またChokorinさんご自身が「九州攻め」を独立させる場合、改名投票では本項に対して「九州の役」・「九州征伐」の二候補となる、という認識でよろしいでしょうか?--秋田城之介 2011年12月3日 (土) 15:36 (UTC)

「九州の役(=主題:豊臣と島津の戦争)」を主題とする本記事を「改名」して「九州攻め(=主題:秀吉が島津を攻撃した行為)」とする案は妥協案ではないので妥協できかねます。 また、「九州攻め」の新規立項についてですが、記事の主題の取り方でおかしなことになりそうです。1.「九州の役」と同主題の別記事であれば、先に引用したとおり重複記事でありガイドライン違反です。2.「九州の役」の一部を別の概念で描写した「秀吉が島津を攻撃した局面のみの詳説記事」であるならば、その単位での記事は戦争全体から時間も場所もバラバラの局面を切り刻んで集めたものとなり、特筆性に疑問を感じます。3.「九州攻め」が九州平定のように歴代の「九州攻め」と呼ばれる事象の羅列記事であれば、あまり問題とならないのかもしれませんが、「豊臣と島津の戦争」の詳説は「九州の役」におくべきではないかと思います。 いずれにしろ、改名議論を進めていたChokorinさんは九州平定九州国分などの類似記事群を書いておりますので、改名議論や記事の住み分けについて、抵触する部分の説明は必要きだと思います。でないと、重複記事を立てた上に、削除議論による更なる混乱と疲弊が齎される危険を感じます。かなうなら、建設的に行きたいものです。--Yasumi 2011年12月8日 (木) 21:28 (UTC)
たしかに行き過ぎた乱立は避けるべきかもしれませんが、九州攻め立項がガイドライン違反になるかは疑問の残るところです。妥協案については妥協できないということで了解しました。投票の準備にご協力ください。--秋田城之介 2011年12月9日 (金) 02:52 (UTC)
ですから、秋田城之介さんも含めて議論による合意が終結していないのに、投票準備を始めるのは混乱の元です。また、投票に関する私の意見が一顧だにされていないのも不審です。--Yasumi 2011年12月11日 (日) 23:46 (UTC)

なんだか

とっても不毛な争いになっています。九州の役、九州攻めのどちらにも理があって、そしてどちらも意地になってしまっているように見えます。このままではいつまでもかかってしまいそうです。投票ですっきりするか、豊臣と島津の戦いくらいで妥協しませんか? みなさん全員が貴重な時間をロスしているとおもいます。--朝に弱い姫 2011年11月29日 (火) 07:18 (UTC)

Wikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名について において投票の準備をしております。今ここで議論されているのは、妥協案の最終的な是非で、それ自体はもうじき終わるのではないかと思います。--秋田城之介 2011年11月30日 (水) 02:14 (UTC)
本記事の変更は基本的に記事のノートにおける合意で決定されます(Wikipedia:ノートページのガイドライン#記事のノートページの使い方)。一方、コメント依頼は第三者よりの意見を拝聴する場です(Wikipedia:コメント依頼)。今まで議論してきたノート参加者を排除した密議で決定してはいけません。--Yasumi 2011年12月2日 (金) 22:50 (UTC)
朝に弱い姫さんの御提案については、Yasumiさんが主張される、現状の「九州の役」のまま議論を棚上げするという案よりは、いったん豊臣と島津の戦いなり豊臣・島津戦争に移して加筆に専心する方がよほど公平だと思います。期日を設けて、あらためてこの記事にふさわしい名称を選ぶということであれば、同意します。投票については、特段、ノート参加者を排除しているわけではありませんので「密議」の表現は不適切と考えます。もともとはYasumiさんの御提案から始まっている話ですから、自分が率先して投票条件にかかわる議論を進めるか、さもなくば、他者の決めた条件にしたがうべきでしょう。いたずらに議論を引き伸ばすのは、議論妨害に相当すると思います。「九州攻め」への改名が「改悪」とのYasumiさんの御説ですが、峰岸純夫・片桐昭彦編『戦国武将合戦事典』(2005年、吉川弘文館)では、見出しに「九州攻め」が使用され、冒頭で「豊臣秀吉が天正15年に行った島津氏平定の戦い」と説明されています。これは、今井林太郎氏の執筆によるものです。自分としては、Yasumiさんの個人的見解にしたがうよりは、学者の見解にしたがうべきと考えており、山川出版社『日本史小事典』(2001年)、角川書店『日本史事典』(1997年)、平凡社『日本史事典』(2001年)などでも「豊臣・島津戦争」をして「九州攻め」の語が用いられている以上、仮にYasumiさんが「改悪」と考えているとしても、学者では大勢では「九州攻め」を許容しているのであり、その事実を重視すべきと考えます。事典の見出しとして「九州の役」を採用している例を寡聞にして知りません。また、小和田哲男、藤木久志、藤田達生、山田邦明、堀新、山本博文などの各氏も「豊臣・島津戦争」の意味で「九州攻め」を用いているのであり、確かに「九州の役」が使用されない例がまったくないわけではありませんが、それは、あまりにも稀少な例であり、一般的ではありません。そして、稀少であり、一般的ではない用語をあえて使っているからこそ、改名議論が続いているのです。Yasumiさんは、あれだけ苦労して「四国征伐」から「四国攻め」への改名を推進されたのですから、九州に関してだけ「九州攻め」が許容できないというのは理屈に合わない。また、長期的にみた場合、「九州の役」のままにしておくよりは、「九州攻め」にした方がはるかに加筆が進むと思います。「妥協」もしたくない、朝に弱い姫さんの御提案にも乗りたくない、投票もしたくないというのであれば、「九州攻め」の立項をお認めになるべきでしょう。--Chokorin 2011年12月3日 (土) 04:12 (UTC)
記事の変更については、基本的にノートで決めるとガイドラインにあり、井戸端やコメント依頼は第三者からコメントを受ける場であり、受けたコメントはノートに持ち帰って議事を進めるものです。コメント依頼を乱用して設置目的と異なる場に変え、一部の有志で議決してはなりません。しかも、秋田城之介さんの作ったコメント依頼ページは当初公開されておらず、月を跨いだ後にようやく公開されています。
「戦い」は概念が広いので注意が必要ですが、「豊臣と島津の戦争」への棚上げ改名であれば私としては一考に価します。1.私以外の人にも妥協案として成立しそうか? 2.出典はあるのか? の目下二点のクリアが必要ですが、具体的には失念しましたが、記事を書くために集めた文献で見た記憶があります。
「豊臣秀吉が天正15年に行った島津氏平定の戦い」 >やっぱり、記事の主題と同じ「戦争を中立的に描写した概念」でなく、「秀吉の主体的行為を概念」とした事例ですよね?前にも聞きましたが、戦争に於ける島津の主体的行為も「九州攻め」の概念ですか?つまり、この「九州攻め」は記事主題と異なった事例であり、記事名称としては曖昧な候補です。一部の辞書に「九州攻め」を戦争名称の代名詞として説明しているものはありますが、Chokorinさんが持ち出した文献を読んでも「九州攻め」のに殆ど(少なくとも大半)は「秀吉の主体的行為」を意味する概念で使用されており、例えば「島津の主体的行為」に対して「九州攻め」の名称で使用されていません。読めば分かるとおり、「九州攻め」の本義は「秀吉が島津を攻撃した行為」であり、本記事の主題の一部を別の観点から表現した用語なのです。一般的でないと言われますが、「豊臣と島津の戦争」を表す名称としては、「九州の役」が最も一般的に使われています。--Yasumi 2011年12月8日 (木) 21:28 (UTC)
「「豊臣と島津の戦争」を表す名称としては、「九州の役」が最も一般的に使われてい」るというのは残念ながら事実じゃありません。「豊臣と島津の戦争」を表す名称としては「九州攻め」「九州出兵」「九州征伐」その他たくさんの用語が用いられているのであり、「九州の役」はそのなかの認知度の低い一つにすぎません。「一部の辞書に「九州攻め」を戦争名称の代名詞として説明しているものはあります」ということですが、決して一部ではなく、上述したように比較的多数におよびます。そして、それに対して「九州の役」は皆無なわけです。つまり、学者の多くは「「豊臣と島津の戦争」を表す名称として「九州の役」を採用していないのです。「九州攻め」は本記事の主題の一部であり、そしてまた本記事の主題の全体でもあるわけですから、問題はありません。「九州攻め」という戦争のなかで島津が主体的に動いた行為についてはそのなかで書かれていいでしょう。「元寇」において日本が主体的に動いた行為は記すべきというのと同じ理屈です。--Chokorin 2011年12月8日 (木) 23:28 (UTC)
Chokorinさんの提示された出典における「九州攻め」の使用例の殆どが「秀吉の攻撃行為」や「秀吉による平定戦」であるとの評価や視点の限定された用語であり、「本記事」の「中立的に描写された戦争」ではありません。「戦争」を意味しない用例を提示されても、「秀吉の主体行為の意味が非常に強い用語で、戦争の意味は例外的」としか思えません。 「元寇」記事については、「対日本侵攻の呼称」という定義であって、戦争視点ではないですよね?--Yasumi 2011年12月11日 (日) 23:46 (UTC)

それで、投票はいつからですか?投票で決着にしたくない人は、負けそうだから駄々こねてるだけ見たいに思われちゃいますよ・ --朝に弱い姫 2011年12月9日 (金) 07:53 (UTC) もう、来週からでも投票しちゃいましょう。

可能であれば投票で決着をつけるよりは、話し合いによって決着をつけたいと思っています。投票で決着をつけようと提案したのはYasumiさんですし、それによって周囲の人が投票の実施に向けて準備されているわけですので、正直言えば、私としては、それに乗るしかないわけです。一応、YasumiさんがWar(戦争)、Campaign(戦役)、Battle(戦闘)ということをおっしゃったのでコメントしておくと、御承知かと思いますが、日本語の「役」は必ずしもCampaignの翻訳ではなく、それ以前からある日本語です。つまりは、原義としては「人民を公役に用いること」「公用の勤」から派生して「大がかりな戦争」の意味になったわけで、考え方としては賦役などと同じです。そうしてみた場合、豊臣・島津戦争を、九州侵攻戦であることを重くみたら「九州攻め」、反逆者島津の掃討戦であることを重視したら「九州征伐」、そして、狩り出された人民や兵士の立場に立ったら「九州の役」ということになります。どうしても原義にこだわるというのであれば、単純に「役」=「戦争」ではありませんし、「役」の語もまた「戦争の一部を別の観点から表現した語」にほかなりません。そしてまた、天下統一の途上にあって「賦役」「公役」という評価が果たして九州や富山の時点で適切かどうかは、個人的にはおおいに疑問を感じます。その点、小田原・関ヶ原・大坂について「役」の語は比較的多く用いられるものの、四国や九州に関して「役」を用いる学者が皆無に近いというのもおおいに肯ける話です。「役」をまた、「軍役」としてとらえるとしても、動員されたのはせいぜい四国・中国あるいはその周辺の大名に限定されます。文禄・慶長の役のように全国の大名に軍役を課したのではありませんし、これを「公用の勤」というのは過大評価になるでしょう。そのあたり、議論の余地がおおいにあるわけですから、「九州の役」もまたきわめて曖昧さをともなう語といえます。Yasumiさんの大好きなことばで言えば「劣点」ということになるでしょうか。以上の議論とはまったく別に、欧語の翻訳語を適用して考えた場合、秀吉にとっては天下統一戦争・西国平定戦争の一環という意味ではCampaignでしょうが、島津にとっては紛れもなくWarでしょう。だから、単純に「役」を「Campaign=戦役」の略語として当てはめるとしても、問題はのこるわけです。このように、様々な問題を含むうえに一般的になじみが薄いのであったら、何も無理をして「九州の役」の語を使い続ける意味がありません。一般の利用者にとってピンと来ないような記事名は、それだけで劣点だらけです。この戦争が秀吉にとっても島津氏にとっても「九州侵攻戦」であることは確かであり、そこを重視して記事名を「九州攻め」とすることに特に致命的な問題があるわけではありません。仮に、改名議論を棚上げするとしても、Yasumiさんの主張「結局の所、余程の事情がない限り、出典『九州征伐』から作った記事は記事名「九州征伐」となり、出典『九州平定』から作られた記事は記事名「九州平定」となり、出典『九州攻め』から作られた記事は「九州攻め」となるのではないでしょうか?」に沿って、現実にはこの記事の過半は「九州攻め」からつくられているから「九州攻め」にしようということです。すでに提案者である秋田城之介さんはそれで同意されているわけですから、真に記事の加筆に専念したいのなら、まずは「九州攻め」への移動にいったん同意して改名提案を取り下げていただくのが筋というものです。そのうえで、やはりどうしても「九州の役」でなくてはならないというのであれば、あらためてYasumiさんの方から改名提案を出されるがいいでしょう。--Chokorin 2011年12月11日 (日) 06:52 (UTC)
Chokorinさんの見解は随分とおかしなものと言えます。私は去年11月に投票による合意を提案しましたが、以後1年以上も議論による合意を優先される方が居られるため、今に至って議論が止んでおりません。今現在もChokorinさんを含めて議論を続けるのに、投票へ向かっていないと言われても困ります。
また、記事主題の戦争を、侵攻戦のみ解釈で記事名にしたいという評価の押しつけも疑問です。戦争には様々な局面があり、侵攻戦や平定戦のみの視点で記事が構築されていない以上、評価や解釈を押しつけない戦争名称を使うことが読者に予断を与えない利点となるでしょう。
「役」の語源はともかく近代的なドイツの戦史研究に倣って参謀本部が「九州の役」に与えた役の意味は他例からも中世近世の「戦争」の意味であり、Chokorinさんによって固有名詞「九州の役」について役が動員を意味するという出典が示されない以上、「発表済みの情報の合成」であり、単なる言い掛かりでしょう。 
ウィキペディアのガイドラインでは、投票による合意よりも議論による合意が優先されるようです。議論による合意が進められるのであれば応じざるを得ません。 さて前述の通り、「四国征伐」改名案や「四国攻め」改名案について検証しましたが、私にとって妥協案とは言えません。一方、朝に弱い姫さんの提案された「豊臣と島津の戦い」の方向で「豊臣と島津の戦争」あたりへの妥協は一考に値すると思います。合意までの条件については前段の通り出典と賛意の状況によりますが、如何でしょう?駄目なら駄目と言わずに議論へ進むも投票へ進むのも不実だと思います。
投票による合意をするのであれば、提案者は議論を終結する取り纏めをすべきです。それとも、投票を止めて議論を続けるのですか?--Yasumi 2011年12月11日 (日) 23:46 (UTC)
言いがかりでも何でもないことは、本記事に出典が記載されていますので御覧になられるとよいでしょう。参謀本部がどんなつもりで「役」の語を用いたのかは知りませんし、それこそ出典が必要なところでしょうが、現実には現代の歴史研究者がその語をほとんど用いていないのです(少なくとも九州に関しては)。予断というのなら、読者に対し「九州の役」が最も一般的に使われているかのような予断、ないしは誤解をあたえてしまうのは劣点といえるでしょう。自分としては、現代の歴史学者の研究成果にもとづいて加筆してきましたし、これからもそうしたいので、新規に「九州攻め」の記事を立てたいと思います。投票に関しては、「九州の役」と「九州征伐」の2者でおこなえばよいでしょう。立項後は、さしあたって、本記事において私が「九州攻め」を典拠として加筆してきた部分に関しては、新記事とは重複する内容になるので削除することになるでしょう。棚上げに関しては、不可能と判断いたしましたので、私自身の棚上げ提案は撤回します。--Chokorin 2011年12月12日 (月) 00:56 (UTC)
三階菱さんによりWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてが無効として白紙化されましたが不適切ですので、ログへのリンクを行いました。議論の場が拡散したままではキリがないのでリバートではなく、ログ化としたことをお知らせします。--Tiyoringo 2011年12月14日 (水) 15:16 (UTC)

投票への最終調整

報告 Wikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてにおいて投票条件に関する以下の概要が固まりました。

  • 改名候補 - 九州の役、九州攻め※、九州征伐。
  • 投票者の資格 - 投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上、投票要綱決定時から直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。
  • 投票場所 - 各ノート。
  • 投票期間 - 2週間。
  • 再提案の提出 - 制限しない。
  • CU特別条件 - 投票後に投票者全員へのチェックユーザー提案があっても、投票者はこれに反対しない。

以上のような条件下で投票を行うかどうか、こちらで最終確認を行いたいと思います。「九州攻め」を候補に残すかどうかは、九州攻めを推していたChokorinさんの意見次第でなくなるかもしれませんが、最終的な決定ののち、数日後の投票開始となるかと思います。--秋田城之介 2011年12月15日 (木) 05:32 (UTC)

前回の書き込みを以て、このノートでの議論からは撤退したつもりでいました。「九州攻め」を候補に残すかどうかについてはお任せしますが、私としては、別に残していただかなくても構いません。--Chokorin 2011年12月15日 (木) 09:34 (UTC)

(条件付き賛成) この条件での投票に賛成ですが、同数があった場合の決戦投票はしないという認識でよろしいでしょうか?またChokorinさんに質問なのですが、「九州攻め」の新規執筆の予定がないということでよろしいでしょうか?あるのであれば候補にするのはやめたほうがいいと思いますが。きっと後々の混乱となりますので。--貫鉄 2011年12月17日 (土) 06:22 (UTC)

上で述べたとおり、何ヶ月先かはわかりませんが「九州攻め」を新規に立項するつもりです。このノートでの議論についてはこれを以て撤退いたしますので、改名先候補にする、しないについては、ここにいる方々にお任せいたします。--Chokorin 2011年12月17日 (土) 07:17 (UTC)
  • 条件付反対(条件:投票による解決に移る前に、対話による合意ができなかったことを確認すべき)
  1. (条件付賛成でも良かったのですが、順を追う・隙を見せないために、あえて)私は投票による解決は1年以上前に提案しているため、方向としては良いと思います。しかし、なぜ私の投票提案が踏みにじられていたかと言えば、次々に優先されるべき対話による解決が続けていられたためです。今回も、途上で新参加者・新提案等による議論が蒸し返されないために「Wikipedia:論争の解決#ステップ3: 第三者を交えて議論する」が解決できなかったことを合意した上で、「ステップ4: 投票」による改名合意へ移るべきです。
  2. もう一点はその前に、直近で提案されている妥協案について答えを出さねばなりません。反対なら反対が居ることを確認して対話による合意が不成立であることを合意しましょう。 具体的には朝に弱い姫さんから「豊臣と島津の戦い」が妥協案として提出されており、私は条件を述べた上で記事主題と同種の「豊臣と島津の戦争」などについては一考の余地があると述べました。Chokorinさんも「豊臣と島津の戦い」なり「豊臣・島津戦争」に含みを持たせています。対話による合意をクローズして投票による合意へ移行するには、確認が必要です。
  3. (投票条件の整備について)以前からの意見も踏まえて下記の提案と共に、条件の改善を求めます。
  • 投票者の資格 >既に改名議論への干渉事例が複数あることから、多重アカウントによる工作を予防するためにも、活動実体を反映するような条件の引き上げを求めます。特に現在の条件では投票用に速成栽培・維持されたアカウントの投入が容易に想定されるので不満です。投票者はCU提出の場合に支持をする旨の条件も振り落とされています。
  • 投票期間 >1週間で充分だと思います。
  • 再提案の提出 >投票直後の再提案を制限しないのであれば、投票解決の甲斐なく本末転倒です。再提案条件を付けて、少なくとも1年は改名を凍結したら良いと思います。
  • 改名候補 >投票候補エントリーのプロセス・条件について、次を提案します。投票による改名合意が確認された後、第一週中に賛成者による記事名候補のエントリーとp点(肯定的意見)の編集。第二週中にn点(批判的意見)の編集。第三週で投票。なお、投票に先立って記事の定義について提案者同士でもブレがあるため、再確認の必要があると思います。如何でしょうか?
  • 最多票が同点の場合 >貫鉄さんと同じ疑問です。最多票が同点の場合はどうするのですか?
--Yasumi 2011年12月18日 (日) 10:14 (UTC)

コメント >貫鉄さん 同数であった場合は現状維持となり、必要であれば「再議論」のうえ再提案するしかないと思います。再提案に制限をかける場合でも、同数の場合は例外にすべきではないでしょうか。「九州攻め」については、Chokorinさんから新規執筆について明言がありましたので、候補に入れない方向で良いと思います。ただ、エントリーとして他に方が推せば話しは変わってくるでしょう。
>Yasumiさんの1.について、既にコメント依頼や井戸端で意見を募り、それでもなお投票すべきという意見が多かったので、それらによる「議論解決」はできなかったという認識は私にもあります。
2.について、妥協案たる「豊臣と島津の戦い」ですがこれもTiyoringoさんの案同様、出典による具体的な補強がないのでこのままであればクローズということになるでしょう。
3.投票者CUについては私の記載ミスで、既にこれは不正投票対策として合意事項だと思っています。
投票者の資格に関しては、私がこの節で掲示した条件はコメント依頼で合意を得たものですので、これを変更するには同様な合意が必要です。個人的には一部変更は可能だと思いますが、現在の投票者条件は他の投票と比べて特別に脆弱だというものではありません。Yasumiさんからも具体案を出すべきではないでしょうか?
投票期間にしても最終的には多数決で決めざるをえないかと思います。
記事エントリーと肯定否定点の編集に時間を割くのは賛成ですが、エントリー・肯定・否定全て一週で済ませるべきだと私は思います。
再提案に関しては半年~1年間程度であれば私は合意できますがその場合は、同数であった場合は例外として(再議論のうえ)数ヶ月後の再投票を認めるかたちにすれば良いと思います。--秋田城之介 2011年12月19日 (月) 03:02 (UTC)


確認 先日のYasumiさんの意見にもありましたが、2点確認したいと思います。

  • 第三者を交えての議論で論争を解決できなかった点
  • 「豊臣・島津戦争」「豊臣と島津の戦い」などでの妥協の不成立
私は上記2点について賛成します。--秋田城之介 2011年12月22日 (木) 02:51 (UTC)
秋田城之介さんのコメントからすれば「豊臣と島津の戦争」妥協案は出典があれば賛成すると言うことでしょうか?お答え下さい。 他の方からも妥協案に反対意見はないようですが、如何ですか?ご確認願います。
投票資格について、厳格化して投票用に促成栽培され、投票後に使い捨てられたノート:四国攻め/Log1のような事例を繰り返さない為の予防措置を考慮下さい。低いハードルであること、想定されるハードルであること、この二点に問題があります。いっそのこと、ノート参加者は投票不可にする、投票者IPを自己申請する等を条件にしますか?--Yasumi 2011年12月25日 (日) 02:56 (UTC)
コメント 既にコメント依頼で全員に対するチェックユーザーをやると決めているのに、ノート参加者は投票不可にする、投票者IPを自己申請するなんていう突飛な案には反対です。--小判キング 2011年12月25日 (日) 16:44 (UTC)
コメント 「豊臣と島津の戦争」には反対ですが出典次第では投票候補に入れても良いと思います。その上で、上記2点について賛否表明をお願いします。
投票者条件についてですが、Yasumiさんがどのような条件を希望しているのか具体案とその根拠を示すべきではないでしょうか?現実的には、複数の案を出してそこからコミュニティの支持を得られた方式でやるのがベストですが、少なくとも私の出した提案はコメント依頼では反対意見が出ませんでしたので、Yasumiさんの考えている基準がどの程度、コミュニティの支持を得られるかどうか具体案を出して試されるべきです。--秋田城之介 2011年12月26日 (月) 02:52 (UTC)
小判キングさんへ。コメント依頼は第三者からコメントを貰う場であって、記事の改変はノートで決定されるはずですが?なぜ、ノートの参加者を無視して話を進めるのでしょうか?
秋田城之介さんへ。以前にも述べましたが、投票条件をクリアするためだけに作られ投票後に遺棄される様なアカウントの投票によって結果が左右されては堪らない、と言うことです。 また、「妥協案たる「豊臣と島津の戦い」ですが・・・出典による具体的な補強がないのでこのままであればクローズ」と発言され、なおかつ「「豊臣と島津の戦争」には反対です」とのことで、出典があれば妥協する余地があるのか?出典があっても反対するのか?矛盾していますのでもう一度、整合性を取って下さい。候補化については、私の提案したエントリーと比較整理の3週間プロセスに則って、賛成者が候補をエントリーする問題であり、反対者が投票候補化を妨害する筋合いではないと思います。確認下さい。--Yasumi 2011年12月31日 (土) 22:56 (UTC)
ですから、「票後に遺棄される様なアカウントの投票によって結果が左右されないような条件」とはどのような条件でしょうか?また現在の他の投票と比較しての検討も必要でしょう。具体的な例示をされないようですと、単なる投票開始の引き伸ばし行為と受け取られても仕方がないと思います。「豊臣と島津の戦い」については既に整合性を取っています。「無投票で妥協案にすること」には反対ですが、「出典をつけたうえで投票候補に入れること」には反対していません。--秋田城之介 2012年1月1日 (日) 05:12 (UTC)
条件ハードルを上げたい動機のニュアンスは「されない」ではなく、「されにくい」です。投票資格の具体案について話す前に、「対話による合意をクローズし、代わって投票による合意へ移行する、との合意」を形成してください。先だっても「出典があれば妥協の余地があるかのよう」に匂わせて対話を続け、一年以上前からの私の投票提案を蹴り続けた秋田城之介さんに投票引き延ばしを指摘されるのは非常に心外です。提案者として推進に努める気があるのであれば、Wikipedia:論争の解決従って隙のない手順を踏んでください。--Yasumi 2012年1月9日 (月) 12:23 (UTC)
私は「Yasumiさんの投票提案を蹴った」覚えはありません。「無投票で妥協案にすること」と「出典をつけたうえで投票候補に入れること」は全く違いますから、それを取り違えられたことに対しては責任の持ちようがありません。
私はすでに2011年12月22日 (木) 02:51 (UTC)の時点で合意に至らなかったという確認を問いかけています。もういちど確認をしろということであれば、確認はします。投票条件に関しては具体的な基準と根拠の提示を願います。--秋田城之介 2012年1月12日 (木) 02:50 (UTC)
出典の有無に関わらず、「豊臣と島津の戦争」妥協案に秋田城之介さんが反対されるのであれば、対話による合意の余地はないと思われます。対話による合意の段階がクローズしたと確認し、投票による合意を優先させることに賛同します。
なお「「無投票で妥協案にすること」と「出典をつけたうえで投票候補に入れること」は全く違いますから、それを取り違えられたこと」の発言の意味が理解できません。議論に必要な発言であったのであれば、補足説明をして下さい。--Yasumi 2012年1月15日 (日) 05:36 (UTC)
要するにこちらとしては「出典があれば妥協の余地があるかのよう」に匂わせる意図は無かったということです。--秋田城之介 2012年1月17日 (火) 02:25 (UTC)

「対話による合意」から「投票による合意」へ移行する確認

確認 対話から投票へ完全移行するための同意について、今一度賛否をお願いします。--秋田城之介 2012年1月12日 (木) 02:50 (UTC)


  • 提案 上記では言葉が足りないように思いますので、再提案します。改名議論について、2010年6月7日 (月) 05:07 (UTC) の小判キングさんの提起から対話が始まりましたが長らく解決を見ないため、ここに「対話による合意」を一旦棚上げし、「投票による合意」を優先することを提案します(ガイドラインWikipedia:論争の解決#ステップ4: 投票による解決へ移行する確認、投票条件は移行後に整備)。合意に向けた方針提案について賛否を表明下さい。

終了 一週間以上経ちましたが、賛成意見のみでしたので「投票へ完全移行」が合意されたとして確認を終了します。--秋田城之介 2012年1月20日 (金) 02:38 (UTC)

    • 反対 ちょっと待ってください。見るに見かねてアカウントをとってコメントします。これだけ時間をかけているのに早急な決定に反対です。最後についた意見からまだ三日しかたっていません。
    • ウィキペディアは多数決主義ではありませんWikipedia:投票は議論の代用とはならないも参照してください。それに秋田城之介さんはノート:四国攻め/Log1やここの議論で議決投票に反対してきた事実があります。突然今になって多数決に宗旨替えをすることは非常に疑問ですし相当に説得力のある説明が必要ですし、強くそれを求めます。
    • それに秋田城之介さんは征伐に改名して一方からの政治的意義と戦争の両方の意味がある記事に改変するそうですが、この提案は改名の範囲を超えており記事そのものの改変です。改名といいつつ改変するのは誤魔化しです。改名のふりをして黙って記事を変質することに強く反対します。提案に隠された議論が尽くされていないのですから、提案に伴う責務として、これらの疑問に答える説明責任を果たさない限り私は議論が尽くされたとは思いません。現段階で議決投票をすることに明確に反対を表明します。
    • それ以外にも秋田城之介さんの議事進行は公正でない点が多く見られます。たとえば投票条件についてノート外部で話した内容を前提に強引に議事を進めるなど顕著です。それともまさか投票条件を達成した多重アカウントの準備ができたから急に投票に転じたのではないでしょうね?投票条件を低めにしたがる態度と一致するので心配です。不正のない議論をお願いします。Tenseki 2012年1月21日 (土) 01:41 (UTC)
コメント 提起から一週間以上賛成意見のみであれば、合意とみなされてもしかたないと思います。Tensekiさんの『反対理由』も適切ではないです。現状定義変更については既に議論の中で触れていますし、四国攻めの投票でも最終的に私は投票に賛成しています。他にもあなたの虚偽のコメントについて言いたいことはありますが、逸れるので会話ページに書きます。現状のままではあなたのコメントを聞き入れようとは誰も思わないでしょう。--秋田城之介 2012年1月24日 (火) 02:48 (UTC)
秋田城之介さんは投票に移る前に提案の説明責任を果たしてください。最後の意見から僅か二日で締め切るつもりだったんですか?締め切りも告知していないのに。三ヵ年に渡る異様に長い議論で早急な独断はよろしくありませんね。今投票へ移ることに反対です。Tenseki 2012年1月24日 (火) 06:25 (UTC)
報告 Wikipedia:コメント依頼/Tensekiを提出させていただきました。--秋田城之介 2012年1月27日 (金) 08:59 (UTC)
私としても対話による合意から投票による合意へ早くシフトして欲しいです。Tensekiさんの主題と定義の確認の問い合わせは投票前の候補の比較表の整備に繰り入れることを条件に投票に合意いただけないでしょうか?Tensekiさんがノート:武田征伐の調査投票準備で比較表に追加された項目をこちらにも追加すれば解決するように思います。
私も問題点だと思っているのですが、秋田城之介さんは征伐の場合の定義に現状の「1.戦争」に加えて「2.朝廷権威を根拠に反逆者を征伐した行為」を付加するとのことです。これでは仮に征伐に改名した場合に後段の名称問題で「戦争定義の征伐=の役、攻め、平定の別称」は良いかもしれませんが、少なくとも「役」には「行為の征伐の意味」はないので「征伐=役の別称」とは書けません。他にもいろいろ修正が伴うでしょう。同定義のまま純粋に改名するのと違って主題の範囲を投票前に確認する必要があると思います。
投票条件についての提示は、既にいくつかなされていますが、投票による合意をすることが確認されてからしたいと思います(ハードルが設定されれば克服され易くなるため)。--Yasumi 2012年2月1日 (水) 12:06 (UTC)
コメント 九州・小田原双方で言えることですが、「征伐→役」と改名された経緯、「征伐」が「役」に転送されている事実を見れば、現状で既に「征伐=役の別称」となっていると言えます。とはいえ征伐へ戻すということは厳密に言えば、記事の範囲が「戦役・政治事象になること」を意味するので現実的には「征伐≒役」となりますから、定義上の細かい問題を解決するには本文の冒頭で、説明すれば良い話しだと思います。
ところで細かい定義の不一致については今まで議論してきたことであり、「征伐」が「役」に転送されている現状を鑑みれば、現時点で発生している齟齬だといえます。つまり、投票条件制定に当たっては優先条件ではありません。投票条件について個人的な要望があれば今の段階でコメント下さい。--秋田城之介 2012年2月3日 (金) 02:40 (UTC)
前にも出た話題ですが、征伐が役にリダイレクトされていることを秋田城之介さんが「齟齬」であり「意味が異なる」と断定されるなら、それは「征伐」が「役」と異なり独立記事になりえるということになります。(「征伐」呼称を使った出典から征伐の独立記事を立てれば良いという話は以前にも出ましたよね?「如何に正当性を持った征伐であったか」という意味合いの新記事は惣無事令などと絡めて出典を基に新規立項可能と・・・私と確かChokorinさんは判断しました)
それに認識に相違があるようですが、事実として前回の「征伐→役」へ改名された経緯では、記事の主題と定義はあくまでも「戦争」を意味するものでした。それは今でも変わっていません。だから定義を変えないままの改名だったのです。少なくとも前回の改名議論では、戦争名称としては役が優れていると議論で判断されて改名が実施されました。
しかし、今回は異なります。秋田城之介さんの提案では九州征伐に改名したうえで「戦争」の意味に加えて「正義の豊臣秀吉が反逆者の島津を討ったこと」が盛り込まれています。しかも、今まで提示されました出典を読んだ限りでは征伐の用例で「戦争」を意味するものは僅かであり、殆どの用例は「正義の豊臣秀吉が反逆者の島津を討ったこと」です。更に更に後者の意味合いが占めているために「征伐の用例では、被征伐側の動きについて表現されない」という状況があります。
Tensekiさんも出した話題ですが、「秀吉の征伐行為」を「役」で表現している用例はないのですから、言葉を借りれば、改名ならぬ改題に伴う変更は事前に提出すべきでしょう。公正な提案であるなら、黙って変更することは不都合です。ですから、
「定義上の細かい問題を解決するには本文の冒頭で、説明すれば良い話しだと思います。」について、少なくとも投票前に明らかにすべきです。どんな定義文の変更を加えるつもりですか? もちろん私の提案通り、投票前の比較表に訂正予告版の定義文を入れて相互に投票者に比較していただくという案でも妥協します。。(定義を変えるのに改名提案で公開しないことがマイナスに働くという考え方もあるかとは思いますが)
私の追加したい具体的条件は今までのような議論による合意方針を打ち切り、投票による合意方針にシフトしてから提示したいと思っています。 1.秋田城之介さんがTensekiさんの質問に回答するか?(差分の提示で解決?) 2.Tensekiさんが質問を取り下げるか? 3.私の妥協案である比較表へ盛り込むことで解決するか?早く投票に合意をお願いします。よろしくお願いします。--Yasumi 2012年2月4日 (土) 23:49 (UTC)
コメント 何度も同じ意見を主張されていますが、「征伐の用例では、被征伐側の動きについて表現されない」というのはYasumiさんだけが主張している特異な意見です。何を根拠に言っているのでしょうか。議論を堂々巡りにさせたいだけですか?
案に対し賛否も示さずに条件候補を列挙されるのは順序がおかしいのでは?提案に賛成するのか反対するのか、反対するとしたらどの点についてなのか?がわからないといけません。
先日の繰り返しになりますが、2月1日に追記された条件(コメント依頼で既に何人かの賛成を得ているものがベース)について、Yasumiさんの意見を述べてくださるようお願いします。--秋田城之介 2012年2月7日 (火) 02:11 (UTC)

再び投票への条件について

Wikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてで固められた条件に対する修正、エントリー期間に対する意見がYasumiさんから出ました。比較・検討するために、総合的な具体案の提示をお願いします。--秋田城之介 2012年1月20日 (金) 02:38 (UTC)

お願いですから私の問い合わせについて提案の説明責任を果たしてください。コメント依頼にも書きましたが秋田城之介さんは自候補が改名されるとともに記事の主題を正義の豊臣秀吉が悪の島津を征伐したという意味合いに変えると言っています。これは改名だけの問題ではなく記事の範囲が変わってしまう提案が含まれます。例えば島津氏の侵攻戦は九州征伐の主題に含まれるのか?島津氏の抵抗戦争という視点は記事から排除されるのか?改名と改題で排除された概念については分割して独立記事となるのか?これらの確認が必要です。これらの確認が必要です。特に最終局面でChokorinさんが新記事九州攻めを立てることを予告しているため秋田城之介さんの改名と改題の提案によって重複記事となるのか説明責任があると思いました。ですから私は記事の範囲ではなく、記事の主題の範囲をどう変えるつもりか説明を求めました。しかし対話は拒否されて説明はなされず、沈黙したまま私を排除しようとしています。議論済みとの門前払いで差分も示されていません。Tenseki 2012年1月30日 (月) 01:37 (UTC)
今投票に移る解決策は、Tensekiさんが質問を取り下げるか、秋田城之介さんが回答するか、の二つのようです。今までの議論に回答があるなら、それを見せればすぐに投票できるのでは?早く解決して投票に移ってください。--多賀城佐 2012年1月30日 (月) 11:11 (UTC)
Tensekiさんの会話ページで返答しました。--秋田城之介 2012年2月1日 (水) 01:47 (UTC)

コメント 「改名候補の認定期間と実際の投票期間」(小田原の件でも馬屋橋さんからコメント有りました)についてですが、双方を一週間ずつとすることを提案します。改名候補の認定期間中に表中の長短所や出典の書き込みを行うようにすれば良いと思います。
再提案に関しては、1年という意見と設けないという意見がありましたので、それらを折衷した「半年間」を提案します。それ以外はWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてで固められた条件を踏襲、という形でいかがでしょうか?--秋田城之介 2012年1月27日 (金) 08:59 (UTC) 適切な節へ移動--秋田城之介 2012年2月1日 (水) 01:25 (UTC) 追記:同数の場合の再提案は、上記議論に準じてここでは決めておりません。--秋田城之介 2012年2月1日 (水) 02:12 (UTC)

賛成 小田原のほうで賛成を1月に表明しましたが、ここでも同じく賛成です。--小判キング 2012年2月7日 (火) 18:03 (UTC)
投票は早くすべきと思いますが、秋田城之介さんがTensekiさんのコメント依頼を出したまま投票を強行するのはまずいです。秋田城之介さんが過去ログを示してTensekiさんの質問に答えるか、Tenswkiさんが質問を取り下げるかしないと灰色のままの投票決着では混乱を生むと僕は思います。--多賀城佐 2012年2月5日 (日) 10:15 (UTC)

終了 投票条件案を出して一週間、「具体的な反対・対論」がありませんでしたので、この条件で投票準備を行います。本日(投票要綱決定日)から一週間は、投票候補のエントリー及び単長所記入の期間となります。--秋田城之介 2012年2月8日 (水) 02:19 (UTC)

  • 改名候補 - 九州の役、九州攻め、九州征伐。
  • 投票者の資格 - 投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上、投票要綱決定時から直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。
  • 投票場所 - 各ノート。
  • 候補の論旨編集期間 - 1週間。
  • 投票期間 - 1週間。
  • 再提案の提出 - 投票終了から半年間(投票で同数の場合除く)。

反対 ここまで非道いとさすがに僕でも異論を提出するしかありません。僕は征伐派だし投票決着論者ですが、秋田城之介さんの強引なやり方で議決投票をすることに反対します。
議決投票で合意するかについて、反対論がすでにあるのに一方的に一週間が経過したから反対論は無効で無視という意見で切り捨てる態度は議論を優先するウィキペディアの合意形成にふさわしくないと思います。まず投票で決着するという合意をグレーな状態のままとせず白黒つけてから投票をしてほしいです。でないと議論でも出ていたような投票無効論が噴出して結論が混乱します。
投票条件についても合意がありません。特にYasumiさんが提出した今まで出た投票条件案と新たに提出された投票条件案を黙殺してはいけないと思います。通常優先される議論を超越して議決投票をするのですから、投票条件を秋田城之介さんが勝手に決断してはなりません。今ここでのみ投票できればなんでもいいというものではないでしょう?あまりにも強引で急ぎすぎだと思います。納得ずくめの合意を目指してください。--多賀城佐 2012年2月8日 (水) 11:56 (UTC)
2012年1月27日 (金) 08:59 (UTC)から12日間(追記時点から7日間)、賛成意見のみで反対意見はありませんでした。その間、Yasumiさんや多賀城佐さんは何をしていましたか?「Tensekiさんの質問に答えてください」と回答済みのことについて固執したり、私が「要望があれば今の段階でコメント下さい」と言っていたにも関わらず、案に対する賛否をせずに、今まで出た案の断片を羅列しただけ。それで「納得していない」という理屈は通りません。--秋田城之介 2012年2月8日 (水) 13:37 (UTC)
今まで出た投票条件に、少し追記して羅列してみました。投票移行が確認されたら、合意し易そうな点から決めた方が良いと思います。--Yasumi 2012年2月4日 (土) 23:49 (UTC)
私の改題確認の質問が議論済みなら、なぜ差分の提示され不可能なのでしょうか?議論されていないから差分がないわけですよね?なぜ対話を拒否されるのでしょう。Tenseki 2012年2月6日 (月) 06
05 (UTC)
私は九州のノートで『日本の歴史学上では平定などの統一事業そのものと、それにまつわる戦役自体の区別がハッキリされておらず、それはあまり改名反対の理由にはならない』というコメントをしていますし、そこはChokorinさんに同意をもらっており、Yasumiさんからも反対されていません。それは六月のことです。日本の歴史学上でハッキリ区別されていないものをWikipediaでハッキリ区別させるのは無理があり、またこれを今になって主議題にするのは間違っています。--秋田城之介 2012年2月8日 (水) 02:27 (UTC)
私の質問はそのようなことではありません。戦争定義の戦争名称の記事の定義を改変して正義の秀吉が悪を征伐をした定義を付加するというのが秋田城之介さんの改名提案です。今の主題から九州の役と九州征伐を入れ替えたときに、役には悪を討つ正義の行為という意味はないのですから「役とも呼ばれる」とはならず、別の定義文章の改正が必要となります。記事を変えるのですからガイドラインに従って説明責任は提案側にあるわけです。改名のあかつきには、記事にどんな改変を加えるのか?提案者の秋田城之介さんは説明する必要があります。投票条件についても、複数の参加者から異論が提出されていますが、それらを黙殺して合意することにも反対します。対話を重視しましょう。
反対 もう一度投票への移行に反対を表明します。投票への移行の前に下記の要件を満たしてください。ウィキペディアのルールでは説明責任は記事を変更する側にあります。
1.征伐改名の場合の冒頭定義文の事前公開。
2.改名以前の記事が戦争主題であるのに対し、征伐改名でどのような主題変更をするのか?記事の主題内容の事前公開。(付け加えて複数の主題を盛り込むのか?複数の主題とするのか?)
3.複数の主題を盛り込むのなら、別称問題にどのような対応をするのか?(正義の秀吉が悪の反乱分子を征伐したことを主題に加えるのなら、その主題の別称は「役」や「攻め」「平定」ではないので切り分けや説明が必要)
4.複数の主題を盛り込むのなら、主題の範囲の重複しない部分をどうするのか?(征伐された側の主体的攻撃や抵抗などは、戦争主題なら主題範囲内だが、征伐主題では主題範囲外となるため)
Tenseki 2012年2月9日 (木) 07:08 (UTC)
私もTensekiさんの懸念と同じような懸念を持っています。秋田城之介さんはごまかさずに答えてください。また、秋田城之介さんの独断で決定した投票要綱も直しておきました。投票要綱は議論で決定しましょう。--Yayoinokoe 2012年2月9日 (木) 08:15 (UTC)

投票条件の合意がありません。秋田城之介さんは投票をあせりすぎているように思います。ブロック依頼を収集しないまま投票を進めたり、Yasumiさんの提案した投票条件を独断で消してしまったり、投票結果について合意を強制する投票ですので皆が納得行くように合意形成を明確にしてください。このような進行の仕方では、秋田城之介さんも異議を唱えたような投票不備で結果が覆されてしまうような投票になりかねません。私も投票資格が欲しいので、今後に合意が形成される投票資格にはぜひ盛り込んでいただきたいと思います。--多賀城佐 2012年2月10日 (金) 11:07 (UTC)

もう一度言います。小判キングさんがYasumiさんに「独断と偏見で投票資格者を決めないようにお願いします」と意見を言っているように、同じことがすべての提案者に言えると思います。結果を議決に結び付ける強制力のある決定的投票をするのですから投票条件を独断することは許されません。
議論でなく、多数決の結果に合意すると取り決めて初めて議決投票が実施可能です。だから、合意できる投票条件を決める合意を成立させる努力が必要です。今までも投票無効論は何度も蒸し返されてきました。注意が必要です。
できれば同じ征伐派の僕としては、投票を時期や条件を焦って決めたがるように見える秋田城之介さんよりも、同じ征伐派のジャムリンさんに議事進行の旗振り役をしていただいたほうが投票決着への早道のような気がします。--多賀城佐 2012年2月11日 (土) 04:34 (UTC)
コメント コメント依頼でまとまった条件をここで修正して提案し、一週間以上経っても賛成のみで反対が無かったため終了した、この経緯のどのあたりが「秋田城之介の独断」なのですか?あなたは「征伐派」と自称しておられますが、実際にはそういうことはどうでもよく、ただ投票実施を止めたいだけなのではないですか?投票よりも議論で解決することがより良い道ですが、議論が長期に渡ったために、コメント依頼や本ノートにおいて投票で解決する合意があります。--秋田城之介 2012年2月12日 (日) 03:53 (UTC)

流れ木さんから小田原合戦案について議論することが提案されています。これを投票に優先して議論するのか、投票の条件整備のなかで解決するのか、どうしたらいいのでしょうか?--多賀城佐 2012年2月11日 (土) 04:38 (UTC)

  • ここで焦って決めるよりも、いちゃもんがつかないように投票の合意内容と合意形成期間を再確認して合意成立宣言を出したほうがいいんじゃないですか?--Danbukuro 2012年2月12日 (日) 06:28 (UTC)
投票資格について対案が提出された中で、協議もなく削除されたことが問題だし、ルールにも色々穴がありそうなので慎重に協議していただきたかったのですが、もう反対はしません。ただ、書かれているルールについて不明瞭な部分があるので確認します。--多賀城佐 2012年2月13日 (月) 10:59 (UTC)
  • 「役」と「攻め」について、過去に表が作られてから全然整理されていません、賛成者の姿も見れないことから「候補選定・表整理:2012年2月8日 (水) 02:19 (UTC) - 2012年2月15日 (水) 02:19 (UTC)」のルールを根拠に投票先から一旦削除してもいいでしょうか?賛成者もいないのに候補があるのはおかしなことです。もちろん期間までに賛成者がいたり整備が進むのであれば尊重して投票候補からの削除はしませんし、「合戦」などの候補が賛成者によって追加されることも歓迎いたします。(それとも、投票資格の無い者は整理も資格なしですか?)
  • 「候補選定・表整理」の肯定意見や否定意見が自己主張に都合の良い表現に書き換えられる恐れがあると思いますが、締め切りの時点でロックされるということでしょうか?「遅い者勝ち」の今のルールではちょっと恐ろしい気がします。削除も含めて比較表の編集には優先権はないのでしょうか?
  • 上の質問に関係しますが、乱立を防ぐルールがないようです。大丈夫でしょうか?
  • 「投票要綱決定時」のルールがありますが、具体的にいつでしょうか?後で混乱するといけないので確認をお願いします。
  • 「投票者全員へのチェックユーザー規定有り。」のルールについて、この表現では意味がわかりません。投票者は全員CUされるのですか?それとも整理者もCUされてしまうのですか?
コメント まず「賛成者の姿も見れない」というのがよくわかりません。
肯定意見や否定意見の書き換えについては、編集合戦を招くようなやり方は慎むべきでしょう。基本的には列挙形式で、一つのポイントについて長短所一個ずつしか書けない、というわけではありませんので。
乱立を防ぐルールとしては、「候補追加の際は出典を付けなければならない」ので、独自研究的な候補を追加することはできません。
「投票要綱決定時」は2012年2月8日 (水) 02:19 (UTC)です。--秋田城之介 2012年2月13日 (月) 16:57 (UTC)

アクセスできなかった間に投票に進展してしまったようですね。投票資格について今まで出た意見をまとめて更に私の具体案も提案し、厳格化をお願いしたのに、検討されなかっのでしょうか?まずは不在中のログを読んで追いつきたいと思います。--Yasumi 2012年2月19日 (日) 00:01 (UTC)

改名投票

投票要綱の案

投票要綱

投票の主題 現「九州の役」の改名
投票場所 ノート:九州の役
投票に先立つ議論
投票者の資格 投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上、投票要綱決定時から直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。
投票期間 候補選定・表整理:2012年2月8日 (水) 02:19 (UTC) - 2012年2月15日 (水) 02:19 (UTC)
投票期間:2012年2月15日 (水) 02:19 (UTC) - 2012年2月22日 (水) 02:19 (UTC)
投票のルール
  • 改名候補 - 九州の役、九州攻め、九州征伐。候補追加は一週間以内。
  • 再提案の提出 - 投票終了から半年間(投票で同数の場合除く)。
  • 投票者全員へのチェックユーザー規定有り。

各候補論旨

投票所

投票要綱を確認の上、適切だと思う候補の下に一行ずつ署名を入れてください。

  • 九州の役に賛成
  1. --Jaszmars 2012年2月15日 (水) 03:40 (UTC)
  2. --Yasumi 2012年2月19日 (日) 08:19 (UTC)
  3. --miya 2012年2月19日 (日) 11:52 (UTC)
  4. --КОЛЯ 会話 2012年2月20日 (月) 14:24 (UTC)
  5. --sergei 2012年2月20日 (月) 14:56 (UTC)
  6. --Tiyoringo 2012年2月21日 (火) 12:00 (UTC)
  7. --Ashtray 2012年2月21日 (火) 14:15 (UTC)
  • 九州攻めに賛成
  1. --貫鉄 2012年2月15日 (水) 08:13 (UTC)
  2. --Pesokun 2012年2月16日 (木) 16:42 (UTC)
  3. --miya 2012年2月19日 (日) 11:52 (UTC)
  4. --なんじゃたい 2012年2月20日 (月) 09:02 (UTC)
  5. --sergei 2012年2月20日 (月) 14:56 (UTC)
  6. --Tiyoringo 2012年2月21日 (火) 12:00 (UTC)
  7. --泉州大夫惟宗朝臣 2012年2月22日 (水) 01:45 (UTC)
  • 九州征伐に賛成
  1. --秋田城之介 2012年2月15日 (水) 03:01 (UTC)
  2. --明銘 2012年2月16日 (木) 09:25 (UTC)
  3. --Tomzo 2012年2月16日 (木) 11:09 (UTC)
  4. --小判キング 2012年2月17日 (金) 14:30 (UTC)
  5. --小田急多摩之介 2012年2月18日 (土) 09:41 (UTC)
  6. --まっとん 2012年2月19日 (日) 08:30 (UTC)
  7. --YOMIHO 2012年2月20日 (月) 07:42 (UTC)
  8. --なんじゃたい 2012年2月20日 (月) 09:02 (UTC)
  9. --高幡不働 2012年2月21日 (火) 02:34 (UTC)
  10. --Historical rox 2012年2月21日 (火) 14:34 (UTC)
  11. --ジャムリン 2012年2月22日 (水) 02:01 (UTC)

コメント

僕には投票権がないので、投票結果を尊重したいと思います。--多賀城佐 2012年2月15日 (水) 11:44 (UTC)
  • 色々考えましたが、この歴史事象の記事は戦争という単位で扱うのが良いと思い九州の役に投票しました。プロジェクトの趣旨にも合致した名前だと思います。私の読む歴史研究文献でも征伐史観を語る他は征伐は積極的に使われていないようです。--Jaszmars 2012年2月17日 (金) 03:29 (UTC)(追加コメント)戦争には色々な見方があると思いますが、呼称が特定の政治的側面を支持し、その他の見解を排除する呼称よりは、各種の歴史見解も包括して語ることのできる単純な戦争呼称を記事名にしたほうが、読者のためになると思います。--Jaszmars 2012年2月17日 (金) 03:37 (UTC)
  • 古い表現にも見えますが、浸透しているほうを支持します。--まっとん 2012年2月19日 (日) 08:30 (UTC)
  • どれも一長一短ですが、文化・サブカルへの影響力も考えて投票しました。--YOMIHO 2012年2月20日 (月) 07:42 (UTC)
  • 近年の歴史学の文献での使用例の多い「九州の役」もしくは「九州攻め」を支持します。--sergei 2012年2月20日 (月) 14:56 (UTC)
  • 「征伐」という言葉への抵抗感は別論、日本史における「征伐」概念-即ち、朝廷を背景として一方を攻めるという概念は有効であり、国史大辞典 (昭和時代)なども、秀吉の場合、正式な叙位任官前後で「征伐」を使い分けている例は尊重すべきと考えることから。「征伐」である必然はないが、言い分けはあったほうがよいと考え、現在のところ、それが明確な用語「征伐」を支持します。--Tomzo 2012年2月20日 (月) 16:51 (UTC)
  • 一覧表のようなものがありますが、正直見づらかったです。私は中立的かどうかはあまり問題ではないと思います。なぜなら、そういうのを突き詰めていくと「蝦夷」や「南蛮」といった言葉も使えなくなってしまうからです。--高幡不働 2012年2月21日 (火) 02:34 (UTC)

投票結果

  • 公平中立な第三者な私が票数を確定させていただきます。九州の役7、九州攻め7、九州征伐10です。今回の投票わあくまで調査投票で、過半数以上の票が無く、要綱にも最多投票を記事名にするとは一言も書いてないですので、投票した人に対するチェックユーザーののち、これらの結果参考にして議論を再開していただきます。--Yayoinokoe 2012年2月22日 (水) 08:44 (UTC)
まず投票数は7, 7, 10ではなく、7, 7, 11です。秋田城之介さんがブロックされたことで除外してよいと考えているのかもしれませんが、多重アカウントの不正使用でブロックされたわけではありません。Wikipedia:投票/リストでの誤った操作をされている初心者ユーザーのYayoinokoeさんが今後について、しきることは不適切です。--Tiyoringo 2012年2月22日 (水) 09:15 (UTC)
私が確認した限り投票された方々は全員「投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上、投票要綱決定時から直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。」という要件を満たしておられるように思います(誤認があったらすいません。)。「投票者の資格」には「投票結果発表まで投稿ブロックされないこと」という要件は書かれておりませんので、投票後に投稿ブロックとなった秋田城之介さんの票は有効票だと思います。チェックユーザーの結果何らかの不正が発覚しない限り九州の役7票/九州攻め7票/九州征伐11票という投票結果でよいと思います。--Henares 2012年2月22日 (水) 12:39 (UTC)誤認があったため訂正線付記。--Henares 2012年2月22日 (水) 14:30 (UTC)
数が判りやすいように各投票インデントをマークアップしてみました。これを重大な違反改竄と判断された場合は修正願います。
Henaresさん確認おつかれさまです。ありがとうございました。ですが「九州攻めに賛成」票2番の[[特別:投稿記録/Pesokun|Pesokun]}さんですが、現在時点(下記署名時間参照)で編集カウンターは57回と出るのですが、履歴編集回数が実際には55回で、規定の2月8日以前の投稿記録が「全名前空間編集50回、利用者名前空間1回、標準名前空間編集49回」になってしまうのですが、規定内判断ということで良いでしょうか?--ジャムリン 2012年2月22日 (水) 13:26 (UTC)
誤差2回分は、もしかすると版が削除されたことによるものかもしれないですね。投票要綱決定時点以降の編集が削除されたのなら当然アウトです。また私個人としては氏が投票した時点で、氏の編集した版が削除されていたのだとしたら無効票と見てよいように思います。投票時点では用件を満たしていたが、その後編集が削除された場合などですと、無効票としていいか微妙な感じがします。編集カウンターが誤作動しているのか、氏が編集した版が削除されたのかは、管理者や削除者の方であれば確認が可能です。またいつ削除されたかもわかるでしょう。--Tiyoringo 2012年2月22日 (水) 13:46 (UTC)
Pesokunさんの履歴を確認しました。ジャムリンさんのご指摘の通り誤りがあったようです。申し訳ありませんでした。投票要綱決定後の編集をカウントしてしまったという私のケアレスミスです。Pesokunさんによる投票要綱決定前の標準名前空間編集は確かに49回です[5]。Pesokunさんの票を無効票とするなら九州の役7票/九州攻め6票/九州征伐11票になりますね。--Henares 2012年2月22日 (水) 14:30 (UTC)
コメント Pesokunさんの票の扱いについては、削除ページの関係でまだ確定していないとみてよろしいでしょうか?投票者によって投じた候補数が異なるので、支持・不支持の観点から集計してみました。
総投票数25票、総投票者数21人
「九州の役」を支持した投票者7人、「九州の役」を支持しなかった投票者14人、支持率33.3%
「九州攻め」を支持した投票者7人、「九州攻め」を支持しなかった投票者14人、支持率33.3%
「九州征伐」を支持した投票者11人、「九州征伐」を支持しなかった投票者10人、支持率52.3%
全票が有効だと仮定して、以上のような結果になりました。計算ミスなどの誤りがありましたらご指摘下さい。--馬屋橋 2012年2月22日 (水) 15:08 (UTC)
これだけ解釈に余地があることは、投票条件の設定そのものに問題があったと言わざるを得ません。
投票結果については、特に複数投票を妨げない条件で投票を行っていることから、素直に得票数/投票総数で支持率を計上してみました。
九州の役/攻め/征伐について、得票7/7/11票、計25票。支持率28%/28%/44%
(ただしPesokunさんの投票資格が満たされていない場合は、
 得票7/6/11票、計24票。支持率29%/25%/46%
過半数の支持率を獲得した候補はないようです(過半数だとしても、最多票に改名するという条件というか投票目的が合意内容になかったようですが。一番肝心なところでは?)。不透明な幕引きは誰しも望んでいないでしょう。1位2位で決選投票を同等の投票条件で行うか、もう一度必要な投票条件を整えて仕切りなおしたほうが良いと思います。特に複数投票の可否については事前に公知されていなかったために、解釈する人によって選択肢が変動されてしまいフェアではなかったように思えます。禁止するなら禁止する、許可するなら許可するという合意を採るべきです。
ガイドラインに従って、Wikipedia:調査投票の方法#調査投票の手順のように、「もっとも優先すべき記事名に投票する」「一人一票とする」「最多得票候補に改名する」「最多票が同点の場合は・・・」等を合意で定めてから投票すべきでしょう。やるならやるで適正にやりましょう。--Jaszmars 2012年2月23日 (木) 01:21 (UTC)
コメント 複数投票になったこと自体はそれほど支障ではありませんが、単純に得票数だけで支持率を集計するのは公平性を欠くと思います。単純な得票だけで率を計算すると、複数に票を入れたmiyaさん・sergeiさん・なんじゃたいさん・Tiyoringoさんに対して有利な結果になってしまいます。第三者からみてこれは公平であるとは言えません。--馬屋橋 2012年2月23日 (木) 02:03 (UTC)
コメント 私は逆に単数票を入れたり複数票を入れる選択肢がある中で、結果に複数票を計上しないという評価を後付けすることが公平性に欠けると思います。私の評価は案に対する得票/総票数であり母数100%における支持率です。投票なので票を読んだのですが、馬屋橋さんの評価は人を読んでいるのが違うようです。--Jaszmars 2012年2月23日 (木) 02:25 (UTC)
まず、Pesokunさんは投票要綱決定時点で「標準名前空間の編集回数50回以上」という投票資格を満たしていなかったことは確かだと思います。削除された編集があるのなら履歴には削除された版の訂正線つき日時が表示されるはずですが、Pesokunさんの履歴を再度見てみてもそれは確認できません。従ってPesokunさんの票を無効票として扱うことに差し支えはないと思います。私の誤認によって皆様にご迷惑をおかけしましたことを再度お詫びします。
YOMIHOさんがおっしゃる「最多票を選んで問題ないか?ですとか支持率はどうなのか?」といったことについての取決めは、投票要綱に書かれていません。これはあくまで改名議論に無関心な部外者の個人的意見ですが、こうした事項は基本的に私のような部外者ではなく当事者の皆さま方の合議(多数決ではなく)によって決められるべき事項だと思います。
例えば「最多得票数or最多得票率or過半数を得た候補に改名することを決定する」などと言った、投票結果が具体的にどのような効果をこの改名議論にもたらすのかということもまた、投票要綱には書かれていません。しかし投票要綱に書かれていなくてもWikipedia:調査投票の方法Wikipedia:投票は議論の代用とはならないWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは多数決主義ではありませんなどといった関連文書に明記されている事項の中には、この投票結果の扱い方に関して参考になるものが非常に多く含まれているように思います(個人的にはWikipedia:調査投票の方法#調査投票が役に立つにはにこの点に関するピンポイントの回答が書かれているように思いますが・・・)。投票要綱に不明な点があるのであれば可能な限りこうした関連文書に従う、という態度が最もフェアな投票結果の扱い方だと思います。
再度投票することが必要なのであれば投票するための合意を再びいちからやり直す必要があると思います。しかし、何度も同一の事項に関する投票をすること自体、はたして適切なのでしょうか。再投票に賛成も反対もするつもりはありませんが、仮に再度投票を実施なさるのであればよほど慎重な提案・議論・合意を行わなければ、投票のメリットは回数を増すにつれて減少していくと思います。
先日のような誤認が発覚しない限り私からの発言はこれで最後にさせていただこうかと考えています。この投票が皆様をいたずらに疲弊されるような結果にならないことを願っています。--Henares 2012年2月23日 (木) 12:13 (UTC)

コメント 征伐が最多票なんだから征伐に改名するのが筋だと思うのですが。何のための投票だったの?投票で解決するって合意はハッキリ書かれていますが。--小判キング 2012年2月23日 (木) 14:34 (UTC)


今回の投票では絶対多数となる候補は無かったようですね。次は決選投票へ移るのでしょうか?今度の投票には是非参加したいです。
強制的に除去されましたが、僕は次のステップに非常に重要な指摘であると思ったため、掲載します。変更は合意確認しながら実施する必要があります。--多賀城佐 2012年2月22日 (水) 11:32 (UTC)

(引用開始) --Veton 2012年2月21日 (火) 11:06 (UTC) (引用ここまで)Wikipedia:投稿ブロックの方針3.3.5により、コメントアウト。--伏儀 2012年2月22日 (水) 16:30 (UTC)


「引用」の名目で多重アカウント使用が禁止される行為が復活させられていたため、コメントアウトを実施しました。
小田原の役もそうですが、この投票は、「対話による合意」から「投票による合意」へ移行する確認の合意形成をうけたものです。絶対多数にならない場合は決選投票に移るという合意は存在しません。また、この投票は調査投票にとどめるという合意もありません。--伏儀 2012年2月22日 (水) 16:30 (UTC)
では投票条件に次の合意が無かったことを確認したいと思います。--多賀城佐 2012年2月23日 (木) 10:40 (UTC)
  • 得票結果を改名候補の選択に結びつける合意がありませんでした。投票には最多得票を得た候補に改名する等の条件が必要でした。
  • 複数投票の禁止が合意されていませんでした。一人一票等の条件が必要でした。
  • 改名に連動する定義変更(改題)の合意がありませんでした。
    • 投票は今の定義「戦いの総称」を継承した単純改名となり、改題をする場合は別の合意が必要となります。
    • 今の定義「戦いの総称」に追加して「征伐」を投票結果で追加するには投票条件の追加が必要です。
  • 投票条件「投票者全員へのチェックユーザー規定有り。」が詳細不明です。投票に伴う何の条件でしょうか?